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壊されるプライド、癒される再会

昨日の「クイズ」の答案が戻ってきた。

25点満点で23点。2問間違えたことになっている。

しかし、どう見てもその2問とも正解である。

先生が私のところにきておっしゃった。

「答えは合っていたのよ。でも、書き方が間違っていたの」

どういうことだ?

明らかに正答だ、とわかる答えを書いたのである。にもかかかわらず、解答の書き方が少し違うため、○にはならないという。

意味がわからない。答えが合っているんだったら、、なぜ○にしないのか?

「この語学堂でそういう取り決めになっているのよ」

と先生はおっしゃるが、ますます理解不能である。

つまり、答えが明らかに正答でも、解答の仕方が違う、という技術的な問題で、ダメなものはダメだ、というのである。この理屈が、私には全然わからなかった。あまりにも理不尽である。

これは常識に属することだと思うが、およそ試験には、「落とすための試験」と、「能力をみるための試験」の二つがある。

「落とすための試験」とは、つまりは選抜試験である。「能力をみるための試験」とは、つまりは資格試験である。

たとえば、語学の2級から3級への昇級に際しては、限られた人が選抜される、というわけではない。だから、「落とすための試験」ではないはずである。

ところがどうだ。まるでこれでは、「落とすための試験」をやっているようではないか!

いたずらにサディスティックであるとしか言いようがない。

何という理不尽!そのことを抗議しようと思ったが、その抗議の言葉が出なかった自分が情けない。

憮然とした表情をしていると、「いちおう(上の方に)話してみます」と先生はおっしゃるが、たぶん、ダメだろう。

ということで、今日はずっと意気消沈。授業中も、この理不尽さについて、ずっと考えていた。

明らかに正答だとわかる答えを書いたのに、ちょっとした書き方のミスで誤答扱いされる。あまりにも厳しすぎる。いったい、なぜこれほどまでにサディスティックなのか?

ふと頭によぎったのは、ひょっとして、これは「猟奇的な先生」の意向なのではないか、ということだった。

「猟奇的な先生」は、基本的に性悪説の立場に立っている。つまり、学生は不正をするものである。まじめに勉強しないものである。だから、私情を捨てて、容赦なくしばりつけなければならない。そういう考えの持ち主である。3カ月の授業を受けてきて、そのことは身にしみて感じてきた。

そして、もう一つ思い出すのは、以前、マ・クン君が私に話してくれた話である。

1級1班時代、マ・クン君の家に遊びに行ったとき、マ・クン君が私に、次のようなことを話してくれた。

「僕が前学期、遊んでばかりいたととき、担任のナム先生が、僕の家にまできてくれて、補習授業をしてくれたんです。そして、休んでいて受けなかった『クイズ』を、別の日に受けることができるようにとりはからってくれようとしました。でも、キム先生が、『別の日にクイズを受けさせることは、絶対にダメだ』といって、結局、クイズを受けさせてくれなかったのです}

ここでいう「キム先生」とは、「猟奇的な先生」のことである。一斉に行うべき「クイズ」を、別の日に受験させることは、不正につながる、という意味から、ナム先生の努力にもかかわらず、マ・クン君は「クイズ」を受けることができなかった、というのである。

一切の例外を認めない、とする姿勢は、いかにも「猟奇的な先生」らしい。そして、これらの方針に、「猟奇的な先生」がかなりの影響力を持っていることも、この話からわかる。

そして私には、以前の中間考査のときの、「猟奇的な先生」の啖呵と、その時察知した思いが、再びよみがえってきた。

たしかに、「猟奇的な先生」は、語学堂の他の先生とは、一線を画する。多くの先生が大部屋にいるのに、先生は個室である。彼女が絶大な影響力を持っていることは、想像に難くない。

やはり、この語学堂で発言権が強いのは、「猟奇的な先生」なのではないか。だから、サディスティックなまでの方針が、次々と打ち出されるのではないか?

1級から逃れてもなお、私は、見えない敵と戦わなければならないのか?

私の(被害)妄想は、たちまちふくれあがる。

たしかに妄想かも知れない。ただ、そのことを差し引いたとしても、この語学の授業は、私のプライドをズタズタにしてくれる。

私より年齢が半分の、聞き分けのない中国人留学生たちに対して、先生方は、まるで小学生に対するかのように、扱う。それは、いちおう分別のある私に対しても、同じである。

少なくとも、人生経験が多少なりともある私に対して、私より年下の「先生」が、まるで小学生を扱うがごとくの中国人留学生たちと、同列に扱っていることが、ときおり、理屈ではなく、我慢ならなくなるのである。「教室にいるときは、一介の学生である」と、自分に言い聞かせたとしても。

たぶんこの気持ちは、その場にいないと理解してもらえないだろう。

中国人留学生たちは、相変わらず、無邪気に授業を楽しんでいたが、今日ばかりは、そういう気にはなれなかった。

授業が終わって、落ち込んでいると、携帯電話が鳴った。

取ると、日本の某大学の先生からだった。なんと、いま、大学間の交流協定を結ぶために、私の通っている大学に来ているという。

その先生は、私の出身大学の大先輩である。いや、大先輩というよりも、師匠筋にあたる先生である。

急遽、夕食をご一緒する。大学院生のみなさんも来ていたので、総勢20名ほどの大宴会となる。

その先生は、私との再会を、いたく喜んでおられるようだった。とにかくよくお喋りになる。還暦を過ぎたというのに、えらくお元気である。

私も、その先生の横でお酒を飲んで、先生の途切れないお喋りを聞きながら、かなりの元気をもらう。

少し気持ちがリセットできた。明日も頑張ろう。

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