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2009年1月

本日モ反省ノ色ナシ

ジャッキー・チェンにそっくりのトゥン・チネイ君が久しぶりに授業に現れる。

授業中、「猟奇的な先生」が、さかんにトゥン・チネイ君をからかおうとするが、トゥン・チネイ君は、表情ひとつ変えず、それに乗ろうとはしない。

どうも、トゥン・チネイ君は、「猟奇的な先生」が苦手なようである。

今週の「猟奇的な先生」は、いたって穏やかである。旅行前には、いろいろ考えすぎて荷物がいっぱいになってしまう、という話や、引っ越しの見積もりの時に、大量にある本を冷蔵庫や洋服ダンスに隠して、引っ越し代を安くあげた話など、ここ数日の「猟奇的な先生」のフリートークは、むしろ冴えているといってよい。

私自身は、同世代かつ同業者の「あるあるネタ」としてとても面白く聞いているのだが、しかし、学生たちにはいまひとつ受けが悪い。

これとは対照的に、後半のベテランの先生の時には、学生が積極的に先生に話しかける。

いま、彼らの間で一番気になっているのは、「自分が果たして2級に上がれるのか?」ということである。彼らの頭の中には、いまそれしかないのである。

さっそく、授業の始まる前にマ・クン君がベテランの先生に質問する。「先生、僕は2級に上がれるでしょうか?」

何回同じ質問しているんだよ、と言いたくなる。

マ・クン君だけではない。ほかの学生たちからも、次々に「僕は2級に行けるでしょうか」と質問攻めにあう。

さすがにベテランの先生も、これでは埒があかないと思ったのだろう。休憩後の4時間目、これまでの成績表を持って教室にやってきた。

2級に上がれるかどうかの基準は、以下の通りである。

まず、出席が80%以上であることが条件。その上で、中間考査の成績が20%、期末考査の成績が20%、4回行われるクイズ(小テスト)の成績が20%、毎日の宿題が20%、毎日のパダスギ(書き取り試験)が20%、という割合で総合的に評価される。

だから、私情が入る余地はないのだ。いくら先生にお願いしたって、無理なものは無理、というシステムになっている。

昨日のリュ・ピン君のように、何かアピールすれば上級クラスに上がれる、というものではないのだ。

しかし彼らは、なかば冗談で「もし2級に上がれたら、先生に贈り物をします」などと、贈収賄の罪に問われるようなことを言って懇願するのである。

さて、4時間目の授業の最初、ベテランの先生が成績表を持ってくると、学生たちはたちまち先生のまわりに群がるように集まり、自分のこれまでの成績を確かめはじめた。

しかし、確かめたところで、何になる、というのだろう。仮に、いままでの成績が、思ったより良かったとして、「じゃあ期末考査は手を抜いていいや」ということになるのだろうか。

いままでの成績がどうであろうと、残された試験に全力を尽くすことには、変わりないのではないか。

私には、彼らの行動がまったく理解できない。

しばらくの間、彼らは自分の成績を確かめ、それを書き写し、点数の計算をすることに没頭している。

おかげで、授業時間がどんどん削られている。本末転倒な話ではないか。

それでいて、彼らは、まじめに授業を受けるか、というと、そういうわけではない。相変わらず、中国語の私語は延々と続いているし、対話の練習では、頓珍漢な受け答えばかりしている。

いちばん自覚がないのは、リュ・ピン君だ。最悪なのは、授業中に携帯電話で誰かとヒソヒソと話している。7人しかいない授業で、よくそんなことができるものだ。

ベテランの先生は、叱りはするが、とりあげようとまではしない。もしこれが「猟奇的な先生」だったら、携帯電話をとりあげるだけでは済まず、登録されている電話番号を全部消去してしまうところであろう。あるいは窓の外へ放り投げるかも知れない。

ときに、それくらいことをしないと、彼らにはわからないのだろう。

その点において、私は「猟奇的な先生」を支持する。ベテランの先生の優しさが、結果的に彼らをダメにしている一要因である、と、残念ながら認めざるを得ないのである。

しかし、「猟奇的な先生」には学生の人望がなく、ベテランの先生は、学生たちに絶大な信頼がある。

教育とは、本当に難しい。理想の教育者、て、どんな人なんだろう。

私にはわからなくなってきた。

彼らは、人一倍、2級に上がりたいと願っている。しかし、2級に上がるためのいちばんの近道は、授業を地道に受けることだ、ということに、まったく気づいていない。

相変わらず、この4時間の授業をいかにやり過ごすか、ということだけを考えている。

いよいよ、あと1週間で、この学期も終わる。

来週も、こんな感じで授業が続くのだろうか。

1級1班、本日モ反省ノ色ナシ。

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「チェガ ネルケヨ」

韓国で、複数の人たちと食事に行くと、本当に難しい。

その食事代を、誰が支払うか、という問題である。

基本的に日本のような「割り勘」という習慣がないので、複数で食事に行くと、誰かが全部を支払うことになる。

昨日の居酒屋も、1次会はウさんが全部支払い、2次会は、別の大学院生の方が全部支払った。

今日、昨日の人たちと大学の食堂で昼食をとったが、その時は、もう1人の大学院生の方が全部支払ってくれた。

なるほど。今日、めずらしく昼食に誘われたのも、もう1人の大学院生が、食事代をおごらなければならなかったためか。

結局、支払っていないのは私だけ。

そこで私は、昨日習ったばかりの「タウメヌン チェガ ネルケヨ(次は、私は支払います)」と言うと、なぜか爆笑された。

自分が外国人ということもあるので、なかばお客様扱いされていることもあるのだろうか。いずれにしても、自分が支払うタイミング、というのが、よくわからない。

今日の「猟奇的な先生」の授業でも、そんなことが話題になった。

昨日に続き、今日の出席者は5人。昨日のメンバーのうち、ロン・ウォンポン君が欠席で、代わりにマ・クン君が出席である。昨日、両方の鼻の穴にティッシュを詰めていたパンジャンニムことロン・ウォンポン君は、さらに風邪が悪化したのかも知れない。

トゥン・チネイ君、トゥン・シギ君、ジョウ・レイ君の悪友3人組も、昨日に引き続いて欠席。2級に上がれないと宣告されたのがショックだったのかも知れない。やはり、打たれ弱いやつだ。

例によって時間が大幅に余ったので、「みなさん、韓国の人と食事に行ったことがありますか?」と話題をふられた。

「韓国の人と食事に行くと、1人が全員の分を支払うでしょう。外国人にはそれが不思議みたいね」

「そうです。とても難しいです」昨日のことが頭にあった私は、その話に反応した。

先生が続ける。

「学生時代、米国人の友達と食事に行ったとき、私が全部払ったのね。そうしたら、次から、一緒に食事に行きたくない、みたいになって、だんだん疎遠になっていたのよ。たぶん、負担に感じたのね。払ってもらっても精神的な負担だし、自分が払うとなると今度は金銭的な負担だし」

個人主義の国の人なら、それはそうなるだろう、と思う。

「でも、韓国人だって、難しく感じているのよ。みんなで一緒に食事しているとき、『ここは誰が払うのだろうか』とか、『あれ?この前は誰が払ったかしら』とか。計算が済んだあとも、『次は誰が払うのだろうか』とか、年中考えながら食事をしているのよ」

「そんな考えながら食事をしても、美味しくないのではないですか」という私の質問を、笑いながら受け流し、先生は話を続ける。

「以前友達と食事に行って、友達に5000ウォンのジャージャー麺をおごってもらったのよ(韓国人は、ジャージャー麺が好きである)。『次は私が払うね』といって行ったところが、サムギョプサル(豚焼き肉)の店。そこで10万ウォンも払ったのよ!もう悔しくて悔しくて…。だから自分がどのタイミングでおごるか、ということも、考えなければならないのよ」

ちょいとしたロシアンルーレットである。

後半のベテランの先生の授業。3時間目は、「私の1日」というテーマで話をする。

そこで、リュ・ピン君の仰天発言。

リュ・ピン君は、わが班の中で、おそらく精神年齢がいちばん幼い。加えて、韓国語の出来もかなりよくない。

「僕は、毎日毎日、夜遅くまでスクチェ(宿題)をしているんです」とリュ・ピン君。

「そんなに宿題が好きなの?でも夜遅くまでかかるほど宿題は多くないでしょう」と先生。

「違うんです。僕は、ヨジャ・チング(ガールフレンド)と、トンセン(弟)の分の宿題もやってあげてるんです」

この言葉に、先生が大爆笑した。なぜなら、ヨジャ・チングも、トンセンも、リュ・ピン君より上級の、2級クラスに在籍しているからである。

「じゃあリュ・ピン君は2級のクラスの宿題もやっているの?」

「そうです。だから2級の勉強もできるんです。だから2級に行けますよね」

再び先生は大爆笑。

「でもリュ・ピン君、あなたの提出する宿題は、いつも間違いだらけよ。それで、よく2級の宿題ができるわね。ほかの2人はそのあいだ何をしているの?」

「料理を作っています」

どうも、自分は亭主気取りで「宿題は俺にまかせろ」なんていいながら、ヨジャチングに料理を作らせているらしい。こりゃ、将来、厄介な亭主になりそうだぞ。

それにしても、ヨジャチングやトンセンも、よくリュ・ピン君に宿題なんかまかせられるな。もしこれが本当の話だとしたら、毎日、間違いだらけの宿題を提出していることになるぞ。

リュ・ピン君は、「自分は2級の宿題もやっているのだから、次の学期は2級のクラスでやっていける自信があるんです」という意図でそんな話をしたのだと思うが、だとしたら、完全に間違ったアピールである。2級の宿題なんかやるより、今の1級の勉強をもっとまじめにやれよ、と、誰もが言いたくなるだろう。

どうも考えていることがよくわからない。

私は、昨日の居酒屋の話をする。そこから、日本、韓国、中国の、居酒屋の比較に話が広がる。といっても、初級の語学レベルなので、たいした話にはならないが。

授業が終わって帰ろうとすると、マ・クン君が私のところにやって来た。

「アジョッシ!中国のお酒を飲んだことありますか?」

「飲んだことあるけど、度数が高くて、飲むとのどが熱くなるね」

そう答えると、そうでしょう、と言わんばかりに、

「僕たちにしてみれば、韓国の焼酎なんて、水みたいなものです」

と言う。「この前も中国人の友達4人で韓国の焼酎を16本も空けたんですよ」

へえー、と感心していると、マ・クン君は続けた。

「今度のパンハク(休暇)に中国に帰ります」

「でも、プモニム(ご両親)が帰ってくるなって言ってなかった?」

「大丈夫です。帰ります。…で、今度韓国に戻ってきたとき、中国のお酒をたくさん買って持ってきます。アジョッシにも、おみやげに買ってきます」

「そう。ありがとう。楽しみに待っているよ」

マ・クン君はニッコリ笑って、教室を飛び出していった。

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おでんと熱燗の夜

5日ぶりの授業にきたのは、わずか5人。

パオ・ハイチェン君、リュ・ピン君、パンジャンニム(班長殿)のロン・ウォンポン君、リ・ミン君、そして私。

欠席者が多いのは、5日前の一件があったからなのかどうかは、わからない。

「猟奇的な先生」は、あきらめムードなのか、いたって平穏に授業を進める。

そして5人なので、授業の進むスピードも速い。予定のところがあっという間に終わってしまう。

こういうときには、フリートークになる。

今日は、「助ける」という動詞を習った。そこで「猟奇的な先生」は、「みなさんは、韓国へ来て、誰かを助けたことがありますか?」と、多少むちゃぶりな質問をする。

そこで、1週間くらい前のことを思い出した。

バスの停留所でバスを待っていた時のこと。アジュンマ(おばさん)が、「○○へ行くには、何番のバスに乗ればいいのかしら」と私に聞いてきた。

たまたま私は、その場所を知っていたので、「○番のバスに乗ればいいです」と答えた。

つまり、韓国人にバスの乗り方を聞かれ、それに対して答えたのである。

そのことを、苦労しながら話すと、先生は意外な顔をした。

「アジュンマは、韓国人と思って話しかけてきたのかしら」

「そうだと思います」

「で、教えたバスは、本当にその場所に行くバスだったの?」

「はい」

疑り深い人だ。

その話で思い出したのか、今度は先生がおもむろに話しはじめた。

「そういえば、私が日本に旅行に行ったとき、東京で、みんながやたら私にばかり道を聞いてきたのよねえ。どうしてかしら」

それは美人だからですよ、と合いの手を入れようとしたが、バカバカしいのでやめた。

「で、あまりにいろんな人が道を聞いてくるものだから、最後は面倒くさくなって、『○○はどこですか?』と聞かれて、『あっちの方です』って、適当な方角を指さして教えてあげたのよ。本当はそんな場所なんて知らないのに」

一同はあきれつつも爆笑。そこでちょうど授業時間が終わり、「猟奇的な先生」も、気分よく帰っていかれた。

後半の授業。ベテランの先生はすでにおいでになっているというのに、学生はなかなか戻ってこない。

しばらくして、みんなが休憩から戻ってきた。するとパンジャンニムが、両方の鼻の穴に、ちり紙をつめている。

まるで、鼻の下に白髭をたくわえた人みたいになっている。

ベテランの先生が驚き、「どうしたの?鼻血?」と聞くと、

「いいえ、鼻水です。大丈夫です。気にしないでください」

気にしないでくれ、て言われても、その顔はインパクトがありすぎる。顔が面白すぎて、授業に集中できない。だがパンジャンニムは、そのままの状態で、授業を受けつづけた。

金曜日のことがあったためか、ベテランの先生が気にされて、再び、みんなを励ます。

「あらためてこれまでの点数を見てみたけど、今のままでは、合格点に少しだけ届いていないのよ。だから、期末考査を、一生懸命がんばりなさい。9割以上とらないとダメよ」

彼らに9割以上とれ、というのは、それ自体無理な話ではないか、と思うのだが、まあ、最後まであきらめるな、ということをおっしゃりたいのだろう。

ベテランの先生のアドバイスを、パンジャンニムも真剣に聞いている。

しかし、両方の鼻の穴にティッシュを詰め、白髭をたくわえた人みたいになっている顔は、およそ人の話を真剣に聞く人のようにはみえない。

先生とパンジャンニムの両者が、ともに真剣であるだけに、なんとも滑稽である。

授業が終わり、ウさんを含めた大学院生3人と、お酒を飲みに行く。

日本風の居酒屋である。店の前には、「おでん」と書かれた赤ちょうちんもある。

メニューには店の名前が書いてあるが、「HIGA」とあり、そのしたに「火が」と表記している。

「火が」という店名らしい。火が、どうした、というのだろう。

Photo それはともかく、この店でおでんと、徳利に入った熱燗をいただく。日本と微妙に味が異なるが、でも、居酒屋の雰囲気を十分堪能できた。

しかし、相変わらず私の韓国語はまったく使いものにならない。思いきって、冗談も言ってみたりしたのだが、その冗談に笑ったのか、私の韓国語が珍奇なことに笑ったのか、定かではない。

そのあと、店を変えてビールを飲む。気がつくと10時をまわっていた。

いつものように、いい人たちと楽しい時間を過ごせたという思いと、韓国語が思うようにできないことに対する「死にたい気持ち」がない交ぜになりつつ、みなさんとお別れした。

明日の昼食もご一緒することを約束して。

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まつりのあと

以前、本屋で立ち読みした、板尾創路氏の『板尾日記』の某月某日のところに、

「今日は書くことはなにもない」

みたいなことが書いてあって、思わず吹き出したことがある。板尾氏らしい書き方だ、と思ったが、そりゃそうだ。そう毎日、面白い出来事があるはずもない。

今日は一日、まったく何もせずに過ごす。昨日からの鬱々とした気持ちも手伝って、体が動かない。咳も止まらない。

『ナナのネバーエンディングストーリー』を読もうとするが、これって、どうもハーバード大学の留学体験記みたいなのね。自分が頑張って、いかにオールAをとって卒業できたか、みたいなことが、書かれているようだ。まだちゃんと読んでないが。

「はいすくーる落書き」みたいなこちらの留学体験と重ね合わせると、さらに落ち込んでしまうような気がした。

夜、少し散歩に出ると、子どもが私に拳銃を向けてきたのでビビった。よくみると、オモチャの拳銃だった。ソルラルに、プレゼントでもらったものだろうか。

空いている店と閉まっている店が半々くらいだった。明日からは、通常営業になるのだろう。明日からまた学校か、と思うと、ますます憂鬱になった。

「『サザエさん』を見ると、『あー、明日から学校か…』と思って少し憂鬱になる」っていうのは、私の世代の「あるあるネタ」だったけど、下の世代では、それが「ちびまる子ちゃん」だったり、「さんまのからくりテレビ」だったりするようである。いまの学生にも、そういう「あるあるネタ」って、あるのかね。

昨晩、何とはなしに見ていたテレビで、例によって韓国映画をやっていた。若者たちが、金持ちのおばあさんを誘拐することで巻き起こる、ドタバタコメディのようだ。

なんか見たことあるぞ。天藤真原作、岡本喜八監督の「大誘拐」じゃないか?

そう思って、あとで調べてみると、たしかに、「大誘拐」のリメイクだった。タイトルは、

「クォン・スンプン女史拉致事件」

タイトルだけ見ると、なんか恐ろしい事件を扱った映画のような気がするが、全然そうではない。完全なコメディである。

私は「大誘拐」に出ている、北林谷栄という女優が好きだ。

「日本で一番好きな女優は?」と聞かれれば、おそらく「北林谷栄」と答えるくらい、好きな女優である。

Photo_2 山田太一脚本、田宮二郎主演のドラマ「高原へいらっしゃい」に、ホテルの従業員役で出ていた北林谷栄の演技は、秀逸である。リメイクの時に大山のぶ代が演じていたが、申し訳ないが、足元にも及ばない。

今井正監督の「キクとイサム」(1959年)や「橋のない川」(1969年)でも、北林谷栄はおばあさん役で出ている。とすると、かれこれ50年近くも老け役をやっていた、ということか。

一番最近では、南木佳士原作、小泉堯史監督の映画「阿弥陀堂だより」の演技が印象的だ。個人的に南木佳士の小説が好きな私にとって、南木佳士、小泉堯史、北林谷栄の組み合わせは、私のためにある映画か?というくらい、もう涙ものである。

Photo ロケ地になった長野県・飯山市の阿弥陀堂まで訪ねていったくらいだから。

どうだ、マニアックすぎてわからないだろ。

さて、韓国版の「大誘拐」。こちらの方も、文句なく面白い。

主役のおばあさんを演じるのが、ナ・ムニというベテラン女優。ドラマや映画では引っ張りだこの女優である。北林谷栄とは、やや趣が違うが、韓国で「大誘拐」をリメイクするのだとしたら、やはりこの人以外には考えられないだろう、と私も思う。

そして、なんといっても、誘拐する若者役で出ているユ・ヘジンが可笑しい。「里長と郡守」でも主役をつとめた彼は、どちらかといえば、地味で、不細工な顔だちだ。しかし、彼の真剣な演技は、そこはかとなく可笑しいのである。

調べてみると、彼は苦労人だったようだ。売れない時期が続いたのだろうが、彼のおもしろさが、いまでは正当な評価を得ている、と思う。

(さらに調べてみると、この人、私と同い年で、誕生日が3日違いなのね)

くり返すが、彼の顔はかなり地味で不細工である。でも、映画での演技はすばらしく、可笑しい。

さあ、明日からまた授業を頑張ろう。

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セヘ ポク マニ パドゥセヨ

「セヘ ポク マニ パドゥセヨ」

「新年あけましておめでとうございます」という意味である。直訳すると、「新年の福をたくさん受け取ってください」となる。

1月26日(月)。ソルラル(旧正月)の今日は、大学院生のウさんのご実家におじゃまして、韓国の正月行事を体験することになった。

先週の金曜日、語学の授業が終わってから、大邱最大の市場、ソムンシジャン(西門市場)に、ハンボク(韓服)を買いに行った。10万ウォンを、5000ウォンだけまけてもらって、95000ウォン也。

Photo_3 ハンボクといっても、韓国の時代劇でよくみるような伝統的韓服(チョゴリ)ではない。現代風に改良したケリョンハンボク(改良韓服)である。伝統的な韓服は、価格が1桁違う。

これが、ソムンシジャンで買ったケリョンハンボク(改良韓服)。

「当日は、みんなハンボクを着ていますから、ハンボクを着てきてください」とウさん。

「ほかに何か持って行くものはありますか?」と聞くと、先祖にお供えする「キョンジュポプチュ」というお酒と、子どもたちにあげるお年玉として、5000ウォンの商品券を5枚ほど用意しておいてください」といわれる。

そして今日、お昼頃に待ち合わせて、市内から車で30分くらいのご実家に向かう。同じ大邱市とはいえ、山深い村里の中に、そのご実家はあった。

すでに、20名くらいの親族がお集まりになっている。突然の日本人の訪問に、ビックリした様子である。

しかも、見るとハンボクを着ているのは、私だけ。ほかの男性はみな背広である。あと、小さい女の子が、かわいらしいハンボクを着て、ふてくされたような表情をしている。

(ひとりだけというのは、ちょっと恥ずかしいな…)と思うまもなく、祖先祭祀の準備が始まる。

Photo_4 食べ物を神前に供えたあと、拝礼が始まる。私も参加させてもらう。

まず、全員が拝礼。次に、ひとりひとりが、祖先にお酒をお供えして、拝礼する。そして最後に、また全員で拝礼する。拝礼するのは、成人男子のみ。この間、女性たちは、台所で食事の準備をしている。

先祖への拝礼が終わると、今度は全員が、世代が一番上のハルモニ(ウさんのオモニム)に拝礼をする。続いて、その下の世代に対して、子どもたちの世代が拝礼をする。

拝礼が終わると、大人たちは、子どもたちにお年玉をあげる。

私も、5000ウォン(約500円)の商品券を子どもたちに渡した。

Photo_5 拝礼が終わると、食事が始まる。

先ほどお供えしたもののほかに、雑煮も出された。

大人たちはいろいろと話をしているが、この間、子どもたちは、所在なさげな表情である。もらったお年玉を数えたりもしている。

その様子を見ていて、思い出した。私も子どもの頃は、正月の親戚の集まりが鬱陶しかった、ということを。

子どものころ、正月の親戚の集まりの楽しみは、お年玉だけで、あとは鬱陶しいばかりであった。たまに、酒の入った親戚のおじさんに説教されたりしたことも思い出す。この、なんとも言えない感覚は私だけだろうか?

ともかく、その頃のことを思い出し、自分もなんとなくいたたまれない気持ちになってしまったのである。テンションが下がる一方である。

Photo_6 食事が終わり、今度はゲームが始まった。「ユンノリ」という遊びである。4本の木の棒を、さいころのように振って、コマを進める。双六のようなものである。韓国の正月に親戚が集まると、どこでも行われるという。

2つのチームに分かれ、対戦を行うが、どうもルールがよくわからない。言われるがままに、4本の棒を振って、わけもわからないうちに対戦が終了。この対戦が、数回くり返された。

負けたチームは、ひとりひとりから1000ウォンが没収される。

子どもたちからもお金が没収される。だから、せっかくもらったお年玉のうちから、1000ウォンを払わなければならなくなる。なんとも非情なルールだ。

私も1度負けたので、1000ウォンを没収された。

そういえば、没収されたお金は、どうなったのだろう。

ゲームが一通り終わると、今度は、大人たちによる家族会議。なにか、今後の一族のあり方について議論をしているようだ。

2 所在なさげにしていると、ウさんのいとこの大学生が、一緒に「ユンノリ」をしましょう、と誘ってくれた。

今度は2人で対戦。5回勝負で2勝3敗。1000ウォンを支払おうとしたが、「いいですよ」といわれる。

しかしこの対戦のおかげで、「ユンノリ」のルールを完全に把握することができた。

夕方5時過ぎ、ウさんが、今度は奥さんのご実家に行くというので、オモニムとお別れする。別れ際に、自家製の豆腐と、キムチと、そしてご実家でとれたリンゴを山ほどいただいた。

「オモニム、健康でいてください」といって、お別れした。

帰りの車中で、「今日は大変だったでしょう」とウさん。

ウさんは、私が人づきあいが苦手であることをよく知っている。

「いえ、楽しかったです」と答えた。

実際、楽しかったのである。

しかし、どうも大勢の人がいる場というのは、いまだに慣れない。気の利いたことをいうこともできないのである。これは日本であろうと韓国であろうと同じであった。

たぶん、この性格はずっと変わらないだろう。

鬱な気持ちで、2009年のソルラルが終わった。

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旧正月の市内

韓国は、いま、旧正月のお休みである。

よく知られているように、韓国や中国では、新暦のお正月ではなく、旧暦のお正月が、本当のお休みである。

新暦の1月1日も、1日だけ休日だが、この日はとくに盛り上がらない。

この旧正月には、日本の年末年始と同じような帰省ラッシュがある。

ニュースを見ていると、やれKTX(韓国の新幹線)が満席だの、高速道路が渋滞しているだの、といったニュースが流れる。帰省途中の家族にインタビューして、「おじいちゃん、おばあちゃんからお年玉をもらうのが楽しみです」と子どもが答えているところなんかも、日本の年末年始と同じ風景。

だから、この期間は、下手に旅行なんかしない方がよい、と、語学の先生に言われた。その通りだ。

だから今日はとくに何もせずに過ごす。

お昼に、テレビでチャ・テヒョン主演の「覆面ダルホ」という映画をやっていたので見た。

これが結構面白い。

あとで調べてみると、日本映画の「しゃらんQの演歌の花道」のリメイクだそうだが、たぶん、ストーリー自体は、オリジナルの作品よりもかなり面白いのではないかと思う(オリジナルを見ていないので、なんとも言えない)。

「ダルホ」とは、主人公の名前だが、発音は「ダルホ」よりも「タロ」の方が近い。あるいは、タイトルは「覆面太郎」というべきか。

チャ・テヒョンは、「猟奇的な彼女」以後、よい作品に恵まれず、低調だったが、この作品で復活した、という。

相手役のイ・ソヨンがとてもいい。ドラマ「春のワルツ」では、ちょっと感じの悪い役を演じていて、印象があまりよくなかったが、一転して大ファンになってしまった。

見終わったのが午後2時。このままでは1日家にいることになってしまう、と思い、町へ出ることにする。

市内の本屋で、本を2冊買う。無駄な本を買う癖は、韓国でも抜けない。

ベストセラー1位になっている小説(『母をよろしく』)と、元「ミス・コリア」が書いたタレントエッセイ(『ナナのネバーエンディングストーリー』)を買う。いずれも日本だったら、絶対買わないだろうな、という本だ。

だいたい、私はリリー・フランキー氏の『東京タワー』を読んでいない。ベストセラー小説なんて、本来読まないのである。この『母をよろしく』なる本は、タイトルからして、『東京タワー』みたいな小説だろうか。

『ナナのネバーエンディングストーリー』なるタレントエッセイも、日本だと、川原亜矢子の『シンプル・ビューティ』とか、藤原紀香の『紀香魂』みたいな本なのだろうか(いずれも読んだことがないのでわからないが)。略歴をみると、2002年にミス・コリアとなり、翌年のミス・ユニバースに出ようとしたが、「やはり自分は勉強したい」と思い、アメリカのハーバード大学に留学した、という人らしい。

後者を買ったのは、以前同じ本屋に行ったときに、この本の出版記念で、このクム・ナナという人のサイン会が行われているところを通りかかったからである。正確には、ちょうどサイン会が終わり、「ナナ」なる人が控え室に戻っていくところに遭遇した。

これも何かの縁かな、ということを、思い出し、思わず買ってしまったのである。

まあ、ぱらぱらとめくって、「これくらいの文章なら読めるかも」と思って買った、というのが、本当のところである。

しかし、このミス・コリアは、なぜわざわざこの地方都市でサイン会を行ったのだろう。

語学の授業のとき、「猟奇的な先生」がおっしゃった。

「大邱は美人が多いことで有名よ」

そのあと、こうも付け加えた。

「私も、大邱出身ですけどね」

自分が美人であることを否定しないこの発言は、なんとなく鼻につくのであるが、「大邱は美人が多い」ということ自体は、どうやら事実のようである。ミス・コリアも、大邱出身の人が多い、と聞く。

理由は「大邱はリンゴの産地で、リンゴをたくさん食べているから」と、韓国の人たちは言うが、本当のところはわからない。

おそらくこの人も、大邱出身なのだろう。、

そう思って、いろいろ調べてみると、私がいま通っている大学の医学部出身であるということが判明。

ますます何かの縁を感じるが、だからといって、別にどうというわけでもない。

本屋を出て、市内をブラブラしていると、今日はやたらとイラン人らしき人たちが多い。

地下街ですれ違う人たちが、みな、イラン人らしき人たちである。

地元の人は、今日は市内へ出ずに、実家にいるのだと思うが、それにしてもこのイラン人の多さは異常である(まあ正確にはイラン人かどうかはわからないのだが)。

謎である。

よくわからないことと言えば、ソルラル(旧正月)の元日は、明日(26日)のようなのだが、テレビでは、もう司会者が韓服を着て、「あけましておめでとうございます」と言っている。

「あけましておめでとうございます」という挨拶は、実はすでに新暦の1月1日にもすでに行われている。つまり、新暦と旧暦で、2回言うわけである。

日本だと、12月31日に「あけましておめでとう」とは言わない。カウントダウンがあって、時計の針が正確に元日の午前0時になってから、「あけましておめでとう」と言う。

些細なことだが、どうも気になる。

家に戻り、カレーを作って食べる。

それと、昨日、キム先生から「これはお正月に食べるお菓子です。妻が作りました」といって、山ほどいただいた、日本の雷おこしのようなお菓子をいただく。この休みに食べ終わることができるだろうか。

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冷凍庫の中の国宝

ソウルの博物館で研究官をしておられるキム先生のご実家は大邱である。

キム先生は、私より5歳ほど上の、ほぼ同世代の研究者、といってよいであろう。2年前、1年間ほど日本で研修されたときにお話しするようになり、「韓国にいらしたら、必ず私が案内しますから」と言っていただいた。

そのキム先生からお電話をいただいたのは数日前。ソルラル(旧正月)で実家に帰るので、24日(土)に、一緒に踏査に行きましょう、といっていただく。

旧正月に暇をもてあまし、しかも車が運転できない私にとっては、願ってもないことである。

1月24日(土)。

午前10時半に待ち合わせて、大邱から車で1時間半ほどの、ボハン(浦項)市というところに向かう。そこには、韓国でも最古の石碑(6世紀初め)がある。

この石碑は、いまからちょうど20年前、畑の耕作中に発見されたもので、自然石に231文字の漢字が刻まれている。現在は韓国で国宝に指定されている。

Photo_2 現在は、その町の町役場の前に、覆屋が作られ、そこに置かれている。

特別に覆屋の鍵を開けてもらい、中に入って、間近に石碑を見せていただいた。

Photo_3 まったく関心のない人からみれば、ただの石かも知れない。しかし私たちは、1時間ほど、この石に刻まれた文字を観察した。国宝を間近に観察できるなんて、そうあるものではない。

ところが、このときの気温は、おそらく氷点下10度近く。吹きっさらしの、まるで冷凍庫の中のようなところに、1時間近くいたことになる。メモをとる手が寒さで刺すように痛くなり、文字が書けなくなり、やがて手が赤くなる。

このままでは、冷凍肉になってしまう。

Photo_4 もう限界!とばかりに、目の前にある町役場に飛び込んで、石油ストーブにあたらせてもらう。

役場にいた方とご挨拶して、名刺を交換すると、その肩書きに「神光面長」とある。

といっても、べつに面長(おもなが)の方ではない。「面」とは、日本でいう「町」にあたる。つまり、「神光面」という町の、町長さんであった。

「韓国では、冬に踏査をしない方がよい」と、以前、韓国に留学経験のある研究者仲間に言われたことがあったが、そのことを実感した。あまりの寒さに、踏査どころではないのである。

昼食後、次の予定地に向かおうとする車の中で、私は言った。

「そういえば、先ほどみた石碑は、20年ほど前にどのあたりで発見されたんでしょうかね」

この言葉に、キム先生は反応した。

そこから、捜索が始まる。

キム先生の聞き込みの結果、ついに、その石碑を発見した、という人の家をつきとめたのである。

Photo_5 その家に行ってみると、ハルモニ(おばあさん)がいらっしゃった。聞くと、息子さんが耕作中に見つけた、という。

そして、ハルモニは、その発見場所まで案内してくれるという。

ハルモニに車に乗ってもらい、当時の発見場所まで案内していただく。

Photo 少し丘を登った場所に、その発見場所はあった。ハルモニは、「このあたりだ」と指をさしてくれた。

しかしいまはなんの面影もない。次にまた来いと言われても、たぶんわからないと思う。

せっかくなので、ハルモニと一緒に、発見場所で記念写真を撮ってもらった。

数十年後にその写真を見たら、「なんでこのおばあさんと一緒に、何もないところで写真を撮ったんだろう?」ということになるだろう。

でも、発見場所をたずねた人は、おそらくほとんどいないだろう。

ハルモニにお礼を言って別れる。

Photo_7 次に向かったのは、慶州の郊外にある、とある有名な書院。書院とは、朝鮮時代の儒教的建築物のことである。

Photo_8 書院に隣接して生活しておられるお宅で、こんなものを見つけた。

では、ミステリーハンターから問題。

Photo_9 いったいこれは何でしょうか?

世界ふしぎ発見!

夕方、大邱市内にもどり、キム先生の研究仲間の方たちと夕食。久々にお会いになったようで、話が弾んでいる。

例によって、聞き取れない話が続く。

途中、「私たちの話していること、聞き取れますか?」とキム先生が、こっそりと私に話しかける。

「一生懸命聞き取ろうと頑張っているんですけど、全然ダメですね」

「そうでしょう。私が日本にいたときも、日本人同士の会話は、全然わかりませんでしたから」

優秀なキム先生でも、やはりそうだったのか、と思い、少し安心する。

そして夜8時頃に解散。

「今日はとても充実した1日でした」

「また一緒にまわりましょう」

そう約束して、お別れした。

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アメとムチ

Photo 明日からソルラル(旧正月)の4連休というこの日、「猟奇的な先生」は、2時間目の最初に、みんなに「ヤクパプ」を配った。

「ヤクパプ」とは、旧正月の時に食べる、餅米を炊いたもので、日本でいえばお餅にあたるものだろうか。ちまきにも似ている。

「猟奇的な先生」は、連休の前の日ということもあってか、いつになくやさしい。本来であれば、授業中に飲食をすれば、怒った上に、その食べ物をとりあげるのであるが、今日は、「トゥセヨ(食べなさい)」とおっしゃる。

私が、(これは何かの罠ではないか)と思って、食べるのをためらっていると、やはり「トゥセヨ」とおっしゃる。

昼食を抜いていたこともあり、美味しくいただいた。

また、「猟奇的な先生」は昨日、映画「レッドクリフ2」を見に行ったという。

「ソルラルは、家にいないで、映画を見に行きなさい。この映画は面白いから」

お調子者のマ・クン君は、「じゃあ今日の夕方、さっそく見に行きます!」と答える。

「猟奇的な先生」のご機嫌もよいようだし、これで、気持ちよく連休がすごせる、と思った矢先のことである。

悲劇は、2時間目の最後に起こった。

「この前のクイズ(小テスト)の結果、相当悪かったわよ。それに、今日のパダスギ(書き取り小テスト)もひどかったわね。このままだと、この班のほとんどの人が、来学期もう一度、1級をやることになるわね」と、先生がおもむろに話し出す。

そして、私とパオ・ハイチェン君の2人は、このままの調子で頑張れば2級に上がれると思うが、そのほかの人たちは、このままでは、2級に上がれない、と宣告したのである。

この言葉に、一同が耳を疑った。

マ・クン君が「僕は来学期、2級に上がりたいんです」と懇願する。

「おそらくダメだわね」と先生。

ジャッキー・チェンにそっくりのトゥン・チネイ君も、「僕も、来学期はもう一度1級の授業を受けなければいけませんか?」と、消え入るような声でたずねる。

「このままだと、おそらくそうなるでしょうね」と先生。

一同が、慄然とする。

パンジャンニム(班長殿)も、言葉を失っている。ただただ、「ウェ?(どうして)。ウェ?」と、信じられない、という様子で先生に質問する。

しかし先生は、「別に私が決めるわけじゃないのよ。いままでの点数を総合的にみると、そうなる可能性が高い、ということよ」と突き放す。

そして、「このあと、クイズが1回あって、最後に期末試験があるでしょう。その時には一生懸命に頑張りなさい」とだけおっしゃる。

私以外はみんな、2回も3回も、多い人は4回も、この1級(初級)の授業を受けてきた連中だ。とくにパンジャンニムは、もう1年も韓国にいる。その間に、ヨジャチングはどんどんと上級のクラスへと進んでいる。いつになったらこの「1級地獄」から抜け出せるのか?

たぶん、いちばん慄然としたのは、パンジャンニムだっただろう。

「ソルラルには、映画を見たり、一生懸命勉強したりして、有意義に過ごしなさいよ~」とおっしゃって、「猟奇的な先生」は教室をあとにした。

いつものような激しい怒りではなく、どちらかというと、突き放した、あきらめムードの捨て台詞である。こちらの方が、はるかに恐ろしい。

「猟奇的な先生」が教室のドアを開けて去られたあと、心なしか、教室には冷たい風が吹き抜ける。一同が、言葉を失っていた。

パンジャンニムは、宿題のノートをみんなから集めるという班長の仕事をやる気力すらなくなっている。そのことを察したパオ・ハイチェン君は、パンジャンニムの代わりにみんなから宿題のノートを集め、先生のところに持っていった。

さて、後半の、ベテランの先生の授業。

教室が、水をうったように静かである。全員がうなだれている。「心ここにあらず」といった感じである。

ベテランの先生が不審に思って、「どうしたの?今日はみんな変よ」と聞く。

パンジャンニムが泣きそうな顔で、「キム先生が、このままではこの班のみんなが2級に上がれない、とおっしゃったんです」

おいおい、「みんな」ではないだろう。

「それでみんな元気がないのね。残っているクイズと期末試験を一生懸命頑張れば大丈夫よ。だから気持ちを切り替えて勉強しましょう!」

と先生はおっしゃるが、そんな言葉くらいで気持ちを切り替えられるはずもない。

「ほら!どうしたの?おかしいわよ。いつもならうるさいぐらいに喋っているのに。この班らしくないわよ」

ん?「授業中にうるさくない」のが「おかしい」って、どういうことだ?

それはともかく、面白いくらいに、みんなの様子が変化したことだけははっきりしている。

いちおう教員の端くれとしての立場から言えば、彼らの日ごろの授業態度、学習態度では、成績が伸びないだろうな、というのは、容易に想像がつく。だから、厳しい言葉だが、「自業自得」と言わざるを得ない面もある。

そして学生の立場から言えば、これほどの戦慄な発言はない。私自身についても、「調子に乗るなよ。うかうかしていたら、1級地獄から抜けられなくなるぞ」という恐怖感が、これからたびたび私を襲うことになるだろう。

しかし、教育、とは難しい。

このタイミングで、「1級残留」を彼らに宣告したことは、果たして、彼らにとってよかったのか?残された授業に対する士気を高めることになるのか、あるいはその逆になるのか、よくわからない。

あるいは、そのどちらでもないかも知れない。彼らは、今日言われたことも、次第に深刻に受け止めなくなり、忘れてしまうかも知れない。

4時間目の授業では、次第に本来の元気を取り戻していく。

「○○を勉強したいので○○に電話をかけて、入会方法を聞く」という会話練習。

マ・クン君とトゥン・チネイ君の会話。

トゥン・チネイ「もしもし、テコンドー教室ですか?」

マ・クン「ハイ、こちら『大マ・クン テコンドー道場』です」

トゥン・チネイ「私、フランス人なんですけどね。フランスでテコンドーを習っていたんですが、韓国へ来てもテコンドーを習いたいと思いまして。」

マ・クン「ありがとうございます。『大マ・クン テコンドー道場』は、大邱でも知らない人がいない、有名な道場です」

トゥン・チネイ「練習はいつから始まりますか?」

マ・クン「3月2日から5月31日までの3カ月です」

トゥン・チネイ「いくらですか?」

マ・クン「1カ月15万ウォンです」

トゥン・チネイ「その、…『豚マ・クン テコンドー道場』に行くには、どうしたらいいんですか?」

マ・クン「『豚』ではない!『大』です!」

トゥン・チネイ「いま、チェジュド(済州島)にいるんですけどね。チェジュドから、どうやっていったらいいんですか?」

マ・クン「チェっ、チェジュド?…飛行機に乗って、大邱国際空港に降りなさい。そこからタクシーに乗って、運転手に『大マ・クン テコンドー道場』と言えば、有名なのですぐわかりますよ」

トゥン・チネイ「飛行機とタクシーですか。お金がないんで無理ですね。自転車では行けませんか?」

マ・クン「いい加減にしろ!」

相変わらず、トゥン・チネイ君が相手を翻弄しながら会話を進めていく。

しだいに、いつもの「わが班」らしい授業に戻っていった。

しかし私の心の中には、まだあのときの戦慄は消えていない。あのときの戦慄を最後まで引きずるのは、ほかでもない、この私ではないだろうか。

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初めての散髪

昨日、初めて散髪屋に行った。

実は、渡航前に心配していたことが、2つあった。ひとつは、以前にも書いた「爆弾を抱えた左足」だが、もう一つは、散髪である。

つげ義春の「無能の人」だったか忘れてしまったが、旅先で散髪を趣味にする人物が登場する。なるほど、旅先で散髪する趣味、というのは、なかなか面白いかも知れない、と思ったことがある。

数年前、ベトナムに旅行に行ったとき、町外れにボロボロの散髪屋が営業しているのを見つけて、その趣味のことを思い出したが、ついぞ勇気が出なかった。

言葉がよくわからないところで、どのように理髪師さんとコミュニケーションをとったらいいのだろう。

「どのようにしますか?」と聞かれて、答えることができるだろうか?

たとえば、韓国の有名な俳優の名前を出して、「ペ・ヨンジュンみたいにしてください」と言ったら、笑われるのではないだろうか。第一、日本でもそんな「キムタクみたいにしてください」的なことは、1回も言ったことがないし。

不安だった私は、韓国渡航直前に、散髪屋で髪をカットしてもらったあと、頭の写真を撮ってもらった。韓国の散髪屋で、この写真を見せれば、なんとかなるだろうと思ったのである。

昨日の授業が終わってから、大学の近くの散髪屋に向かう。大学院生のウさんに勧められた店である。

行ってみると、男子学生がお客の大半を占める、わりとおしゃれな美容院である。「予約が必要ですか?」と聞くと、「必要ありません。そこで待っていてください」といわれる。

私の前にも何人かお客がいたが、けっこう回転が速く、20分くらいで私の番になった。

予想通り、「どのようにしますか?」と聞かれたので、「韓国語がよくわからないので」と言いながら、ポケットからデジカメを出して「このようにしてください」と、自分の頭が写っている写真を見せた。

いま考えると、「ペ・ヨンジュンみたいにしてください」と言うのと変わらないくらい、恥ずかしいことかもしれない。

美容師さんは、その写真を一目見ると、ものすごいスピードでカットを始めた。カットが終わると、洗髪して終了。この間、20分くらいか。

仕上がりは、まずまず。日本で散髪してもらったときよりも、いいくらいだ。

会計は、8000ウォン(約800円弱)なり。

次回からは、ちゃんと言葉で説明できるようにしよう。自分の頭の写真を見せるのは、やはり恥ずかしい。

翌日、教室に行くと、髪を切ったことを中国人留学生たちが真っ先に気づいてくれて、「モシッソヨ(かっこいい)」と言ってくれる。

ふたりの先生には、まったく無視されたが。

さて、授業の始まる前、パンジャンニム(班長殿)のロン・ウォンポン君が、携帯電話で撮った写真を嬉しそうに見せてくれた。

そこには、ハート形のケーキと、大きな熊の人形が写っている。

昨日は、ヨジャチングの誕生日だったそうだ。ヨジャチングが、プレゼントでもらったその熊の人形を、嬉しそうに抱いている。

だから、彼は昨日休んでいたのか…。

パンジャンニムのヨジャチングは、語学学校でも有名な、優秀な学生であるという。今はかなり上級のクラスにいる。実際、とても利発そうな子だ。失礼な言い方かも知れないが、そんな優秀な人と、パンジャンニムとの組み合わせが、ちょっと意外である。男女の仲とは、よくわからない。

ま、他人様のことは言えた義理ではないが。

今日のわが班の出席者は、パンジャンニムと、パオ・ハイチェン君、リュ・ピン君、、マ・クン君、そして私の、たった5人だった。アットホームな感じで授業が進む。これくらいの人数だと、勉強にもなるし、なにより「猟奇的な先生」がまったく怒らないのが良い。

後半のベテランの先生の時間では、5人では授業にならないと思ったのか、フリートークの時間となった。

先生がみんなに、「好きな女の子のタイプは?」という質問をする。ちょいとした「グータンヌーボ」である。

私はもっぱら先生に、「韓国にも嫁姑問題はありますか?」といった現実的な質問をする。

授業が終わってから、大学院生のウさんと食事に行く。奥さんも合流して、大邱の名物のふぐ料理を堪能する。大邱では、ふぐを焼いて食べるのが名物らしい。

明日を乗り切れば、土曜日から「ソルラル(旧正月)」の4連休だ。

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さまざまな気がかり

私は暗示にかかりやすい。

中学校1年の保健体育の授業のとき、先生が虫垂炎(盲腸)の話をした。

「虫垂炎(盲腸)は突然起きるから大変だよ。とくに受験の直前とかに虫垂炎になると、せっかくの勉強が無駄になってしまうよ」

その翌朝、私は虫垂炎になって、病院へ1週間入院した。

昨日の授業では、病院や薬局での会話を学ぶ。作文の宿題も、「○○が痛いです」がテーマ。

「みなさーん。外国の人がこちらで病気になると、大変ですよー。治療代も高いし」

と、ベテランの先生。

そして今朝起きると、激しい胃痛がした。

昨日食べたレトルトのパスタが原因か?それとも梨か?

よくわからんが、病院には行きたくない。

昨日習った会話というのも、所詮、初級の会話である。

医者「どうしましたか」

患者「おなかが痛いんです」

医者「いつからですか?」

患者「昨日からです」

医者「では薬を飲んで、家でゆっくり休みなさい」

この程度の会話なら、別に医者じゃなくてもできる。まったく実践的ではない。

私の知り合いの韓国人の研究者の方が、中国に留学したとき、おたふく風邪にかかってしまった。しかしその先生は、病院に行かず、「鼻うがい」で治したという。

「鼻うがい」とは、生理的食塩水を鼻から呑んで、口から出す、といううがいの方法である。日本では坂上二郎さんがたしかこの愛好者だった。

このお話を聞いてからというもの、その先生にお会いするたびに、

(この先生は、おたふく風邪を「鼻うがい」で治したんだ…)

という目でしか見られなくなってしまった。

私には「鼻うがい」をする勇気もなく、胃薬を飲んで、なんとか午後の授業に出ることにした。

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今日は、めずらしくパンジャンニムのロン・ウォンポン君が欠席である。ほか4人が欠席。7人としたこじんまりとした人数で、和やかに授業が進む。

1時間目が終わった休み時間、教室に女の子が入ってきた。

「先生、覚えてますか?」

日本語で私に話しかけてきたその子は、先週金曜日の野外学習の時、ウバンランドでお話をした中国人留学生だった。私が日本人だということを知って、中国で日本語を勉強したというその子は、自分の日本語能力を私で試そうと、必死で日本語で話しかけてきた。柳原可奈子みたいなテンションの子である。

「先生、困ったことがあったら何でも言ってください。勉強は大丈夫ですか。もしわからないところがあれば、明日、私たちと一緒に授業の復習をしましょう」

といって、連絡先を交換させられた。疑り深い私は、何か目的があるのだろうか、日本語の勉強のためなのだろうか、あるいは、よっぽど私が困っていると思っているのか、など、いろいろと頭をめぐるが、よくわからない。

さて、どうしたものか。

2時間目の「猟奇的な先生」の授業が終わりにさしかかったころ、お調子者のマ・クン君が、先生に質問した。

「ソンセンニム!韓国語には「あなた」といういい方はないのですか?」

たしかにこれまで、「you」にあたる言葉を習っていない。なかなかいい質問だ。

「猟奇的な先生」も、いい質問だ、と思ったようで、そこから韓国文化論を交えた解説が始まった。先生が非常にノって喋っているのがわかる。

私も、「へえ、なるほど」と思って聞き入ってしまった。

マ・クン君は、時々、こうしたいい質問をする。授業を進ませたくない、という気持ちからかも知れないが、そのセンスはすばらしい。

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マ・クン君は、時々、寂しげな表情をする。

多くのコメディアンがそうであるように、彼もまた、独特のペーソスを持っているのである。

2時間目の授業が終わった休憩時間。ベテランの先生は、少し早めに教室に入ってこられた。

マ・クン君はさっそく、「僕は2級に進めるでしょうか?」と先生に質問した。昨日と同じ質問である。

「今からでも遅くないから頑張りなさい。中国にいるご両親だって、心配しているでしょう。マ・クンはちゃんと勉強してるかな、コンピューターゲームばかりしていないかな、て」と先生。

マ・クン君は途端に寂しげな表情になる。「お父さんとお母さんは、僕が韓国語が上手になるまで中国に戻ってくるな、と言ってるんです」

それを聞いて、私が質問する。「じゃあ、今度のパンハク(2月8日からの約3週間の休暇)は、どうするの?」

「中国に帰らないで、ひとりで家にいます」

ほとんどの留学生が中国の故郷に帰るなか、マ・クン君は帰らないという。

さぞ寂しかろう。その期間、少しでも彼の相手をしてやろうかと思い、彼の携帯電話番号を聞こうとしたが、彼が携帯電話を持っていないことを思い出し、思いとどまる。

「お父さんはとてもこわいんです」

彼のお父さんは警察官である。いつも忙しく、ほとんど家にいない。だが、息子には厳しく、勉強ができないと鉄拳制裁を加えるという。

「ご両親はとても心配しているはずよ。だから宿題をちゃんと提出しなさい。コンピューターゲームも、1日1時間以上したらダメよ。そうすれば、2級に進めるわよ」

ベテランの先生は、母親のようにマ・クン君に語りかける。

いろいろな思いが交錯したのだろう。マ・クン君の目には、うっすらと涙が浮かんだ。

やがて休憩時間が終わり、他の留学生たちが教室のドアを開けて戻ってきた。

その瞬間、マ・クン君は、それまでのことを覆い隠すかのように、高笑いをして、中国語で何か冗談を言い始めた。

そして、いつものように授業が始まる。

相変わらず、リュ・ピン君は頓珍漢な答えをして、ベテランの先生をあきれさせている。その横で、マ・クン君が面白い突っ込みを入れる。ジャッキー・チェンにそっくりのトゥン・チネイ君は、喧嘩相手のパンジャンニムがいないせいか、今日は無駄話をせず、静かである(と思ってたら、今日の分の宿題を必死に内職していた)。

今日は、いつになく和やかである。

4時間目の授業では、「友達との待ち合わせの時の会話」を学ぶ。さまざまな設定で代わる代わる会話をする。

最後は、マ・クン君とジョウ・レイ君だった。ジョウ・レイ君が、マ・クン君に女の子を紹介するので、喫茶店で待ち合わせるという設定。ベテランの先生が、女の子の役で会話に参加する。喫茶店での会話が始まる。

マ・クン「こんにちは」

女の子「こんにちは。遅れてごめんなさい。お会いできて光栄です」

マ・クン「僕もです。どうぞ、こちらに座ってください」

まだ見ぬヨジャチングを頭に思い描きながら、マ・クン君の韓国語の会話はいつになく弾んでいる。その屈託のない顔を見ていて、なぜか私はちょっと涙が出てきた。

女の子「もう注文しましたか?」

マ・クン「まだです。待っていたんですよ。何を注文しますか?」

女の子「じゃあ、コーヒーを」

マ・クン「チョギヨー!コピ トゥ ジャン ジュセヨ!(すいませーん、コーヒー2つくださーい)」

注文するときの声は、底抜けに明るく、ほかの誰よりも大きかった。まるで、本当に喫茶店にいるかのようだった。

井上陽水は歌っている。「さまざまな気がかりが 途切れもなくついて来る」(「長い坂の絵のフレーム」)と。

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登場人物のおさらい

このブログが、もっぱら語学堂の観察日記のようになってきた。

こんな調子で書いていっていいのだろうか?疑問が生まれてきた。そろそろこのブログも、曲がり角にきているか?

とりあえず頭を整理するために、登場人物をおさらいしておこう。

「猟奇的な先生」前半の文法担当。色白の美人。性格はかなりきつい。というか、性格が悪い。学生たちに恐れられている。夫と4歳の息子との3人暮らし。

ベテランの先生…後半の会話担当。面倒見がよくて優しい。よく喋る。学生たちのどんなくだらない話にも耳を傾ける。学生たちの信頼が厚い。高校生の娘がいる。

ロン・ウォンポン君…わが班のパンジャンニム(班長殿)。吉林省出身。1年も韓国にいるので、韓国語は上手だが、なぜかまだ1級にいる。人の良さが災いしているか。ヨジャチング(ガールフレンド)がいる。

パオ・ハイチェン君…内モンゴル出身。大柄だが、「猟奇的な先生」からは「アギ」(ベイビー)と呼ばれている。おとなしくてまじめ。韓国語もよくできる。料理が得意。私がひそかに信頼を寄せている人物である。

リュ・ピン君…河南省出身。わが班でおそらくいちばん精神年齢が幼い。授業中は、ヨジャチングのことを考えてボーッとしているか、隣のパオ・ハイチェン君にちょっかいを出している。宿題を授業中にやろうとしていつも先生に怒られる。ヨジャチングがしばしば教室に押しかけてきて、一緒に授業を受けることがある。

チャオ・ルーさん…河南省出身。わが班で唯一の女性。最近、韓国の大学の入学が許可されてから、手のひらを返したように授業に出てこない。ナンジャチング(ボーイフレンド)といつも一緒に行動している。

マ・クン君…寧夏出身。お調子者。授業中によく鼻歌を歌う。歌が上手く、ギャグも冴えている芸達者。ヨジャチングがおらず、ヨジャチングが欲しいと強く願っている。たまに下手にひとりで行動して、痛い目にあっている。本当は友達があんまりいないんじゃないのか?

リ・ミン君…いつも寝てばかりいる。

リ・チン君…山東省出身。かなりの男前。韓国人のヨジャチングがいたが、最近喧嘩別れした。韓国の大学に入学を許可されてから、授業に出てこない。

トゥン・チネイ君…吉林省出身。ジャッキー・チェンにそっくりのアクションスターばりのいでたちだが、意外と打たれ弱い。同郷のロン・ウォンポン君とは喧嘩ばかりしている。

トゥン・シギ君…トゥン・チネイ君といつも一緒に行動している。ヨジャチングがいる。

ジョウ・レイ君…西安市出身。トゥン・チネイ君といつも一緒に行動している。おしゃれでかわいらしいが、韓国語の発音は滅茶苦茶である。

リ・ヤン君…内モンゴル出身。一見、オタク風のまじめな青年だが、授業にほとんど出てこない問題児。そのため、1年も韓国にいて、現在5回目の1級の授業を受けている。だが、この3月に韓国の大学の入学することになった。最近、「猟奇的な先生」から破門の宣告を受けた。

ヨジャチングがいるのは、確認できるだけで、ロン・ウォンポン君、リュ・ピン君、トゥン・シギ君、ジョウ・レイ君の4人。トゥン・チネイ君は中国にヨジャチングがいるという。それにしても、まじめで誠実なパオ・ハイチェン君や、面白くて飽きないマ・クン君にヨジャチングがおらず、まったく頼りなさそうなリュ・ピン君やトゥン・シギ君にヨジャチングがいる、というのだから、世の中わからない。私の方が、人を見る目がないのだろうか。それに、ヨジャチングの方が、いずれも上級クラスにいる、というのもご愛敬である。

「ソンセンニム!わが班はみんな、2級に上がれますか?」

今日、お調子者のマ・クン君が先生に聞いた。「わからないわ」と先生は答えた。

私の見たところ、パオ・ハイチェン君、ロン・ウォンポン君、トゥン・チネイ君は、たぶん大丈夫だろう。あとの人たちは…これからの頑張りに期待したい。

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マジでキレ出す5秒前

12月に語学の授業を受け始めてから、心に決めていたことがあった。

それは、「授業時間である、午後1時から5時までの4時間は、学生の立場を貫こう」ということである。

当たり前といえば当たり前のことであるが、年齢が倍も離れた他の留学生たちと同じ立場に立ち、どんなことでも受け入れよう、と誓ったのである。

だから、先生に言われた課題も忠実にやるし、別にこの年齢になって参加する必要もないような野外学習にも参加した。バカバカしいと思う遊園地にも行ったのも、そうした誓いがあったからである。

実は、野外学習があった金曜日、ソウルで学会があって、それに誘われていた。くだらない野外授業なんか休んで、1日早くソウルに入って、その学会に出ることも可能だった。でも、「すいません。語学の授業があるので行けません」といって断ってしまった。遊園地に行くので、とは、口が裂けても言えないのだが。

それもこれも、自分にとっていまいちばん大事なのは、語学の勉強であり、語学の授業を最優先にしたいという思いがあったからである。

しかし、その誓いも、揺らぎつつある。

相変わらず、後半のベテランの先生での授業での、学級崩壊がいちじるしい。

3月からの大学入学が決まったリ・チン君、チャオ・ルーさん、リ・ヤン君は、手のひらを返したように、授業に出てこない。彼らからすれば、入学予定の大学から、ビザの延長が保証されたため、もうこちらの語学学校に用はない、ということなのだろう。

それ以外の人たちは、相変わらず、勉強する気もなく、とにかく授業時間の4時間を、どう乗り切るか、ということだけを考えている。先生の話なんか聞かず、延々と中国語で喋っている。

いちばん問題なのは、精神年齢がいちばん幼いリュ・ピン君である。4時間目の授業が終わりに近づくと、足で床をバタバタと踏みならして、「早く終われ」という態度をとる。

そして、今日の4時間目も中盤にさしかかったころのことである。リュ・ピン君は教室の入口の方を見て、そわそわしはじめた。

「ソンセンニム!」

例によって、先生にお願いするときの大きな声である。

「僕のヨジャチング(ガールフレンド)が、教室の外に来ています。一緒に勉強してもいいですか?」

この前と同じパターンである。

ベテランの先生がちょっと考えあぐねていると、

「ソンセンニム!ヨジャチングは、ソンセンニムのことが大好きなんです!」

お前はどうしてそういうときだけ韓国語が流暢なんだ?

前回と同じく、先生も仕方なく許可を出す。「静かにしていないとダメよ」

ヨジャチングは、待ってましたとばかりに、教室に入ってきた。

「アンニョンハセヨ」

だから言わんこっちゃない。前に一度認めてしまったものだから、これからも許されるだろうと思って、外で待っていたのである。もうこうなったら、今後も際限なく、こんなことが続くことになるであろう。ちょいとした、「ユスリ・タカリ」である。

しかも驚いたことに、パンと飲み物を持って入ってきた。

そして、リュ・ピン君の隣に座り、ふたりはパンを食べ、飲み物を飲み始めた。

喫茶店か?!ここは!

ふつふつと沸き起こる怒りをおさえるために、目を閉じて、「我慢我慢」と自分に言い聞かせる。

しかし、いつか、「学生としての自分」と「教育者としての自分」のバランスが、崩れる時が来るかも知れない。

その時は、カンニング竹山の「キレ芸」のごとく、怒り狂うかもしれない。

今はただ、「こんな劣悪な学習環境の中で耐えられれば、これからはどんな環境の中でも勉強はできる!」と、自分に言い聞かせるしかない。

ん?これって、自分にとっての「デルス・ウザーラ」ってことか?

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国際学術大会

1月16日(金)夜8時半、ソウル駅到着。

ソウル駅には、昨年8月に一度お会いしたパクさんが出迎えに来てくれた。

パクさんは、日本に留学した経験があるので、日本語がよくできる。それで、私を迎えに行く担当者となったのだろう。

ソウル駅から、地下鉄とタクシーを乗り継いで、ホテルに向かう。その間、韓国語で会話をする。

「本当に韓国語が上手になりましたねえ」

上手なはずはないのだが、昨年8月の時点で、韓国語がまったく話せなかった私を知っているパクさんは、「その時からすれば」という意味でおっしゃったのだろう。

1月17日(土)

翌朝、とある大学主催の国際学術大会に参加する。

午前の部の最後で発表。最初の挨拶だけ韓国語でして、本論は日本語文を読み上げた。

発表のあと、討論者によるコメントがあった。討論者である恐そうな大御所の先生から、「歴史の研究がこんなにも面白いものか、ということを発表を聞いて感じました」と、過分のほめ言葉をいただいた。おそらくお世辞だろう。

いずれは、韓国語で発表し、討論できるようになりたい。

夕方の懇親会は、2次会と続き、夜12時まで、時間を忘れていろいろなお話をする。

1月18日(日)

午前中、国際学術大会の会場になった大学の大学院生の方たちの案内で、日本から来た発表者のみなさんと、景福宮、古宮博物館、民俗博物館を見学する。古宮博物館は初めて入ったが、かなり面白い。じっくり見てしまったため、時間内にすべてを見ることはできなかった。

昨日の宴会で知り合った大学院生の方たちと一緒に展示を見学する。大学院生の方たちは、いい方ばかりだ。偉い先生と違って、気兼ねなくお話しすることができる。こういう人たちと会話していけば、韓国語も上達するだろうな、と思う。

仁寺洞で昼食の後、みなさんと別れる。別れ際に大学院生の方たちが、

「2月に大邱で行われる学会に参加するつもりです」

と言ってくれた。

「そうですか。じゃあ、2月に大邱でお会いしましょう」

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遊園地とキョスニム

1月16日(金)、はじめての野外授業。

朝8:00、大学集合。

だが、これまでの経験からして、中国人留学生たちが時間通りに集合するとは思えない。

予想通り、8時までに来たのは、わが班では私、パンジャンニム、そして問題児のリ・ヤン君の3人だけだった。

リ・ヤン君は、ふだん授業に出てこないのに、こういう時だけ早起きする。

案の定、「猟奇的な先生」がキレる。

「リ・ヤン!授業に出ないのに何で野外授業には来るの?今すぐバスから降りなさい!」

結局は降りなかったが。

その後、何人かが遅れて来た。なんだかんだで8:40に出発。わが班で欠席したのは、お調子者のマ・クン君、ジャッキー・チェンにそっくりのトゥン・チネイ君、男前のリ・チン君の3人。

語学学校に通っている500人が、12台のバスに分乗する。そのほとんどが中国人留学生である。

9時半、トンファサ(桐華寺)に到着。

Photo

「猟奇的な先生」が500人の学生を整列させる(一段高いところに立っている右側の方)。

500

そして、見よ。この行列!

トウファサでは、ベテランの先生について行きながら、説明を聞く。

ベテランの先生は、優しい先生なので、学生にも人気がある。いたるところで、「一緒に写真を撮ってください!」と学生がやってくる。

見学途中、「猟奇的な先生」とすれ違う。

「お!キョスニム(教授様)、カルチョジュセヨ(この寺について教えてください)」

と「悪い顔」で話しかけてきた。「あんた、大学の歴史の先生なら、この寺の歴史を韓国語で私に説明してみなさいよ」というニュアンスである。

なんか、自分のバイト先のスーパーにやってきた母親が、自分に向かって「店員さん、今日は何がおすすめなの?」と聞いているような感じで、超ムカツク(たとえがわかりにくいか?)。

しどろもどろで、その場を退散。

トンファサの見学が終わり、昼食会場へ。といっても普通の食堂である。500人が無理矢理詰め込まれ、大混乱のうちに昼食が終了。

バスに乗ろうとすると、バンジャンニムがヨジャチング(ガールフレンド)を連れてやって来て、「一緒に写真を撮りましょう」と言う。3人で写真を撮る。

午後、ウバンランドに到着。

ここでひとつ問題があった。

実は明日の国際学会参加のため、ひとりウバンランドを早めに出て、夕方のKTXでソウルに行かなければならない。そのための背広とか、資料とか、本といった荷物も、一緒に持ってきていた。しかし、もうバスには戻らないので、バスに置いておくわけにはいかない。といって、これらの荷物を持ったまま、ウバンランドの中を移動するわけにもいかない。

語学堂をとりしきっているパク先生に相談すると、「ウバンランドの入口のところにある事務室に荷物を預けましょう」と、手配してくれる。

Photo_2

入口の横に、事務室があった。

「キョスニム(教授様)!荷物はこちらに預けます。キョスニム!」3_2 

パク先生が大きな声で「キョスニム」と連呼するものだから、こちらも恥ずかしくなる。

ウバンランドで「キョスニム」はないだろう。しかも私は教授ではないし。

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中に入ると、完全な遊園地である。

つまらなそうにしている私を、ベテランの先生が気にかけてくださり、語学の先生のグループ(4人)にまぜてもらう。まあ、先生といっても、ベテランの先生以外は、私よりはるかに年下なんだけど。

その中には、「猟奇的な先生」は含まれていない。おそらく「派閥」が違うのだろう。女性ばかりの語学の先生の間には、きっといろいろな確執や対立があり、派閥が形成されているのではないだろうか?日ごろのくせで、つい組織の人間関係について思いをめぐらせてしまう。

つまらないと思いつつも、ウォータースライダーだの、バンパーカーだの、回る飛行機だの、といった、ゆるーい乗り物に乗って遊ぶ。意外と楽しい。

Photo_4

最後は、人工雪の坂をソリですべる。

そして出発の時間になった。ヘトヘトになりながら、「お先に失礼します」といって、出口を出て、事務室に荷物を取りに行った。

「キョスニム!荷物はこちらです」

だから遊園地で「キョスニム」というのはやめてくれよ!

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作文という憂鬱

週に1,2回、「スギ(書くこと)」の宿題が出る。いわゆる作文である。

300字から330字で、あるテーマについて書いてこなければいけない。今まで出されたお題は、「友達について」「韓国でやりたいこと」「家族について」「韓国の市場について」「趣味について」等々。

いずれも、私にはつらいテーマばかりである。「友達」なんて、ほとんどいないし、ましてや今の語学のクラスの中にも友達は1人もいない。だから、「私には友達がいない」という悲しい書き出しで、作文をはじめなければいけなくなる。「家族」にしたって、私は親不孝者だし、「趣味」といわれても、無趣味の私には、書きようがない。

しかしそれはそれ。多少なりとも人生経験はあるから、どんなテーマでも、それなりのことは書ける。それに、中学の時に、作文コンクールで佳作をとっているし

当然、他の中国人留学生たちよりも、それなりの作文が書けるわけである。そうなると先生は、(この人は書きたいことがたくさんあるのだな)と勘違いされるようで、「字数にこだわらずに書きたいだけ書きなさい」と、私にだけ、原稿用紙1枚のところを2枚、お渡しになる。「別に書きたいわけじゃないんです」と言いたいのをぐっとこらえて、それを受け取る羽目になる。

一昨日のテーマは、「旅行に行きたい国」であった。私は韓国のいろいろな場所について、調べたことや、行きたい理由などを作文に書いて提出した。

そして今日、授業時間にその作文が返却される。そして「みなさーん。自分の作文を、みんなの前で読んでくださいーい」とベテランの先生がおっしゃる。

私が自分の作文を読み上げると、先生はおっしゃった。

「ところどころ細かいところで間違いがあるけど、大変よく書けてますね。…中学生レベルですね」

以前いわれたのが、「小学校3,4年生レベル」だったから、それから比べたらかなりの進歩ではないか?

なんか「アルジャーノンに花束を」みたいだ。

つづいて、わが班で精神年齢がいちばん幼いと思われるリュ・ピン君が自分の作文を読み上げる。

「僕は、フランスに旅行がしたいです。フランスでは、エッフェル塔と凱旋門に行きたいです。フランス料理も食べたいです。僕はフランス料理が大好きです。僕は、フランスに旅行がしたいです。フランスでは、エッフェル塔と凱旋門に行きたいです。フランス料理も食べたいです。僕はフランス料理が…」

ん?まてよ。いま同じこと2回言わなかったか?

どうも、330字の字数を埋めるために、同じ文をくり返し書くという戦法をとっているようだ。

これにはベテランの先生もあきれる。「そんなことでは韓国語はいつまでたっても上達しませんよ!」

とにかく、うちの中国人留学生たちは、ベテランの先生に甘えまくっている。「猟奇的な先生」が恐いことの反動である。

明日は「野外授業」、つまり遠足である。わが班は、2班、3班の人たちと一緒に、1号車のバスに乗るという。

「ソンセンニム!1号車の先生は誰ですか?」

「キム先生(「猟奇的な先生」)ですよ」

一同、ええ~!という表情になる。

「先生!先生が1号車に乗ってください!」と、学生たちはベテランの先生に懇願する。

「ダメですよ。決まったことなんですから」

「ええ、じゃあ僕行きたくありません!だって面白くないもん!」ふだんは寝てばっかりのリ・ミン君も、このときばかりはめずらしく主張する。

「そんなこと言うもんじゃありません!」

みんなよっぽど「猟奇的な先生」が恐いんだな。

それにしても、このやりとりは、まるで小学生がわがままを言っているようにしか聞こえない。しかもそれをいちばん強く主張しているのが、ジャッキー・チェンにそっくりのトゥン・チネイ君なのだから、なおさら可笑しい。

さて、明日の「野外授業」はどんなことになるか?

明日は朝8時に集合。午前中にトンファサ(桐華寺)を見学して、午後に「ウバンランド」(遊園地)で遊ぶ。そして夕方に解散。私はその足でKTXに乗り、ソウルへ行く。そして次の日の土曜日は、国際学会で発表だ。

この落差は何だろう。

そうそう、その前に、今日出された作文の宿題を片付けておかなくてはならない。

お題は「私の将来の夢」。これまた、おじさん泣かせのテーマである。

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インクを飲んだマ・クン君

1月13日(火)、4年生は、みんな無事卒業論文を提出したようだ。

しかし、私にはまだ大仕事が残っていた。

ベテランの先生の思いつきで、「旅行に行きたい国の紹介をしてくださーい。写真と解説付きで」という課題を、水曜日の授業で発表しなければならない。そのための写真や解説文を作る作業がある。

ふだんはだらしないくせに、こういうときだけ凝りだすのが悪いくせである。昨日、午前4時までかかって、写真を選び、韓国語で解説文を作った。

そして今日、1月13日(水)。

案の定、まじめにやってきたのは私だけ。

授業中に、用意した写真や解説文を、色画用紙に貼りつけて、完成させる。他の中国人留学生たちは、先生の用意した写真と解説文を、適当に貼りつけたり書き写したりしている。

私は、パンジャンニム(班長殿)のロン・ウォンポン君と組んで作業をはじめる。といっても、私が用意した写真と解説文を、色画用紙に貼りつけてもらうだけなのだが。

Photo_2 作業中のパンジャンニム。

パンジャンニムは気の毒だ。私が気合いを入れて用意した写真や解説文を、私にレイアウトを指示されながら黙々と作業している。他の人たちは遊んでいるのに。

そして、作業中、「アー!」と大きな悲鳴が聞こえた。

なにごとかと思ってみると、お調子者のマ・クン君が、マーカーの黒インクを飲んでしまったようだ。

Dsc09702 インクを飲んだマ・クン君。

いったいどんなことをしたら、インクを飲むような状況になるのだろう?理解に苦しむ。

なぜか、子どものころに読んだ有島武郎の「碁石を呑んだ八っちゃん」を思い出した。

大騒ぎの末、作業が終了。

つづいて、グループごとに、韓国語で発表をする。

Photo_3 完成した「韓国観光案内」。我ながら力作である。

できあがった資料をもとに、パンジャンニムと私が即興で対話しながら、解説する。

(左側で見切れているのが私)

かなり力を入れて作ったためか、ベテランの先生も、(何もそこまでしなくてもいいのに…)という感じで、少し引き気味だった。一呼吸おいてから、「チョンマル チャレッソヨ」(本当によくできました)と、締めくくった。

このあと、パンジャンニムと、携帯電話番号の交換。中国人留学生と、初めて携帯電話番号を交換する。これって、友達として認めてもらったってことか?

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ひまわりの種

どのくらい伝わっているのかはわからないが、「猟奇的な先生」は本当にこわい。

ご自身でも、「自分は性格が悪い」とおっしゃっている。その通りである。

プライベートでは、絶対に友達になりたくないタイプである。

今日も、授業中よそ見していた学生の財布を取り上げた。

しかし、中国人留学生たちのあの態度を考えたら、それぐらいの厳しさは仕方がないかな、とも思う。

だがそのことを差し引いたとしても、そもそも「性根」がこわいのである。

その、「猟奇的な先生」に昨日見はなされた、問題児のリ・ヤン君が、今日も、後半のベテランの先生の授業にのみあらわれた。

「リ・ヤン。前半の授業に出てなかったの?」とベテランの先生。

「はい、昨日、キム先生に、『あんたなんか私の学生じゃない』と言われまして…」

バッカじゃなかろうか、と思う。「あんたなんか私の学生じゃない」と言われて、「ああそうですか」と引き下がるやつがどこにいる?

落語の世界だって、師匠に

「お前は破門だ!」

と言われて、弟子が

「ハイ、わかりました」

と言うやつがいるか?そんな時は、師匠に土下座して、

「師匠、もう一度私にチャンスを下さい!」

と言うだろう。

それでも先生がわからんちんだったら、こちらから見切りをつけるなり、語学院の院長先生に訴えるなりすればよいのだ。

自分の勉強の機会が失われていることに対して、何の危機意識も持っていないのだろうか。

まあ、リ・ヤン君に落語の喩えで説教してもわかるはずもないのだが。

それに、相変わらず、授業中にずっと左隣のジョウ・レイ君と中国語で私語しているのだから、何を言っても変わらないだろう。

そんな中、私の中での株が上がっているのが、お調子者のマ・クン君である。

昨日、マ・クン君は、服とズボンと靴を買おうと、ひとりで市内の市場に出かけた。

タクシーの運転手に行き先を告げるのだが、発音が悪いので、何度言ってもわかってくれない。

押し問答の末、韓国語の上手な友達に携帯電話で電話して、運転手に、携帯電話越しに友達から行き先を告げてもらい、ようやく運転手も納得。

やっとのことで市内の市場に到着。そこで、とても気に入った靴を見つけた。

どうしても欲しかったので、靴を買ったら、服とズボンを買うお金がなくなってしまったという。

「いくらで買ったの?」と先生が聞くと、

「45万ウォン(約45,000円)です」と答えた。

これには先生もびっくり。「学生が買うのに、そんな高い靴なんてないわよ。絶対騙されているわよ」

「でも、僕は韓国語がよくわからないので…」

「外国人だからって、ぼったくられたのね。そういうときはまけてもらうように交渉するのよ。それが難しかったら、韓国人の友達と一緒に行きなさい」

マ・クン君も、ようやく自分が騙されていたことに気づいたようだ。しかし貧乏学生の分際で45,000円の靴とは、恐れ入る。

先生はこうもおっしゃった。

「靴だけ買って、服は買わなかったの?せっかく新しい靴を買ったって、着る服がなかったら、ダメじゃないの」

まるで、ビートたけし氏の「浅草キッド」という歌に出てくる、

「同じ背広をはじめて買って

 同じ形の蝶タイ作り

 同じ靴まで買う金はなく

 いつも笑いのネタにした」

を地でいく行為だ。

そんなマ・クン君が、休憩時間にポケットから何か出して、私にくれた。

「ひまわりの種」である。

日本ではあまり食べる機会はないが、中国の人たちは、ひまわりの種をよく食べるという。

「これ、どうしたの?」

「韓国では、売っていないのです。だから、中国からプモニム(両親)が送ってくれたんです」

といいながら、ポケットからさらに大量のひまわりの種を出す。

中国の両親が、わが子のために送ってくれた、ひまわりの種。ありがたくいただく。

ポリポリと食べながら思った。でも仕送りしたお金で息子が45,000円の靴を買った、という話をご両親が知ったら、どう思うだろうか、と。

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めんどうな課題

いろいろと細かいトラブルが起こる。

日本であれば簡単に解決するようなことでも、こちらにいてはなかなかそうはいかない。

それでも、語学の授業は今日も容赦なくやってくる。

今日は、問題児のリ・ヤン君が久しぶりに教室にやってきた。いつもの身なりで。

リ・ヤン君は、3月から韓国の大学に入学することが許可されたらしい。あんな語学力と生活態度で大丈夫か?と思ってしまうのだが。

しかし、「猟奇的な先生」はご立腹である。

「リ・ヤン!先週はなぜ学校に来なかったの!」

「風邪をひいてました」

「じゃあ、先々週は?」

リ・ヤン君は答えにつまった。

「休むときはなんで先生に電話しないの?学校を休むときは、これこれの理由で今日は休みます、と、先生に連絡するのが当然でしょう。先生は、リ・ヤンが休んだ理由がずっとわからないままだったのよ。もう私はあなたの先生ではありません。あなたは私の学生ではありません。今すぐ、カバンを持って出ていきなさい!」

リ・ヤン君は、黙りこくっている。

「さあ、早く出ていきなさい」

リ・ヤン君は、見た目が不良っぽいわけでは決してない。むしろ、一見まじめそうな感じである。しかし、彼は相手をカチンとこさせる才能を持っている。私もリ・ヤン君のダメ人間ぶりには、さすがにあきれていた。私が「先生」の立場であっても、同じことを言ったであろう。同情の余地はなかった。

だが、なかなか彼は教室を出ていこうとはしない。やがて、「猟奇的な先生」の怒りが本気であることに気がついたのか、カバンをゆっくりと持って、教室を出ていった。

すごいと思ったのは、一見、感情的とも思える「猟奇的な先生」の啖呵は、実はわれわれにもわかるような言葉ばかりを使っている。それでいて、相手に反省をせまる力がある(もっとも中国人留学生たちは、その場だけ反省して、すぐに忘れてしまうのであるが)。さすが言葉のプロだ、とヘンに感心した。

後半のベテランの先生の授業のときに、リ・ヤン君は教室に戻ってきた。

「猟奇的な先生」とは対照的に、ベテランの先生は、すべてを受け入れる、という優しさがある。

それが、結果的には学級崩壊につながってしまうのであるが、留学生たちが、韓国語でどんなにくだらない、幼いことを言っても、耳を貸すのである。

前半と後半で、バランスがとれている、というべきか。あまりに両極端だが。

だが、ときにベテランの先生は、面倒な課題を出すことがある。

「みなさーん。旅行に行きたい国はどこですか?今度の水曜日に、みなさんが旅行に行きたい国を、紹介してもらいます。行きたい国の写真や、紹介文を用意して、もってきてください」

どうも、模造紙のような大きな紙に、写真だの紹介文だのを貼って、それをみんなに見せながら行きたい国の観光スポットを紹介する、というプレゼンをやらないといけないらしい。

むかし、小学校の時に、自由研究を模造紙にで書いて発表したみたいなことを、やる、というのである。

しかも、水曜日、というと明後日ではないか。ずいぶんと急な話だ。

これから、行きたい国の名所の写真をインターネットなどから見つけて、それをプリントアウトして、韓国語で紹介文を書かなければならない。

ずいぶんめんどうな課題だ。

しかも、不惑の年を迎えた人間がやるようなことか?

ああ、気が重い。

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彷徨

どうも韓国の路線バスとは相性が悪い。

韓国の路線バスは、すべて番号で表示されている。だから何番のバスが、どこを通り、どこに向かうのかを、あらかじめ知っていなければならない。

バス停には時刻表もない。だからとりあえずバス停で待っているしかない。

ここまでは、まだよい。

バス停でボーッとしていると、自分が乗りたいと思っていた番号のバスがバス停に止まらずに通り過ぎてしまうことがよくある。

あるいは、バスに乗っていて、「次降ります」のボタンを押しても、ボーッとしているとそのバス停に止まらず、通り過ぎてしまうことがよくある。

つまり、ボーッとしていてはいけないのだ。「乗りたい」「降りたい」という意思表示を運転手に示さないといけない。乗りたいバスが停留所に来たときは、バスに轢かれる覚悟で、バスの前に立ちはだかり、「乗りますよ!」という意思表示をしなければならない(少し大げさか)。また、次のバス停で降りたい場合は、「次降ります」のボタンを押したあと、バスの降車ドア付近に待機して、「降りますよ!」という意思表示をしなければならないのである。

停留所にバスが来て、お金や「交通カード」(プリペイドカード)を出そうとグズグズしていると、「早く乗れ」と、運転手に怒られる。

道路が渋滞しているときなどは、停留所の100メートル手前くらいの、道の真ん中でバスの降車ドアが開き、「ここで降りろ」といわれる。

もう何度も経験していることなのだが、いまだに慣れない。

今日の午後、家にばかりいても仕方がないので、外へ出ることにした。授業で、両先生がよく話題に出す「市民運動場」に行ってみようと思った。

「市民運動場は、大学から車で10分くらいだから、一度行ってみたらいいですよ」と先生。

地図で調べてみると、たしかに家からそれほど遠くない。インターネットで調べてみると、どうも家の近くを通る「循環2-1」番のバスに乗れば、着くようなことが書いてある。

さっそく、家の近くから「循環2-1」番バスに乗る。

しかしこのバスは、自分が思っていた方角とは、どんどん違う方角へ走ってゆく。「市民運動場」とは、反対の方角に走ってゆくのである。

おかしい。インターネットの情報を間違って読んでしまったかな。でも「循環」とあるから、そのうちひと回りして家の近くを通るだろう。

だが、バスは、しだいに市内をはずれ、どんどん寂しい場所を走っていく。

もう30分以上たっただろうか。乗客も私1人。

やがて、町もとぎれ、原野の真ん中でバスが止まった。

バスが何台も駐車している。どうやら、バスの車庫のようだ。

(なんだ、「循環」といいながら、循環しないのかよ)

と思っていると、運転手が「早く降りろ」と言う。

「市民運動場に行きたかったんですけどね」

「市民運動場?そんなとこ止まんないよ!」

「じゃあ何番のバスに乗ればいいんですか?」

と聞くと、623番と書いてあるバスをさして、「あのバスに乗れ」と言う。

今度は623番のバスのところに行って、休んでいる運転手に聞くと、

「市民運動場?このバスはそんなとこ行かないよ。それにここはバス乗り場じゃないんだ。早く出ていきな」

「バス停はどこにあるんですか?」

「あっちだよ」といって、適当な方向を指さす。

仕方がないので、バスが通ってきた道をトボトボ歩いて戻って、なんとかバス停を見つけた。

(こうなったら、意地でも市民運動場に行くぞ)

と思うが、もうバスはこりごりだ。いったん自分の家の近くまで戻り、そこからタクシーで向かった。するとあっという間に着いた。

(ここが市民運動場か…)

とくに運動するわけでもなく、場所だけ確認して、ひきあげることにする。

このままではなんとなく気持ちがおさまらず、大邱駅の近くの本屋で、本を大人買いして家に戻った。

いったい、今日の午後は何だったんだろう。結局、この貴重な休日も、棒にふって終わり。

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招かれざる客

日本では、今日から3連休のようだが、こちらは、今日(土曜日)も授業がある。

1月1日が休日だったため、振り替えで授業が行われるのである。

つまり今週は週6日授業があった。

そして、月曜日からまた授業が始まる。

しかし、来週は、授業が実質4日。来週の金曜日は、「野外授業」である。

教室ではなく、外へ出て授業をする。早い話が、「遠足」である。

午前中は大邱の郊外のトンファサ(桐華寺)を見学し、午後は、大邱市内の「ウバンランド」というところに行くという。

トンファサは、1200年以上前の新羅時代に建立されたとされる由緒あるお寺。この機会に連れて行ってくれるなら、とても嬉しい。

しかし、午後に行く「ウバンランド」というのが、よくわからない。

「猟奇的な先生」に聞くと、「東京ディズニーランドみたいなところよ」とお答えになる。

ベテランの先生に聞くと、「長崎ハウステンボスみたいなところよ」とお答えになる。

一体どっちなんだ?

両先生とも、ご自身が日本に旅行した際に訪れた場所を比喩に説明されるので、よくわからない。

あとでインターネットで調べてみると、どうも「仙台ハイランド遊園地」とか、山形の「リナ・ワールド」のような遊園地、といった方が正しいようだ。

いずれにしても、この年齢になって遊園地に行くというのは、かなりキビしい。しかも、ひとっつも心を開くことができない中国人留学生と一緒というのも、かなり憂鬱である。

お調子者のマ・クン君が先生に質問する。

「ソンセンニム!トンファサに、尼さんはいますか?」

まったく、どこまでも「ヨジャ(女性)」が好きなマ・クン君である。

「マ・クン君は、お寺で何をお祈りするの?」という先生の質問に、両手を合わせて、静かに瞑想しながら、「ヨジャ・チングがたくさんできますように。あとトン(お金)がたくさん儲かりますように」と答える。

煩悩のかたまりである。

「ヨジャ」といえば、3時間目のベテランの先生の授業の時に、クラスでいちばん幼いリュ・ピン君が突然、「ソンセンニム!」と手を挙げた。

問題をあてられたときは、蚊の鳴くような声で答えるくせに、先生に何かお願いするときだけは、大きい声を出す。

「ソンセンニム!次の4時間目に、僕のヨジャ・チング(ガールフレンド)も一緒に授業を受けてもいいですか?」

これにはあきれた。ここはお前の家じゃないんだぞ。デートだったら外でやれ。

先生は、少し考えておっしゃる。

「うーん。…いいわ。ただし、中国語でお話ししてはダメよ」

おいおい、許しちゃったよ。「猟奇的な先生」だったら、決して許さなかっただろうに。一体どういうつもりなんだろう。

4時間目、「アンニョンハセヨ」とリュ・ピン君のヨジャ・チングが教室に入ってきた。

(ヨジャ・チングもよく平気で入ってこられるな…)

4時間目の授業は、「特別ゲスト」をまじえて、通常通りの授業が進む。

まったく、何でもアリかよ。この教室は。

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2日遅れの「ハッピーバースデー」

あいかわらず、うちのクラスは落ち着きがない。

その原因を考えると、お調子者のマ・クン君よりも、ジャッキー・チェンにそっくりのトゥン・チネイ君にあることがわかってきた。

彼は、やたら中国語の私語が多い。いろんな人に話しかけるものだから、みんなもつい、授業中に話してしまう。まあ、話に乗る方も悪いのだが。

「猟奇的な先生」も、そのことをよくご存じのようだ。虫の居所が悪かったのか、今日はトゥン・チネイ君をやり玉にあげた。

「トゥン・チネイ!机をもって、前に来なさい!」

「先生、もう中国語で話しませんから…」

「ダメです。前に来なさい!」

トゥン・チネイ君は、机をもって、教壇の真ん前に座らされた。みんながコの字型に座っているのに、1人だけ、ホワイトボードの真っ正面に、先生と向かい合って、座らされたのである。

これが彼にとって相当の屈辱だったようだ。

授業中も下をうつ向いたまま。先生の質問にも、答えようとしない。すっかりと、いじけてしまったのである。

(見た目はアクションスターみたいなのに、こいつ、意外と打たれ弱いな…)

前半の「猟奇的な先生」の授業では、ちょっとした私語も厳禁である。先生の虫の居所が悪ければ、それがお説教に発展する。

「あんたたち、何で韓国語ができないかわかる?」

そら、お説教が始まった。

すると今度は、私に向かって「猟奇的な先生」が質問をする。

「この子たち、頭が悪いからかしら?」

「いいえ、違います」

と私が答える。

「そう、あんたたちは頭が悪いわけじゃないのよ。授業中に、先生の話をきかずに、他のことを考えてるからよ。私の学生時代の友達に、国語の時間に英語の内職をしていて、英語の時間に歴史の内職をしていた人がいたの。一生懸命勉強していたのに、成績が悪かった。なぜだかわかる?…授業をちゃんと聞いていなかったからよ」

以下、延々と歯切れのよいお説教が続く。私の言いたかったことでもあり、スカッとするが、彼らは、すぐに忘れてしまうだろう。

お説教が終わったころ、また、「猟奇的な先生」の携帯電話が鳴った。

「おかしいわね。カバンに入れておいたはずなのに…。何でポケットに入っていたのかしら」

「ジュセヨ」と再び私が手を出す。今度ばかりは観念して、携帯電話を私に渡した。

しかしほどなくして休憩時間。没収した時間はわずか数十秒だった。

後半の対話の授業。ここから、彼らの学級崩壊が始まる

今日は、「誕生日に招待されたとき」の表現を学ぶ。ベテランの先生が「みなさんのなかで、最近誕生日を迎えた人はいますか?」と聞く。

仕方がないので、私が、「クジョッケ(おととい)が誕生日でした」と答える。

「あら、じゃあ、誰か家に招待しましたか?」

と聞かれるので、

「いいえ、1人で家にいました」

と答えた。

どうも、誕生日には、友達を招待して、パーティーをしなければならないらしい。

中国では、誕生日に「長寿麺」なる麺を食べるそうだ。韓国では、わかめスープを食べる。いずれも、長寿を願ってのことだろう。

日本には、そういう風習があるのかわからない。というか、誕生日なんて、ここ数年、いつも1人で過ごしていたから、特別な感慨など、すっかりなくなってしまっていたのである。ケーキすら食べていない。

先生が私を憐れんだのか、「みんなで『ハッピーバースデー』の歌を歌いましょう」とおっしゃった。「ハッピーバースデー」のメロディーに、韓国語の歌詞が乗る。

「センイル チュッカ ハムニダ

センイル チュッカ ハムニダ

サランハヌン  ○○○

センイル チュッカ ハムニダ」

「センイル チュッカ ハムニダ」とは、「誕生日おめでとう」という意味。

これで、今年の誕生日行事はおしまい。

再び、学級崩壊の授業に戻った。

「猟奇的な先生」のお説教は全く効果がなかった。相変わらず、中国語で私語している。

授業が終わったあと、ベテランの先生は私におっしゃった。

「うちの班の子たち、うるさいでしょう。勉強は大丈夫?」

本当は全然大丈夫ではないのだが、「大丈夫です」と答える。

「他の班もこんな感じなんでしょうか?」

「いえ、全然違うわよ。他の班は静かにしてるわよ。うるさいのはこの班だけよ」

ええ?!他の班もこんな感じなのだろう、とあきらめていたのに、こんな学級崩壊みたいな班は、うちだけだったのか!とんでもない班に入ってしまったものだ。

「ごくせん」のクラスみたいなものか(といっても「ごくせん」をほとんど見たことがないので想像だが)

あるいは、「はいすくーる落書」のクラスみたいなものか(たとえが古いか?)

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授業とスカイプと宿題と

このところ、1日があっという間に終わる。

理由は、スカイプによる卒論指導をしているからだが、これが意外と時間がかかる。

夕方、授業から戻って、夕食を作って食べて、メールで送られてきた原稿を読んで、赤を入れて返送して、スカイプで直接お話しして、…これを複数くり返していくと、あっという間に夜12時をまわってしまう。

それから、宿題をやって、パダスギ(書き取りテスト)の対策をやって、このブログを書いて、となると、夜中の3時過ぎまでかかる、ということになる。

だったら、こんなくだらないブログなんか律儀に書いてるんじゃないよ、と誰かに怒られそうだが、これはこれで、老後の楽しみで書いてるんだ。読者が10人くらいしかいなくったって、「そんなの関係ねえ!」(←いま流行っているギャグらしい)

誤解のないようにいっておくが、スカイプによる卒論指導は、決してイヤイヤやっているわけではない。例によって、頼まれもしないのにこちらが勝手に言い始めたことなのである。そもそも、私が途中でいなくなってしまったことが悪いのだ。

でも、メールとスカイプを駆使した卒論指導をやって、本当によかったと思う。こんな言い方をすると4年生に怒られるかも知れないが、もしやっていなかったら…と思うと、ゾッとする。

私としては、スカイプとメールで、例年と変わらない水準の卒論が提出できることを証明したかったのだ。実際、そのことは、4年生たちの努力で証明されるだろう。

あと少しだ。頑張ろう。

今日は午前中、スカイプによる卒論指導をしたあと、韓国での指導教授であるチュ先生のところに行った。チュ先生は、大学で重職についておられるので、なかなかお会いすることができなかったのだが、今日、ようやく、妻が日本から買ってきたおみやげを手渡すことができた。

その足で、昼食をご一緒する。

構内の食堂かと思いきや、どんどん歩いていき、大学の外の食堂に入る。

すると、そこには、昼食がすでに用意されていた。

このへんがよくわからない。私は突然先生のところに訪問したので、今日、昼食をご一緒することは予定になかったのだが、知らないままについていくと、そこにはすでに数人の同僚の方がおいでになっていた。

もともと同僚の方と昼食をとる予定だったところに、私がまぜてもらったということか?よくわからない。

1時から語学の授業があるので、私だけあわただしく昼食を済ませ、「お先に失礼いたします」といって、中座する。そして20分歩いて、語学堂の教室に到着した。

いつもの通りの授業。一つ違ったのは、授業中、「猟奇的な先生」の携帯電話が鳴ったことだ。

いつも、留学生たちには「携帯電話の電源は切っておくように」と厳しくおっしゃっていた先生の電話が鳴ったのである。

これには「猟奇的な先生」もうろたえた。

私はすぐさま片手を差し出し、「ジュセヨ(ください)」と言った。いつも先生が留学生たちに対してやっていることだ。

だが、「猟奇的な先生」は、ポケットに携帯電話をしまい込み、「知らぬ存ぜぬ」を決め込んだ。そして「夫からだわ。私が授業をやっていること知らなかったのかしら」となにくわぬ顔でつぶやいた。

何事もなかったかのように授業が再開。

まったく、どこまでも、暴君である。

後半の対話の授業では、相変わらず、小学校の学級崩壊のように中国人留学生たちが好き勝手に騒いでいる。落ち着いて授業なんて受けられやしない。

もう勘弁してほしい。

気を取り直して、さあ、これから宿題だ。

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誕生日の初舞台

1月7日(水)

昨日恐れていた「試練」は、なんとか回避できた。なのでこの話はおしまい。

今日の文法の授業(「猟奇的な先生」)では、「何が好きですか?」「何が得意ですか?」という表現を学ぶ。

スポーツでは何が好きですか?という質問に、本当は好きなスポーツなんてないのだが、「相撲と水泳」と答えた。考えてみれば、両方とも裸のスポーツだ。嫌いなスポーツはなんですか?の質問に、「ゴルフです」と答える。こっちは、本当。

続いて、「何が得意ですか?」という質問。何のとりえもない私にとって、これほどつらい質問はない。私の前に、お調子者のマ・クン君が「ノレ(歌)」と答えていたのにならって、私も「ノレ」と答えた。

これがいけなかった。

つづく「会話」の授業で、ベテランの先生が、授業のはじめにこんなことを言った。

「今日は時間があるので…、マ・クン君、1曲歌ってください!」

まるで、文法の授業であったことを知っているかのような展開だ。どうも、「猟奇的な先生」と「ベテランの先生」は、情報交換をしているようだ。

マ・クン君は、愛嬌のある顔に加え、芸達者である。将来はお笑い芸人になればいいのに、と思うくらい、天賦の才がある。

そのマ・クン君が、教壇に立って、みんなの前で中国の流行歌(ポップス?)を歌いはじめた。マ・クン君の歌のうまさは、他の中国人留学生たちの間でも定評がある。さすがはマ・クン君である。

マ・クン君の歌を堪能したあと、ベテランの先生が授業をはじめようとすると、歌い終わったマ・クン君が「ソンセンニム(先生)!」と叫んだ。

「ソンセンニム!アジョッシも歌が得意だそうです!」

アジョッシとは、私のことである。

他の人たちも、それを聞いて拍手している。

じ、冗談じゃない。昼の日中っから、教室で歌など歌えるか!

マ・クン君の提案を聞いたベテランの先生が、私を見ておっしゃる。

「ヘボセヨ(歌いなさい)…ヨロブン、パクス!(みなさん、拍手!)」

「のどが痛いから」と言い訳をいっても、もう逃れられない状況になった。

文法の授業のとき、「ノレ」と答えていなければ…と後悔する。

だが仕方がないので席を立って、教壇にたつ。

「すいません。…マイク、ありますか?」

ホワイトボード用のマーカーをマイク代わりに、日本の歌を歌う。

歌った歌は、「いとしのエリー」。

別にそんなに思い入れのある歌ではないのに、カラオケのレパートリーというわけでもないのに、なぜかこの歌を歌ってしまった。

自分でもなぜこの歌にしたのかわからないが、日本の「ロック演歌」の最高峰だ、という意識があったからだろう。

でも、うろ覚えなので、めちゃくちゃな歌詞で歌う。

サビの部分を歌っているとき、ふと頭によぎった。

「そういえば、今日は、俺の40歳の誕生日だった…」

40歳の誕生日に、俺は何をしているんだろう。

韓国の教室で、昼の日中っから、若い中国人留学生たちの前で、むちゃくちゃな歌詞で「いとしのエリー」を歌う、とは。しかもアカペラで。鼻声で。

なんとも情けなくなってきた。

歌い終わって、まばらな拍手をもらったあと、ベテランの先生が「この歌は日本で有名な歌なのですか?」と聞いたので、「はい、日本人なら誰でも知っています。タイトルは『いとしのエリー』です」と答えた。

中国人留学生たちは、「いとしのエリー、いとしのエリー」と、歌のタイトルを覚えようと、何度も口にしていた。

それにしても、中国人留学生たちもかわいそうだ。

鼻声で、音程のはずれた、むちゃくちゃな歌詞の「いとしのエリー」を、日本の有名な歌だ、と言われて聞かされたのだから。

これから中国では、間違った「いとしのエリー」が歌われるようになるかも知れない。

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本当の中間考査

昨日の「宿題未提出事件」は、結局のところ、何も進展がなかった。おとがめなし、ということか。

男前のリ・チン君と、チャオ・ルーさんは、今度の3月から、韓国の大学での入学を許可されたようだ。

そのせいか、リ・チン君は、このところまったく授業に顔を出さない。というか、語学学校の1級コース程度の実力で韓国の大学に入学して、ついて行けるのか?と人ごとながら心配になる。

授業がいつもの感じで終わったあと、私はユン先生の研究室に訪れた。

ユン先生は、私の留学に尽力していただいた先生である。ビザの取得、寄宿舎の手配、語学学校の世話など、非常に迅速にいろいろなことをしていただいた。

ご自身も20代の頃に中国に留学経験があり、「その国の学問をするにはまず語学が必要である」という強い信念を持っておられる。いまの大学の語学堂も、ユン先生が制度を立ち上げたとうかがった。

だから私にも、語学の勉強を強く勧められたのである。

今日は、妻が日本からもってきたおみやげを渡すため、ユン先生の研究室を訪ねた。

まるで面接のような緊張感である。ユン先生と、韓国語で話をしなければならない。これまでは、通訳をしてくれる人がいたが、1対1でお話しするのは初めてである。しかも、語学には厳しい先生なだけに、これまで勉強してきた成果が試されるのである。

先生も、わかりやすい言葉で話しかけていただく。こちらのたどたどしい言葉も、辛抱強く聞いてくださる。おかげで、なんとか会話が成立した。

「韓国語がとても上手になりましたね」と、先生はおっしゃってくださった。

自分ではまったく自覚していなかったが、思い返せば、大きな進歩であった。

昨年の8月に韓国の学会でユン先生にお会いしたときは、韓国語で全くお話しすることができなかった。留学をはじめた1カ月前の時点でも、ほとんどコミュニケーションがとれなかった。

それが、こうして、不十分とはいえ、コミュニケーションをとることができたのである。私よりも、むしろユン先生のほうが、感慨深かったのではないか、と不遜なことを考える。

これが、私にとっての、本当の中間考査だったのかも知れない。

いろいろな人に迷惑をかけながらも、留学をさせていただいてよかったのだ、と、多少感慨にひたりながら、研究室をあとにした。

が、しかし。

自惚れてはいけない。まだ、韓国語の能力が小学生レベルであることを忘れてはいけない。

このあと、さらなる試練が待ち受けているのであるが…。

(この話、つづく、かもしれない)

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中国人留学生たちの反乱(?)

昨日の深夜に、テレビをつけたら映画「マルチュク青春通り」をやっていたので、少しだけだが、つい見てしまった。

クォン・サンウが、ハン・ガインと雨の中で出会うシーン。ノスタルジーを感じる名シーンだと思う。なんといっても、ハン・ガインが可愛らしい。

妻はこの映画を見て、「クォン・サンウは、爆笑問題の大田さんに似ている」と思ったという。なるほど、と思う。だが、この発言はクォン・サンウのファンを敵にまわすであろう。

そんなわけで、昨日は夜更かしをしてしまい、朝は遅く起きてしまった。

語学の授業では、毎日宿題が出る。すでに1学期分の「宿題表」が配られていて、その宿題表を見ながら、その日の宿題をこなしていく。

授業の最初に、先生に「ノートは2冊用意しなさい」と言われた。1日目の宿題を書いた1冊目のノートを2日目の授業の時に提出する。そして今度は、2日目の宿題を2冊目のノートに書いて、3日目の授業の時に提出する。と同時に、1日目の宿題を書いた1冊目のノートが、先生のチェックを受けて、3日目に返される。3日目の宿題は、帰ってきた1冊目のノートに書いて、4日目に提出する。すると、2日目に書いて3日目に提出した2冊目のノートが戻ってくるので、4日目の宿題は2冊目に書いて5日目に提出する、という具合である。

かくして、エンドレスで宿題を提出することができるわけである。

宿題のノートは、毎日、授業の始まる前か、1時間目の休み時間くらいに、わが班のパンジャンニン(班長殿)であるロン・ウォンポン君が集めることになっている。

ところが今日は、2時間目の授業が終わっても、宿題のノートを集めた形跡がない。

不思議に思って、2時間目の休憩時間に、まじめなパオ・ハイチェン君に聞いてみた。

「今日の宿題のノートはもう集めてしまったの?」

「宿題?宿題はありませんでしたよ」

おかしい。宿題表には、たしかに前回(金曜日)の宿題についての記述がある。

休憩時間が終わる頃、パンジャンニンや、他の留学生が教室に戻ってきた。

今度はパンジャンニンに聞くと、なにやら答えにくそうにしている。

すると、横からジャッキー・チェンにそっくりのトゥン・チネイ君が答えた。

「たしかに宿題はあったんですが、うちの班の連中は全員宿題をやっていないのです。だから、今日は提出しないことにしたのです」

どうもそういうことを言っているように聞こえる。

ええ?!それって、「赤信号、みんなで渡ればこわくない」ということ?ビートたけし氏のこの名言は、日本人の行動様式を皮肉ったものだと思っていたが、さにあらず。アジア的思考様式ということなのか?

ということで、パンジャンニンは、私のノートを受け取ってくれなかった。

一体どうなっているんだろう。私は騙されているのか?それとも、本当に彼らは、みんなでしめしあわせて出さなかったのだろうか。

明日、どんなことになるのだろう。

どうも彼らの考えていることがよくわからない。1カ月たつが、まだ彼らとは、友達になれないのである。

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テレビが壊れた夜

妻が日本へ帰った。

思えば、12月23日に妻が韓国に来てから、私はずっと風邪をひいていた。せっかくのクリスマス休暇の25日には風邪で寝込んでいたし、1月1日の休日も、咳がひどく、市内を散歩して映画を見たくらいだった。

韓国でのクリスマスも正月も、それらしいことは何一つしなかったのである。

1月3日には中間考査があったので、その勉強にも追われた。「一体、なんのために韓国に来たのか…」と妻は思っているに違いない。

中間考査が終わってほっとしたのもつかの間、その日の夜、中古で買ったテレビが突然壊れた。

妻が韓国に来た翌日、新しい部屋に何がなくともテレビを置かなくては、と思い、町の中古電気屋さんを探して、テレビを買った。

そのテレビが、わずか1週間でうつらなくなってしまったのである。

「一難去ってまた一難」とはこのことだ。夜9時、買った中古屋に文句を言いに行こう、ということになり、寒いなか町へ出る。しかし、(当然ながら)店は閉まっていた。

途方に暮れた私たちは、日ごろお世話になっている大学院生のウさんにメールを送った。ウさんは、翌日の午前中に来てくれるという。

そして今日(日曜日)の朝9時半、ウさんと一緒に、テレビを買った中古屋に行く。ウさんが交渉してくれたおかげで、若干のお金を返してもらって、故障したテレビを返品した。

午前11時、妻はバスに乗って釜山空港へ出発。残されたウさんと私は、新しいテレビを買いに家電量販店に行った。

無事、新品のテレビを購入。「海外では電化製品は中古で買わない方がよい」という教訓をかみしめた。

考えてみれば、私は、妻や、ウさんがいなければ、韓国でまともに生活することができない。私の中に、サバイバルの能力なんて、これっぽっちもないのだ。

たぶん、甘やかされて育ったからであろう。

そんな人間が、よく韓国に1人で留学しようと思ったものだ。

ウさんと昼食をとっているとき、ウさんは冗談交じりでこう言った。

「奥さんは、onigawaraさんのどんなところがいいと思って結婚したんでしょうねえ」

奥さんは、結婚を早まったのではないか、というのである。たしかにそうだ。優柔不断で、臆病で、こんなとりえのない人間のどこがいいのか。ウさんは私たちのことをよく観察している。

「私にもわかりませんねえ」と答えるしかなかった。

しかし、テレビが壊れたことは、決して悪いことばかりではなかった。

テレビが見られないかわりに、昨日の夜はパソコンで、「그놈 목소리(クノム モクソリ)」(あいつの声)(2007年)という映画を見た。

韓国で実際に起こった誘拐事件をもとに、誘拐された子どもの両親の苦悩を描いた映画。

ソル・ギョングの演技がすばらしい。

以前、「オアシス」(2002年)という映画を見たときも、言葉を失うくらい圧倒された。ソル・ギョングはいい。

そして、いまいちばん見たいのが、「オアシス」と同じ監督による「박하사탕 (パカサタン)」(邦題・ペパーミント・キャンディ)(2000年)である。ソル・ギョングの出世作。

ウさんも、「この映画を見れば韓国のたどってきた道がわかる」と絶賛。

少し気持ちが落ち着いたら、この映画を見ることにしよう。

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中間考査

中間考査は、次のような時間割で行われた。

9:00~10:00  문법 (文法)

10:10~11:00 읽이 (読解)

11:10~12:20 쓰기 (作文)

12:30~13:10 듣기 (リスニング)

14:00~     말하기 (対話)

朝から1日、ずっと試験なのである。こんな経験は久しぶりだ。

他のクラスの人も一緒に大教室で試験を受けるのだが、不思議だったのは、1つの教室に、たとえば1級の学生だけがいるのではなくて、2級とか3級とか、他の級の人々もいることである。1級1班の人が縦1列に座り、その隣に3級1班の人が縦1列に座る、という具合である。当然、1列ごとに、異なった問題用紙を配布することになる。そして、1級の別の班の人は、違う教室で受験する。

一つの教室で、同じ級の人だけを集めた方が、問題用紙や解答用紙を複数種類配布する、という面倒な作業をしなくてもすむはずなのに、なぜ、こんな面倒なことをするのだろう。

おそらく、カンニングを防止するためではないだろうか。前にも書いたように、数多くいる中国人留学生は、ともに教え合う、という習慣が身についているようである。つまり、カンニングに対するハードルが低いのである。それを防止するための策なのだろう。

もう一つ、日本と違うのは、問題用紙に誤字や落丁、乱丁が目立つことである。だから配られたら、落丁や乱丁がないか、よく確かめなければならない。

文法の時間、問題用紙の問い掛け文に、明らかな誤りがあったので、手をあげて質問したのだが、「その通りよ」と言われ、試験監督はとくに訂正しようとはされなかった。

日本だったら、問題用紙に誤りがあれば、まず板書して、全員に周知するだろうに。

リスニングの試験の問題用紙には乱丁があった。そのことに気がついたのが、試験が始まってだいぶたってからのことだった。ノンストップのテープを必死で聞きながら、用紙に解答を書いていくと、途中で解答番号が飛んでいることに気づいた。よく見ると、2頁の次に4頁がきている。

つまり、1頁→2頁→4頁→3頁の順で綴じられていたのである。

そのことでこちらがパニックになっていると、他の人たちも動揺しだした。どうも全員の問題用紙がそうなっていたらしい。それに気がついた試験監督の先生は、あわてて「3頁を開きなさい!」と叫ぶ。そんなこと、試験の最初に言っておけよ。というか、問題用紙を綴じる段階で誰も気づかなかったのかよ!

どうも教員の虫が疼いてしまって、アラさがしばかりして試験に集中できない。

試験に集中できないのには、もう一つ理由がある。リスニングの時間にあの「猟奇的な先生」が試験監督をなさった。先生は、設問のテープが流れている間も、「リュ・ピン!キョロキョロしない!」とか、「マ・クン!問題用紙をちゃんと見なさい!」とか、怒鳴りまくるのである。これではうるさいし不愉快で、リスニングに集中できないのだ。

さらに極めつけは、試験時間が終了し、筆記用具を置いたときだ。

「両手を頭の上にのせなさい!」

と「猟奇的な先生」は叫んだ。「試験が終了したので、筆記用具を持たずに机の上に置きなさい」という意味で、おっしゃったのだと思うが、私には、FBIの捜査官が犯人を追い詰めたときに叫ぶセリフのようにしか聞こえない。

(またもや犯人扱いかよ…)

と、これまた不愉快な気分になる。

午前中の試験が終了。昼食とコーヒーでなんとか気分をリセットした。

午後は、学生1人1人が先生と面接して、10分程度の対話の試験をする。午後2時から始まるが、私の順番は一番最後なので、3時50分に演習室に入室することになっていた。面接の先生は、「猟奇的な先生」ではなく、別の先生なので安心だ。

前日、先生から「対話の試験は3階の演習室を使って行いますから、順番を待つ人は、3階ではなく2階で待機していなさい」と聞いていた。

私はそのことを守って、2階でおとなしく待っていた。

しかし、中国人留学生たちの多くは、3階の演習室前の廊下のところでたむろしている。

(昨日あれだけ言われたのに、こんなことをしていたら絶対怒られるぞ)

と思いつつ静かにしていると、案の定、3階から、「猟奇的な先生」の大きな怒鳴り声が聞こえてきた。

「早く階段を下りなさい!ここは何階だと思っているの!早く降りなさい!あなたたち、ここが何階だかわからないの!」

この怒鳴り声が何度か繰り返されたのち、ついには、

「2階ではなくて、全員1階に降りなさい!」

と至上命令が下る。私もとばっちりを受けて、1階へ降りた。

1階に集められた数十人の中国人留学生たち(と私)を見下ろすように、「猟奇的な先生」は階段の数段上のところからお説教をはじめた。

「あんたたち、昨日の授業で、先生が言っていたことを聞いていなかったの?3階で待ってろって誰が言った?オゥ?3階であんたたちが騒いでいると、試験をしている先生は、チング(友達)の答えていることを聞き取れる?聞き取れない?オゥ?どっちよ!」

「アントゥロヨ(聞き取れないと思います)」と、留学生たちが口を揃えて言った。

「あんたたちのせいで、あんたたちの友達が試験を落としたらどうなると思ってるの?オゥ?いいですか。試験が終わった人はすぐに家に帰りなさい。これから試験の人は、時間になったら3階にあがりなさい!しかも友達とではなく、1人でよ!わかった?」

ここまで、凄い剣幕である。他にも何人も先生がいらっしゃったのだが、他の先生の出番がまったくないほど、まくしたてている。

まるで「ごくせん」の主人公のようである(といっても、「ごくせん」の原作もドラマもほとんど見たことがないので、例えが間違っているかも知れない)。

「私は、こいつらと戦わなければならない」という思いに満ちあふれたお説教である。

例によって私は、

(また巻き込まれたのかよ。勘弁してくれよ…)

と思いつつ、私の中である確信が生まれてきた。

それは、「『猟奇的な先生』こそが、この語学堂を支配しているのだ」という確信である。

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チュゴッソヨ

「猟奇的な先生」は、授業中に「チュゴッソヨ」という言葉を好んでお使いになる。

「チュゴッソヨ」とは、「死にました」という意味である。

たとえば、「リュ・ピン君!もし今度の試験を落としたら、チュゴッソヨ」

といった感じでお使いになるのである。

この使い方が正しいのかはよくわからないが、あえて日本語に訳せば、

「お前はもう死んでいる」

といったところか。

そして「チュゴッソヨ」(お前はもう死んでいる)という言葉を言うとき、必ず手刀で首を切る動作をする。

そこまではわかるのだが、そのあと、左腕を前に伸ばし、右手の親指と人差し指で、左腕の肘あたり(の服)をつまみ上げる動作をするのである。

つまり、「チュゴッソヨ」と言いながら、手刀で首を切る動作と、左腕を前に伸ばして、右手で肘のあたり(の服)をつまみ上げる動作を、セットでやるのである。

言葉ではなかなか絵が浮かびにくいかも知れないが、後半の動作の意味がよくわからない。

妻は「皮をはぐわよ」という意味ではないか、という説を出したが、真相はよくわからない。

今日の授業でも、全然違う文脈で「チュゴッソヨ」という言葉が出た。

韓国の地下鉄の話になったとき、

「地下鉄といえばね、以前ソウルで、おばさんがホームにたっていたら、頭のおかしなおじさんが後ろからおばさんを突き落として、おばさんが地下鉄にひかれて『チュゴッソヨ』。だからみなさんも気をつけてね」

この場合の「チュゴッソヨ」は、「お前はもう死んでいる」という意味ではなく、文字通り「死にました」の意味である。

それにしても、「地下鉄といえば…」という話で、なんでこんなおそろしい話をいちばんに思い出すのだろう。

「チュゴッソヨ」という言葉を言いたいだけちゃうんか?とダウンタウン浜田のような突っ込みをしたくなる。かえすがえすもおそろしい人だ。

ということで、新年一発目にふさわしくない話でありました。

明日は朝から夕方まで中間試験だ。「チュゴッソヨ」といわれないように頑張らないと。

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