打ちのめされた日
11月30日(日)
昨日学会で一緒だった先生方と朝食をとった後、ようやく解放される。妻と二人で大学周辺と大邱駅周辺を歩き、なんとか土地勘をつかもうとする。思えば、これがつかの間の休息だった…。
12月1日(月)
朝、大学に行き、今回の留学に尽力していただいた先生と、受入教員になっていただいた先生に挨拶に行く。さらに、研究室を用意していただいた大学博物館にも挨拶に行く。ひととおり挨拶が終わり、受入に尽力された先生のところにもどると、「今日の午後から語学堂(大学の語学学校のこと)での授業が始まるので、まず簡単なテストをして、それから、どのクラスに入るかを決める」とおっしゃる。
え?今日から授業?聞いてない聞いてない。
この大学では、3カ月ごとに語学の授業が開講されるが、12月1日はその初日なのであった。受入に尽力された先生は、「海外で研究するにはまず何より語学をマスターすべし」という主義の方で、結局、1年間みっちりと語学の勉強をすることになった。
あれよあれよという間に語学堂に連れていかれ、面接が行われる。緊張でガチガチになり、何も言葉が出てこない。結局、韓国語の初歩から学ぶクラスに入ることになった。
面接を担当した先生は、美人なのだが、とてもこわかった。面接が終わると、その先生は、「たぶん私のクラスになるでしょう」と言った。その途端、その場にいたもう一人の先生が小さい声で「地獄の門を叩いたわね」と言った(妻談)。
昼食後、早速授業が始まった。私のクラスは、前回落とした人ばかりが集まっているいわゆる「留年クラス」。全部で10人程度。私以外は、全員中国人留学生。しかも、大学生ばかりだ。日本人でおっさんは私だけ。きっと彼らには奇異に映ったであろう。
授業が始まり、その美人の先生が入った途端、中国人留学生たちが凍りついた。おそらく、厳しいことで有名な先生なのだろう。実際、とても厳しかった。「猟奇的な彼女」ならぬ、「猟奇的な先生」である。
授業は月曜日から金曜日まで、午後1時から5時までの4時間。毎回試験や宿題がある。成績が悪いと、当然進級できない。気楽な語学学校を想像していたのに、全然違っていた。もちろん、欠席はほとんど認められない。これが1年続くのか…。
へとへとになった後、受入の先生と、受入に尽力していただいた先生と、私と妻の4人で夕食をとる。お二人とも日本語が話せないので、当然韓国語で会話。これも疲れた。
12月2日(火)
午前中、研究室を提供していただいた大学博物館の館長先生の所に挨拶に行く。その場で、夕食に誘われた。
午後、2回目の授業。いきなり聞き取りテストがあったのに面食らったが、なんとか満点をとり、できなかったところを10回書くという「宿題」をせずにすんだ。
昨日、日本人留学生がほとんどいない地で、若い中国人留学生たちと混じって勉強するなんて、耐えられるだろうか、と思ったが、今日、中国人留学生の一人が、休憩時間に飴をくれた。それだけで、なんとなく嬉しい。
授業が終わり、館長先生と、博物館のスタッフとで夕食。これもまた、韓国語での会話。
渡航前、のんきにも「遊びに来てください」なんて、いろんな人に言っていたが、冗談じゃない。とてもそんな悠長なことが言ってられなくなってきた。このブログも、素っ気ない記録ばかりが続くことになるだろう。
さて、今日の復習をしなければ。
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