あの空にも悲しみが
以前、NHKで放映していた韓国ドラマ「春のワルツ」を見ていたとき、貧しい家の少年が、街角でガムを売り歩いているシーンが目にとまった。
それを見て、30年ぶりくらいに、思い出したことがあった。
小学校2年生の時、担任の先生が、下校時間の前に必ず私たちに本を読み聞かせていた。その本のタイトルは、『ユンボギの日記』である。
1963年から1964年にかけて、10歳の少年、ユンボギ(イ・ユンボグ)が実際に書いた日記である。ユンボギは、母親と別れ、病気の父親と幼い兄弟たちとともに、極貧の生活に喘ぎながらも、母親が帰るのを信じて、日々の生活をひたむきに生きていた。学校が終わると、ユンボギは、当時禁止されていた「ガム売り」を街角で行って生計を立てる。しかし日々の生活はままならず、食うや食わずの毎日である。そんな中、彼の妹も、家出をしてしまう。
しかし極貧の生活に喘ぎながらも、先生や友達に支えられて、ユンボギは明るく、ひたむきに生きてゆく。当時、自分と同じ年ごろの少年が、こんなにつらい目にあっていたのか、と、この本を読んで、衝撃を受けた。
この中で印象的だったのは、ガムを売ってお金を手にすると、「うどん玉」を買って食べた、という記述が、頻繁に出てきたことである。それからというもの、私はお店で売っている「うどん玉」を見るたびに、ユンボギのことを思い出した。いまでもスーパーで「うどん玉」を目にすると、何となく切ない気持ちになる。
もう一度この本が読みたい、と思い、調べてみると、最近になって『あの空にも悲しみが』というタイトルで、完訳版が出ていることを知り、さっそく手に入れた。
そこで、当時はわからなかったさまざまな事実を、あらためて知ることになる。この本は、日本語に翻訳されて一般の出版物として刊行された最初の朝鮮文学であるということ。つまりそれまで、軍事政権下にあった韓国の実情を、日本は知るすべを持たなかった。この本が、その最初の本であったのである。
私が『ユンボギの日記』を読んだ小学校2年生の時の衝撃を思えば、いまはなんと恵まれた時代だろう。こうして、私が韓国に留学していることが信じられないくらいだ。
次に知った事実は、「ユンボギ」ことイ・ユンボグ氏が、1990年に38歳の若さで亡くなったということである。壮絶な人生を生きたのだろうと想像する。
そしてもう一つ、ユンボギ少年の暮らしていた場所が、大邱であったということである。
昨日、ふと思い立ち、書店で『ユンボギの日記』のオリジナル本を買った。原題はやはり『あの空にも悲しみが』。
小学校2年生の時に衝撃を受けた本を、30年以上経ったいま、原文で読もうとしている。しかも彼が暮らしていた大邱で。人生とは、やはりどこかで、何かがつながっているのだ。
ユンボギが暮らしていた町は、私の住んでいる町から、バスで30分ほど行ったところにある。今度、ユンボギが暮らしていた町を歩いてみよう。それは同時に、小学校2年生だった頃の「私」に出会う作業かも知れない。
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コメント
突然のコメントすみません。
ユンボギの暮らした町の名前を教えて頂けないでしょうか?私も大邱まで行って見てみたいのです。
他にもユンボギにまつわるお話しをご存知でしたら是非聞かせて下さい。
投稿: けろこ | 2017年2月15日 (水) 11時53分
イ・ユンボック著、塚本勲訳『完訳 ユンボギの日記 あの空にも悲しみが』(評言社、2006年)によると、ユンボギ一家は当時「アジレンイ村」に住んでいて、それがいまの大邱広域市南区大明洞にあたる、と書いてあります。大邱市内を走る地下鉄2号線の駅に「アンジラン駅」という駅があって、おそらくこの駅のあたりではないかと思います。
投稿: onigawaragonzou | 2017年2月16日 (木) 09時26分
onigawaragonzou様
貴重な情報ありがとうございました。
「アンジラン駅」周辺行ってみたいと思います。
心より感謝いたします。
投稿: けろこ | 2017年2月16日 (木) 17時03分
すみません。間違えました。地下鉄2号線ではなく地下鉄1号線でした。本の中には、アジレンイ村の山奥に住んでいたという記述があるので、アンジラン駅の南側の、標高の高いところに住んでいたのかも知れません。
投稿: onigawaragonzou | 2017年2月16日 (木) 17時12分