自立への道
今日の「絶好調」。
隣の患者(ガハハおじさん)がリハビリスタッフに例によって、
「体調はどうですか?」
と聞かれて
「絶好調で~す」
と答えたら、リハビリスタッフが、
「あまり病院で体調が『絶好調』であるとは聞いたことがありません。…どこか具合の悪いところはないんですか?」
と聞き流され、
「実は右腕が…」
と答えていたのには笑った。そろそろ病院スタッフも飽きてきているんだろう。「もう絶好調はいいから」と。
それでも、誰に対しても感謝の心を忘れずに、大きな声で挨拶しているから好感度は高いのだろうと推察する。
そんなことはともかく。
もう1人、お世話になっている作業療法士のTさんについても書いておかなければならない。
複雑な話なので、面倒な人は読み飛ばしてください。というか複雑で読むのが面倒だというな読者を排除するために書いているのだが。
この病院は、とにかく決まり事が多い。前の病院は車椅子であるていど自走することができたのだが、この病院に転院すると、そんなことはまったく関係がなく、あまりの管理社会ぶりに閉口した。
たとえば車椅子でトイレに行くにも、いちいちナースコールを押して看護スタッフを呼ばなければならない。
用を足し終わったあとも、便器の上に座ったままで看護スタッフを呼ばないといけない。勝手に便器から立ち上がるとものすごい勢いで怒られる。
それがあるていど、自分でできそうだということになると、わざわざナースコールで看護スタッフを呼ばなくても、自分の行きたい時間に車椅子を自走してトイレや病棟内を自由に移動することができる。これをこの病院では「自立」という。
つまり、「介助」→「見守り」の段階を経て「自立」が許可されるのである。
ただしそのためには「自立」できるかどうかのテストをしなければならない。看護師を呼んで、実際に自分一人で車椅子が自走できるかを確認し、問題がなけれな「合格」となる。
これは、車椅子の移動から杖の移動に変わる時も同様の手続きを踏む。「介助」→「見守り」→「自立」の工程である。
いつ「自立」にもっていくか、という判断をするのが、作業療法士のTさんである。
「自立」するのは早ければ早いほどよい、という考え方をもつTさんは、車椅子移動から杖移動まで、ものすごいスピードで「自立」にまでもっていってくれた。もちろん、その過程で看護師によるテスト対策でリハーサルもしてくれた。
これで病棟内を、看護スタッフにいちいち許可をもらわなくても杖で自由に移動することができる。これは同時に、リハビリの自主練もできるようになるという意味も込められている。
だが今週になってTさんは、
「杖なしで、つまり独歩で『自立』できるようにしましょう」
と提案してきた。最初僕は、まだそんな段階ではないと思い、
「自信がありません」
と答えると、
「病棟内というわけではありません。病室からトイレまでの短い距離のみの『自立』です」
「なるほど、そういうことですか」
僕は何度かリハーサルをくり返した結果、独歩自立のテストに一発で合格した。
なぜTさんは、「自立」になることをこれほど急いだのだろう?
それは、近く行う予定の「試験外泊(1泊2日で自宅に戻ること)」について、有利に進めていこうと考えたからである。
試験外泊が認められるかどうかは、最終的に主治医の判断になる。そのためのエビデンスをできるだけ積み上げておき、この話を有利に進めていこうというTさんの作戦だった。独歩で自立できている、という事実を示せば、主治医も試験外泊を認めないわけにはいかない。
僕にしてみたら、1泊2日でも自宅に戻ることができれば、これほど精神的に安穏となることはない。こんな監獄のような病院に居続けるのはまっぴらだからだ。それに家族にも会いたい。Tさんはそのことも知っている。自分が退院後すぐに社会復帰できるかどうかは別として、こうして実績を積み上げておけば、退院の日程もそろそろ視野に入ってくるだろう。
Tさんはそれらを見越して、早め早めに手を打ってくれたのである。
聞くところによると、そのあたりのスケジューリングが行き当たりばったりの人も多い。
僕は、Tさんの用意周到ぶりに感謝した。


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