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ラジオがあるじゃないか

気分が滅入っているときは、むかしの思い出に浸るに限る。

どうも、韓国語が聞き取れない、上手く話せない。このままでいいんだろうか。

妻が「ラジオでも聞いてみたら」と助言。

そうだ、ラジオがあった。

私はラジオが好きだ。とくにAMラジオ。FMラジオはあまり聞かない。昔からAMラジオ派である。

小学生のとき、祝日か何かで、平日の午前中にラジオを聞いていたら、「サザエさん」のマスオさんがラジオで話をしていた。しかも、外で中継をしている人に向かって、「マムシさ~ん」と呼んでいる。

「あれ、何でマスオさんがラジオに出ているんだろう。しかも、『マスオさん』が『マムシさん』を呼びかけている、てどういうことだろう」私はこの2人の丁々発止のやりとりを聞いて、ひっくり返って笑った。

この番組は、当時、TBSラジオで朝9時から11時頃までやっていたワイド番組「こんちワ近石真介」のコーナー「東食ミュージックプレゼント」である。パーソナリティは、当時「サザエさん」でマスオさんの声を担当していた近石真介氏、マムシさんとは、毒蝮三太夫氏である。ここから、私のラジオ人生がはじまる。

それから私は、近石真介氏の追っかけとなる。平日の午前中は、学校に行っているので、祝日くらいしか聞くことができなかったが、近石氏は当時もう1本、帯(月~金)のラジオ番組をもっていた。それが、NHK第1放送の「近石真介と平野文のおしゃべり歌謡曲」である。

夜8時から40分間の番組で、いまから思えば、きわめてオーソドックスなラジオ音楽番組であった。まず、冒頭は近石氏の軽妙なフリートーク。曲をかけた後、平野文さんが登場して、最近のさまざまな情報を提供するコーナー。このかけ合いもすばらしかった。さらに、曲をはさんで、ラジオドラマ(朗読)のコーナーが入る。有名な俳優や芸人が、名作や珍作を朗読。この時聞いた「怪人二十面相」をきっかけに、江戸川乱歩の推理小説を読むようになる。そして最後はリクエストはがきを紹介する。ここでも2人のかけ合いがよかった。たしか、このような流れだったと思う。

実は私も小学校6年の時、一度だけこの番組にはがきを出したことがある。「うちのおばあちゃんがプロレスを見るのが好きで、プロレス番組を見ながら一緒になって暴れるんです」みたいな話を書いた後、三橋三智也の「夕焼けとんび」をリクエストした。小学生が「夕焼けとんび」をリクエストする、というアンバランスさをねらったのである。

そしてこのはがきが番組で紹介された。「小学校6年生が、なんで三橋三智也の『夕焼けとんび』なんか知ってるんだろう」と、予想通り近石氏は、はがきを読みながら訝しがっていた。ラジオ番組にはがきを出したのは、後にも先にもこの時だけ。

その後、おしゃべり歌謡曲は終わり、「芸能ダイヤル」というワイド番組になって、近石氏は週1日だけの登場となる。それまでの形がくずされてしまったのは残念だったが、この番組の中で、むかしの落語を流すコーナーは面白く、この時聞いた「転失気」は腹を抱えて笑った。長らく、この時聞いた「転失気」が、いつの、そして誰の噺だったのかわからなかったが、昨年、ようやくこの時聞いた「転失気」の音源がCD化されていたことを発見し、購入した。

中学に入って、ラジオ熱はさらに高まる。中1のとき、盲腸で入院し、何もやることがなかったときに聞いたのが、TBSラジオの「春風亭小朝の夜はともだち」(火、木の夜10時~午前0時)。小朝師匠の話術に魅せられた。ちなみにこの時、コサキンがたしか1コーナーを担当していた。

そして、なんといってもビートたけしのオールナイトニッポンである。というか、オールナイトニッポン全盛時代だったんじゃないか?火曜日所ジョージ、水曜日タモリ、木曜日ビートたけし、というラインナップだったと思う。そして土曜日は、笑福亭鶴光のオールナイトニッポン。たしかその前の時間が、所さんの「足かけ二日大進撃」。

高校時代は、ビートたけしのオールナイトニッポンの影響で、みんながたけしの口調になっていたよな。

大学生になって、たけしのオールナイトニッポンを毎週聞くようなことはなくなってしまった。ある日、久しぶりにたけしのオールナイトニッポンを聞くと、放送中に、上海で列車事故があって、修学旅行中の日本の高校生に死傷者が出た、という臨時ニュースが入った。このニュースにショックを受けたたけし氏は、「番組を続けられない」と言ってスタジオを出てしまい、残った高田文夫氏が、音楽をかけながら最後まで時間をつないだ。

後年、このエピソードは有名になるが、私にとっても、忘れられない放送であった。このあと、たけしのオールナイトニッポンを聞くことはほとんどなかったように思う。

さて、FMラジオの話。中学時代、YMOのファンだった私は、NHK-FM の「坂本龍一のサウンドストリート」(毎週火曜日夜8時)を欠かさず聞いた。坂本氏は当時「ワーストDJ 1位」に選ばれるほど、話が下手で、滑舌も悪かった。でもファンにとってはそんなこと関係なかった。

月1回だったか、「デモテープ特集」というのがあって、聴取者から送られてきた音楽のデモテープを、坂本氏が自ら選んで、番組内でかけた。この時紹介された人の中に、当時まだ素人だった槇原敬之氏がいた。槇原氏は私と同い年である。実は私もデモテープを番組に送ったが、紹介されることはなかった。もし紹介されていれば、今ごろは私が「世界にひとつだけの花」という曲を作っていたかも知れない。

(YMOの1人、高橋幸宏氏も、同じころにオールナイトニッポンを担当していたことがある。たしか1年と続かなかったと記憶しているが、この番組の1コーナーに登場していた三宅裕司氏が、後年、ニッポン放送の帯番組「三宅裕司のヤングパラダイス」(夜10時~午前0時)を担当するようになる。私も高校時代よく聞いていたが、三宅氏の、さほど面白くないネタでも面白いように読む「はがき読み」の巧さは、絶品であった。よいDJの条件とは、「はがき読み」の巧さである、と実感する)

もう一つFMラジオで毎週聞いていたのが、毎週土曜日の午前0時にやっていたFM東京の「渡辺貞夫、マイディアライフ」である。この番組でジャズの面白さを知り、高校時代にサックスをはじめた。そして小林克也氏の語りにも魅せられた。私が死んだら、葬式には「マイディアライフ」を流してほしい、と、辛気くさいことを考えたものだ。

いま、ラジオは危機に立たされているという。スポンサーがつかないので、有名なパーソナリティの番組が次々と打ち切りになっていると聞く。愛川欽也、若山弦蔵、コサキン…。

ラジオは、私にとって、想像力を豊かにするアイテムだった。物事をはじめるきっかけとなる道具だった。韓国のラジオも、私にとって重要なアイテムになるかも知れない、

ここまで書いてきて、思い出した。子どもの頃の私の夢は、「ラジオ番組を1本持つこと」だったことを。

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コメント

「おしゃべり歌謡曲」という番組タイトルを思い出したくてサーチしているうちに行きつきました。近石真介だけでなく、山田康夫、矢崎滋もでしたね。この後の紀行番組のオープニング(オカリナかリコーダー)の曲も「おやべり…」とのギャップがあって好きでした。(番組タイトルは何でしたか…)

投稿: じょん | 2019年9月 8日 (日) 00時26分

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