文体の自由
6月23日(火)
今日は、スギ(作文)の試験の日である。
今学期に入って、試験の負担が増えた。いままで、中間試験、期末試験、そして4回の「クイズ」だったのが、マラギ(会話表現)試験2回と、スギ試験2回が、新たに追加された。
どうも、今学期から、新たに試みられた制度のようである。
学生の語学力のうちで、マラギとスギが弱いことが、教員の間で問題になったのだろう。マラギは確かに弱いし、スギも、先日、他の学生の作文を読んでみて、たしかにテコ入れが必要だ、というのもわかる。
しかし、負担は増える一方だし、制度は複雑になりすぎて、もはや訳がわからない。仕組みをいじりすぎると、かえってうまくいかないのではないか、と他人事ながら心配になる。
とはいえ、授業改善に対する先生方の意欲には凄まじいものがある。
さて、そのスギ試験だが、これがちとややこしい。
まず、3時間目の1時間を使って、与えられたテーマにもとづいて、作文の構成を考える。各人に構成表が配られ、その構成表に、作文に必要な要素を書き込んでゆくのである。
今日の題目は「ストレス」。ストレスはどんな時に溜まり、どこで、どうやって解消するのか、その方法を書け、というものである。
構成表の上段には、「ストレス」と書かれた文字を中心に、放射状に「いつ(受けるのか)」「どこ(に行けば解消されるか)」「何(をすれば解消されるか)」「(ストレスの)良い点」「悪い点」といった項目が並べられていて、そこに、思いついた単語を書き込んでゆく。
しかも、これをひとりで考えるのではなく、3人のグループで話し合って書き込んでゆくのである。
なんで自分の書く文章を他人と話し合って決めなければならないんだ?と、まずこの時点で違和感を覚える。話し合ったところで、文章がよくなるのか?
「そうした対話も含めて授業でしょう」と妻の言葉。なるほど、そういうことかもしれない。
話し合って出てきたことを、書き込んでゆくと、先生がすかさず、「文章の形で書いてはダメです。単語だけ書きなさい」と注意する。
単なるメモじゃねえか。メモの書き方まで指示されるとは、窮屈この上ない。
だが仕方なく従うことにする。
さて、構成表の下半部には、「序論」「本論」「結論」と書かれた表がある。上で思いつくままに並べた単語を、今度は文章構成の中に当てはめていく作業である。小学校の作文の時間のとき、「起承転結」とか「序破急」とか、習った記憶があるが、まさにそれをここでもやろうとしているのである。
ここでも、文章を書き込もうとすると、「これは構成ですからね。文章を書いてはいけませんよ」と、やはり注意される。
どう書こうと勝手なような気がするのだが、メモの段階ですでに、作法が決められているのである。
そして、その構成表のメモも、評価の対象となる。
そう、まさにこれは、小学校の作文の時間を思い出すような作業である。
40歳になって、作文の書き方をあらためて教わるとはね。なんか長年慣れ親しんできた打撃フォームを直される野球選手のような心境である。
「文章の設計図」を書いてから、作文を書き始めるなんて、何十年ぶりだろう。自分が今まで、いかに好き勝手に文章を書いていたかが思い知らされる。
そして4時間目、本番のスギの試験。
構成表のおかげで、以前よりスムーズに文章が書けた(ような気がする)。まあ、前の時間にあれだけ時間と人力をかけて練ったのだから、当然と言えば当然なのだろうが。
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