くまのぬいぐるみ
6月8日(月)
後半のマラギ(会話表現)を担当するナム先生は、不思議である。
外国人留学生の顔と名前が、授業の初日からすべて頭に入っていることにも恐れ入るが、といって、必要以上に学生に関わろうとするわけでもない。
ナム先生がいかに学生にとってよい先生であるかは、1級1班のときに一緒だったマ・クン君が私に話していたことであった。
マ・クン君の話しぶりから、学生の面倒見がとてもいい先生である、というイメージを持っていた。
実際に授業を受けてみると、授業じたいは、きわめてオーソドックスにすすめるし、余計な話をするわけでもない。休み時間も、とくに学生に交わろうとするわけでもない。ただ、学生が何か話をしに来た時には、誠実に受け答えをして、それ以上に関わろうとはしないのである。
授業の休み時間に、クオ・リウリンさんが、教室に大きなくまのぬいぐるみをかついでもってきた。
クオ・リウリンさんは、初日の授業で私に「日本の歴史教科書に書いてあることは事実なのですか?」と聞いてきた学生である。理知的で、周りの学生よりやや大人びている、といえようか。
「誰からもらったの?」と聞くと、
「チョッカ(姪)からもらったんです。いま、姪は1級のクラスなんです」という。
「どうしてこんなプレゼントをもらったの?」
「私が姪に、いろいろと手伝ったりしたので」
それにしても、大きなくまをプレゼントされたものだ。
休み時間が終わり、ナム先生が教室に入ってくる。ナム先生も、教室の後ろに座っているくまのぬいぐるみに気づいたようで、「どうしたの?」と聞く。
クオ・リウリンさんは、いまの説明をくり返したが、先生は、それ以上、根掘り葉掘り聞こうとはしなかった。
これが、たとえば先学期の大柄の先生だったら、いろいろと根掘り葉掘り聞いて、授業中も、くまのぬいぐるみをしばしば話題に出したかもしれない。しかし、ナム先生は授業中にくまのぬいぐるみについて触れることはなかった。
ここまで書くと、なんとも冷たい先生のようにも思えてしまうが、決してそうではないのである。
3時間目が終わった休み時間に、1級で私と同じ班だったチャオ・ルーさんが教室に入ってきた。
チャオ・ルーさんは、先々学期に、まだ韓国語が1級であるにもかかわらず、大学入学を決めてしまい、大邱にある大学でデザインの勉強をはじめている。ナムジャ・チング(ボーイフレンド)が、私と同じ班のワン・ウィンチョ君なので、彼に会いに来たのだろう。
ところが彼女は、ナムジャ・チングよりも、ナム先生と話しはじめた。久しぶりに先生にあったようで、チャオ・ルーさんも嬉しそうである。
ナム先生も、チャオ・ルーさんのことをよく覚えているようで、チャオ・ルーさんの近況を楽しげに聞いている。
学生が、不思議と信頼を寄せてくる先生。学生の名前と顔をすぐに一致させていることが、学生から絶大な信頼を得ている大きな理由でもあるだろう。ほかにも、何か理由があるのかも知れない。
ここ(語学堂)にいると、理想の教師像とはどんなものなのか、いつも考えさせられる。
| 固定リンク
「3級6班」カテゴリの記事
- ナム先生の日本語(2011.02.22)
- 帰国のたより(2010.09.23)
- でくのぼうの東京案内(2010.09.22)
- 本当に最後の同窓会(2010.01.29)
- ナム先生の、もう一つの人生(2009.10.15)
コメント