見せたかった映画
渡航の準備に忙しい、というのに、「めがね」なんてどうでもいい内容の話を書いている場合か!と、自分が情けなくなる。
授業は先週で終わり。本当は、今週の授業で、映画の上映会をやろうと思っていた。
以前、同僚と、「ラストエンペラー」の上映会をやりましょう、と盛り上がったことがある。高校3年の時に見たこの映画、そして映画の影響を受けて読んだ溥儀の自伝『我が半生』は、いずれも屈指の傑作である。昨年末に北京に行ったことをきっかけに、私の中で再び「ラストエンペラー」熱が高まった。坂本龍一がアカデミー作曲賞をとったことでも知られている。思えば80年代の坂本龍一の音楽は、神がかっていた。80年代の坂本龍一の集大成が、この音楽だった。
しかし、この映画は全編3時間以上の超大作であり、なかなか授業時間を利用して見る、というのは難しい。
実は、もう一つ、学生に見せたかった映画がある。森達也監督の「A」と「A2」という2本のドキュメンタリー映画。地下鉄サリン事件以降のオウム真理教の中に入り込み、いわばオウム真理教の内側から、私たちの住んでいる社会をうつしとったもの。断っておくが、決して、オウム真理教の宣伝映画ではない。
これを見たとき、私は衝撃を受けた。人間のもつ「善意」とか「悪意」というのはいったい何なのか?私たちの住んでいる社会で、「洗脳」された人々と、「思考停止」した人々との間には、いったいどんな違いがあるというのか?など、いろいろなことを考えさせられたのである。
森達也氏の『放送禁止歌』に出会ってから、氏の著作を読むようになった。氏が一貫してとりあげているのは、社会に巣くう「思考停止」の恐怖である。『放送禁止歌』では部落差別の問題をとりあげ、近年刊行された『死刑』では、死刑制度について取材している。いずれも「タブー」というくくり方ができるのかも知れないが、問題の本質はそこではない。「タブー」の名の下に、「思考停止」を繰り返してきたこの社会のあり方なのである。
氏の映画や著作をふれると、人間とはなんと弱い生き物だろう、と思ってしまう。そして森達也氏自身も弱い人間である、ということがこれらの作品からよくわかる。挫折し、煩悶しながら、取材対象と格闘している。それ自体が、一つのドキュメンタリーでもある。
能書きはこれくらいにしよう。上映会はかなわなかったが、興味をもった人は見てほしい。衝撃を受けた人とは、友達になれそうだ。
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