ワークショップ
2月19日(木)
私が通っている大学の大学院生のみなさんと、1泊2日のワークショップ(合宿)に出かける。場所は、江原道のカンヌン(江陵)という町である。
朝9時に大学に集合。大学院生だけかと思ったら、教授先生や、OBの方(研究者)もいらっしゃっていた。総勢22名が、5台の車に分乗して出発する。
それにしても4時間の行程は長い。私の乗った車は、一見恐そうな50歳くらいの先生の運転である(のちに、先生ではなく、大学院生であることが判明する)。
その恐そうな方が、私に気を遣ったのか、話しかけてきた。
「『ブルーライト・ヨコハマ』、知ってますか?」
ええ、と答えると、
「歌っていた女性は何という名前でしたか?」
突然の質問にとまどうが、なんとか思い出し、
「いしだあゆみです」
と答えた。どうもその方は、その歌がひどくお気に入りらしい。
「そうそう、そうでしたね。その方は、もう結構なお年でしょう」
「ええ、今はたぶん、60歳くらいだと思います」
初対面の方とお話しすると、実はこういう質問が結構多い。たとえば、日本のマンガやドラマや映画の話なども、そうである。そのたびに、私もその話題に必死になってついていかなければならない。まさに、「いしだあゆみ」から「崖の上のポニョ」まで、である。
世代的にまったく異なるが、「ブルーライト・ヨコハマ」を知っていてよかった。自分が「芸能通」であったことが、これほど役立ったことはない。
午後2時過ぎに、江陵の「船橋荘」(ソンギョジャン)というところに到着。名前だけ聞くと、船橋にある2階建ての木造アパートみたいな名前だが、さにあらず。朝鮮時代後期の、上流両班(ヤンバン)の広大な屋敷で、韓国の代表的な伝統的建造物として有名である。
今日はここでセミナーを行い、宿泊をするのである。
午後3時からセミナーが開始される。今回の企画者である大学院生のウさんから、さまざまな分野の教授や大学院生が集まるので、共通の議論ができるような話を、と依頼されていた。荷が重いと思いつつ、私なりに一生懸命準備した。
当日、ウさんが韓国語に翻訳してくれた文章を渡されたので、最初はこれを読みながら発表したが、あまりにたどたどしい読み方になってしまったので、「はじめに」のところまで読んで挫折して、本論以降は日本語で話すことにした。なんとも情けない話だが、やはり事前に読む練習をしておかないとダメだと実感する。
なんとか無事報告が終わり、討論に入る。討論者との応答のあと、教授先生を中心に、次々といろいろな質問が出された。
集中砲火、といった感じだが、韓国の学会ではめずらしいことではない。
討論も含め、2時間以上にわたってようやく終了。続いて、第2部の、碩士論文(日本でいう修士論文)の準備報告が始まる。
準備発表をする大学院生の方は、私からみて、きわめて優秀な方である。学部を卒業して碩士課程に進んだ後、留学の経験もあり、まだ若いながらも、堂々とした発言が頼もしい。私の発表についても、鋭い質問をしてくれた。
内容については、マニアックすぎて全然わからなかったが、よく調べていて、良い内容なのではないか、と何となく思っていた。
ところが、その後、思わぬ展開を迎える。
この発表が、教授先生方や、OBの方たちの集中砲火を浴びるのである。曰く、「内容が難しすぎてわからない」「何を明らかにしたいのかわからない」「『はじめに』の書き方が全然なっていない」「ここは専門の学会ではない。他の専門の人間もいるのだから、他の専門にもわかるような話をしなさい」等々。ほめる言葉が、一つも聞こえてこない。
非常に流暢に話していた彼の顔も、次第に曇りはじめてきた。
教授や先輩としての親心、というところなのだろうか。教育者の立場としてはわかる。しかし、それにしても、あまりにも理不尽な批判である。そもそも、碩士論文の準備発表なのだから、ある程度専門的になるのはやむを得ない。それを、自分が理解できないのを棚に上げて、自分が理解できる程度までわかりやすくしろ、というのは、ちょっと虫がいい話ではないのか?
「わかりやすい」ことも大切だが、だからといって細かな論証をすっ飛ばしてよい、というわけでもない。このへんの兼ね合いが難しいのだが、今回に関していえば、彼に同情せざるを得なかった。
彼に激励の言葉をかけることもできず、セミナーは終了。
気がつくと夜7時半をまわっている。急いで夕食会場へ移動する。
江陵はまた、海に近い町でもある。夕食には、豪華な刺身が出た。釜山に続き、刺身づいていて、何ともありがたい話である。
夕食後、再び船橋荘に戻り、2次会が始まる。焼酎をたらふく飲み、大学院生たちと語り合う。といっても、もっぱら私が聞き役に回ってしまうのだが。
そのうち、誰かが箸でリズムをとりながら、歌を歌い始めた。そして予想通り私にも「何か日本の歌を歌ってくれ」と、リクエストがきた。
仕方がないので、「ブルーライト・ヨコハマ」を、むちゃくちゃな歌詞で歌った。
ここまでは楽しかった。
やがて1人減り、2人減り、となり、最後に残ったのは、私を含めた3人。大学院生のウさんと、私より年上の、OBの方(研究者)とおぼしき人である。
今までまったくお話をしていなかったその方が、突然私に質問をはじめた。
「独島(竹島)は、韓国の領土であることが歴史的に明白なのに、なぜ日本人はそれを認めようとしないのか。それについて、あなたは研究者としてどう考えるのか?」
突然の質問にとまどう、と同時に、先ほどのセミナーで私がお話しした内容が、まったく伝わっていなかったことに、愕然とした。
私も必死で返答するが、相手はまったく理解しようとはしない。
私は、もはや言葉を失ってしまった。
気がつくと午前3時過ぎ。ウさんがいちおうその場を収めてくれて、その方と別れ、寝る部屋へと移動した。
不覚にも悔し涙を流してしまった私に、
「留学生なら誰でもぶつかる壁です」
と、ウさんが慰めてくれた。
私が目標としている先輩方も、韓国留学中に、同じ思いを経験されたのだろうか。
しかしそんなことを思い悩む間もなく、就寝。
1月20日(金)
少し長く書きすぎた。2日目はあっさりと。
あまりの寒さに、朝7時過ぎに起床。久しぶりに二日酔いで頭が痛い。
午前9時、江陵で有名な豆腐料理屋で朝食を食べた後、江陵の史跡を、地元の先生の案内で見学する。この先生がかなりのお話好きのため、極寒のなか、長時間にわたって講義を受けることになった。その内容についても言いたいことがあるが、長くなるので書かない。
途中、車の故障などもあり、午後1時30分ごろ、江陵を出発。午後3時ごろ、高速道路のサービスエリアで遅い昼食をとる。
昨日の碩士論文準備発表をした大学院生の方と同じ車だった。彼は気を遣って話しかけてくれ、2時間近く、学問的な話をすることになった。といっても、こちらの韓国語能力がかなり低いので、彼の言っていることがほとんど理解できない。それでも必死に、会話が噛み合わない不安と戦いながら、話を続けた。やはり彼の思考は明晰だ、と、韓国語がわからないながらも思う。
昨日の発表についても、激励の言葉を言ったつもりなのだが、彼に伝わっただろうか。
午後6時半過ぎに家に到着。今までにない疲れを感じ、さまざまなことを考えた2日間だった。
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