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2009年5月

パンハク最終日

5月31日(日)

パンハク(休暇)の最終日。

市内に出て、映画を見ることにする。

妻が韓国に滞在するとのことで、昨日、私の指導教授が昼食に誘ってくださり、市内から車で30分ほどの山の上の食堂でおいしい料理をいただく。その帰り道、映画の話になり、指導教授が、かなりの映画通であることを知る。

最近の映画もかなりチェックされているらしい。「最近では『7級公務員』が面白かったです」と私が言うと、私が映画を見に行くことが意外だったようで、たいそう喜んでおられた。

「今だと、『コウモリ』という映画が話題になっているね」と指導教授。

「コウモリ」は、韓国映画の巨匠、パク・チャヌク監督の最新作。あの「オールド・ボーイ」の監督である。

「オールド・ボーイ」はまぎれもない傑作である。DVDではじめて見たときは、打ちのめされた。映画音楽もすばらしい。エンディングのワルツは、iPodで何度も聞いている。

主演は、ソン・ガンホ。癖のある役者、怪優というべきか。たまたま今朝、テレビで映画「シュリ」をやっていたので見てみると、ソン・ガンホも出ているんだね。「シュリ」のころから、相当な存在感を出していた。

Photo さて、バスに乗って市内へ出る。「コウモリ」は、18:00からの回がいちばん早い。そこで、まず、以前に1度見たことのある「7級公務員」を見ることにする。

私は2回目だが、妻は初めてである。やはり面白い。1回目よりも、ややセリフが聞き取れたような気がする。

200903241750000view そして、いよいよ「コウモリ」である。

この映画、「バンパイヤ(吸血鬼)」の映画である。いわゆる「ドラキュラ映画」というべきものか。

映画監督は、誰でも生涯に一度は「ドラキュラ映画」を撮ってみたいと思うものだ、と、たしか大林宣彦監督が言っていた。ちょっとニュアンスが違うかも知れないが。

その大林宣彦監督は、商業映画に進出する以前に「いつか見たドラキュラ」という、自主製作の8ミリ映画を撮っていた。

「ドラキュラ映画」を撮りたい、と映画監督が思うのは、「ドラキュラ」(吸血鬼)が、破滅的でありながら、なにか悲しみのようなものを背負って生きていると感じさせるからではないだろうか。この映画でソン・ガンホが演じるバンパイヤも、ときおり見せる表情がどこか寂しげなのである。吸血鬼として生きる「業(ごう)」のようなもの、といったらよいか。

だが、それ以上に、猟奇的で、身震いのする描写がこの映画にはあふれている。18歳未満の鑑賞を禁止しているが、それはそうだろう、と思う。だって、40歳のおっさんでも目を覆いたくなるようなシーンが随所に見られるから。吸血鬼の猟奇性と悲しみを演じきったソン・ガンホは、やはり怪優である。

「オールド・ボーイ」に続き、またしても打ちのめされる。

隣の席で見ていた妻は、映画が終わると、血の色にも似たぶどうジュースをゴクゴクと飲み干した。

よく飲み干せるな。この映画を見た直後に。

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お肉屋さんでクリーニング

5月30日(土)

午前中、背広などをクリーニングに出す。

ふだん、背広などほとんど着ないのだが、来週と再来週、たてつづけに学会があるので、その前にクリーニングに出すことにした。これから暑くもなるし。

実はこれが、初めてのクリーニングである。

家の近くに数軒ある中で、いちばん近い店に行く。歩いて1,2分のところである。

「クリーニングをお願いします」

「あら、外国の方ね」私の発音を聞いて、すぐにわかったらしい。「名前は何ですか?」

苗字を言うと、アジュモニ(おばさん)がそれを帳面のようなものに書き込んだ。

「あのう…、水曜日にはこれを着なければならないので、それまでにできますか?」

「2日でできるわよ」とアジュモニ。

「じゃあお願いします」と言って店を出る。

そういえば、苗字しか言わなかったけど、大丈夫だろうか。連絡先とかも聞かれなかった。クリーニングの値段もまったくわからない。それに、本当に2日で仕上がるのだろうか。全くの口約束である。

どうも不安なことばかりだが、アジュモニの言葉を信じて、2日後にまた訪れよう。

前から気になっていたのだが、その店は、クリーニング屋さんでもあると同時に、「韓牛専門」のお肉屋さんでもある。

同じ建物の中に、お肉屋さんとクリーニング屋さんがあるのである。当然、同じ人が店を切り盛りしている。

客から預かった背広がたくさん吊されているその横に、牛肉の大きな塊が吊されている絵を想像してみるがよい。

これはお肉屋さんなのか?クリーニング屋さんなのか?

店の広さでいえば、クリーニング屋としてのスペースの方が広い。クリーニング屋の一角で、肉屋を営んでいる、といった感じである。だが、「韓牛専門」をうたっているところからすると、肉にも相当こだわっているようにも思える。

クリーニング屋も「韓牛専門」のこだわり肉屋も、片手間でやるような仕事ではないと思うのだが、それが両立できているところがすごい。

「完全犯罪ができるわね」と、妻は言った。

一瞬、何のことかわからなかったが、大きな牛肉のかたまりと、その横にある肉切り包丁を見て連想する。

なるほど、あの大きな肉切り包丁で、○○を○○して、血のついた服をきれいにクリーニングすれば……。

ひいぃ~!オソロシイ。

まさか、そのために肉屋とクリーニング屋を…?

あらぬ妄想が頭を渦巻く。

でも、そうでも考えなければ、肉屋とクリーニング屋を一緒にやっている理由が説明できない、というのが妻の仮説。まったく、天才の考えることはよくわからない。

不安になって店の方を振り返ると、おそらくは夫婦であろう、実直そうなアジョッシとアジュモニが、一心不乱に服にアイロンをかけていた。

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続・ああ、すれ違い人生!

5月29日(金)

朝から、妻と一緒に、私の通っている大学の先生のところに挨拶にまわる。

妻は、本来の研究は他の大学で行うのことになるのだが、語学については私の通っている語学堂でしばらく勉強することにしたため、今後とも、なにかとこの大学の先生にお世話になることになる。

朝9時。私の指導教授に挨拶に行く。

指導教授の先生は、私に「短期間のうちに韓国語がよくわかるようになったね」とおっしゃってくださる。そしてこんな話をされた。

「以前、中国から留学に来た先生がいてね、数年間いて、こちらで博士論文を書いて戻ったのだけれども、結局、韓国語はあまりよくできなかった。最近来たメールも、文法的に間違いだらけなんだ」

「たしかに、中国の人たちにとっては助詞の使い方が難しいでしょうね」と私。

「でも聞いたら、その先生は中国の大学で韓国語を教えているって言うんだ」

ここで大笑い。

「ある時、その先生が学生1人をつれて韓国にやってきた。その学生が韓国語がとても上手だったので『どうやって勉強したの?』って聞いたら、『この先生に習いました』と言ったんだよ」

ここでもまた大笑い。よくできた話である。

午前10時。こんどは語学堂に向かう。

ここで、妻が「レベルテスト」なるものを行う。来週からの語学の授業を何級から受けるかを、このテストによって先生が判断するのである。私も、到着早々に受けさせられて、極度に緊張したことを思い出す

そうはいっても、こちらはもう6カ月も授業を受けている。事前に、先輩面してあれこれと対策を教えたりした。できれば、私と一緒に3級からはじめられればいいね、などと話す。

1時間ほどして、「レベルテスト」を終えた妻が戻ってきた。

どうだった?と聞くと、「4級からはじめることになった」と。

ええぇーッ!?4級っていったら、こんど私が進む3級よりも1級上じゃん!しかも、韓国の大学に入学できるレベルだぞ!

ガーン!なんたる屈辱!

こちとら、1級からはじめて、半年かかってようやく3級までたどり着いたっていうのに、妻はいとも簡単に4級からはじめるなんて!私のいままでの6カ月は何だったんだ?

天才肌の妻には恐れ入る。

しかももう一つ驚くべきことが…。

妻が受ける4級の授業は午前9時~午後1時まで。そして私が受ける3級の授業は午後1時~午後5時まで。

つまり、妻は午前の授業を受け、私は午後の授業を受けることに。

これでは、昼食を一緒に食べることすら不可能である。

ああ、韓国まで来て、何というすれ違い人生!ここまで来ると、神業としか言いようがない。

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ニュースの現場

前大統領逝去の衝撃は、いまも続いている。

私の通っている大学の中にも弔問所が設けられ、学生たちが献花している。日本の大学では、考えられないことである。

最近の報道で明らかになったことは、前大統領の投身の瞬間、横にいたとされていた警護官が、実はその場にいなかった、ということである。

最初の報道によれば、前大統領は山の上で、警護官と会話をして、一瞬の隙をついて投身した、とされていた。ところが、事実はそうではなかった。現場に行く途中、前大統領に「浄土院の院長がいるか見てきてくれ」と言われた警護官は、前大統領を1人残して、少し離れた浄土院というところに行った。その間に前大統領は山に登り、身投げした、というのである。

最初の陳述で警護官が「横にいた」とウソをついたのは、職務怠慢であることを指摘されるのを恐れたためではないか、と新聞は報道していた。

タバコの会話のくだりも、作り話だったことになる。

「事実」とは、一体何なのだろう、と考えさせられる。

5月27日(水)。

妻を仁川空港に迎えに行く。大邱からバスで4時間半かかった。

夕方、ソウルの宿に到着。まだ夕食をとるのには早かったので、ソウル市民が弔問のために数多く集まっているという徳寿宮に行くことにする。

テレビのニュースでは、連日のようにこの場所の弔問の様子が報道されている。市民が自発的に徳寿宮の前に弔問所を設置してからというもの、弔問客が絶えないという。それをこの目で、確かめてみたかったのである。

Photo 地下鉄の市庁駅を降り、徳寿宮に向かう出口をのぼると、すでに多くの人でごった返している。地上に上がる階段の壁には、市民たちが書いた「お別れの言葉」が、所狭しと貼られている。

夕方6時、私たちも行列にならぶことにする。退勤時間と重なっていたこともあって、ものすごい人の数である。

前大統領の自宅のある金海市の小さな村には、すでに100万人にもなろうという数の人たちが弔問に訪れた、と報道されていたが、それは決して大げさなものではなかったのだな。

Photo それにしても、なぜこれほどの人々が集まるのだろう。報道では、前大統領のことを「人間的」「庶民的」という言葉で語ることが多い。

たしかにそうなのだろう。それに加えて、前大統領は「絵になる人」なのである。

公開されている写真のどれもが、見ていて微笑ましくなるくらい、絵になっている。表情がすばらしい。写真集として出版されたら買いたくなるだろうな、と思うほどである。

もちろん、現政権に対する不満のあらわれが、人々の行動を駆り立てているという側面もある。それは実際に列に並んでみて実感したことであった。

結局、2時間ほど並んで、ようやく弔問を終えることができた。こんな経験は、そうあるものではないだろう。

5月28日(木)。

午前中、戦争紀念館を見学したあと、妻は所用で某所へ。私は夕方に妻とソウル駅で待ち合わせるまで、自由行動である。

そこで、翌日の29日に前大統領の国民葬が行われるという、景福宮に行くことにする。

Photo_2 厳戒な体制がしかれていて近づくこともできないか?と思ったが、そういうわけでもなかった。中に入ると、永訣式(告別式)の準備が、粛々と進められていた。

景福宮に行こうと思った理由はもう一つ。近くにある「土俗村」で、サムゲタンを食べたかったからである。そちらの理由の方が大きいかも知れない。

以上、ソウルからお伝えしました。

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ひとり暮らし、最後の日

5月26日(火)

あいかわらず大邱は暑い。

明日から、いよいよ妻が韓国に留学する。3月末までの10カ月である。

昨日から今日にかけて、部屋を大掃除する。もっとも怠惰な私のことだから、掃除といってもたかが知れているが。

ここ最近頭を悩ませていた6月12日の学会発表の原稿も、なんとか仕上げて、送信する。しかし、すぐまた、7月の学会発表の原稿を書かなければならないのだが。

午後、1カ月ぶりに散髪に出かける。お店の人が覚えていてくれていて、「1カ月前みたいな感じでいいですよね」と言ってくれた。

今日の暑さにくわえて、髪を切るときにまとわされるマントみたいなやつのせいで、汗がとめどなく流れる。たぶん、首のまわりをガッチリとふさがれるために、首から上が汗をかくのではないだろうか。散髪をしてくれる店員さんも、少々引き気味である。

散髪が終わって、マントみたいなものをはずしながら、店員さんが私に諭すように言った。

「暑いのなら、半袖を着たらどうです?」

先日も言われた言葉だ。「ひょっとして、半袖の存在をご存じないの?世の中には、半袖という便利なものがあるのよ」とでも言わんばかりの諭し方である。

半袖があることは、百も承知だ。しかし、衣替えといえば6月、という古い観念が残っている私は、5月に半袖を着る気にはなかなかなれないのである。

だがそうも言ってられなくなってきた。明日から半袖を着よう、と心に決める。

散髪屋を出て、大学構内の語学堂に向かう。

今日、新しいクラス分けの発表がある。

語学堂の1階のフロアーの柱に、誰が何級何班に所属するかが貼り出される。同時にそれは、上の級に上がれるかどうかの合格発表でもあるのだ。

数日前、扶余で、同じ境遇の研究者と語学堂の話で盛り上がった日の夜、夢に「粗忽者の先生」が出てきて、「この前の期末試験で、リスニングがとても悪かったので、次は上がれそうにないわね」と言われ、ハッとして目が覚めた。汗をびっしょりとかいていた。

そのことを思い出しながら、おそるおそる掲示を見ると、3級6班のところに、私の名前があった。

そしてその横にある、「奨学金授与者」の一覧を見ると、なんと2等(20万ウォン)のところに、私の名前があるではないか!

奨学金とは、以前にも書いたように、その学期で点数が優秀だった学生に贈られるものである。1等若干名に30万ウォン(約3万円)、2等若干名に20万ウォン(約2万円)、3等若干名に10万ウォン(約1万円)である。

2級で2等をとった人は、全体で2~30人くらいいる。上位4分の1くらいといったところか。わが班(2級4班)では、私のほかに、まじめ美人のル・ルさんと、素直で韓国語がよくできるポン・チョンチョンさんがもらっていた。

今学期は5日も休んだのに、なかなかの健闘ぶりであった、と自画自賛。

ボーッと掲示を見ていると、1階の事務室から、韓国語の授業をとりしきっているパク先生が出てきた。

「あら、キョスニム!奨学金はどうだった?」

「2等をもらいました」

「前回も奨学金をもらったわよね。すごいわね。この次も頑張りなさいよ」

と、事務室に戻っていかれた。

さて、気ままなひとり暮らしも今日で終わり。明日は仁川空港に妻を迎えに行って、6月からまた新しい3カ月がリセットされる。

はたして、新型インフルエンザが猛威をふるうこの時期、妻は無事入国できるのか?

いままでの気ままな生活に別れを告げ、生活サイクルはどうなるのか?

学会などで休みがちになるであろう、3級の授業にはついて行けるのか?

来週、私が討論者(コメント)として出席するシンポジウム。まだなんにも連絡が来ていないが、いつになったら連絡が来るのか?そしてコメントすべき発表者の原稿は、いつになったら送られてくるのか?

心配事は、とぎれなく続く。

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くまざわ書店の憂鬱

ある書店で、深沢七郎の『言わなければよかったのに日記』という本を探していたときのことである。私はめったに店員に本の所在などを聞くことはないのだが、その時はたまたま聞く羽目になった。カウンターに行くと、パソコンで検索してくれるとのことだった。

「少々お待ち下さい」

アルバイトの若い女子店員は、「フカザワシチロウ」の名をパソコンに打ち込み始めた。ところが検索結果は0件であった。

「ありませんねえ」店員が言った。「フカザワシチロウという著者の本じたいがありません」

そんなはずはない。深沢七郎といえば、『楢山節考』などを書いたかなり有名な作家である。文庫本も山ほど出ている。ないはずはない。

「そんなはずはないと思うんですけど」もう一度検索してもらう。

「やはりありませんねえ」

深沢七郎の本がないはずはない。不審に思ってパソコンの画面を覗くと、「フカザワシチロウ」の名を、「著者名」のところではなく「書名」のところで検索している。

「あの、書名のところで検索してますよ」

「あら、ごめんなさい」

今度はちゃんと「著者名」のところで検索してもらう。もう大丈夫だろうと思ったが、検索結果はまたも0件だった。

「やはりありませんねえ」

若い女子店員は困った顔をしている。私は別に意地悪をしているわけではないのに、何か非常に悪いことをしているように思えてきた。

そこへ別の若い女子店員が現れた。

「どうしたの?」

「深沢七郎という人の本を探しているんですけど、検索しても出てこないんです」彼女はすがるようにもう一人の店員に助けを求めている。

困ったわねえ、という顔をしてしばらくしてから、思いついたようにその店員が助け船を出した。

「ひょっとして、『シチロウ』ではなくて、『ヒチロウ』で登録されているんじゃないかしら。 『シ』と『ヒ』って、ほら、よく間違えやすいじゃない」

おいおい、江戸っ子じゃないんだから、データベースに「深沢ヒチロウ」と登録されているわけはねえだろ!私は心の中でツッコミを入れた。

「あ、そうそう、そうですねえ」

最初の店員も、妙に納得して「シチロウ」を「ヒチロウ」に直し始めた。「おまえもそこで納得するんじゃない!」と、再び心の中でツッコミを入れる。案の定、検索結果は0件であった。

「困りましたねえ」店員はいよいよ困り果ててしまったようだ。当たり前だろ!と心の中で思いつつ、再び画面を見ると、なんと「フカザワ」ではなく「フカガワ」となっている。

「フカガワ ヒチロウ」

何のこっちゃわからない。これではいくら頑張っても0件のはずである。

私は「もういいです。自分で探します」と言ってカウンターを後にした。なお、この書店の名誉のために言っておくが、この後、自分で探していると、さっきの店員がわざわざ私のところに来て、「深沢七郎」を正確に検索しなおした際の結果を事細かに報告してくれた。結局、この書店には私が探している本の在庫がないことがわかったのである。

…上の文章は、いまから10年以上前に書いたもの。

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ヘクシロム

5月25日(月)

時事的な話題は書かない、と決めていたのだが、こういろいろなことがあると、やはり書きとめておいた方がいいのか、とも思えてくる。

ひょっとしたら、永井荷風とか山田風太郎の日記のように、後世になって史料的価値が出てくるかも知れない。

前大統領逝去のニュース以来、つとめてテレビやラジオのニュースを聞くようにしている。

ニュースを見る限り、全国的に弔問ムード一色である。各地に臨時の弔問所が作られ、人々がひっきりなしにお花を献げている。

インターネットのDaumや、ヤフー!コリアといった有名なサイトも、最初のページのタイトルが、前大統領に哀悼の意をこめて、白黒を基調とした色遣いに変わっている。

ヤフー!コリアのタイトルの下には、「いっぱいの情熱と素朴な微笑が懐かしい。あなたは私たちの胸の中に残るだろう。どうか安らかにお眠りください」と、メッセージが書かれている。

弔問する人たちの様子を見ていて印象的なのは、人々が次々と、遺影の前に、火をつけたタバコを献げていることである。

報道で明らかにされている、山の上での前大統領の警護員との最後の会話は、次のようなものだったという。

「タバコはあるか」「いえ、ありません。持ってきましょうか」「いや、必要ない」

前大統領は、最後の一服がかなわないまま、旅立った。

このニュースを聞いた人たちが、こぞって、タバコを前大統領に献げたのである。

さて、今日の昼も、外を歩きながらラジオを聞いていたら、突然、慌ただしくニュースが始まり、スタジオのアナウンサーが、各地に散らばっている記者をひっきりなしに呼びかけている。

(こんどは何があったのだろう…)

注意深く聞き取ろうとするが、いかんせんリスニング能力がないのでよくわからない。「プクハン(北韓)」という言葉が聞こえてきたので、北朝鮮がらみのニュースであることは間違いない。

次に頻繁に聞こえたのが、「ヘクシロム」という言葉。アナウンサーと記者との電話でのやりとりで、何度も出てくる。

「ヘクシロム」ってなんだろう?新種の病気か?災害か?

「地震」という言葉も、なんとなく聞こえてくる。やはり災害だろうか。

とにかく、やりとりの様子から、大変なことが起こっていることは間違いない。

気になって、研究室に戻ってインターネットのニュースを確認する。

「北朝鮮、地下核実験」とある。

「ヘクシロム」=「ヘク(核)シル(実)ホム(験)」か。

ようやく合点がいく。

最初、地震のニュースか?と思ったのも、聞き違い、というわけではなかった。核実験の際に、地震のような揺れが起こった、というのである。

次から次へといろいろなことが起こる。この先、どうなってゆくのだろう。

あと1週間でパンハク(休暇)も終わり。水曜日からは、妻がいよいよ韓国に留学する。6月から、また新しい3カ月が始まる。

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ニュース特報と深夜映画

5月23日(土)

朝起きて、テレビをつけたら、大変なことになっていた。

盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領が逝去した、というニュースである。自殺ではないか、と伝えている。主要な放送局は、特別報道番組に切り替えて放送している。

次第に状況が明らかになる。11時に病院の記者会見があり、死に至る経過と、死因が明らかにされる。やがて、自宅のパソコンの中に短い遺書が残っていたことが報道され、まもなく、遺書の内容が公開された。そして、自殺の直前、一緒にいた警護員と交わした会話も明らかにされた。

何時何分に遺書を書いて、何時何分に自宅を出発して、何時何分に山に登り、何時何分に身投げしたか、などが、詳しく復元されてゆく。

かつての最高権力者の自殺にも驚くが、その最後の瞬間までが、克明に復元されていく過程を、報道を通じて、目の当たりにする。大変なときに、韓国に居合わせたものだ。

ニュース特報は、ときおり通常番組をはさみながらも、夜まで続き、夜11時過ぎには、前大統領の足跡をたどるドキュメンタリー番組が放送される。

夜12時過ぎにドキュメンタリー番組が終わると、映画が始まった。冒頭に、南北首脳が握手しているニュース映像が流れる。当時の金大中大統領と金正日総書記である。

今日のニュースに関係するような、現代史に関わる映画だろうか、と思って見始める。

キム・スンウや、ファン・ジョンミンが、軍人役で登場する。キム・スンウは、ドラマ「ホテリアー」で主役のホテルマンを演じていたのでよく知っていたし、ファン・ジョンミンは、以前に見た映画「影の殺人」の主役である。本当に、山本太郎に似ている。どちらも好きな俳優なので、期待も高まる。

キム・スンウとファン・ジョンミンは敵同士のようで、お互い撃ち合いをはじめる。

すると、キム・スンウとファン・ジョンミンを含む数人の軍人たちが、いきなり400年以上前の朝鮮時代にタイムスリップする。そこで彼らは、のちに韓国の英雄と称えられる李舜臣と出会い、彼とともに蛮族と戦うことになる。

ん?どこかで見た設定だな。

むかし見た映画「戦国自衛隊」ではないか!

Photo そこでさっそく調べてみると、この映画は2005年に韓国で公開された「天軍」という映画であることがわかった。(以下、完全なネタバレです)

冒頭のシーンは、南北会談の実現以降、南北が共同して秘密裏に核兵器を開発するが、米国や日本の非難を受けて、米国に譲渡することになったものの、北の将校(キム・スンウ)が核弾頭を盗み出して逃走し、それを、韓国軍の将校(ファン・ジョンミン)が追って、両者が衝突する、というものだった。なんともすごいストーリーである。

さらに驚きなのは、そこで400年以上前にタイムスリップした彼らは、若き李舜臣と会い、村を脅かす蛮族(女真族)を撃退する手助けをするのである。村人に、蛮族の撃退を頼まれた彼らは、村人たちに戦術を教え、武器を作らせ、馬に乗って襲ってくる蛮族を、見事撃退する。

ん?これも見たことがあるような。

黒澤明監督の「七人の侍」ではないか!

面白いのは、若き李舜臣が、実はどうしようもないヘタレだった、という設定で、それを、タイムスリップした彼らが助け、英雄に仕立ててゆく、という展開になる。

とにかく荒唐無稽な話のオンパレードである。若き李舜臣を、パク・チュンフンが演じていて、つまり、いま韓国映画で、間違いなく主役をはることのできる3人が、夢の共演をしているのである。3人もの主役級の人を使いながら、これだけの荒唐無稽な話を作りあげるのだから、なんとも贅沢なB級映画である。

基本的に、千葉真一や夏八木勲といった大俳優が、「戦国自衛隊」のような荒唐無稽な映画に大まじめに取り組んでいるのが大好きな私にとっては、この映画も、十分に楽しめた。

しかし、こんな大変な日に、なぜこんな荒唐無稽な映画を放送するのだろう。

映画の最後の方には、北の軍人と韓国の軍人の間に不思議な友情が芽生え、そして、両者が力を合わせて蛮族を撃退する、というシーンがある。2005年当時の南北関係融和を背景にした描写であろうか。そこには、生半可な私にはおよそはかりしれない、韓国の人々の複雑な感情が見え隠れしているような気もしてくる。

だから、私としては、余計な詮索などせずに、あくまで荒唐無稽な娯楽映画として楽しめばよいのだろう。

この映画が公開された2005年は、盧武鉉大統領の在任の時期でもあった。そうしたことも含めて、韓国の人々は、この映画を見て、何かを感じとるのかも知れない。

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ジギジギさん

以前、名古屋に調査兼研究会に行ったときのことです。

大須観音というところで資料調査をした後、夜の懇親会まで時間があったので、調査で一緒だった地元の大学の先生に「大須演芸場をいっぺん見てみたいですねえ」と軽い気持ちで雑談をしていたら、

「そうですか。私は大須演芸場の席亭と親しいので、ご案内します」

と言われ、あれよあれよと連れて行かれました。

大須演芸場に着くと、演芸場の受付にいた、夫婦漫才みたいな雰囲気のおじさんとおばさんが出てきました。

「やってる?」と地元の大学の先生。

「ごめん、今日はもう終わったんだ。(私に向かって)そちらの方、わざわざ遠くから来てくれたのにゴメンね。なんだったらここ(入口)で演芸してもらうように芸人さんに頼んでみようか?」

「いえいえ…けっ、結構です」と私。

「残念だったねえ。今日は特別ゲストでジギジギさんが来てたんですよ。せっかくジギジギさんが来てくれてたのに、残念だなあ」

ジギジギさんって誰?と思いながら、「残念でした」と私。

「午前中に来てもらえたら、ジギジギさんを見られたのに、残念だなあ」「ほんとよねえ」

だからジギジギさんって誰?

「まあ、またそのうちジギジギさんが来てくれることもあるから、その時にまた来てよ」

と言って、その日のプログラムを渡されました。

プログラムには「めおと楽団ジギジギ」の他に、「腹話術 杉のぼる」「落語 雷門小福」「コント 伊東かおる 波たかし」「パフォーマンス 大須くるみ」「似顔絵漫談 あおいくん」そして「なごやのばたやん」といった、聞いたことのない名前がならんでいました。

…私が以前に書いてみた文章。どうということのない内容だが、なんとなく思い出し、この日記の作風のルーツになっている気がしたので、載せてみた。

(追記)

こぶきさんのコメントに触発されて、「めおと楽団ジギジギ」の芸を拝見。すごくよく練られていて、安心してみられるまさにプロの芸なのね。そうなると、知らなかったこっちの方が悪いね。ちなみに上の記事は、2008年5月末ころの体験です。

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なりゆきバスの旅

5月22日(金)

扶余2日目。

午前中、展示を担当された研究官の方の解説で、日本から来た大御所の先生ほか数人と、博物館の特別展をじっくりと見学する。大御所の先生の貪欲な知識欲を、目の当たりにする。

お昼はハンウ(韓牛)の焼肉と冷麺をおいしくいただく。食後、みなさんとお別れして、バスターミナルに向かう。以前から一度訪れたいと思っていた公州に行くためである。

公州は、百済が扶余に都を置く前に、都が置かれていたところである。有名な王の墓もあり、国立の博物館もある。扶余から、バスで1時間ほどのところである。扶余から、KTXの駅のある大田(デジョン)に行く途中にあたる場所でもあるので、公州を見学したあと、大田から大邱に帰ることができる、というわけである。

「博物館は、ちょっと不便なところにあるので、公州のバスターミナルからタクシーで行った方がいいですよ」と、研究官の方が教えてくれる。

「帰りはどうすればいいでしょう」

「帰りもタクシーですね。ただ、タクシーをつかまえられるところでもないので、行きのタクシーの電話番号を聞いておいて、帰るときに電話をかけて、来てもらえばいいでしょう」

さて、扶余のバスターミナルで公州行きの切符を買って、バスに乗り込む。

しかし不安である。

公州行き、とはいっても、直行、というわけではなく、途中何カ所か停車するのである。しかも終点が公州ではなく、別の場所であり、公州は経由地である。しかもまったく土地勘がないときている。

だから、間違えることなく公州で降りなければならない。

前日、扶余に行くときもそうだった。

大田からバスに乗るが、途中何カ所かとまるのである。「あれ?扶余か?」と思って、荷物を持って運転手席まで行って、

「扶余ですか?」

と運転手に聞くと、

「ノンサン(論山)。扶余は次」

と言われ、再び荷物を持って自分の席に戻る。

車内放送も特にないので、本当に、自分の目的の停留所に連れていってくれるのか不安である。それでなくても、以前苦い経験があるし

公州行きのバスでも、同じことをくり返す。

しかも昨日から今日にかけて、本をもらったり買ったりしたので、荷物が1つ増えている。

公州市内に入って、バスが停留所にとまったので、あわてて、リュックを背負い、両手に荷物を持って、運転手のところまで行く。

「公州ですか?」

「次だよ、次」

再び、荷物を持って席に戻る。

1時間ほどして、公州のバスターミナルに到着。

教えられたとおり、そこからタクシーに乗る。

「博物館まで行ってください」と、韓国語で言うと、

「ハクブツカンね」

とタクシーのアジョッシ(おじさん)が日本語で返事をした。

私の発音を聞いて、すぐに日本人だとわかったようだ。

「韓国語上手だね。旅行に来たの?それとも韓国に住んでるの?」

とアジョッシが韓国語で聞いてきた。

「昨年12月から大邱に住んでいるんです」と答える。「おじさんも、日本語が上手ですね。どこで習ったんですか?」私も韓国語で返す。

「ひとりで勉強した。日本人のお客さんも多いしね」

へえ、こんな交通の不便なところにも日本人の観光客が来るのか。

「ところで、帰るとき、博物館からタクシーつかまえられますかね?どうしたらいいですか?」

「それなら電話くれよ」とアジョッシが、名刺をくれた。「ジェンワ、ジェンワ」と、また日本語の単語を使った。

「じゃああとで電話します」と、博物館の前で降りる。

3時過ぎに博物館に到着。見学のあと、有名な王の古墳がある古墳群を見に行こうとするが、どこにあるかわからない。博物館に荷物を置いて、歩いていくことにする。

「歩いて7分くらいですよ」と博物館の人にいわれたが、7分たってもそれらしい場所はみえてこない。

数日前から続いている左足の痛みも手伝って、だんだん不安になってくる。

Photo_2 もう引き返そうかな、と思った矢先、古墳群の看板を発見。無事見学できた。

結局、往復2キロの道を、左足の痛みに耐えながら歩いたことになる。

博物館に戻ったのが6時近く。荷物をひきとって、先ほどのタクシーの運転手に電話をかける。タクシーの運転手も覚えていてくれて、すぐに来てくれた。

「大田行きのバスが出ているバスターミナルまでお願いします」

「大邱に帰るんだよね」

「ええ」

「そこからKTX?」

「ええ」

「大田から大邱行きのバスも出ているよ」

「あ、そうですか。時間はどのくらいかかりますか?」

「2時間…、いや、1時間40分だな」

「KTXとどっちが安いでしょう」

「それはよくわからない。…もし大邱行きのバスに乗るんだったら、公州から東大田行きのバスに乗りなさい。東大田で降りたら、道路の向かい側に大邱行きのバスが出てるから」

公州のバスターミナルに到着。

アジョッシにお礼を言って、タクシーを降りる。

さて、どうしようか。

前日は、大田の西部バスターミナルから乗ったので、「東大田」は、未知なるターミナルである。しかも、私がアジョッシの言葉を聞き違えている可能性もある。

だがここは、アジョッシの言葉を信じて、6時19分発の東大田行きのバスに乗ることにする。

出発して1時間過ぎても到着する気配がない。日が落ちて次第に暗くなったころ、大田市内に入り、繁華街でバスが停車する。ほとんどの人が降りている。

私もあわてて荷物を抱えて、運転手のところに走る。「東大田ですかっ?」

「違うよ」

再び荷物を持って自分の席に戻る。

やがて、バスは繁華街を過ぎ、どんどん寂しいところに向かっていく。

(本当に東大田に着くのだろうか?いや、東大田に着いたところで、大邱行きのバスがあるのだろうか?)

すでにあたりは真っ暗である。不安ばかりが募る。

バスの窓から外を食い入るように見つめる。やがて町の灯りが見えてきた。

(まったく驚かせやがって…)

こっちが勝手に不安がっていただけなのだが。

7時45分頃、東大田のバスターミナルに到着。アジョッシにいわれたとおり、道路を渡ると、長距離高速バス乗り場があり、大邱行きのバスもあった。

ちょうど8時発のバスがあるという。急いで切符を買って、バスに乗り込む。当然ながら、KTXよりも料金は安かった。

出発してから1時間以上が過ぎ、バスは高速道路を降りる。バスの窓から大邱タワーが見えたときは、ホッとした。

そして、出発して1時間40分後の、9時40分頃、東大邱のバスターミナルに到着した。

すべて、タクシーのアジョッシの言ったとおりだった。大田からKTXに乗ったとしても西大田からタクシーで15分(500円)かかり、しかも大田から大邱まで1時間かかるので、時間的には変わらなかったかも知れない。

アジョッシありがとう。名刺をとっておいて、こんど公州に行くことがあったら、また乗せてもらおうか。

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同病相憐れむ

5月21日(木)

セミナーで研究発表のため、扶余に行く。

「セミナー」とは、韓国では、学会の研究発表会とか、研究集会、といった程度の意味だろうか。日本ではあまり使わないかもしれない。

扶余は、三国時代の百済という国の都が置かれた場所である。今は交通が不便な、田舎町、といった印象である。

Photo ここにある博物館で、特別展が開かれていて、その特別展に関連したセミナーを行うので、発表して欲しいと、ずいぶん前にその博物館の研究官の方に依頼された。

その研究官の方とは、彼が日本に留学しているときに一緒に勉強したこともあり、そうしたご縁で、声をかけていただいたのだろう。日本からの旅費がかからない、というのも、大きな理由かも知れない。

だが、その研究官の方がとてもお忙しいようで、当日、何時にどこに行けばよいかがわからない。しびれを切らして前々日に電話すると、「2時から始まりますので、それまでに来てください」とのこと。

朝9時25分のKTXで大田(デジョン)に向かう。そこから、バスで扶余に向かう。大邱から、しかもひとりで扶余に行くのがはじめてだったので、どのくらい時間がかかるのかがまったくわからなかった。

結局、3時間かかって、ようやく扶余に到着。昼食をとってから会場に着いたのが、1時だった。

セミナーでは、基調講演の先生が1人、研究発表者が5人の計6人が発表する。うち日本人の発表者は、基調講演をなさる先生と、私の2人である。

会場で、日本からいらした、基調講演をなさる大御所の先生と、久しぶりに再会する。もう古稀も近いのだろうと思うが、まだまだ学問に対して貪欲で、お元気である。私の師匠筋にあたる先生ではないのだが、私のこともなにかと気にかけてくださる。

2時からセミナーが始まり、6時半に終了。交通の便が悪い扶余で、平日の、しかも大雨の日、さらには地味なテーマにもかかわらず、100人以上の人が聞きにきていたという。

あとで大御所の先生から、日本の某国営放送の教育テレビでやっている大型シリーズ企画の番組が、セミナーの様子を撮影していた、と聞いた。「ひょっとすると、このセミナーの様子が5秒くらい映るかも知れないよ」と、その先生はおっしゃった。

終わって、打ち上げの夕食会。そこで、日本からソウルに留学している、ある研究者の方とはじめてお会いする。私より少し年下のその方は、「平日はソウルの某大学の語学堂の授業のために身動きがとれないのですが、ようやくパンハク(休暇)になったので、聞きにきました」とおっしゃった。聞くと、3月に韓国にいらして、私と同じレベルの2級を終わったばかりだという。

そこから、その方と語学堂の話題で盛り上がる。

「語学堂に通っていると、他のこと何もできないでしょう」と私。

「ええ、もっと研究ができるかと思ったんですが、それどころじゃないんですよね。ストレスもたまりますし、毎日が憂鬱なんですよ」

「中間試験と期末試験の前はとくに憂鬱になりますよね」

「そうですよね!私なんか、直前になると吐きそうになるんですよ。で、試験が終わったからといって、心が晴れるわけでもないですし…。自己嫌悪に陥りますから」

「そうそう!私なんか、本気で死にたいと思いましたもん

同病相憐れむ、といったところか。

夕食会が終わり、今回の特別展とセミナーで大車輪だった研究官の方と、若手数人で2次会へ。研究官の方も、ようやく解放された、という感じで、話がはずんだ。先ほどの研究者の方とも、ひきつづき語学堂の「あるあるネタ」で盛り上がった。(つづく)

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大いなる勘違い

5月20日(水)

午後、用事があって、語学堂の建物の1階の、パク先生のところに行く。

パク先生は、語学堂の韓国語の授業をとりしきっておられる先生である。いつも1階の事務室におられるので、実際に韓国語を教えておられるわけではないようだが、中国語がめちゃくちゃお上手なので、中国人留学生たちの絶大な信頼を得ている。また、恐れられてもいる。

「パク先生が1階でお呼びですよ」

と、授業中に先生から言われると、中国人留学生たちは青ざめるほどである。

私も緊張して、1階の事務室の戸をたたく。

「あら、キョスニム!こちらに座りなさい」

私は6月以降のことについていろいろ説明するのだが、暑さと緊張で、例によって、大汗をかき始める。

パク先生は、汗が気になったのか、トイレットペーパーを持ってきて、

「汗をふきなさい」とおっしゃる。「暑いなら半袖を着なさい、半袖」

いちおうこちらの説明を理解していただいたようだった。

「ところでキョスニム、3月に日本に一時帰国したときに、『日本の美味しいお菓子を買ってきてください』とお願いしたのに、買ってきてくれなかったわね。忘れたのかしら」

一瞬、何のことかわからなかったが、ハッと気づく。

2級のクラス分けの掲示を見に語学堂に行った2月末のことである。1階の事務室にいらっしゃるパク先生に挨拶に行ったとき、パク先生から「キョスニム!奨学金がもらえるわよ」と教えていただいた。

そして先生は、「これで日本に帰っておいしいものでも食べなさいよ」とおっしゃった。

このことは、その日の日記にも記している。

しかしこれは大きな勘違いだった。パク先生は、「これ(奨学金)で日本に帰っておいしいものでも食べなさいよ」とおっしゃったのではなく、「これ(奨学金)で日本に帰っておいしいお菓子でも買ってきてちょうだい」と、おっしゃっていたのである。

そのことに、いまさらながら気がついた。

「す、すいません…。忘れてました」

「冗談ですよ。冗談」

そう先生はおっしゃったが、このあとも何度か「どうして日本のおいしいお菓子を買ってきてくれなかったのかしら」とくり返しつぶやいていたので、半ば本気であてにしていたのだろう。

自分の聞き違いを恥じるとともに、(あの時は聞き取れなかったけど、いまは聞き取れるんだな)と、知らず知らずのうちにリスニングが少しずつ上達していることに気づく。

研究室に戻って、さっそく6月から韓国に留学する妻に、「日本のおいしいお菓子をおみやげに持ってきてください」とメールしたのはいうまでもない。

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左足が疼く

5月19日(火)

昨日の夜あたりから、どうも左足に違和感がある。

今日もその違和感は続いている。

ひょっとして、例の奇病だろうか?

どうもその前兆のようである。

最近、薬を飲むのをサボっていたからなー。

激しく後悔する。

原因をあれこれと考える。

まず、ここ最近食べたものに原因はないか?

さかのぼって思い出してみても、思いあたる節はない。お酒だってそれほど飲んでいるわけではない。むしろ日本にいるときよりも健康的な生活だと思うのだが。

原稿が書けないことに対するプレッシャーか?

その可能性はある。

水分補給が足りなかったからか?

その可能性も高い。真夏だと意識して水分補給をするが、この時期は、ちょっと油断すると水分補給を怠ってしまう。そのくせ汗は人一倍かくので、発作を誘発するに十分な条件である。

まあいろいろ考えても仕方がない。

激痛、というほどではないが、ここは大事をとって、痛み止めの薬を飲むことにする。

渡航前に、かかりつけの病院の先生からいただいた痛み止めの薬。「いよいよ、というときに飲んでください」と、10日分だけいただいた。

私の命綱となる薬である。今の私にとっては、タミフルよりも貴重な薬である。

この薬がなくなれば、「もしも」の時に私を救う手だてはない。

10日分しか備蓄がないのだから、大切に飲まなければならない。祈るような気持ちで、1回分の薬を飲む。

湿布も貼って、包帯も丁寧に巻きつける。

まったく、厄介な体である。

どうか痛みがひきますように。

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パソコンデスクと格闘

5月18日(月)

家でまったく原稿が書けない。

理由は、家に机がないからである。

もちろん、ちゃぶ台のようなものはあるのだが、そこにパソコンを置いて原稿を書こうとすると、姿勢が悪くなったり血行が悪くなったり腰が痛くなったり足が痺れたりと、集中力が続かず、つい寝そべってしまう。

机を買うことは悲願だったが、いまひとつ決断ができないでいた。

しかしそんなことは言ってられない。とりあえず、原稿を書くためには机が必要だ。

というわけで、研究室をいつもより早く出て、近くのホームセンターに行くことにした。

しかしホームセンターには机が売っていない。そのかわりに、組み立て式のパソコンデスクが売っている。

考えてみれば、椅子に座ってパソコンに向かって原稿が書ければいいのだから、机にこだわる必要はない。パソコンデスクで十分である。値段も安いし、ちょうどよいだろう。

パソコンデスクと、小さなパイプ椅子を買い、家に戻ってさっそく組み立てることにする。

しかし、ここに大きな落とし穴があった。

私は、稀にみる不器用なのである。なにしろ、中学1年の1学期に、「技術」という科目で5段階評価の「1」をとった人間である。板を組み合わせてお盆を作っただけなのに、どこをどうすれば、「1」をとれるのか、まわりの友達は不思議がっていた。

私の父方の祖父は大工だったが、どうやらその遺伝子は受け継がれなかったようである。

加えて、私には「安物買い」という癖がある。値段の高い家具とか、品質のいい家具とかを、欲しいと思ったことがない。私の知り合いが中国に留学したとき、向こうでアンティークの家具を買ったばかりに、日本に持って帰るのが大変だった、という話を聞いたことがあるが、アンティークの家具に思い入れのない私は、「やっぱり、すごい研究者はそういうところにもこだわりを持っているのか。こだわりのない私はやっぱり小粒だな」と感じたものである。

この「安物買い」の癖は、まぎれもなく父親譲りである。

さて、ホームセンターで買ったパソコンデスクは、当然手ごろな価格である。その分、自分で組み立てる手間が大変である。

箱を開けて、組み立て図を見ながら作業にとりかかる。

脚となるパイプ2本と、机の板を組み合わせればよいのだが、これがかなりむずかしい。まず、2本のパイプを平行の状態にして、そこに、いくつもの板をはめ込んでいくのだが、板がめちゃくちゃ重いのと、くっつけるためのねじが、水平方向と垂直方向の2つを組み合わせて締めなければならないのである。

なかなか言葉では説明しづらいが、2本のパイプの平衡を保ちつつ、重い板をもちながら、2つの異なった方向からネジを締めていく。これを、4枚の板についてやらないといけないので、16カ所、32本のネジを使用することになる。

こんなもん、1人でできるか!

と、ふだんの私なら投げ出すところだが、せっかく大変な思いをして持って帰ってきたのだし、なにしろ原稿を書くためには、一刻も早く組み立てる必要があるのである。すでに夜9時を過ぎ、すっかり涼しくなっているにもかかわらず、大汗をかきながら、パソコンデスクと格闘する。

すると、ピンポーン、と玄関の呼び出し音が鳴った。

今ごろ誰だろう。こんなとりこんでいる時に。

無視しようとも思ったが、何度も勢いよく鳴らすので、仕方なく玄関を開ける。

「ガスの点検でーす」

作業服を着たアジュモニ(おばさん)が、ガスの点検の機械を持って立っていた。

仕方なく部屋に入れるが、まだパソコンデスクを作っている途中である。パソコンデスクが入っていた段ボールも広げたままで、部屋がかなり散らかっている。

それでなくとも、散らかっている部屋が、さらに凄いことになっているのである。

「あら、引っ越したばかりですか?」とアジュモニ。

「いえ、5カ月前からいます」

アジュモニは少し引き気味である。

キッチンのガス点検が終わり、こんどは部屋の奥にあるボイラー点検。

ダンボールと作りかけのパソコンデスクをまたぎながら部屋の奥に移動する。

「あのう…。これは何カ月ごとの点検ですか?」

「6カ月ごとです」

それが、よりによってなんで今日のこの時間なんだ?

点検が終わり、アジュモニはあきれた様子で帰っていった。

とんだ邪魔が入ったものだ、と思いつつ、作業を再開する。

指がちぎれるんじゃないか、というくらいネジを締め、泣きそうになりながらも、なんとか完成する。

1カ所だけ、ネジがバカになったところがあった。

いつもそうだ。この手の作業をすると、必ず、1カ所はネジがバカになる。ネジがバカにならないで完成したためしがない。

ともあれ、これでようやく家でも原稿が書ける!

その前に、「いったん」このパソコンデスクとの格闘の顛末を書きとめておこう。

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「こんど」と「つぎ」

かなり前(たぶん私が学生時代)のことだが、東京の地下鉄のホームで、電車の出発の順番を知らせる表示に、「こんど」と「つぎ」というのがあった。今でもあるのだろうか。

たとえば、同じホームの右と左。どちらも同じ方向に行く電車が入るホームであるとする。右の1番線の電光掲示板には「こんど」、左の2番線の電光掲示板には「つぎ」と表示してある。

どちらのホームに入る電車が先に出発するか?

一瞬迷うが、語感からして「こんど」と書いてある方だろう。

ちょっとややこしい表示だな、と思っていたところ、同じ頃、テレビで笑福亭鶴瓶がこの話題をとりあげていた。タモリに向かって力説していたので、たぶん「笑っていいとも!」だったと思う。

「こんど」と「つぎ」、あれ、どっちが先でんねん。この前、東京の地下鉄に乗ろう思たら同じホームの両側に電車がとまっていて、片方に「こんど」、片方に「つぎ」と書いてあるんや。「つぎ」のが早いやろ、と思て乗ったら、「こんど」と書いてある方が先に行きよった。どないなってんねん!

タモリが「そんなこと、『こんど』と書いてある方が先に出発するに決まってるだろ」と突っぱねた口調で言うと、

いやいや、「つぎ会いましょう」というのと「こんど会いましょう」というのと、どっちが先に会いまんねん。「つぎ」の方でっしゃろ。「こんど」といわれると、ずっと先のことと思てまうやんか。

と鶴瓶が反論する。なるほど、物は言い様である。

大阪みたいに「先発」「次発」と書いてくれたら迷わへんのや!と鶴瓶は最後に力説した。

それからというもの、「こんど」「つぎ」という表示をあまり見なくなったので、やはり紛らわしいと思ってやめたのかも知れない。

韓国のバスに乗っていて、なぜかこの話を急に思い出した。

韓国のバスでは、必ず次のようなアナウンスが流れる。

「こんどの停留所は○○です。つぎの停留所は○○です」

ふだん何気なく聞いているこのアナウンスに、ある日突然気づかされる。

「あ、やっぱり、『こんど』の方が先なんだ…」

韓国語と日本語の語感が同じであることを痛感する。

鶴瓶師匠に言ってやりたかった。「韓国でも、『こんど』の方が先なんですよ」と。

この話、ビックリするくらい「どうでもいい話」だが、いま書かないと忘れてしまいそうなので、ここに書きとめておく。

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タプサにふられる

5月16日(土)

今日はタプサ(踏査)の日。

2週間ほど前、幹事の大学院生の方から、「こんどのタプサは、出発時間がいつもより30分早くなりますので、間違えないようにお願いします」と、メールが入る。

そこで、朝8時30分に間に合うように、タクシーでいつもの集合場所に向かった。集合場所は、タクシーで20分ほどの場所である。

ところが、集合時間の8時30分になっても、だれも来ない。

おかしいな、と思って待っていると、いつも研究会でお世話になっている先生が車でやってくる。

「まだ誰も来てません」

「そうですか、じゃあ少し待っていましょう」

小雨が降っていたので、車の中で待っていると、その先生が、

「セカイニ、ヒトツダケノハナ」

と私にむかって突然おっしゃった。どうやら最近覚えた日本語を披露されたようだ。日本語をひとつ覚えるたびに、私に披露してくださるのだろうか。

それはともかく、集合時間が過ぎても誰も来ない。

先生が、幹事の大学院生に電話すると、どうも今日は雨のためにタプサが中止になった、とのこと。先生が「なぜ事前に連絡しなかったんだ」と聞くと、他の先生からてっきり聞いていると思ってました、という。

ということで、その先生は車でご自宅に戻られ、集合場所に残された私は、途方に暮れた。

(雨なんかほとんど降ってないのに、なんで中止なのかな…)

(ひょっとして、連絡が来なかったのは、嫌われてるからかなあ。いや、本当は、中止になりました、といって、こっそり行ってるのかも)

などと、例によって被害妄想がふくらみかけたとき、幹事の大学院生の方から丁寧なお詫びの電話がかかってきて、こちらも恐縮する。

このまま家に戻るのはもったいないなあと思い、集合場所のバス停にあるバスの行き先表示を見ると、博物館に行くバスが出ていることを知る。

大邱に来て5カ月以上たつが、実はまだ市内の博物館に行ったことがなかった。この機会に行ってみることにしよう。

博物館で午前中いっぱい時間をつぶす。

お昼過ぎ、博物館を出ると、雨が本降りになっていた。やはりタプサを中止にして、正解だったんだな。

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「ウブ」な資料と出会う

5月15日(金)

昨日の研究会で、いまから1500年ほど前に作られたと思われる大きな石碑(石に文字がきざまれたもの)が発見された、というニュースを先生からうかがった。発見してまもないため、まだよくわからない段階であるにもかかわらず、地方紙がスクープしたらしい。

以前、最古の碑が見つかった場所の近くから発見されたという。

研究会でも、この話題で持ちきりだった。もしこれが本当だとしたら、20年ぶりの発見となるそうだ。

私の(韓国での)指導教授は、翌日の午後に、その石碑を見に行かれるようである。

おそるおそる、「私もついていっていいでしょうか?」とうかがう。

おそるおそる、と書いたのは、私の度胸のなさもあるが、新発見の資料を、外国人が先に見てしまうことへの遠慮があった。

古本屋業界で、まだ市場に出回っていない、人の手に渡ったことのない貴重書などのことを「ウブ」という、と聞いたことがある。その意味で、この新発見の資料は、まだ評価が確定していない「ウブ」である。

それを、外国人、とくに日本の研究者が見ることは、かなりデリケートな問題なのである。以前、何度か経験したことであった。

すると指導教授の先生は、「いいよ。一緒に行こう」と、あっさりおっしゃってくださった。

そして本日。

午後12時半に大学を出て、1時間半ほどで慶州の某所に到着。数人の研究者と一緒に、待望の新資料を観察し、文字を判読していく。

といっても、あまりじゃまにならないように、横の方で、他の先生方の文字の判読の様子をうかがっていた。

みなさんメモをとっておられないので、(メモをとってもいいのかな、ダメなのかな…)と逡巡しているうちに、先生方の判読が一通り終わってしまった。

すると、指導教授の先生が、私に向かって、

「さあ、じゃあ次は、あなたが最初から読んでみなさい」

とおっしゃる。

突然のことでビックリして、え?という顔をすると、

「新しい目で見ると、また違った解釈が出るかも知れないから」

とおっしゃって、私を石碑の前に立たせた。

石碑は、高さが1メートル、幅が50センチくらいのもので、文字が書かれている面を上にして寝かせてある。私は四つんばいになって、碑面とにらめっこして、メモをとりながら判読をはじめた。

別の先生が、横から、撮影用のライトを碑面に照らしてくださる。このライトのおかげで、文字がよく見えるのである。

だが、このライトが、私の顔にも当たるため、とても暑い。それに加えて、いままでほとんど基礎知識のない分野についての判読である。他の先生も周りでじっとご覧になっているし、「時間がないから早く早く」とせき立てられもする。

いろんな条件が加わって、いつものように、また無意味に汗をかき始めてしまった。

石碑に汗を落とすこともできない。そのプレッシャーでまた汗が噴き出す。

(今日は涼しいのに、何で汗をかいているんだろう)と、他の先生方が不思議そうな顔をしている。

周りの先生に助けられながら、判読結果をメモしていく。だが、時間切れとなり、途中で終了。

他のグループがいらしたということで、私たちは別室に移り、判読の結果をまとめる。

すでにある程度整理されている判読結果と、今回の判読結果を比較しながら、内容を確定していく。私の小汚いメモもコピーされて全員に配られた。明らかに読み間違えたところが何カ所かあり、反省する。

わずか2時間ほどの観察だったが、それでも、「ウブ」の資料をこれだけ贅沢に観察させてもらったことは、何ごとにも代えがたいくらいありがたいことである。私の滞在中に、20年ぶりに新しい資料が発見されて、しかもそれを間近に見ることができる環境にあったことは、奇跡に近い。

たぶん、この経験は、滞在中の最も得難い経験として、記憶に残るだろう。

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お元気ですかー?

5月14日(木)

毎週木曜日は研究会の日。

夕方6時、いつも研究会の場所まで車に乗せていってもらっている先生の研究室に行く。

するとその先生はすでに建物の玄関で待っておられて、ニコニコしながら私に話しかける。

「オゲンキデスカ?」

日本語がまったくわからないはずの先生が、日本語を話したことにびっくりしていると、

「最近、日本語の勉強をはじめたんです」

とおっしゃる。

覚えたばかりと思われる日本語を、いくつかお話になる。

「わあ、日本語がとてもお上手ですね」と私。

外国人が少しでも韓国語が話せることがわかると、韓国の人は必ず「韓国語がとてもお上手ですね」と言ってくださる。私もそれに倣って、「日本語がとてもお上手ですね」と韓国語でお返しした。

「仕事柄、日本語の文章は読めるんですけれど、会話の練習もしようと思って」と先生。

これも、私がこの大学に来たことの影響だろうか。だとしたら嬉しい。

さて、この「お元気ですか?」。おそらく、韓国人が最初に覚える日本語ではないだろうか。

この言葉は、岩井俊二監督の映画「Love Letter」の中で、中山美穂が言ったセリフである。中山美穂が「お元気ですかー?」と叫ぶシーンは有名である。

この「Love Letter」は、韓国で大ヒットした。初めて見た日本映画が「Love Letter」である、という韓国人も、多いのではないだろうか。

私は何人もの韓国人から、この「Love Letter」を見た、という話を聞いた。

そればかりではない。韓国で放送しているラジオの「日本語講座」を聞いて驚いた。

番組の「どあたま」で、実際に映画の中で使われた、中山美穂の「お元気ですかー?」のセリフが流れた後、テーマ曲が流れ、日本語講座が始まる。

つまり、日本語を勉強しようと思ってラジオの日本語講座を聞くと、毎回、番組の最初で中山美穂の「お元気ですかー?」の声を聞くことになるのである。

「お元気ですかー?」は、韓国人にとって、最もなじみの深い日本語というわけである。

だから、韓国人から「お元気ですかー?」と話しかけられても、決してアントニオ猪木や井上陽水の影響であると考えてはいけない。

あくまでも、中山美穂の「お元気ですかー?」なのである。

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だめにんげんだもの

5月13日(水)

天の配剤、というほど大げさなものではないが、語学の授業期間が終わり、パンハク(休暇)になると、原稿の締め切りがやってくる、というサイクルが続いている。前回のパンハクの時もそうだった。

6月のフォーラムで発表する原稿が、今週末締め切りなのに、まったく書けていない。

やる気が起きないのである。

(寝不足かも知れないから、ここはいったん仮眠しよう。いったんね、いったん)

と仮眠をとるが、起きて時計をみて「うわぁぁぁぁぁぁー!」となる。もう数時間もたっている。

この「いったん○○する」というのがくせものである。

それでもやる気が起きず、今まで書いたブログを「いったん」整理しよう、と思い立つ。

「カテゴリー」というのを新しく設けて、少し読みやすくしてみよう。今まではほとんど「日記・コラム・つぶやき」というカテゴリーに放り込んでいたが、「1級1班」「2級4班」というカテゴリーを設ければ、それぞれ連続した物語として読むことができるのではないか。

やり出すと、けっこう時間がかかる。作業しながら、過去に書いた日記を読みなおして愕然とする。

読む気が失せるような、くだらない文章を延々と書いているではないか。

(よくこんなくだらない文章を延々と書いてきたな…。しかもまったく役に立たない内容ばっかりだな)

そう思ったのは、今日たまたま、海外の大学で勤務する同業者のブログを見つけて読んだからである。

読むと、日々の生活が簡潔にまとめられていて、わかりやすい。それに、日々の生活が、研究においてもプライベートでも充実している様子がよくわかる。それだけではない。これからその国に留学する際のポイントだとか、語学学校の様子だとかを、的確に説明してくれているところもある。

数日に一度の割合で、泣き言を書いているようなこのブログとは大違いである。これから留学しようという人にはまったく役に立たないことばかり書いているこのブログとは、大違いである。

(そうか…。ブログって、こんな風に書くのか…。長々と書きゃいい、てもんじゃないんだな。)

今さらながらに知る。

さらに落ち込んだので、大学構内を散歩することにする。

日差しが強くて気温も高いが、木陰にはいると風が心地よい。この大学には、木を植えているところも多く、そこにはベンチもある。

そこでしばらくボーッと過ごす。

少し気分がよくなり、ようやく原稿に向かう。

はたして、締め切りまでに原稿は完成するのか?

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パンハクは始まったけれど

5月11日(月)

先週の金曜日、いま通っている大学の、ある先生から電話が入る。

その先生の授業に出ている学生が、こんど授業で、「日本人は、なぜ小さいものに価値を認めるのか」というテーマで発表をするのだが、その発表内容について、学生に会ってアドバイスして欲しい、とのこと。

よく聞いてみると、パソコンとか、デジタルカメラとか、携帯電話とか、日本人はそういったものをできるだけ軽くて小さく作ることを好むが、それはなぜなのか、ということらしい。それを日本人の立場から、意見を聞きたいとのこと。

なんとも難しいテーマである。そんなこと考えたこともなかったし、私が日本人の代表みたいに意見を言うのもおこがましい。

だいいち韓国語も満足にできない私ごときが役に立つのか?と疑問に思ったが、以前、その先生に御馳走になった経緯もあり、断ることはできない。

「ちょっと今日は無理なので、来週なら大丈夫なんですが」と、翌日の期末試験を控えた私。

「その学生の発表は、来週の火曜日なので、じゃあ月曜日にお願いしたいんですが」

「月曜日は夕方にソウルに行く用事があるので、その前であれば大丈夫です」

「わかりました。では学生に連絡をとって、学生の方から連絡をとらせます」

そして週明けの月曜日。

いろいろ連絡の行き違いがあり、午後1時過ぎにその学生とお会いする。聞くと、大学2年生だという。

高校時代に日本語を勉強していたということで、ほんの少しだけ、日本語が話せるという。

私も、韓国語が満足に話せない。

どうやってコミュニケーションをとったらいいものか。

「英語はできますか?」と学生。

「いや、あまりできません」

結局、たどたどしい韓国語でお話しすることに。

「日本人はなぜ小さいものを好むのか」「電気製品に限らず、俳句などの芸術においても、最小限の表現を好むのはなぜか」等々、日本語で答えるのも難しいような質問が続く。

こちらの勝手な持論を話しているうちに、あっというまにタイムリミットの2時を過ぎる。

あまりにたどたどしい説明だったので、役に立ったとも思えなかったのだが、「これからも機会があったらいろいろお話を聞いてもいいでしょうか」と、気を遣って言っていただく。「こちらも勉強になりますので、いつでもどうぞ」とお答えする。

学生とお別れした後、KTXでソウルに向かう。

日本からサバティカル(研究のための長期休暇)でソウルに滞在されている先生の紹介で、ソウル大学の先生と会食をすることになったのである。

場所を聞くと、朝鮮ホテルという高級ホテルだというので、久しぶりに背広を着る。

午後6時、朝鮮ホテルに到着。ホテルの中にある中華料理で、コース料理をいただきながら、お話をする。

といっても、もっぱら、サバティカルの先生とソウル大の先生のお二人がお話をされて、私は大御所お二人のお話をひたすら聞くだけ。たまに二言、三言お話しする程度である。

お二人は旧知の仲で、久々にじっくりとお話する機会だったようで、話がはずむ。気がつくと、10時を過ぎていた。

ソウル大の先生とお別れした後、(さて、どうしようか。KTXの最終も出てしまったし…)と考えていると、サバティカルの先生が、

「大邱へ帰れますか」

とお聞きになったので、

「いえ、適当に泊まるところを探しますので」

と答えると、

「今から友人が飲んでいるところに合流しますので、一緒に行きましょう」

とおっしゃる。

言われるがままに仁寺洞へ移動。日本でいう居酒屋のようなところに入ると、お二人の先生が飲んでおられた。

お一人は、以前、学会発表をしたときにコメントをいただいた先生。もうお一人は、韓国の大学で教えておられる日本人の先生。これまた、どちらも大御所である。

以前、学会発表でコメントいただいた先生は、学生に厳しいという評判をうかがったことがあるが、お酒の席では実に楽しい。居酒屋のアジュンマも交えて、楽しいやりとりが続く。

気がつくと12時をまわっていた。学会発表でコメントいただいた先生に、「うちに泊まっていきなさい」といわれる。「モーテルでもなんでも探しますので」と言ってはみたものの、断れる状況ではなくなった。

むかしから、他人の家に泊まるのが苦手だし、他人を自分の家に泊めるのも苦手である。内弁慶である私は、どうも、他人の家で必要以上に緊張してしまうのである。ましてや、大御所の先生のお宅だからなおさらである。

それに、得体の知れない外国人が、夜中に急に家にやってきて、泊めてください、といったら、家の人はどう思うだろう、と考えると、やはり気がひけるのである。

だが、言われるがままにタクシーに乗り、先生のお宅にうかがう。

「申し訳ないけど、明日は朝8時から大学で講義があるので、朝6時半には家を出るんだけど、それでもいいですか?」と先生。

「もちろん、かまいません」と私。

夜遅くにもかかわらず、奥様に迎えられ、少しだけ自家製のワインをいただく。

1時半ごろまで、先生や奥様とお話しした。

そして翌朝(12日)、6時過ぎに起床。すでに先生は身支度をととのえておられた。

慌ててこちらも帰り支度をして、朝食をいただく。

そして、先生と一緒にお宅を出て、奥様の運転される車でソウル駅へと向かう。

「どうでしたか?面白かったでしょう」

「ええ、とても楽しい経験でした」

たった数時間の滞在だったが、実際、ホームステイ、というのは、こんな感じなんだろうか、と思った。たしかに、ホームステイをすれば、語学があっという間に身につくかも知れないし、外国の文化に直接触れるいい機会なのだろうと思う。

先生ご夫妻に感謝して、ソウル駅でお別れした。

パンハク(休暇)初日の、長い1日が終わった。

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映画に救われる

5月9日(土)

午後4時半。映画館の前。

気になっていたのが、キム・ハヌル主演の「7級公務員」。

以前からポスターを見ていて、違和感を抱いていた。

キム・ハヌルが、セクシーなのである。

キム・ハヌルは、私の勝手なイメージでは、「垢抜けない」ところがよかった。初めて見た「同い年の家庭教師」がそうだったし、「青春漫画」もそうだ。

Photo ところが、ポスターを見ると、キム・ハヌルが大人のセクシーな女性、という雰囲気で写っている。キム・ハヌルがセクシー路線に走るのはどうなんだろう、と首をかしげてしまい、なんとなく見るのをためらっていた。

だが、ちょうど4時半から上映が始まるという。そこでこの機会に見てみることにする。

やはり思いこみというのはよくないね。この映画、かなりおもしろい。キム・ハヌルが、勘違いしてセクシー路線に走ってしまった映画、などという勝手な思いこみをした自分を恥じた。

笑いあり、アクションあり、ロマンスありで、映画を見ているうちに、さっきまで悩んでいたことがバカバカしくなる。

もちろん、主役のキム・ハヌルとカン・ジファンがすばらしいことはいうまでもない。とくにキム・ハヌルは、とびきりの美人というわけではないが、女優としての貫禄というか、プロ意識といったものは、他の追随を許さないのではないだろうか。

そして、脇を固める出演者も、芸達者な人ばかりである。カン・ジファンの上司役(?)の人がとくにすばらしい。

大満足で、映画館を出る。

もう一つ気になる映画があった。

Photo_2キム・レウォン主演の「仁寺洞スキャンダル」。こちらも見ることにする。

朝鮮時代の幻の絵画をめぐる、さまざまな陰謀を描いたストーリーで、キム・レウォンが、神の手を持つといわれる天才絵画復元家(?)に扮する。

複雑なストーリー展開に、言葉を完全に理解できない私がついていくのは難しかったが、キム・レウォンの堂々とした演技と、絵画複製の過程をかなりリアルに描いているのは見ものである。こちらもやはり、脇を固める人たちがすばらしい。

劇中、日本の町や店や美術館が出てくるのだが、どうも韓国でロケをしているらしく、描き方が少々雑である。日本人の役も、白竜さん以外は、韓国人役者がかたことの日本語を話しており、これもやや違和感。「影の殺人」の時もそうだったが。

夜9時。映画館を出て、家に帰る。充実した4時間だった。

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期末考査(2級)

5月9日(土)

大邱では、本日の最高気温が34.4度であった。

本日の期末試験の時間割も、いつもと同じである。

9:00~10:00  文法

10:10~11:00 読解

11:10~12:20 作文

12:30~13:10 リスニング

14:00~     会話表現

文法から作文まで、なんとか一通りこなすが、リスニングの試験から、様子がおかしくなる。

スピードが、前回の中間試験にくらべて、明らかに速くなっていて、ほとんど聞き取れない。いや、正確に言えば、聞き取れるのだが、聞いた内容をすぐに忘れてしまうのである。

昔から、私には他人の話を聞き流す癖がある。最近は妻の話を聞き流すことが多く、いつもおこられる。

ひごろ、他人の話を聞き流しているせいか、集中して人の話を一言も漏らさず聞く、という能力が欠如してしまっている。その悪い癖が、リスニングの試験にもあらわれたのかも知れない。

午後のマラギ(会話表現)の試験は、もっと悲劇であった。

私の試験時間は、2:40~50の10分間である。開始時間の直前、試験室である4階の演習室に向かう。

階段で、白縁眼鏡の好青年、ル・タオ君とすれ違う。

挨拶だけして行こうとすると、呼びとめられた。

「マラギの試験は、最初の文法がちょっと難しかったです。それと、次の対話は簡単でした。飛行機の予約と、友達を公演に誘う、というやつです」

「ありがとう」

先に試験を受けたル・タオ君が、親切にも教えてくれたのである。

ル・タオ君は、本当にいい青年だ。以前、野外授業で、砂浜で闘鶏(タクサウム)をやらされたとき、転んで服についた砂をはらってくれたのは彼だった。ついこの間も、「知ってますか?大邱で『テジカンギ』(豚インフルエンザのこと。直訳すると豚風邪だが、中国人留学生はなぜかこう言っている)の患者が1人出たそうですよ。人の集まるところには行かない方がいいですよ」と、わざわざ教えてくれる。中国語がわからない私に、情報を教えてくれるのはいつも彼であった。

ルックスもいいし、韓国語もできるし、性格もいいし、ヨジャ・チング(ガールフレンド)も美人でいい人だ。白縁眼鏡の好青年に幸あれ、と願わずにいられない。

さて、マラギの試験の開始。

ところが、緊張のためか、うまく答えられない。

緊張でうまく答えられないのはいつものことなのだが、最初の文法表現のところで、ある問題につまずく。どう答えていいかわからなくなる。

そして、ついに言葉が出なくなった。

「もう一度やりましょう」と先生はおっしゃる。

だが、やはり答えられない。頭が真っ白になって、言葉が出てこないのである。

「もう一度」

「……」

先生があきれたような顔で、大きくため息をついた。

(オマエ、半年近くも韓国語を勉強していて、この程度の会話もできないの?この1学期の間、何を勉強してきたの)

という顔をしているように思えてくる。

一度被害妄想が広がると、もうどうしようもない。後半の対話表現も、ボロボロであった。自分が言っていることが合っているのかどうかも、もうわからなくなってしまっているのである。先生も、あきれた顔をしているように私には見える。

「時間が来たのでこれで終わりです」

途中、答えにつまったことで、予想以上の時間をとってしまったようだ。

うなだれて教室を出る。

そのまま、バスに乗って市内へ。

久しぶりだな。死にたい、と思ったのは。

ル・タオ君が、人の集まるところに行かない方がよい、と忠告してくれたけど、こうなったら、「テジカンギ」でもなんでも罹りたい気分である。

病院に行かない程度に、軽く車にひかれてみようか、とバカな考えもよぎるが、思い直す。

とにかく、自分のiPodに入っている「おもしろいやつ」を聞いて、気分を変えようとする。

フラフラと市内を歩いて、たどり着いたのが映画館の前。映画を見ればなんとかなるかな、と思い、映画のチケットを買った。

そしてこの映画が、私の気持ちを少しリセットさせたのであった。(つづく)

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さよなら、2級4班!

5月8日(金)

2級4班最後の授業。

パダスギ(書き取り試験)に続いて、昨日のクイズが返される。25点満点で22点。予想通り、「リウル不規則活用」は全滅だった。

右隣のポン・チョンチョンさんは、満点の25点だった。

いつも思うことだが、ポン・チョンチョンさんの韓国語能力の高さには驚かされる。なぜ2級にいるのか不思議なくらいである。韓国は長いのだろうか。

1時間目の休み時間に、思いきって聞くことにした。

「韓国に来てからどのくらいたちましたか?」

するとポン・チョンチョンさんが答える。

「えっと、…よくわかりません。わからないので、パンジャンニム(班長殿)に聞いてみてください」

「え?」

「よくわからないので、パンジャンニムに聞いてみてください」

どういうことだろう。意味がわからない。

こちらは、教科書で習ったとおりの表現で、「韓国に来てどのくらいたちましたか?」と聞いたのである。よくわからない、とは、どういうことだろう。

こちらの発音がわからなかったのだろうか?

いや、そんなはずはない。ふだんの授業で、私が韓国語で言ってることは理解されているはずだし、だいいちもしわからなかったら、聞き返すはずである。

しかも、自分のことなのに、わからないからパンジャンニムに聞いてくれ、とはどういうことだろう。

2つの可能性が頭をよぎる。

ひとつは、私のことをキモイと思っていて、答えたくない、という可能性。

もうひとつは、ポン・チョンチョンさんが記憶喪失である、という可能性。

どちらの可能性にしても、本人にもう一度聞くことはできないな、と思い、あきらめる。

しばらく沈黙が続いた。

さて、パンジャムが、紙切れを小さく折りたたんだものを、両手にだくさん持ってあらわれる。

くじをひいてください、ということのようだ。

「席替えをします」とパンジャンニム。

このあと3時間しか授業が残ってないのに、なぜ今ごろ席替えなんかするのだろう?と思いながら、くじをひく。

くじの番号にしたがって、みんなが席を移動する。

2時間目の授業。先生が来て驚く。

「なぜ今ごろ席替えなんかするの?」

先生は、いちばん近くに座ることになった私に聞いた。

「私もよくわかりません」

どうも私には、いまだに彼らの考えや行動がよくわからない。いい人たちばかりだったけれど。

思えば、よくわからないことばかりだった。

タン・シャオエイ君は、なぜ2年も韓国にいるのに、まだ2級なのか?

ヤン・シニャン君は、なぜ友達から多額のお金を受け取っているのか?

ポン・チョンチョンさんは、いつ韓国にやってきたのか?

そして、タン・シャオエイ君とル・ルさんの恋の行方はどうなるのか?

すべて解決しないまま、2級4班のお話は、これでおしまい。

さよなら、2級4班!

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理想のタイプ

5月7日(木)

リスニングで、「理想のタイプの異性」についての話が出てきたので、「粗忽者の先生」が、「みなさんの理想のタイプはどんな人ですかー?」と話題をふる。

またその手の話かよ。

先生が学生ひとりひとりをあてて、「親切な人」「かわいい人」「お金がある人」などと、答えてゆく。先生はその答えをホワイトボードに書き連ねてゆく。

「ル・ルさんは?」と先生。

「心の温かい人です」

「心の温かい人ね」と、先生がホワイトボードに書き込んでゆく。

「あ、それから」

なにか言い忘れたかのように、まじめ美人のル・ルさんが続ける。

「かっこいい人です」

そう言って、ル・ルさんは、隣にいるキザで「ちょい悪オヤジ」予備軍のタン・シャオエイ君の顔をウットリ見つめた。

先生がその瞬間、舌打ちをする。

一瞬おいて、パンジャンニム(班長殿)や、チャン・イチャウ君などの、わが班の「お笑い担当」が、いっせいに「オエーッ」と、嘔吐のまねをする。

私も大きくため息をついた。

「いいですか、ル・ルさん。男は顔じゃないんですよ。まじめさとか、頭のよさ、とか、そういう人でないと」と、「粗忽者の先生」。

先生は、まじめなル・ルさんが、ふまじめでちょい悪のタン・シャオエイ君の虜になっていて、周りが見えていないことに危険を感じているようである。

当人どうしのことなんだから、知ったこっちゃないんだが。

先生がそういっても、惚れた病に罹ったル・ルさんには、通じないであろう。

あらためて先生が強調する。

「いいですかみなさん。男は顔じゃありませんよ。お金がたくさんあることも重要なことじゃないんですよ」

そういうと、先生は私に、

「ね?そうでしょう」

と確認する。

「ええ、そうです」

と答えると、

「そうですよね。男は顔じゃないですよね」

と再度確認する。

「ええ」

「お金でもないですよね」

「ええ」

「いいですかみなさん。男は顔でもお金でもないんですよ」

そう何度もこっちを見ながら確認されると、こちらも少し落ち込んでしまうのだが。

聞く耳持たず、という感じで座っているル・ルさんとタン・シャオエイ君は、今日もまたカップルTシャツを着て涼しい顔をしていた。

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鼠穴

5月7日(木)

今日、4回目のクイズ。どうも「リウル不規則活用」が弱いようで、全滅。落ち込む。

明後日の土曜日は期末試験。「試験」となるとナーバスになるのだが、中国人留学生たちは、明日で今学期の授業が終わることでウキウキしているのか、余裕しゃくしゃくで授業中も騒ぎまくっている。

今日ばかりは、彼らのノリについていけない。一緒に楽しむ気分ではない。

ということで、気分を変えて落語の話。

先日妻がソウルに来たときに、立川志の輔の落語のCDをプレゼントされる。妻は落語にそれほど興味がないので、正確には、妻の妹の夫からのプレゼントを、仲介してくれたのだと思うのだが。

志の輔の落語を、はじめて、じっくりと聞く。

いろいろある中から、まず「鼠穴」を聞くことにする。

志の輔の師匠である立川談志が得意とした人情噺。

この話が好きなのは、短い時間の中で、主人公、竹次郎の人生がめまぐるしく変わり、その過程でさまざまな感情が交錯するからである。聞き手もそれにしたがってまんまと心を揺さぶられる。

そして、この噺の軸となる竹次郎と彼の兄とのやりとりは秀逸である。2人の駆け引きや心理描写は、聞く者をハラハラさせる。

志の輔の「鼠穴」に、引き込まれる。

そのあと、私のiPodに入っている談志の(若いころの)「鼠穴」を聞く。

久しぶりに聞いてみると、談志師匠の「鼠穴」は、やはりすばらしい。志の輔師匠は、それを掘り下げ、さらにドラマティックに仕立てているように思えた。

「少なくとも俺より後に生まれたやつは俺より頭がよくなければおかしい」とは、談志師匠の口癖。

志の輔師匠は、その師匠の理論を体現しているようにも思える。

…うーむ。ど素人が、何も知らないくせに、なに「上から目線」で感想を言ってるんだよ、という感じの文章だな。

落語はやっぱり面白い、ということを言いたかっただけなのだが。

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アンバランス

5月6日(水)

今日のマラギ(会話表現)の授業。

動物の鳴き声について学ぶ。

「みなさーん。今日は動物の鳴き声について勉強しましょう」

犬は「モンモン」、猫は「ヤウヤウ」、豚は「クルクル」、牛は「ウンメー」など。

中国や日本での動物の鳴き声も、披露しあう。

「みなさーん。動物の鳴き声について勉強しましたねー。じゃあ次は、『○○についてどう考えるか』ということで、チング(友達)と話をしてみてくださーい」

配られた紙にテーマが書かれていて、見ると、

「ソンヒョンススル(整形手術)」

「ヤンダリ(二股恋愛)」

「チャクサラン(片思い)」

といったテーマが並んでいる。

「みなさーん。この中から好きなテーマを選んで、友達とお話をしてくださーい」

できるか!そんなもん。

「整形手術」とか「二股恋愛」とかについて、友達と何を語ればいいのか?

それよりなにより、さっきまで「ブーブー」とか「モーモー」とか「ワンワン」とか、動物の鳴き声を勉強していたその直後に、「整形手術」「二股恋愛」「片思い」について語る練習をするなんて、振り幅がありすぎるだろ!

今学期最後の会話練習は、混乱のうちに終了した。

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タン・シャオエイ君の純情

5月6日(水)

キザなタン・シャオエイ君とまじめ美人のル・ルさんは、相変わらずアツアツである。

授業中に顔を見合わせて微笑んだり、先生に2人の間を冷やかされて、ル・ルさんが頬を赤らめたりと、正面に座っている私としては、正視にたえない状況が続いている。私はそのたびに、教科書を目の高さまで持ってくる。

まあ、そういうことにいちばん情熱的な年代だから仕方がないのかもしれない。そんな情熱的な時代をとっくに過ぎてしまった私からすれば、「お医者様でも草津の湯でも、惚れた病(やまい)は治りゃせぬ」(草津節)といったところか。

タン・シャオエイ君は、ちょっと苦手なタイプである。

キザで、かっこよくて、流行に敏感で、服装のセンスがよくて、という、私とは真逆の人間である。加えて、韓国に2年もいるので、韓国語も達者で(文法はまるでダメだが)、その実力でもって先生を困らせる。

きっとオッサンになったら、「ちょい悪オヤジ」になるタイプである(古いか?)。

同世代だったら、たぶん友達になれなかっただろうし、もし教員と学生、という関係だったら、扱いづらい、と思ったかも知れない。

この班にタブーはない。だから、つきあってる2人のことを先生も平気で話題にしたり、からかったりする。

「タン・シャオエイは、いつからル・ルさんのことを好きになったの?」と大柄の先生。

そこまで聞くか?どうでもいいじゃねえか、そんなこと、とこっちは思ってしまうだが。

タン・シャオエイ君が答えを濁していると、

「先生は知ってるわよ」と自信ありげに大柄の先生がおっしゃる。

「タン・シャオエイ君の宿題のノートを最初から見ていたらね、例文に登場する人の名前が、全部ル・ルさんになっていたのよ。毎回毎回、ル・ルさんの名前を使っているから、オカシイと思ったのよ」

宿題で、韓国語の例文を作るとき、ふつう私たちは「アンリ」とか「チョルス」とか「ウィルソン」とか、架空の人名を主語にしたりしていた。そうするのがあたりまえと思ってきたのだ。

ところがタン・シャオエイ君は、架空の人名ではなく、ル・ルさんの名前をそこに登場させていた、というのである。しかも、2級の授業が始まった当初からそうだった、というから驚きである。

「ということは、2級4班に入った当初から、ル・ルさんが好きだった、てことね」と先生が推理する。

それを聞いたル・ルさんは、ビックリするくらい真っ赤な顔をして、隣に座っているタン・シャオエイ君の宿題のノートを確認しはじめた。

たしかに、例文の名前が、すべて「ル・ルさん」になっているようだった。

「ル・ルさん、知らなかったの?」と先生が驚く。

「ええ、いまはじめて知りました」

「それだけ、最初からル・ルさんのことを思っていた、ということなのよ」と先生がまた冷やかす。

ル・ルさんが、ウットリした目でタン・シャオエイ君の方を見つめた。

タン・シャオエイ君は、照れくさくそうに黙っている。

あーあ、これでまた恋の炎がこれまで以上に燃えちゃうんだな。

私が苦虫を噛みつぶしたような顔をしていると、横にいた白縁眼鏡の好青年、ル・タオ君が私の表情に気づき、大爆笑した。

ともあれ、宿題の例文に好きな女の子の名前を使うなんて、なんとなくプラトニックな感じがして、よいではないか。タン・シャオエイ君、意外と純情なんじゃないか?

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オリニナル

5月5日(火)

今日はオリニナル(こどもの日)で、休日である。日本は大型連休の真っ最中だが、韓国は、正式にはこの5月5日だけが休日。あとは通常通りである。

今日の大邱は、天気予報では29度まで上がるという。ここ最近、休日に出歩いてばかりいたので、今日は、1日勉強しよう、と決める。なにしろ今週は、木曜日に4回目の「クイズ」があり、土曜日には期末試験がある。試験勉強をしなければならない。

この年齢になって、まだ期末試験の不安と向き合わなければならない。しかも、この年齢になると、集中力が格段に落ちていて、ほとんどはかどらない(あまり年齢のせいにばかりするのもどうかとは思うが)。

それに、ひとりで勉強していると、さまざまな不安がよぎる。

同世代の同業者が、次々といい仕事をしていることへの焦り。自分の現状がこれでよいのか、という不安。

そんな時思い出すのが、以前ビートたけし氏がラジオやテレビでよく話していたこと。

「(プロ野球の)長島(茂雄)さんは、『素振りをしないと夜眠れない』、と言っていた。夜中の間バットを振る姿は、外から見れば努力していると言われるかも知れないけれど、長島さん自身は努力だとは思っていない。『だって素振りをしないと寝られないんだもの』、て言うんだ。つまり、そうせずにはいられない、ということだ」

このあと、「芸人とは、努力してなるものではなく、生き様そのものなのだ」という芸人論に発展するわけだが、芸人論はこの際どうでもよい。

「不安で夜も眠れない」ことが、バットを振る原動力になる、という点が重要である。

「不安」があるうちは、まだ捨てたもんじゃないのかもしれない。

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ニセのあんパン

5月4日(月)

今日の授業では、命令形の間接話法を学ぶ。

これが、けっこうややこしくて難しい。とくに難しかったのは、「○○してください」を、間接話法で表現する場合である。

「私に連絡してください」を間接話法にする場合と、「○○さんに連絡してください」を間接話法にする場合とでは、使う表現が異なる。

つまり、「Aさんが私(B)に、連絡してくださいと言った」という、当事者に連絡する場合と、「Aさんが私(B)に、Cさんに連絡してくださいと言った」という、第三者に連絡する場合とでは、「ください」という表現が異なる、というのである。

ややこしいので、休み時間にノートに整理していると、私の右隣に座っている素直で明るいポン・チョンチョンさんが、じっとのぞき込んでいる。

ノートに書き終わると、「すごいですね」と手をたたいた。

なにもすごいことでもなんでもないのだが、ポン・チョンチョンさんの目には、2つの用法の違いが、わかりやすく整理されている、と思ったらしい。

「ちょっとノート貸してください。写しますので」

とポン・チョンチョンさんが言うと、いまノートに書いたものを、自分の教科書の余白に写しはじめた。

くり返すが、私のノートはきれいに整理されたノートでもなんでもない。殴り書きのようなものである。最近、「東大生のノートはきれいである」という都市伝説めいたものが広まっているそうだが、私のノートは、お世辞にも、きれいなものとはいえないのである。

しかも、韓国語の実力は、ポン・チョンチョンさんの方が私よりはるかに高い。なのになぜそんな小汚いノートを写したのだろう。

中国人留学生たちを見ていると、ノートをとる、という習慣がない。これは、中国人学生全体にいえることなのか、それともこの語学堂に通っている留学生たちだけにいえることなのかわからない。

彼らは文法の先生の授業内容を、ノートに整理しようとせず、教科書に書き込むか、さもなくば聞き流すかのどちらかである。以前、愛嬌のある赤ら顔のリ・ポン君の教科書をのぞいたことがあったが、私以上の殴り書きが余白に随所に書き込まれていて、「これでは何を書いているのかまったくわからないな…」と思ったことがある。本人だけがわかっているのだろうか。

ノートをとる、というのは、思考を整理する、という作業であるが、ひょっとして、彼らはその思考整理のトレーニングを受けていないのではないか。

もしそうだとすれば、まずノートの取り方を教えるべきではないだろうか、と思う。もしノートの取り方をマスターすれば、彼らの語学の点数は、飛躍的に上がるようにも思うのだが。

余計なお世話かも知れない。これも「優等生の発想」だ、といわれるのかなあ。

優等生の発想、といえば、私が「授業中にやらない」と誓っていることが2つほどある。

1つめは、授業中に、宿題を内職しない、ということ。

2つめは、授業中に食べ物を食べたりしない、ということ。

どちらも当たり前ではないか、と言われそうだが、中国人留学生たちは、この2つを授業中によくやっている。

いつも不思議に思うのだが、16人しか学生がいない狭い教室で、彼らはよく平然と宿題を内職できるな、と思う。いま先生が話している内容の方がよっぽど重要なのにもかかわらず、彼らはそれを聞かず、宿題の内職に必死である。そこまでして、家で宿題をやりたくないのかよ、といいたくなる。

あの、まじめ美人のル・ルさんも、平然と宿題を内職している。いや、いつもいちばん注意されているのは、ル・ルさんなのである。こうなると、まじめなのかふまじめなのかわからない。

「宿題は家でやりなさい!いまは先生のお話を聞きなさい!」とよっぽど言ってやりたいのだが、険悪な雰囲気になると困るので、いつもグッとこらえている。

2つめの「食べ物」は、1つめの「宿題」ほどひどくはない。先生の目を盗んで、授業中にお菓子を食べる学生が何人かいる、という程度である。

さて、今日の後半の授業。

大柄の先生が、私の右隣のポン・チョンチョンさんの席に近づく。何か発見したようだ。

ポン・チョンチョンさんのカバンの上に、あんパンが1つ置いてある。大柄の先生はそれを見ながらおっしゃった。

「美味しそうなあんパンですね。授業中に食べてはダメですよ……。うわっ!」

突然、先生が驚いたような声を上げた。大柄の先生の声は大きいので、私はむしろその声にビックリする。

「あら、これは、本物のあんパンじゃないですね!本物かと思ったわ」

見ると、大きさといい色の具合といい、どこから見ても本物のあんパンに見える。だが、先生は本物ではないとおっしゃる。

「ちょっと貸して」

といってそのあんパンを手に取る。手触りもたしかにあんパンである。それだけではない。においも、あんパンのにおいがする。だが、本物ではない。ニセ物の、食べられないあんパンである。

私の左隣のパンジャンニム(班長殿)のス・オンイ君も俄然興味を示し、そのあんパンを手にする。あまりの美味しそうな手触りとにおいに、思わず口の中に入れようとする。

「ダメですよ。食べられないんですから」と先生。

それにしてもよくできたアクセサリーだ。ジョークグッズというべきか。「どこで買ったの?」と聞くと、「大学の北門の前の大通りを渡って左に行ったところにある店です」と答えた。今度買いに行こう。

さて、このニセのあんパンが、まるまると太ったパンジャンニムの食欲に火をつけた。

パンジャンニムは、カバンから、小さな大福餅が4つはいった袋を取り出し、そのうちの1つをモリモリと食べはじめた。いてもたってもいられなくなったのであろう。

かくいう私も、食欲に火がついた。

そのことに気づいたのか、パンジャンニムは私に「1つどうぞ」と大福餅を勧めてきた。

「授業中だからダメだよ」と私。

「大丈夫ですよ。1つくらい」とパンジャンニムは言ったが、それでも断った。

すると、パンジャンニムは、大柄の先生に大福餅を勧める。

「ソンセンニム!1つどうぞ」

「あら、ありがとう」と、先生はあっさりと受け取る。

「ほら、先生も受け取りましたから大丈夫ですよ」

と、パンジャンニムはもう一度私に大福餅を勧めた。

パンジャンニムの機転に感謝しつつ、大福餅を受けとる。そして先生が後ろを向いている間にそれを口の中に入れた。

罪の意識を感じながら食べる禁断の味。ニセのあんパンで刺激された食欲を満足させるに十分な味である。

さて、先生の名誉のために言っておくが、先生は、受け取った大福餅を口にしなかった。

それを、中国語で私語ばかりしている「孫悟空」ことチャン・イチャウ君の口の中に放り込んだ。

大福餅を食べさせられたチャン・イチャウ君は、その時だけ、静かになったのであった。

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宗廟大祭の攻略法

5月3日(日)

ソウルでは、毎年5月の第一日曜日に「宗廟大祭」が行われる。

「宗廟」とは、朝鮮王朝の歴代の王や王妃の位牌がまつられている場所である。1995年にユネスコ「世界文化遺産」に登録された。

この場所で年に一度行われる「宗廟大祭」は、朝鮮王朝の子孫が、歴代の王と王妃をまつる大規模な祭礼である。2001年にユネスコの「人類口伝および無形遺産傑作」に登載され、2008年には「世界遺産代表目録」に統合された。

要は、朝鮮王朝時代の祭礼を体感できる大規模な国家的イベントである。毎年5月の第一日曜日ということで、例年だいたい、日本の大型連休のど真ん中にあたる。

3年前の冬だったか、前の職場の同僚から、今年もまたうちの研究室のゼミ旅行に一緒に来ないか、というお誘いの電話がきた。いつですか、と聞くと、5月の大型連休の直後だという。その年の5月の「宗廟大祭」は、幸いなことに、5月の大型連休の直後に行われるので、旅費も安くすみ、「宗廟大祭」を見るのに、またとないチャンスだ、というのである。

「5月の連休明けですか。授業が休めないかも知れませんね」

「いいじゃん、1回くらい休講にしても。めったにないチャンスだよ」

「でも連休の後にまた休むというのも…。ちょっと考えさせてください。参加する方向で考えてみます」

と言って電話を切った。

これが、彼との最後の電話だった。

いま思えば、「参加する方向で考えてみます」とは、なんとも私らしい、煮え切らない返答である。こんなことなら、あのとき、二つ返事で「参加します!」と言えばよかった、と後々まで後悔した。

だから「宗廟大祭」を見ることは、私の3年越しの宿題だった。

しかし、具体的に、「宗廟大祭」がどのようなスケジュールで行われるのかがよくわからない。いろいろ調べてみると、大きく次の3つの行事からなるという。

9:30~11:00 宗廟の永寧殿で、祭祀行事が行われる。

11:30~12:30 景福宮から宗廟まで、御神輿行列が行われる。

13:00~15:00 宗廟の正殿で、祭祀行事が行われる。

この3つの行事は、行われる場所がそれぞれ異なる。それに、いずれもものすごい数の見物客がいるといわれる。この異なる3つの行事をうまく見るには、どうすればよいか?

以下は、本日私が体験した「宗廟大祭」をふまえた、「宗廟大祭をできるだけ楽しむための攻略法」である。

まず、「宗廟大祭」を体感するには、3つの行事をすべて見るべきである。メインは、午後に行われる正殿行事であるが、これだけを見るのではなく、すべてを見ることをおすすめする。

そのためには、朝9時には、宗廟に到着するのが望ましい。

私の場合、朝6時45分の東大邱発のKTXで8時30分にソウル駅に到着した。そこから地下鉄1号線に乗って鐘路3街で降り、9時前には宗廟に到着した。

Photo この日の入場料は無料である。入口で、「宗廟大祭」の冊子が無料で配布されているので、必ず受け取ること。日本語版があるが、できればハングル版も一緒にもらうとよい。

Photo_2 さて、入口を入ると、道の真ん中に石畳の道が続いているが、この上を歩いてはいけない。この石畳の道は、王様が通った後でないと歩くことができないので、その前に歩くことは固く禁止されている。アジュモニが見張っていて、うっかり歩いたりするとものすごい形相で「降りなさい!」と注意される。

永寧殿に着いたら、できるだけ席を前の方にとって、さっさと座ってしまおう。席と言っても、石畳の上に直接座るので、新聞などの敷物があった方がよい。私はなにも用意してこなかったので、でこぼこした石畳の上に直接座ることになり、かなり窮屈だった。あと、長丁場なので、天気がよい場合には帽子も必要だ。

Photo_3 午前中に永寧殿で行われる行事は、あまり重要ではない王族への祭祀だが、だからといって軽く見てはいけない。午後に正殿で行われると同じ儀式次第なので、儀式の全体像を把握するのに実に有益である。しかも、正殿にくらべてこぢんまりした空間で行われ、しかも観客も午後の祭祀ほど多くはないので、近いところで、じっくりと儀式を見ることができる。

儀式は、一体何をしているのか、見ていても実はよくわからない。そのために、入口でもらっておいた冊子が役に立つ。儀式次第が書かれているからである。

儀式には、司会のような人がいて、儀式の間ずっと、独特の抑揚で何か言っているが、これは、儀式の段取りを説明しているのである。もっと正確に言えば、儀式次第を書いた漢文を、韓国語の発音で抑揚をつけて発声しており、儀式はそれにしたがって進行する。冊子を見ながら、いまどんな儀式が行われているのかを把握することができる。

Photo_4 さて、11:00に儀式が終わったら、すぐに永寧殿を出て、宗廟の外に出よう。ほどなくして、宗廟の前の大通りに、景福宮から来た行列があらわれる。自動車やバスが走っている横に朝鮮王朝時代の行列がつづいている光景は、それだけでも見る価値がある。

行列を見たら、急いで宗廟に戻り、遅くとも12:30ごろまでには正殿に入るようにしよう。ただし、いくら急いでいたとしても、石畳の道の上は絶対に歩かないように。アジュモニにすごい顔で叱られる。

Photo_10 正殿はすでにたくさんの人でいっぱいである。だができるだけ前に進み、少しでもすき間のあるところに座り込もう。こちらは敷物が敷いてあるので問題ない。

なにしろ年に一度の国家的行事なので、ものすごい数の人である。しかも、永寧殿にくらべて敷地が広いので、最初はなかなか儀式の様子を把握することはできない。とくに建物の中で、一体何が行われているのか、ほとんど見えない。でもあきらめることはない。

ここで、午前中に予習しておいた永寧殿行事が役に立つ。基本的に同じ儀式次第なので、だいたい見当がつくようになる。そして再び冊子を活用しよう。

Photo_5 また、当日はテレビ局のカメラが入っていて、その様子が正殿の左右の大きなスクリーンに映し出される。建物の中で行われる儀式の様子も、これによって見ることができる。だから、できるだけスクリーンがよく見えるところに陣取った方がよい。ただ、注意すべきことがある。

クレーンカメラなども使用されており、力の入れ具合がうかがえるが、しかし、テレビ局のスタッフという性(さが)なのか、演出のために、どうも不必要にクレーンカメラを使いたがるようである。

Photo_6 無意味に上から撮影したりするのであるが、そこに、カメラを手持ちにして撮影しているカメラマンもしっかり映り込んだりしている。だったら、手持ちのカメラマンの映像をもっと見せてくれよ、と思ってしまうのだが。

また、スイッチャーというのだろうか。画面を切り替えるスタッフの人もいるようなのだが、テレビの癖で、やたら画面を切り替えたがる。(もう少し今のところをじっくり見たいんだけどな)と思うと、すぐに画面が切り替わって、司会の人の顔が大写しになったりする。司会の人の顔はいいから、儀式をしている人の手元をもっと映しててくれよ、と思ってしまうのだが。

Photo_7 若干そのあたりのストレスはたまるが(というか、こんなことに文句をつけるのは、私くらいかも知れない)、気にすることはない。儀式が1時間も過ぎると、飽きちゃって帰る人がどんどん出てくる。その隙をねらって、席を前へ前へと移動しよう。私は最終的に、一番前の列まで行くことができた。

3時にすべての儀式が終わっても、すぐに帰ってはいけない。そのあと、儀式が行われた建物の中に入ることができるので、しばらく待っていること。「早く中に入れさせろ!」と文句を言ってスタッフともめている人もいるが、いっぺんに全員が入ることはできないので仕方がない。順番が来るまでおとなしく待っていよう。

Photo_8 建物の中に入ると、儀式の際に歴代の王や王妃に献げられたお供え物を、間近に見ることができる。これはちょっと感動である。

しかしここで驚くべきことが起こる。

Photo_11 見学していたアジュモニが、お供え物のお餅を、盗み食いしていた。それを見たアジュモニ予備軍の女子大生が、「あら、食べてもいいのね」てな感じで、次々とお餅を持ち帰っている。

たしかにお供え物を後でいただくことはあるが、王様に献げたものを勝手に食べていいものか?ここは、マネをして食べない方がよいだろう。恐るべし、アジュモニである。

以上が、「宗廟大祭」をできるだけ楽しむための攻略法である。

この攻略法が次に役立つのは、いつだろう。

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パンジャンニムの底力

5月1日(金)

わが班のパンジャンニム(班長殿)ことス・オンイ君は、頼りになる班長である。

まるまると太っているその体格に加え、人なつっこい顔には、人のよさがにじみ出ている。班長の仕事をちゃんとこなす一方、独特の話術でわが班の人たちを笑わせる。

以前、2級4班でノレバン(カラオケ)に行ったときも、班長が全部支払ったという。なんともかっこいいやつではないか。

いつも不思議に思うことがあった。

読解の時間、彼は韓国語の文章をものすごく早く読み終わる。私がまだ半分くらいしか読み終わっていないのに、彼は全部読み終わって、問題を解き終わっている。

もちろん、私の読解のスピードが遅いことも関係しているのだが、それにしても早すぎる。

今週、彼の隣に座ったので、彼に聞いてみた。「どうしてそんなに早く読めるの?」

すると彼は、「韓国に来る前に中国で韓国語を6カ月勉強したんです」と答えた。

たしかに、彼は韓国語がスラスラと出てくる。「韓国語も上手だよね」

「でも発音が悪いですから」と謙遜する。

正直なところ、彼の発音はそれほどきれいなものではない。だが、韓国語に関する反射神経は、抜群のものがある。

今日、その理由の一端がわかった。

休み時間、トイレから戻ると、大柄の先生が私に興奮して話しかけてきた。

「知ってました?パンジャンニムは、『スピードオーバー・スキャンダル』を、7回も見たんですって!」

「スピードオーバー・スキャンダル」は、チャ・テヒョン主演のコメディ映画である。昨年末に公開され、私も見た。私が、韓国へ来てはじめて映画館で見た映画である。

「え?そうなの」と、パンジャンニムの方を見ると、

「だって、面白かったですから」と言って、映画の1シーンを忠実に再現して、周りを笑わせる。

たしかに面白い映画だったが、くり返し見ようというエネルギーまではなかった。ところがどうだ。パンジャンニムは、好きなものに対して徹底してのめり込んでいるではないか。この執着心こそが、彼の底力になっているのではないか、と、あらためて気づかされる。

(…俺はそこまで執着しているか?)

さて、相変わらずわが班は、授業中も休み時間も騒がしいのであるが、今日は少し様子がおかしい。

私の右隣に座っている、いつも素直で元気なポン・チョンチョンさんが、まったく元気がないのである。

いつもなら、授業で先生が問いかけた質問に真っ先に答えるのに、今日はまったく答えようとしない。周りの人たちの話にも加わろうとはしない。

どうも落ち込むことがあったようである。

そのことを察したのか、休み時間、パンジャンニムが、黙って座っているポン・チョンチョンさんの席までやってきた。そして、韓国語でひっそりと話しかける。

「ケンチャナヨ(大丈夫)?」

ポン・チョンチョンさんが静かにうなずく。

「シガニ イスミョン カッチ チョニョク モグルカヨ(もし時間があったら、今日、一緒に晩ご飯でもどう?)」

ポン・チョンチョンさんは、少し微笑んで、「チョアヨ(いいわよ)」と答えた。

パンジャンニムらしい心遣いである。どこまでも優しいやつだ。それでポン・チョンチョンさんがどのくらい癒されたのかはわからないけど。

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交流

5月1日(金)

博物館の守衛のアジョッシ(おじさん)との不思議な交流が始まったことは、前に書いた

授業が終わってから、博物館の研究室に行って、夜9時頃まで勉強をする。帰るとき、博物館の玄関を開けてもらうために、守衛室にいるアジョッシに声をかける。

サトゥリ(訛り)が強いのか、アジョッシの個性なのか、相変わらず何を喋っているのかわからない。どうも「今日もよく勉強したね」と、言っているように聞こえる。

毎日挨拶をくり返すうちに、夜9時を基準に、それより早い時間に帰る時には「今日は早く帰るんだね」、それより遅い時間に帰るときには「今日はずいぶん熱心に勉強したね」と、話しかけてくれるようだ、ということがわかってきた。

以前に一度、「日曜日に研究室に行くかも知れないので、その時は開けてくれますか?」と頼んだことがある。結局、その週の日曜日には、面倒くさくなって行かなかったのであるが、翌日の月曜日に、「昨日は待っていたのに、来なかったね」と言われた。

そして数日前のことである。

いつものように、帰ろうとして守衛室に声をかけると、

「この前の木曜日どうしたの?ずっと待っていたんだが、全然帰る気配がなかったので心配したよ」

といったようなことを話しかけられる。

木曜日…?と考えて、はたと気がついた。そういえば、先々週の木曜日の夕方から研究会に参加するようになったので、夕方6時前には研究室を出てしまうのだった。だから、アジョッシに声をかけることなく、博物館を出てしまったのである。そのことを知らなかったアジョッシは、ずっと待っていた、というのだ。

私は、事情を説明した。

「なんだ。そういうことか…」

「ええ、だから、毎週木曜日は、博物館を早く出るんです」

そして昨日。やはり研究会に参加するために、夕方6時少し前に博物館を出ようとすると、玄関にアジョッシがいた。まるで私が出るのを待っているかのようである。

「研究会だね」

「ええ」

アジョッシは、1日1回、私と話をしないと気が済まないのだろうか。ほとんど言葉は通じていないと思うのだが。

交流、といえば、近所のコーヒーショップのマスターにも、顔を覚えられるようになった。

そのコーヒーショップは、大学から私の部屋に帰る途中にある(韓国では、喫茶店のことをコーヒーショップという)。例によって喫茶店で勉強がはかどるタイプの私は、家に帰る前に、そのコーヒーショップに寄って、少し勉強してから帰ることが何度かあった。

ある日の昼間、コーヒーショップの前を歩いていると、マスターに道ばたで挨拶された。顔を覚えられたのか、と思うと、なんだか通わなければいけなくなるような気がしてくる。

そしてその日の夜、そのコーヒーショップに行くと、マスターが、「日本人の方ですね」と話しかけてきた。

「ええ」

「○○を勉強しているんですか」

どうも、私が喫茶店で読んでいた本を見ていたようだ。

「そうです。語学も一緒に勉強しているんです」

「そうですか。頑張ってください」

それからというもの、すっかり顔なじみになってしまった。

やはり昨日、研究会の帰りにコーヒーショップに寄ると、レジでマスターが、

「週末はどうしているんですか?」

と聞いてくる。平日にしか来ないことを、訝しがっているのであろうか。

「先週末は、ソウルにいました」と答えた。

守衛のアジョッシも、コーヒーショップもマスターも、やたら私の予定を気にしているようである。ほっといてくれよ、と思うのだが。

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韓国語で詩を作ろう

4月30日(木)

やはり若いというのは恐ろしい。

「交際宣言」から一夜明けた今日、キザなタン・シャオエイ君とまじめ美人のル・ルさんが、一緒に教室に入ってくる。並んで席に座り、ル・ルさんが、タン・シャオエイ君にお菓子を食べさせてあげたり、タン・シャオエイ君の髪の毛をいじったりと、もはや完璧な恋人どうしである。

しかも、最初にアタックをかけたのがタン・シャオエイ君であったのにも関わらず、いまは、ル・ルさんが、タン・シャオエイ君の完全な虜である。

2人の真っ正面に座っている私は、目のやり場に困り、下を向いたり、教科書を目の高さに持って見ないようにする。

なんとなく、調子が狂って、今日のパダスギ(書き取り試験)は9点だった。

ル・ルさんはここ最近、10点を連発。恋をして、ノリに乗っている、という感じである。

韓国の大学で感じるのは、男女仲がきわめてよいということである。大学の構内でも、カップルが手をつないで歩いているのはあたりまえであるし、大学生の交際率(こんな言葉があるのかわからないが)は、きわめて高い、といえるだろう。

同じことは、中国人留学生たちにもいえる。留学生同士がつきあっている場合がきわめて多く、しかもそれをかなりおおっぴらに公表している。

以前、うちの学部の広報誌に、韓国人留学生が「日本の大学生は男女の間に距離があることを知って意外に感じた。韓国より性が開放的だと思っていたが、意外に保守的なところがあると思った」といったようなことを書いていたが、私も全く同じ感想である。

そんな「恋愛文化論」は、性に合わないのでこれくらいにして、今日の授業の話である。

リスニングの授業で、「詩」を学ぶ。

リスニングがひととおり終わり、時間が少し余る。

「みなさーん。今日は詩を作ってもらいますよ。詩ですよ。詩、詩」と「粗忽者の先生」。

「粗忽者の先生」が言うと、最近は大喜利のお題のように聞こえてくる。先生は、私たちの珍奇な詩を聞いて楽しむ気満々である。

おとなしいホ・ヤオロン君は、「猟奇的な先生」に片思いしている。詩の中で、その思いを、切々と綴った。

「いい詩ですね。その詩をキム先生に渡しますから、その紙をこっちにちょうだい」と先生。

ホ・ヤオロン君はかたくなに拒否した。

愛嬌のある赤ら顔のリ・ポン君は、相変わらず訳の分からない詩を作っている。どこが面白いのかよくわからないが、リ・ポン君が笑いのツボである「粗忽者の先生」は、その詩を聞いて、ひとり爆笑する。

つづいて私。

詩のタイトルは「海の恐怖」。

「夏になると、たくさんの人びとが海に集まって、楽しげに泳いでいる。

しかし、海の中には、恐ろしい魚がたくさん住んでいるのだ」

「……」

自分でもなんでこんな詩を書いたのかわからない。語彙の貧困さがなせる業である。

パンジャンニムの詩。

「世界地図を見てみよう」

先生と学生が、いっせいに壁に貼ってある世界地図に目をやる。

「中国は、チキン(鶏)の形をしている。

チキンが食べたくなった」

たしかに、地図を見ると中国は鶏の形をしている。まるまると太ったパンジャンニムの、「チキン好き」というキャラクターを存分に活かした詩である。

つづいて白縁眼鏡の好青年、ル・タオ君の詩。

「安い!辛い!旨い!安東チムタク!」

「それは詩ではないでしょう。広告よ、広告」と先生。

「安東チムタク」とは、安東地方で名物の、辛い鶏料理のこと。案の定、詩と言いつつ、単に面白いフレーズを言うだけになってしまっている。

珍奇なフレーズをひととおり聞き終えた「粗忽者の先生」は、満足そうな顔で、「はい、休み時間ですよー」と、授業を終えた。

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