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落ち込んだり笑ったり

語学の授業のスパルタぶりには、ときどき耐えられなくなる。

2人の先生は、暇さえあれば、「勉強しなさい、勉強しなさい」とおっしゃる。子どものころ、親にだって言われたことがないくらいの頻度で、おっしゃるのである。

これが1日4時間、毎日くり返されると、さすがに神経がまいってしまう。

今日、先生に「家族はどこにいますか?」と聞かれたので、「日本にいます」と答えると、先生は「じゃあ寂しいでしょう」とおっしゃった。

「ええ、ストレスがたまります」と答えると、「韓国語を一生懸命勉強すれば大丈夫よ」と、まったく慰めにならないことをおっしゃる。その言葉がまた、プレッシャーとなって、私に覆いかぶさってくるのである。

パダスギ(毎日授業で行われる聞き取り試験)も、つまらないところで間違えて、満点がとれなくなってしまっている。

いったい自分は何をやっているのか、という気分になってくる。

でもまあ悩んでいても仕方がない。こういうときは、周囲を客観的に観察するにかぎる。

わが班の中国人留学生たちは、前学期の1級1班の留学生たちとくらべて、はるかに勉強熱心であることはすでに書いたとおりだが、しかし感性という点においては、その本質は同じである。

後半の「マラギ」(対話)の授業で、例文にならって対話を作る、という練習がある。いわば、学生2人で、アドリブで対話を作りあげていく、というものである。

前学期の1級1班の連中が、アドリブでむちゃくちゃな対話を作りあげていった様子は、すでに何度も書いてきたが、今回の2級4班の学生たちも、その本質はまったく同じであることが、だんだんわかってきた。

「こんにちは」

「こんにちは。どこに行くの?」

「○○に行くつもりなんだけど」

「どうやっていけばよいかわかるの?」

「○番のバスに乗ればいけるでしょう?」

「いや、○番のバスではなくて、×番のバスに乗らなければダメだよ」

「あ、そう。時間はどのくらいかかる?」

「20分くらいかな」

「ありがとう」

これが、基本の会話である。これをもとに、学生2人で対話を作りあげていかなければならない。

リ・ポン君は、ほっぺたの赤い、とても愛嬌のある顔をしている。一度見たら忘れられない顔だ。残念ながら、ヨジャ・チング(ガールフレンド)がいない。

そのリ・ポン君と、隣のホ・ヤオロン君の会話練習。

リ「こんにちは」

ホ「こんにちは。どこに行くの?」

り「自分の家に行くんつもりなんだけど」

ホ「どうやっていけばよいかわかるの?」

り「よくわからないんだ。どうやっていったらいいか知ってる?」

…この時点で、すでにこの会話はおかしい。自分の家の行き方がわからないなんてことはありえないのだから。

ホ「なぜ自分の家がわからないの?」

リ「実は、ヨジャ・チングの家なんだ。僕はヨジャ・チングが5人もいるから、どこに行っていいかわからないんだ」

ヨジャ・チングのいないリ・ポン君が虚勢をはる。

リ・ポン君にヨジャ・チングがいないことを知っているホ・ヤオロン君は、執拗に攻撃を始める。

ホ「ヨジャ・チングとは、どこで知り合ったの?」「ヨジャ・チングの名前はなんて言うの?」「ヨジャ・チングと何をするの?」

リ・ポン君は、虚勢を張ってみたものの、ホ・ヤオロン君の執拗な攻撃に、しどろもどろになりかける。

ホ「ヨジャ・チングの家まで、どのくらいの時間がかかるの?」

り「2年だね。なぜなら、ゆっくり歩くから」

リ・ポン君は、そろ~りそろ~りと歩くようなジェスチャーを交えて答える。ここまでくると、もう訳がわからない。

そしてホ・ヤオロン君が、

「病院に行け!」

と突っ込んで、会話が終了する。

「ヨロブン、パクス(みなさん、拍手)!」

と先生がおっしゃって、みんなが拍手するが、何に対する拍手かも、もうわからない。

この2人だけではない、他の人たちも、会話が次第にシュールな方向に進んでいく。

日本の漫才にも似た、ボケとツッコミの対話である。漫才は、東アジア特有のお笑いの感性なのか?それとも、彼らの若さによるものなのか?よくわからない。

「しょーもない」笑いだが、彼らの感性に、もうしばらくつきあうことにしよう。

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