デビュー
6月3日(水)
授業終了後、大邱からバスに乗って、馬山(マサン)に行く。翌日から、マサンの隣のハマンというところで開かれる学術シンポジウムで、討論者として参加するためである。
夜8時過ぎにマサンに到着。出席者の先生方と軽い打ち合わせの後、日本から来た研究者の方たちや、韓国の研究者の方たちと、飲みに行く。マサンは漁港の町で、久しぶりにおいしい魚をいただく。焼酎が進み、気がつくと夜中の2時になっていた。
6月4日(木)
学術シンポジウム1日目。二日酔いで頭がガンガンする。
私は、日本から来たTさんの発表に対する討論者である。討論者とは、発表の内容について、疑問を提示したり、討論の土台を提供したりする役割である。討論文は、あらかじめ作っておいて、翻訳していただいていた。
さて問題は、これを日本語で話すか、韓国語で話すか、である。
留学の際にお世話になったユン先生に先日お会いしたとき、
「そろそろ韓国語で発表することを考えなさい。最初からうまくできる人なんていないんだから、間違ってもかまわないよ」
とおっしゃっていただいた。
前日、語学の授業で後半担当のナム先生に、欠席の連絡をしたときも、
「せっかくだから韓国語で発表しなさいよ」
と、おっしゃっていただく。
このアドバイスが、頭を離れない。
そして、討論の直前にダメ押ししたのが、Tさんである。
「韓国語で討論文を読んだら、聞いてる人も喜ぶと思うよ」
そして、腹を括る。
今まで、挨拶だけは韓国語でして、本論を日本語で読み上げていたが、今回は、すべて韓国語でいこう、と。
総合討論の最後に、私の発言の機会が与えられる。
そして、討論文を、時間の関係で端折りながら、読み上げる。
その間、5分だったろうか?10分だったろうか?
よくわからないまま、討論が終了した。
終わって壇上を降りると、私の韓国での指導教授がニコニコしながらやって来られて、
「韓国語を上手に話したね。来年の1月の学会では、韓国語で研究発表してもらうぞ」
とおっしゃっていただく。ほかの何人かの方からも、ほめていただいた。
そして懇親会。
日本からいらした私の師匠が、乾杯の挨拶をする。
「私の研究室で育った若い研究者たちが、堂々とした発表をしてくれて嬉しく思います。これからは、私たちが、若い人たちをしっかりと支えていきたいと思います」
「若い研究者たち」というのは、Tさんと私のことである。
Tさんと私は、ある時期、この師匠の下で勉強した。Tさんは私とほぼ同世代だが、、私にとっては越えられない存在である。
そして、面と向かって人をほめない師匠が、乾杯の挨拶の場で、名前を出してほめていただいたことに感動する。
それと同時に、今まで一線を走ってきて、「まだまだ若い者には負けない」とあれほどおっしゃっていた師匠が、「これからは若い者を支える」とおっしゃったことにも驚く。そして、少し寂しい。
懇親会の席では、師匠と、韓国での指導教授の間に座らせていただく。ともに、この分野の第一線を走ってこられた先駆者である。こんな機会は、もう二度とないのではあるまいか。
とりあえず、いろいろと抱えている不安や心配は、今日くらいは封印しておこう。
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