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妄想

先月行われたワークショップのときの集合写真が送られてきた。

その写真を見ると、2日目の午前中、野外で私たちに長時間の講義をしていただいた地元の大学の先生が、携帯電話を耳にあて、横を向いておられる。

それを見て思いだした。たしか、集合写真を撮るためにみんなが並んで、

「ハイ、撮りますよー。いいですかー」

と、撮影者がまさに言おうとしたとき、私の隣にいたその先生の携帯電話が鳴りだしたのだ。

そして先生は、携帯電話をとって、「もしもし」と話しはじめた。

写真を撮る人は、それでもかまわず、シャッターを押したのであった。

集合写真の撮影の真っ最中に、携帯電話に出る人と、それでもかまわず、ぱっぱと集合写真を撮ってしまう人。どちらも、「国民性」をよくあらわしているような気がして、微笑ましい。

異文化体験は、本当に面白い。

そういえばその先生は、野外で私たちに説明されている最中も、ひっきりなしに携帯電話が鳴って、そのたびに説明が中断していたことを思い出した。

3月24日(火)

前半の授業に、2人の先生が見学にいらした。公開授業、というやつであろうか。「粗忽者の先生」も、若干いつもと違い、多少余裕を持って授業をはじめられたが、次第にいつものハイペースの喋りに戻っていく。サザエさんのような髪型、芸人のような声の張り方、間合い、表情は、見ていて相変わらず面白い。

後半の授業では、大柄の先生が、授業風景をビデオにおさめていた。たまに授業風景をビデオにおさめているようなのだが、何のためにしているのだろう。

「みなさーん。もしみなさんがうるさかったら、このビデオをキム先生に見てもらいますからね。いいですかー」

「キム先生」とは、「猟奇的な先生」のことである。

「先生!それだけはやめてください!」

と、学生たちは一斉に懇願する。

いかに「猟奇的な先生」がほとんどの学生たちに恐れられているか、ということがわかるが、問題はそれだけではない。ひょっとして、このビデオは、本当に「猟奇的な先生」がチェックしているのではないか、という妄想にとらわれる。何のために?大柄の先生の授業の様子をチェックするために?

あの先生ならやりかねない。

もう一つ、気になることがあった。

大柄の先生は、数日に1度、人の顔を描いたTシャツを着てこられる。

ふだん、他人の衣装などほとんど気にしない私が、なぜかそのTシャツを気にしたのは、その顔が、作曲家のキダ・タロー氏にそっくりだからである。

しかも、大柄の先生だけに、Tシャツも大柄である。そこに描かれた顔は、大柄の先生並みか、それ以上の大きさであった。

とくにひどく疲れているときなど、どちらが本当の先生のお顔なのか、ときどきわからなくなることがある。うっかりTシャツの顔と目が合ってしまうことも、しばしばである。

さらに疲れがひどいときには、そのTシャツの顔が、そのうちしゃべり出すのではないか、という妄想にとらわれる。

本当はTシャツの顔の方が先生の頭脳で、その上にあるお顔(本当のお顔の方だが)が、その頭脳によって喋らされているにすぎないのではないか。

ここまで妄想にとらわれたときには、少し休んだ方がいいかもしれない。

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