名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)

4月14日(日)

4月12日(金)から、名探偵コナン劇場版最新作『100万ドルの五稜星(みちしるべ)』という映画が公開された。小1の娘はコナンが大好きで、当然レギュラー放送も欠かさず見ている。劇場版も、前作の『黒鉄の魚影(サブマリン)』から映画館で観ている。

今回も当然見に連れていかなければならない。日曜日に時間があったので、近所の映画館を検索すると、どの映画館も満席に近い状況である。

(こりゃあたいへんだ)

急いで劇場と上映時間を決めて予約した。

なにも封切りの2日後に見に行かずとも、少し間をおいたほうが余裕を持ってみられるんじゃねえの?と思うかもしれないが、思い立ったが吉日、という言葉もある。いつ見に行けるかの保証もないので、混んでいることを覚悟で映画館に行くことにした。

そしたらあーた、予想したとおり、というか予想以上の混雑ぶりである。あんなに映画館が激混みしているのを見るのは初めてである。

ポップコーン売り場は長蛇の列。わりとギリギリに到着したので、買う暇がない。せめて飲み物だけでも思ったが、並ばなければ買えないことには変わらず、これならばあらかじめ飲み物を買っておくべきだったと後悔した。

そのシネコンでは、コナンが複数のスクリーンで上映されていて、ほぼ30分おきに見ることができるようにプログラムを組んでいる。それにもかかわらず、というか、そのようにしたことでなおさら人が集まって来ちゃった、とこういうわけだ。

僕と娘が観た回も、満席だった。

さて内容だが、とても面白いということだけはわかった。娘も「とても面白かった」と言っていた。しかし、ストーリーが複雑で、展開もめまぐるしく、圧倒的な情報量の前に、1回で内容を完全に理解することができなかった。

テーマや設定が僕のものすごく好きなものだったが、その知識をもってしても、理解が追いつかない。

というのも、僕がコナンを見始めたのがここ1,2年なので、まずキャラクターが覚えられない。キャラクターに対する反射神経が鍛えられていないのである。

えっと…この人は、…あ、そうか、毛利小五郎さんの娘さんか!などと考えているうちに、画面はすでに次の展開に移っている。

もちろん、伏線とそれに対する回収もよくわかってカタルシスを十分に感じることができた。

あの高度な内容を小学生が面白がって観ていることは、未来にちょっと希望が持てる気がする。

映画を見終わった跡は、近くの公園に行った。その公園には大きなタコを形どった滑り台があるので、「タコ公園」と呼んでいる。

娘がタコの滑り台で遊んでいると、娘よりちょっと学年が上だと思われる女の子が、娘のことが気になったらしく、娘が滑り台を逆からよじ登る姿を見ながら、「頑張れ」と言った。その女の子も、滑り台を逆からのぼる遊びをしていたのである。

そのうちに、二人は心を通わすことになった。言葉はほとんど交わしていないのに、二人の間に友情が芽生えたのである。

ひとしきり遊びが終わると、その女の子が娘に言った。

「あのさあ、友だちになってくれない?」

「いいよ」

「わたしはねえ、○○小学校。あなたは?」

「となりの市の○○小学校」

友だちになるといっても、実際には距離が離れていて会うことなどできない。

「来週もこの公園に来るから、3時頃に。来てくれる?」

「いいよ」

なんと!娘は来週再会することを約束してしまった。おいおい、自宅からこの公園に来るのはけっこう遠いんだぜ!

お別れしてから、娘は僕に、

「来週もこの公園にぜったい来るからね」

と言ってきたが、困った。妻は出張で不在だし、僕は夕方にオンライン会議がある。どないする?

| | コメント (0)

背広コレクター

4月13日(土)

僕の住むマンションには本やモノが溢れていて、ふつうならば3人家族には十分な広さなのに、それらが生活空間を圧迫している。少しでもスペースを作らなければ小学生になった子どもの勉強部屋が確保できないという危機感から、まずは衣服の整理からはじめることにした。

もう着る機会がないような服を片っ端から捨てていくという方針だったが、各部屋のクローゼットやハンガーラックなどから、僕が買った大量の背広の上下が出てきた。出るわ出るわ、しかもそれが同じ色調のものばかりで、とくにバリエーションがあるわけでもなく、なぜこんなに大量の背広を買ったのか記憶にない。なかには、買った状態のまま1回も着ていない背広もあった。

そもそも僕は、仕事で背広を着ることがほとんどなく、公式的な行事があるとき、1~2カ月に1度、着るか着ないかといった程度である。頻繁に着るならまだしも、これでは週7日の毎日、各曜日ごとに着る背広を決めてとっかえひっかえして着たとしてもなお、着る機会のない背広が残ってしまう、というほどの数である。

思い切って捨てたいところなのだが、どれもまだ十分に着られるので、もったいなくて捨てずに残すことにした。でもその結果、ハンガーラックの大部分が背広の上下で占領されてしまった。これからいったいどれくらい背広を着る機会があるのだろう?

| | コメント (0)

世界は会議でできている

4月10日(水)

今週は忙しい。

昨日の火曜日は、会議が3つあり、そのうちの2つは僕が司会だった。しかもその2つというのは、会議体の名称が違うだけで、中身はまったく同じ議題を話し合う、という謎の会議である。つまり僕は午前と午後の2つの会議を、寸分違わぬ議題で議事進行したのである。こういうのを二度手間っていうんじゃないの?

僕が司会の2つの会議が終わった後、15時からは僕が出なければならない会議が2つあり、バッティングした。さすがに2つの会議に同時に出るような神業ができない。…いや、やろうと思えばできたかもしれない。1つが対面、1つがオンラインの会議だったので、対面の会議に出席しつつ、自分の目の前にパソコンを置いてオンライン会議に出席する、というやり方だ。僕に恥も外聞のなければ、それができたかもしれないけれど、さすがにそれは失礼である。仕方がない。優先度を考えて、オンライン会議に出席して、2時間黙って聞き続けた。

そして今日は、新入社員の研修である。

研修自体はまる一日行われるのだが、僕は午前中に15分間だけ、研修の講師をつとめることになった。

たった15分だが、間違いがあっちゃいけないというので、1時間くらいかけて予習をして、本番に臨んだ。

予習の甲斐あって、15分ぴったりで過不足ない説明が終わった。

午後は1時間ほど来客の対応をして、14時から2時間ほど、オンラインで打合せを行う。

これでやっと終わりかな、と思ったら、上司のところに明日の会議の下打ち合わせをしにいかなければならないことになった。明日の会議は結構重要な会議で、僕が議題を提出する立場でもあるので、事を慎重に進めないといけないということで、周到な下打ち合わせをすることになったのである。

明日の会議は気が重いのだが、会議の前後の時間は作業の立ち会いという仕事もあり、なかなか気が抜けない。

「会議は踊る」ではなく「会議に踊らされている」というフレーズを考えてみたんだが、どうだろう。あんまりうまくないか。

| | コメント (0)

入学式

4月8日(月)

どこもかしこも、今日は入学式のようだ。

高校時代のクラスの有志で作っているグループLINEに、今日は出身高校の入学式だと書いてあった。

出身高校の近所にある国立大学も、今日が入学式だという。

うちの市内の小学校も、今日が入学式である。

ずいぶん前に、そのことに気づかずうっかり出張を入れてしまったのだが、あとでこの日が入学式だと気づき、慌ててほかの同僚に代わりに出張に行ってもらった。のっけから情けないスタートである。

入学式は13時半からだが、午前中もいろいろと準備があり、小学校には開会の40分前には到着しないといけなかったので、あまり余裕などなかった。

入学式が行われる体育館に入ると、愕然とした。

入学式のフォルムというのか、舞台装置というのか、僕が半世紀前に小学生になった時の入学式と、まったく同じだからである。もちろん、娘の小学校と僕の小学校は、別々の小学校なのだ。にもかかわらず、会場の設営の仕方がまったく同じというのは、どういうことだろう?

驚いたのはそれだけではなかった。

「式次第」も、半世紀前に体験した入学式と、何ら変わっていないのだ。

いや、ひとつだけ違うのが、「国歌斉唱」というのがあるということだ。僕が小学校の時はなかったと思う。国旗・国歌法が制定されて、いつの間にか入学式で国歌を歌うことが義務づけられたのだろう。

入学式が始まった。

国歌斉唱のあと、学園歌斉唱というのもあった。

うちの町は少し変わっていて、小・中学校の9年は一貫した教育をするという方針のようで、市内の小・中学校はひとつの「学園」ととらえられている。その「学園歌」というものが存在するようなのである。

もちろん、初めて聴く歌なので、歌えるわけはないのだが、あらかじめ録音してある生徒たちの歌を聴くと、難しくて覚えられないほど、歌詞やメロディーが複雑な歌である。

(ここの小中学生は、こんな難易度の高い「学園歌」をおぼえなければならないのか…)

次に校長先生の挨拶である。校長先生が壇上に立つと、合図にしたがって新1年生が頭を垂れてお辞儀をした。

校長先生は、新1年生に向けて、道徳的な訓辞を垂れるのだが、

「戦前か!」

と思う内容の訓辞だった。

続いて、教育委員会の告辞である。これもまた、十年一日、いや、百年一日のような内容だった。

次に来賓紹介。いま告辞を述べたばかりの教育委員会の人を筆頭に、市会議員とか、あとはよくわからない団体の人などが紹介される。

いちばん笑ったのが、その町の駐在所のおまわりさんである。

僕はこの町に6年住んでいて、僕の住むマンショのすぐ向かいに駐在所があるのだが、いつ見ても、駐在所のお巡りさんの姿が見えない。まるで無人の駐在所なのである。

ところが今日、6年目にしてはじめて、駐在所のおまわりさんの顔を見た。おいおい、こんなんで地元の治安は守られるのかよ!

その後、担任紹介や小学校6年生による歓迎の言葉などがあり、最後に「校歌斉唱」である。

「学園歌」のほかに、この小学校独自の「校歌」もあるのだ。

どんだけ歌うんだよ!しかも校歌もまた難しい。

この小学校に通う児童はともかく、保護者は「学園歌」も「校歌」も、ひとっつも覚えることなく終わってしまうのかと思うと、絶望すら感じる。

入学式に出た感想は、

「ずいぶんと権力的な入学式だった」

という一言に尽きる。校長や教育委員会が壇上から児童たちを見下ろして訓辞や告辞を垂れるという権力構造は、おそらく戦前からちっとも変わっていないのだろう。その証拠に、歓迎の言葉を述べた6年生の児童は、壇上に上がらせてもらえなかったのだ。

儀式とは権力構造を確認する行為に過ぎないというかねての主張は、小学校においても同じであるということを目の当たりにして、暗澹たる気持ちになった。

| | コメント (0)

これぞゴールデンヒストリー

僕が「究極のミニコミ誌」と呼んでいるガリ版刷りのミニコミ誌に、高校の恩師がエッセイを連載しているという話は、以前に書いた

つい最近送られてきたミニコミ誌には、驚くべきことが書かれていた。恩師の若い頃の話である。

子どもの頃から数々の病気の治療に時間を費やしていた恩師が高校を卒業したのは、21歳のことだった。さてこれからどうしようかと考え、まずは体力を回復するために、市役所で単純作業を行うアルバイトをした。しかしこんなことを続けても生きがいにはならないことに気づき、一念発起して大学に入学することをめざし、急遽夏から受験勉強を始めて準備不足のまま受験にのぞんだ。

入学試験が終わった夜、打ち上げの席で友人が「元気出せ」と、恩師の右耳をバン!と叩き、鼓膜が破裂してしまった。もともと左耳の聴力のなかった恩師は、残された右耳も壊され、完全無音の世界になった。こんなことでは大学に行って何ができる?どうせ受験は失敗したので、大学を諦めて別の新しい世界を生きていこうと決心した。

家族には「これからは新しい世界で生きていきます。落ち着いたら必ず連絡するから心配しないでほしい。探さないでほしい」と手紙を書き残して西へと向かった。放浪の果てにたどり着いたのは、知り合いのいない広島だった。駅前のパチンコ屋に飛び込み、ここで働かせてもらえないかと頼み込んだら、あっさりとOKをもらい、この日から住み込みの店員生活が始まった。マネージャーとオーナーに可愛がられ、快適な生活を謳歌した。右耳の聴力も次第に回復していった。

ある日、朝食のときに新聞の朝刊を読んでいると、尋ね人の欄に自分の名前が書いてある。「合格している。連絡せよ」と。すぐさま実家に電話をかけ、無駄なお金を使うなと言ったら、兄が入学と入寮の手続きをすませたからできるだけ早く大学に顔を出せという。マネージャーとオーナーに事情を説明した。マネージャーは半信半疑だったが、オーナーは2カ月分の給料をくれて「すぐ行きな」と、恩師を送り出した。

かくして14歳~22歳の8年間の「道草はぐれ半生も終わって、以後は凡庸な生活となっている」と、最後に綴っている。

「以後は凡庸な生活となっている」という言葉に思わず笑ってしまった。その後もいろいろあったのだろうけれど、このころの8年間にくらべたら、どんな生活も凡庸に思えてしまうのだろう。

僕が高校時代に知らなかった、恩師の青春時代の話。高校を卒業して40年近くたって初めて知ったのである。

このエッセイを僕だけが読むのは勿体ない。このページをスマホで撮影して、高校時代に同じクラスだった有志で作っているグループLINEで共有した。「まるで映画のような人生だ」というコメントをつけて。

クラスの仲間たちも、当然このエッセイを読んで驚いていた。「ドラマ以上だわ」「そのあとの人生についてももっと話を聞いてみたい」と。

僕は恩師にメールをした。何よりまず、恩師に断りなしにエッセイを同級生の仲間たちと共有してしまったことを謝り、仲間たちの反応を紹介した。

するとほどなくして恩師から返信が来た。

「連載エッセイをクラスのみんなに回したのですね、ははは、恥ずかしいけれどおもしろいね。今まで家族にも言わなかったことがたくさんあるけれど、そろそろ人生の終点も近づいているはずなので最後まで面白がって生きてやろう!という気分です。但し、共通タイトルは「他人にわかってもらうのはむずかしいこと」に限っているのでそんなに長くは続きません。(連載は)あと3回くらいかな」

そうおっしゃる恩師は、今度の日曜日に春風亭一之輔師匠の独演会を聴きに行くそうだ。「激しい座席とり競争の中、最前列の席を確保できたので行きます」と書いてあった。

僕のいまの夢は、恩師の連載エッセイを1冊の本にまとめることである。

| | コメント (0)

倦怠感と繁忙

4月4日(木)

年度が変わって少しは楽になるかと思ったら、その反対だった。

今日来たメールだけでも、原稿の修正依頼が2件、調査依頼が1件、カルチャースクールの講師の依頼が1件、来年の講演の打診が1件。出張の打診が2件。

依頼ばかりではない。こちらからお願いすることもある。

書類の不備について、書類を出した人に問い合わせたり、いまとりまとめている本について執筆者たちに連絡をしたり、オンライン会合の日程調整が1件。

会議の事前打ち合わせなんてものもある。

それ以外にも、現在ストップしている原稿や書類作成というのが山ほどある。あまりにやることが多すぎて、どこから手をつけていいのかわからない。それでなくても、薬の副作用で倦怠感がひどいのだ。

しかしまあ文句ばかりも言っていられない。忙しいのはお互いさまだ。10人ほどにオンライン会合の日程調整をしたら、20ほどの候補を挙げていたのに、全員の日程が合うことはほぼなかった。かろうじて△や×の人に調整をしてもらったりして、ようやく1日だけ日程が確保できた。

みんな忙しいのだ。これって健全な社会なのか?

| | コメント (0)

薬マネージャーのまぼろし

少し前に、1日に飲む薬が5種類になり、しかもそれらを飲むタイミングが一様ではないということから、タイミングを間違えずに薬を飲むために、スケジュールを管理する「薬マネージャー」を募集したのだが、応募者はゼロだった。

見かねた妻が、100円ショップでピルケースを買ってきてくれた。最初からこれを使えよ!ということらしい。

そのピルケースは、月曜~日曜の1週間ずつの縦長の小箱が合体して一つの四角いケースを形成している。

しかも、各曜日の縦長のケースは「朝」「昼」「夜」「寝る前」と、さらに4つの小箱に分かれている。そこに飲むべき薬を入れておけば、朝食後に飲む薬、昼食後に飲む薬、夕食後に飲む薬、寝る前に飲む薬が、一目瞭然でわかる、という仕組みになっている。

ただ僕の場合、「寝る前」に飲む薬はないので、この部分の小箱を「朝食後2時間」の箱と読み替えれば、ほぼ完璧に、一日に飲む薬のスケジュールを管理することができる。「薬マネージャーいらず」である。

各曜日の縦長の箱は着脱可能になっている。たとえばその日が月曜日だったら、月曜日用の縦長の箱だけ取り外して持ち歩くことができる。これで、どこへ行っても薬を飲むことが可能だ。

ただ心配なのは、そのピルケースを毎日箱を変えながら持ち歩かなければならないことを忘れてしまわないだろうか?ということである。ま、そこまでのことになったら、また一つ薬が増えることになるだろう。

| | コメント (0)

飛行機災難

3月30日(土)

今年度最後の出張である。

昨日の夕方に羽田空港を発ったのだが、羽田空港が飛行機の大渋滞で、搭乗してから30分以上も離陸しなかった。

「ただいま、滑走路が渋滞しておりまして、管制塔から離陸の指示が出ておりません」

というアナウンスが繰り返されていた。

これと同じようなこと、どこかで体験したことがあるなあと思い出してみると、15年以上前に中国に旅行に行った時、飛行機に乗ったはいいが、待てど暮らせど離陸しないということがあったことを何となく思い出した。日ごろ定時運航に慣れていた僕にとっては、国が違えば事情が違うのだろうと、さして腹を立てることもなかった。

しかし今回は少し腹が立ってきた。滑走路が渋滞することがわかっているのなら、もう少し対策はとれるんじゃないか?と。もともと、そういうスケジュールを立てた時点で机上の空論だったのだ。

幸い、昨晩は移動が目的でとくに用務もなかったから別にダメージを受けることもなかった。

そして今日が用務の日である。午後から3時間の会合に出席することが、その用務なのだが、午前中はチェックアウトギリギリまで原稿を書くことにし、その後用務先に行って、3時間の会合に出席した。

用務が終わればまた帰途につくわけだが、僕は余裕をみて、19時30分に出発する飛行機を予約しておいた。会合は予定通りの時間で終わり、空港には比較的余裕を持って到着することができた。

お土産を買ったり食事をとったりして時間を潰し、保安検査場を通過して搭乗口に向うと、出発時間が変更されていた。19時30分ではなく、20時10分に変わっていたのである。

おいおい、40分も遅れるのかよ!

空港内のアナウンスでは、使用機の到着が遅れているためと説明していた。しかし注意深く聞いてみると、遅れているのは僕が乗る便だけでなく、ほかのほとんどすべての便が、使用機の到着が遅れるため、ほぼすべての飛行機が出発時間を遅らせるという措置をとっているようであった。

週末だから仕方がないのかもしれないが、僕の記憶ではこれまで定時運航を宗としていたこの国の誇りは、どこに行ってしまったのだろう?そして遅れたからといって、申し訳ないという様子もさほどみられないのである。

いや、別にそれはどうでもいいのだが、これって意外と深刻なことなんじゃないかと思えてきた。だって明らかに仕事が回ってないということでしょう?これからこの国は、こういうことが常態化する国になるのは間違いない。これから改善されてよい方向に向かうということは、到底考えられないからである。

むかしは、「外国(とくに開発途上国)の飛行機は平気で遅れたりするから困る」などと無責任に言ったりしたこともあったと思うが、その言葉はいま、この国に向けられている。人手不足で仕事がたいへんで、回らないんだったら回らないでいいから、先進国の看板を下ろした方がよい。

そんなことは言っても仕方がない。それよりもさらに悲惨なことがあった。

遅れて到着した飛行機に乗り込み、いつものように荷物を上の棚に収納し、ようやく飛行機が離陸した。

羽田空港に着陸して、シートベルトのランプも消え、さあ、荷物を上の棚から取り出そうと座席から立ち、背伸びして上の棚を開けようとしたら、

ズルズルズルっ!!!

と、僕のズボンが床のところまでずり落ちてしまった!

まるでコントみたいな話である。おそらく、ズボンのベルトを「甘締め」していて、背伸びをした時に自然とお腹が引っ込んでしまったため、ズボンがずり落ちてしまったのだろう。

もう最悪だ。満座の席でズボンがずり落ちたのだから。

しかし幸いなことに、ズボンの下はパンツではなく、黒いズボン下を穿いていたため、誰にも気づかれずに済んだ。僕は何事もなかったかのように、ズボンを腰の位置まで戻し、事なきを得た。

バレてなくてほんとうによかった。というか災難だらけだ!

| | コメント (0)

何かを落とす音

3月29日(金)

飛行機に乗って北の町に向かう。夕方に羽田空港を離陸し、夜に北の町に到着。明日は会合に参加して、終わったらすぐにまた飛行機に乗って帰途につく、という弾丸出張である。せっかく来たのにもったいない。この地域をゆっくりと見て回る機会は訪れるのだろうか。

それはともかく。

僕はあることに強烈な不快感を覚えることに、いまになって気づいた。

それは、「乗り物のなかで物を落とす音を聞くこと」である。

バスとか電車とか飛行機とか、公共交通機関の乗り物のなかで、床に物を落とすってことは、よくあるでしょう。スマホ然り、ペットボトル然り。

床に「ガタン」という音がすると、僕の心はどんよりするのである。

乗り物の床に落とすと、決まってその音が大きく響く。その突然の音にびっくりしてイヤな気持ちになる、ということもそうなのだが、それ以上に、狭い車内でそれを拾わなければいけない行為を想像して、イヤな気分になるのである。

「誰か」が物を落としたということは、当然、その「誰か」つまり当事者が拾うことになるのだが、バスにしろ電車にしろ飛行機にしろ、座席がひどく狭く作られていて、座席と座席の間にうっかり落としたりすると、拾うのが厄介である。まわりの人に「すみません、すみません」と恐縮しながら、身体がつるんじゃないかという格好で落とした物を拾おうとする、という光景まで想像してしまうのである。

(落とした人はたいへんだなあ。このあと、窮屈な状態で拾うという苦行が待っているのか…)

と、悲しい気持ちになる。

もちろんこんなことを言っている僕も物を落とすことがあり、そのたびに身をかがめて拾うのが何よりも苦痛である。おそらく自分に置き換えて考えてみた結果、あの音を聞くと反射的に苦痛に感じるのだろう。

ということは、若い人はあの音を聞いてもさして苦痛にはならないということか。年を重ねれば重ねるほどあの音を聞くのが苦痛になる、というのがいまの僕の仮説。

| | コメント (0)

薬マネージャー募集

3月28日(木)

車で1時間半をかけて総合病院に行く。まったく、健康でないと病院に通えない。

採血・採尿をして、その結果を基に定期診察を受ける。

「ちょっと○○の数値が上がってますね。もともと高かった数値ですが、ちょっと上がっているのが気になります」

「原因は何でしょうか」

「考えられるのは薬の副作用です。それか、食生活か…」

「もう何年もお酒をやめています」

「とりあえず薬を出しましょう」

ということで、また一つ薬が増えた。

薬の副作用を抑えるために薬を飲む、というのも、何だか可笑しい。

これで僕が1日に飲む薬が5種類となった。

朝食後に1錠ずつ飲む薬が3種類。

朝食の2時間後に飲む薬が1種類。

そして、今回新たに加わったのは、毎食後、つまり1日3回に飲む薬が1種類。

もう訳がわからなくなる。

僕のスケジュールは、薬を中心にまわっている。

これまでは、朝食後と朝食の2時間後にそれぞれ薬を飲めば、もうその日は終わったも同然だった。「ひと仕事終えたな」という感覚で、午後は薬のことを考えなくてよかった。

だがこれからは、昼食後も夕食後も、つまりほぼまる一日、薬のことを気にしながら生活しなければならない。

薬のスケジュール管理をする「薬マネージャー」を雇いたい心境である。

| | コメント (0)

«送別会