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2009年3月

「2級地獄」の恐怖

3月31日(火)

2回目となる今日の「クイズ」の出来は散々だった。

といって、誤解のないように書いておくが、昨日夜、釜山で同僚夫妻と食事をしたこととは、まったく関係がない。たとえ昨日、釜山に行かなかったとしても、結果は同じだったであろう。

昨日、同僚とその奥さんが船で釜山に到着。2泊3日の短いご旅行である。本来ならば案内しなければならないのだが、授業のためにそれができず、夕食だけをおつきあいすることにした。

アジアへの留学経験が豊富なご夫妻と話をすると、やはり面白い。あっという間に時間が過ぎた。ほとんどお役に立てなかったのが申し訳なかった。

そして今日の午前中に大邱に戻る。

どうもこのところ、語学の勉強にいきづまりを感じている。もちろん自分に原因があるのだが、情けないもので、どうしても他人のせいにしてしまう。

相変わらず私を鬱々とさせているのは、「勉強しろ勉強しろ」という、2人の先生のお言葉である。

「週末は一生懸命勉強しましたかー?」

「ちゃんと復習しないと、来学期また2級ですよー」

「今週末は中間考査がありますよー。みなさんは何をしなければいけませんかー?」

「一生懸命勉強することでーす」と、中国人留学生たちが答える。

とくに私の上にのしかかるのは、「一生懸命勉強しないと、来学期また2級をやることになりますよー」という言葉である。先学期も、「1級地獄」に怯えたものだが、今学期もまた、「勉強しないと2級地獄から出られませんよ」的なことを、授業の端々で先生に言われるのである。

どうも私には、勉強させるために、いたずらに不安をあおっているようにしか思えなくなってくるのである。極論すれば、「ミサイルが飛んでくるから、軍備を増強しましょう」という、どこかの国と同じ発想である。「教育」と言うよりも「洗脳」に近いのではないか、と、つい妙な言いがかりをつけたくなってしまう。

昔から、いたずらに不安をあおられて気持ちをせき立てられることが嫌いな私は、どうしてもこの先生の言葉に、違和感を感じてしまうのである。「頑張らないとまた2級ですよ」という脅しよりも、「頑張れば3級にいけますよ」と言われた方が、どれだけ気が楽だろう。

まあ、真に受けてこんなことを考えている時点で、先生の術中にはまっているわけだが。

「試験前には何をしますかー?」という先生の質問に「一生懸命勉強しまーす」と口を揃えて答えておきながら、その実、そこをうまくすり抜けていこうとする中国人留学生たちには、たくましさすら感じる。

ん?この調子では、オモシロがない、完全な愚痴になってしまいますな。悪いパターンに入りつつある。気分を変えよう。

道を教える、という会話練習。

ところがこれがなかなか難しい。配られたプリントに書かれた地図を見ながら、先生がおっしゃる場所まで行く道のりを、あてられた学生が口頭で説明するのだが、だんだんと混乱してくる。果ては、先生までもが混乱してきて、結局何が何だかわからなくなってきた。

次に、隣の席に座っている、愛嬌のある顔のリ・ポン君と、2人で会話練習。だがリ・ポン君は、次第に混乱してきて、もともとの赤ら顔をさらに紅潮させてくる。

「だいたい僕は、中国でも方向音痴なのに、そのうえ韓国語で説明することなんてできませんよ」

たしかにそうだ。方向音痴の人には、厳しい練習である。

最後に、大学から自分の家までの道のりを、各学生がホワイトボードを使いつつ、みんなに口頭で説明する、という練習をする。ここでも、場は混乱して、みんなが思い思いの説明の仕方をして終了。

やはり予定調和的な授業よりも、こういう、混乱のうちに終わるようなカオス的な授業の方が面白いな。適度に先生を困らせるのも悪くない。中国人留学生たちはたくましいのだ。

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サトゥリ

私が使わせてもらっている研究室は、博物館の中にあるので、防犯上の関係から、平日は夜7時くらいになると玄関が閉まってしまう。土、日は終日、鍵がかかってしまう。

午後の時間のほとんどを語学の授業にあてているため、なかなか研究室でじっくり勉強することができない。午前中とか、授業が終わった5時以降に、おもに使用することになる。

いつもはだいたい鍵が閉まる7時前には出ることにしていたのだが、ここ1,2週間は、夜9時くらいまで研究室にいた。

玄関を出ようとすると、鍵がかかっている。鍵といっても、扉の内側に閂をかける、という原始的なものなのだが、守衛さんに声をかけないと、外に出ることができない。その時、はじめて守衛さんと会話を交わすことになった。

守衛さんといっても、高齢のアジョッシ(おじさん)である。管理の都合上、博物館に毎日泊まり込んでいらっしゃるらしい。

自分の身分を説明して、これからも遅く帰ることがありますよ、と言うと、わかっていただいたようで、気安く話しかけてくれた。

ところが、この方の訛りがひどくて、何をおっしゃっているのか、よくわからない。ただ、どうやら好意的であることはたしかなようだ。

「土曜日とか日曜日も、入れてもらえますか?」と聞くと、やはり何ごとかおっしゃったが、どうも、「大丈夫だ」とおっしゃっているらしい。

大邱を含めた慶尚道は、訛り(サトゥリ)がきついところだ、と、留学前にさんざんおどかされてきた。もちろん語学学校では、標準語を教えてくれるのだが、市場などに行けば、サトゥリを聞くことができる。また、年配の職員の方の中にも、ときおりサトゥリのきつい方がおられる。

で、何度か、夜遅くまで残っていると、そのたびに、そのアジョッシに鍵を開けてもらうことになる。

「今日もよく勉強したね。夕食はまだかい?」

「ええ、これからです」

「じゃあ、早く食べないと」

「はい、ではさようなら」

といったようなニュアンスの会話をする(サトゥリがきついので、多分に推測が含まれる)。

でもまあ、守衛のアジョッシに顔を覚えてもらったので、これからは多少の融通は利くことになったわけだ。かくして、守衛のアジョッシとの不思議な交流がはじまる。

この前の金曜日、2級4班の親睦会があるため、6時過ぎに建物を出ると、守衛のアジョッシが、

「おや、今日はずいぶん早いね」

と声をかけてくれた。

「ええ、約束があるので」

「明日(土曜日)は来るのかい?」

「明日は晋州に行かなければならないので」

「あ、そう。日曜日は?」

「日曜日は来るかも知れません」

「あ、そう。こっちは土曜日でも日曜日でも大丈夫だから」

守衛のアジョッシは、そうおっしゃってくれた。

3月29日(日)。

アジョッシの言葉が気になって、何となく日曜日も研究室に行かなければならないような気がしていたのだが、ここのところ、休みがなかったので、どうも研究室に行く気がしなかった。つい市内へ出て、散歩がてら本屋に行ってしまう。本当はやらなければならないことが結構あるのだけれど。

そして、夜は、家で映画「チング」を見る。

かなり有名な映画なのだが、まだ見たことがなかった。なんといってもこの映画は、釜山を舞台にしているので、釜山訛りのセリフ回しが映画全体を覆い尽くしている、というのが特徴である。釜山サトゥリを聞きたければ、この映画を見ればよい。慶尚道サトゥリを聞き慣れているせいか、私はそれほど違和感を感じなかった。

この映画で好きなシーンは、釜山の乾魚物都売市場を、主人公の4人の高校生が駆け抜けるところ。どうも私は、映画の中でがむしゃらに走っているシーンを見るのが大好きなようだ。

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タプサ・3回目

Photo 3月28日(土)

3回目のタプサである。

今回は、慶尚南道の晋州をまわる。いつものように、朝9時に「子ども会館」に集合して、3台の車に、20名程度の参加者が分乗する。

Photo_3 2時間以上かかって、晋州に到着。龍巖寺址、杜芳寺、青谷寺、といった、車でなければ絶対に行けないような古刹をまわる。そして、壬辰倭乱の戦場ともなった晋州城と、その中にある博物館を見学。前から一度行きたかったところであるが、全部を見るには時間が足りなかった。そして途中で時間がなくなり、予定していた古墳群はカットせざるを得なかった。

Photo_4 午前中、車で走っている途中、田んぼの真ん中に大きな石が立っているのを発見。車から降りて、地元の大学の先生の説明を受ける。

いろいろ説明され、みなさんも石のまわりで興味深そうに眺めているのだが、どんな説明をされているのか、よくわからない。

近くにいた大学院生の方に、「これは何ですか?」と聞くと、「立石」です。と答えてくれた。

「何の目的で立てられたのですか?」と聞くと、

「よくわかりません」と。

結局、よくわからないらしい。

Photo_5 午後、青谷寺というところに行く。ここには、国宝に指定されている仏画の掛け軸があるという。

本堂に入って、本尊を拝むと、その後ろに仏画の掛け軸があった。

隣にいた大学院生の方が、「あれが国宝の掛け軸ですよ。18世紀に、義謙という有名な絵師が描いたそうです」と教えてくれた。

「これがそうですか」といって見てみるが、大きさも小ぶりだし、国宝というにはあまりパッとしない感じがした。

本堂を出て、境内をひとまわりしたあと、お寺の宝物館にはいる。するとそこに、3階分はあろうかという吹き抜けがあって、高さ10mほどの、大きな掛け軸がかけられていた。

感心して見入っていると、先ほどの大学院生の方がやってきて、「ごめんなさい。国宝はさっきのではなくて、こっちでした」と、訂正された。たしかにこれは国宝としてふさわしい。

みなさんも、意外とわからないことが多いようで、微笑ましい。

相変わらず、社交性のない私に、みなさんが気を遣ってくれてありがたい。語学が上達しない理由が、社交性のなさにあることは十分にわかっているのだが、なかなかそれを克服することができない。

最近の話題といえば、WBC(ワールド・ベールボール・クラシック)と、フィギュアスケートである。そのどちらにも、私はさしたる関心がないのだが、やはりスポーツの話題は、会話の重要なアイテムである。昼食のときに、WBCの話題をふられたのだが、試合を見ていなかった私は、さぐりさぐり「決勝の試合はいい試合でした」などと言ってしまう。

おそるおそるイチローの評判を聞いてみると、思ったほど悪くない。むしろ私が「イチローはどうもあまり好きではありません」というと、みなさんは意外な顔をしていた。

今日はフィギュアスケートの試合もあったようで、私は「浅田真央よりキム・ヨナの方が好きです」と言うと、ある方に「浅田真央もいいですよ。私は浅田真央が好きです」と言われる。

このちぐはぐさが面白い。でも、本来スポーツの応援とはそういうものだ。国にかかわらず、自分が好きな選手を応援するのが自然ではないか。

これまであまり関心のなかったスポーツにも、少し目を向けてみよう。そして一度、韓国のプロ野球を観戦したいものだ。

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2級4班親睦会

3月27日(金)

語学の授業の休み時間中、パンジャンニム(班長殿)のス・オンイ君が私のところにやってきて、「今日、ウリ班(私たちの班)のみんなで一緒に夕食を食べようと思うのですが、一緒にどうですか?」と誘ってくれた。

「一緒に行っていいの?」と聞くと、横にいた愛嬌のある顔のリ・ポン君が、「行きましょうよ」と言ってくれたので、ありがたく誘いを受けることにした。

授業が終わり、夕方6時半に語学堂の1階で待ち合わせる。1階の玄関のところで数人で待っていると、聞き慣れた声が聞こえてきた。

「お!みんなどうしたの?」

「猟奇的な先生」である。久々の登場である。

「ソンセンニム、アンニョンハセヨ」と、私はビビリながら挨拶する。

「リ・ポン!これは何の集まりよ」

「猟奇的な先生」は、リ・ポン君をよく知っているらしい。愛嬌のある顔だから、一度見たら忘れないのだろう。

「ウリ班のチングでこれから一緒に夕食を食べに行くんです」

「みんな同じ班なの?」

「はい」

「(担任の)先生は誘ったの?」

「いえ」

「悪い子たちね…。何班?」

「4班です」

「じゃあクォン先生の班ね。クォン先生、体が大きくて恐いでしょう」

(あんたの方がよっぽど恐かったのだが…)と喉まで出かかった。

「いいわ。クォン先生に言いつけておくから。リ・ポン!月曜日に学校に来たら、これだからね」

そう言いながら「猟奇的な先生」は、手刀で首を刎ねるまねをした。

そして颯爽と去っていく。

相変わらず、小柄で痩身だがものすごい貫禄である。私の頭の中で、ダースベーダーのテーマが鳴り響いた。

食堂に歩いていく道すがら、先学期に「猟奇的な先生」の授業を受けた、という学生たちと話をする。

「キム先生、とても恐かったでしょう」

「ええ、でも、最初は恐かったんですけど、あとになって、いい先生だ、とみんなが思うようになりました」

と、口を揃えて言った。

さすが、学生はよく見ている。

うまい言葉がみつからないが、いま思えば、「猟奇的な先生」は、学生との距離の取り方が絶妙だった。必要以上に、学生の中に入っていこうとはしない。緩急のつけ方がうまかったのである。

いま授業を受けている大柄の先生は、どちらかというと、学生の中に積極的に入ってこようとする。積極的に学生に話しかけたり、果ては、スキンシップをとろうとしたりもする。

授業と授業の間の休み時間の間も、教員室に戻らすに教室にいて、学生とコミュニケーションをとろうとなさる。学生と友達感覚で接しようとされているのである。

これが何となく息苦しくて、つい、休み時間には私の方が教室を出てしまうのだが、「猟奇的な先生」は、休み時間は必ず教室を出て、教員室に戻っていった。些細なことだが、この緩急が意外と大事なことであった。

こんなことを感じているのは私だけだろうか?いや、今日の夕食に、あのフレンドリーな先生を誘わなかったところをみると、中国人留学生たちも、同じような感覚を抱いているのではあるまいか、と、例によって妄想がふくらむ。

学生に信頼される先生とは、どんな先生なのだろう。ここで語学の授業を受けていると、そのことについて、つくづく考えさせられる。

うーむ。こんな分析をするなんて、厄介な学生だな。こんな分析をする学生がいたら、イヤだな。語学の授業を素直に受けさえすればいいことなのに、と、我ながら思う。

Photo さて、今日の夕食は、大学の近くで「安東チムタク」という、安東名物の辛い鶏料理を食べる。

全員が集まったわけではなかったが、これまでまったく話す機会のなかった人たちとも、少しずつ話すことができた。

逆に、彼らにとっても、これまで私に話しかける機会がなかったわけである。お菓子好きのル・ルさんなども、いろいろ聞きたいことがあったらしく、積極的に話しかけてくれた。習ったばかりの表現を積極的に使って喋っているところにまじめさがあらわれていて、なんとも微笑ましい。

食事のあとは、ノレバン(カラオケ)である。みんな矢継ぎ早に、中国語や韓国語の歌を歌いまくっている。

私も、「TSUNAMI」と「世界にひとつだけの花」と「昴」を歌う。

またサザンかよ!本当はサザンのファンなんじゃないか?」と言われそうだが、決してそうではない。海外では、こういうベタな歌の方がよいのである。

ちなみにあとの2曲は、日本の歌が好きな学生が、勝手に選曲したものである。

ビックリしたのは、キザなタン・シャオエイ君が、韓国語の歌を何曲も見事に歌い上げていたことであった。次第に彼のリサイタルのようになっていたので、途中で失礼することにした。

それにしても、2年も韓国にいて、韓国語の歌もあれだけ上手に歌うのに、なぜ彼はいまだに2級なのだろう。謎である。

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間違った方向の努力?

韓国の高校生は、夜遅くまで学校で勉強する、という。

先学期に授業を担当されたベテランの先生も、高校生の娘さんが毎晩夜10時まで学校で勉強している、とおっしゃっていた。

ある人に聞くと、韓国の高校では、夕方に授業が終わってから、いったん夕食を食べたあと、再び夜9時まで、自習しなければならない、という。つまり、夜9時まで、生徒たちは高校に拘束されるというのだ。夜9時以降も高校で勉強する生徒がいて、夜11時とか12時まで勉強する生徒もいるという。

語学学校で授業を受けていると、そうした勉強に対する容赦ない厳しさが、十分に想像できる。

今学期は前学期以上にスパルタである。

ちょっとでもボーッとしていると、先生がやってきて、「いま、他のこと考えていたでしょう」と詰め寄る。

私の右隣の席のチャン・ハン君は、その常習犯である。いつもボーッとしている。2人どうしの会話練習で一緒になると、あまり練習したくないらしく、私に英語と韓国語のチャンポンで話しかけてくる。だが発音が極端に悪いので、ほとんど理解できないのだが。

それに気づいた先生が近づいてきて、「いま、他の話してたでしょう。勉強しなさい」としつこくおっしゃる。

むかしから「勉強しなさい」と言われるのが死ぬほど嫌いだった私は、その言葉を聞くたびに、たとえ自分に対してではなくとも、イヤーな気持ちになる。

小学校高学年の頃、親に言われてスパルタ式の学習塾に通うことになったのだが、あまりに「勉強しろ、勉強しろ」とうるさく、ちょっとでも間違えると殴られたりしたので、泣きながらその先生を罵倒して、2日でやめることにした。それからというもの、「もう2度と塾なんか行くものか!」と思い、高校卒業まで、塾に通うことはなかった。

なんかその頃のことを思い出すのである。

(もういいじゃん。勉強する気のないやつに勉強させようとしたって仕方がないんだから。お互いの幸福のために、ボーッとさせてやれよ。落第するのは自己責任なんだし)

と思うのだが、語学の先生としては、そうはいかないらしい。ひょっとして、先生にもノルマがあるのだろうか。

それにしても、4時間、ほとんど頭を休めることなく授業に集中しなければいけないというのは、かなりこたえる。

それでいて、授業で出されるお題は、非現実的なものが多い。

昨日の「まだ見ぬガールフレンドへの妄想手紙」というのもそうだが、今日は、故郷の両親へ手紙を書く、という宿題が出される。

「みなさーん。故郷にいるご両親に手紙を書くと、ご両親もきっと喜びますよー。だから手紙を書く練習をしましょう」

と大柄の先生はおっしゃるのだが、これは明らかにおかしい。

中国や日本にいる両親に、韓国語で手紙を書く、という機会は、おそらく今後一切ないだろう。なぜなら、両親は韓国語が読めないから。書くとすれば、母国語で書くのが当然である。

では、いったい何のための練習なのだろう。ここで出された宿題が、今後役に立つことは、未来永劫にないのである。それをわかっていて、書かなければならない。

そう考えると、むなしい作業である。

いや、疑問を持ってはいけないのだ。疑問を持ってしまったら、ここで学ぶ気が一気に失せてしまう。

ひょっとして先生は、そうした疑問を抱かせないために、「他のことを考えずに勉強しろ、勉強しろ」と、洗脳するかのようにおっしゃっているのかも知れない。

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壁に向かって話すな!

3月25日(水)

午前中、私の研究室がある博物館に、学術交流を結ぶ目的で日本の某機関から2名の先生がいらっしゃったので、午前中いっぱいおつきあいする。館長先生に昼の会食も誘われたが、語学の授業があることを理由にお断りする。

韓国では、授業のために会食を断るなんて、考えられないのかも知れないが、これも性格なので仕方がない。午後の授業に出ることにする。

昨日の授業で、「韓国語をどうやって勉強しましたか」という質問をされた。

「将来、テレビのインタビューで聞かれたときに、何て答えるか、今から準備しておきなさいよ」と、「粗忽者の先生」はおっしゃるのだが、そんなことあるはずがない。

「韓国語の会話はどうやって勉強しましたか?」と先生がインタビュアーに扮して質問する。

「韓国の友達とたくさん話をしました」「市場でアジュモニ(おばさん)とたくさん話をしました」などと、中国人留学生たちの模範的な答えが続く。

次に先生は私に向かって同じ質問をした。

「韓国語の会話はどうやって勉強しましたか?」

「ホンジャソ ピョゲ マレッソヨ(ひとりで、壁に向かって話をしました)」と答えた。

すると、中国人留学生たちは大爆笑。だが、先生は、ビックリしたような顔をなさって、

「アンデヨー!(そんなことをしてはいけません!)」

と、おっしゃる。

こちらは冗談で言ったつもりだったのだが、どうやら本当にそうやっていると思われたらしい。

たしかに、客観的にみれば、1人しかいない日本人で、しかも他の学生の倍の年齢のおっさんである。1人で生活して、誰も話し相手がおらず、とうとう頭がおかしくなって、1人で壁に向かって話すようになった、と本気で思ってしまわれたのではないか。

このところ、教室でめっきりおとなしくなってしまったことも、そうした誤解に拍車をかけたものと思われる。

この答えを言ってからというもの、心なしか私に対する先生の接し方が妙にやさしくなった。それまで、人の話などゆっくり聞かなかった先生が、私の話すことを聞いてくれるようになった。

後半の大柄の先生も、「壁になんか話さないで先生に話しなさいよ~」とおっしゃる。

今ごろ教員の間では、「あいつは最近様子がおかしい」と話題になっているのかも知れない。

しかし、今日の授業も、それに負けないくらい異常である。

授業の最後に、「ヨジャチング(ガールフレンド)やナムジャチング(ボーイフレンド)に手紙を書く」という練習をする。「みなさーん。例文にならって、即興で、ヨジャチングに送る手紙を考えてくださーい」と大柄の先生。

何でそんなことにつきあわなきゃいけないんだ。

「ヨジャチングがいませーん」と、多くの中国人留学生たちが言う。

「将来のヨジャチングに手紙を書いてくださーい」

ますます意味がわからない。

先生が用意した例文は、「ロボット君」という架空の男の子が書いた、次のような手紙だった。

「愛するヨジャチングへ

今はまだヨジャチングがいませんが、未来に会うヨジャチングに話したいことがあります。

今どこにいますか?早く会いたいです。

あなたに会ったら、私のチング達を紹介したいです。

そして、プレゼントもたくさんして、一緒に旅行に行きます。

あなたはとても美しいですか?早く会えたら嬉しいです。

それでは、私に会うときまで、元気に過ごしてください。

さようなら」

うぅーっ…。なんかキモチワルイ。

「ではロボット君にならって、みなさんも、即興でヨジャチングへの手紙を考えてくださーい」

できるか!そんなもん。

こうした即興には強いはずの中国人留学生たちも、さすがにこればかりはどうしていいかわからないようだった。

「壁に向かって話すおっさん」より、「ロボット君」の方がよっぽど重症なのではないだろうか。

こんなことなら、昼の会食に参加すればよかったか?

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妄想

先月行われたワークショップのときの集合写真が送られてきた。

その写真を見ると、2日目の午前中、野外で私たちに長時間の講義をしていただいた地元の大学の先生が、携帯電話を耳にあて、横を向いておられる。

それを見て思いだした。たしか、集合写真を撮るためにみんなが並んで、

「ハイ、撮りますよー。いいですかー」

と、撮影者がまさに言おうとしたとき、私の隣にいたその先生の携帯電話が鳴りだしたのだ。

そして先生は、携帯電話をとって、「もしもし」と話しはじめた。

写真を撮る人は、それでもかまわず、シャッターを押したのであった。

集合写真の撮影の真っ最中に、携帯電話に出る人と、それでもかまわず、ぱっぱと集合写真を撮ってしまう人。どちらも、「国民性」をよくあらわしているような気がして、微笑ましい。

異文化体験は、本当に面白い。

そういえばその先生は、野外で私たちに説明されている最中も、ひっきりなしに携帯電話が鳴って、そのたびに説明が中断していたことを思い出した。

3月24日(火)

前半の授業に、2人の先生が見学にいらした。公開授業、というやつであろうか。「粗忽者の先生」も、若干いつもと違い、多少余裕を持って授業をはじめられたが、次第にいつものハイペースの喋りに戻っていく。サザエさんのような髪型、芸人のような声の張り方、間合い、表情は、見ていて相変わらず面白い。

後半の授業では、大柄の先生が、授業風景をビデオにおさめていた。たまに授業風景をビデオにおさめているようなのだが、何のためにしているのだろう。

「みなさーん。もしみなさんがうるさかったら、このビデオをキム先生に見てもらいますからね。いいですかー」

「キム先生」とは、「猟奇的な先生」のことである。

「先生!それだけはやめてください!」

と、学生たちは一斉に懇願する。

いかに「猟奇的な先生」がほとんどの学生たちに恐れられているか、ということがわかるが、問題はそれだけではない。ひょっとして、このビデオは、本当に「猟奇的な先生」がチェックしているのではないか、という妄想にとらわれる。何のために?大柄の先生の授業の様子をチェックするために?

あの先生ならやりかねない。

もう一つ、気になることがあった。

大柄の先生は、数日に1度、人の顔を描いたTシャツを着てこられる。

ふだん、他人の衣装などほとんど気にしない私が、なぜかそのTシャツを気にしたのは、その顔が、作曲家のキダ・タロー氏にそっくりだからである。

しかも、大柄の先生だけに、Tシャツも大柄である。そこに描かれた顔は、大柄の先生並みか、それ以上の大きさであった。

とくにひどく疲れているときなど、どちらが本当の先生のお顔なのか、ときどきわからなくなることがある。うっかりTシャツの顔と目が合ってしまうことも、しばしばである。

さらに疲れがひどいときには、そのTシャツの顔が、そのうちしゃべり出すのではないか、という妄想にとらわれる。

本当はTシャツの顔の方が先生の頭脳で、その上にあるお顔(本当のお顔の方だが)が、その頭脳によって喋らされているにすぎないのではないか。

ここまで妄想にとらわれたときには、少し休んだ方がいいかもしれない。

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大疲労

ここ最近休みがないせいか、かなり疲れがたまっている。

語学の授業も、まったく集中力に欠けていた。

困るのは、授業中、ちょっとでもボーッとしている姿を見せると、先生が容赦なく当ててくることである。

小学校の頃の授業を思い出してもらえばよい。ちょっとでも落ち着きがなかったり、他のことを考えていたりする子がいると、先生がその子を当てていた。それとまったく同じである。

だから、疲れていても、熱心に聞くふりをしなければならない。

だが今日は、その「聞くふり」すらできない。下を向いていたり、疲れた顔をした私に、先生は容赦なく質問を投げかけてくる。

こっちは疲れて思考回路が停止しているから、聞かれた質問に満足に答えられない。

さらに、今日の授業では、2課分をまとめてやる、という日だったので、なおさら大変であった。

「語学の授業なんて、そんなにまじめに受けなくてもいいのではないか」と、いろいろな方から助言をいただくことがあるが、まじめに受けていないと、そのことに気づいた先生が容赦なく質問を投げかけてくるのである。ボーッとしていると、先生が、両手で学生の顔を挟みこむように両頬のところにあてて、「こちらを向きなさいよ~」と顔を前に向かせるのである。

いったい、どうすればいいのだろう。

やはり、語学の授業を放棄した方がよいのか?

書を捨てて、町へ出た方がよいのか?

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観光、のようなもの・2日目

3月22日(日)

今日も、日本の大学のご一行と、大型バスに乗って史跡をまわる。

今回のツアーガイドであるチェさんは、本当に熱心で、頼りになる。まあ、だいたいツアーガイドさんというのはそういうものだが、今回はとくに、こんなマニアックところをまわるのにもかかわらず、かなりしっかりと勉強されている。

Photo_3 今日は、高霊郡という、昔の伽耶地域と呼ばれるところの古墳群の見学。ふつうの観光客はあまり行かないところである。

ツアーガイドのチェさんは、自分がはじめてご案内するところなので、事前に下見に行って勉強したという。さすが、プロの仕事である。

午前中いっぱい、山の上にある古墳群を歩き回ったあと、午後は陜川郡にある古墳群を見学。そして最後に、世界遺産にも指定されている海印寺(ヘインサ)を見学した。

Photo_4 海印寺の境内にある蔵経板殿には、八万大蔵経というお経の版木が81258枚保存されてきた。1236年、元の襲来の危機にあった高麗が、国家繁栄を願って、大蔵経の版木製作に着手し、15年の歳月をかけて1251年に完成させた。その版木は、当時の都であった江華島から、1398年、この海印寺に移されたという。そして、今に至るまで、良好な保存状態のまま、この海印寺の蔵のなかに残されている。

蔵、といっても、密閉された蔵ではない。風通しをよくするための格子状の窓を通じて、建物の外から大蔵経の版木が保管されている様子を今でも見ることができる。このような建物の中で、よく今まで良好な状態で残されてきたものだ。そのメカニズムは、まだ科学的に解明できていない、とチェさんは説明した。

残念ながら、八万大蔵経を収めている建物は一切撮影禁止、ということで、いささか残念と思いながら、バスに戻る。

本日のすべての行程が終わり、大邱へ戻るバスのなかで、ツアーガイドのチェさんはマイクを握る。

「みなさん。最後に一つ、説明し忘れたことがあったので補足します。じつは一度、この海印寺が失われるかも知れない、という危機があったのです」

話は朝鮮戦争(1950~1953)のときにさかのぼる。当時、北朝鮮の人民軍が海印寺を占拠していたことを知った米軍は、韓国空軍に対して、海印寺の爆撃命令を出した。

だが、この命令に対して、ある参謀は煩悶する。八万大蔵経をこの手で灰にすることは忍びない。彼は日が暮れるまで、部下に出撃を命ずることをしなかった。

そして数日後、北朝鮮の人民軍が撤収し山の中へ移動してから大々的な爆撃を敢行する。人民軍は壊滅的な打撃を受けた。

ところが、これに激怒したのが米軍である。面目をつぶされた形となった米軍は、当時の李承晩大統領に抗議をしたのである。米軍の命令に背いた参謀は、死の危機に直面する。

米軍の命令に背いたのは、海印寺の八万大蔵経を守るためである。もしこれが命令違反であるとするなら、八万大蔵経と引き替えに、自らの命を奪われることも厭わない。そう彼は主張する。

そして彼に対する誤解は解かれ、死を免れることになった。

今は、彼をたたえる碑が、海印寺の境内にひっそりと建てられているという。

「…どうですか、みなさん」

「映画になりそうな話ですね」私が言った。

「そうでしょう」とチェさん。

「この話は、よく知られた話なのですか?」

「お寺について詳しく調べている方なら知っているでしょう。あと、空軍の間でも有名な話です」

ウラを取ったわけではないので、この話がどこまで正確なのかよくわからないが、戦争の際に文化財の破壊が常につきまとうことは、これまでの歴史が証明している。

その中にあって、八万大蔵経が今日まで残ったというのは、やはり奇跡というべきであろう。このエピソードが、こうした奇跡の理由の一つを説明するものであることは、間違いない。

大邱に戻り、ガイドのチェさんともお別れする。そしてご一行と最後の夕食、さらに場所をホテルの部屋に移し、夜11時までみなさんとお酒を飲む。

ご一行は、明日日本に帰国する。水曜の夜から今日まで、怒濤の日々だった。

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観光、のようなもの・1日目

3月21日(土)

Photo 日本の大学の先生方ご一行が、慶州をまわられるというので、今日はそれに便乗させていただくことにした。

朝9時にホテルに集合し、大学院生を含め総勢17名が、貸切の大型バス1台に乗って出発する。頼りになるツアーガイドさんもいるので、久々の観光旅行気分である。

Photo_2 古墳公園、博物館、石窟庵、仏国寺、という、文字通りの観光コース。この中で、博物館は何度も来たことがあるが、そのたびに新しい発見をする。前に一度来たことのある仏国寺も、今回はじっくりと見ることができ、ここでもいろいろな発見をする。

途中、携帯電話が鳴る。

電話は現在通っている大学の方からで、現在申請しようとしている共同研究について、新たな書類を作成する必要が生じたので、ついては今晩中にその書類を作成して、メールで送っていただきたいとのこと。

ここ1週間ほど、その書類づくりに悩まされ続けてきた。

外国人研究者が共同研究に参加するために必要な書類はもちろんだが、それ以外にも、この共同研究をする意義を説明するための書類やデータなども揃える必要があるとのことで、外国人研究者の立場からできることをお手伝いしてきた。

そしてさらに、追加の資料が必要とのこと。

うーむ。いったいどれだけの書類が必要なのだろう。まるで申請というよりも、研究発表のようではないか。そしてそれを今晩中に作成しろ、というのも、いかにも韓国らしい。

でもまあ参加させていただくだけでもありがたいし、それに私の書類を翻訳してくれる方もそれ以上に大変なので、ここは仰せにしたがってやるしかない。

大邱に戻ったのが7時過ぎ。それからご一行を夕食場所にご案内して、「これから仕事がありますので」といって、そこでお別れする。

そして書類づくりも無事終了。

明日(もう今日か)は再び、朝からご一行とバスツアーである。

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この坂をのぼれば

坂は、日によってその勾配を変える。

今日、語学堂に行く途中の坂道をのぼろうとして、そう思った。「あれ、この坂、こんなに急勾配だったっけ?」

もちろん、本当に坂それ自体が勾配を変えているわけではない。ここ数日の精神状態が、そう感じさせているのであろう。

私と同世代の深夜ラジオDJが、こんなことを言っていた。

「高校を中退したのは、高校に行く途中の坂道があまりに急だったから。でも最近、その坂道に高校中退以来、久しぶりに行ってみると、その坂道は急勾配どころか、平坦に近い坂だった。『この坂、工事しました?』とまわりの人に聞いても『そんなことはない』と答える。どうも、坂道が急だったから高校をやめたのではなくて、高校をやめたい理由を、坂道のせいにしたかったから、急な坂だと思いこんでいたのだろう」

話術を再現できないのが残念だが、だいたいこのような話だった。

ずいぶん前のことだが、笑福亭松枝という落語家が書いた『ためいき坂くちぶえ坂』という本を読んだことがある。六代目笑福亭松鶴一門のまわりで起こった、さまざまな出来事を綴ったエッセイなのだが、この本が私にとってはたまらなく面白かった。独特の観察眼とその柔らかい文体からは、笑福亭一門に対するそこはかとない愛情が感じられて、一門とは無縁であるはずの私も、笑福亭一門の世界にのめり込んだのであった。実は私のこの日記も、その視点や文体において、この本の影響を多分に受けているのではないか、と今になって思う。

本のタイトルとなった「ためいき坂くちぶえ坂」とは、松鶴師匠の家に行く途中にある坂のことである。弟子たちは毎朝、この坂を上って、師匠の家に行き、そして夜、この坂を下ってそれぞれの家に帰る。師匠の家に行くときはため息をつきながらの上り坂、師匠から解放されたときは、口笛を吹きながらの下り坂となるのである。そこでいつしか、弟子たちはこの坂を「ためいき坂」「くちぶえ坂」と呼ぶようになったのである。

同じ坂が、「ためいき坂」にもなり、「くちぶえ坂」にもなる。坂とは、なんと変幻自在なものだろう。坂は、人間の心情とどこかでつながっていて、心情が変化するたびに、坂もまたその姿を変えるのではないか。タモリ氏が、坂道好きが高じて『タモリのTOKYO坂道美学入門』という本を出しているが、坂道にはやはり、不思議な魅力があるのだろう。

さて、今日も1時から語学の授業である。最近の2級4班は、次第に学級崩壊の様相をみせてくる。とくに後半の授業になると集中力が切れるせいか、中国語の私語も増えてくる。そして彼らが作る例文も、相変わらず「ヨジャチング(ガールフレンド)」だの「ファジャンシル(トイレ)」だのといった言葉を多用している。

さすがの「粗忽者の先生」も、「そんなことばっかり言ってて面白い?」と、冷めたテンションでツッコミを入れる。

私は、もう無視を決め込み、あまり関わらないようにしよう、と心に決める。それに、先生のテンションに合わせるととてももたないので、淡々と授業を受けることにしよう、と。

後半の対話の授業では、2人がペアになって対話練習をする。

私の相方は、河南省出身のヤン・シニャン君である。ヤン・シニャン君は、物静かで、孤高の美青年、といったところか。あまりよいたとえが見つからないが、『御法度』の頃の松田龍平に雰囲気が似ている。

授業を休みがちで、先生方も、いつ彼が欠席するか、いつもハラハラしている。そういう危うさが彼にはある。

さて、2人でペアになって対話練習をすると、ほとんどのペアは、早々に練習を終えてしまい、中国語で私語するようになる。しかし私はまじめなので、めいっぱい練習をする。どちらかといえば韓国語がそれほど上達しているとは言いがたいヤン・シニャン君は、それでも、私の練習に最後までつきあってくれるのである。意外といいやつじゃないか。

さて、今日は授業の最後に、「この班で、誰が一番○○か」という問題を出して、それに答える、という練習をする。いちおう習った文法の練習ということだが、班のチング(友達)どうしの交流をはかる、という意味もあるのだろう。

「誰が一番笑顔がかわいいですか」とか、「誰が一番うるさいですか」とか、「誰の服が一番面白いですか」など。日本だったら、こんなことを授業でやったら「いじめを助長する」とか、「差をつけるのはよくない」などとして、たちまち問題となるだろう。しかしここではそんな理屈は存在しない。

別に多数決で決めるわけでも何でもない。質問された人が答えればよいだけなのである。ちなみに私は、「発音が正確な人」「勤勉な人」「料理が上手そうな人」という質問で名前があがった。最後の「料理が上手そうな人」は、特技がテンジャン・チゲである、という都市伝説が生み出した虚像である。

こんなことを言いあうのは意外と楽しい。そして、この過程で、ほとんどの人の名前を把握することができた。

正確に聞き取っていないかも知れないが、忘れないようにメモしておこう。

パンジャンニン(班長殿)のス・オンイ君。「スーパーマン」ことチャン・イチャウ君。雨上がり決死隊の蛍原にそっくりのホ・ジュエイ君。「粗忽者の先生」にいつも「マ・ポン君」と名前を間違えられるマ・ロン君。私に日本語で話しかけたチャン・ハン君。孤高の美青年、ヤン・シニャン君。1級1班からの同級生、リ・ミン君、愛嬌のある顔のリ・ポン君。リ・ポン君といつも仲良く喧嘩しているホ・ヤオロン君。そのホ・ヤオロン君といつも仲良く喧嘩しているチ・エさん。ビックリするくらい素直で韓国語もよくできるチン・チエンさん。優等生顔をしているリ・ペイシャン君。韓国に2年くらいいて、韓国語がよくわかるのに、なぜかまだ2級にいる、キザなタン・シャオエイ君。お菓子が好きなルー・ルーさん。あと1人、まだ名前が覚えられないな。白縁の眼鏡の青年。

帰りの下り坂の足取りは少し軽かった。くちぶえを吹くほどではなかったけれど。

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カタカナが書けない!

やはり日本人が来るとうれしいものである。

どうやら、この数日間は、かなりのストレスがたまっていたらしく、日本の大学のご一行とお会いして、ようやく人間らしい生活に戻った気がした。

今日の午前中は、ご一行と一緒に大学図書館の貴重書をみせていただく。

そして大学内の食堂で昼食。大学院生の数人が、午後に大邱市内にある博物館を見学したいという。そこで、タクシーに乗る際にどう言えばよいかを、メモして渡す。

博物館の名前を、漢字とハングルで書いて、さらにそれを発音できるように、カタカナを書こうとした。

「パンムルガヌロ カジュセヨ」

ところが、カタカナが出てこない。

発音しながらカタカナを書こうとすると、どうしてもハングルを書いてしまう。

カタカナが書けなくなってしまったのである。

何度も間違えながら、ようやくカタカナを書いて渡す。

午後の語学の授業。昨日以来、このままでいいのか、逡巡しながら授業を受ける。

ある方は、語学の授業が大事だとおっしゃるし、ある方は、そんなに語学の授業を真剣に受けてどうするのだ。もっとやるべきことがあるだろう、とおっしゃる。

ここらあたりで方針転換が必要かもしれない。

語学の授業が終了後、再び日本の大学の先生方ご一行と会食。私の(韓国での)指導教授も同席される。

指導教授と、日本の先生方との間に立って、苦労しながら、通訳のまねごとをする。

すると、その場にいた日本語がよくできる韓国の先生に、「3カ月ちょっとでそれだけできるのはすごい」と、お世辞を言っていただく。

その先生は、前から一度お会いしたいと思っていた先生だった。これを機会に、お互いの研究を刺激するため、これから頻繁にお会いしましょうと約束する。

結局、日本の先生方の宿泊されているホテルまでご一緒して、夜12時まで飲む。

自分の留学のあり方について、いろいろと考えさせられる。

このままではダメだ。どうにかして、いまの勉強のスタイルを変えなければならない。

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壊されるプライド、癒される再会

昨日の「クイズ」の答案が戻ってきた。

25点満点で23点。2問間違えたことになっている。

しかし、どう見てもその2問とも正解である。

先生が私のところにきておっしゃった。

「答えは合っていたのよ。でも、書き方が間違っていたの」

どういうことだ?

明らかに正答だ、とわかる答えを書いたのである。にもかかかわらず、解答の書き方が少し違うため、○にはならないという。

意味がわからない。答えが合っているんだったら、、なぜ○にしないのか?

「この語学堂でそういう取り決めになっているのよ」

と先生はおっしゃるが、ますます理解不能である。

つまり、答えが明らかに正答でも、解答の仕方が違う、という技術的な問題で、ダメなものはダメだ、というのである。この理屈が、私には全然わからなかった。あまりにも理不尽である。

これは常識に属することだと思うが、およそ試験には、「落とすための試験」と、「能力をみるための試験」の二つがある。

「落とすための試験」とは、つまりは選抜試験である。「能力をみるための試験」とは、つまりは資格試験である。

たとえば、語学の2級から3級への昇級に際しては、限られた人が選抜される、というわけではない。だから、「落とすための試験」ではないはずである。

ところがどうだ。まるでこれでは、「落とすための試験」をやっているようではないか!

いたずらにサディスティックであるとしか言いようがない。

何という理不尽!そのことを抗議しようと思ったが、その抗議の言葉が出なかった自分が情けない。

憮然とした表情をしていると、「いちおう(上の方に)話してみます」と先生はおっしゃるが、たぶん、ダメだろう。

ということで、今日はずっと意気消沈。授業中も、この理不尽さについて、ずっと考えていた。

明らかに正答だとわかる答えを書いたのに、ちょっとした書き方のミスで誤答扱いされる。あまりにも厳しすぎる。いったい、なぜこれほどまでにサディスティックなのか?

ふと頭によぎったのは、ひょっとして、これは「猟奇的な先生」の意向なのではないか、ということだった。

「猟奇的な先生」は、基本的に性悪説の立場に立っている。つまり、学生は不正をするものである。まじめに勉強しないものである。だから、私情を捨てて、容赦なくしばりつけなければならない。そういう考えの持ち主である。3カ月の授業を受けてきて、そのことは身にしみて感じてきた。

そして、もう一つ思い出すのは、以前、マ・クン君が私に話してくれた話である。

1級1班時代、マ・クン君の家に遊びに行ったとき、マ・クン君が私に、次のようなことを話してくれた。

「僕が前学期、遊んでばかりいたととき、担任のナム先生が、僕の家にまできてくれて、補習授業をしてくれたんです。そして、休んでいて受けなかった『クイズ』を、別の日に受けることができるようにとりはからってくれようとしました。でも、キム先生が、『別の日にクイズを受けさせることは、絶対にダメだ』といって、結局、クイズを受けさせてくれなかったのです}

ここでいう「キム先生」とは、「猟奇的な先生」のことである。一斉に行うべき「クイズ」を、別の日に受験させることは、不正につながる、という意味から、ナム先生の努力にもかかわらず、マ・クン君は「クイズ」を受けることができなかった、というのである。

一切の例外を認めない、とする姿勢は、いかにも「猟奇的な先生」らしい。そして、これらの方針に、「猟奇的な先生」がかなりの影響力を持っていることも、この話からわかる。

そして私には、以前の中間考査のときの、「猟奇的な先生」の啖呵と、その時察知した思いが、再びよみがえってきた。

たしかに、「猟奇的な先生」は、語学堂の他の先生とは、一線を画する。多くの先生が大部屋にいるのに、先生は個室である。彼女が絶大な影響力を持っていることは、想像に難くない。

やはり、この語学堂で発言権が強いのは、「猟奇的な先生」なのではないか。だから、サディスティックなまでの方針が、次々と打ち出されるのではないか?

1級から逃れてもなお、私は、見えない敵と戦わなければならないのか?

私の(被害)妄想は、たちまちふくれあがる。

たしかに妄想かも知れない。ただ、そのことを差し引いたとしても、この語学の授業は、私のプライドをズタズタにしてくれる。

私より年齢が半分の、聞き分けのない中国人留学生たちに対して、先生方は、まるで小学生に対するかのように、扱う。それは、いちおう分別のある私に対しても、同じである。

少なくとも、人生経験が多少なりともある私に対して、私より年下の「先生」が、まるで小学生を扱うがごとくの中国人留学生たちと、同列に扱っていることが、ときおり、理屈ではなく、我慢ならなくなるのである。「教室にいるときは、一介の学生である」と、自分に言い聞かせたとしても。

たぶんこの気持ちは、その場にいないと理解してもらえないだろう。

中国人留学生たちは、相変わらず、無邪気に授業を楽しんでいたが、今日ばかりは、そういう気にはなれなかった。

授業が終わって、落ち込んでいると、携帯電話が鳴った。

取ると、日本の某大学の先生からだった。なんと、いま、大学間の交流協定を結ぶために、私の通っている大学に来ているという。

その先生は、私の出身大学の大先輩である。いや、大先輩というよりも、師匠筋にあたる先生である。

急遽、夕食をご一緒する。大学院生のみなさんも来ていたので、総勢20名ほどの大宴会となる。

その先生は、私との再会を、いたく喜んでおられるようだった。とにかくよくお喋りになる。還暦を過ぎたというのに、えらくお元気である。

私も、その先生の横でお酒を飲んで、先生の途切れないお喋りを聞きながら、かなりの元気をもらう。

少し気持ちがリセットできた。明日も頑張ろう。

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クイズ、の日

語学の教室では、語学学校らしく、ひとりひとりが、机と椅子が一体となったものに座る(なんという名前なのかわからない)。

図体の大きい私には、少々窮屈なのであるが、仕方がない。

授業がはじまる直前に教室に入ると、中国人女子留学生のルー・ルーさんが、その机と椅子が一体になったものを、よいしょ、よいしょと、自分の座る場所の横に移動させている。

(自分が座る場所があるのに、どうしてだろう…)と思ってみていると、横に置いた机の上に、山ほどのお菓子をのせて、モリモリと食べはじめた。

そういえば、ルー・ルーさんは、毎日のように、山ほどのお菓子を教室でモリモリ食べている。といって、スタイルが悪いわけでは決してない。かなりの美人で、授業態度も至ってまじめである。

そこへ「粗忽者の先生」が、カセットデッキを持って入ってきた。

しかしリスニングに使うカセットデッキを置く場所がない。先生がルー・ルーさんの横に空いている机があるのを見つけて、「その机貸してちょうだい」というと、

「これはお菓子をおいている机なのでダメです。そこにパイプ椅子があるので、その上にカセットデッキを置いてください」

と言った。

先生は最初、言われるがままにカセットデッキをパイプ椅子の上に置いたが、そうすると、今度は先生自身の座る椅子がなくなってしまう。

「先生は腰が痛いのよ。だからその机を貸してちょうだい」

ルー・ルーさんは、仕方なくその机を明け渡した。

さて、今日は今学期1回目の「クイズ」の日である。

1学期に4回、「クイズ」と呼ばれる小テストがある。「クイズ」の日には、授業の最初30分を使って、文法を中心にした試験を行う。当然、この「クイズ」の点数も、成績に考慮される。だから最近は「クイズ」という言葉を聞いただけで、反射的にイヤーな感じになる。

クイズが無事終わり、引き続きリスニングの授業。そこでも「クイズ」の話題。

といっても、今度は、ラジオ番組で聴取者に問題を出し、答えがわかった聴取者が電話をかけて答える、という手の込んだ設定の会話を聞き取る練習である。

ひととおり終わったあと、「粗忽者の先生」が、「じゃあ今度はみなさんで問題を出しあってやってみましょう」とおっしゃる。誰かがラジオの司会者に扮し、誰かが聴取者に扮して、会話を進めるのである。

そして私が、司会者の役を仰せつかる。

私「これから問題を1問出します。わかった方は、早く電話をかけてきてください」

「正解者への商品はなんですか?」と先生が質問する。

私「自動車です!」

この言葉に中国人留学生たちが色めき立つ。ウソなのに。

「では問題です。日本人がいちばん好きな韓国ドラマは何でしょうか?」

ここからが、集団コントの始まりである。

「チリリリリーン、チリリリーン」

自動車は俺のものだと言わんばかりに、パンジャンニム(班長殿)が真っ先に手をあげた。

私「あ、電話が来ました。はい、答えをどうぞ!」

「すいません、問題をもう1回言ってください」

「チリリリリーン、チリリリーン」

今度は愛嬌のある顔のリ・ポン君が手をあげる。

私「あ、また電話が来ました。答えをどうぞ!」

「すいません。わかりません」

まるで大喜利の司会者になった気分である。

もちろん、まじめに答えた人もいた。「それは『花より男子』ですか?」「それは『クン(宮)』ですか?」

いずれも間違い。結局、正解の「冬のソナタ」を答えた人はいなかった。

さて、「粗忽者の先生」の授業が終わった休み時間、ルー・ルーさんは、クッキーを一袋食べ終わり、次にポテトチップスをモリモリと食べはじめた。

どんだけ食べるんだろう。

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壊れゆく教室

勉強熱心にみえた2級4班の中国人留学生たちが、だんだんと本来の「力」を発揮してきた。

今日は前半の文法の授業で、「○○が必要です」という表現を学ぶ。

男子学生同士の会話練習。

「ヨジャ・ファジャンシル(女子トイレ)に行くのに何が必要ですか?」

「ビデオが必要です」

「粗忽者の先生」が「コラッ!そんなこと言うもんじゃありません!」と叱りつける。みんなは爆笑。

彼らは本当に、「ヨジャチング(ガールフレンド)」とか「ファジャンシル(化粧室)」とか「ポッポ(キス)」といった言葉が好きだ。隙あらば会話練習で使いたがるのである。

続いて、「粗忽者の先生」が、愛嬌のある顔のリ・ポン君に質問する。

「この教室には、何が必要ですか?」

「美人の先生が必要です」

「美人の先生?…ナガセヨ(出ていきなさい)!」

このやりとりが、まるで漫才のボケとツッコミのような間合いだったので、私は思わず吹き出した。最後の「ナガセヨ!」が、「ホンマ、ええ加減にせえよ」みたいに聞こえたのである。

「美人の先生ならここにいるでしょ!」

韓国人の先生と中国人留学生の漫才で、日本人が笑うなんて、まさに東アジアを股にかけた笑いではないか。「粗忽者の先生」のセンスのよさも、相当なものである。

次第に、2級4班のみんなが、本来の「力」を発揮してきている。

いい感じの、壊れっぷりである。

後半の大柄の先生の授業。

教室の入口のいちばん近くに座っている内モンゴル出身のチャン・イチャウ君は、お笑い芸人のゴルゴ松本(TIM)に雰囲気が似ている。短髪で、もみあげが長い。身のこなしも、そんな感じである。

その彼が、今日、青地に、赤字で胸の部分に大きく「S」と書いたTシャツを着てきた。スーパーマンのTシャツである。

そのことに気づいた大柄の先生は、彼に「スーパーマン」というあだ名をつけた。

「スーパーマン」ことチャン・イチャウ君は、授業中によく中国語で私語する。

困り果てた大柄の先生は、「スーパーマン!席を換えますよ!」といって、私の横の席に移動させた(私の席は、教室の入口からいちばん遠い位置にある)。

私はスーパーマンに「アンニョンハセヨ」と挨拶した。

私はスーパーマンとペアになって、対話練習をする。

各ペアが練習したあと、今度はみんなの前で、実際に対話をしてみせる。

他のペアがみんなの前で対話をしているとき、私は彼に小声で話しかけた。

「いつ韓国に来たの?」

「実は1年前です。でもまだ2級なんです」

スーパーマンも、留年組か。

「本当は、日本に留学したかったんです」

「どうして韓国に留学することになったの?」

「プモニム(両親)が、日本に留学するのは難しいから韓国にしろって。やっぱり、日本に留学するのは難しいですか?」

「そうだね。難しいかもね。でもどうして日本に?」

「僕は絵の勉強をしたいんです。日本の漫画が好きなんです」

話してみると、見た目のやんちゃそうな印象とは、やや異なっていた。

大柄な先生の怒鳴り声が聞こえた。

「こらっ!スーパーマン!チング(友達)の会話練習をちゃんと聞いていた?また喋っていたでしょう」

「すいません」

責任の半分は私にもあるのだが。

「じゃあ今度は2人にやってもらいますよ」

料理教室へ受講申し込みをするときの会話。私が職員で、チャン・イチャウ君が客である。

私(職員)「いらっしゃいませ、どんなご用件でしょうか」

チャン(客)「料理を習いたくって、やって来ました」

私「どんな料理をお望みですか」

チャン「日本料理です」

私「平日コースと休日コースがありますが、どちらにしますか?」

チャン「休日は約束が多いので、平日コースにします」

私「じゃあここに名前と住所を書いてください」

チャン「入学金はいつまでに払えばいいですか?」

私「明日までに必ず支払ってください。20万ウォンです」

チャン「他に何か必要なものがありますか?」

私「エプロンが必要ですね。あと、貯金通帳と暗証番号も持ってきてください」

チャン「…なんで?」

ここでみんなが爆笑。

私も少し壊れてきたようだ。

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市場そぞろ歩き

3月15日(日)

さあ、今日も「花より男子 リターンズ」を見るぞ、と、午前11時よりテレビをつける。

6話、7話と連続放送されたあと、「次の放送は午後3時から」。

2時間ほど待った後、再びテレビをつけると、また第1話が放送されている。

???

よくわからないが、昨日、本日と、第1話~第7話を、くり返し連続放送しているらしい。てっきり、今日は続きを放送してくれるのかと思った。

ということで、ドラマは前半部分までしか見られず、終了。後半部分は、いつ見られるのだろう。

まあそれほど展開が気になっているわけでもないが。

こんなことなら、せっかくの休みなんだから少し遠出すればよかった、と後悔する。

仕方がないので、夕方、バスに乗って、今まで行ったことのなかった七星市場(チルソンシジャン)に行くことにした。

七星市場は、大邱では西門市場(ソムンシジャン)に次ぐ大きな市場である。

バスを降りると、まず海産物の店が軒を連ねているのが目についた。そこでアジョッシ(おじさん)たちが、その場でさばいてもらったホヤを肴に、焼酎を飲んでいる。

(美味そうだな…)と思いつつ、横を通り過ぎる。そこでアジョッシたちと一緒にホヤを肴に焼酎を飲む勇気はなかった。

やがて狭い路地に紛れ込む。今度は豚肉の店が軒を連ねている。

驚いたのは、どの店も、店先に大きな豚の顔面を並べていることである。狭くて薄暗い路地に、物言わぬ豚の顔面が、生首のごとく並べられている姿は、ちょっとドキッとする。

以前、西門市場に行ったときも、ドキッとすることがあった。鶏肉の店が軒を連ねている路地で、生きている鶏が籠に入って売られていた。そしてその真横に、今度は、ローストチキンを作るときのようなまるごとの鶏肉が並べられ、さらにその横には、細かく切り刻まれた鶏肉が並べられている。

(この鳥が、こうなって、こうなるのか…)

あまりのリアルさに、ちょっとビックリした。

以前、「北野ファンクラブ」という番組で、ビートたけし氏が子どもの頃、家で飼っていた鶏を、ある日突然鍋の具にしてみんなで食べた、という話をしていたことを思い出す。その鶏をかわいがっていたお姉ちゃんが、「かわいそう」と泣きながら、「美味しい」といって食べていた、という話が、何とも可笑しかった。

でも、ものを食う、というのは、本来そういうことなのだろう。だから、ときどき市場を歩いて、ものを食うことの意味を、確認してみよう。そしていつか、アジョッシたちに混ざって、ホヤを肴に焼酎を飲んでみよう。

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久しぶりのテレビ

今週の土、日は、いろいろな書類を書かなければならないのだが、例によって、まったくやる気が起こらない。

お昼頃、久しぶりにテレビをつけると、日本のドラマの「花より男子 リターンズ」をやっていた。

いま、韓国では、日本のドラマをリメイクした、韓国版のドラマ「花より男子」が大流行である。語学の授業でもしばしば話題になる。語学の女性の先生方は、みんな見ているんじゃなかろうか。

いま日本の「花より男子」が韓国で放送されているのも、その影響によるものだろう。

私はこのドラマをまったく見ていなかった。原作が漫画であることは知っている。それと、10年以上前に、内田有紀主演の映画があったことも、うっすらと記憶にあるのだが、どんな内容の話なのか、まったくわからない。

いつまた、誰ぞから、「花より男子」の話題がふられるとも限らない。ここは一つ、だいたいのストーリーや人物関係をおさえるために、見ておくことにしよう。

ところがこれが間違いのもと。今日はスペシャルとやらで、5話連続放送だというのである。そして明日の日曜日が7話連続放送。つまり2日間で、「花より男子 リターンズ」全話を放送するのである。

結局、6時間かけて、5話を見てしまった(初回は2時間)。

また、休日を棒にふってしまった…。

さて、ストーリーだが、5話連続で見てしまっただけあって、内容はけっこう面白い。配役もうまくいっていたと思う。脚本は、いま売れっ子のサタケミキオであった。

ディープなファンには基礎的な知識なのだろうが、サタケミキオは、俳優・宅間孝行が脚本を書くときのペンネームである。

三谷幸喜、宮藤官九郎に続く脚本家として注目されている。たしかに、この3人が並び称せられたり、比較されたりする、というのはよくわかる。

学生時代、三谷幸喜氏の劇団の芝居をよく見に行った。ブレイクする直前くらいだったと思う。それ以来、三谷作品は必ずチェックするようにしていたが、最近は以前ほど、注目しなくなってしまっている。

宮藤官九郎氏の作品は、ドラマ「マンハッタンラブストーリー」と「タイガー&ドラゴン」しか見ていないが、とくに後者はめちゃくちゃ面白かった。

そして宅間孝行氏については、以前、妹に勧められて、宅間氏が主宰する劇団の芝居(「歌姫」)を見に行ったことがある。後にこの芝居は連続ドラマ化されたが、残念ながらそちらの方は見ていない。

芝居は、文句なく面白かった。ただ、一緒に芝居を見た妻が、「松竹新喜劇みたいだね」と言った。言い得て妙である。つまり話の展開がベタなのだ。個々の人物描写が丁寧に描かれ、とてもよく練られた脚本だが、根底に流れているのは、実はきわめてオーソドックスな、笑いと涙のストーリーなのである。でもそこが私は好きである。

三谷幸喜氏は、どちらかというと、アメリカの古き良きコメディに対する憧れが強く、どうしても、作品がそれに対するオマージュになってしまっている。最初は、そういうところが面白かったのだが、最近はそうでもなくなってきた。

世代的には、三谷氏は私より上で、クドカン氏とサタケ氏は私と同世代である。そのせいもあるのか、三谷氏の原体験にはついて行けず、クドカン氏やサタケ氏にシンパシーを感じてしまう。同世代だけが共有できる「何か」を、無意識に感じとっているからかも知れない。

うーむ。書いていて、どうも安っぽい感想になってしまったな。要するに言いたいことは、私は「松竹新喜劇」的なベタな展開が好きなのだ、ということ。そして、「花より男子 リターンズ」は、意外にオーソドックスな手法で作られているのだ、ということである。

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落ち込んだり笑ったり

語学の授業のスパルタぶりには、ときどき耐えられなくなる。

2人の先生は、暇さえあれば、「勉強しなさい、勉強しなさい」とおっしゃる。子どものころ、親にだって言われたことがないくらいの頻度で、おっしゃるのである。

これが1日4時間、毎日くり返されると、さすがに神経がまいってしまう。

今日、先生に「家族はどこにいますか?」と聞かれたので、「日本にいます」と答えると、先生は「じゃあ寂しいでしょう」とおっしゃった。

「ええ、ストレスがたまります」と答えると、「韓国語を一生懸命勉強すれば大丈夫よ」と、まったく慰めにならないことをおっしゃる。その言葉がまた、プレッシャーとなって、私に覆いかぶさってくるのである。

パダスギ(毎日授業で行われる聞き取り試験)も、つまらないところで間違えて、満点がとれなくなってしまっている。

いったい自分は何をやっているのか、という気分になってくる。

でもまあ悩んでいても仕方がない。こういうときは、周囲を客観的に観察するにかぎる。

わが班の中国人留学生たちは、前学期の1級1班の留学生たちとくらべて、はるかに勉強熱心であることはすでに書いたとおりだが、しかし感性という点においては、その本質は同じである。

後半の「マラギ」(対話)の授業で、例文にならって対話を作る、という練習がある。いわば、学生2人で、アドリブで対話を作りあげていく、というものである。

前学期の1級1班の連中が、アドリブでむちゃくちゃな対話を作りあげていった様子は、すでに何度も書いてきたが、今回の2級4班の学生たちも、その本質はまったく同じであることが、だんだんわかってきた。

「こんにちは」

「こんにちは。どこに行くの?」

「○○に行くつもりなんだけど」

「どうやっていけばよいかわかるの?」

「○番のバスに乗ればいけるでしょう?」

「いや、○番のバスではなくて、×番のバスに乗らなければダメだよ」

「あ、そう。時間はどのくらいかかる?」

「20分くらいかな」

「ありがとう」

これが、基本の会話である。これをもとに、学生2人で対話を作りあげていかなければならない。

リ・ポン君は、ほっぺたの赤い、とても愛嬌のある顔をしている。一度見たら忘れられない顔だ。残念ながら、ヨジャ・チング(ガールフレンド)がいない。

そのリ・ポン君と、隣のホ・ヤオロン君の会話練習。

リ「こんにちは」

ホ「こんにちは。どこに行くの?」

り「自分の家に行くんつもりなんだけど」

ホ「どうやっていけばよいかわかるの?」

り「よくわからないんだ。どうやっていったらいいか知ってる?」

…この時点で、すでにこの会話はおかしい。自分の家の行き方がわからないなんてことはありえないのだから。

ホ「なぜ自分の家がわからないの?」

リ「実は、ヨジャ・チングの家なんだ。僕はヨジャ・チングが5人もいるから、どこに行っていいかわからないんだ」

ヨジャ・チングのいないリ・ポン君が虚勢をはる。

リ・ポン君にヨジャ・チングがいないことを知っているホ・ヤオロン君は、執拗に攻撃を始める。

ホ「ヨジャ・チングとは、どこで知り合ったの?」「ヨジャ・チングの名前はなんて言うの?」「ヨジャ・チングと何をするの?」

リ・ポン君は、虚勢を張ってみたものの、ホ・ヤオロン君の執拗な攻撃に、しどろもどろになりかける。

ホ「ヨジャ・チングの家まで、どのくらいの時間がかかるの?」

り「2年だね。なぜなら、ゆっくり歩くから」

リ・ポン君は、そろ~りそろ~りと歩くようなジェスチャーを交えて答える。ここまでくると、もう訳がわからない。

そしてホ・ヤオロン君が、

「病院に行け!」

と突っ込んで、会話が終了する。

「ヨロブン、パクス(みなさん、拍手)!」

と先生がおっしゃって、みんなが拍手するが、何に対する拍手かも、もうわからない。

この2人だけではない、他の人たちも、会話が次第にシュールな方向に進んでいく。

日本の漫才にも似た、ボケとツッコミの対話である。漫才は、東アジア特有のお笑いの感性なのか?それとも、彼らの若さによるものなのか?よくわからない。

「しょーもない」笑いだが、彼らの感性に、もうしばらくつきあうことにしよう。

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早口の映画談義

不思議なもので、3カ月も韓国にいて、しかも中国人留学生たちと一緒に勉強していると、顔を見ても、誰が韓国人で、誰が中国人で、誰が日本人で、という区別が、ほとんどなくなってしまう。

みんな、私の知り合いに似ているような気がしてくるのである。「あ、こいつ、教え子の○○にそっくりだな」とか、「こいつ、お笑い芸人の○○にそっくりだな」とか。

むしろ「違い」よりも近縁性の方が強調されてくる。

中国人、韓国人、日本人は、国によって顔つきが違う、などというものの見方が、多分に先入観や偏見を含んでいることを思い知らされる。

さて、2級の授業は、想像以上に厳しい。

後半の大柄な先生が、ニコニコしながら、こんなことをおっしゃった。

「いいですかみなさん。これから宿題は、授業が始まる1時前までに、必ず提出してください。1時を過ぎて提出した宿題は、(10点満点から)2点減点しますよ」

これまで宿題は、パンジャンニム(班長殿)が授業の始まる前に集めて、1時間目が終わった休み時間に提出するのが常だった。先学期の1級1班などは、4時間目の授業が終わってからようやく提出する、などということもざらであった。

しかしこれからは、1時前までにパンジャンニムが集めて提出までしなければならないことになる。ということは、12時50分までには教室に入り、パンジャンニムに宿題のノートを渡さなければならなくなるのである。1時ギリギリに教室に入ると、すでにパンジャンニムが宿題を集め終わって先生に提出してしまっている可能性も出てくるのだ。

些細なことかも知れないが、何という厳しさだろう。だんだん厳しくなっていくではないか。

宿題の量も、1級にくらべて多くなっている。だから、こんな日記など書いている場合ではないのだ。

前半の「粗忽者の先生」の授業。

週の火曜日と木曜日の前半の授業は、文法ではなく、「トゥキ」といって、リスニングの授業である。

先生が授業をはじめようとしたところ、リスニング用のカセットデッキを操作しながら、「おかしいわね」とおっしゃった。

「あら、間違って他の先生のカセットデッキを持ってきちゃった。だから操作方法がわからなかったのね。まあいいわ。これではじめます」

と早口でおっしゃる。他の中国人留学生たちも、この先生の粗忽ぶりをだいぶ把握するようになったらしく、「またかよ」という感じで笑っている。

これまで、2級の授業が息つく暇もないと感じていたのは、雑談がほとんどなかったことによるものだった。1級の「猟奇的な先生」もベテランの先生も、適度に雑談があったおかげで、息抜きができたのである。そこが、ほとんど強迫的に、せき立てられるように問題を出される「粗忽者の先生」との違いである。

しかし今日は、若干時間に余裕があったようだ。

リスニングのテーマは、「レンタルビデオ屋での会話」。日本人の留学生が、面白い映画を見たくて、店員のアジョッシ(おじさん)におすすめの映画を聞くと、アジョッシは「『タイタニック』はどう?」と勧める。「その映画は見たので、韓国映画で面白いものはないの?」と聞くと、「じゃあ『シュリ』はどう?」と勧める、という内容である。

『タイタニック』(1997)や『シュリ』(1999)が登場するあたりは、時代を感じさせるが、ここから、韓国映画に関する先生の雑談がはじまる。

「みなさん、どんな韓国映画を見ましたか?」

すかさず私が「猟奇的な彼女」と答える。

ひとしきりその映画の話で盛り上がった後、「みなさん、ここに出てきた『シュリ』は見ましたか?」と、再び先生が質問。

見たのは私くらいで、他の中国人留学生たちは見ていなかったようだった。

「面白いからね、絶対見なさいよ。これはね、女スパイの話よ。スパイ。男と女がね…」

と、「粗忽者の先生」は、ネタバレともいえる話をしはじめた。途中で、はっと気づき、

「あら…、面白いからね。見てない人は絶対見なさいよ!今日見なさい。今日!」

と、早口でおっしゃる。なにも今日見なさい、ということもないだろうに。

「女スパイといえばね、大韓航空機事件、知ってる?1987年にあったのよ。爆弾よ、爆弾。みんな、その頃何してた?」今度は唐突に大韓航空機爆破事件の話。

「生まれてませーん」と、中国人留学生たちが声を揃えて答えた。

「あら、生まれてなかったの?」今度は私に向かって聞いた。「その頃何してました?」

「高校生でした(正確には浪人生)」

「じゃあ、ニュースを見てたわよね」「ええ」

最後に先生はこうおっしゃった。

「みなさん、韓国の歴史を勉強しなさいよ。韓国のことをよく知れば、韓国語の勉強も楽しくなるわよ」

そうか。私が中国人留学生たちに唯一まさっているのは、人生経験、ということか。

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粗忽者の先生

今度の班の学生は、基本的にみなまじめである。

授業中、先生が、「韓国ではバスは『○番のバス』といったように番号で呼びますが、日本ではどうですか?」と聞かれたので、「日本では『○○行』と呼びます」と答えた。

するとそのやりとりを、学生たちはメモしはじめた。

先生は、「いまの話は雑談なんだから、メモしなくてもいいのよ」とおっしゃる。

また、授業の間の休み時間にも、先生に熱心に質問している。先生が「休み時間なんだから休みなさい」と言っても、勉強している学生が多い。

前学期の1級1班のときとは大違いである。

そんな中にあって、右隣に座っているチャン・ハン君は、少し異質である。

授業中、他のことを考えているのか、ボーッとしていることが多い。

そんな彼が、休憩時間に、昨日に続いて私に話しかけてきた。

「韓国語がわからないので、英語で話していいですか?」

そういうと、英語でなにか話しはじめた。しかし、発音が悪いのか、私の聞き取り能力がないのか、何を言っているかよくわからない。

何度か聞き返すと、どうも「日本の物価は高い」とか、「日本の女性はかわいい」とか言っているようである。

「そうだね」とだけ答えると、彼はまたイヤホンを耳に当て、音楽を聴き始めた。

どうもよくわからない。

さて、授業の方はというと、あいかわらず、前半の文法の先生の授業のペースがはやい。

さらに悪いことに、今日は、6課と7課をまとめてやる、という予定になっていた。

ふつう、1日に1課なのだが、1日1課のペースでは今学期中に終わらないらしく、まれに、1日に2課分をやらなければならない日があるのである。

前半の先生は、それだけでかなりパニクっているようである。

ただでさえ慌ただしい授業が、さらに慌ただしくなる。文法の説明を急いでなさるのだが、途中まで説明して、「…ちょっと待ってね。これは後で説明するんだったわ。それよりこっちを説明しなきゃね」と、説明が混乱しはじめる。

今日は、「あまりに○○なので、○○できませんでした」の表現を学ぶ。

この表現を使った文を作りなさい、とあてられたので、「あまりに道が混んでいるので、タクシーに乗ることができませんでした」と答えた。

すると先生はそれを聞いて、「料金が高いから、タクシーに乗れなかった、ということね」とおっしゃる。

「いえ、『あまりに道が混んでいるので、タクシーに乗ることができませんでした』です」

「だから、料金が高いから、ということでしょ?」

???

学生全員から、一斉にツッコミが入る。

「『道が混んでいるから』です!」

どうも先生は、聞き間違えたらしい。

私の発音が悪かったからだろうか?他の学生たちがみんなわかってくれたところからみると、どうもそうではなさそうだ。

むかし『12人の優しい日本人』という映画で、豊川悦司のセリフに「『聞き違い』と『思いこみ』、これはおばちゃんの2大要素じゃないですか」というのがあったことを、なぜか思い出した。

失礼ながら、この先生を粗忽者と評してしまうのは、こんなことがよくあるからだ。私の好きな落語のネタに「粗忽長屋」という話があるが、そこに登場するようなキャラクターである。

少しくらい手を抜けばよいものを、まったく手を抜かずに授業をなさっている。それがまた、先生の混乱ぶりに拍車をかけている。

授業が終わり、先生がまた私のところにやってきた。

「どう?まだ(進み方が)はやい?」

昨日とくらべて、明らかにはやくなっていたが、

「いえ、大丈夫です」

と答えた。

こうなったら、このペースについて行くことにしよう。

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特技はテンジャン・チゲ

2級に入って、急にレベルが上がった。

当然といえば当然なのだが、その原因の一つは、わが班の学生たちが、先学期の学生たちとはくらべものにならないほど、熱心に授業を受けていることにある。

ここへきて、自分とは倍ほど違う年齢の学生たちとの潜在能力の違いを、まざまざと思い知らされる。やはり語学は若いうちにやるべきである。

もう一つの原因は、担当の先生の授業の進め方である。

(自分の能力の無さを棚に上げて、他人のせいにばかりするのもどうかと思うが)

前半の文法の先生は、昨日書いた「サザエさん」というよりも、「海老名みどり」みたいな感じの人といった方が、より近い(このたとえも、わかりにくいか?)。見た目の印象も、話しぶりも、そんな感じなのである。早口で、粗忽者だが、憎めないタイプ、と言ったらよいだろうか。

とにかく早口でまくしたてる。それでいて、言い間違えとかうっかりミスもけっこう多い。本日のパダスギは10点満点で9点だったのだが、その1問は、昨日の授業で習っていないものだった。「あら、ごめんなさい。これは昨日教えなかったわね」と、採点し終わってから気がつかれたのである。粗忽者、といったら失礼だろうか。

今日は「トゥキ」と言って、リスニングの授業だったのだが、聞き取った内容を書かせるときに、「はやく書いて!」「はやくはやく!」「わからなくてもいいからはやく!」と、何度もおっしゃって、せきたてる。

リスニングのCDも、早送りして聞かせる始末。いったい、何をそんなに急いでいるんだろう。

せっかちなのは韓国人気質といえようが、それにしても、これほどせっかちな人は見たことがない。

とにかく、早いサイクルで授業が進むので、脳細胞が死滅しつつある私には、ついて行くのがやっとである。

前半の先生の授業が終わってから、先生が私の席までやってきて、

「授業は簡単?難しい?」

とお聞きになる。

「クジョクレヨ(まあまあです)」

と答えた。

「ということは、簡単でもなく、難しくもない、てことね」

「ええ、でも、『トゥキ』は、(進むのが)早くて少し難しいです」

私はいまの気持ちを正直に申し上げた。

「やっぱり早かったかしら。でも今日はやらなければいけないことがたくさんあったのよ。次回からは少しゆっくりやることにします」

そうおっしゃったが、次回のリスニングの授業も、おそらくやることがたくさんあるはずである。

さて、前半の授業が終わった、休憩時間でのこと。

私の右側にいた中国人留学生が、2階の自動販売機で買ってきた缶のコーラを私にくれた。そして「こんにちは」と日本語で話しかけてきた。

「あれ、日本語しゃべれるの?」

と聞くと、その学生は、ノートを取り出して、そのノートを読み上げはじめた。

「ハジメマシテ。ワタシハ『チャン・ハン』トモウシマス。ドウゾヨロシクオネガイシマス。○□×△※%&……」

ノートをのぞき込むと、日本語の発音をハングルで書いていた。ただ、後半は、何を言っているのかよくわからなかった。

(以下は韓国語で)「どうですか?合ってますか?」

「合ってるよ。どこで日本語を習ったの?」

「兄が日本で会社に通っているのです。兄はソニーに勤めています」

「あ、そうなの」と答えるが、本当かどうかはわからない。

「BOA、知ってますか?」

「知ってるよ。歌手でしょう」

「かわいいですよね」

「そうだね。日本でも有名だよ」

そうは言ったものの、BOAの歌はほとんど知らない。

会話はそれで終わり。チャン・ハン君はイヤホンを両耳に当て、音楽を聴き始めた。

さて、後半の授業。

ナンシー関に似ている先生の、底抜けに明るい授業である。

授業中に、中国語(や日本語)を喋ったら、歌を歌わせる、という罰ゲームがあると昨日書いたが、「歌を歌ってもらう時間がないので、罰金1000ウォンに変更します!」とおっしゃった。この発想も、いかにも韓国らしい

さて、今日のテーマは「自分の特技」。ピアノが得意だとか、サッカーが得意だとか、得意なもの、あるいは得意になりたいものについて語る。

昨日の授業で、先生は私に「韓国の料理を作ったことがありますか?」と質問された。

私は「テンジャン・チゲをよく作ります」と答えた。何のことはない、日本の味噌汁のようなものなので、こっちは適当に作っているのだが、うっかりこう答えたことが、命取りになる。

もはや先生の中では、私の特技は完全に「テンジャン・チゲを作ること」、になってしまっているのである。今日の授業では、ことあるごとに私に向かって、「テンジャン・チゲを上手に作れるんですよね」「みなさんも、作り方を教わりましょう!」などとおっしゃる。

いつの間にか、私は「テンジャン・チゲを上手に作る」というキャラを与えられてしまったのである。

まあ、うっかり「ノレ(歌)」と答えてしまって、歌を歌わされるよりはましだろう。それとも、いつか、本当にみんなの前でテンジャン・チゲを作らなければならない日が来るのだろうか。

さて、今日出された宿題、「私の特技」と題する作文には、何を書いたらいいものか。

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2級4班、始動!

3月9日(月)

午前中、今学期の授業を担当されるクォン先生のところに行く。

語学の授業自体は、先週から始まっているため、先週はどこまで進んだか、とか、今学期の日程はどうなっているか、などを、授業が始まる前に聞かなければならない。

語学堂の建物の5階の、先生方が集まっている部屋に行くと、たまたまクォン先生がおられた。

クォン先生は、ずいぶん大柄な先生である。眼鏡もかけておいでなので、ナンシー関みたいな感じの方である(たとえがマニアックか?)。後半の、マラギ(対話)の授業を担当されるそうである。

今学期の日程表と、今学期の宿題表と、さらにはパダスギ(毎日授業の最初に行われる書き取り試験)の予定表を受け取る。

「今学期は、踏査とか学会発表とかで、授業を休むことが多くなると思います」

と申し上げると、

「その時は、私に電話してください」

とおっしゃる。

この電話、というのが、いまだに慣れない。

韓国は、日本以上の、携帯電話社会である。

とにかく携帯電話でよく喋る。名刺をいただくと、必ず携帯電話の番号が書かれている。

この語学堂でも、担当の先生の携帯電話番号が印刷されて学生たちに配られる。

携帯電話に対する抵抗が、あまりないのである。

以前、こんなことがあった。

ある学会の懇親会で、学会の主催者の方が、懇親会開会の挨拶をはじめた。すると、ほどなくして、その方の携帯電話が鳴り出した。

その方は、開会の挨拶を中断して、携帯電話に出て、「もしもし」と会話をはじめたのである。

よっぽどのことがない限り、携帯電話に出るものなんだな、とその時実感した。

逆に、それを見てしまうと、いま自分がかけた相手が、たとえ重要な会議中であったとしても、電話に出てしまうのではないか、と、恐れをなしてしまう。

だからますます、携帯電話がかけづらくなるのである。

むろん、韓国人はそんなことを気にしておらず、それを克服しなければ、韓国式の生活に慣れることはできないのだが、まだ、その域には達していない。

だから、直接出向いてお話しする、という面倒な方法を、どうしてもとってしまうのである。

さて、予定表をもらった私は、すぐさま、先週の宿題と、本日のパダスギの勉強をはじめた。このへんが、優等生っぽくていやらしい(実際、今日のパダスギは満点だった)。

そして13:00。授業が始まる。

教室にはいると、学生の1人が、「こっちに座ってください」と指示する。どうやら私の席はもう決まっていたようだ。

隣には、1級1班で一緒だったリ・ミン君がいた。

さっそく、4班のパンジャンニム(班長殿)が、宿題のノートを集めてまわる。私も、先ほど仕上げたばかりの宿題のノートを彼に渡した。

パンジャンニムは、小太りでひょうきんそうな人である。韓国で人気の司会者、カン・ホドン氏を彷彿とさせるが、このたとえもわかりにくいだろう。

わが班の学生は、全部で16人。そのうち、女子が3人である。相変わらず男子の率が高い。

そして、先生が入ってこられた。

前半の文法の先生は、カン先生である。私とほぼ同じくらいの年齢で、サザエさんのような雰囲気の方である。

とにかく、早口でまくしたてる。慌ただしいのである。「買い物しようと町まで出かけたら、財布を忘れ」てしまいそうなタイプの方である。

後半のクォン先生もそうだが、滑舌という点では、前学期の2人の先生のほうが、はるかに勝っていた。こうしてみると、1級の先生方は、かなり明瞭な発音をされていたのだな、とあらためて実感する。

今日は、「○○してはいけません」という表現を学ぶ。「授業中にタバコを吸ってはいけません」とか、「授業中に自国語を喋ってはいけません」など。

先生が1人1人に質問する。「図書館では何をしてはいけませんか?」「話をしてはいけません」

ここまではよい。今度は私のところに来て、何を思ったか「水泳場(プール)では、何をしてはいけませんか?」と質問された。

これはかなりの「むちゃぶり」である。日本語で答えることだって難しい。ましてや語彙が貧困な韓国語で、なんと答えればよいのか?

答えにつまったあげく、「…えーっと、服を着てはいけません」と答えた。

この答えに、なぜかみんなが爆笑した。先生は慌てて、「ごめんなさい。では、図書館で何をしてはいけませんか?」と質問を変えた。

ただ、この答えは、みんなのお気に入りだったらしく、その後も「水泳場では服を着るのではなく、水泳服(海水パンツ)を着なさい」という表現がくり返し例文として使われた。

さて、この班の雰囲気はどうか。

前学期の1級1班とは比べものにならないくらい、まじめである。「授業中に中国語で私語した人には、授業の最後に歌を歌ってもらう」という罰ゲームが取り決められたようで、授業中に中国語で私語する人は、ほとんどいない。基本的にみんな前向きである。

ただし、「ヨジャチング(ガールフレンド)」と「ポッポ(キス)」という言葉が好きな点は、変わらない。

いちばん驚いたのは、リ・ミン君の変貌ぶりである。1級1班の時は、寝てばかりいて、起きている顔を見たことがなかったのだが、この授業では全然寝ていない。そればかりか、授業に積極的に参加して、軽口まで叩いているではないか。

不思議である。実に不思議である。

1級1班に慣れていた私としては、多少、物足りない気がしないでもない。お二人の先生も、いい人すぎて、若干調子が狂ってしまう。前学期の先生のような強烈な個性が、はたして今後発揮されるのかどうか、しばらく見守ることにしよう。

それにしても、最初の週に授業に出られなかったのはやはり痛い。16名の学生の名前も、すべて覚えることができるだろうか?うまくとけ込むことはできるだろうか?

慣れるまでには、まだしばらく時間がかかりそうだ。

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再びの出発

一時帰国中は、けっこう忙しかった。

「せっかくの一時帰国なのに、どうして職場に行ったり、研究会に出たりするかな。休めばいいのに。バッカじゃないの」的なニュアンスのことを妻に言われる(もちろん、そんな言い方はしないのだが)。

「そういう『病(やまい)』なのだから仕方がない」と答えるほかない自分が情けない。

3月5日(木)

夜、学生たちとの飲み会。休み中にもかかわらず、13名が集まってくれた。ありがたい。午前1時頃まで、焼酎を飲みながらいろいろな話をする。とくにこの時期の4年生は、卒論も終わり、4月からの新生活を控え、いまが一番はじけていて面白い。2,3年生のこれからの1年が心配だが、あまり心配するとまた過保護だと言われそうなので、力を合わせてこの難局を乗りきってもらうことを期待しよう。

3月6日(金)

結局、追加で韓国に発送する本を吟味する暇もなく、気がついたものをとりあえず箱に詰めて送ることにする。いろいろあって、午後2時に勤務地を出発。車で東京に戻る。午後8時すぎに、ようやく妻の実家に到着。

3月7日(土)

朝から某所で研究会。研究会終了後、そのまま成田に泊まるため、スーツケースを持って研究会に参加する。

わが師匠をはじめ、韓国留学のきっかけを作っていただいた方々も参加されている研究会なので、参加しないわけにはいかなかったのである。

この研究会には、私が大学3年の時に授業を受けた、ものすごく恐かった先生も参加しておられる。

もう20年近くも前のことである。その先生が教室にやってくると、まず、決まって内側から鍵をおかけになった。つまり、遅刻者を中に入れなかったのである。

授業そのものは、きわめて難解なので、学生の中には、ついうとうとしてしまう者もいた。

ある時、先生は、授業の内容をお話になりながら、その寝ている学生のところにつかつかとやってきて、いきなり、その学生の頭を出席簿のような黒くて堅いファイルで思いっきりひっぱたいた。

寝ていた学生はびっくりして起き上がる。だが先生は、何ごともなかったように授業を続けた。

この先生は恐い、という噂は、以前から聞いていたが、それを目の当たりにした瞬間だった。

後年、私が教員になってから研究会で何度かお会いするようになって、恐る恐るその時の話を切り出すと、

「あれは出席簿ではなくて、黒板消しの裏(の堅い部分)で叩いたんだよ」

とおっしゃった。どうも私の記憶違いだったらしい。先生自身もよく覚えていらっしゃったということは、めったにない事件だったのだろう。

先生も最近は研究でよく韓国に行かれるらしく、私が韓国に留学したことを喜んでおられるようだった。

研究会の後、場所を変えて宴会が始まる。

この共同研究には、留学経験者も多く、彼我の文化の違いとか、学界の作法の違いといった話で盛り上がる。

なかでも、中国に留学経験を持つTさんは、年齢は私と1つ違いだが、私の尊敬する研究者の1人である。学生の頃のTさんは、理論派で、頭が切れて、愚鈍な私からすれば、近づきがたい印象があった。ちゃんと話をした印象もない。

もちろんいまでもその鋭さは変わらないのだが、こうして隣同士でお酒を飲みながら、話をする、というのは、なにか感慨深いものがある。むろん、向こうはそんなことはまったく感じていないだろうが。

その彼から、出版されたばかりの新書をいただいた。韓国へ戻る道中で読んだが、昨今の軽薄な新書とは一線を画する、刺激的で情熱的な本である。そこには、中国での留学体験が存分に活かされている。世に出るべくして出た人だな、とつくづく思う。

1年後、留学を終えたら、ようやく、スタートラインに立てるかも知れない。そのことを信じて、あと1年、頑張ろう。

3月8日(日)、出国も入国も、実にスムーズに進んだ。2度目の出発は、あっけないものだった。

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一時帰国

一時帰国の間に、やらなければならないことがいくつかあった。

その中で最も重要なことは、「県立図書館から借りた本の返却」である。

渡航後、県立図書館から借りた本を1冊、返し忘れていたことが判明。何度か督促のハガキが来たようだが、なにぶん海外ゆえ、どうすることもできない。

人に頼んで返してもらえばいいようなものだが、なにしろその本は、ゴミ屋敷のような研究室に埋もれている。他人が見つけるのは至難の業である。

仕方なく、一時帰国のときに見つけ出し、無事返却する。約3カ月の延滞である。不幸中の幸いで、その本の貸出予約をしている人はいなかった。

もし3カ月後の一時帰国がなければ、1年3カ月延滞するところであった。そしてこれが、図書館の本ではなく、レンタルビデオだったら、延滞料金をいくら請求されたことだろう。ゾッとする。日ごろのずさんな管理体制を反省した。

勤務地に戻った2日(月)、3日(火)の夜は、会いたいと思った人たちと、お酒を飲みながらじっくりとお話ができた。

そして4日(水)。

職場の送別会が、ホテルの披露宴会場みたいな場所で行われた。この機会に便乗して、参加させてもらうことにする。

いろいろな人に、「あれ?なんで帰ってきたの?」と言われるが、そのたびに答えるのがけっこう面倒くさい。「会議のため」だの、「この送別会のため」だの、「ホームシックになった」だの、と、いいかげんな答えをする。

おとなしく飲んでいると、職員の方が私のところにやってきた。

「これから恒例のカラオケをやりますんで、ぜひ先生も歌ってください」

ここ何回か、ホテルの披露宴会場みたいなところで職場の宴会が行われると、決まって後半はカラオケ大会になる。その仕掛け人が、この職員の方であった。

「勘弁してくださいよ。一時帰国してる身なんですから、まずいでしょう」

「いえ、大丈夫です。書類上は何の問題もありません」

カラオケに「書類上の問題」も何もあったものではないが、いかにも職員らしいお答えである。

「何を歌いますか?」

いとしのエリー」か「ブルーライト・ヨコハマ」かで迷ったが、「ブルーライト・ヨコハマ」を歌う必然性が思いつかず、「いとしのエリー」にする。

「いとしのエリー、いいですね。じゃあ、私も歌わせていただきます」

その職員の方と、男2人のデュエット。

たぶん、はじめてカラオケで「いとしのエリー」をちゃんと歌う。

歌い終わって席に戻ると、同世代の同僚が、

「この歌、私たちの世代にとって、ど真ん中の歌ですよねえ」

としみじみ言う。

私はそれほど思い入れはないんだけどな。ただ単に、2カ月ほど前のリベンジで歌っただけなのだが。

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飛行機での出来事

2月28日(金)

日本へ帰る飛行機でのこと。

私の席は、3列ある席のうちの、真ん中だった。つまり、窓側の席と通路側の席に挟まれた席である。

私が飛行機に乗り込むと、すでに窓側の席と通路側の席に人が座っている。

窓側の席は、日本にビジネスに行くと思われる、韓国人の女性。

通路側の席は、一見して「極道」か?と思われる恐そうな顔つきの日本人男性。

俳優の哀川翔と寺島進を足して2で割った感じのお方である(マニアックすぎてわからないか)。

恐縮して真ん中の席に座る。

次から次へと乗客が乗り込むが、どうも通路側の席のお方の腕に体が触れるようで、そのたびに、「痛てーな、バカヤロウ」「なんだ、コノヤロウ」と、悪態をおつきになる。といって、別にお酒を飲んでいるわけでもない。

これは本物のお方かも知れない、と思い、たちまち身動きがとれなくなってしまった。

いつもより倍の汗が出て、止まらなくなってしまう。

だが、ちょっと微笑ましかったのは、その方が、誰よりも早く、シートベルトを装着したことであった。まだ、客室乗務員のアナウンスが始まる前から、しっかりとベルトをお締めになる。

なぁんだ。無法者かと思っていたが、けっこう従順な人なんじゃないか。

しかし、離陸後もしばしば右隣(通路側)の方の顔をチラッ、チラッと拝見したが、やはり恐そうな顔である。

客室乗務員の方が、軽食を持ってきた。私のところに軽食の箱を置こうとしたとき、その箱がその方の手に少し触れた。

「お手もと、ぶつかってしまい、大変申し訳ございません」

と、客室乗務員の方も、必要以上に恐縮している。

さらに、軽食を食べている最中、客室乗務員がそのお方のところにやってきて、

「ご挨拶が遅れまして大変申し訳ございません。本日もご搭乗まことにありがとうございます」

と挨拶している。そのお方は無言のまま。

いったいこの人は何者なのだろう?

さて、この航空会社の軽食は、「お寿司」に、「プレーンヨーグルト」に、「おかき」という「素敵な」組み合わせである。この航空会社はよく利用するのだが、機内食のセンスは、なんとかならんものか、と思う。

お寿司が食べ終わり、さて次はプレーンヨーグルトを食べようかと、カップの蓋を開けた途端、気圧の関係で、中のヨーグルトが、勢いよく外に飛び出した。そして、ヨーグルトが顔と服に飛び散ってしまった。

ピチャッ!

慌てて顔についたヨーグルトを拭き取ると、左隣の韓国人の女性も、顔を拭き始めた。

「すいません…」

ヨーグルトは、左隣の席の方にも飛び散ったようだ。

ということは……。

恐る恐る右隣を見る。

よかった!右隣のお方には飛び散らなかったようだ。

もしこれが、そのお方の服にでも飛び散ろうものなら、「どないしてくれるんや!今すぐ弁償できひんのやったら、ここでエンコ詰めてもらうで!」と言われたかも知れない。

そのことを妄想し、再び汗が止まらなくなる。

飛行機は無事成田空港に着陸。私も無事だった。

飛行機から降りると、その恐い顔のお方は、お年を召した貫禄のある方と合流して、なにやら談笑している。

ひょっとしてあの方は「親分」か?そして親分はビジネスクラスに、子分はエコノミークラスに乗っていた、ということか?

妄想はさらに広がる。

結局、そのお方が何者かはわからなかった。単にふつうのビジネスマンだったのかも知れない。

むかし、ダウンタウンの松本が、「なんといっても一番恐いジェットコースターは、常に横にヤクザが乗っているジェットコースターやね」と言って、「『恐い』の意味が違うやろ!」と、浜田につっこまれていたことを思い出す。

しかし、そんな恐そうな人でも、いち早くシートベルトを装着した姿は微笑ましい。決して、無法者ではなかったのだ。

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