大学4年の頃の話をしよう
大学4年の11月、サークルの友人Aが家出した。
サークルの同期5人のもとに、Aの親父さんから連絡があったのが、家出から1週間後のことだった。
サークルの同期のなかで一番おとなしいやつだった。原因は卒論が書けないということらしい。Aの親父さんが彼のワープロを見たところ、書きかけの卒論の最後に、「もう何もかもイヤになった」と書いてあったという。大学院進学を期待されていた彼にとって、卒論はかなりのプレッシャーだったようだ。親父さんによれば、着の身着のままで出ていったきりだというのである。
まず心配したのは、彼が生きているかどうかということだった。気の弱いAのことだから最悪の事態にはなっていないと思ったが、それにしてもお金とかはどうしているのだろう。親父さんによれば、本人名義の銀行のキャッシュカードは持っていっているようだというので、それならば銀行からお金が引き出されているかどうかを調べて安否を確認してはどうかと助言した。
調べてみると、数日前に確かにお金が引き出されており、とりあえず安否は確認できた。試しに親父さんが彼の口座に1万円を振り込むと、数日後にしっかりとその1万円が引き出されていた。その後も、親父さんは定期的に彼の口座に1万円を振り込んだが、そのたびに1万円が引き出されたという。
なんというやつだ。親の振り込みをあてにしている家出なんて聞いたことがない。私たちはAの行動にすっかりあきれてしまった。
何回か振り込みを繰り返しているうち、彼が定期的に特定の場所でお金を引き出していることがわかった。毎週金曜日の午前、上野駅の近くのS銀行のキャッシュコーナーで引き出している事実をつかんだのである。
上野駅といえば、彼が大学に通学するときに使っている駅である。定期券の使える範囲に家出するなんてなんという安易なやつだ。再びあきれてしまった。
とにかく私たち5人は、金曜日の午前中に、そのキャッシュコーナーに張り込むことにした。
S銀行のキャッシュコーナーは、上野に2カ所ある。うち1カ所を親父さんが張り込み、もう1カ所を私たち5人が張り込むことになった。私たちの方のキャッシュコーナーは、大通りに面した場所にある。私たちは、すぐに気づかれないよう、大通りをはさんだ向かい側に待機し、そこで彼が現れたら大通りを渡って捕まえる、という作戦をとった。
ところがその大通りというのが、予想以上に道幅が広く、車通りも多い。向かいのキャッシュコーナーに入る人物が彼であるのかどうか、遠すぎて判別しがたいのである。そこで、それらしい人物を見るたびに、大通りを渡って追いかけることになる。
「おい、あいつそうじゃないか?」「そうだ、追っかけてみよう」
結局人違いだったりする。キャッシュコーナーから出てきたばかりの人を追いかけて捕まえようというのだから、知らない人が見たらまるで引ったくりである。
案の定、その日彼は現れた。私たちの方にではなく、親父さんの方にである。Aと親父さんは、その足で上野駅から電車に乗り、数日間旅行をしたと、後で聞いた。
その親子ふたりが、旅行中にどんな会話を交わしたのかは知るよしもない。ただ私たち5人が共通して思ったことは、「俺たちの方にあいつが現れなくて、本当によかった」ということだった。
Aは1年留年した後、ある企業へ就職した。今は妻と2人の子どものためにバリバリ働いている。
そんな、バブル世代のお話。
| 固定リンク
「思い出」カテゴリの記事
- 続・忘れ得ぬ人(2022.09.03)
- 忘れ得ぬ人(2022.09.02)
- ある授業の思い出(2022.07.21)
- ふたたび、卒業文集、のはなし(2022.05.21)
- 時刻表2万キロ(2022.03.16)
コメント