ニュースの現場
前大統領逝去の衝撃は、いまも続いている。
私の通っている大学の中にも弔問所が設けられ、学生たちが献花している。日本の大学では、考えられないことである。
最近の報道で明らかになったことは、前大統領の投身の瞬間、横にいたとされていた警護官が、実はその場にいなかった、ということである。
最初の報道によれば、前大統領は山の上で、警護官と会話をして、一瞬の隙をついて投身した、とされていた。ところが、事実はそうではなかった。現場に行く途中、前大統領に「浄土院の院長がいるか見てきてくれ」と言われた警護官は、前大統領を1人残して、少し離れた浄土院というところに行った。その間に前大統領は山に登り、身投げした、というのである。
最初の陳述で警護官が「横にいた」とウソをついたのは、職務怠慢であることを指摘されるのを恐れたためではないか、と新聞は報道していた。
タバコの会話のくだりも、作り話だったことになる。
「事実」とは、一体何なのだろう、と考えさせられる。
5月27日(水)。
妻を仁川空港に迎えに行く。大邱からバスで4時間半かかった。
夕方、ソウルの宿に到着。まだ夕食をとるのには早かったので、ソウル市民が弔問のために数多く集まっているという徳寿宮に行くことにする。
テレビのニュースでは、連日のようにこの場所の弔問の様子が報道されている。市民が自発的に徳寿宮の前に弔問所を設置してからというもの、弔問客が絶えないという。それをこの目で、確かめてみたかったのである。
地下鉄の市庁駅を降り、徳寿宮に向かう出口をのぼると、すでに多くの人でごった返している。地上に上がる階段の壁には、市民たちが書いた「お別れの言葉」が、所狭しと貼られている。
夕方6時、私たちも行列にならぶことにする。退勤時間と重なっていたこともあって、ものすごい人の数である。
前大統領の自宅のある金海市の小さな村には、すでに100万人にもなろうという数の人たちが弔問に訪れた、と報道されていたが、それは決して大げさなものではなかったのだな。
それにしても、なぜこれほどの人々が集まるのだろう。報道では、前大統領のことを「人間的」「庶民的」という言葉で語ることが多い。
たしかにそうなのだろう。それに加えて、前大統領は「絵になる人」なのである。
公開されている写真のどれもが、見ていて微笑ましくなるくらい、絵になっている。表情がすばらしい。写真集として出版されたら買いたくなるだろうな、と思うほどである。
もちろん、現政権に対する不満のあらわれが、人々の行動を駆り立てているという側面もある。それは実際に列に並んでみて実感したことであった。
結局、2時間ほど並んで、ようやく弔問を終えることができた。こんな経験は、そうあるものではないだろう。
5月28日(木)。
午前中、戦争紀念館を見学したあと、妻は所用で某所へ。私は夕方に妻とソウル駅で待ち合わせるまで、自由行動である。
そこで、翌日の29日に前大統領の国民葬が行われるという、景福宮に行くことにする。
厳戒な体制がしかれていて近づくこともできないか?と思ったが、そういうわけでもなかった。中に入ると、永訣式(告別式)の準備が、粛々と進められていた。
景福宮に行こうと思った理由はもう一つ。近くにある「土俗村」で、サムゲタンを食べたかったからである。そちらの理由の方が大きいかも知れない。
以上、ソウルからお伝えしました。
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