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セヘ ポク マニ パドゥセヨ

「セヘ ポク マニ パドゥセヨ」

「新年あけましておめでとうございます」という意味である。直訳すると、「新年の福をたくさん受け取ってください」となる。

1月26日(月)。ソルラル(旧正月)の今日は、大学院生のウさんのご実家におじゃまして、韓国の正月行事を体験することになった。

先週の金曜日、語学の授業が終わってから、大邱最大の市場、ソムンシジャン(西門市場)に、ハンボク(韓服)を買いに行った。10万ウォンを、5000ウォンだけまけてもらって、95000ウォン也。

Photo_3 ハンボクといっても、韓国の時代劇でよくみるような伝統的韓服(チョゴリ)ではない。現代風に改良したケリョンハンボク(改良韓服)である。伝統的な韓服は、価格が1桁違う。

これが、ソムンシジャンで買ったケリョンハンボク(改良韓服)。

「当日は、みんなハンボクを着ていますから、ハンボクを着てきてください」とウさん。

「ほかに何か持って行くものはありますか?」と聞くと、先祖にお供えする「キョンジュポプチュ」というお酒と、子どもたちにあげるお年玉として、5000ウォンの商品券を5枚ほど用意しておいてください」といわれる。

そして今日、お昼頃に待ち合わせて、市内から車で30分くらいのご実家に向かう。同じ大邱市とはいえ、山深い村里の中に、そのご実家はあった。

すでに、20名くらいの親族がお集まりになっている。突然の日本人の訪問に、ビックリした様子である。

しかも、見るとハンボクを着ているのは、私だけ。ほかの男性はみな背広である。あと、小さい女の子が、かわいらしいハンボクを着て、ふてくされたような表情をしている。

(ひとりだけというのは、ちょっと恥ずかしいな…)と思うまもなく、祖先祭祀の準備が始まる。

Photo_4 食べ物を神前に供えたあと、拝礼が始まる。私も参加させてもらう。

まず、全員が拝礼。次に、ひとりひとりが、祖先にお酒をお供えして、拝礼する。そして最後に、また全員で拝礼する。拝礼するのは、成人男子のみ。この間、女性たちは、台所で食事の準備をしている。

先祖への拝礼が終わると、今度は全員が、世代が一番上のハルモニ(ウさんのオモニム)に拝礼をする。続いて、その下の世代に対して、子どもたちの世代が拝礼をする。

拝礼が終わると、大人たちは、子どもたちにお年玉をあげる。

私も、5000ウォン(約500円)の商品券を子どもたちに渡した。

Photo_5 拝礼が終わると、食事が始まる。

先ほどお供えしたもののほかに、雑煮も出された。

大人たちはいろいろと話をしているが、この間、子どもたちは、所在なさげな表情である。もらったお年玉を数えたりもしている。

その様子を見ていて、思い出した。私も子どもの頃は、正月の親戚の集まりが鬱陶しかった、ということを。

子どものころ、正月の親戚の集まりの楽しみは、お年玉だけで、あとは鬱陶しいばかりであった。たまに、酒の入った親戚のおじさんに説教されたりしたことも思い出す。この、なんとも言えない感覚は私だけだろうか?

ともかく、その頃のことを思い出し、自分もなんとなくいたたまれない気持ちになってしまったのである。テンションが下がる一方である。

Photo_6 食事が終わり、今度はゲームが始まった。「ユンノリ」という遊びである。4本の木の棒を、さいころのように振って、コマを進める。双六のようなものである。韓国の正月に親戚が集まると、どこでも行われるという。

2つのチームに分かれ、対戦を行うが、どうもルールがよくわからない。言われるがままに、4本の棒を振って、わけもわからないうちに対戦が終了。この対戦が、数回くり返された。

負けたチームは、ひとりひとりから1000ウォンが没収される。

子どもたちからもお金が没収される。だから、せっかくもらったお年玉のうちから、1000ウォンを払わなければならなくなる。なんとも非情なルールだ。

私も1度負けたので、1000ウォンを没収された。

そういえば、没収されたお金は、どうなったのだろう。

ゲームが一通り終わると、今度は、大人たちによる家族会議。なにか、今後の一族のあり方について議論をしているようだ。

2 所在なさげにしていると、ウさんのいとこの大学生が、一緒に「ユンノリ」をしましょう、と誘ってくれた。

今度は2人で対戦。5回勝負で2勝3敗。1000ウォンを支払おうとしたが、「いいですよ」といわれる。

しかしこの対戦のおかげで、「ユンノリ」のルールを完全に把握することができた。

夕方5時過ぎ、ウさんが、今度は奥さんのご実家に行くというので、オモニムとお別れする。別れ際に、自家製の豆腐と、キムチと、そしてご実家でとれたリンゴを山ほどいただいた。

「オモニム、健康でいてください」といって、お別れした。

帰りの車中で、「今日は大変だったでしょう」とウさん。

ウさんは、私が人づきあいが苦手であることをよく知っている。

「いえ、楽しかったです」と答えた。

実際、楽しかったのである。

しかし、どうも大勢の人がいる場というのは、いまだに慣れない。気の利いたことをいうこともできないのである。これは日本であろうと韓国であろうと同じであった。

たぶん、この性格はずっと変わらないだろう。

鬱な気持ちで、2009年のソルラルが終わった。

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