親バカ行進曲

すこぶる体調が悪い。

それでも今日の午後は都内で憂鬱な会合に出席しなければならない。

12月2日(土)

保育園の学芸会がおこなわれた。来年4月から小学校に通う娘にとっては、保育園での最後の行事である。

演目は、「太鼓演奏」「劇」「歌」と、バラエティに富んだ構成だった。

20人もいるから、キャスティングがなかなかたいへんだ。「太鼓演奏」と「歌」については、おのずと全員参加できる仕組みだから問題ないのだが、問題は「劇」である。

限られた役を20人で演じなければならない。場面ごとに出演者を区切り、ダブルキャストどころか、トリプルキャストである。特定の子どもが目立つと保護者からクレームが来ることを恐れて、保育士さんもかなり苦労してキャスティングを考えてくれたようだった。

しかし20人もいれば、いろいろな子どもがいる。いくら練習しても段取りどおりにはいかないのは当然である。

そんな中にあって、うちの娘は、格段に上手だった。もうね、セリフも仕草も完璧だった。他の子がバカに見えてしょうがない。

保育士さんもそのことを十分に理解していたようで、娘を、「劇」の終盤の、一番大事な場面に起用していた。

この「劇」で最も重要なセリフ、

「生きていることのほうがよっぽど地獄だ」

を任されたことが、何よりの証拠である。

うちの娘がすごいのは、ほかのお友だちのセリフも全部頭に入っていたことである。当日の朝、一人で通し稽古をしていたのだが、お人形さんをほかのキャストに見立てて、そのお人形さんにセリフを言わせ、自分のセリフのタイミングをつかんでいた。

こりゃあもう、子役劇団に入れた方がいいな。で、僕がステージパパとなる。

ということを考えたのだが、それでは親の負担が大きいので面倒くさい。

いま考えているのは、高校に入ったら演劇部に入って、高校演劇の伝説的な俳優をめざすのはどうか、ということである。六角精児さんみたいに。

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コンサート

12月1日(金)

午後の会議を終えて、急ぎ都内に向かう。今日の夜はあるミュージシャンのコンサートに行くことになっていた。

この夏に若くして亡くなった知り合いの編集者が好きだったミュージシャンの1人だ。毎年この時期に、都内の立派なホールでコンサートを1日だけするというので、編集者にゆかりのある人で行くことになったのである。ピアノの弾き語りをするミュージシャンである。

ミュージシャンのコンサートなんて何年ぶりだろう、と思い出すと、ちょうど10年前に、前の勤務地に住んでいるときに行った矢野顕子さんのコンサート以来のような気がする。矢野顕子さんがピアノの弾き語りをするコンサートだった。

入口で整理券の番号順に並んでいると、ひとりのおじさんが入場整理をしている。

「整理券番号1番から100番の人、お入りください!」ずいぶんと手慣れている。

「あの方は、このコンサートの企画者ですよ」

と、同行の人が教えてくれた。

「え?そうなんですか?」

「ええ、もう10年以上も、このミュージシャンと二人三脚でコンサートをおこなっているのです」

そうはいっても、マネージャーというわけでもないらしい。現在の正式なご職業は不明である。

「じゃあ、まだ売れない頃からこのミュージシャンに賭けていたわけですね」

「そうでしょうね。将来は絶対にこのホールでコンサートをするんだと言っていたそうですから、夢が叶ったというわけです」

「まるで執筆者と編集者の関係みたいですね」

「なるほど、言われてみればそうですね」

それにしても、このコンサートの企画者本人が、入場整理をするだろうか。入場整理が終わったら、今度は壇上に立って司会をこなしている。このコンサートにかける愛情が並大抵のものではないことがうかがい知れた。

今回は、新たな試みをとりいれたようで、実に不思議な感覚を覚えた。あっという間の2時間だった。

このコンサートには、亡くなった編集者のお連れあいの方も来ていて、お通夜の席でご挨拶した程度だったのだが、初めてちゃんとお話しすることができた。思い出話は尽きなかった。

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メールの暴力・その2

11月30日(木)

いつぞやも、「メールの暴力」というタイトルで記事を書いた。

出勤するなり、職員さん2人が「ちょっとご相談してもよろしいでしょうか」と仕事部屋をたずねてきた。こういう場合は、たいていは不吉な相談である。

その予感は的中した。ある人が、職員さん2人に向けてクレームのようなメールを送りつけてきたのである。文面を見て、よくこんなことが書けるなあと驚いた。

よくよく話を聞いてみると、非は明らかに先方にある。こちらがよかれと思ってしたことに対して、なぜか上から目線でキレているのである。事務手続きを誠実に行っている職員に対して、何も事情のわかっていないヤカラが因縁をふっかけてきたようなものである。

一人は恐怖におびえ、一人は怒りに震えた。そのやり場のない恐怖や怒りをどこにぶつけたらいいのか、とにかく話だけでも聞いてほしいと、経緯を聞いた。

「こんなメールを受け取ったら、メンタルがやられてしまうねえ」

この問題は僕が引き取ることにし、僕の責任で事態を収拾することにした。そもそも、立場の弱い職員にクレームをつけるというのは、あってはならないことなのだ。現段階では、事態が収拾されたかどうかはまだわからないが、もう二度とこういうヤツとは一緒に仕事をしないぞと僕は誓ったのである。

以前も、別の職員がクレームのメールを受け取ったことがあった。その職員は気丈な性格だったので、一人で事態の収拾をはかったようだった。そして最後にそのメールのやりとりの一部始終を僕に転送してくれた。「こんなメールが来ましたので、こういう対応をしました」と。

僕はその職員にうまい対応だったと労をねぎらい、こういう人がいるとは困ったものだねと返信をした。その気丈な職員さんも、さすがに一人ではこの問題を抱えきれず、だれかと共有をしたかったのだろう。それでメールの一部始終を僕に教えてくれたのだ。そんなことが以前にあって以降は、職員のメンタルを守ることが何より大事なのではないかと思うようになった。

それにしても、人はなぜ弱い人に向けてクレームを言いがちなのだろう。

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文にあたる

11月28日(火)

体中が痛いのは、薬を変えたせいだろう。先々週に変えた薬の副作用が、いまになってようやく牙をむきだしたのである。もちろんそれだけではなく、自らの運動不足も祟っている。

ということで、昨日の大がかりな作業も、今日の納品の立ち会いも、全盛期の半分以下の体力でかろうじて終えた。

1月末の韓国での国際会議の原稿も、今月末締切なのだが、まだ仕上がってはいない。

以前に大変お世話になった方から、メールをいただいた。原稿を書いたのだが、事実関係が間違っていないか不安なので、確認してほしいという内容だった。

添付されたPDFファイルを開くと、けっこうな分量の原稿である。短い期間だったが僕はこの方と一緒に仕事ができたことがよい思い出として残っている。わざわざ僕に事前の確認を求めるということは、先方もどうやらそう思ってくれているらしいと解釈した。そういう人の原稿を読んでも、まったく苦にならない。むしろ頼ってくれることがありがたかったので、よし今日は、空いている時間をすべてこの原稿の校閲に使おうと決めたのである。

業務が終わり、職場の図書室に籠もり、すでに再校となっている組み原稿をアタマからチェックした。読みながら気になるところを青い字で書き込んでいく。文章はわかりやすく、興味を引く表現をしているので、もちろん地の文はまったく直さず、データだとかそういったものをチェックするだけにとどめた。それでもけっこうな直しが入った。

僕はそれを数時間で仕上げ、先方に返送した。自分の原稿なら、こんなに熱心に、そしてこんなにテキパキと校正は終わらせないだろう。やはり読んでいて苦にならないのはその人を信頼しているからである。何度もくり返すが、「文は人なり」である。

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立場、って何だろう

先日、ある会合に出席したときに、

「○○さん、△△という立場からコメントをお願いします」

と、4人くらいの人に対して、それぞれの「立場」からのコメントを求めていて、ちょっと違和感を覚えた。

「立場」というのは「属性」という言葉でも置き換えることができて、つまりそのような依頼をするということは、その人をそういう属性の人だと分類している、ということである。

しかし、その人にとってみれば、その「立場」は自分自身の中の一部であって、すべてではない。しかも、その「立場」の人たちを代表しているわけでもないのである。

いまの首相が、大臣に女性を起用したことについて「女性ならではの感性で…」と発言して炎上した。男性に対しては「男性ならではの」という言い方は決してしない。

少し前のテレビのワイドショー番組などでも、司会者が女性のコメンテーターに、「女性の立場としてはどう思いますか」という質問をよく投げかけていた。いまでもそんな質問をしたりしているのだろうか。

男性は「個人」として尊重され、女性はその属性ばかりが強調され、個人が埋没してしまう。

「○○の立場から発言する」というのは、まるで自分がその立場の代表者であるが如く発言する、という意味であり、これは単に男女の問題だけにはとどまらない。ありとあらゆる局面で、個人を埋没させる魔法の言葉なのである。

自分もうっかりと「○○の立場としてはいかがですか」と言ってしまいそうだ。そのように言えば、どんな人物も簡単にあるジャンルに落とし込むことができるからである。これを防ぐためにはまず自分自身が、特定の立場には安住しないと意識することが大事なのかもしれない。

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謎のインタビュー

11月24日(金)

在宅勤務で、午前中と午後のオンライン会議をこなす。合間には、1月末の国際会議の原稿作りを進めるが、なかなか進まない。

そういえば、昨日から一歩も家の外に出ていないことに気づき、午後の会議が終わった夕方に、散歩がてら近くの喫茶店に行くことにした。どうしても読んでおかなければならない本があったことも念頭にあった。

喫茶店、といっても、よくあるチェーン店の手軽なコーヒーショップである。

安価なコーヒーを買って店内の席に座って本を読み始めたのだが、隣の隣の席あたりに、女性二人がやってきて座った。イメージとしては、そうねえ、「OVER THE SUN」の世代。

ふつうに雑談でもするのかと思ったら、ふたりのうちで若干若いと思われる女性のほうが、

「さっきまで、IKKOさんにインタビューしてきたんです」

と言ったので、僕の耳はその人にロックオンされた。

「で、これ、IKKOさんから貰ったものですけれど、よかったらお持ちになりますか?」

と、もう一人の女性に小ぶりの箱を渡した。石鹸とか入浴剤とか、その類いのものと思われた。

もう一人の女性はその箱を受け取り、

「IKKOさんって、肌きれいだよねえ」

としみじみ言い、

「とても61歳には見えません」

と、そのインタビューした女性が相づちを打った。インタビューした女性のほうは、何かの雑誌の編集者だろうか?するとその女性が、

「では、はじめましょうか」

とスマホの音声録音をセットし、鞄からノートと筆記用具を取り出した。

(え?いまから目の前の女性のインタビューをするのか?)

僕は俄然、インタビュアーの女性の目の前にいる女性に興味を持った。有名人なのかもしれないと思ったからである。

しかしどう見ても、僕がまったく知らない人である。

芸能人なのかな?とも思ったが、いわゆる芸能人のオーラというものがまったく見られない。「OVER THE SUN」のふつうの互助会員、といった趣である。

ならば、たとえば小説家とか、ライターとか、そっち方面?そう言われれば、そんな顔立ちをしていらっしゃるようにもみえる。

その女性が語り始めると、インタビュアーの女性は「ふむふむ」とノートを取り始めた。

僕は必死になって聞き耳を立てたのだが、その女性が語っている話というのが、

「夫はああ見えて自分勝手なんですよ」

「息子が中学生になって…」

と、自分の家族の話ばかりしている。というか、ほとんどが家族に対する愚痴である。

それを「ふむふむ」と必死にノートに筆記しているインタビュアー。

このインタビュアーが直前までしていた仕事が、IKKOさんへのインタビューだとしたら、目の前の人もそれくらい有名な人に違いないとだれだって思うじゃないの!しかし目の前にいる女性は、いたってふつうの人のように見える。

いったいこのインタビューは何なのだろう?すべてが謎である。

何週間か経って、そのインタビュー記事が載っている雑誌を偶然僕が見つける、なんてことはあるだろうか?ま、ないだろうな。

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逵さん

先日、NHKのニュースを見ていたら、台湾の総統選挙の話題が取りあげられていた。台湾の総統選挙については、「ヒルカラナンデス」というYouTube番組でも取りあげていて、どうやらおもしろいことになりそうだということだったので、どういうことになっているのだろうと、画面を注視した。

すると、台北支局の支局長が解説者として登場したのだが、お名前を見ると「逵健雄」さんと書いてある。

「逵」???見たことのない漢字だ。一緒に見ていた妻に聞いても、

「あれ、なんて読むの?」

「さあ」

と、やはりわからない。他人の名前をどうこう言うのは気が引けたが、

「日本にない姓だとしたら、ひょっとしてこれは台湾にある姓で、この方は台湾に出自を持つ方なのかもしれない」

「そうかもね」

という、何ともいいかげんな結論で終わってしまった。

なんと読むのか?僕はとっさに「陸羯南」を思い出し、「くが」と詠むのではないかと思ったが、よく考えれば「陸」という文字だし、陸羯南の出身は津軽である。

そんなことも忘れて、今日。

職場で、必要があって、いま取り組んでいるテーマについて図書室から本を借りて、その中にある職業的文章を読むことにした。1960年頃に書かれた職業的文章である。

すると、その文章を書いた人の姓が「逵」とあった。

「逵」…どこかで見たことがあるぞ。

思い出した!昨日だったか一昨日だったか、NHKのニュースで見た台北支局の支局長の姓だ!

わずか数日の間に、僕は「逵」という珍しい苗字の人に2人出会ったことになる。しかも2人の間には、60年以上の開きがあるのだ。

こんな偶然って、ある?

こうなるとますます「逵」を何と読むのか興味がある。調べてみるとすぐにわかった。正解は「つじ」である。ふつうは「辻」と書くのだが、その変形らしい。全国に700人くらいいると、あるサイトには書かれていた。

ところで、「辻」は国字である。つまり日本にしかない姓なのである。ということは、同じく「つじ」と読む「逵」も、同じく日本にしかない姓なのではないだろうか。

これでもう、「逵」という姓を持つ人の名刺をもらっても、「つじさんですね」と即答できるだろう。

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引き出し狂想曲

11月20日(月)

5月に、韓国から突然訪れて対応に苦慮したY先生

それからしばらくして、うちの職場にある「大きな引き出し」を見せてほしい、という連絡が来た。

実は5月にいらしたときに、「9月頃に、こちらにある大きな引き出しを見てみたい」という話をしていたのだが、9月になってもいっこうに話が来ないので、あの話はなくなったのだな、と安堵していたら、10月半ばになってメールが来て、11月後半に「大きな引き出し」を見てみたいと、正式な申請書が送られてきた。具体的な候補日も書かれていて、「このうちのどれかの日に見たいです」という。

さあ、この連絡を受けて、担当事務は上へ下への大騒ぎ!なぜなら、大きな引き出しは倉庫から出し入れするのに、ひどくめんどうなのだ。並大抵の面倒くささではない。なにしろ引き出しの大きさは2メートル四方もあり、ひとりで運べる大きさではない。当然、雑な扱いはできないから、ひとつひとつ台車に乗せて運ぶ必要がある。

しかも引き出しの数は12枚ある。引き出しは一つずつしか運べないから、倉庫と見学部屋との間を12往復して運ばなければら七位のである。

しかし、その大変さについて知っているのは、職場内のごく一部の人間である。当然、韓国のお客さんは、そんな大変な作業が必要だなんて知るよしもない。だから、「スナック感覚」で申し込んできたのだ。

申し込まれた以上は断るわけにはいかない。しかも韓国のお客さんなので、断ると外交問題に発展する。さあ、ここから大がかりな「引き出しプロジェクト」が始まる。

まず、当日のタイムテーブルを作る。先方の希望は12枚全部の引き出しをみたいと言うことだったが、最後の3枚はあまり見ても意味がないだろうと判断し、先方に「最後の3枚は見なくてもいいですよね」と私が交渉し、先方の了解を得た。これだけでも、ずいぶんと省力化が図れることになる。

事前に入念なシミュレーションをおこなうと、少なくとも引き出しを運ぶのに10名くらいの人が必要だということが判明し、職場から人をかき集める。

韓国からのお客さんは全部で3人。この3人は当日の朝から引き出しを見る気満々なので、当然、前泊をしなければならない。その前泊の手配も僕のほうでおこなった。で、僕も、何かあっちゃいけないと思い、職場の近くに前泊することにした。それが前日の日曜日。

さて月曜日の今日。

朝からお客さんがやってきて、とりあえず荷物置き場や昼食会場として確保した会議室にお通しする。実はお客さんは韓国から来た人だけでなく、日本在住の方も「大きな引き出し」を見に5人来ることになっていたので、合計8名のお客さんである。

僕は8名のお客さんが到着したことを確認し、「準備ができたらお呼びしますのでこの部屋で待っていてください」と言ってすぐに走って倉庫に向かう。

倉庫では、「大きな引き出し移動作戦」がおこなわれようとしていた。ありがたいことに総勢10名ほどのスタッフが力を貸してくれるという。僕はいちおう現場監督の役割のような者なので、僕がいないと作業が進められないことになっていた。

お客さんのアテンドもして、同時に倉庫から「大きな引き出し」を出す現場監督もするのは、なかなかしんどい。

予定より少し遅れて、9枚出す引き出しのうちの4枚を出して、見学場所に並べた。ちなみに見学場所は、大きな引き出しを4枚並べることで限界の広さである。まずは4枚を見てもらって、午後に残りの5枚を見てもらうことにしたのだった。

そのうちに昼食休憩の時間になった。お客さんには、荷物置き場兼昼食会場である会議室に戻ってもらい、彼らが昼食を食べている間、今度は午後の部の準備である。

午前に並べた4枚の引き出しを1枚ずつ倉庫に戻し、こんどは5枚の引き出しにすべて交換しなければならない。でも見学場所には一度に5枚は並べられないから、最後の1枚は台車の上で待機させ、頃合いを見て、4枚のうちの1枚と交換する。これもまた重労働である。

しかしなんとか予定の時間までに、韓国のお客さんには9枚すべての引き出しを、心ゆくまで見てもらった。最後の3枚をオミットしておいてよかった。ちょうどいい時間に終了した。

この間、僕はお昼休みの30分だけで、あとはずっと「大きな引き出し」とつきっきりだった。

韓国からのお客さんは、いずれも満足そうな顔をして、「おかげで引き出しをよく見ることができました」と言った。そりゃあそうだ、そのためにこっちはまる一日時間を潰して、献身的に準備したんだから。

「韓国に来たら必ず連絡してください。ごちそうしますから」

とお決まりのセリフを言って別れたが、お気持ちだけ受け取っておきます、という思いで、「また会いましょう」といって別れた。

…ナンダカヨクワカラナイ文章でしょう。こっちは半分眠りながら書いているのだから。

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だれも知らないKAN

KANさんといえば、「愛は勝つ」である。僕はちょうど大学生のころで、「愛は勝つ」が収められているアルバム『野球選手が夢だった』を買った覚えがある。

しかし僕の中でKANさんといえば、大林宣彦監督の映画『日本殉情伝 おかしなふたり ものぐるほしきひとびとの群』(1988年作品)で、劇伴音楽を担当していた、ということのほうが、思い出深い。しかしこの映画は、映画業界のさまざまなトラブルに巻き込まれ、ごくわずかの劇場でしか公開されることがなかったが、大林映画の集大成ともいわれている。

で、その映画の劇伴音楽を担当したのが、KANさんであった。Wikipediaから引用する。

「音楽は後に「愛は勝つ」を大ヒットさせるKANが担当。山本又一朗主宰のフィルムリンク・インターナショナルの関連会社に、当時KANが所属していたことから話が持ち込まれた。レコードデビューする以前の作曲で、KANにとってはプロとしての初仕事であった。予算がないため、全てシンセサイザーによる作曲で、録音は無料で使えたヤマハのスタジオで行った。サントラは当初発売されなかったが、大林宣彦サントラコレクションシリーズの中でCD化されている。(バップ、1998年発売)」

僕はこの映画のDVDを観て、その音楽に取り憑かれ、だれだろうと思ってクレジットを確認すると「KAN」とあった。え?KANって、あのKAN?と、最初は「愛は勝つ」の人と同じなのか別人なのかわからなかったので、それで僕はそれを確かめようと『野球選手が夢だった』を買ったのである。しかし、あの劇伴音楽の、もの悲しさをイメージするような曲は、片鱗もなかった。それでも当時、このアルバムを繰り返し聴いていた。

1998年に映画のサントラが発売になって、さっそく手に入れてこれも繰り返し聴いた。この曲は、紛れもなく心に残る名曲である。いまでも僕はKANさんの楽曲の中でこの映画の劇伴がいちばん好きである。たぶん、これはKANさんが手がけた曲ですよといわれても、ファンですら驚くに違いない。

俺は、デビュー前からKANの音楽を知っていたんだぜ。

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俺たちに未来はあるか

11月18日(土)

先週に引き続き、5歳の娘をピアノ教室に連れていく。

先週、「ガラガラ抽選器」の思う壺になってイタい目に遭った。今週も同じ場所にガラガラ抽選器が置いてあるのを見つけたので、先週とは違う入口から入ることで、事なきを得た。

そのビルの6階のフロアーはまるまる音楽教室になっていて、ピアノのほかにも、さまざまな楽器の教室がある。

娘を連れて何度かこの音楽教室に通っていると、あることに気づいた。

おそらく会社を定年退職して悠々自適に過ごしているのであろうオジさんの姿がちらほらみられるのだが、音楽教室を行き来するオジさんたちは、かなりの高確率で「アルトサックス」を手にしているのである。つまり、オジさんたちのほとんどが、アルトサックスを習っている。というか、アルトサックスを習っている人のほとんどが、定年退職後のオジさんなのだ。

僕は高校時代に、吹奏楽の部活に入り、アルトサックスを吹いていた。たしかにアルトサックスは、ひとりで楽器を習得するには手軽なのである。ほかの楽器と違って、音が出しやすいし、大きさも手頃だし、それを持ち歩いている姿もなかなか絵になる。そういう諸々の理由で、定年退職後のオジさんの間でアルトサックスがもてはやされているのではないだろうか。そうか、俺ももう一度アルトサックスを習ってみるかな、という気持ちにさせてくれる。

音楽教室のフロアには30部屋近くの個室があるのだが、娘がいつもピアノのお稽古をする部屋のはす向かいから、いつもアルトサックスの音が漏れ聞こえてくる。

練習している音楽が、ジャズとかフュージョンだったら、まあわかるのだけれども、そうではなく、練習している曲はドリカムの「未来予想図Ⅱ」なのだ。それも、延々と、くり返しくり返し、耳について離れないほど、アルトサックスの音色の「未来予想図Ⅱ」が聞こえてくる。アルトサックスだけなので、当然、バックバンドのようなものもなく、ひたすら、「未来予想図Ⅱ」のメロディーだけをもの悲しく吹いているのである。

おいおい、「未来予想図Ⅱ」を演奏したいためにアルトサックスを習ったのかよ!いや、それは別に人それぞれに好みがあるのだから、全然かまわないのだけれど、ただ僕自身が、せっかくアルトサックスを習いたいといったときに、課題曲が「未来予想図Ⅱ」というのは勘弁してほしい。もちろんいい曲だということはわかってますよ!でも2007年の曲ですよ!どうしてその曲をチョイスしたのか、逆に知りたい。

さてそうなると、どんな人が演奏しているのか、気になって仕方がない。そんなことを詮索するのが下品だということを百も承知で、やはりどうしても見たくなる。

僕はその部屋に何気なく近づいていって、ドアのところにある小窓みたいなところから見てみると、やはり定年退職後のオジさんとおぼしき人が、「未来予想図Ⅱ」を吹いていた。

いや、全然それはかまわないんです。かまわないんだけど、定年退職後の「未来予想図」って…。どんな予想図を思い浮かべながら演奏しているのだろうと、僕は切なくなった。

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