代理の先生
無事、大邱に着いた私は、いつもより少し早く、教室に到着した。
12時50分まで、別の班が授業をしていたので教室の外で待っていると、やがて授業が終わり、教室から若い女性の先生が出てきた。
すると、どこからか、中国人留学生が数人やってきて(うちの班ではない)、教室から出てきた先生に、びっくりするくらい大きな「ピザ」を渡そうとしている。宅配のピザなどでよく見る大きさのものである。
その先生は、びっくりして、「なに?どうしたの」と聞く。学生は「どうぞ食べてください」と言った。
「こんなに食べられないわよ。受け取れないわ。みんなで食べなさいよ」
どう考えても、華奢な体の先生には無理な大きさのピザである。
「いえ、僕たちはお腹がいっぱいなんです。どうか受け取ってください」
留学生たちの執拗なプレゼント攻撃に観念して、先生がピザを受け取った。
先生のことが好きなので渡したのか、それとも来るべき期末試験に向けての賄賂なのか、そのあたりはわからない。
いずれにしても、不思議な光景だった。
さて、今日は、お金を両替する時の表現を学ぶ。「日本のお金を、韓国のお金に替えてください」といった表現である。
前半の「猟奇的な先生」の授業では、途中までうまくいっていたのに、ジャッキー・チェンにそっくりのトゥン・チネイ君が、緊張がゆるんだのか、パンジャンニム(班長殿)のロン・ウォンポン君に中国語で私語してしまったために、先生の怒りをかい、ひとしきりお説教を受けるはめになる。その内容は、もう何度もここで書いていることなのでくり返さない。
なんとか気まずい雰囲気を立て直そうと、私は積極的に先生の質問に答えたり、先生に質問したりする。なんでこっちが気を遣わなければいけないのだろう。
そんなことはどうでもよい。今日は、後半の授業を担当されているベテランの先生が、別の仕事で授業をお休みした。そこで、代理の先生がいらっしゃることになった。
代理の先生が入ってくるなり、「この部屋、タバコ臭いわね。窓を開けなさい!」とおっしゃる。
うちの班の学生の多くが、タバコを吸っている。10分間の休憩時間のたびに、語学堂の建物の外に出て、みんなでタバコを吸って談笑している。だから、しばしば授業に遅れて来るのである。
今日も、先生が来ているのにもかかわらず、半分くらいの学生が教室に戻ってこない。
先生がイライラし出した。「いつもこうなの?」
「そうです」
「班長は誰ですか?」
「まだ教室に戻ってきてません」
先生があきれる。
先生も、いきなりとんでもない洗礼を受けたものだ。
ようやく、15分くらいたってみんなが揃った。
代理の先生は、この班についてどのくらい予備知識があったのだろうか。私のことを当初中国人だと思って話しかけていたところを見ると、あまり聞かされていなかったのではないか。
もちろん問題の多いクラスだということくらいはお聞きになっていただろうが、ひとりひとりの人間性についてまでは当然ながらよくわかってらっしゃらないので、ペースをつかみかねているようだった。
さて、この代理の先生は、声も大きく、表情も豊かにお話になる。小学校の先生によくいらっしゃるタイプ、というべきだろうか。まだ若くて、とても明るい先生である。
素直な学生ばかりの班であれば、とてもうまくいくのだろうが、うちのような班のような連中に通用するかどうか。
とくに先生は、学生の発音を気にされているようだった。うちの班の中国人留学生たちはかなり発音が悪いのだが、そこにこだわりだした。
トゥン・チネイ君がある単語の発音をした。だがその発音が間違いで、別の単語の発音であることを聞き逃さなかった先生は、「いまの発音だとね…」と言って、その別の単語に関する、考えられないような下ネタを話しはじめた(ここでは書けない)。
しかも、図解しながら説明しだしたのである。
「…ね?だから、発音は大事なんですよー」
大人のジョークとしてはよいかも知れないが、この班でそんな話をすると、ますます悪ふざけが始まるぞ、と思ったら、案の定、その単語を連呼して大笑いする。
この班では、そういうネタは逆効果なのだ。
先生は何度もため息をつかれる。困りはてた先生は、私の方を見て話しかけた。
「この班、大変でしょう」
「ええ、大変ですとも!毎日毎日ね!」
私も、思いの丈をぶつけた。
この後、今日習ったばかりの表現を使って、「私を別の班に替えてください!」と、よっぽど言いたかったのだが、あと3日の我慢だ、と自分に言い聞かせて、グッとこらえた。
相変わらず、連中は珍奇な発言をくり返して、代理の先生を翻弄する。
そんなことより私が気になっているのは、パンジャンニムが、宿題のノートを、2時間目の後の休み時間にも、3時間目の後の休み時間にも、みんなからいっこうに集める気配がなかった、ということであった。
以前にも書いたと思うが、毎日の宿題のノートは、授業の休憩時間中にパンジャンニムが集めて、研究室の先生の机に提出する。そして、それと入れ替わりに、昨日提出した宿題のノートを先生から受け取り、みんなに返すのである。
この学期の初め頃は、パンジャンニムが授業が始まる前にみんなから集めて、1時間目が終わった休み時間に、研究室の先生の机に提出したのであるが、次第にそれが、2時間目の休み時間になり、3時間目の休み時間になり、というように、遅くなっていったのである。
そして今日は、3時間目の後の休み時間になっても、宿題のノートを先生の机に持って行こうとしない。
理由は簡単である。昨日やるべき宿題を今日になってもやっていない学生が多く、授業中、あるいは休憩時間に宿題をしているからである。それらが終わらない限り、宿題のノートをまとめて提出することができないのである。
こちらは、(宿題ノートを早く提出して、昨日の宿題ノートを返してくれよ…)と気が気でない。
そんなこちらの心配をよそに、マ・クン君、リュ・ピン君、トゥン・チネイ君の3人は、授業と授業の間の休み時間に、平然と昨日出された宿題を書いている。
しかもリュ・ピン君は、隣のパオ・ハイチェン君のノートを奪い取って、それを見ながら速攻で丸写ししているのである。トゥン・チネイ君も、昨日の宿題で出た「私の好きな季節」という題目の作文を、ロン・ウォンポン君から奪い取って、自分の提出用紙に丸写ししている。
かくして、クローン作文ができあがる。
彼らが、期末試験の準備をしているかどうかは、推して知るべしである。
パンジャンニムが、集めた宿題ノートを提出し、昨日の宿題のノートを持ってきたのは、今日の授業が終了した後のことであった。
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