雨の日は、ビデオ鑑賞
6月22日(月)
「チャンマ」。韓国語で「梅雨」を意味する言葉である。
先週の土曜日から、大雨の日が続いている。今日も午前中はものすごい雨だった。
体調の悪さも手伝って、気が重い。
午後、朦朧とした意識で、語学の授業に向かう。
後半のマラギ(会話表現)の授業。
「みなさーん。今日はみんなでビデオを見ますよ」と先生。
考えてみれば、授業でビデオを見るのは、はじめてである。何でもっと早くこういう企画がなかったんだろう。
韓国の教育テレビで放映された、世界紀行のドキュメンタリー番組を見るという。
1人の青年が、世界をひとり旅して、さまざまな人びとや文化と出会う、というもの。そのメキシコ編。
日本の某国営放送で、関口知宏(関口宏の息子)が中国を列車で旅する、て番組あったよね。まさにあんな感じの番組である。
ヒッチハイクで旅をする青年。たまに故郷が懐かしくなり、夕食時に、持ってきたキムチをほおばる。「故郷が懐かしくなったときの、最高の薬です」と彼は言った。
やがてメキシコのサンクリストバル・デ・ラスカサスという町に到着。マヤ文明崩壊後に、先住民が移り住んだ土地といわれる。
さらに青年は、サンファン・チャムラという町に向かい、そこの青空市場を見学する。カメラを向けようとすると、かたくなに拒否されてしまう。写真を撮られると、魂が抜けると考えられているらしい。
市場を見学したあと、町の中央にある聖堂に入ることにする。
メキシコは、国民のほとんどが敬虔なカトリック信者である。
ところが、青年は聖堂に入って言葉を失った。
聖堂の中の様子は撮影できないため、神父(?)の家に連れていってもらい、聖堂で行われている祈祷を再現してもらうことにする。
そこには、無数のろうそくの火がともされ、異様な雰囲気の中で祈祷が行われる。
そして、なんとコーラが聖水として使われる。さらに鶏が犠牲として献げられた。それに、なぜか鶏卵も祈祷に使用されている。
祈祷が終わると、神父(?)のアジョッシ(おじさん)は、その聖水のコーラをゴクゴクと飲み干した。
メキシコは、コーラの消費量が世界一である、と聞いたことがあるが、こんなところにもコーラが使われているのか。
もともとの土着の宗教に、キリスト教が融合した形を、ここに見る。
さて、青年は、このあと、サパティスタというところに向かう。
全くの不勉強だったのだが、サンクリストバル・デ・ラスカサスの近くには、メキシコの先住民を中心に組織される、非武装の反政府ゲリラ「サバティスタ民族解放軍(EZLN)」の拠点がある。
1994年1月1日、北米自由貿易協定(NAFTA)の発効日に、EZLNは、「NAFTAは貧しいチアパスの農民にとって死刑宣告に等しい」 として、メキシコ南部のチアパス州で武装蜂起した。
この協定には、グローバル化の名の下に、メキシコ政府が、チアパスの資源開発を進め、先住民を一掃、強制排除しようとするねらいがあったという。つまりこの協定で犠牲となるのは、貧しい農民や少数民族たちであった。
当初は武装蜂起した彼らだったが、次第に対話路線を重視し、現在では武力に頼らず、インターネットを介して自らの主張を展開するなどして、世界的な支援を得ているという。
サバティスタの拠点に入り、活動家と対面する。彼らは、いつも目出し帽をつけて活動しているが、唯一表情をうかがい知ることができる目が、とても優しい目をしていた、と青年は述懐した。
このあと、青年は、世界遺産のパレンゲ(古代マヤ文明の都市遺跡)に向かい、番組はひとまず終わった。
「どうでしたかー?」まず先生が、私に聞いた。
「とても面白かったです」
実際、文化人類学的にも、現代史的にも、はじめて知ることばかりで面白かったのである。
先生がひとりひとりに感想を聞いていく。「世界旅行に行ってみたいと思いますかー?」
「お金があれば行ってみたいです」と答えた学生が多かった。
「お金があれば行きたい、という考えをしてはダメですよ」と先生。「世の中には、お金があっても旅行に行かない人だっているでしょう。お金がないから旅行できない、という考えはしてはいけませんよ。お金がなくても、行きたいという気持ちがあれば行けるんですよ。みなさんまだ20代でしょう。時間もたくさんあるんだし、海外旅行にどんどん行きなさい。それも、行きやすいところではダメですよ。多少行くのが大変な場所でも、行ってみたらよい経験になるんですよ」
その言葉、私が20代の時に聞きたかった。
その言葉で思い出したのが、私の高校時代の1つ下の後輩。
一流といわれる大学を出たが、就職せず、自分の好きな音楽と写真に明け暮れ、1年に数回、大好きなブラジルを旅している。競馬で儲けた金をブラジルにつぎ込み、ブラジルで写真をとり、たまに個展を開いているという。気の合う仲間とボサノバのバンドを組み、ライブもしているようだ。ただ残念なことに、ほとんど日の目を見ていない。
「もう40歳だというのに、いい歳をして、馬鹿で不器用なやつだな」と思ってしまうのだが、彼の人に対するまなざしは、誰よりもあたたかい。ブラジルで撮った写真を見ればそのことがよくわかる。地球の裏側の人たちと接することを通じて、培われたものなのかも知れない。
だから、彼を知る者は、彼を愛してやまないのだ。たとえて言えば、「寅さん」のようなものか。
40歳になって、ようやく気づく。
あの、メキシコを旅した青年のように、ブラジルを旅する後輩のように、私もこれから旅をすることができるだろうか。
授業が終わると、外はすっかり雨があがっていた。
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