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再びの出発

一時帰国中は、けっこう忙しかった。

「せっかくの一時帰国なのに、どうして職場に行ったり、研究会に出たりするかな。休めばいいのに。バッカじゃないの」的なニュアンスのことを妻に言われる(もちろん、そんな言い方はしないのだが)。

「そういう『病(やまい)』なのだから仕方がない」と答えるほかない自分が情けない。

3月5日(木)

夜、学生たちとの飲み会。休み中にもかかわらず、13名が集まってくれた。ありがたい。午前1時頃まで、焼酎を飲みながらいろいろな話をする。とくにこの時期の4年生は、卒論も終わり、4月からの新生活を控え、いまが一番はじけていて面白い。2,3年生のこれからの1年が心配だが、あまり心配するとまた過保護だと言われそうなので、力を合わせてこの難局を乗りきってもらうことを期待しよう。

3月6日(金)

結局、追加で韓国に発送する本を吟味する暇もなく、気がついたものをとりあえず箱に詰めて送ることにする。いろいろあって、午後2時に勤務地を出発。車で東京に戻る。午後8時すぎに、ようやく妻の実家に到着。

3月7日(土)

朝から某所で研究会。研究会終了後、そのまま成田に泊まるため、スーツケースを持って研究会に参加する。

わが師匠をはじめ、韓国留学のきっかけを作っていただいた方々も参加されている研究会なので、参加しないわけにはいかなかったのである。

この研究会には、私が大学3年の時に授業を受けた、ものすごく恐かった先生も参加しておられる。

もう20年近くも前のことである。その先生が教室にやってくると、まず、決まって内側から鍵をおかけになった。つまり、遅刻者を中に入れなかったのである。

授業そのものは、きわめて難解なので、学生の中には、ついうとうとしてしまう者もいた。

ある時、先生は、授業の内容をお話になりながら、その寝ている学生のところにつかつかとやってきて、いきなり、その学生の頭を出席簿のような黒くて堅いファイルで思いっきりひっぱたいた。

寝ていた学生はびっくりして起き上がる。だが先生は、何ごともなかったように授業を続けた。

この先生は恐い、という噂は、以前から聞いていたが、それを目の当たりにした瞬間だった。

後年、私が教員になってから研究会で何度かお会いするようになって、恐る恐るその時の話を切り出すと、

「あれは出席簿ではなくて、黒板消しの裏(の堅い部分)で叩いたんだよ」

とおっしゃった。どうも私の記憶違いだったらしい。先生自身もよく覚えていらっしゃったということは、めったにない事件だったのだろう。

先生も最近は研究でよく韓国に行かれるらしく、私が韓国に留学したことを喜んでおられるようだった。

研究会の後、場所を変えて宴会が始まる。

この共同研究には、留学経験者も多く、彼我の文化の違いとか、学界の作法の違いといった話で盛り上がる。

なかでも、中国に留学経験を持つTさんは、年齢は私と1つ違いだが、私の尊敬する研究者の1人である。学生の頃のTさんは、理論派で、頭が切れて、愚鈍な私からすれば、近づきがたい印象があった。ちゃんと話をした印象もない。

もちろんいまでもその鋭さは変わらないのだが、こうして隣同士でお酒を飲みながら、話をする、というのは、なにか感慨深いものがある。むろん、向こうはそんなことはまったく感じていないだろうが。

その彼から、出版されたばかりの新書をいただいた。韓国へ戻る道中で読んだが、昨今の軽薄な新書とは一線を画する、刺激的で情熱的な本である。そこには、中国での留学体験が存分に活かされている。世に出るべくして出た人だな、とつくづく思う。

1年後、留学を終えたら、ようやく、スタートラインに立てるかも知れない。そのことを信じて、あと1年、頑張ろう。

3月8日(日)、出国も入国も、実にスムーズに進んだ。2度目の出発は、あっけないものだった。

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コメント

先日はお疲れにもかかわらず、来ていただいてありがとうございました。
有給休暇とることができたら、韓国に遊びに行きたいと思います。その時は、また(?)、「多事争論」できればと思います。
お体にお気をつけて。

投稿: 卒業間近の4年 | 2009年3月 9日 (月) 00時25分

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