プログラム

5月13日(火)

妻と娘が聴きに行ったという某市の吹奏楽団のプログラムは、その楽団と縁もゆかりもない僕にとっても読んでいて面白い。

まずちゃんとしたプログラムは、どこか市内の印刷所に委託しているのか、しっかりとしている。財政的な支援はその市の青年会議所あたりによるものだろう。そこには曲目の解説や指揮者、実行委員長、団長などの挨拶文や年間活動、演奏する団員の名前などが書かれている。

で、それとは別に「別冊プログラム」というのがある。ここにはパート紹介とか、団員のインタビュー記事など「内輪受け」の内容を収めている。こちらの方はいかにも手作りな感じで、作成や印刷は団員によるものだろう。

つまりは公私の別がハッキリしているのである。これならば縁もゆかりもない私が聴きにいってもハードルは低い。

アマチュアの吹奏楽団として比較的古くから活動していたという。今や老舗になってしまったアマチュア吹奏楽団だが、長年にわたり努力を続けてきたのであろうことが、プログラムを拝見するとよくわかる。

| | コメント (0)

講演録

5月11日(日)

立派な本が送られてきた。

定年退職したばかりの先生からだ。研究者の性(さが)なのか、退職するとこれまでの研究を1冊の本にまとめられる場合が多く、その送られてきた立派な本もそういった理由からまとめられたのであろう。

その先生はある種の若手研究者たちにとっては憧れの存在なので、売れるだろうな。

一方私はといえば、入院前日に行った講演会の講演録の下原稿が送られてきたのだが、これがすばらしくいい出来で、このまま掲載しても申し分のない内容である。あのとっちらかった内容の講演録をまとめてくれたのが講演会を企画してくれたIさんで、単なる文字起こしではなくわかりやすいようにまとめてくださっている。手間のかかる作業をやってくださったIさんに感謝してもしきれない。

この講演録は地元の愛好家たちの手にしか渡らない。そこがまた僕らしい。究極のミニコミ誌に掲載される夢はすでに達成されたが、これもまた、多くの人に読まれないという点では同じだろう。本当に読みたい人が、見つけてまでしても読みたい、というのが僕の理想である。ま、そんな人はいないと思うが。

| | コメント (0)

座敷牢

5月11日(日)

横溝正史原作の『蔵の中』とか『悪魔の手鞠歌』とかに病弱な人が蔵に閉じ込められて、「ばあや」みたいな人が三度三度食事を届ける、という場面がある。むかしは結核が流行ったりしていたのでよくあったことなのだろう。今の私はさながら蔵の中に閉じ込められている身である。これを「座敷牢」とでも言おうか。

ずっと同じ姿勢で寝ていると腰が痛くなり、耐えられないほどの痛みが走る。

定期の検査で脳に異常が見つかり、5月5日~8日まで都内の病院に入院した。めまいの件とは関係ない。治療自体は上手く言ったのだが、退院するととたんに体調が悪くなる始末である。無痛なのでふだんならば何も感じない治療法だけれど、こういう場合だと、やはり脳の治療が相当な負担がかかっているのだなと実感される。

話を戻すと、家族にとっては僕は居ないことにされ、僕は放ったらかしにされてひとりで昼食は冷凍食品のご飯ものを食べることが多い。もうかれこれ1カ月以上続いている。冷凍食品を準備してくれるのはありがたいが、冷凍食品のご飯もの(チャーハンとがドライカレー)はさすがに飽きる。美味いことは美味いのだが。

それでも何か言うと失礼なのでひたすら食べ続けるほかない。何も言わず黙々と食べることが私の仕事である。そのあとの「薬の錠剤を食後に服用する」という、最も大事な仕事が待っているのだから。

| | コメント (0)

サウンドオブミユジック(メドレー)

5月11日(日)

妻と娘は、好きでもないのにある自治体による吹奏楽の定期演奏会を朝から聴きに行った。「どうだった?」と聞いたら「最初の2曲を聞いて、飽きちゃつて会場出て町歩きをした」そうな。何とも勿体ない話である。

そこでプログラムを見せてもらうと、

第1部

キャンディード序曲

天神ぷれりゅーど

故郷(ふるさと)

吹奏楽のための第二組曲(リード)

第2

プロローグ·キルクス

ディープ·バープル·メドレー

テキーラ

サウンド·オブ·ミュージック·メドレー

故郷の空

とあり、実に考え抜かれた構成である。娘は「サウンド·オブ·ミュージック」の音楽を最近よく口ずさんでいるから、最後まで聴いてもらいたかったと思う。

僕は聴きに行けなかったが、ブログラムの大半は演奏したものばかりだったので、懐かしく聴いたことだろう。

プログラムも充実している。この曲がどんな曲で、なぜこの曲を演奏しようと思ったのかがくわしく解説してあって、読んでいて楽しい。

曲を聴くと、その頃の思い出が甦る。

| | コメント (0)

曲目

5月10日(土)

数年ぶりに開催された、5月4日の定期演奏会(定演)はどうやら大きな事故もなく終わったらしい。

それはよかったのだが、誰ひとりとして、どんな曲目(プログラム)だったかを、誰も教えてくれなかったことである。やれ誰と久しぶりに会ったとか、久しぶりに会った喜びばかり伝えられては、演奏された曲目に失礼にはならないかと、いささか心配となる。あるいは「あいつだけには教えるな」と言われているのかも知れない。別に高度な演奏評を求めているわけではない。

今の関心事は演奏会場で誰と会ったかではなく、どんな曲を演奏したか、である。ま、知らなくてもいいことなんだろうけれど。

| | コメント (0)

ブログ職人?ゴーストライター?深夜の世迷い事

鬼瓦殿

こんばんは。コバヤシです。

次のネタを執筆中ですが、もう暫く時間がかかりそうなので、最近だんだんと疑問に感じ始めたことを箸休めにメールします。

気付けば、貴君へのお見舞い代わりに書き始めたメールも早1カ月を超えました。

最初は貴君の気休めになれば、と書いていた筈なのに、先程、貴君のブログを見て数えたら、何と7つも連続して掲載されているではないですか。

少し前に、貴君のブログを代筆しているのではないかという錯覚に陥りそう、と書きましたが、他人のブログを代筆する(と勝手に言ってすみません)というこの行為は一体何なんだろう?という疑問がだんだん湧いて来ました。

私の考えるところでは、ブログというのは自分の身近で起こったことや、思うところを、不特定多数に発信すると言いながらも、友人知人などある程度知っている人が読むことを前提に書くものだと思います。

それからすると、貴君のブログに載せることを前提とし始めたこの文章は一体何なんだろうか、と思うわけです。

貴君のブログの読者の方達を私はほとんど知らないですし、読者の方達も、私のことはたまに貴君のブログに登場するコバヤシという存在でしか知らないと思われます。もしかしたら、これだけ私の文章が貴君のブログで続くと、コバヤシとは貴君の創作した人物ではないかという疑念が湧いて来ても不思議では有りません。

大体、何かしら自分のことを語りたいなら自分のブログを始めれば良いのであって、親しいとは言え他人のブログの為に文章を書くという行為は不可解と言う他有りません。

そこで私の頭をよぎったのは、良く深夜ラジオのパーソナリティに読み上げて貰うことを目的にハガキを書き続けるハガキ職人と呼ばれる人達ですが、私のこの行為は貴君のブログに載せて貰うことを目的に投稿し続けるブログ職人とでも言うのでしょうか?

でも、ちょっとしっくりこないような気もするのですが、もしかしたら良く芸能人が自分で文章を書けないので代筆して貰うゴーストライターのようなものでしょうか?これもしっくり来ませんね。

ということで、深夜の世迷い事、失礼しました。

では、ご自愛専一のほどを。

〔付記〕コバヤシには大きなご負担をおかけしたようだ。でも私には書けない世界なので、毎回新鮮な気持ちで読ませてもらっている。私を励ますためだけにくれたメールをこのようにブログの代筆のごとくに掲載してしまうのは私の不徳のいたすところだ。本来ならば死んでお詫びをしたいところだが、また書く気が起きれば復活するので、それまでは堪えていただきたい。貴兄の話を楽しみにしている人が居ることことだけは申し添えたいと思います。

| | コメント (0)

サラリーマンとして思うこと

鬼瓦殿

こんばんは。幾らかは良くなったでしょうか?

次のネタに行く前に、ちょっと小休止ということで、昨日、久しぶりに腐れ縁の上司登場2人で呑みに行って思ったことを少し書かせて頂きます。

少し前のメールで「サラリーマンは腐れ縁」というネタを書きましたが、昨日も改めてそれを実感した次第です。

あのネタの中で子会社に出向する前の元上司が、2人もまた上司として私の上にいると書きましたが、昨日はその上司の1人、一番長く付き合っている上司というのかほぼ友達に近い副社長のMさんと呑みに行きました。

昨日は飛び石連休の中日だし、さっさと帰ろうと夕方5時半ピッタリにパソコンを落としたら、副社長のMさんが私の横に寄ってきて「コバヤシ、暇?」と聞きます。私が「もう帰りますよ。」と言うと、また「暇なんだろ?」と食い下がります。

まあ実は、昨日は年休だった筈のMさんが昼過ぎに会社に来たので、「もしかして家に居づらくなって会社来ちゃったんすか?」と言うと「そうそう、家にずっと居ると煮詰まっちゃってね〜。」と素直に認めるので、これは絶対帰り際に誘いに来るなあ、とは思っていたのですが。

一応お約束で再度「帰るつもりなんですけど。」と答えると、Mさんは「今日は金持ってるから大丈夫だよ。」と他の社員がいる前で恥も外聞も無く食い下がります。

ちょっと補足すると、Mさんは、17、8年前、私が千葉の工場に勤めていた頃の上司でもあったのですが、その時はあまりの忙しさに半ばグレていて、夜8時を過ぎると、私が忙しそうに働いているのを無視して「コバヤシ、呑みに行こうよ!もうやってらんないよ!」と度々誘いに来ます。私が「忙しいからダメです。」と答えると、「良いじゃん!そんなの明日やれば良いじゃん!」とめげずに誘うので、仕方が無いなあ、と呑みに行くと「悪いけどさあ。今日、金持って無いから貸して。」と全く悪びれることなくお金の無心をします。結局、何度か呑みに行って、その度に金貸してと言うので、一時期は三万円以上お金を貸していました。もうちょっと補足すると、お世話になった職場のベテラン女性を慰労するために開いた呑み会も、私にお金を借りて開催する始末。(なんか、このネタ前にも書いたような気もしますね~。失礼。)

まあ、最後はちゃんと(本人曰く「五百円も利子をつけて!」)返して貰ったのですが。この借金については、我々の中ではお互いの持ちネタになっているので、前述の「金持ってるよ。」の発言に繋がる訳です。

少々余談が長くなりましたが、二人で呑みに行って話すのは、「お互い、変な人同士よく働いて来たなあ」ということです。

前にも話したと思いますが、私の大学時代の仲の良い友達は誰一人サラリーマンをしていません。数年前に結婚して奥さんの扶養家族になり今は専業主夫をやってる奴や、デパート勤めを直ぐに辞めてプータローも早30年以上、私が貸したそれなりの額のお金を10年以上も返さない奴など、う~んという人達ばかりです。まあ大学の先生になった奴もいたりするのですが、そいつもサラリーマンを辞めて学者になったやはり変な奴です。

ご存知かどうか分かりませんが、私の出た大学は一応Captain of industryを標榜するサラリーマン業界で活躍する人達が多い学校な筈なのにこの体たらくです。

そんな中で、友達からもサークルの先輩からも「コバヤシは絶対にサラリーマンは務まらない。」と言われていたのに気づけば30年以上もサラリーマンを続けています。

Mさんは、「コバヤシは変な奴だし、働きたくないと言うくせに良く働くよなあ。しかも30年以上も。おかげで俺も助かったよ。感謝してるよ。」と酔っぱらいながら語ります。そう言うMさん自体がかなりの変人なのですが、Mさんはそれを自覚しながら、サラリーマンとして評価されるには如何に立ち回るべきかを考えながら長年やってきた結果(それを批判する人もいるのでしょうが)、一応、親会社では役員になり、今の会社でも副社長になった人です。周りの人達は、そうした努力には殆ど気付かず、ただの変人と思ってる人が多いので、私が「Mさんも社会人不適格者のくせに良くそこまで意識しながら頑張って来られましたよね~。」と言うと、「そうなんだよ!誰もそれを分かってくれないんだよ。分かってくれるのはお前ぐらいだよ。」と言います。

まあ、サラリーマンだけでなく学者の世界も音楽の世界も、有無を言わせないほどの圧倒的な実力と才能が無い限りは、やはり立ち回りは重要な訳で、それをとやかく言う人はどれだけ自分が認めて貰うための努力をしたのだろうか?と私などは思ってしまいます。私自身はそんな努力や評価とは無縁なので、どうでも良いと言えばどうでも良いのですが。

でも、思い返すと私のサラリーマン人生、要所要所でMさんみたいな変な人や、同期でも、泥酔して野宿ばかりする頭のおかしい奴や、やはり泥酔して転んで血だらけになる奴やらダメ人間が現れ、その度にこんなふざけた人間でも何とかサラリーマンが勤まるもんだなあ、と思いながら今まで続いて来ました。

そうして、サラリーマン人生の最後にまたMさん、更にはもう一人の上司Aさん(インド人もビックリ!と前に書いたかなり変な人)という変な人達と再び一緒に働くことになったというのは何かの巡り合わせなのでしょうか。そうであれば、サラリーマン人生も満更でも無かったのかとも、今更ながらしみじみと思ったりもします。

話は変わりますが、Mさんは文学青年、かつ歌を詠むのが趣味な人なので、副社長室には公私混同も甚だしい蔵書がいくつか並んでいます。

「赤光」を始めとした斎藤茂吉全集や正岡子規の歌集が棚に並んでいたりします。(まあ、家に置くスペースが無いので会社に置いてる訳です。)ちなみに、Mさんは日経新聞の歌壇の常連だったりもします。

先日などは、仕事の報告しに行った筈なのに、そんな話は二の次で「こないださあ。埼玉の古本屋のネットで河出書房の須賀敦子全集が売ってたから買っちゃったんだよ。明日、会社に届くんだよ。羨ましいだろ!」などと言い出す始末。 私も須賀敦子は大好きなので  、つい、「え~!いいなあ!俺も欲しいな~。」などと答えてしまいました。翌日は、届いた段ボール箱の本を、秘書の女性を含む3人で「お~!」とか何とか言いながら開けて楽しんでしまいました。(ちなみに秘書の女性はこれらの本に全く興味はありません。)

まあ、そんな訳で、類は友を呼ぶ、と言うのかどうかは判りませんが、変な人たちに囲まれながらあと数年はサラリーマンを続けてみようかと思う今日この頃です。

それでは、また!少しでも早い回復を祈念しております。

コバヤシより

〔付記〕高校時代、コバヤシと二人で山口瞳さんの家を探しに行ったことがある。コバヤシはさながら現代の山口瞳さんを彷彿とさせる。

| | コメント (0)

銀座のバーのマスターは尚も語る ~銀座のBarの矜持~

鬼瓦殿

こんにちは。コバヤシです。

まだまだ体調は思わしくないようですね。

ということで、今回もお見舞いメールを長々と書いてみました。

だんだんマニアックというのか、個人的な嗜好に偏った内容になってきてしまい、かなり読むのがシンドイのではと危惧しております。

だったらメールするな、という話になるのですが、やはり書いてしまったのでお送りします。
つまらなかったら、ごめんなさい。
今日も銀座のTさんの話です。このシリーズもこの辺でお終いにしようと思います。

銀座のバーOのTさんの口癖は、「ウチは銀座のバーですから。」と「ウチはカタギですから。」の二つです。

後者は、いつもお会計の値段を見て私が「こんなに安くていいんですか?」という問いに対する返事で、前者は私に色々な珍しいお酒を出してくれる時に言う言葉です。

Tさんがお酒を出すときに必ずお客さんに要求するルールが「出来ればいくつかのお酒を比較して飲んでください。」というものです。Tさんは、あるメーカーのお酒を出す時に必ず、同じメーカーの同年代の複数のランク(大手のブランデーメーカーは、大抵下からスリースター、VSOP、ナポレオン、XO、エクストラといった風に熟成年数と酒質に応じて複数のランクのお酒を出しています。)のお酒か、複数の年代の同じランクのお酒を飲むことを薦めます。Tさんは、「比較対照があって初めてそのお酒の良さが分かるんです。そもそもお酒の良し悪しの判断は、その時の体調や天候によっても変わってきますしね。」と、持論を展開します。私がいつものように「スリースターだけ飲んでいれば、これはこれでかなり美味しいけど、上のクラスのお酒を飲むとやはり明らかに酒質が上というのが分かりますね。」と言うと、Tさんは満足げに「そうでしょう。比べるからこそ、上のクラスのお酒の良さよく分かるんです。」と語ります。このお酒の提供の仕方については、私の浅草の行きつけのビストロGのシェフは「あそこは全然飲みたいお酒を飲ませてくれないんだよ。」とボヤきます(ちなみに浅草のGは今の業態に変わる前はTさんの行きつけのお店だったそうです)。でも、マスターのOさんからすれば、それは良いお酒の真価を味わって貰うためには決して譲れない拘りの1つなのです。

だから、たまに、これは!という凄いお酒を見せてくれても「一緒に出すお酒がないんで、まだ出せませんね〜。」などと言われてしまいます。ただ、一緒に出せるお酒が手に入ると「C社のデキャンタボトル(コニャックの超高級ラインナップ。バカラなんかの高級ボトルに詰めたお酒。各社のフラッグシップとしてその会社の一級品が詰められている)が、漸くもう一本手に入ったんですよ。比べて飲んで見ます?ちょっと高いですが。」と嬉しそうに薦めてくれたりします。

先日伺った際に、大手M社の1905年という珍しいヴィンテージボトルを飲みたいと言ったら、「このボトルはとても繊細なので一緒に薦めるお酒が難しいんですよ。」と言って出し渋ります。暫く考えてから並べてくれたお酒は、何と1928年と1900年に造られたアルマニャック(コニャックはコニャック地方で造られたブランデー。アルマニャックはアルマニャック地方で造られたブランデー。後者の方が独特の荒々しい風味がある。)でした。これは流石に普通には飲めないなと見送った次第です。でも、恐らくその3本を飲んでも、もし他の店で出せる店があったとしてですが、まあ半分以下の値段なんですが。

そうしたお酒を比較して飲ませる為には膨大なストックが必要となります。私が色々なお酒を飲ませて貰った後に「よくこれだけ揃えてますよね。」と言うと、Tさんはいつものように「ウチは銀座のバーですから。」と答えます。「それに、銀座のバーのプライドとして、お客さんから言われたお酒が無い、とは決して言いたくないんです。」

「それにしても良くこれだけのお酒を集めましたね。」と私が改めて言うと、再び「ウチは銀座のバーですから。」と言って話を続けます。

「そもそも高いブランデーを輸入業者が仕入れると、まず銀座でその三分の二を捌こうとするんです。残りの三分の一を地方のバー、大阪や神戸、京都でしょうか、に売り込むんです。銀座でブランデーを扱っているのはウチぐらいのものですから、必ずウチに売り込みに来ます。

それから、バー仲間や輸入業者の人たちもウチがブランデーに拘っているのを知ってますから、どこそこの酒屋にこんなお酒があったよ!と教えてくれるんです。私自身も古いウイスキーを見かけたりすると買っておいて、後で同業者に譲ったりしますしね。」と話してくれます。

「後は、銀座の古いクラブが店を畳むときなんかは酒屋経由でいくつかのバーに声が掛かったりするんですが、ブランデーだとウチだし、ウイスキーはやはり銀座のC、シェリー酒なんかだと五反田のSとか。大体その3人でお店に行って在庫をより分けて買い取ります。古い銀座のクラブなんかは、商社マンだったママの旦那が戦後間も無く海外出張に行った際にお土産に買って来てくれたなんていう高そうなお酒が後生大事に飾ってあったりするんですよ。

それから大分昔ですけど、やはり酒屋からイタリア人のコニャックのコレクターがコレクションを大量に手放したんだけどみたいな話があって、銀座の一番上の店から声を掛けていったらしいんですが、ブランデーなんて買わないよと言う人たちが多くて、ちょうどウチが4~5番手ぐらいだったんですけど、じゃあと言うことで買っちゃったんですが、当時で外車が一台は買える値段でした。奥さんに買ってもいい?って聞いたらOKしてくれたんで買っちゃったんです。本当に良く許してくれたなあと今でも思います。」そう言ってTさんはそのコレクションの一部を見せてくれたのですが、フィロキセラ(19世紀半ば過ぎにヨーロッパの葡萄畑を襲った害虫。以降、ヨーロッパの葡萄はアメリカの葡萄の木の土台に接ぎ木されたものになっている。)前に造られたという大手H社のコニャックや、第二次世界大戦前のC社のコニャック、それにやはり大手M社のイタリア周りの250周年記念ボトル(1960年代のボトル)なんていう凄いお宝を次々に見せてくれます。「凄いですね~!」と私が言うと、Tさんは、また「ウチは銀座のバーですから。」と、淡々とでもちょっと誇らしげに答えます。

Tさんのお酒のコレクション(もはやお店の商品と言うよりもこの表現が適切と思われます)は本当に凄く、19世紀のコニャックは未開栓のものも含めまだ何本も持ってますし(一本だけは私も飲みました)、なかにはマサンドラコレクションと呼ばれる、ロシア王朝が崩壊した際に放出されたというニコライ皇帝所有のワインなんていう曰くつきのお酒を取り出してニヤニヤしながら自慢げに見せてくれたりします。

そんな貴重なお酒達が棚には入り切らずにバーカウンターの上から我々の席の後ろまで所狭しと大量に置かれています。更に置ききれない在庫は貸し倉庫に数百本預けられているそうです。そんなお酒達を見ながら私は「失礼ですが、そんなに大量のお酒を持っていても、もう売り切れないでしょう。」と言うと、Tさんは「いや〜。実は一昨年の年末に重病を患って三週間ほど店を閉めて入院していたんですが、その時、店の前を通りかかった同業者達が、Tが死んだらしいぞと言い出して、ウチのお酒の在庫を狙って騒いでたらしいんですよ。」と皮肉混じりに笑いながら話します。「そんな話はさておき、ウチのお酒はちゃんとした店、ウチのように並べて出せるような店に譲りたいんですよ。でも、このお酒はアソコに行くんだろうなというのも結構有って、アソコの古いカルバドスなんかは京都のTさんのところに行くんだろうなあ、なんて思いながら毎日ボトルを見てますよ。お客さんも、私のお酒を大切に扱ってくれそうな良いお店を知りませんか?」と逆に聞かれてしまう始末。私も実はTさんのコレクションには目をつけていたので、ここぞとばかりに「数本でも良いので私にも譲って貰えないものですかね?」と冗談めかして言ってみましたが、残念ながら完全に無視されてしまいました。

そもそも、これほどのコレクションをずらっと並べて比較して飲め、などと言える店なんて普通では先ず有り得ないのですが、それでも大阪時代に通った北新地に近いバーのKさんだったらもしやと思いつつ、この話を伝えたいと思っているのですが、なかなか大阪に行く機会が有りません。

ちなみに、大阪のKさんには当地の色々な飲食店を紹介して貰い本当にお世話になったのですが、中でも「最後の浪速割烹料理」のお店と言っても過言では無い心斎橋にあるUを紹介して貰ったことは、私の短い関西での生活に於いて得難い経験となりました。でも、この話はまた次回。

そうそう忘れるところでしたが、銀座のTさんは、知ってるかどうか分かりませんが、あのラズウェル細木の「酒の細道」に、こだわりが強いマスターとして一度登場したことがあります。お店でその漫画を見せて貰ったのですが、Tさんご本人は全然自分に似てない!と不満そうでしたが、確かにあまり似てないなかったのですが、Tさんが醸し出す雰囲気というのか、初めてTさんに会った人が感じるであろう雰囲気が良く表現されており、流石プロの漫画家だなあと思った次第です。ちょっとどうでもいい余談でした。

ということで、今回も長過ぎるメールをお許しください。また内容もかなり個人的な嗜好の話になってしまったので、あまり面白く無いのではと反省しております。

1日も早く回復されることを祈念しております。

それでは、また!

| | コメント (0)

Re:銀座のバーのマスターは語る ~銀座篇~

鬼瓦殿

こんばんは。コバヤシです。

まだまだみたいですが、少しずつ良くなっているようで良かったです。ただ、いないことにされている、などとはあまり考えない方が良いと思うのですが。

メールのネタですが、なかなか素面だと書く気が起こらないのですが、酔った時に色々と思いつくので、その時にダーッと書き出しています。ただ、酔って書くと誤字脱字も内容も酷かったりするので、翌日以降素面の時、電車の中や暇な時に改めて読み直して修正・追記を繰り返しています。

特に夜中や休みの、ふとやる気が起きた時に一気に仕上げています。

まあ、いつまで続くか分かりませんが。

ということで、今日も家飲みした後にこのメールを書いています。

ネタの方は週末に読み返して送れる内容だったらメールします。

期待せずに待っていてください。

まだちょっと酔いが残っているコバヤシより

| | コメント (0)

銀座のバーのマスターは語る ~銀座編~

鬼瓦殿

こんばんは。コバヤシです。
まだまだ体調の方は芳しくないようですね。
お見舞い代わりのネタをまたメールさせて頂きます。

前回のメールでは、書いているのが楽しいと書きましたが、だんだん息切れしてきました。やはり文章を書くのは大変ですね。後、2〜3回ぐらいは何とかいけるかな?
ということで、今回も楽しんで頂けたら幸いです。

銀座のバーOのマスターTさんは、事あるごとに「銀座のお姉さんは恐い!」と語ります。
先日のメールで、Tさんが「六本木から銀座に進出するお姉さん達に騙されて銀座に連れて来られた。」と言っていたと書きましたが、Tさんに語るところによると、「お姉さん達が銀座進出するに当たって自分達が使い易い都合の良い店が欲しいということで、勝手に物件を見つけて来て、色々と私を言いくるめて、結局、思惑通りに銀座の路面店を借りることになってしまったんです。」とのこと。

Tさん曰く「銀座のお姉さん達は百戦錬磨ですから、素人が引っかかったら、なす術もなく財産をかっさわれてしまいます。私は若いバーテンダーによく話すのですが、お店が軌道に乗った頃に必ず綺麗なお姉さんが現れるぞ。そのお姉さんには気をつけろと。」Tさんは話を続けます。「そういうお姉さん達は、お前達を金ヅルとして狙って来るんだ。お姉さん達は店にもお客さんを送り込んでくれるけど、それ以上に、自分のお店に来てくれとか、自分の馴染みのお客さんのどこそこのお店を使ってくれとか、だんだんと色々な頼み事をしてくるんだ。お姉さんの為に何とか!なんて思ってお金を使ってると、いくらあっても足りなくなるんだ。」Tさんは淡々とした表情で、「そうやって店を潰した奴を何人も見て来ましたよ。」と語ります。「大体、あのお姉さん達は仕事が終わったあとに、騙くらかした男について、アイツは全然金持ってなかったからダメとか、夜な夜な仲間と集まって話してるんですよ。恐ろしい限りです。でもまあ、それがあの人達の仕事ですから、仕方ないんですけどね。」

「そういうTさんは銀座で30年以上も続けてるじゃないですか、」と私が言うと「いや〜、そんなの銀座のお姉さんを1人か2人引っ掛けれはなんとでもなりますよ。お客さんもどうですか?」とニヤニヤしながら話します。「私も日々、営業努力をしてますから。でも、私のバックには6人の銀座のお姉さん達がいるから本当に大変なんです。あの人達は人の弱みを握ったら、とことんつけ込んできます。」Tさんは半ば嬉しそうに半ば悔しそうに続けます。「私は20年ぐらい前に家内を亡くしたのですが、その時、女の子も含めて育ち盛りの子供がいたんで、つい銀座のお姉さん達を頼ってしまったんですよ。それが運の尽きでした。更に一昨年の年末に大病を患っで暫く入院したんですが、そういう弱り目に祟り目の時は飴玉一つでも有り難いと思ってしまうものなんです。結果、私は銀座のお姉さん達の呪縛から逃れられないんです。」
Tさんによると「毎週末の土日は私はそのお姉さん達と一緒に食事に行くというお仕事が待っています。お姉さん達からすると、贔屓の客は大抵家庭持ちですから土日はダメだし、変に若い男だとお客さんに見られたりすると厄介だし、私みたいな人畜無害な年寄りが何の心配もいらないので便利らしいんです。私もこの業界が長いですからまあそれなりにお店は知ってますしね。それにありがたいことに6人のお姉さん達は、それぞれ好きな食べ物のジャンルが違うので、お店が被ることが有りません。でも、行くお店を探すのは私なんで本当に大変です。お鮨屋さんは都内だけで百件以上は行きましたけど、漸く大塚に良い店を見つけました。それにお姉さん達は色々忙しいから、大体スケジュールが決まるのは直前なんで早めにお店の予約が出来ないので、あそこがダメだったらこちらという風に何軒かシミュレーションしておく必要も有りますし。この間なんか、食事が終わった後に、何が気に食わなかったか分かりませんが、アンタどうなってんのよ!とひっぱたかれましたよ。この年になってひっぱたかれるなんて思いもしませんでした。」

とある日は「6人の銀座のお姉さんの中には、たまに病気や高齢で引退するお姉さんがいるのですが、恐ろしいことにあるお姉さんが引退すると直ぐに新しいお姉さんが後釜に座るんですよ。どうやらお姉さん達の中で順番待ちがちあるみたいで。だから私はいつまで経っても銀座のお姉さんから逃れられないんです。」
へぇ〜っという感じで聞いていると、Tさんは尚も続けます。「お姉さんと言いましたが、下は確か40代から上は一応私よりは下ということになってますが、定かでは有りません。こないだなんかウチから近いモンナカの銀行に行ったら、知らないオバさんが私の方を睨んでるんですよ。恐いなあと思いながら、そそくさと逃げたんですけどね。そうしたら、その夜、懇意にしているお姉さんが店に来て、アンタ今日の昼に私を無視したでしょ!と怒るんですよ。えっ、会った覚えはないんですけど、と言うと、モンナカの銀行にアンタも居たでしょっ!と言われて初めて気づきましたよ。あ〜、あの時、私を睨んでたオバさんねと。でも私から言わせてもらうと、そんなご無体な!絶対に分からないですよ。私はアナタのすっぴんなんて見たことないし。まあ、本人には絶対そんなことは言えませんけどね。いや〜、銀座のお姉さんの化け方は凄いですよ、長年銀座で働いている私も全く分かりませんでしたからね~。」

そんなものかなあ、と思いながら私も質問します。「でも、そうは言ってもそれなりに綺麗なお姉さん達がいるからTさんもお元気でいられるんじゃあないんですか?それに人間ある程度ストレスがあった方がいいって言うじゃないですか。」そう言うと、「確かに緊張感は凄いですよ!でも、私にも好みっていうもんが有りますからね。大体、さっき話したお姉さんもそうですが、みんながみんな綺麗という訳じゃ有りません。そもそも、私は本当は週末はお洗濯をして、その洗濯物を日光に当てて乾かしたいんです。お姉さん達と付き合ってると、大抵午後から呼び出されますから、洗濯物は午前中だけじゃ乾かないんですよ。あと、私は甘党なんで、休みの午後にコーヒーでも飲みながら大好きなアップルパイでも食べながら過ごしたいんです。」そうなんですか、と相槌を打っていると、「でも、そういうお姉さん達のおかげで平日はこんなのんびりとした商売が出来るんですけどね。」と語ります。

またある日は、こんな話をしてくれました。「何年前だったかなあ?毎週末の決まった時間にジンフィズだけ一杯飲んで帰って行く若い女性がいたんですよ。特別美人という訳でもない、本当にどこにでも居るようなごく普通な女性でした。何度か来てくれた後の雨が降ってる夜だったんですが、その若い女性が自分の仕事の話をし始めたんですけど、何度も申し上げますが、本当にごく普通の女性だったんですが、そのお姉さんは昼間は普通に会社でOLをしてるらしいんですが、仕事が終わった後の副業としてSM嬢をしていると言うんですよ。六本木の方がそう言う店が多いんですが、銀座にもそういう店が何軒かあるらしいんです。彼女が言うには、ウチの店で飲んだ後に店まで行ってドアを開けた瞬間からスイッチが入るそうなんです。そんな話を暫くしてから、若い女性はお会計をして店を出て行ったんですが、店を出で直ぐに、雨の中傘をさしたその女性がこちらを振り返って、暗闇の中からニヤっと笑いながら言うんですよ『来る?』と一言。ちょっと油断したら吸い込まれそうな眼でした。思わず私も付いて行きそうになりましたよ。あれは本当に怖かった。」
こんな話しをしながら、いつもの銀座の夜が更けて行くのでした。

ということで、今日も大概長過ぎるメール失礼しました。少しは楽しんで頂けたでしょうか?

それでは、またそのうち。

| | コメント (0)

«銀座のバーのマスターは語る ~六本木篇~