ユートピアで地獄の山登り
6月5日(金)
学術シンポジウム2日目。午前中、研究発表を聞いた後、午後、参加者たちで、近くにある山城を見学する。
山城、というくらいだから、山の上にある遺跡である。これまでに、その山城には2回登ったことがあるが、今回は、調査も進んで、かなり見応えがあるという。
炎天下の中、30分近く山道を登って、山城の遺跡に到着する。すでに汗が滝のように流れているが、見応え十分の遺跡で、これだけも来た甲斐があった。
そして2日間にわたる学術行事が終了。日本から来たご一行と、馬山(マサン)に戻って打ち上げをする。夜8時過ぎにマサンからバスに乗り、11時近くに大邱に戻った。
6月6日(土)
今日はタプサ(踏査)の日である。といっても、いつも参加させていただいているタプサではなく、別の団体のタプサに参加させていただくことになった。
朝9時、40人ほどが大学に集合して出発する。大型バスに乗り、智異山(チリサン)国立公園に向かう。
智異山は、慶尚南道の西部にある、小白山脈の最高峰であり、標高1915メートルの高さを誇る。周辺は国立公園に指定されており、韓国屈指の風光明媚な場所である。韓国の「ユートピア」とも言われているという。今回は、この智異山周辺の文学にまつわる名所をまわる。
まず最初に、韓国の女性作家・朴景利(1927~2008)の大河小説『土地』の舞台となった河東(ハドン)を訪れる。『土地』は、1969年から1994年までの25年間にわたって書き続けられた作品で、朝鮮時代末期の19世紀末から日本植民地時代を経て、解放期に至る韓国の歴史の中で、民衆がたくましく生きる姿を描いた傑作といわれている。
のちにドラマ化されるが、ドラマで使われたオープンセットなどを見学しつつ、先生や大学院生の方の解説を聞く。無謀なことはわかっているが、ちょっと読んでみたい、と思った。
見学が終わり、バスに戻る途中、耕耘機でロバを引っ張っているアジョッシ(おじさん)に出会う。ところが、ロバが抵抗して、耕耘機でいくら引っ張っても進もうとしない。
面白いので写真を撮っていると、アジョッシはバツが悪かったのか、
「あんたたちのせいで、ロバがビックリして前に進めないじゃないか!」
と叱られる。そう言われても、私が来る前からロバは抵抗していたし、私が離れた後も抵抗し続けていたのだから、別に私のせいではないのだが。
やや遅い昼食をとり、次に向かったのが、智異山の麓にある雙磎寺である。韓国屈指の霊山である智異山には、仏教寺院も多いという。
ところが、ここからが地獄だった。
雙磎寺を見学した後、滝を見に行くという。その滝が、ここから山道を歩いて1時間半だというのだ。
聞いてない聞いてない。登山をするなんて聞いてないぞ。
だがそんな思いをよそに一行は出発。時間はすでに3時を過ぎていた。
急な斜面を歩き続ける。それに加えて大小の石が転がっている道の上を歩くので、歩きにくいことこの上ない。
ふだんの運動不足が祟って、たちまち後れをとる。そればかりでなく、いつものように、文字通り滝のように汗を流す。
知り合いの大学院生に、
「先に行ってください。ゆっくり行きますから」
と、ゼイゼイしながら言うと、
「大丈夫。早く登ればそれだけ楽ですよ。一緒に登りましょう」
と言ってくれる。そして、歩きながらいろいろとこの山の周辺についての歴史を説明をしてくれるのだ。
だがこっちは、もう完全に集中力を失ってしまって、韓国語を聞き取る力などまったく残っていなかった。
反対側から降りている人たちの格好を見ていると、完全に登山の姿である。軽装で、しかも夕方近くから登るのは、危険きわまりないのではないか?
「いったい誰がこんなところに行こう、と言いだしたの?これではタプサではなく、登山よ!」
参加者のある人が訴える。
「ボクじゃありませんよ。先生が計画を立てられたんですから!」
と、今回の幹事である助手の方が反論する。どうやら先生の計画は絶対らしい。
ヘトヘトになりながら、目的地の滝に到着。すでに、先生や大学院生たちの説明が始まっていた。まったく息を切らすことなく、説明を延々とされていることに驚愕する。
私は、滝の前で、まるで滝にうたれたような汗をかきながら、説明を聞く。
説明の後、主催者の先生が、「旅のしおりを開いてください」とおっしゃる。
言われたとおり開くと、そこに書かれていた漢詩を、節をつけて読み始めた。
「さあ、みなさんも私の後についてうたいましょう!」
みなさんは、楽しげに何度もうたっていたが、私はヘトヘトでそれどころではなかった。
「大丈夫でしたか?」と、今回のタプサの幹事である助手が心配してくれる。
「疲れましたが大丈夫です」
と答えると、
「僕もこんなに大変だとは思いませんでした」
とおっしゃった。
足がガクガクになりながら下山。あたりは薄暗くなり、バスに戻ったとたん、大雨が降ってきた。危ないところだった。
すべての行程が終わり、バスで大邱に戻ったのが、夜10時だった。
6月7日(日)朝、大邱を出発して、2度目の扶余に向かう。知り合いが日本から来て博物館を見学する、と言うので、扶余で合流することにしたのである。往復に6時間をかけ、大邱に戻ったのは夜9時半であった。
木曜日から日曜日まで、休む間のない日々だった。金曜日の山城見学と、土曜日の登山がトドメを刺した。まったく足が上がらない。明日からの語学の授業が心配である。
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