舞台裏…ってほどでもない

7月5日(火)

午前中は、いくつかの案件についてメールを書いているうちに終わってしまった。いずれも、仕事を増やすなよ~という感じの、めんどくさい内容で、それだけで疲弊する。

午後は、ひたすら原稿作成に没頭する。

今月は、ふたつの原稿を何としてもあげなければならない。

ひとつは、7月後半に予定している、「新幹線と在来線を乗り継ぐ町」で行われる、小さな学習会の講演原稿。もうひとつは、9月初旬に予定している、「飛行機で移動する町」で行われる、少し規模の大きな講演会の原稿。後者は、7月末までに原稿を提出しろといわれている。

どちらも、締切直前、という感じではないのだが、7月後半はいろいろと立て込んでいるので、早い内に仕上げておかなければならない。

それぞれ内容は、これまで話したことのあることを使えばよいのだが、使い回しができるかというと、そうではない。

小さな学習会のほうは、あまり専門的なお話もできないので、できるだけわかりやすく、かみ砕いた表現で書く。

少し規模の大きな講演会のほうは、それなりにその分野に関心のある人たちが聴きに来るだろうから、やや専門的な文体で書く。

…というように、あたりまえだけれど、聴衆を頭に思い浮かべながら、原稿を作っていかなければならない。

最近は、講演原稿をあらかじめ聴衆に配布し、当日はパワーポイントのスライドショーを使ってお話しする、というスタイルがすっかり定着しているから、原稿とはほかに、パワーポイントのスライドも作らなければならない。

パワーポイントのスライドでは、文字が多いことが好まれないので、できるだけ文字を少なくし、図や写真をたくさん載せる。適当な図や写真を見つけてくるのがまた、ひと苦労である。

よく、パワポの画面をプリントアウトしたものをそのまま配付資料としている場合も見かけるが、個人的にはそのやり方をあまり好まない。事前に配付する資料と、当日のパワポの資料は、全然別の性格のものと考えるべきである。田だ、時間がないときは、ついそのやり方を使ってしまうこともある。

つまりむかしからくらべると、講演資料を作るのに、2倍とか3倍の手間がかかっているのである。

もちろん、さまざまな講演会のために作った資料をストックしておけば、あるていどは使い回せるのだが、まったく同じというわけにはいかず、講演の趣旨に合わせて、細かいところの修正していく必要がある。同じテーマでも、何回か喋っているうちに、新たな知見も生まれてくるから、それも付け足さなければならない。

あと、考えなければならないのは、講演時間のことである。

決められた時間を大幅にショートしてもいけないし、かといってオーバーしてもいけない。

その場合は、パワーポイントのスライドの中に、話の本筋とはそれほど関係ないようなものを、数枚仕込んでおく。ふれてもいいし、ふれなくても差し支えないようなていどの画像を入れておくのである。時間があまりそうならば、そのスライドの説明をすればよいし、時間が足りなくなりそうならば、何もいわず飛ばせばいいのだ。つまり、時間調整のためのスライドである。

まあとにかく、そんなことをイメージしながら、ああでもない、こうでもないと、講演原稿とパワポのスライドを作っていくのである。

そんなこんなで作っていたら、お昼過ぎから夜まで、誰とも喋らず、仕事部屋にずっとこもりきりで根を詰めていたので、さすがに疲れた。

なぜこんなことを書こうと思ったかというと、帰り道、radikoのタイムフリーで聴いた「大竹まこと ゴールデンラジオ」のオープニングで、大竹まことさんと小島慶子さんと武田砂鉄さんが、ゲストにインタビューするときに心がけていることとか悩みとか、どんな工夫をしているとか、ラジオパーソナリティーとしての舞台裏というか技術的なことを喋っていたのが、とてもおもしろかったからである。

それに触発されて書いてみたのだが、どうもあまりうまくいかなかった。

| | コメント (0)

ボートマッチ普及運動

選挙に行こう!キャンペーン実施中。

こぶぎさんの薦めで、マスコミ各社のボートマッチを試してみたが、これがすこぶる面白い。

25問ていどの質問に答えると、政党や、自分の住む選挙区の候補者との近さを、パーセンテージで教えてくれる。

前回の衆議院選挙だったか、ほら、「最高裁判所裁判官の国民審査」ってあるでしょう?いままではほとんど何も考えずに審査していたのだが、それぞれの裁判官が、いろいろな裁判でどのような判断を下していたか、というまとめサイトみたいなものを、マスコミ各社で示してくれたおかげで、自分の考えに近い裁判官と、そうでない裁判官が可視化された。つまり根拠をもって、○×をつけることができたのである。

これってけっこう大事なことで、たとえばアメリカの連邦最高裁判事は、いま共和党系が6名、民主党系が3名で、ここ最近の連邦最高裁は、じつに偏った判断をしている。町山智浩さんは、「いま、アメリカは南北戦争時代へ逆戻りしている」と警鐘を鳴らしているが、ここ最近は、時代に逆行する最高裁判断が横行しているのである。ま、この国の最高裁判断も同じようなものだけどね。

アメリカの最高裁判事は終身職なので、いちど判事になると、物故するか、自分で引退を決めない限りは、人が入れ替わることはない。

その点、この国には「国民審査」の制度がある。欲を言えば、「国民審査」にも、ボートマッチみたいなシステムがあれば、もっと簡便に○×を判断できるのだがなあ。

それはともかく。

ボートマッチは、各候補者との近さがパーセントで出てくるので、

「この候補者とは、80%くらいわかり合える」

とか、

「この候補者は、嫌いだけど、30%くらいはわかり合えるのかあ」

とか、

「この候補者は、なんとなく好きだけど、意外と50%しかわかり合えない」

といったことがわかるのである。

もちろん、人との近さはパーセントでははかれないことはわかっているのだけれども、どんなに嫌いな人間でも、2~3割くらいは、わかり合えるところがあるのだ、ということを教えてくれる。一般論として、人と人とがまったくわかり合えない、ということはないのだ。

ところが、である。

今回やってみて、一人だけ、0%という候補者がいた。

四半世紀以上前にテレビアイドルとして活躍していた候補者である!

言うに事欠いて、0%というのは酷すぎる。「まったくわかり合えない」ということではないか!!!

おそらく、わかり合えない、というより、話の通じない人なのかもしれない。

それにしても、いったいなぜ、0%などというあり得ない数字が出たのだろう?まさか、アンケートに無回答だったということはないよねえ。

で、僕は考えた。

これからは、ボートマッチを、候補者と有権者の義務としたら、候補者と有権者の双方の意識が変わり、投票率が上がるのではないだろうか?

マイナンバーカードの普及よりも、ボートマッチの普及を!

| | コメント (2)

選挙変態

7月3日(日)

この土、日は、体調が最悪だったが、オンライン会合が2日間にわたってあったため、やっとの思いで画面の前に座り続けた。ビデオをオフにして寝ていようかとも思ったが、いつコメントを振られるかわからなかったので、そういうわけにもいかなかった。

体調が悪いのは、暑さのせいか、薬の副作用のせいか、よくわからないのだが、体中の粘膜が弱っているのは、明らかに薬の副作用だろう。そういう時に限って、うっかり自己責任で、タイの激辛麺を食べてしまい、たいへんな目に遭った。食べて数時間後にもよおしたのだが、出口のあたりがヒリヒリする体験を久しぶりにした。ということは、激辛唐辛子ってのは、消化されないのかね。

まあそんなことはともかく。

国政選挙がいよいよ来週である。

いろいろと思うところはあるのだが、僕が大好物なのは、候補者そのものではなく、選挙期間になるとものすごく元気になる、「選挙変態」(褒め言葉)と呼ばれる人たちである。選挙ライターとしては、畠山理仁さんが有名だが、ほかにも「選挙変態」がいる。

「選挙とはお祭りである」と断言して憚らない、ダース・レーダーさんとプチ鹿島さんのYouTubeチャンネル「ヒルカラナンデス」は、選挙の前になると、中学生みたいにはしゃいじゃっていて、見ていて楽しい。限られた選挙期間中に、どこの選挙区を取材したらわくわくするか(あるいはヒリヒリするか)を考え、実際にその選挙区を「漫遊」する。プチ鹿島さんは自らを「好事家」と称しているが、言い得て妙である。

TBSラジオ記者の澤田大樹さんと選挙ライターの宮原ジェフリーさんは、つい先日、TBSラジオのYouTubeチャンネルで「参院選全選挙区総ざらい2022!比例もあるよ」という番組を配信した。比例を含む全選挙区の候補者の一人ひとりについて、情報を提供する内容で、日曜日の午後3時から午後8時半頃までの約5時間の生放送をしていた。終了時間はとくに決めておらず、全選挙区の総ざらいが終わった時点で番組が終わる、というしくみで、前回の衆議院選挙の時は、7時間以上の放送時間だった。「今回は短く終わりました」と言っていたが、5時間は決して短くはない。

澤田さんと宮原さんは、同じ大学の同窓生で、むかしから選挙前になると、休みの日に家に集まって、全選挙区の動向を分析していたという。それがたまたま、前回の衆議院選挙の時から、YouTubeで動画配信したというのである。つまり仕事ではなく、完全なる趣味なのだ。ほとんどすべての候補者の情報を仕入れている宮原ジェフリーさんは、まさに「選挙変態」と呼ぶにふさわしい。

そういえば、僕の身近にも「選挙変態」がいたような気がしたが、その人は以前、韓国の大統領選挙まで取材していたと記憶する。「選挙変態、海を渡る」というドキュメンタリー映画を作りたい。

| | コメント (1)

ベイビー・ブローカー

7月1日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ、「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

今週は異常な暑さに加え、投薬期間が重なったせいか、思いのほか副作用が強くてしんどかった。こういうときに限って、金曜日の夕方に「肉体労働」が入っていて、異常な量の汗をかきながら作業をした。一緒に作業していた人たちは、かなり引いていたことだろう。

今週のある日、ちょっと仕事から逃避したいと思い、映画を観に行った。是枝裕和監督の「ベイビーブローカー」である。じつは「アシタノカレッジ金曜日」のゲストが是枝監督と聞いて、予習をするつもりで観に行ったのである。もちろん、僕が10年以上前からの大ファンであるソン・ガンホを見たいというのも、大きな理由の一つである。

感想を書くとネタバレになりそうなので書きにくいが、この映画の中で、「正義」が逆転する瞬間があり、それがとてもよかった。あたりまえのことだが、自分にとって「正義」だと思っていることが、いつの間にか自分の思う「正義」とはかけ離れてしまうことがある。そこに気づかない人がほとんどなのかも知れないが、この映画では、そこに気づく瞬間があるのだ。武田砂鉄氏は「あの場面は見事でした」と言っていたが、僕もその通りだと思った。

「善意」と「悪意」が入り交じったソン・ガンホの演技はやはりすばらしい。ラジオで是枝監督は、あの役はソン・ガンホの当て書きだと言っていたが、たしかにソン・ガンホのよさが存分に発揮された役だった。というか、この映画は、主要な俳優をキャスティングしたあとの当て書きではないか、と思えてならない。

ソン・ガンホのセリフは、役の設定の関係からか、やや慶尚道訛りが入っているように思えたが、それでも、彼の韓国語はほんとうに聞きやすい。それは、僕がソン・ガンホ「推し」だからかも知れないが、もともと彼の韓国語は、荒っぽい口調でセリフを言っているときでも、不快にならない聞きやすさなのだ。そのあたりは、ソン・ガンホと渥美清はよく似ていると僕が感じる理由の一つである。

トークの後半では、映画界改革の話だった。パワハラのない撮影現場、労働環境の改善など、海外で作られているガイドラインを読み込み、この国の映画界の旧態依然とした意識をどのように変えていくかを思案していた。もちろんそれは自分の撮影現場にもふりかかってくる。海外のガイドラインと照らし合わせると、自分の現場にもまだ不十分なところが多すぎる。だからこの国でも早急にガイドラインを作らなければならない、と。

印象的だったのは、自分の過去の作品をふり返り、あれは間違ってました、と率直に認めていたこと。「そして父になる」における、父性や母性を所与のものとしていた偏見への反省が、今回の作品のテーマに向かわせた動機の一つであるとも語っていた。

是枝監督は、以前の取材で、「日本の映画界にはいつも絶望していますよ」と答えていたが、それでも希望を持つことをやめないことは、僕の残りの人生への羅針盤である。とりあえず、「怒鳴らない生き方」は貫き通そうと思う。

| | コメント (0)

汗だく取材2時間半

6月28日(火)

先週だったか、あるローカルテレビ局から、取材依頼のメールが来た。

取材内容は、昨年の夏に、キー局で放送された内容と、ほぼ同じである。

あまりはっきりとは言えないが…二番煎じなんじゃないの?という考えが頭をよぎった。

しかしまあ、この依頼はお断りするわけにはいかない。しかもこのテーマにゆかりの深い地元のテレビ局からの依頼である。

そして今日がその取材日であった。

ディレクターは、思っていたよりもかなり若い方だった。もう一人は、カメラマン。二人組の取材クルーである。

昨年の、キー局の取材クルーはディレクター、レポーター、カメラ、カメラアシスタントの4人体制だった。

カメラ機材が重そうである。

「暑い中ご苦労様です」外は猛暑日の気温である。「車で来られたのですか?」

「いえ、新幹線と在来線とタクシーを乗り継いで来ました」

なんと!ローカル局ゆえか、スタッフの人数といい、交通手段といい、予算を切り詰めているのだな。

さっそく撮影場所に移動する。

「この場所、見たことあります」とディレクター。

そりゃあそうだろう。昨年のキー局が取材に訪れた場所と同じなんだから。

撮影場所となる部屋は、冷房が効いているのだが、セッティングをしているうちに、汗が止めどなく流れてきた。

そういえば、前回の取材の時も、汗だくだった。

「では撮影を始めます」

カメラに撮られながら喋っている僕の顔には、大粒の汗がダラダラと流れている。もしこの場面が使われたら、視聴者は、

「この人、なんで大汗かいてるんだろう?」

と、僕の話している内容なんぞ、頭に入ってこないに違いない。そう考えはじめると、ますます汗が噴き出してくる。

あ、そういえば昨年の取材の時も、喋りながら同じことを考えていたのだった

昨年の場合は、結局それが取り越し苦労で、数十秒しか使われなかったこともあり、噴き出す汗にうまく気づかれないように編集されていた。

今回もうまく編集してくれるだろう、とは思うのだが、そもそもこれが、どれくらいの長さの、どんな枠の番組なのか、よくわかっていない。

若いディレクターは、まだ若いゆえなのか、明確なディレクションがある様子もなく、僕も、どのようにふるまっていいのか、よくわからない。しかも、そのディレクターも僕も、基本的に饒舌ではないので、しばしば沈黙が続く。カメラマンの方がむしろ、気を利かして指示を出してくれたりする。

しかし、そんなことはどうでもよく、若きディレクターが誠実な人柄に思えたことだけで十分だった。

あとは、編集でなんとかしてくれるだろう。

こうして、2時間半におよぶ取材が終わった。

「ところで、これ、なんの番組なんです?」僕は最後にたずねた。

「ローカル局が持ち回りで制作して、キー局が深夜に放送するドキュメンタリー番組がよくあるでしょう?」

「ああ、ありますね」

「その枠で放送される予定です」

「そうですか?」

僕はてっきり、夕方のローカルニュースのワンコーナーで放送されるものとばかり思っていた。

…ということは、全国で放送されるのだろうか?

「8月の上旬ぐらいに放送する予定です。放送日が決まりましたらまたお知らせします」

「わかりました」

ドキュメンタリー番組ならば、もっとちゃんとカメラ映りとかを気にしておけばよかった。

細かい字が見えなくて、メガネを上に持ち上げるしぐさを、カメラの前で2,3度してしまったが、まさか、その場面が使われることはないだろうな。

僕は大汗よりも、そのことのほうが心配になった。

| | コメント (0)

小田嶋さんのいないたまむすび

6月27日(月)

この土日は、妻が出張に出ていることもあり、けっこう大変だった。

土曜日の午前中、4歳3か月になる娘が高熱を出した。しかしほかの症状も亡く、元気に動き回っているので、最初は全然気づかなかった。

どうも身体が熱いと思い、体温を測ってこれはまずい、ということになり、慌てて近くのかかりつけの小児科にかけこんだ。

熱が出ている以外、なんの症状もない。解熱剤を処方してもらって、あとはひたすら娘を寝かせることにした。

翌日曜日にはやや熱が落ち着き、月曜日の朝には、なんとか保育園に登園できるかな、というくらいまで熱が下がった。

それでも念のため、小児科の先生に見てもらおうと、朝イチで小児科に行ったところ、

「もう大丈夫でしょう。登園しても問題ありません」

と言われ、なんとか無事に登園ができたのであった。

あ、そうそう、自分の薬も処方してもらう必要があったということを思い出し、こんどは自分のかかりつけの病院に行って、薬を処方してもらう。

そんなこんなで、今日の午前中は潰れてしまった。ま、もともと今日は、リモートワークをすることになっていたのだけどね。

今日は月曜日。TBSラジオ「赤江珠緒 たまむすび」の3時台は、小田嶋隆さんの「週間ニッポンの空気」のコーナーである。

今日は謹んで、リアタイすることにした。

ゲストはライターの武田砂鉄さんである。メインパーソナリティーの赤江珠緒さん、月曜パートナーのカンニング竹山さんと3人で、小田嶋さんの思い出話を語っていた。

「すごい文章を書く人なんだけど、締め切りを守らない人なんですよ」

「おちゃめなところがありましたね」

「群れることを嫌う人だったのに、なぜか『たまむすび』の打ち上げには、必ず参加していた」

「小田嶋さんが大好きなサッカー観戦に一緒に行ったとき、点が入るという一番大事な場面で小田嶋さんはメガネを拭いていて、その瞬間を見ていなかった」

など、すごい人だったけど、しょーもないところもある人だったよね、的な故人の偲び方が、ほんとうに慕っている人たちだけで偲んでいる感じがした。

なんか覚えがあるなあと思ったら、僕自身も、似たような体験をしていた。

「前の前の職場」で同僚だったOさんが亡くなったときの告別式のあとで、Oさんがよく通っていた喫茶店に何人かで集まって、Oさんの思い出話をした。

Oさんは、僕の恩人のような人で、僕はOさんの考え方に影響されて、のちに韓国留学を体験することになる。その意味で尊敬すべき同僚だったのだが、一方で、おちゃめでいいかげんなところもあり、愛すべき存在だった。告別式で散々泣いたあと、そのあとの喫茶店では、気の合う数人が集まり、Oさんの間抜けな話に大笑いした。

「よく道に迷ってましたよね」

「旅先で選んだ食堂は、たいていハズレだった」

「車に関する間抜けな思い出は尽きませんね」

など。

小田嶋さんについてのラジオでの3人の会話を聴いていて、そのことを思い出したのである。

小田嶋さんは、「たまむすび」のリスナーに、「最後の手紙」を遺していた。亡くなる10日ほど前の、6月13日に書かれた手紙である。おそらく、ご自身にまもなく最後の瞬間が訪れることを意識して書かれた文章であろう。

その手紙の全文は、「たまむすび」の公式Twitterにアップされているので、ここでは引用しない。最後まで、小田嶋さんらしい、諧謔に満ちた愉快で暖かい文章だった。

番組では、赤江珠緒さんがその手紙を読み上げたが、当然ながら、読もうとすると嗚咽が止まらなくなる。誰だって、あんな手紙を読まされたら嗚咽で読めなくなるだろう。しかし赤江珠緒さんは最後までしっかりとその手紙の内容をリスナーに伝えた。

この感じ、覚えがあるなあと思ったら、小田嶋さんの親友の岡康道さんが、亡くなって5か月後になって、小田嶋さんへメッセージを寄せていたことと、よく似ている。

亡くなったあとに、生きている人に向けてメッセージを届ける、ということを、小田嶋さんは最後の最後にしたかったのだろう。親友の岡康道さんが、そうやって小田嶋さんを驚かせたように。小田嶋さんはそのとき岡さんのことを「最後まで楽しい男だった」とツイートした。

そしていま、僕たちは思うのである。小田嶋おじさんは、最後まで愉快なおじさんだった、と。

| | コメント (0)

小田嶋さんのいないTwitter

コラムニストの小田嶋隆さんについて書いた、フランス文学者の内田樹さんの、2022年6月24日(金)のツイートより。

「小田嶋さんと最後にお会いしたのは6月13日でした。その少し前にお電話を頂いて、「旧知の方たちに意識がはっきりしているうちに別れの挨拶をしておこうと思って」ということでした。次の週に平川(克美)君と二人で赤羽のお宅にお見舞いに行きました。」

「ベッドに横になっていて、話をするのも苦しそうでしたが、半身起き上がって「どうでもいいようなバカ話がしたいんですよ」というので、ご希望にお応えして、三人で思い切り「バカ話」をするつもりでいたのですが、話しているうちにどんどん元気になってきて、言語と文学の話を熱く語ってくれました。」

「最初の小説『東京四次元紀行』が出たばかりでしたから、その話が中心でした。1時間以上話して、別れ際に「じゃあ、元気で。またね」と手を握ると暖かくて柔らかい手で握り返してくれました。長い付き合いの最後の贈り物が笑顔と暖かい手の感触でした。素晴らしい友人でした。ご冥福を祈ります。」

「小田嶋さんが電話をくれたのは、彼の親友だった岡康道さんが急逝された時に「最後の挨拶ができなかったことが友人として悔いが残った」のでそういう思いを自分の友人にはさせたくないからという理由からでした。小田嶋さん、ほんとうに気遣いの行き届いた人でした。」

「旧知の方たちに意識がはっきりしているうちに別れの挨拶をしておこうと思って」という言葉を、みずから発しなければならないほど、すでに何日も前にお別れを覚悟していたというのが、泣けてしまう。

ライターの武田砂鉄さんも、ラジオで「6月15日に小田嶋さんのご自宅にうかがって、お話をした」と語っていたから、おそらく小田嶋さんは、これが最後の機会だと悟って、会ってお話をしておきたい人たちに声をかけていたのだろう。

内田さんのツイートの中に出てくる、岡康道さんとの友情については、以前にこのブログでも書いたことがあるが、小田嶋さんと岡康道さんとの関係については、こんな話を聞いたことがある。

小田嶋さんと岡さんとは、10年間くらい絶交していた時期がある。そのきっかけは、当時電通に勤めていた岡さんが、親友の小田嶋さんをメジャーデビューさせようと思って、そのころ飛ぶ鳥を落とす勢いだったあるコピーライターとの対談を企画したことにはじまる。

対談といっても、実際には二人が直接会って対談するわけではない。会わずに、それっぽい言葉の応酬を原稿化して、対談したことにする、というものである。つまり「フェイク対談」である(余談だが、実は私も一度、フェイク対談をしたことがある)。

小田嶋さんは、この企画を「冗談じゃない!」といって突っぱねた。だいたいそのコピーライターは自分にとってはいけ好かない人物であるし、そんな人間に頼ってまでメジャーになりたくない、と。

で、そのことを、『噂の真相』という雑誌に書いちゃった。つまり、そのコピーライターとのフェイク対談が企画されていたけれど、俺は断った、というその一部始終を、暴露してしまったのである。

サア怒ったのは岡さんである。せっかく親友の小田嶋にメジャーになってもらいたいと思い、よかれと思って企画したのに、それを断った上に、雑誌に内幕をばらすとは、何事か、と。

どうやら絶交のきっかけはそういうことだったらしいのだが、その後はまたもとの親友同士に戻ったという。

で、その岡康道さんが、2年ほど前に亡くなったのだが、「最後に挨拶ができなかったことが友人として悔いが残った」と言ったのは、そのときの別れがそうとうにショックだったことを示しているのだろう。

僕が友人論のバイブルとしている、小田嶋さんの『友だちリクエストの返事が来ない午後』は、身も蓋もないような友人論が書かれている、という読後感を持ったのだが、それを書いた小田嶋さんをしても、あるいはそうだからこそ、なのか、友情への揺るぎない信頼をもっていたのかもしれない。

映画評論家の町山智浩さんが、同じく6月24日のツイートで、

「小田嶋隆さんとは30年親交がありました。遺作となった処女小説『東京四次元紀行』を読んで、あの皮肉と諧謔と洞察と警句と諦念に満ちた小田嶋エッセイの本質がわかりました。酔いどれ探偵の一人称ハードボイルド小説だったんです。 新境地を開いたところに残念でなりません。」

と書いている。「皮肉と諧謔と洞察と警句と諦念」こそが、小田嶋さんの文章の本質である。してみると、友情への諦念に満ちた『友だちリクエストの返事が来ない午後』も当然、小田嶋さんの文章の本質を示していることになるのだが、しかし小田嶋さんの文章はそれだけで終わるわけではない。諦念の先には、ほんとうの希望や信頼が生まれるのだということを、真剣に考えていたのではないだろうか。

さて、僕が小田嶋さんの立場だったら、どうするだろう。小田嶋さんのように、自分の最後を自覚して、意識がはっきりしているうちに、これまでお世話になった友人に、お別れの挨拶ができるだろうか。

どうもできそうにない。

| | コメント (2)

小田嶋さんのいないAM954

6月24日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

コラムニスト・小田嶋隆さんの訃報は、ここ最近で、いちばんの喪失感かもしれない。

TBSラジオ「赤江珠緒 たまむすび」の月曜日「週間ニッポンの空気」を、通勤途中の車の中で毎週聴いていた。もちろん、リアルタイムでは聴けないので、ラジオクラウドで聴くのである。

ここ最近は、小田嶋さんが病気療養中ということで、別の人が代打で出演していたが、それは聴く気にはならなかった。もうすぐ小田嶋さんは戻ってくるだろうと待ち望んでいたところだったから、よけいに喪失感を抱いたのかもしれない。

よく辛口のコラムニストだと言われる。たしかにそうなのだが、「赤江珠緒 たまむすび」では、それでもまだかなりソフトな語り口である。これがたとえば、平川克美さんとの対談コンテンツなどを聴くと、小田嶋さんの辛口批評が遺憾なく発揮されている。「ひねくれ」「屁理屈」「豊穣な語彙」をもって政治や世間の理不尽を追い詰めていく手法は、話芸でいえば上岡龍太郎さんに通じる。つまり言葉のプロとして「見事」なのである。だから僕は、小田嶋さんの書いた文章を読むのが好きだった。

昼休み、仕事部屋で昼食を取りながらインターネットのニュースサイトを開いたときに、訃報を知った。しばらく呆然とした、という表現がふさわしい。

気になったのは、夜10時から始まるTBSラジオの生放送「アシタノカレッジ金曜日」の冒頭で、武田砂鉄さんが何を語るか、である。武田砂鉄さんは、ライターとして小田嶋隆さんの影響をかなり強く受けた人の一人であり、小田嶋さんのTwitterでの名文をまとめた『災間の唄』(サイゾー、2020年)の編集を担当している。師弟関係といってもよいほどである。

番組の冒頭では、上島さんの時のように、随想的に語るのだろうか。出版社勤務時代の思い出話を語っていたら、いつの間にか上島さんとの思い出話になっていたように。

しかしそうではなかった。

冒頭の12分間、最初から最後までずっと、小田嶋さんの思い出話をストレートに語っていた。亡くなって半日くらいしか経っていないので、気持ちがまだ整理されていない様子がうかがえた。

12分の独白のあとにかかった曲は、小田嶋さんが愛してやまなかった、サイモン&ガーファンクルの「Sound Of Silence」だった。ああ、小田嶋さんは、ほんとうにいなくなってしまったのだな。

これまで僕が書いた小田嶋隆さんに関する記事を再掲する。合掌。

現代版徒然草

懐かしむためにある場所

ザ・コラム

友達リクエストの返事が来ない午後

原稿ため込み党の夏

上を向いてアルコール

コラムとエッセイ

アレなマスクが届きました

金曜日までたどり着きませんでした

つじつまの合う物語

 

| | コメント (0)

僕はラーメンからできている

6月22日(水)

午後から都内で、来年のイベントに関する打合せを6時間以上にわたって行い、すっかりヘトヘトになってしまった。

帰宅すると、もうすぐ4歳3か月になる娘が、起きていた。

娘は最近、寝付きが悪い。暑さのせいなのか、それとも、僕が遅くに帰宅することにより睡眠のペースを乱されるからなのか、わからない。

僕はいつも心配して、

「眠れないの?」

と娘に聞くのだが、娘はきまって、

「眠れるよ」

と反論し、自分の寝付きの悪さを決して認めない。

だが、今日。

「○○ちゃん(娘のこと)、どうして眠れないかわかる?」

と聞いてきた。

「どうして眠れないの?」

と聞くと、

「だって、『僕はラーメンからできている』から!」

と答えた。

僕は爆笑した。

「すごいねえ、天才だよ!」

僕は娘の言っていることを瞬時に理解した。

さて、どういうことでしょう?ま、これだけではナンダカヨクワカラナイ。

実は最近、録画しておいた映画『南極料理人』を、娘はくり返し観ている。どうやらお気に入りの映画のようだ。

映画『南極料理人』は、そのタイトル通り、堺雅人扮する西村が、南極観測隊の料理人となって、隊員たちに料理をふるまう、という内容なのだが、そこに登場するメンバーが、じつに個性的な役者ばかりである。

最年長である「隊長」こと、きたろうを筆頭に、生瀬勝久、豊原功補、高良健吾、古舘寬治、黒田大輔、小浜正寛という面々である。

隊長のきたろうさんは、ラーメンが大好きで、毎晩、夜中にこっそりと、南極の在庫のラーメンを食べていたところ、ついに南極にストックしてあったラーメンが尽きてしまった。南極だから当然、買い出しに行けるはずもない。在庫がなくなったら、もうそれっきりなのだ。

それに気づいた西村(堺雅人)が、

「もうラーメンはありません」

と言うと、きたろうさんは、ほんとうに悲しそうな表情をする。この表情が、たまらなく可笑しい。この表情を見るだけでも、この映画を観る価値がある!

ある夜、きたろうさんは、熟睡している西村(堺雅人)の部屋を訪れた。

「西村くん、眠れないよ」

驚いて目を覚ます西村。

「西村くん、僕の身体はね、ラーメンでできているんだよ」

訴えかけるような目で、ほんとうに深刻そうに話すきたろうさん。この表情がまた可笑しい。

西村(堺雅人)は、「そんなこと僕に言われても…」と、眠り目をこすりながら、きたろうさんの深刻そうな顔を見つめる。

…僕は、娘の「僕はラーメンからできている」という言葉を聞いて、映画のこの場面を瞬時に思い出したのである。

娘は、この場面が、映画の中でいちばん面白いと思ったのである。それを、自分の眠れない理由に使うなんざ、粋だね。天才的だね。

2時間の映画で、いちばん印象に残ったセリフが、きたろうさんの「僕の身体はラーメンでできている」というセリフだったのかよ!笑いのセンスがパパと同じじゃないか!

このエピソード、きたろうさんが聞いたら喜ぶんじゃないだろうか。だってあの映画ではきたろうさんがいちばん面白いと言っているようなものだもの。「大竹まこと ゴールデンラジオ」の水曜日宛てに、メールを出してみようかしら。

…いや、どうせ紹介されないから、やめておこう。

| | コメント (0)

私の知らないヤマザキマリ

NHKのEテレ「100分de名著」を観ていたら、安部公房の『砂の女』が取り上げられていて、指南役は漫画家・文筆家のヤマザキマリという人だった。

このヤマザキマリさんの話が、めちゃくちゃ面白い。

家族に、

「ヤマザキマリって人、弁が立つねえ。こりゃあ、テレビとかラジオに引っ張りだこになるんじゃないの?」

「もうなってるよ。出まくってるよ」

「え?」

「知らないの?『テルマエ・ロマエ』」

「知ってるよ」

思い出した。『テルマエ・ロマエ』の作者の人だ。たしかイタリアに住んでいるんだよね。

「なに、『俺が見いだした』みたいな言い方してんの?とっくに売れてるよ」

そうなのか。『テルマエ・ロマエ』は、漫画を読まない僕ですら知っている。たしか阿部寛が主演で映画にもなったやつだよね。申し訳ないことに、映画も観ていなかった。

一昨日の日曜日のTBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』にヤマザキマリさんがゲスト出演していたと聞いたので、今日の通勤途中にラジオクラウドで聴いてみた。

「(安住)4回目の登場、ヤマザキマリさんです」

「(ヤマザキ)もうここに住んでるみたいですね」

ええええぇぇぇ!!!「にちてん」をしばらく聴いていない間に、もう4回も出演しているの??

「(安住)コロナ禍になって、あまりいいことはありませんけれども、あえてよかったことをあげるとすれば、ヤマザキマリさんがその間、日本にいらっしゃって、番組にお呼びできたということです」

と、安住アナに言わしめるくらい、ヤマザキマリさんがゲストに来るというのは、安住アナにとっても楽しみなのだな。

そこから、およそ40分間のマシンガントーク、通勤途中の車の中で、大声を出して笑ってしまった。

しかも、あまりに面白いので、2回くり返して聴いてしまった。

とくに、ポルトガルで歌舞伎役者の中村勘三郎さんと出会い、初対面の勘三郎さんに、できあがったばかりの『テルマエ・ロマエ』の雑誌を渡したエピソードは、その後日談を含めて何度聞いても面白い!

いやあ、久々に、僕の中での「スター誕生」である。鉱脈を掘り当てた感じっていうか。いまごろ何言ってんの?と言われそうだが。

ラジオのレギュラー番組をもったら、絶対にヘビーリスナーになるんだがなあ。

| | コメント (1)

«プロットづくり