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座持ちの悪い旅

「座持ちがいい」という言葉がある。

「座の興をさまさないように客をもてなすことができる」とか、「その場の雰囲気に合った、適度に面白い話題をとぎれなく提供して、場を盛り上げることができる」といったような意味か。

それでいえば、私は完全に「座持ちが悪い方の人」である。食事やお酒の席などで、適度に盛り上げようとする能力もないし、また、それをあえてやろうとも思わないのである。

「座持ちのいい人間」が「出世するタイプ」であるとすれば、私は間違いなく「出世しないタイプ」である。

6月27日(土)

日本から初対面のお客さんが来て、夕食をご一緒することになった。

一時帰国から戻ってきた妻も合流して、3人で、市内でも有名な韓定食のお店に行く。その方が韓国は初めてだということで、雰囲気がよくて食事の美味しいお店を、慣れないながらも予約したのである。

ここまではまあよい。このあと、実際に食事をする段になると、何をお話ししていいのかわからなくなるのである。とくに、異業種の方なので、その思いはさらに強くなる。

妻も私と同じく、「座持ちが悪い方の人」なので、結局2人がかりで、気の利いた話題を出すこともなく食事は終わった。その方はとてもいい方だったので、かえって気を遣っていただいたのだろうと思う。

そして翌日は、その方と一緒に慶州に行くことになっていた。

6月28日(日)

朝8時半に、その方の泊まっているホテルを出発。すでにその方が、日本から、車とガイドを手配していたので、こちらは何も準備する必要はなかった。

途中、慶州でもう1人、やはり日本からいらしたその方の知り合い、という方と合流し、合計4人で慶州をまわることになった。

初対面の方の知り合い、ということになると、もはや全く接点がない。

まあ、現地ツアーなんて、一般的にそんなもんだから、現地ツアーだと思えばいいのか。

かくして、「座持ちの悪い旅」の始まり。

車が貸切なので、どこに行きたいかについては、かなり自由がきく。

この旅を提案された初対面の方は、「博物館と仏国寺に行きたい」とおっしゃる。

車中のガイドさんの話を聞いていて、行きたくなったところがあった。

慶州のはずれにある、「良洞(ヤンドン)民俗マウル」(マウルは「村」の意)という、民俗村である。

朝鮮王朝時代の両班(ヤンバン)の集落が現代に残っているという集落で、以前、同様の民俗村として安東の「河回(ハフェ)マウル」というところに行ったことがある

ところがそこは、観光地が進んでいて、ちょっと興ざめしたのである。

良洞マウルはどうだろう。あまり知られていない分、それほど手が加えられていないのではないか。

ほかの人たちも、同じく興味を抱いたようで、急遽、まず最初に良洞マウルに行くことになった。

慶州の中心地から、車で40分くらいのところに、その民俗村はある。

現在、河回マウルとともに、ユネスコの世界文化遺産の指定に向けて、運動を続けているという。

Photo 到着すると、現地のガイドの方が、急遽日本語で案内してくれることになった。

「実は、日本語でお客さんをご案内するのはこれが初めてなんです」

とそのガイドさんは言った。これから世界遺産を視野に、日本人観光客を呼び込む必要から、日本語のガイドを用意する必要が出てきたのだろう。私たちは、どうもその最初の実験台にされたらしい。

しかし、その説明は適切であったし、日本語も上手である。

思うに、これがもし慣れたガイドさんであれば、経験を重ねていくうちにさまざまな要素をつけ足していって、どんどんと話が長くなっていったり、面白い話の方を優先してしまったりすることがあるのだろうが、このガイドさんは、必要な説明を適切に行ってくれたのである。

なかでも面白かったのは、次のような話だった。

この良洞マウルの近くには、東海南部線という鉄道が走っているが、良洞マウル付近で大きく南に迂回している。

実は植民地時代に、この良洞マウルの南端部をかすめるように鉄道を通す計画があった。

ところで、この良洞マウルは、いくつもの谷が入り組んだ山あいに、両班の集落が形成されている。その集落の分布の様子は、あたかも漢字の「勿」という文字を書くがごとくであった。

ところがその集落の南端に、鉄道が直線的に通るとなると、どうなってしまうか。集落は鉄道によって、「勿」の字の下に「一」の字を加えた、あたかも漢字の「血」の文字のようにみえてしまう。これは、儒教的な考え方からいうと、たいへん縁起が悪い。

つまり鉄道を敷くことは、良洞マウルの儒教的世界観を汚すことになる、と考えられたのである。

その結果、鉄道は、良洞マウルの南端部をかすめることなく、大きく迂回することになった、というのである。

地図を見てみると、たしかに、鉄道は良洞マウルの付近で不自然に大きく迂回していた。

この話を聞いて思い出す。これは、いわゆる「鉄道忌避伝説」ではないか?

日本の各地には、「鉄道忌避伝説」がある。

私の実家がある町は、江戸時代の宿場町であった。明治時代、この町に鉄道を通す計画が持ち上がったとき、地元の産業が衰退して町が廃れるとか、蒸気機関車の煙が危険である、といった理由で、宿場町の住民は猛反発した。その結果、鉄道が、宿場町を避けて、宿場町のはるか北を通ることになったのだ、という。

似たような話は全国にあるのだが、私も子どものころ、地元の歴史としてそのように教わってきた。だが最近の研究では、この話には根拠がなく、真相は別のところにあり、こうした「鉄道忌避」の話は、一種の伝説として、人々に受け入れられていったのだという。

近代の鉄道敷設にまつわる、奇妙な伝説…。

言ってみれば、良洞マウルの話は韓国版「鉄道忌避伝説」である。韓国の鉄道建設が日本の植民地時代と大きく関わっている点も、韓国における「鉄道忌避伝説」の誕生と関係しているように思えて、興味は尽きない。

さて、良洞マウルは、期待したとおりに、手が余り加えられていない、素朴な民俗村であった。これ以上、あまり手が加えられないことを願いつつ、ガイドさんにお礼を言って、良洞マウルをあとにした。

この時点で、気温は30度をおそらく超えていただろう。炎天下の集落を歩いたので、すでに少しバテ気味である。

昼食後、仏国寺、古墳公園、博物館を見学するが、すでに何度か来たことがあったことに加え、午前中の達成感と、暑さによる疲労感で、集中力はすでに欠如。申し訳ないことに、ガイドさんの能弁な解説ももはや耳に入らなくなっていた。

車中でも、座持ちのいい会話をするわけでもなく、すっかりとだんまりを決め込んだまま、みなさんとお別れした。

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