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2009年4月

カップルTシャツ

4月29日(水)

文法の授業で、「○○しながら○○する」という表現を学ぶ。

「リ・ポン!前に出て歌って踊りなさい」

突然、「粗忽者の先生」が、愛嬌のある赤ら顔のリ・ポン君を指名する。

え?なんで?という顔をするリ・ポン君。

「いいから早く歌って踊りなさいよ。でないと文法の勉強ができないでしょ」

意味がわからないが、リ・ポン君はかたくなに拒否する。

「ソンセンニム(先生)、腰が痛くて踊れないんです」

リ・ポン君は、本当はみんなの前で踊るのが恥ずかしいようである。

「いいから踊りなさい。踊らないと0点にするわよ」

先生も、今回ばかりはなぜかしつこい。

まわりの学生たちも拍手する。当然私も大きな拍手。

それでもリ・ポン君はいやがるが、先生も引き下がらない。

リ・ポン君は仕方なく立ち上がって、歌を歌い始める。

「歌だけではダメよ。踊りも踊りなさい」

「待ってください。歌が盛り上がったところで踊るんですから」

そういうと、例の、キモチワルイ腰つきの珍奇な踊りを、歌に合わせて踊り始める。

その瞬間、「粗忽者の先生」は本気で大笑いする。よっぽどツボらしい。

歌と踊りが終わると、リ・ポン君は後悔に満ちた顔で席に戻る。

「さあ、いいですか。今のを韓国語で言ってみてください。『歌を歌いながら、踊りを踊る』ですねー」と先生。

この一文を説明するために、わざわざリ・ポン君に歌と踊りをさせたのか。本当は、先生自身が単にリ・ポン君の踊りを見たかっただけじゃないのか?

ここ最近、「粗忽者の先生」も、わが班を完全に楽しんでいる。

後半の授業、3時間目。

「教科書の練習問題をやってくださーい。終わったら当てますからねー」と大柄の先生。

必死になって練習問題をやっていると、まわりがどうもうるさい。先生も一緒になって大騒ぎしている。

うるさいなあ、と思いつつも、いつものことだ、と思いなおし、下を向いたまま練習問題を解き続ける。

終わって顔を上げると、大柄の先生が私におっしゃる。

「いま、何があったか気づきましたか?」

「いえ、練習問題をやっていたので…」

何があったんだろう?

すると横にいるパンジャンニム(班長殿)こと、ス・オンイ君が、

「前の2人の服を見てください」と言う。

ちょうど私の正面に座っている、キザなタン・シャオエイ君と、まじめ美人のル・ルさんの2人を見て驚いた。

「あ、ペア・ルックだ」

目の前に座っていたのに、いまのいままで全然気がつかなかった。

いまごろ気づいたのか、と言わんばかりに、教室は爆笑。

「まさか、…2人は、…つきあってるの?」

パンジャンニムがうなずく。

「先生も驚いたんですよ」と大柄の先生。だから一緒になって騒いでいたのか。

だけどおかしい。美人のル・ルさんには、たしか大学生のナムジャ・チング(ボーイ・フレンド)がいたはず。韓国に2年も暮らしているキザなタン・シャオエイ君には、ヨジャ・チングがいなかったのだろうか。

「2人はいつからつきあっているの?」と、大柄の先生が根掘り葉掘り聞き始める。

「先週の土曜日からです」とタン・シャオエイ君。

電光石火、とはこのことである。

パンジャンニムも、「きっとその時、2人の目から火花が出たんでしょう」と、目から火をふくジェスチャーをして笑いをとる。

当の2人は、みんなの知るところとなって、まんざらでもない、という顔をしている。

さて、わからないのがペア・ルックである。韓国では「カップルTシャツ」というらしいが、町を歩いていると、カップルがやたらこの「カップルTシャツ」を着て歩いている。いい年齢をした夫婦でも着ている場合がある。日本では考えられないことだろう。中国人留学生も、「カップルTシャツ」を臆面もなく着られるのだな。

キザでおしゃれで大人びたタン・シャオエイ君と、美人でまじめでお菓子好きのル・ルさんは、たしかに絵になるカップルではある。

わが班でのカップル誕生、ということもあって、他のみんなも心なしかウキウキしている。休み時間の間も、2人に関する話題は尽きない。

不思議なもので、彼らの話す言葉が全然わからないにもかかわらず、何を話しているかが、なんとなく想像できるようになってくる。

リ・ポン君が、「孫悟空」ことチャン・イチャウ君を指さして、みんなに何か提案をしている。他の人びともそれに賛同する。

「なあなあ、2人の結婚式に、チャン・イチャウが司会したらよくねえ?」

「いいね、それは」

「やだよ、俺は」

そう言っているように聞こえる。

チャン・イチャウ君が、隣に座っているチエさんに何かヒソヒソと話しかけて、それを聞いたチエさんがチャン・イチャウ君をひっぱたいている。

「なあなあ、俺たちもつきあわねえか?」

「バカ!」

そう言っているように聞こえる。

休み時間が終わり、4時間目の会話練習。いつも以上に明るい雰囲気の授業風景。私も、今週のパートナー、パンジャンニムと韓国語の会話が弾む。

そんな2級4班の授業も、来週の金曜日で終わりである。

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ヤン・シニャン君の謎

4月28日(火)

孤高の美青年、ヤン・シニャン君が久しぶりに授業にあらわれる。

休み時間、わが班のパンジャンニム(班長殿)ことス・オンイ君が、ヤン・シニャン君に近づき、財布からお金を取り出す。1万ウォン札や1000ウォン札などである。

そしてそれを、ヤン・シニャン君に渡して、深々とお辞儀をした。

ヤン・シニャン君は、これではもらいすぎだよ、とばかりに、1000ウォン札をパンジャンニムに返そうとするが、「まあまあ、受け取ってください」とばかりに、パンジャンニンがその手を押し戻す。

何度かそのやりとりがあったあと、結局ヤン・シニャン君はパンジャンニムのさしだしたお金を、すべて受けとり、自分の財布にしまう。

この光景は、今日に限ったことではない。今までも、何度となく見てきた光景である。パンジャンニムの渡したお金が、韓国のウォン紙幣の場合もあるし、中国の元紙幣の場合もあった。パンジャンニムは、お金を渡すたびに、深々とお辞儀をする。

パンジャンニムだけではない。コンピューターゲーム好きのオタク風青年、リ・ペイシャン君もまた、ヤン・シニャン君に1万ウォン札を数枚、渡していた。

そしてときおり、ヤン・シニャン君が1万ウォン札の札束を数えては、財布にしまっている光景も見かける。

いったいこの一連の光景は、何を意味しているのだろう。わが班をとりしきる、パンジャンニムが、授業にほとんどあらわれないヤン・シニャン君に、頭を深々と下げてお金を渡しているのは、どういうことなのだろう。

といって、ヤン・シニャン君は、べつに脅して金を巻き上げているわけでは決してない。むしろ、色をつけてお金を渡しているパンジャンニムに対して、「これはもらいすぎだよ」とばかりに、もらいすぎた分を返そうとまでしているのである。

うーむ。これはどういうことなのか。

ヤン・シニャン君が、妖しげな雰囲気を漂わせる美青年なだけに、何かあらぬ想像をかき立てられてしまう。何かとんでもない商売でもしているのだろうか。怪しい。怪しすぎる。

めったに授業に来ないことも、その怪しさに拍車をかけている。

…ま、単に飲み会の精算をしているに過ぎないのかも知れないが。それにしても、パンジャンニムの、お金を渡したときの恐縮した態度には、それ以上の何かを感じるのである。

考え過ぎかも知れない。これも妄想というべきか。

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間違えたら罰金100ウォン

4月27日(月)

「今日の授業は、今まででいちばん重要な文法をやります。これがわからないと、これから韓国で生きていけませんよ。だから授業をよく聞きなさいよ」

いつになく「粗忽者の先生」が、神妙な顔つきでおっしゃる。

留学生たちに授業を注目させるためにそこまで言うか?と思ったが、さにあらず。本当に重要な文法だった。

今までずっと、日本語でいえば「です・ます」体の表現を使ってきたが、今日は、はじめて「である」体の表現を学ぶ。

この「である」体の表現は、新聞、小説、論文など、あらゆる媒体で使われる。だからこの「である」体を使えるようにならないと、たしかに生きていけないのである。しかも、韓国の大学に進学しようと考えている留学生たちにとっては、死活問題である。

「です・ます」体を「である」体に言い直す練習。簡単そうだが、けっこう難しい。

「いいですか。これから一人ひとりあてていきます。間違えた人から100ウォンづつ罰金を徴収しますよ」と先生。

もちろん、本気ではないが、いかにも韓国らしいペナルティである。

本気ではないにせよ、留学生たちにとってはプレッシャーである。一人ひとり、緊張しながら解答する。

ひとまわりしたあと、「さてみなさん。今度は、教科書の問題ではなく、『である』体の文を自分で考えて言ってください。言い間違えた人は、今から罰金は200ウォンに上がります」

そして先生はつけ加える。

「チング(友達)の言った文章が、文法的に間違いだと気づいた人は、『間違いだ!』と指摘してください。いちばん早く指摘した人に、200ウォンをさしあげます」

つまり、他の人の間違いを告発した人に賞金が支払われる、というわけである。

ここから、壮絶なバトルが始まる。

誰かが言い間違えるたびに、他の人たちが「間違いだ!」と指摘する。まさに告発合戦である。

いちばんの犠牲者は、「孫悟空」ことチャン・イチャウ君である。彼は天然のところがあるので、「絶対に間違えるな」というところで、間違えてしまう。

しかも、簡単な文を作ればいいものを、長い表現を作ろうとして、自爆するのである。

何度も同じところで間違えるチャン・イチャウ君に、先生も本気で大笑いしてしまう。

他の人たちは、足下をすくわれないように、「ここは教室だ」とか、「今日は日曜日だ」とか、短い文ばかり作るようになる。

「短い文章ではダメよ。もっと長い文章を作りなさい!」と先生。

「ホ・ジュエイ!長い文章を作りなさい」

雨上がり決死隊の蛍原に髪型までそっくりのホ・ジュエイ君が答える。

「チャン・ハンと、マ・ロンと、リ・ポンと、リ・ミンと、ル・タオと、チャン・イチャウと、タン・シャオエイと、リ・ペイシャンと、ヤン・シニャンと、ホ・ヤオロンは、かっこいい」

「なによそれ」

「だって長い文章を作れ、と言われたので」

「そういうことじゃないでしょ!」

瞬時に考えつくホ・ジュエイ君の才能はすごい。私は手を叩いて大笑いする。

語学の授業であることを忘れる瞬間である。

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ジャケットを探す旅

少しさかのぼって、先週の4月24日(金)のこと。

夕方、語学の授業が終わって、KTXでソウルに着いたのが、午後7時30分頃。

小雨が降っていて、ものすごく寒い。

ところが私は、長袖シャツ1枚を着ているだけで、上着を持ってこなかった。これでは凍え死んでしまう。

そこで、夕食後、妻と一緒に、東大門市場に行って、上に羽織るジャケットを買いに行くことにする。

翌日は学会なので、学会に着ていってもおかしくないような、それでいて、少しラフなジャケット、というのをイメージした。

東大門市場の中の、有名なビルに入り、ジャケットを探す。そのビルには、若者向けのおしゃれな衣料品関係の店がひしめいていて、日本人観光客もよく訪れる場所である。

男性衣料品売り場のある階に行き、店をひとつひとつ見て回ることにする。

すると、見たことのあるTシャツが…。

キダ・タロー氏そっくりの顔を書いたTシャツだ!

大柄の先生が着ているものと同じものである。

1軒だけではない。別の店にも、同じデザインのものがある。けっこう人気があるTシャツなんだな。

(これ、語学の授業に着ていったらウケるだろうなあ…)

と思いながら、買う勇気もなく、気をとりなおして自分のジャケットを探すことに専念する。

ところが、行く店行く店、私のサイズに合うジャケットが見つからない。

「お客様に合うサイズのものはございません」

と言われるか、あったとしても、ダッサダサのものしかない。

これはかなり凹む。これではまるで、「おめえに食わせるタンメンはねぇ!」(次長課長の河本)ならぬ、「お前に合う服はねぇ!」と言われているようである。さらには、「お前なんか、生きてる価値がないんだよ!」と言われているようにも聞こえてくる。衣料品のメッカである東大門市場で探してみて見つからない、ということは、世界中どこを探しても、サイズの合うジャケットがない、ということではないのか?

結局、そのビルに私のサイズに合うジャケットはなかった。

「まあ、渋谷の109でジャケットを探すようなものだから…」

と、妻が慰めにもならない言葉をかける。やっぱり痩せなきゃダメだな、と痛感する。

おしゃれなビルで買うのをあきらめ、そのビルの近くにある、「平和市場」という、アジョッシ(おじさん)やアジュンマ(おばさん)がやっている問屋街みたいなところに行く。ここでも見つからずあきらめかけるが、最後の最後に、ようやく1軒見つけ、サイズ、デザインとも気に入ったジャケットを買うことができた。アジョッシが5万ウォンと言ったのを、4万ウォンにまけてもらう。

平和市場が閉店する、午前0時直前のことであった。

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生態

先週の火曜日、語学の授業で今学期3回目の「クイズ」があった。

中国人留学生たちは、例によって、自分のクイズの点数がひどく気になるようである。

翌水曜日の1時間目、「粗忽者の先生」が入ってくるなり、留学生たちがいっせいに質問する。

「ソンセンニム(先生)!クイズ、チョムス(クイズの点数は)?」

いくらなんでも採点結果が翌日にわかることはない。先生も「明日明日。明日よ」と答える。

翌木曜日、先生が入ってくるなり、留学生たちは、

「ソンセンニム!クイズクイズ!」

と騒ぎ出す。先生が、

「明日明日。明日よ」

と答えると、

「ソンセンニム!昨日は、今日知らせる、って言ったじゃないですか?」

「え?そうだったかしら。言い間違えたのよ。明日にならないと先生だってわからないわ」

としらを切る。

ところが、ここで事件が起こる。

1時間目が終わった休み時間、廊下にいた中国人留学生が騒ぎ出した。ある班(クラス)では、留学生たちがクイズの点数を教えてもらった、というのだ。

つまり、とっくに結果が出ているのに、先生は教えてくれなかった、ということである。

「ソンセンニム!どういうことですかー」

2時間目の授業が始まった早々、留学生たちは「粗忽者の先生」を責め立てる。

「あら、なんで教えちゃったのかしら。どこの班の先生?」

と先生は慌てだした。

ここからは私の想像だが、中国人留学生たちが、クイズの点数をあまりにも気にしすぎることが、語学の先生の間でも問題になったのではないだろうか。そこで、班によって、点数発表の日がバラバラにならないように、「金曜日の授業時間内に発表する」という紳士協定が結ばれたのではないだろうか。「粗忽者の先生」が、当初、水曜日の段階で「明日発表する」と言ったものの、結局金曜日にせざるを得なかったのも、そういう事情が背景にあったのではないか。

そして、留学生たちの要求に抗しきれなかったのか、とある班の先生は、フライングして木曜日に点数を教えてしまったのではないか。今ごろその先生は、会議でやり玉にあがっているかも知れない。

そして金曜日。

「粗忽者の先生」が教室に入ってくるなり、中国人留学生たちの大合唱。

「ソンセンニム!クイズ、クイズ!」

先生は、

「クイズ?今日はクイズなんてやらないわよ」

ととぼけてみせる。

「ソンセンニム!そうじゃなくて、チョムス(点数)です!チョムス」

「あ、点数のことね。そういえば今日点数を教える、て言ったかしらね」

先生は、留学生たちの生態を知りながら、わざとじらしているようだ。

「でも、授業をしてからの方がいいと思うわよ。落ち込むから。」

「大丈夫です先生!絶対に落ち込みませんから」

これも、彼らの常套表現。

「でも、パダスギ(書き取り試験)をしてからですよ」

そう言って、パダスギをはじめる。

パダスギが終わると先生は、

「さあ、授業を始めます」

とおっしゃった。

留学生たちがまた騒ぎ出す。

「ソンセンニム!クイズ、クイズ!」

先生もしらを切ろうとしたが、これ以上はやはり無理だったようだ。

先生が渋々と、クイズの答案をひとりひとりに配る。

案の定、落ち込む学生が何人も出る。これもいつもの光景。

いまだにわからない。なぜ彼らは、一刻も早く点数を知りたい、と思うのか。それが、彼らの生態なのか?

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サムルノリ戦争!

4月26日(日)

金曜夜、休暇でソウルに来ていた妻と合流し、翌日の土曜日、ソウルの某大学で学会に出る。そして日曜朝、妻が帰国した。

せっかくソウルに来たのだから、このまま大邱に戻るのはもったいないと思い、午前中に昌徳宮をはじめて見学する。

昼過ぎ、土俗村のサムゲタンを食べたあと、大学路や東大門市場をブラブラする。

Photo ソウルの中心部を流れる清渓川(チョンゲチョン)は、小さいながら、市民の憩いの場になっている。かつて、ソウル市民の生活用水として使われていたこの川は、衛生上の問題などから長らく暗渠化されていたが、21世紀に入って復元事業が進められた。休日ともなると川の両岸の歩道を歩く人びとで賑わう。

東大門市場の古本屋街をブラブラしていると、その脇を流れている清渓川の岸に、太鼓やどらを持った人がいるのを見つける。川岸にある小さな舞台のようなところで、韓服に着替えているところだった。

その楽器や服装などから、「サムルノリ」をこれから演奏するのだろうと思った。先々週、語学の授業で、韓国の伝統音楽である「サムルノリ」について勉強したばかりである。4種類の打楽器を使うこのサムルノリというものを、一度見てみたいと思っていたところだったので、さっそく、川岸に降りて、演奏が始まるのを待った。

Photo そして、演奏が始まる。思っていたよりも、体を使った激しい演奏である。座ったまま演奏するのかと思っていたら、全員が立ったまま、行進をしたりぐるぐると回ったりしている。

さえないおじさんたちだったが、演奏する姿は格好いい。感心しながら見ていると、15分くらい経ったころであろうか。事件が起こる。

1曲目の激しい演奏が終わった直後のことである。突然、マイクを通しておじさんの声が聞こえてくる。

「ハイ、みなさん、大変お待たせいたしました!」

Photo_2 声のする方を見ると、川の中に特設された水上舞台の上に、おじさんがマイクを持って立っている。いま演奏していた川岸の舞台から、わずか30メートルほどしか離れていない場所である。

「ではこれから、1時間ばかり、素敵なショーでお楽しみ下さい。まずは、韓国の伝統音楽、サムルノリの演奏です!」

ええ?おかしい。だっていま、サムルノリの演奏を聴いたばっかりじゃん。

「今日は、サムルノリの第一人者、○○先生のグループの方に来ていただきました。みなさん、大きな拍手をどうぞ!」

どういうことだ?呆気にとられる。

いや、一番呆気にとられたのは、さきほどまでサムルノリを演奏していた、川岸舞台の一団の人たちだろう。わずか自分たちから30メートルしか離れていない場所で、別のサムルノリ奏者が演奏するのである。どう考えても、営業妨害である。

「みなさん。○○先生が舞台に上がられました。大きな拍手を!」

おじさんの大げさな「営業」用の司会にうながされるまま、川岸の人びとは拍手で迎える。

世の中、声の大きい人間が勝つのは常である。まさにマイクの力で、観客の目は瞬時にして、水上舞台にスタンバイしたサムルノリ楽団に注がれた。司会者が「有名な○○先生」と連呼したのも効果的だったのだろう。誰だかよくわからないが、有名な先生だ、という意識がすり込まれたのである。

川岸舞台の一団はたまったものではない。客を一気に取られてしまったからである。あわてて、今回の水上舞台を担当していると思われる女性スタッフが、川岸舞台の一団のところに走る。

ここから先は、声が聞こえないので、私の想像。

Photo_3「おい、いったいどうなってるんだ!こっちだって、許可をもらってやっているんだ!」

「すいません。こちらも、ずいぶん前から決まっていたことでして…」

「冗談じゃないよ。まだ演奏の途中なんだ。1時間もやられたら困るよ」

「わかりました。では、30分!30分だけこちらに時間を下さい。そうしたら30分の休憩時間をとります。その間に、残りの曲を演奏してください。そのかわり、30分経ったら、必ずこちらのプログラムを再開します。私の方で演者を説得しますので、必ず時間は守ってください」

たぶん、こんな交渉が行われたのだろう。

Photo_4 さて、サムルノリの演奏は、さえないおじさんたちの川岸舞台の一団にくらべれば、女性ばかりの華やかな集団で、しかも演奏も上品。対照的な演奏である。

10

手持ち無沙汰で待っているおじさんたち。

水上舞台のサムルノリ演奏が終わった。

すると、ただちに川岸舞台のサムルノリ一団が楽器を鳴らし出す。

「ちょっと待ってください!まだです!」

と、女性スタッフの声。たしかに、まだ30分経っていない。川岸集団のおじさんたちは、「早く終われ!」と、プレッシャーをかけたのだろう。

Photo_6続いて、水上舞台では演歌歌手の登場。コッテコテの演歌を歌う。大げさな司会者が、再び観客に拍手をうながす。

7さらに続いて、音楽に合わせて、チマチョゴリを着たアジュモニによる、扇子を使った舞。なんだかよくわからないうちに、30分が経った。

「みなさん、大きな拍手ありがとうございます。では、30分ほど休憩の後、再びみなさんにお目にかかりましょう!」と、相変わらず大げさな司会者。

Photo_7 司会者の言葉が終わるか終わらないかのうちに、川岸のサムルノリ一団が演奏をはじめる。先ほどの上品なサムルノリ一団とは対照的である。なかばヤケクソぎみに、打楽器を乱打して演奏を続ける。

1曲目が終わったかと思うと、すぐさま先ほどの大げさな司会者がマイクをとる。

「ハイ、みなさん。大変お待たせいたしました!」

すると、

「まだ終わってないよ!」と川岸から怒号が響く。

先ほどの女性スタッフも、司会者に「すいません。まだです」と耳打ちする。まだ30分経っていない。先ほどの交渉で、2曲演奏する、という約束だったのだろう。

すると、今度は水上舞台の演者のマネージャーとおぼしき、大きなサングラスに真っ赤な服のやり手のおばさんが怒鳴りはじめた。

「冗談じゃないわよ。いつまで待たせるの?うちの娘(こ)たちが寒くて震えてるじゃないの!」

たしかに今日は寒い。こうして一部始終を見ている私も凍えてきた。

スタッフの女性がなんとかなだめる。

なんとも殺伐とした雰囲気の中、川岸の舞台で2曲目の演奏が始まる。

川岸舞台のおじさんたちは、演奏をしながらも、水上舞台の方をしきりに睨みつける。もっと演奏に集中しろよ、と言いたくなる。

水上舞台の女性スタッフは、時間が気になるのか、腕時計ばかり見ている。本当に時間通りに終わってくれるだろうか、と、気が気でなかったのではないだろうか。

そして若干時間をオーバーして演奏が終了。例によって大げさな司会者が、何ごともなかったように後半のプログラムを再開した。

11 そして、チマチョゴリを着た若い女性3人による歌が、水上舞台で始まる。心なしか、声が震えていた。

私はここでもう寒くて限界。このあとどうなったのかは知らない。でもいいものを見せていただきました。

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携帯電話の文化論

4月23日(木)

語学の授業が終わって、夜7時、先週から参加させていただいている研究会に出席する。

史料の輪読で、毎回、一人の先生が、担当範囲を読みながら解説をする、という形式である。

担当者の先生が史料を読みながら説明している最中、その先生の携帯電話が鳴った。

「ちょっと失礼します」

とおっしゃって、なんと、その先生は、説明を中断して部屋の外に出ていかれる。携帯電話に出て通話をはじめたのである。

取り残された人たちは、とくに驚く様子もなく、担当者不在のまま、議論をはじめた。

これが、数回続いて、そのたびに研究会が中断する。

百歩譲って、担当者以外の参加者が、研究会の最中に携帯電話に出る、ということは、まだわかるが、担当者が自分の発表を中断して、携帯電話に出る、というのは、やはり理解しがたい。

いままで、「懇親会で開会の挨拶している最中に携帯電話に出る」「集合写真を撮る瞬間に携帯電話に出る」という場面を目撃したが、今回の場合は、「研究会で発表している最中に携帯電話に出る」というものである。

おそるべき、「携帯電話優先社会」である。

ここまでくると、「携帯電話が鳴っても出られない状況」を見つける方が困難である。

しかし、だからといって韓国の携帯電話文化だけがいびつである、ということはできない。日本の携帯電話文化も、かなりいびつである。

韓国では、電車やバスの中で携帯メールに没頭している人を見ることは、日本ほど多くない。でも日本ではどうだ。とりつかれたように携帯とにらめっこしてメールを送ったりインターネットを利用している人を、結構みかける。

「携帯電話の比較文化論」というテーマで、誰か卒論を書いてくれないだろうか。文化人類学専攻あたりで。それとも、もうとっくにやりつくされたテーマなのだろうか。

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缶コーヒーの連鎖

孤高の美青年、ヤン・シニャン君は、昨日に引き続き、今日も欠席である。

色白で美形の顔だちと、もの静かな立ち居振る舞いに加え、いつ欠席するかもわからない危うさ…古めかしい言葉でいえば、母性本能をくすぐるタイプ、というのであろうか。語学の女性の先生方の間でも、彼の人気は高いようである。

彼は遅刻すると、必ず、缶コーヒー(あるいは、喫茶店でテイクアウトしたコーヒー)を先生に持ってくる。お詫びのつもりなのだろう。

むろん、先生は「コーヒーなんか買わなくていいんですからね」とおっしゃるが、つい頬が緩んでしまうのは、人情というものであろう。

(コーヒーを買いに行く暇があったら、授業にもっと早く来いよ)と私などは思ってしまうが、女性にモテる、モテないの差は、こういうところにあらわれるのかも知れない。

だがよくよく観察すると、こうしたことをしているのは、なにもヤン・シニャン君に限ったことではないようである。

1時間目と2時間目のあいだの休み時間の時である。雨上がり決死隊の蛍原氏に髪型までそっくりのホ・ジュエイ君が、宿題のノートをパンジャンニム(班長殿)の机に置いたのだが、その際に、缶コーヒーも一緒に机の上に置いた。

宿題のノートは、パンジャンニムがみんなから集めて、授業が始まる1時少し前に先生のところに持って行く。ところが、ホ・ジュエイ君は、提出するのが遅れてしまったようなのである。

そこで彼は、宿題のノートと一緒に、買ってきた缶コーヒーをパンジャンニムの机の上に置いたのである。「遅れてしまったけど、ちゃんと提出してください、班長さん」という意味がこめられた缶コーヒーなのだろう。

ところが当のパンジャンニムは、どこへ行ったのか、2時間目が始まっても教室に戻ってこない。すると5分くらい遅れて、教室に入ってきた。

「どこへ行ってたの?」と先生。「遅れてすいません」と言いながら、パンジャンニムは自分の机に目をやる。すると、缶コーヒーが置いてあるではないか。

パンジャンニムは、すかさずその缶コーヒーを手に取り、「ソンセンニム(先生)!これを飲んでください!」と先生に渡した。「遅刻を、これで許してください」という意味がこめられた缶コーヒーである。

「だからそんなことしなくていいって言ってるのに!」と先生はおっしゃるが、パンジャンニムの押しに負けて、渋々と受け取る。

かくして、「お詫びの缶コーヒー」は、語学堂の教室をまわりつづける。

語学堂の建物の2階にある自動販売機。いつもあっという間に缶コーヒーがなくなるが、ここかしこで、中国人留学生たちによる「お詫びの缶コーヒー」や「お願いの缶コーヒー」が、「実弾」として飛び交っているからではないだろうか。

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チャン・イチャウ君祭り

4月22日(水)

「粗忽者の先生」が教室に入ってくる。

昨日に引き続き、孤高の美青年、ヤン・シニャン君が来ていない。

先生が、「ヤン・シニャンは今日も来てないの?どうしたの?」

先生のすぐ近くに座っていた「孫悟空」ことチャン・イチャウ君が答える。

「…チュゴッソヨ(死にました)」

「……」

先生は無視して授業を始める。

チャン・イチャウ君は「いじられキャラ」である。

今日は、文法で「○○してみたことがある」という表現を学ぶ。

先生が私に向かって、「この文法を使って、誰かに質問してみてください」とおっしゃる。

迷ったあげく、「チャン・イチャウ氏!」と言って、質問をはじめる。

すると、ここでなぜか笑いが起きる。チャン・イチャウ君を指名したことが可笑しかったようだ。

「馬に乗ってみたことがありますか」「あります」内モンゴル出身の彼ならではの答えである。

すると、これで火がついたのか、みんなの集中攻撃がはじまる。

次の表現は、「○○が○○しているのを見た」という表現。

「この文法を使って文章を作ってみなさい」と先生。

すかさずパンジャンニム(班長殿)が、

「私は、チャン・イチャウ氏が馬に乗っているのを見ました」

と、先ほどの私の質問にかぶせた表現を作りあげる。

すると、他の人たちも、次々とチャン・イチャウ君を主語にした文章を作り始めた。

「チャン・イチャウ氏が、女子トイレに入るのを見ました」

「チャン・イチャウ氏が、ヨジャ・チング(ガールフレンド)と、ポッポ(キス)しているのを見ました」

「チャン・イチャウ氏が、…」

と、まあ、相変わらずの文章を次から次へと作り出す。そのたびにあきれつつも爆笑する。

さらにこの「チャン・イチャウ君祭り」は、後半の会話表現の授業でも続く。

友達をスポーツ観戦に誘う、という会話練習。

相変わらずホ・ジュエイ君とマ・ロン君の会話がよくわからない。

ホ「サッカーのチケットがあるんだけど見に行かない?」

マ「いいね。チームはどこ?」

ホ「中国のチームだよ」

マ「サッカーの試合はテレビでしか見たことがないんだ」

ホ「直接見ると、サッカーの練習も見ることができるよ。あの有名な、チャン・イチャウ選手も間近に見ることができるよ」

マ「え!あの有名なチャン・イチャウ選手を見ることができるの?」

ホ「だって、チャン・イチャウ選手はふだんから運動場に住んでいるからね」

マ「試合はどこでやるの?」

ホ「豪州のシドニー運動場」

「そんなところでやったら、入場料より飛行機代の方が高いでしょう!」と先生。ツッコむところはそこか?

ホ「じゃあサッカーはやめて映画を見よう」

マ「何の映画?」

ホ「中国映画。有名な俳優のチャン・イチャウ氏が出ている…」

ここで、先生もさすがにストップをかける。「いいかげんにしなさい。だいたい、チャン・イチャウはサッカー選手だったじゃないの」

またしてもツッコミどころがおかしいんじゃないか?

彼らもまた、前半の授業に引き続き、チャン・イチャウ君の名前をかぶせてきた。留学生たちは大笑いだが、前半の授業の様子がわからない大柄の先生にしてみたら、なぜ唐突にチャン・イチャウ君の名前が何度も出てくるのか、わからなかっただろう。

「いいですかみなさん。面白ければいいってもんじゃないんですよ。会話表現の時間なんですからね。何時に、どこで待ち合わせるとか、必要な会話をしなければいけませんよ!」

同じボケをくり返していく笑いの手法を、演芸の業界用語で「天丼」という。チャン・イチャウ君をくり返し登場させるのは、まさにこの「天丼」の手法に近い。

これが日本だったら、一歩間違えたら特定の生徒を誹謗中傷するイジメだ、と言われかねないが、彼らの間にいじめっ子、いじめられっ子の関係は存在しない。笑いのひとつの手法として、はっきり認識しているのである。

「天丼」といえば、次にあてられたパンジャンニムことス・オンイ君と、まじめ美人のル・ルさんの会話も、その手法を使っている。

ス「いらっしゃい…。あ!アガッシ(お嬢さん)!前回も乗ってくれましたね。奇遇ですね」

ル「あら、アジョッシ(運転手さん)!」

予告なく、突然、「タクシーの運転手の客の会話」が始まる。実は前回、「タクシーの運転手と客の会話」の練習で、ス・オンイ君が運転手役に、ル・ルさんが乗客役に扮して秀逸な会話を披露していた。ここでみんなが、前回の続きであることに気がつき、爆笑する。

ス「今日はどちらまで?」

ル「バスケットボールの試合を見に行くんです。時間とお金がないんで早く行ってください!」

ス「バスケットボールですか、テレビでしか見たことがありませんね」

ル「直接見ると面白いですよ。アジョッシ、今度一緒に見に行きましょう。」

ス「昼間は仕事中ですからね。それに、タクシーの中にテレビもありますし」

ル「運転中に見たらダメですよ」

ス「大丈夫ですよ。…着きました。ここで停めていいですか?」

ル「ここで停めてください」

先生がここで注意する。

「会話はよくできてますけど、いいですか、『友達をスポーツ観戦に誘う』という会話練習ですよ。誰が『タクシーの運転手と客の会話』をやれ、と言いましたか?何時にどこで待ち合わせるとか、そういう表現を入れないと練習になりませんよ」

そうはおっしゃるが、ス・オンイ君とル・ルさんによる「タクシーの運転手の客の会話」は、今後シリーズ化しそうな予感。

まったく、ルール無視の会話練習というほかないが、「笑い」に対する彼らのあくなき追求には脱帽する。

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イロボリダ

「イロボリダ」=「失う、なくす」という意味。この単語がなかなか覚えられない。つづりも難しい。

ホ・ヤオロン君が授業を早退した。先生が、隣に座っていた「孫悟空」ことチャン・イチャウ君に質問する。

「ホ・ヤオロン君はどうしたの?チャン・イチャウ!理由を知ってる?」

チャン・イチャウ君は、たどたどしい韓国語で答える。

「モリ(頭)を、…」

「頭、がどうしたの?」と先生。

「イロボリョッソヨ(なくしました)」

え?こいつ何言ってんの、という先生の顔。

チャン・イチャウ君も、「スベった…」という顔をする。

先生は、「もうチャン・イチャウ君には関わらないようにしよう」とばかりに、何ごともなかったかのように授業をはじめる。

だが、そのやりとりの一部始終が私には可笑しかった。首から上がないホ・ヤオロン君が、頭を探してまわっている姿を想像して、思わず吹き出す。

おかげで、「イロボリダ」の意味を完全に覚えたぞ。ありがとう、チャン・イチャウ君。

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モーパッサンを韓国語で読む

4月21日(火)

リスニングや読解が、ここへきてとたんに難しくなっている。

今日の後半の授業では、はじめて小説を読む。モーパッサンの『首飾り』という短編小説である。

といっても、表現をかなり簡単にして、内容もかなり端折っているようである。主人公の名前も、原作の「マチルド」ではなく、なぜか「ジェイン」になっている。

フランス文学を、日本人が、韓国語で読む、というのもめったにない経験である。恥ずかしながら、私はこの小説をこれまで読んだことがなかったので、これを読んではじめてこの小説の内容を知る。そして、久しぶりのフランス文学に、韓国で出会う。

なんの予備知識もないので勝手なことを書くけれど、なんとなく落語になりそうな話である。『文七元結』とか『芝浜』といった噺と、テイストが似ている気がしたが、そう感じるのは、こっちの了見が狭いからだろうか。フランス文学愛好者から、叱られるかも知れない。

でも、「落語は人間の業(ごう)の肯定」という談志師匠の言葉をふまえれば、人間の欲望や弱さやおろかさをあますところなく追求する落語と、どことなく似ている気がするのである。

それに、圓朝は西洋の作品を落語に翻案していることもあるから、あながち頓珍漢な感想でもないだろう。機会があったら、「完訳版」をいつか読んでみよう。韓国語で。

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こんな性格を笑い飛ばせ!

私は、小さなことをいつまでもくよくよと考える。

先週の野外授業、テーマパークで、野外公演を見ようと思って、観客席に座ると、隣に、4級の班(クラス)の先生と中国人留学生が座った。

4級といえば、韓国の大学に入学できるレベルの語学力、ということである。耳をそばだてて会話を聞いていると、さすがに4級の学生は、先生とふつうに韓国語を喋っている。

それだけでもこちらは落ちこむのであるが、さらにこんなことが起こる。

4級の中国人留学生のうちの一人(男性)が、前に座っている韓国の小学生たちの間に座って、小学生たちと、なにやら会話をはじめたのである。

すると、あっという間にその留学生のまわりに小学生たちの輪ができあがり、会話が盛り上がりはじめた。何を話しているのかはわからないが、小学生たちは、その留学生と、たちまち仲良くなっていったのである。

その様子を見ていた4級の先生が、その留学生に、

「あら、あなたずいぶん人気があるわね」

とおっしゃると、その留学生は、

「だって、(僕は)かっこいいじゃないですか」

と軽口を叩いて先生を笑わせる。

ずいぶんと自然に会話している姿にも驚くが、それ以上に、「こんなことは自分にはできないなあ」と自らを省みて、落ち込むのである。

たとえば、これを日本に置き換えてみる。私が、小学生の団体と会話をして小学生たちのハートをガッチリつかむとは思えないし、よしんば、小学生たちの人気者になったとしても、「ずいぶん人気者ね」と誰かに言われて、「だって(僕は)かっこいいじゃないですか」なんて軽口は、絶対に叩けない。

つまり私は、軽口を叩けない人間なのである。

日本語でも軽口を叩けない人間が、韓国語で軽口を叩けるはずがない。韓国語で軽口を叩くためには、まずこの性格を直す必要がある。

以前、私と同世代の深夜ラジオDJが、たしかこんなことを言っていた。

「英語を勉強すれば、世界中の人とも話せる、て言うけど、英語が話せたところで、友達が少ないのだから、結局は同じことだ。むしろ、世界中の人とも話せるという条件が増えただけ、より寂しい気持ちになる」

こういうことを妻に話すと、バッカじゃないの、という感じで、「4級になったらそこまで話すことができるようになる、という方向でどうして考えないのか」と言われる。

簡単に言えば、マイナス思考、ということなのだろうが、だが、そう単純なものでもない。

自分が負の思考の持ち主であることを十分知っている。知った上で、自分の中にあるこの「負の思考」と、どうやってうまくつきあっていくか、をいつも考えている。なんとか折りあいをつけながら、いままでやってきたのである。だから、完全なマイナス思考ではない。

なんとか、この負の思考を、「オモシロ」に変えることはできないだろうか、といつも考える。自分に降りかかる大小さまざまな災難についても、同じだ。

たぶん、こんな感じで、一生、この厄介な性格と折りあいをつけながら、生き続けていくのだろう。

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久しぶりの雨

4月20日(月)

昨日までの初夏のような天気とはうって変わって、今日は久しぶりに朝から雨が降っている。気温も低い。

「先週の野外授業はどうでしたかー?」と「粗忽者の先生」が聞く。

「つまらなかったでーす」と、中国人留学生たち。

「次はどこに行きたいですかー?」

「慶州以外ならどこでもいいでーす」と、キザなタン・シャオウェイ君が答えた。

テーマパークは、よほどつまらなかったらしい。

そういえば、先週の野外授業で、そのテーマパークを歩いていて、語学の先生の3人組とすれ違ったとき、ある先生が私に、

「どうですか、(ここ)つまらないでしょう」

と聞いてきた。先生方も、つまらないと思っていたようである。

とすれば、いったい誰が喜んだのだろう。

ひとつ気になったのは、そのテーマパークが、韓国版ドラマ「花より男子」のロケ地でよく使われていた、ということであった。そこかしこに、「花より男子」のロケ風景の写真が飾られている。

そういえば、ここ最近の授業の副教材のプリントにも、「花より男子」のネタを織り込んだ例文や例題がやたら出されている。どうもうちの語学堂の先生の中には、「花より男子」の熱狂的なファンがいるようである。いや、いるというよりも、女性の先生たちの間で話題になっている、というべきか。

今回の野外授業でこのテーマパークが選ばれた背景にも、「花より男子」のロケ地であった、という事実が、いくらか影響しているのではないか、と考えてみたが、それは邪推と言うべきかも知れない。そもそも、300名近くの学生が同時に時間をつぶせる場所なんて、なかなかないものだ。あくまでもそうした配慮から選ばれた場所であったのだろう。

今日の会話表現の練習は、またしても「タクシーの運転手と客の会話」。

しかも、今回はさらに細かい設定である。「客が急いでいる」という設定で、会話を進めなければならない。

客「運転手さん、急いで東大邱駅まで行ってください」

運「何でそんなに急ぐんですか?」

客「9時の釜山行きのKTXに乗らなければいけないんです。乗り遅れれば試験が受けられなくなっておおごとなんです」

運「なるほど、それはおおごとですね。5分もすればつきますから心配しなくていいですよ。…あれ、おかしいなあ。道が混んでるぞ」

客「大丈夫ですか」

運「他の道をまわりましょう。少し遠回りになるけど、この道よりも早く着くと思いますよ。ちょっと料金が高くなりますけど」

客「運転手さんを信じます」

運「出発時間の10分前までにはお客さんを駅までご案内できると思いますので、大丈夫ですよ」

こんな感じの会話である。

ペアで練習した後、みんなの前で披露する。

相変わらず、中国人留学生たちは、会話を自由自在に変えている。なかでもホ・ジュエイ君とマ・ロン君の会話は秀逸である。

おとなしい2人が、先生に提案する。

「あの、…設定を飛行機の機長と客に変えてもいいですか?」

ここから、2人のシュールな会話が始まる。

客(ホ)「急いでください!」

機長(マ)「何でそんなに急ぐんですか?」

客「8時に友達と食事をする約束をしてるんです。8時までに食堂に着かないとおおごとなんです」

機長「なるほど、それはおおごとですね。わかりました。ちゃんと着きますから心配しないでください。…あれ、おかしいなあ」

客「どうしたんですか」

機長「空が混んでますねえ。回り道してもいいですか?ちょっと料金が高くなりますけど」

客「お金ならいくらでも払いますから急いでください。機長さんを信じます」

機長「わかりました。ちゃんと8時前までには店までお送りしますから安心してください」

なんだかよくわからない会話だが、もの静かな2人がマジメに喋っているのがなんとも面白い。ホ・ジュエイ君の地味な面白さに、大柄の先生もハマリはじめたようである。

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あの空にも悲しみが

以前、NHKで放映していた韓国ドラマ「春のワルツ」を見ていたとき、貧しい家の少年が、街角でガムを売り歩いているシーンが目にとまった。

それを見て、30年ぶりくらいに、思い出したことがあった。

小学校2年生の時、担任の先生が、下校時間の前に必ず私たちに本を読み聞かせていた。その本のタイトルは、『ユンボギの日記』である。

1963年から1964年にかけて、10歳の少年、ユンボギ(イ・ユンボグ)が実際に書いた日記である。ユンボギは、母親と別れ、病気の父親と幼い兄弟たちとともに、極貧の生活に喘ぎながらも、母親が帰るのを信じて、日々の生活をひたむきに生きていた。学校が終わると、ユンボギは、当時禁止されていた「ガム売り」を街角で行って生計を立てる。しかし日々の生活はままならず、食うや食わずの毎日である。そんな中、彼の妹も、家出をしてしまう。

しかし極貧の生活に喘ぎながらも、先生や友達に支えられて、ユンボギは明るく、ひたむきに生きてゆく。当時、自分と同じ年ごろの少年が、こんなにつらい目にあっていたのか、と、この本を読んで、衝撃を受けた。

この中で印象的だったのは、ガムを売ってお金を手にすると、「うどん玉」を買って食べた、という記述が、頻繁に出てきたことである。それからというもの、私はお店で売っている「うどん玉」を見るたびに、ユンボギのことを思い出した。いまでもスーパーで「うどん玉」を目にすると、何となく切ない気持ちになる。

もう一度この本が読みたい、と思い、調べてみると、最近になって『あの空にも悲しみが』というタイトルで、完訳版が出ていることを知り、さっそく手に入れた。

そこで、当時はわからなかったさまざまな事実を、あらためて知ることになる。この本は、日本語に翻訳されて一般の出版物として刊行された最初の朝鮮文学であるということ。つまりそれまで、軍事政権下にあった韓国の実情を、日本は知るすべを持たなかった。この本が、その最初の本であったのである。

私が『ユンボギの日記』を読んだ小学校2年生の時の衝撃を思えば、いまはなんと恵まれた時代だろう。こうして、私が韓国に留学していることが信じられないくらいだ。

次に知った事実は、「ユンボギ」ことイ・ユンボグ氏が、1990年に38歳の若さで亡くなったということである。壮絶な人生を生きたのだろうと想像する。

そしてもう一つ、ユンボギ少年の暮らしていた場所が、大邱であったということである。

昨日、ふと思い立ち、書店で『ユンボギの日記』のオリジナル本を買った。原題はやはり『あの空にも悲しみが』。

小学校2年生の時に衝撃を受けた本を、30年以上経ったいま、原文で読もうとしている。しかも彼が暮らしていた大邱で。人生とは、やはりどこかで、何かがつながっているのだ。

ユンボギが暮らしていた町は、私の住んでいる町から、バスで30分ほど行ったところにある。今度、ユンボギが暮らしていた町を歩いてみよう。それは同時に、小学校2年生だった頃の「私」に出会う作業かも知れない。

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菜の花畑と古墳群

4月18日(土)

野外授業で疲れたのか、起きたのは午後。外に出ると初夏のように暑い。とりあえず散髪に行くことにする。

韓国で2回目の散髪である。「短くしてください」とだけ言って、無事終了。8000ウォン也。1000ウォン値上がりしたのか?それとも休日料金か?

市内に出て、前に行った古本屋に行く。これも2回目。アジュンマが私のことを覚えていてくれていた。数冊買い込む。

4月19日(日)

昨日に引き続き初夏のような陽気である。こんな日に部屋にいて勉強したり原稿を書いたりするのはもったいない。午前中に洗濯と簡単な掃除を済ませて、午後、思い立って慶州に行くことにした。

一昨日の金曜日も、野外授業で慶州に行ったばかりだったが、今日の目的は、慶州博物館で行われている特別展「統一新羅の彫刻」を見に行くことである。ソウルの博物館で見逃し、慶州の博物館の巡回展も5月初めまでということで、一度見ておきたいと思ったのである。

考えてみれば、慶州に一人で行くのは初めてである。これまでは、誰かに連れて行ってもらったり、誰かと一緒に行ったりしていた。はじめて、大邱から慶州行きのバスに乗る。所要時間は約50分で3900ウォン也。意外と安いことに驚く。

いま通っている大学には、慶州からバス通学している学生も結構いると、以前こちらの学生の方から聞いたことがある。「大邱で部屋を借りるのとそれほど変わらないんです。それに、帰りの時間がある、といえば、飲み会も最後まで出る必要はありませんしね。だからかえって安上がりなんです」と。なるほど、そういえば、うちの大学にも、隣の県からバスで1時間かけて通学している学生が結構いたな。

慶州は家族連れや観光客でごった返していた。休日でこの陽気だから当然といえば当然である。

Photo特別展はどちらかといえばひっそりとしていたが、それでも、ツアーか何かで来た客が結構いた。展示を見ていると、後ろの方でツアーガイドか解説員といった方が、家族連れのツアー客にものすごい早口で展示解説をしている。私も、勉強のために聞き耳を立てた。なんとなく聞き取れたのが少し嬉しかった。

だが、その方は「時間がないので」といって、展示室内を早足で移動して、かなり間引いて作品解説をする。こちらもついていくのが必死だった。そしてものすごいスピードで、その人たちは展示室を出ていった。

何をそんなに急いでいるんだろう。あっけにとられた私は、もう一度展示室を最初から見直すことにした。

博物館を出て、周辺を歩くことにする。すると、ほどなくして眼前に菜の花畑が広がる。たくさんのカップルや、友達グループ、家族が、菜の花畑の中を思い思いに歩き、写真を撮っていた。

Photo_2 私も菜の花畑の中を歩いていると、菜の花ごしに古墳群がみえる。こんな風景はこの時期だけだろう。やはり来てよかった。

でも、一人で来るべきではないな、と、まわりを見わたして落ち込む。

結局、1時間ほど歩いて、高速バスターミナルまで戻った。以前、大学院生の方に「慶州に行ったら、チャルボリパンという銘菓をぜひ食べてみてください」と言われたことを思いだし、バスターミナルの近くで買う。形は完全などら焼きだが、食べてみると、それほど甘くなく、食感ももっちりとしていて美味しい。慶州の銘菓、侮り難し、である。

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闘鶏とテーマパーク

4月17日(金)

今日は、語学堂の「野外授業」である。

先学期は、桐華寺とウバンランドに行ったが、今回は、慶州の文武王水中大王陵と新羅ミレニアムパークに出かける。

朝8時半、大学の駐車場に集合する。大柄の先生が久しぶりにキダ・タロー氏似の顔が描かれたTシャツを着てこられた。勝負服なのだろうか。

「おいしいお菓子はたくさん持ってきましたかー?」

と、テンションが上がっている大柄の先生がニコニコしながら私に聞く。40歳のおっさんに聞く質問ではない。

「いえ、水だけです」と答えた。

案の定、遅れる学生がいて、出発は9時過ぎになった。総勢280名。

280名もいれば、バス酔いする学生も何人か出てくる。私の乗った3号車にも何人か被害者が出て、バスが途中で何度か停車した。あれだけ荒っぽい運転で山道を走れば、仕方のないことだろう。私だって少しキテたから。

Photo_4 午後10時半すぎ、文武水中大王陵の見える海岸に到着。古代新羅の文武王が、死後、海中に埋葬されたと伝えられているが、その埋葬場所の岩が海岸から見えるのである。はやい話が、ただの海岸である。

だが、そんな岩を熱心に写真に収めているのは私だけ。私以外の学生たちは、海を見てはしゃいでいる。目的は、留学生たちに海を見せることだったのだろう。

熱心に写真を撮っていると、不思議な一行に遭遇。海に向かってお供え物をそなえたり、太鼓を叩きながら踊りのようなものを踊ったりしている。

語学堂をとりしきっているパク先生が近くにいらしたので、

「あれは何をしているんですか?」

と聞くと、

「キョスニム(教授様)、あれは、死者を弔うための儀式です。家族か親族のどなたが亡くなったのでしょう」

Photo「あの、向こうで踊っている人は?」

「あれはムーダン(シャーマン)ですよ。キョスニム」

なるほど、たしかに、太鼓を叩いて踊っているうちに、だんだんトランス状態になっているのがわかる。

興味深く見ていると、パク先生が

「キョスニム!はやくこっちに戻ってください」

とお呼びになる。

留学生が集まっているところに戻ると、「猟奇的な先生」がトラメガで、

「みんな輪になって座りなさーい」とおっしゃる。

ここからは、「猟奇的な先生」の完全な独壇場である。

砂浜に輪になって留学生たちが座る。まるで大きな相撲の土俵のようである。

「これからゲームをやります!」

まず最初に語学の先生が手本を見せる。2チームに分かれ、片足を手でもって、一本足でケンケンしながら押し合いをする。バランスを崩して両足をついた方が負け、という単純なゲームである。

「何というゲームですか?」と近くにいた大柄の先生に聞くと、

「タクサウム(闘鶏)って言うんですよ」と教えてくれた。そう言えば何となく闘鶏に似ている。

Photo_2 まず、男子学生のチーム戦。続いて、語学の先生と女子学生の対戦、と行われる。すべて、「猟奇的な先生」の一存で呼ばれた人が、みんなの前で対戦しなければならない。

対戦風景が意外と面白いので写真を撮っていると、

「では、最後の対戦でーす。語学の先生と、学生の対戦でーす。○○氏!」

といきなり私の名前が呼ばれた。

名前を呼ばれた他の学生を見ると、どうも中国人留学生以外の学生が呼ばれたようである。

日本人のおっさんがケンケンしながら砂浜にひっくり返るのが面白いと思ったのだろう。

その期待通り、思いっきり砂浜にひっくり返ってやった。

対戦が終わって輪に戻ると、わが班の学生たちが、服についた砂をはらってくれた。みんな好青年ばかりだ。

バスに戻り、一路「新羅ミレニアムパーク」へ。

はやい話がテーマパークである。古代新羅の都があった、ということで、それをイメージした建物などが広大な敷地の中に建てられている。日光江戸村と、えさし藤原の郷を合わせたような施設だ、と思えばよい。

ここで昼食をとり、4時半まで自由時間だという。ここで時間を潰すのはいささかきついなあ、と思っていると、パク先生がどこからともなくあらわれ、

「キョスニム!2時半から野外公演がありますから、ぜひ見てみなさいよ」

とおっしゃる。

ぶらぶらと時間を潰し、2時過ぎに公演会場に着くと、すでに小学生の団体が座席のかなりを占めている。

巨大な城壁のセット、そしてその前に大きな池。これが、野外公演の舞台である。そして、その池の前に、簡単な座席が設けられている。

2時半、公演が始まる。巨大な城壁のセットと、その前の池を縦横に使った壮大な歴史活劇である。

内容は、平穏に暮らしていた古代新羅の社会に、ある日突然、中国の唐が戦争を仕掛けてくる。それを、勇敢な新羅の兵士たちが撃退する、という話である。

公演の中では、唐は徹底的に悪者として描かれる。唐の卑劣な攻撃に、新羅は一時は危機を迎えるが、「3つの力」のおかげで、形勢は逆転していく。

Photo_3クライマックスの、船を使った海戦のシーンでは、小学生たちが「新羅!新羅!」と声を合わせてコールする。そして唐の船は大きく傾き、池の中に沈んでゆく。会場からは大きな拍手が沸き起こった。

なんとも複雑な思いである。こういう場でもナショナリズムがかいま見えてしまうとは。これを見ていた中国人留学生たちは、どういう思いを抱いただろう。

ふと近くを見ると、中国人留学生の一人が、いつの間にか韓国の小学生たちと仲良く話していた。私の心配は杞憂だったかもしれない。

公演が終わって、一人でブラブラ歩いていると、語学の先生のグループと遭遇。

「あれ、一人ですか?チングは?」

と聞かれたので、

「年をとっているので(一人なんです)」

と答えた。

実際、40歳の日本人のおっさんが、野外授業に参加する、というだけでもかなりキツイ。「あの日本人のおっさん、キモイ」と、中国人留学生たちや語学の先生たちに言われないように、できるだけ出しゃばらず、ひっそりとしていたいのだ。

それにしても、若い、というのはやはりうらやましい。これから経験したり、吸収したりすることが、山ほど待っている。野外授業に参加すると、とくにそれを痛感する。彼ら一人ひとりに、いろいろな可能性がみえてくる。

…などという感慨にひたりながら、帰りのバスの中で、iPodに入っていた荒井由実の「あの日にかえりたい」を久しぶりに、柄にもなく聞いてしまった。

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研究会に参加する

4月16日(木)

毎週木曜日の夜、研究会が開かれていることを、以前ある先生からお聞きした。

出てもどうせわからないだろう、と最初は逡巡したのだが、今日から参加することにした。

市内にある、商工会議所の一室で行うという。

語学の授業が終わり、幹事の先生の車に同乗させてもらって会場に着くと、参加者は10名ほどで、この近辺の大学の先生ばかりであった。みんな私より年上の先生ばかりである。

場違いだったかな、と思い、隅の方に座ろうとしたら、「真ん中に座ってください」と勧められた。

研究会の形式は、あるひとつの史料をみんなで読むという、いわゆる輪読会である。毎回、担当者が、担当範囲の部分を口頭で読みながら解説する。

日本でやっている演習や研究会と、どこが違うのだろう、という点も、興味深いところである。研究会に参加しようと思ったのも、実はそれが知りたかったということもあった。

レジュメはなく、担当者がひたすら読み、解説をする。それに対して、他の人が議論をする、というもの。

言葉がわからないことに加えて、その史料についての予備知識がほとんどなかったため、内容は相変わらずわからない。だが、いま史料のどのあたりについて議論をしているくらいはわかった。

学部生時代を思い出す。学部3年で専門課程に進学して、大学院生の研究会にはじめて出席したとき、大学院生の人たちが史料を読みながら議論をしていた内容が、まったく理解できなかった。いったいこの人たちは、何を議論しているんだろう、と不思議に思ったものである。

今日も、あのときと同じである。だから、今日理解できないことは、少しも恥ずべきことではない。いまの私は、あのときの私なのだ。あのときまったくわからなかったことが、時間がたつにつれて理解できるようになったように、これから少しずつ、理解できるようになるだろう。少しもおそれることはないのだ。

夜9時。2時間の研究会が終わると、幹事の先生が、他の先生からお金を集めている。「会費ですか?」と聞くと、

「いえ、違います。前回欠席した人からお金を集めて、たまにやる飲み会の資金にしているんです」とおっしゃった。

なるほど。出席者から会費を集めるより、欠席者からペナルティとしてお金を集めたほうが、研究会のモチベーションも上がるというものだ。しかもこうすれば、割り勘文化のない韓国で、飲み会当日は誰の懐を痛めることもなく支払いができる。うまいことを考えたものだ。

商工会議所の建物を出ると、少し肌寒かった。幹事の先生から「初めての場所でしょう。家の近くまで送りましょうか」と言っていただいたが、「いえ、一人でバスで帰れますので」とお答えした。

自分の中で、さまざまな壁が、少しずつ低くなっていく。

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リ・ポン君祭り

4月15日(水)

「粗忽者の先生」は、風邪をひかれたようである。

鼻水が止まらないようで、授業中も、ときおり教室の外へ出て鼻をかんでおられる。

たぶん、強い薬を飲んだと思われ、テンションも少しおかしい。

2時間目の授業が始まって少したってから、「孫悟空」ことチャン・イチャウ君が遅れて教室に入ってきた。

「チャン・イチャウ!休み時間どこに行ってたの?」と先生。

「すいません。銀行です」

「じゃあ歌を歌いなさい!」

「え?」

「ここで歌いなさい」

罰として歌を歌わせるようだ。教室が突如盛り上がり、みんなが拍手する。

すると先生が、

「リ・ポン!一緒に踊りなさい」

とおっしゃった。

一緒になって拍手していた愛嬌のある顔のリ・ポン君は、先生の突然のご指名に「え?」という表情をする。

すると今度は、みんながリ・ポン君に向けて拍手をしはじめた。

リ・ポン君にしてみれば、自分は授業に遅れてきてもいないのに、何で踊らなければいけないんだ、という心境だろう。だが、拍手は鳴りやまない。

隣にいた私も、思いっきり拍手をした。

こうなると、もう収まらない。チャン・イチャウ君の罰ゲームの歌なんぞ、どこかに行ってしまい、リ・ポン君だけがみんなの前で踊ることになった。

実は以前にも一度、彼は授業中に踊ったことがある。その踊りの腰使いが妙にキモチワルくて、先生をはじめみんなに大受けだった。先生も、そのことを覚えていたのだろう。

例によって、こっけいな踊りを少しキモチワルイ腰使いで踊る。

授業を進めることを第一に考えている「粗忽者の先生」が、こんなことをさせる、というのもめずらしい。何か強い薬を飲んだのではないか、と私が考えたのもそういう理由からである。

リ・ポン君は、自分に満足のいく踊りが踊れなかったようで、少し悔しげである。先生も、「練習して、また踊りなさいよ~」と、彼におっしゃる。

後半の、大柄の先生の授業。

例によって、集中力を欠いた中国人留学生たちは、後半の3、4時間目になるとうるさくなる。

「何でこんなにうるさいの?先生は2級の他の班の様子を全部知ってるけれど、こんなにうるさいのはこの班だけよ!」と先生。

「先生のおっしゃってることは、本当なの?」私は、右隣に座っていた白縁眼鏡の青年、ル・タオ君に聞いてみた。ル・タオ君は、隣の班にヨジャ・チング(ガールフレンド)がいるので、他の班のこともよく知っているだろうと思ったからである。

「本当ですよ。他の班はこんなにうるさくありません。うちの班は、先生も学生も面白くて雰囲気がいいので、こんなにうるさいんです」

なるほど。そう言われれば、たしかに面白い人が揃っている。

今日の会話表現の練習は、友達を「公演」に誘う、というテーマである。

伝統芸能、コンサート、演劇、展示会などの中から、好きなものを選んで、2人で会話練習をする。今日の私のパートナーはリ・ポン君である。

リ・ポン君は、「プチェチュム」という舞踊の公演を選んだ。リ・ポン君が私を「プチェチュム」の公演に誘う、という会話を、みんなの前ですることになった。

「プチェチュム」とは、「扇の舞」という意味で、扇子を使って踊る踊りのことである。だが、私はこの舞踊がよくわからない。

「中国にもありますよ」とリ・ポン君。

すると大柄の先生が、「じゃあリ・ポン!ちょっと踊ってみてください」とおっしゃる。

みんなはまた拍手。

何でまた俺が?という顔をしながら、例によって奇妙な腰使いの踊りをはじめた。

なんだ、全部同じ踊りじゃないか。

再び満足のいく踊りが踊れなかったようで、悔しげな顔。

「練習して、また踊りなさい」と先生。

ひととおり踊り終わって、席に戻ったリ・ポン君が私に真顔で言った。

「この踊り、いきなり踊ると腰が痛くなるんですよ。本来ならば、踊る前に準備運動をしなければならないんです」

まあそれほどまでの踊りでもないと思うんだが、「大変だねえ」と話を合わせる。

今日はまさに「リ・ポン君祭り」だった。

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タクシーの運転手と客の会話

4月14日(火)

語学の授業は、相変わらずの壊れっぷりである。

「今日はタクシーの運転手と客の会話を練習します」と「粗忽者の先生」。

すでにこの時点でおかしい。客はともかく、韓国でタクシーの運転手になる確率はほぼゼロなのだから、実用的な練習は望むべくもない。それに、「タクシーの運転手と客の会話」なんて、コサキンのラジオを例に出すまでもなく、笑いのネタの宝庫ではないか。必然的に、中国人留学生たちは、この設定で「笑い」に走ることになる。

「では、チエさんと、ホ・ヤオロン君と、チャン・イチャウ君の3人にやってもらいます」

会話が始まる。

運転手(ホ)「どちらまで行かれますか」

客(チエ)「百貨店まで」

運転手(ホ)「今日は雪が降っているので、道が混んでいて、ちょっと時間がかかると思いますよ」

客(チエ)「困ったわねえ。3時までに行かなければならないのに。他の道から行くのはどうですか」

運転手「他の道も混んでると思いますよ。いつもの道が一番早いと思いますがね」

と、ここまで進んで、「ちょっと待って!」と先生。

「チャン・イチャウ!あなたは何をしているの?2人だけで会話しているじゃない」

「僕は通行人ですから」といって、両手を振って歩いているしぐさをする。

先生があきれる。

「じゃあ、次は、チャン・ハン君と、ホ・ジュエイ君」

チャン・ハン君は、いつものようにボーッとしている。

「チャン・ハン!起きてるの?さあ、会話しなさい!どっちが運転手?」

「僕です」と手をあげるチャン・ハン君。「じゃあ始めなさい」

チャン・ハン君は、めんどくさそうに会話の練習をはじめる。

運転手(チャン)「いらっしゃいませ。何をさしあげましょうか」

客(ホ)「コーヒーを1杯下さい」

「ちょっとちょっとちょっと」と先生。

「どこの世界に『いらっしゃいませ、何をさしあげましょうか』という運転手さんがいますか!それは前に『食堂の会話』で練習した表現でしょう。『どちらまで行かれますか』でしょう。ホ・ジュエイ!あなたも『コーヒーを1杯下さい』なんて話を合わせてどうするの!もう一度最初からやり直しなさい」

運転手(チャン)「いらっしゃいませ。何をさしあげましょうか」

客(ホ)「コーヒーを…」

先生「だから~!」

ふたたび先生があきれて、この練習は終わり。

「粗忽者の先生」のツッコミが冴えているから、彼らも安心してボケられるのではないか、とすら思えてしまう。いつもながら観客として楽しませてもらっている私である。

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天使と悪魔のささやき

4月13日(月)

語学の授業中は、基本的に辞書を引いてはいけない。

だから、わからない単語は、先生の説明を聞いて理解しなければならない。

「粗忽者の先生」は、たまに絵を描いて説明なさるのだが、その絵がビックリするくらい下手なため、かえってわかりにくいことがある。

「チャッカダ」という単語の説明。

「チョンサ、チョンサ」と言いながら、ホワイトボードに絵をお描きになる。ところが最初は、何を描いているのかまったくわからない。

絵を見てもよくわからないので、しばらく怪訝そうな顔をしていると、先生は英語で「エンゼル」とおっしゃった。

チョンサ…天使か。

そう言われれば、横の方についているのは天使の羽根か。そして、…上の方に書かれている楕円形は、天使の輪か。

で、「チャッカダ」の意味は何だろう。

さらに私が怪訝そうな顔をすると、説明が足りないと思ったのか、もう一つ絵を描き足した。

頭のようなマルに2本のツノのようなもの、そして胴体のようなものを描いて、そこから、先が三つ叉のフォークのようなものが伸びている。

「アクマ、アクマ」

今度は悪魔か。

すると今度は、先生の寸劇が始まる。

「勉強しなさい」と天使がささやく声。

次に声色を変えて

「勉強なんかするな」と、悪魔がささやく声。

先生が一人二役で天使と悪魔を演じる。

「勉強しなさい」「勉強なんかしなくていいんだよ」「勉強しなさい」「勉強なんかするな」

よくコントなんかで出てくる「天使と悪魔のささやき」だ。韓国でも定番のネタなんだな。

ひととおり小芝居が終わった後、先生は、

「ね、わかったでしょ?はい、では次の単語…」

おいおい、結局「チャッカダ」の意味は何だったんだ?今のひとり芝居のなかに、「チャッカダ」の意味が隠されていたのか?

授業の後で辞書で調べると、「チャッカダ」は、「善良だ」という意味。

なるほど、天使のように善良だ、ということがおっしゃりたかったのだろう。でも、その後につけ加えた「天使と悪魔のささやき」には、どんな意味があったのだろう。

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タクシー、のはなし

タクシーに乗って、不快に感じた経験が一度もない、という人は、おそらくいないのではないだろうか。

もちろんどの国でも、良い運転手さんが多いに決まっているのだが、なかには、そうでない人もいる。海外だと、その区別がなかなかつきにくい。

よくあるのは、「乗車拒否」である。2年ほど前、北京に行ったときのことである。その日はちょうどクリスマスで、繁華街の王不井(ワンフーチン)は夜遅くになっても、多くの人でごった返していた。私と妻は、そこから宿泊先のホテルに戻ろうと思って、タクシーを探すが、なかなか見つからない。やっとの思いで見つけ、行き先を告げたが、まったく乗せてもらえなかった。その後も何台かと交渉したが、どのタクシーからも、乗車を拒否された。

運転手からすれば、「クリスマスのこんなかき入れ時に、そんな近くまで乗せてやれるか!」ということなのだろう。

だからといって、中国のタクシーの運転手に、悪印象を持ったか、というと、そんなことはない。それ以外のところで乗ったタクシーの運転手は、いずれも親切な人ばかりであった。

海外に行くと、とくにタクシーに気をつけろ、などといわれたりする。

数年前にタイのバンコクに遊びに行ったときのこと。ガイドブックを読むと、「タクシーの運転手に行き先を告げると、『その店はもう潰れたから、俺が違う店を紹介してやる』といって、強引に違う店に連れて行かれて、ぼったくられることがあるので注意」などと書いてある。

さて、私と妻は、ガイドブックに載っている食堂に行こうと、タクシーに乗った。

私はガイドブックを運転手さんに見せて、「ここに行ってください」と言うと、その年輩の運転手さんは、どうも「その店はもう潰れたよ」と答えたようだった。

きたきた!これは、例のぼったくりか?と思い、妻に「早く降りよう」と言って、そのタクシーをすぐさま降りた。

「なんで降りたの?」

「だって、ガイドブックに書いてあったよ。『その店はもう潰れている』って言って、他の店に連れて行く、ていう手口があるって。いまの運転手も、同じ手口だろう」

次に、年の若い、誠実そうな顔をしている運転手さんを見つけ、同じようにガイドブックを見せて「ここに行ってください」と言った。

すると運転手さんは、私が言った通りの場所に連れて行ってくれた。

タクシーから降りて、その食堂を探すが、いっこうにその食堂が見つからない。地図によればここに間違いないのにもかかわらずである。

どうやらその店は、本当に潰れているらしかった。最初に乗ったタクシーの運転手は、ベテランであるがゆえに、そのことを知っていたのであろう。親切にも本当のことを言ってくれていたのである。しかし私たちは、自分たちを騙している、と疑ってかかったのであった。そして次に乗ったタクシーの運転手さんは、まだ若くて、その店が潰れていたことを知らないまま、その場所まで連れて行ってくれたのではないだろうか。

世の中、何が善意で、何が悪意なのかは、よくわからない。

さて、韓国のタクシー事情である。

以前、韓国に旅行したとき、ひとりでタクシーに乗る人が、後部座席ではなく、運転手の隣の助手席に乗っているのを見て、不思議に思ったことがある。

なぜ、後部座席が空いているのに、助手席に乗るんだろう?日本では考えられないことだ。

あとでわかったことだが、韓国ではかつてタクシーの「相乗り」(合乗)がよく行われていたためだという。

すでに客が乗って走っているタクシーを、別の客が路上でつかまえて、同じ方向に行く場合、相乗りする、というものである。だから、後部座席をあらかじめ空けておく場合が多かったというのである。

いまは、合乗が禁止されているようなので、そのような光景を見ることはなくなった。ひとりでタクシーに乗るときも、助手席ではなく、後部座席にふつうに乗ることがほとんどである。

韓国のタクシー料金は、日本にくらべてはるかに安い。バスの路線が複雑でよくわからないこともあり、気軽にタクシーを利用してしまう。

昨晩(4月11日)、最終のKTXで東大邱駅に到着したあと、もうバスが終わっていたので、タクシーに乗った。

行き先を告げると、何も言わず走り出したが、私が思っている方向と違う方向にどんどん走っていく。

最初は、別のルートで行くのかな、と思っていたが、それにしては、どんどんと離れてゆくようだ。行き先をかなりはっきり言ったつもりだったんだがな。

慌てて、「○○市場の近くなんですけどね。○○路にある、」と念を押すと、まだわからないふりをしている。「○○大学、わかりますか?○○大学の近所なんですけどね。○○大学もわかりませんか?」と言うと、ようやく、ハンドルを切り返した。

私の発音が悪かったのか?でも、発音が悪かったのなら、運転手が聞き返すはずである。ろくに確認もせずに走り出したのは、意図的に『遠回り』した、と疑われても、しかたのないことであろう。おそらく、私の言葉を聞いて、即座に外国人だとわかり、わざと遠回りしたのではないだろうか、と、さらに疑念は深まる。

しかも、深夜0時を過ぎていたので、割増料金もとられるのである。結局、通常の倍以上もとられて、実に不愉快な思いをして、タクシーを降りた。

いままで、タクシーに乗ってとくに不便を感じたことはなかったこともあり、こちらも少し油断をしていた。海外で生活している、という自覚を常に持っていないとね。とくに深夜には。

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たしかな手応え

4月11日(土)

ほぼ2カ月に1度行われている学会の定期発表会に参加するため、朝、KTXでソウルに向かう。

前々回前回と参加したが、言葉の壁に阻まれて、なんとも挫折感を味わう学会である。だが、ここで参加しないと、これからずっと引きこもってしまうのではないかという不安がよぎり、今回も参加することにした。

ソウルの郊外にある私立大学。ソウルはいま、初夏のように暑い。大学の門をくぐると、桜並木が続く道がまっすぐ伸びている。土曜日ということもあって、桜の花吹雪が舞う構内を、多くの人びとが散歩していた。

Photo すると、忽然と大聖堂のような建物があらわれる。ここは本当に大学か、と見まごうばかりである。

こんなことなら、もう少し早く来て、構内をもっと散歩しておくべきだった、と後悔するが、すでに学会の開始時間が近づいていたので、会場である大学図書館へと向かった。

すると建物の入口で、日本からいらしたR先生と再会する。

私は10年ほど前にR先生と出会ったことで、いまの研究テーマに関わることになった。以来いまに至るまで、共同研究に参加させてもらっている。韓国留学のきっかけを与えてくれた先生でもある。

R先生は、この4月から1年間、大学の「サバティカル」(研究のための長期休暇)という制度で、ソウルの某大学に滞在されることになっていた。これから、頻繁にお会いすることになるだろう。

お会いするなり、さっそく先生がおっしゃる。

「今度の7月に行われるこの学会のセミナーの発表者に、あなたを推薦しておきました」

セミナーの概要をうかがうと、自分には難しいテーマだが、この先生の依頼を断るわけにはいかない。それに、以前に一度、この学会での討論者を断った経緯もある。今度ばかりは逃げられまい。

13時30分、学会の定期発表会が始まる。

5本の研究発表が行われる。1人あたりの発表時間が短いため、みなさん早口で発表される。例によって私は内容がほとんどわからない。かろうじて、レジュメがいまどのあたりまで進んでいるかを、目で追うことができたくらいであった。

7時前に発表会は終了。例によってこのあとは懇親会である。

大学院生の方々とも再会する。お話ししているうちに、前々回、前回にくらべて、会話が成立していることに気づく。

たしかに、言葉は上達しているようだ。その手応えをかみしめた。

気がつくと、9時10分。10時のKTXで帰らなければならなかったので、慌ててお店を出る。

バスと地下鉄を乗り継いで、ソウル駅に到着。発車1分前にKTXに駆け込んだ。

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2級4班の人びと

4月10日(金)

今日は中間考査の成績が発表される。

わが班のみんなは、そわそわしている。結果を早く知りたくて仕方がないようだ。

今週は、中国人留学生たちが先生にそればかり質問していた。

ここ数日間、学生が「先生、中間考査の点数はいつわかりますか?」と質問すると、先生は決まって「明日にわかるかも知れないわよ」とお答えになる。だが実際は、今日までのびのびになった。

じらしにじらされた学生たちは、自分の点数を早く知りたくて仕方がないようである。

「先に授業をしてから、点数を教えましょう」と先生はおっしゃるが、「とにかく、先に点数を教えてください!」と学生たちは懇願する。

「でも、見たら落ち込んで勉強できなくなるわよ」

「それでもいいです。落ち込まないから教えてください!」と言ってきかない。

いつも不思議に思うが、どうしてそんなに結果を早く知りたがるのだろう。一生懸命勉強しなければならないことには変わりないのに。

案の定、落ち込んだ人たちが何人かいた。私は、平均で9割以上とれていたので一安心。

そして、授業がはじまる。

文法の時間、私は先生がホワイトボードに書く内容を、すべてノートに書き写す。これは中学、高校時代からの癖である。

ところが、中国人留学生たちは、それらをほとんど書き留めることをしない。結局、まじめにノートをとっているのは、わが班では私だけである。

ところが、それが時に災難をもたらす。

「粗忽者の先生」は、私がひそかにそう名付けているように、かなりの慌て者である。ホワイトボードに書くときも、その粗忽ぶりが発揮される。

先生がかなり長い例文を書く。私も、ほぼ同じスピードでそれをノートに書き写す。すると先生はしばらく考えて、

「あら、この例文じゃなかったわ」

といって、全部消してしまう。私もそれに合わせて消しゴムで消す。

これが何回か繰りかえされる。そのたびに私は、せっかく書いた例文を何度も消すことになる。

とりわけ今日はそれがひどかった。私がそのたびに消しゴムで消している姿を見て、中国人留学生たちがクスクスと笑い出す。

「粗忽者の先生」もそのことに気づくと、今度は、わざと間違えた例文をいったん書いて、消したりするようになる。

それにあわせて私も書いては消し、書いては消し、をくり返す。さらに、

「あら、ここは赤で書くべきところだわ」

と言って、今度はいったん書いた字を消して赤字に書き直す。

私もそれに合わせて、いったん鉛筆で書いた文字を消して、筆箱から赤ボールペンを取り出して書き直す。

中国人留学生たちは、その姿が面白いらしく、ゲラゲラ笑いはじめた。かくして、「粗忽者の先生」に翻弄される「まじめな学生」、という俄コントができあがる。

1カ月も経つと、わが班の人たちの人間性とかキャラクターがわかってくるし、この中で自分はどういう役割を演じるべきか、というのがわかってきて、面白い。

「韓国語の勉強で、何が一番大変ですか?」

先生がよく聞く質問である。何度同じことを聞くんだろう、と思いながら、「マラギ(話すこと)が難しいです」と私が答えると、先生はル・ルさんに質問する。

「じゃあ、マラギが上達するにはどうしたらよいでしょうか。ル・ルさん、アドバイスをしてあげてください」

するとル・ルさんは、

「ピョゲ マルハミョン テヨ(壁に向かって話せばいいです)」

と答えて、みんなが爆笑する。以前、私が言って先生に怒られた言葉だ。中国人留学生たちは、これが意外とお気に入りらしい。

わが班は、1週間に1回、席替えをする。同じ人とばかり隣どうしだと、会話の練習が上達しないから、という大柄の先生の配慮からである。毎週金曜日、週の授業の最後にくじ引きで席を決定する。

今週、私の相方になったのは、雨上がり決死隊の蛍原に髪型までそっくりのホ・ジュエイ君。一見おとなしい感じだが、会話練習では、シュールな会話で相手を翻弄する。

私もそれにつきあわされるわけだが、私も彼に負けないシュールな会話で困らせてやろう、とヘンな意地を張ってしまうようになる。結局、収拾がつかなくなってしまうのだが。

2人での会話練習が早く終わると、韓国語で雑談。将来の夢とか、故郷の吉林省の話とかを、いろいろと聞かせてくれる。

その、ホ・ジュエイ君は、2人での会話練習の最中に、「日本語で『カムサハムニダ』は、何というのですか?」と聞いてきた。

「『ありがとうございます』だよ」と答えると、その発音をローマ字と漢字が混じったような、不思議な表記で書きとめ、「アリガトウゴザイマス、アリガトウゴザイマス」と、小声で念仏のように何度も唱えはじめた。

会話練習がひととおり終わり、「では、来週の席替えのくじ引きをはじめまーす」と、先生が用意したくじをみんなに引かせて、来週の席順を決める。そして今週の授業が終わった。

ホ・ジュエイ君との会話練習も、今日で終わり。

「アリガトウゴザイマス」と、ホ・ジュエイ君は私に言って、教室をあとにした。

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先生も、大変なのだ

つくづく思う。語学の先生は大変だなあ、と。

「粗忽者の先生」を例にとろう。午後1時から、文法の授業を2コマ続けて行う。途中、10分間の休憩時間があるが、1コマ目と2コマ目の間の休み時間は、授業の最初に行うパダスギ(書き取り試験)の採点をして、授業時間内に返さなければならない。だからほとんど休みなく次の時間に突入する。2コマの授業が終わると、今度は別の班のマラギ(会話表現)の授業を2コマ担当しなければならない。つまり、月曜日から金曜日の、午後1時から5時まで、ほとんど休みなく授業を行っているのである。しかも、わからずやの中国人留学生たちを相手に、大声を張り上げながら根気よく授業をしなくてはならない。

先生の仕事は授業だけではない。学生に毎日提出させている宿題のノートも、すべて添削して、翌日までに学生に返さなければならないのである。学生に宿題を多く出せば出すほど、先生の負担も増える、という仕組みになっている。

あの小柄な「粗忽者の先生」に、よくあれだけのパワーがあるものだ、とひたすら感心するほかない。過重労働なのではないか、と他人ごとながらつい心配になってしまうのである。語学の先生の入れ替わりが激しいのも、そういうことと関係しているのだろうか。

4月8日(水)、「粗忽者の先生」の授業がはじまる直前、5人くらいの「先生」らしき人が教室に入ってきた。以前にもあったことだが、どうも「粗忽者の先生」の授業を見学するらしい。合わせて、授業の様子を録画するためのビデオもセットされた。

こういうときは、誰でもいささか緊張するもので、「粗忽者の先生」も、その例外ではない。最初は緊張している様子が手に取るようにわかるが、次第に本来のペースを取り戻していく。授業を見に来た「先生」らしき人たちも、「粗忽者の先生」の話術に引き込まれているようだった。

今週は、私の席が教卓のすぐ近くだったので、1コマ目が終わった休み時間、パダスギを採点している先生に聞いてみた。

「今日は公開授業ですか?」

「ええ。勉強をしない学生にどうやったら勉強してもらうように教えるか、というテーマで聞きにきたみたい。授業のスピードはやっぱり速かったかしら」

「いいえ、大丈夫でした」

実際、私もこの先生のペースにすっかりと慣れていた。5人の先生が聞きにくるにふさわしい授業だと、私も思う。

2コマの授業が終わった後、見に来ていた「先生」らしき人が「粗忽者の先生」に対して、「チャル トゥロッスムニダ」と口々に挨拶した。直訳すると「よく聞きました」ということだが、興味深く聞きました、という意味の褒め言葉である。実際、5人の方々も、授業に引き込まれていたようだった。

この班のよさは、先生の話芸ばかりではない。それを受けとめたり投げ返したりする、中国人留学生たちとの絶妙なコミュニケーションによるところも大きい。

授業中には、絶妙なまでのちぐはぐなコミュニケーションが展開されるのである。

これが日本の学生だったら、ある程度先生の期待する答えを出そうと努力するが、彼らは、それを見事なまでに裏切る。

たとえば、「ル・タオ君がヨジャ・チングのことで悩んでいます。みなさんだったらどうやってアドバイスしますか?」と先生が質問する。

先生が期待する答えは、「一緒に美味しいものを食べて仲直りする」とか、「花をプレゼントする」といったものだろう。だが彼らはいの一番に、「新しいヨジャ・チングをつくればいい」とか、「ヨジャ・チングに新しいナムジャ・チングを紹介すればいい」とか、おそらくは先生の期待を裏切るような答えを次から次へと繰り出してゆく。

それに対して、また先生も切り返す。授業は、このくり返しである。

今日(4月9日)も、こんなことがあった。

「みなさーん。旅行に行ったら、どんなところに泊まりますか」

と先生がおっしゃって、ホテル、モーテル、などをあげていく。

「最近は、お金のない学生はともだちの家やチムジルバンに泊まったりすることも多いんですよ、他にどんなところがあるでしょうか?」と先生。

「PCバン(日本でいうネットカフェ)!」

「でもそこでは寝られないでしょう。ちゃんと寝られるところでないとダメよ」

「陸橋の上!」

「それはお金のない人が寝ていたりするところでしょう」

「ノレバン(カラオケボックス)!」

「ノレバンも寝られないでしょう」

「でも先生、ノレバンにチムデ(寝台)がある部屋もありますよ」

「そんな部屋あるわけないでしょう」

「あります!ソウルで見ました!」

ここから、中国人留学生たちが、どういうところに泊まるか、について、中国語で議論しはじめた。

先生がうっかりと話題をふったばっかりに、中国人留学生たちの間で大議論がはじまり、収拾がつかなくなってしまうことは、よくあることだ。

業を煮やした先生が、

「わかったわかった。みんなの言っていることは全部正しいわよ。どこでも寝られるわ!」

と言って、この話題を強引に終わらせようとする。

私にはこの光景がたまらなく面白く、ひとり大笑いしてしまう。

しかし毎時間、このちぐはぐなコミュニケーションを忍耐強く続けていく精神力は、並大抵のものではないだろう。

つくづく思う。語学の先生は大変だなあ、と。

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二日酔い

4月8日(水)

夕方、授業が終わって、久々に大学院生室をのぞくと、大学院生のウさんに、「軽く1杯やりませんか?」と言われた。

ウさんはこのところ演習の発表でめちゃめちゃ忙しかったらしく、私も試験勉強に追われていたため、会うのは実に久しぶりだった。

他の大学院生2人も誘い、4人で、大学の近くの店でサムギョプサル(豚焼肉)を食べる。あとから3人ほどが遅れて加わり、総勢7人となる。

久しぶりだったこともあり、「ちょいと1杯のつもり」が、次々と焼酎のビンが空いていく。

そしてこの場は私が支払うことになった。かなり食べ、飲んだと思うが、合計で約6万ウォン也(約5000円ほど)。

つづく2次会は、海鮮料理の店に移動。ふたたび酒が進む。支払いは、ウさんがしたらしい。

ここらあたりから、だんだんと記憶が曖昧になる。さらに3次会へと場所を移動する。

カクテルバーみたいな店に到着。以前、ウさんが「日本語が話せる店員がいるので、今度行きましょう」と言っていた店である。

実際、カウンターには日本語の話せる店員さんがいた。ウさんは私のことをよく話していたらしく、「奥さんはいつ韓国にいらっしゃるんですか?」とか、「出身は○○大学ですよね」とか、まあ何でも知っていた。

この時点で、最年長のウさんは撃沈。カウンターで眠ってしまった。私は、大学院生のみなさんと話をしたが、どんな話をしたかはよく覚えていない。

でも、みんないい人ばかりだ。久しぶりにいろんな人とお話しできて、気持ちが少しリセットできた。

気がつくと12時。最初の店に入ったのが6時だから、6時間も飲んでいたことになる。

フラフラになりながら家にたどり着き、就寝。

4月9日(木)

朝起きると頭がものすごく痛い。完全な二日酔いである。

しかし昨日は、授業が終わってそのまま飲みに行ってしまったから、宿題と、パダスギ(書き取り試験)の勉強をしていない。

二日酔いの苦しみに耐えながらも、なんとか宿題とパダスギの勉強を済ませる。

やっとの思いで語学堂に到着。最悪の体調だったが、パダスギは今日も満点。まったく、イヤミな学生である。

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ラジオがあるじゃないか

気分が滅入っているときは、むかしの思い出に浸るに限る。

どうも、韓国語が聞き取れない、上手く話せない。このままでいいんだろうか。

妻が「ラジオでも聞いてみたら」と助言。

そうだ、ラジオがあった。

私はラジオが好きだ。とくにAMラジオ。FMラジオはあまり聞かない。昔からAMラジオ派である。

小学生のとき、祝日か何かで、平日の午前中にラジオを聞いていたら、「サザエさん」のマスオさんがラジオで話をしていた。しかも、外で中継をしている人に向かって、「マムシさ~ん」と呼んでいる。

「あれ、何でマスオさんがラジオに出ているんだろう。しかも、『マスオさん』が『マムシさん』を呼びかけている、てどういうことだろう」私はこの2人の丁々発止のやりとりを聞いて、ひっくり返って笑った。

この番組は、当時、TBSラジオで朝9時から11時頃までやっていたワイド番組「こんちワ近石真介」のコーナー「東食ミュージックプレゼント」である。パーソナリティは、当時「サザエさん」でマスオさんの声を担当していた近石真介氏、マムシさんとは、毒蝮三太夫氏である。ここから、私のラジオ人生がはじまる。

それから私は、近石真介氏の追っかけとなる。平日の午前中は、学校に行っているので、祝日くらいしか聞くことができなかったが、近石氏は当時もう1本、帯(月~金)のラジオ番組をもっていた。それが、NHK第1放送の「近石真介と平野文のおしゃべり歌謡曲」である。

夜8時から40分間の番組で、いまから思えば、きわめてオーソドックスなラジオ音楽番組であった。まず、冒頭は近石氏の軽妙なフリートーク。曲をかけた後、平野文さんが登場して、最近のさまざまな情報を提供するコーナー。このかけ合いもすばらしかった。さらに、曲をはさんで、ラジオドラマ(朗読)のコーナーが入る。有名な俳優や芸人が、名作や珍作を朗読。この時聞いた「怪人二十面相」をきっかけに、江戸川乱歩の推理小説を読むようになる。そして最後はリクエストはがきを紹介する。ここでも2人のかけ合いがよかった。たしか、このような流れだったと思う。

実は私も小学校6年の時、一度だけこの番組にはがきを出したことがある。「うちのおばあちゃんがプロレスを見るのが好きで、プロレス番組を見ながら一緒になって暴れるんです」みたいな話を書いた後、三橋三智也の「夕焼けとんび」をリクエストした。小学生が「夕焼けとんび」をリクエストする、というアンバランスさをねらったのである。

そしてこのはがきが番組で紹介された。「小学校6年生が、なんで三橋三智也の『夕焼けとんび』なんか知ってるんだろう」と、予想通り近石氏は、はがきを読みながら訝しがっていた。ラジオ番組にはがきを出したのは、後にも先にもこの時だけ。

その後、おしゃべり歌謡曲は終わり、「芸能ダイヤル」というワイド番組になって、近石氏は週1日だけの登場となる。それまでの形がくずされてしまったのは残念だったが、この番組の中で、むかしの落語を流すコーナーは面白く、この時聞いた「転失気」は腹を抱えて笑った。長らく、この時聞いた「転失気」が、いつの、そして誰の噺だったのかわからなかったが、昨年、ようやくこの時聞いた「転失気」の音源がCD化されていたことを発見し、購入した。

中学に入って、ラジオ熱はさらに高まる。中1のとき、盲腸で入院し、何もやることがなかったときに聞いたのが、TBSラジオの「春風亭小朝の夜はともだち」(火、木の夜10時~午前0時)。小朝師匠の話術に魅せられた。ちなみにこの時、コサキンがたしか1コーナーを担当していた。

そして、なんといってもビートたけしのオールナイトニッポンである。というか、オールナイトニッポン全盛時代だったんじゃないか?火曜日所ジョージ、水曜日タモリ、木曜日ビートたけし、というラインナップだったと思う。そして土曜日は、笑福亭鶴光のオールナイトニッポン。たしかその前の時間が、所さんの「足かけ二日大進撃」。

高校時代は、ビートたけしのオールナイトニッポンの影響で、みんながたけしの口調になっていたよな。

大学生になって、たけしのオールナイトニッポンを毎週聞くようなことはなくなってしまった。ある日、久しぶりにたけしのオールナイトニッポンを聞くと、放送中に、上海で列車事故があって、修学旅行中の日本の高校生に死傷者が出た、という臨時ニュースが入った。このニュースにショックを受けたたけし氏は、「番組を続けられない」と言ってスタジオを出てしまい、残った高田文夫氏が、音楽をかけながら最後まで時間をつないだ。

後年、このエピソードは有名になるが、私にとっても、忘れられない放送であった。このあと、たけしのオールナイトニッポンを聞くことはほとんどなかったように思う。

さて、FMラジオの話。中学時代、YMOのファンだった私は、NHK-FM の「坂本龍一のサウンドストリート」(毎週火曜日夜8時)を欠かさず聞いた。坂本氏は当時「ワーストDJ 1位」に選ばれるほど、話が下手で、滑舌も悪かった。でもファンにとってはそんなこと関係なかった。

月1回だったか、「デモテープ特集」というのがあって、聴取者から送られてきた音楽のデモテープを、坂本氏が自ら選んで、番組内でかけた。この時紹介された人の中に、当時まだ素人だった槇原敬之氏がいた。槇原氏は私と同い年である。実は私もデモテープを番組に送ったが、紹介されることはなかった。もし紹介されていれば、今ごろは私が「世界にひとつだけの花」という曲を作っていたかも知れない。

(YMOの1人、高橋幸宏氏も、同じころにオールナイトニッポンを担当していたことがある。たしか1年と続かなかったと記憶しているが、この番組の1コーナーに登場していた三宅裕司氏が、後年、ニッポン放送の帯番組「三宅裕司のヤングパラダイス」(夜10時~午前0時)を担当するようになる。私も高校時代よく聞いていたが、三宅氏の、さほど面白くないネタでも面白いように読む「はがき読み」の巧さは、絶品であった。よいDJの条件とは、「はがき読み」の巧さである、と実感する)

もう一つFMラジオで毎週聞いていたのが、毎週土曜日の午前0時にやっていたFM東京の「渡辺貞夫、マイディアライフ」である。この番組でジャズの面白さを知り、高校時代にサックスをはじめた。そして小林克也氏の語りにも魅せられた。私が死んだら、葬式には「マイディアライフ」を流してほしい、と、辛気くさいことを考えたものだ。

いま、ラジオは危機に立たされているという。スポンサーがつかないので、有名なパーソナリティの番組が次々と打ち切りになっていると聞く。愛川欽也、若山弦蔵、コサキン…。

ラジオは、私にとって、想像力を豊かにするアイテムだった。物事をはじめるきっかけとなる道具だった。韓国のラジオも、私にとって重要なアイテムになるかも知れない、

ここまで書いてきて、思い出した。子どもの頃の私の夢は、「ラジオ番組を1本持つこと」だったことを。

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映画をハシゴする

4月5日(日)

今日は、映画を見よう、と決める。

見ようと決めた映画は、クォン・サンウ先生の最新作「悲しみよりもっと悲しい話」(直訳)である。お昼ごろ市内に出て、映画館に行ったが、夕方5時以降からの回しかない、とのことであった。

10615_l そこで、別の映画をまず見ることにする。先日公開されたばかりの「影の殺人」という映画である。

まったく予備知識がなかったのだが、チラシを見ると、どうも探偵が出てくる推理映画のようである。しかも時代設定は、現代ではなく、100年近く前の「日帝時代」(植民地時代)。

むかしの探偵が出てくる推理劇、と聞けば黙ってはいられない。子どもの頃、金田一耕助や明智小五郎にハマった私としては、胸躍るものがある。

さて、内容は、いつもはスキャンダルをネタに仕事をしているしがない私立探偵(ファン・ジョンミン)が、ひょんなことから殺人事件に巻き込まれ、若き医学徒(リュウ・ドクファン)とともにその殺人事件の謎に立ち向かう、という話。相変わらずセリフはほとんど聞き取れないが、十分に楽しめる。

若き医学徒はさながら私立探偵の助手であり、ホームズとワトソン、という古典的な設定ははずしていない。

内容の面白さもさることながら、「日帝時代」の雰囲気を丁寧に再現し、カメラワークも非常に凝っているのがよい。主役のファン・ジョンミンは、雰囲気が山本太郎にそっくりである。役のキャラクターも、山本太郎がそのままやってもおかしくないような設定である。

出演者はどちらかといえば地味だが、ヒットすれば、シリーズ化しそうな予感がする。ただし、内容的にみて、日本で公開されることはないだろう。

映画が終わって、エンドクレジットが流れると、例によって、客はさっさと席を立って出ていってしまう。エンディングの曲を聴きたかったが、私も最後までいるのをあきらめ、出ることにした。

すると、私が出口を出た途端、あろうことか、客がいなくなったことを見計らって、エンドクレジットが途中でブチッと消えてしまったのである。映画館の側も、最後まで待てなかったのだろうか。何をそんなに急いでいるのだろう。

夕方の映画まで時間があったので、喫茶店で読書をして時間をつぶす。

学生時代、暇で暇で仕方がなかった頃、映画のハシゴをよくやったものだ。映画を見て、喫茶店で本を読んで時間をつぶして、また映画を見る。学生時代に戻った感じだ。

Imgccd6649ezikdzj そして5時から「悲しみよりもっと悲しい話」。

タイトルからして、みうらじゅん氏のがいうところの「涙強盗」の映画であることは十分に推測することができる。つまり、私たちから涙だけを奪って、あとに何も残さない、という映画である。

それにしても、この映画のタイトルはどうだろう。ずいぶんハードルをあげたものだ。

内容は…、やはり「涙強盗」の代表作である「僕の、世界の中心は、君だ」を思い起こせばよい。横にいたカップルの女性の方が、号泣していた。私は言葉がほとんど聞き取れなかったので、そこまで思い入れができなかったのが残念であった。

ただ言えることは、最後まで見て、タイトルの意味するところが何となくわかった、ということ、そして、クォン・サンウ先生がいい仕事をしていた、ということである。クォン・サンウ先生は、やはりいいね。決して2枚目ではないが、存在感と演技力は他の追随を許さない。

この映画でも、エンドクレジットが終わるのを待たずにみんなが席を立つ。せっかく、本篇の内容に関係が深いと思われる歌を、出演者が熱唱している映像が同時に流れているというのに、もったいない。隣で号泣していたカップルも、余韻にひたることなく、さっさと出口へと歩いていった。

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中間考査(2級)

4月4日(土)

今学期の中間考査も、以前と同じ時間割である。

9:00~10:00  文法

10:10~11:00 読解

11:10~12:20 作文

12:30~13:10 リスニング

14:00~     会話表現

やはりカンニング対策のため、隣の列に別の級の人が座る、という対策がとられる。この点も前回と同様である。

試験が始まる直前、「猟奇的な先生」が教室に入ってきて、カンニングしないように睨みをきかせる。まるで、「駄菓子屋に来る子どもは、みんな万引きするに決まっている」という疑いの目で、駄菓子屋に来た子どもを見つめる、駄菓子屋のおばちゃんのようだ(たとえがわかりにくい)。

そしてとくに何も言わず退室される。

しかし、これほどまでにカンニングに対して神経質になるのは、理由のないことではない。

2週間ほど前のことである。

毎日、授業をはじめる前に、「パダスギ」という書き取り試験が行われる。これは、先生が例文を10問読み上げて、それを学生がハングルで書き取る、というものである。

前半の「粗忽者の先生」が、授業をはじめる前に、ビデオカメラをまわしはじめた。「みなさんを録るんじゃないんですよ。先生を録るだけですから」どうも自分の指導法の確認のために、ビデオをまわしたようであった。

ところが、「粗忽者の先生」が、あとでそのビデオを見直して、衝撃的な事実を発見する。パダスギをやっている最中、マ・ロン君が、隣の人の解答をカンニングしているところが、ばっちりとビデオに収められていたのである。

「粗忽者の先生」は、パダスギの例文を読み上げるのに集中していたため、その時は気づかなかったらしい。ビデオを見て、はじめて気がついたのであった。

さらに、ほんの数日前のこと。

ビデオを見てからというもの、「粗忽者の先生」は、カンニングに対する監視の目を厳しくした。パダスギの例文を読み上げながら、教室内をまわり、カンニングしていないかどうかを周到に確かめるようになったのである。

そこでまた、衝撃的事実を発見する。

今度は、白縁眼鏡のル・タオ君が、パダスギに出てくる可能性のある例文を、あらかじめ机の上に書いていたのである。いわゆるカンニングペーパーというやつである。

とにかく、きゃつらはあの手この手を使ってカンニングする。それに対して先生もより周到な対策をとるようになる。まさに、イタチごっこなのである。

9時から始まった試験は、文法、読解、作文、リスニング、と、ほぼ休みなく4時間にわたって続けられる。

相変わらず、サディスティックな試験である。とくに読解は、まともに読んでいたらとても時間内に解けないであろう分量だった。私の読解のスピードが遅かったせいか。

幸い、授業で取り上げられた文章がほとんどだったので、後半は、授業での記憶を頼りに設問に解答する。いちおうこちらも、出題のプロなので、設問を読めば、どれを正解にしたいかは何となくわかる。

ヘトヘトになり、午前の部が終了。午後は、会話表現の試験である。

会話表現の試験は、先生と学生が1対1の面接形式で、10分ほど行われる。3時50分に教室に入る。

試験担当の先生は、ふだん授業を受けている先生とは別の先生である。これも、公正を期すために、という配慮であろうか。とにかくそのあたりが徹底しているのである。

担当の先生は、たしかに授業を受けたことのない先生だったが、語学堂ではアイドル的な存在として有名な先生であった(名前は知らない)。

それがまた私に緊張をもたらす。

「では、はじめに私が質問をしますから、手元にある文型を使って、質問に答えてください」

試験が始まる。

先生「トニー氏はとても歌が上手ですよね」

手元の紙をみると、「チョロム(~のように)」という表現を使え、とある。

私「ええ、『ピ』のように歌が上手ですね」

「ピ」とは、韓国で売れている男性歌手の名前である。

そこでなぜか先生が爆笑した。

「あ、『ピ』って、歌手の『ピ』のことですね」

そこではじめて気づく。そうか、「歌手のように歌が上手ですね」と言えばよかったのだ。わざわざ「『ピ』のように」、なんて具体的に歌手の名前まで挙げる必要はなかったのだ。

先生は、私の口から、まさか韓国のアイドル歌手である「ピ」の名前が出てくるとは思っておらず、それで爆笑したのであろう。

それからというもの、ことあるごとに、私の解答に対してクスクスと笑っておられた。

被害妄想の強い私は、私の解答が頓珍漢なので笑っておられるようにも思え、緊張が解けぬまま、10分の試験時間が経過した。

午後4時、ようやく試験が終了。久しぶりの開放感から、市内へ出て、本屋をハシゴして本を大人買いする。

相変わらず、ワンパターンのご褒美である。

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中間考査前日

4月3日(金)

中間考査の前日だというのに、わが班は緊張感があまりない。

それと反比例するかのように、先生方はプレッシャーをかけてくる。ま、それを真に受けてブルブルしているのは私だけなのだが。

ひょっとしたら、私は人一倍催眠術にかかりやすい人間かも知れない。

まじめなル・ルさんが、先生に質問する。

「ソンセンニム、明日の読解の試験は、授業で読んだ文章がそのままでるのでしょうか。1級のときの試験ではそうでした」

「先生はわからないわ。同じであろうと同じでなかろうと、一生懸命勉強しなさい」

ル・ルさんが質問したい気持ちもわからないでもないが、うっかりそういう質問を先生にしてしまうと、次からは授業で読んだ文章を出してくれない可能性が出てきやしないか?こういうときは、バカ正直に先生に聞かずに、先生の手の内を知らないふりして、自分なりの傾向と対策を立てる方が得策だと思うのだが。

それにしても、とくに後半の授業は私語が多くなってきた。後半になると集中力が欠けてくるので仕方がないことなのだが、先学期の1級1班のように、中国人留学生たちが先生を翻弄する。

さすがに先生も少しキレる。「どうしてこの班はこんなにうるさいの!他の班はもっと静かなのに。この班はおかしいわよ」

どうやら先学期に続いて、またにぎやかな班に紛れ込んでしまったようだ。

授業終了後、明日の試験に備えて勉強をはじめるが、なかなかやる気が起こらない。試験の直前にかぎって、試験勉強とは全然関係ない本を無性に読みたくなってしまう。この癖は、中学校以来、変わっていない。

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大激論!

Photo 4月2日(木)

大邱は、ちょうど今が、桜が満開の時期である。

先々週、暖かい日が続いたおかげで桜が開花したが、先週、寒い日が続いたため、満開まで少し足踏みしていたようだ。その間、桜の花を楽しむことができた。

日本のように、桜の花の下で宴会をやる、という光景はあまり見かけない。むしろ、桜の木の下に集まって、本当に、桜の花を観賞している姿が目につく。本当の意味での花見である。

Photo_2 桜の並木道をくぐりながら、語学堂に向かう。

今日の語学の前半の授業は、リスニングである。

例文の会話を聞いて、後の設問に答える、というもの。ところが、この設問をめぐって、わが班が紛糾した。

例文は、次のような会話である。

店員「いらっしゃいませ。お二人ですか。こちらにお座り下さい」

ウィルソン「メニューを持ってきてください」

店員「こちらです」

スミ「この店では何が一番美味しいですか?」

店員「ビビンバも美味しいですし、ソルロンタンもいいですよ」

ウィルソン「(スミ氏に)以前に食べてみたことがあるんですけど、冷麺も美味しいですよ」

店員「最近は天気が暑いので、冷麺にされるお客様が多いですよ」

ウィルソン「スミさんは何にしますか?」

スミ「熱いのはいやなので、…冷麺にしてみます」

店員「お客様も同じものにされますか?」

ウィルソン「私は昨日お酒を飲み過ぎたので、熱いものを食べたいなあ。…ソルロンタンにします」

この例文に対して、次のような設問があった。

「ウィルソン氏は、以前に何を食べてみましたか?」

この設問を解く鍵は、ウィルソン氏がスミ氏に言った、「以前に食べてみたことがあるんですけど、冷麺も美味しいですよ」という言葉である。

ここからふつうに考えれば、「冷麺」が正解である。

ところが、この答えに、キザなタン・シャオエイ君が噛みついた。

「以前に食べたことがあるんですけど」と言ったのは、その前に出てきている「ビビンバ」と「ソルロンタン」のことも含まれているはずだ。だから、ウィルソン氏が食べたのは、「ビビンバ」「ソルロンタン」「冷麺」のすべてでなければおかしい、と。

一瞬どういうことかよくわからなかったが、もう一度よく例文の会話を聞きなおしてみると、店員が、「ビビンバもソルロンタンも美味しいですよ」と言ったのを受けて、ウィルソン氏が「以前に食べてみたことがあるんですけど」と言っているようにも聞こえる。そのことに注目したタン・シャオエイ君は、「以前に食べてみたもの」というのは、その直前に店員が言った2つの料理を受けてのものだ、と考えたわけである。

しかし、「以前に食べてみたことがあるんですけど」は、その後の「冷麺」にかかっている表現だ、というのは、語感からして明らかであろう。だから、タン・シャオエイ君の解釈は誤りなのである。

「粗忽者の先生」もその点を説明したが、タン・シャオエイ君は納得しない。そればかりか、ほかの中国人留学生たちのうちの何人かも、この点について納得していないようだった。

そして、中国人留学生たちの間で、大激論がはじまった。ウィルソン氏が以前に食べたのは、「冷麺」だけだったのか、それともほかの2つも食べたのか。教室がしばらく騒然とする。

どうもよくわからないが、中国語の語感からすれば、「以前に食べたことがあるんですけど」という言葉が、後の「冷麺」にかかる表現である、というのが理解しがたいらしい。

だから先生の説明を聞いても、納得できないようなのである。

むろん、先生の説明を聞いて、納得した中国人留学生もいる。だから、国論を二分する大激論に発展してしまったのである。この議論は、しばらく収まらなかった。

先を急ぎたい「粗忽者の先生」は、次のような提案をする。

「わかったわかった。じゃあ多数決をとりましょう。『冷麺』だけを食べた、と思う人?」

私を含めて5人が手をあげる。

「じゃあ3つとも全部食べた、と思う人?」

これも5人。残りの人はどちらにも手をあげなかった。

「わかりました。じゃあ、全部正解にします」

えぇ!そんなのアリかよ。どう考えたって、正解は「冷麺」じゃんか。

「語感」とはつくづく難しい。韓国語と日本語の語感がきわめて近いことはわかるが、中国人にとっては、この語感を理解するのはなかなか難しいのかも知れない。

後半の読解の授業。

タン・シャオエイ君は休憩時間に、大柄の先生にも先ほどの議論を蒸し返して、「冷麺だけではなくて、ビビンバとソルロンタンも食べたと思うんですけど」と質問している。大柄の先生も必死に説明されたが、あまり納得していないようだった。

細かいところにこだわり、いつまでも食い下がるところは、いかにもタン・シャオエイ君らしい。タン・シャオエイ君の答えは間違っているが、しつこくこだわるところは、彼の持ち味だと思う。

後半の授業では、「韓国での失敗談」というテーマの文章を読む。

例文には、韓国に留学している学生が、留学当初、メニューの読み方がわからず、料理の名前を縦読みしなければならないのに横読みしてしまって店員に笑われた話とか、「冷麺はじめました」という張り紙をみて、これが新メニューだと思い、「すいません、『冷麺はじめました』下さい!」と店員に言って大笑いされた話、などが書かれていた。

「どうですか?面白いでしょう」

先生はそうおっしゃるが、ありがちな「あるあるネタ」である。こういう「あるあるネタ」は、どこも共通しているものなのだな。

「みなさんは、何か失敗談がありますかー?」

まるまるとしたパンジャンニムが自分の失敗談を説明する。

「僕は家で、1人でフライドチキンを4人分食べました」

「どういうことですか?」と先生。

「最初、ある店に電話をかけて、フライドチキン2人前を配達するように注文したんですけど、自分の住所を間違えて教えたことに、電話を切った後になって気がついたんです。それで、届けてくれないだろうと思い、別の店に、フライドチキン2人前を注文したんです。そしたら、最初に電話した店の人が、どういうわけか、僕の家を探し出して、フライドチキン2人前を配達してくれたんです。それで、別の店のと合わせて、4人前を食べました」

まるまると太ったパンジャンニムが言うからこそ、可笑しい。話術も冴えている。

これぞ、伊集院光氏などがいう「デブのあるあるネタ」ではないか。パンジャンニムは、よく心得ている。

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悩み上手にできている

落ち込んだり、持ち直したり。日常生活はそんなことのくり返しだ。

一昨日の夜、釜山で同僚と会ったとき、日本からのおみやげをいただいた。ほかの同僚からのおみやげも入っている紙袋を受け取る。

ところが、その紙袋ごと、うっかり食事をした店に置き忘れてしまった。そのことに気がつかず、伝統茶の店とビールの店と、2軒ハシゴして、結局、夜12時まで話し込む。

別れたあと、紙袋を持っていないことに気づいて呆然とする。「置いてきた…」

(せっかくもらったものなのに…)とあきらめかけたが、最初に食事をした店に戻ると、幸いまだ営業していて、私が忘れた紙袋を保管しておいてくれていた。

昨日の「クイズ」。散々の出来だった、と書いたが、今日、採点されて戻ってきた答案をみると、25点満点で23点。間違ったのは2問だけだった。昨日の手応えとはずいぶん違っていて驚く。しかも今回の間違いは、自分でも納得するものである。

以前、5月初めに某所で研究発表をするようにと依頼された。自分の研究テーマと関わるセミナーだったので、ありがたくお引き受けしたが、その日は、語学の授業の最終週で、4回目のクイズの日と重なっていた。しかもその2日後は、期末試験である。

当然、研究発表の方が大事なので、別にそれはそれでかまわなかったのだが、何となくそのことが、喉に刺さった魚の小骨のように気になっていた。

ところが、今日連絡があって、セミナーは1週間後に延期される可能性が高い、という。1週間後であれば、授業も終わり、パンハク(休暇)なので、心おきなく発表ができる。

どれもこれも些細なことばかりだ。でも、その些細なことによって神経が揺さぶられ、些細なことによって立ち直る。人間とは、強いのか弱いのか、よくわからない。

多分そうやって、ほんの少しずつ、前に進んでいくものなのだろう。

井上陽水は歌っている。「生まれつき僕たちは、悩み上手にできている」(「長い坂の絵のフレーム」)と。

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