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2009年7月

脳内アテレコ

7月30日(木)

不思議なもので、長い間中国人留学生たちと一緒にいると、中国語がまったくわからないにもかかわらず、彼らの話す内容がなんとなくわかるような感じがしてくる。

今週の月曜日に席替えをした。毎日、授業の最初に行われるパダスギ(書き取り試験)の際に、隣の席で私の答案を、どうやらカンニングしていたと思われる学生と、離ればなれになった。

そして今日の休み時間、パダスギの答案が、先生によって点数をつけて返されたとき、その学生はひどくガッカリした様子で答案を受け取った。どうやら、点数があまりよくなかったらしい。

その学生を囲んで、みんなが中国語でなにやら会話している。そしてその学生が、少し決まり悪そうな顔をした。

さらに、そのやりとりのなかで、「キョスニム」という言葉が聞こえた。

そこから私は、次のような会話を想像する。

「今回のパダスギはダメだったわ」と、その学生。

「隣にキョスニムがいなかっただろ」と、ほかの学生がチャチャを入れる。

そしてその学生が決まり悪そうにペロリと舌を出す。

だいたいこんなところではないか。

最近は、こうやって、彼らの会話を想像して楽しむ。

だから、休み時間も決して退屈ではないのである。

先生はしばしば、「中国語で話すと、キョスニムがわからないでしょう」と、学生たちに注意する。私が退屈に違いないと考えてのことだろうが、私は、全然そんなことはないのだ。

私は私なりの楽しみ方で、彼らの会話に参加しているつもりなのだ。

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テレビ通販番組を作ろう

7月29日(水)

後半のマラギ(会話表現)の授業。

「今日はみなさんに広告文を作ってもらいまーす」と先生。

4人が1組になって、架空の新製品なり、観光地なりの広告を作って、発表してもらう、というもの。商品の選択から、宣伝文句まで、すべてグループで話し合って決めなければならない。それを、テレビの通販番組のような感じで、みんなの前で広告するのである。

私は、白縁眼鏡の好青年・ル・タオ君、韓国人男性と結婚しているクォ・リウリンさん、おとなしい好青年・リン・チアン君とグループになった。

さて、どんな商品を広告しようか。

しばらくみんなで考えていると、クォ・リウリンさんが、「毛生え薬!」と言った。

ずいぶんと思いきった商品を考えついたものだ。

クォ・リウリンさんがあまりに強く主張するので、結局「毛生え薬」の広告に決定。

「商品名も重要ですよ。インパクトのある商品名にしないと」と先生。

こういうことにかけては、私の感性も負けてはいない。

しばらく考えて、商品名が思いついた。

「モリ エ ポム!」

「モリ」は頭。「ポム」は春。直訳すると、「頭の春」

すると、近くで聞いていた先生が大爆笑した。

「『モリ エ ポム』、いいですねえ」と先生。

韓国語の語感として、かなりインパクトがある商品名のようだ。

これで商品名が決定。

以下、この架空の毛生え薬の特徴や効能をみんなで話し合って決めてゆく。そして、CMの流れを考える。

ル・タオ君が、ディレクターよろしく、CMの構成を考える。

「まず僕が最初に、朝起きて、毛がごっそり抜けてビックリする、という芝居をします。そこでキョスニムが出てきて、薬の説明をしてください。次に、リン・チアン君が薬を飲む前とあととで、効果がこんなに違う、という説明をしてください」

「具体的にどういうふうにすればいいの?」

「僕の短い頭が使用前、クォ・リウリンさんの長い髪を使用後、ということで、『薬を飲むと、数日でこんなになります』と、説明すればいいです」

なるほど。うまいこと考えるものだ。

「で、最後にまたキョスニムが、購入方法の説明をして終わりです」

打ち合わせが終わり、みんなの前で発表することになった。

最初は、寝ていたル・タオ君が起き上がり、髪がごっそり抜けていることに気づいてビックリするシーン。

「うぁぁぁぁぁぁー!」ル・タオ君が迫真の演技をする。

そこで私が登場。

「みなさんも、こんな経験をしたことはありませんか?そんなあなたに、とってもよい薬が出ました。その名も、『モリ エ ポム』!」

商品名を聞いた先生が再び大爆笑する。

すかさず私は、ポケットに入っていた、持病の痛風の薬をとりだして、それを「モリ エ ポム」に見立てて説明する。ここは私のアドリブである。

「この薬を1錠飲むだけで十分。副作用もありません」などと、商品の効能や特徴を説明する。

そして今度は、リン・チアン君にバトンタッチ。

ル・タオ君と、クォ・リウリンさんが、すでにみんなに後頭部を向けて立っている。

「この薬を1錠飲めば、この短い頭が(と、ル・タオ君の頭を指さす)、数日後にはこうなります!(と、今度はクォ・リウリンさんの長い髪をさす)」

いわゆる「使用前、使用後」の説明である。

なるほど、それで2人は後ろ向きで立っていたのか、ということに気づいた観客のチングたちは、爆笑した。

そして、最後に再び私による説明。

「うーむ。本当に『頭』に『春』が来ましたねえ。商品ご希望の方は今すぐお電話ください。いま電話された方には、もう1セットをプレゼント!人気商品なので、売り切れる可能性があるので、早くお電話ください!電話番号は、○○○ー○○○○」

かくして、『モリ エ ポム』のテレビ通販番組は、大爆笑のうちに終了した。

わずか10分程度の打ち合わせで、中国人と日本人が、韓国語で作った広告。

即興にしては、なかなかのものではないか。

そして授業の終わり際に先生は、「『モリ エ ポム』、いいですねえ。気に入りました」といって、「モリ エ ポム」の商品名をくり返し口にしたのであった。

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幸せって何だっけ?

7月28日(火)

語学の授業の休み時間。

文法の先生が、ワン・ウィンチョ君に聞いている。

「大学の方はどうなったの?○○大学に受かったんでしょう。」

「まだどうするか決めてません」

「○○大学」とは、彼のヨジャ・チングことチャオ・ルーさんが通っている大学である。彼も、ヨジャ・チングのあとを追って、同じ大学に合格したのである。

「○○大学なんか行ったらダメよ」と、先生が強い調子で言う。

「あなただったら、もっといい大学に入れるじゃないの。第一、○○大学っていったって、実際は2年間だけの専門学校じゃないの。先生だって、地元にいて、その大学の名前をはじめて聞いたくらいなんだから」

「○○大学」が、相当「アレ」な感じの大学だ、ということは、容易に想像がつく。たしかに、彼の実力では、あまりにももったいない。

彼よりも不真面目で成績が悪い学生が、何人も有名国立大学に合格している。それを考えれば、彼は、十分に「いい大学」をねらえる位置にいるのである。

「でも、ヨジャ・チングのためなんです」と彼は答える。「それに、早く中国にも帰りたいし」

先生がさらに強い調子で説得する。

「これはあなたの人生なのよ。ヨジャ・チングの方が大事なの?…じゃあ、もしあなたが同じ大学に入学したとして、もしそのあと、そのヨジャ・チングと別れてしまったら、一体どうするつもりなの?」

「でも、僕は彼女と結婚するつもりなんです」ふだんは元気なはずのワン・ウィンチョ君が、力なげに答えた。

彼のなかでも、いろいろと葛藤があるのだろう。

このやりとりを聞いて、高校時代の友人のことを思い出した。

高校3年の、暮れも押し迫った時期のことだったか、同じクラスの仲のよい友人が、突然「俺、獣医大学を目指す」と私に言ってきた。

寝耳に水の話である。それまで、彼が獣医になりたい、などという話は、聞いたことがなかったからである。しかも、願書を出す時期になって、急に進路を変更したのである。

詳しい事情を聞いてみると、その友人にどうやら彼女ができたらしく、その彼女が、獣医大学を目指す、と言ったらしい。それで、彼女と同じ獣医大学に入学したい、と思ったそうなのである。

彼の実力からすれば、一般の有名大学に十分入学できたはずなのだが、彼は「彼女」のためにあっさりと進路変更してしまった。

そして、彼は現役でその獣医大学に合格した。しかし、彼女は落ちた。

そこから、2人のすれ違いがはじまる。2人は1年もたたないうちに別れてしまった。その彼女も、結局は獣医大学に進まなかったようである。

「彼女」に翻弄された友人。

だが、彼の名誉のために言っておくと、その後、彼は然るべきところに就職して、現在は幸せな家庭を築いている。

だから、人生、何が幸せなのかわからない。ワン・ウィンチョ君にとって、「いい大学」に入ることが幸せなのか?それとも、ヨジャ・チングに翻弄され、流れのままに生きることが幸せなのか?

語学の先生や、私のような人間にとってみれば、「いい大学」に入学することが大事だ、と思う。だが、彼ら(中国人留学生たち)が、必ずしもそう思っているとは限らない。

そもそも、彼らは、本当に韓国で勉強したい、と思って来たのだろうか。もちろん、そう思っている学生もいるある程度はいるが、おそらく多くの学生は、さまざまな事情(主には、家庭の事情)によって韓国に「留学させられた」人たちである。

よくある話としては、会社の社長とか、裕福な家の親が、「ハク」をつけさせるために、わが子を留学させる、というパターンである。この場合、留学した、という事実が重要なのであって、どこの大学に入ったとか、卒業したとか、といったことはあまり関係がない。

親にとっては、わが子が留学している、というアリバイさえあればよく、それに対して子は、留学の期間をいかに「やり過ごす」かを考えさえすればよい。

彼らのなかには、有名大学に合格したのにもかかわらず、それをあっさりと放棄して、2年間の専門学校に通うことを選択する者もいる。理由は、「早く中国に帰りたい」から。

まったく理解に苦しむというほかないのだが、彼らにとって大事なことは留学の事実であり、あとはそれをいかに「やり過ごす」か、だけを考えているのだ、と思えば、この信じがたい判断も、説明がつく。

留学するからには、「いい大学」を目指すはずだ、というのは、あくまでも語学の先生や私などの価値観であり、彼らにとっては、そんな価値観はほとんど意味をなさないのかも知れない。

そして、そういう学生たちに、献身的に語学教育をする先生をみると、何か複雑な思いにとらわれる。

いまは奇跡的に成立している両者(先生と留学生)の関係が、いつか破綻をきたす日が来るのではないか、と。

人間の幸せとは、何だろう?

今日の後半の授業は、ちょうどそんなことがテーマだった。

「みなさーん。みなさんが考える幸福の条件とは何ですかー?」

マラギの先生がみんなに質問する。

そして中国人留学生の多くが「お金でーす」と答える。

不思議である。実に不思議である。

社会主義の国で育ったはずの彼らが、「幸福の条件は、お金をたくさん所有することである」と考えているのだから。これは完全に資本主義の考え方ではないか。

「お金もたしかに大事かも知れませんけど、大事なのは、よい人間に恵まれるとか、健康であるとか、心が豊かであるとか、そういうことですよ」と先生。

「でも先生、お金がなければ、私は先生とも出会えなかったんですよ」と、減らず口のチャン・チンさんが反論する。

「じゃあ、どうして高いお金を払っているのに、授業を休んだりするの?せっかく高いお金を払っているんだから、授業を休まずに出てきたらいいじゃないの」と先生の反論。

この反論に、彼らは返す言葉がない。

「お金があるから留学ができるのだ。(だからお金は大事なのだ)」という彼ら(留学生たち)の主張。一方で、「お金を払った分だけ授業を熱心に受ける権利がある」という発想の欠如。どうもこのあたりに、不可解な「彼らたち」を読み解く鍵が潜んでいるように思える。

私は、「彼ら」を理解できるだろうか?

もう一度聞きます。幸せって何ですか?

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夕食放浪記

このところ忙しくて、自分たちで夕食を作る時間がとれない。だからいつも外食である。

といっても、毎日決まった食堂に通う、というわけではなく、できるだけいろいろな店に通うようにしている。

ところが日本人が珍しいからなのか、1度行っただけで、店の人に顔を覚えられてしまう。あと、やたらと話しかけられることも多い。

大学の近くにある某中華料理屋。店も清潔で、味も悪くないので、気に入っているのだが、そこのアジュンマ(おかみさん)が話し好きで、やたらと話しかけてくる。

注文をしてから、注文の品が出てくる間、ずっと話しかけてくるのである。

アジュンマじたいはいい人なのだが、私も妻も、どちらかといえば社交的ではない方の人なので、ときにそれが苦痛に感じることがある。

疲れているときなどは、酢豚を食べたくなっても、「またアジュンマと会話しなければいけないのか…」と思うと、つい足が遠のいてしまう。

「じゃあ今日は安東チムタク(辛い鶏料理)の店にしよう」と、昨晩は、1カ月ほど前に一度行ったことのある安東チムタクの店に行くことにした。

ずいぶん前に来たはずなのに、やはりその店のアジュンマが私たちの顔を覚えていた。

私たちがテーブルにつくと、そのアジュンマは、大きな扇風機をえっちらおっちらと持ってきて、テーブルの真横に置き、私たちに向かって、扇風機をまわしはじめた。

いや、正確に言えば「私たち」ではない。「私」に向かって、である。

「首振り」の設定にするわけでもなく、扇風機の風はほぼ正確に私の体を直撃していた。

今日はべつだん暑いわけでもないのに、なぜ扇風機を私の真横に置いたのだろう。風もおそらく「強」に設定してあり、むしろ寒いくらいである。

そこで、ハタと思い出す。

前回この店に来たときは暑い日だった。その時私は、大汗をかきながらこの辛い鶏料理を食べていたのだ!そしてアジュンマはこのことを、覚えていたのだろう。

だから今回、私だけに扇風機の風を直撃させたのである。

うーむ。私が大汗かきであることも、アジュンマが覚えていた、ということか。軽いショックを受ける。

かくして、行く店行く店で、店の人に顔と体質を覚えられてしまうのか。

さて、今日の夕食はどうしよう。

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瞼ピクピク

7月27日(月)

今日もあいかわらず6時間にわたって語学の授業を受ける。

しかも、先週は、セミナーのため、2日間授業を休んだため、その分も取り戻さなければならない。

そういえば、ここ1,2週間、下の瞼が、時々ピクピクと痙攣する。

「ストレスでしょう」と妻。

インターネットで調べてみると、下の瞼の痙攣の原因は、「睡眠不足」とか「疲労」とか、「目の酷使」などと書かれている。

さらに症状がひどくなると、目が開かなくなる場合がある、と書かれているものもある。

たしかに、「睡眠不足」や「目の酷使」は、最近の私によくあてはまる。

体が信号を発している、ということか。

この日記も、その原因のひとつかも知れない。

少し、休む時間を作らなければならない。

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連続学会

7月25日(土)

朝7時20分、大学に集合。

ふたたび、うちの大学の某先生の車で、2時間半かけて大田(テジョン)にある某大学に到着。

そこで、午前10時から、昨日とは別の学会の定期発表会が行われる。

といっても、昨日まで行われていた学会の夏季セミナーと、参加者が重なっている。

いつも思うのだが、韓国の研究者は、本当に学会好き、討論好きだなあ、と思う。学会が開かれる頻度は、日本の比ではない。

こんなハイペースで学会を行って、研究成果が枯渇しないのだろうか?

そんなことはともかく、私に対して参加するように、と念を押された理由がよくわかった。

いくつかの研究発表で、私の論文が取り上げられているのである。

好意的にとりあげてもらっているのもあれば、批判しているものもある。

司会の方から、コメントを求められたが、今回は通訳がいないので、研究発表を正確に理解したか心許ないし、韓国語でコメントを言わなければならない。

とにかく、しどろもどろでコメントする。

学会が終了したのが、午後6時半。そのあと、例によって場所を変えて懇親会。

午後8時過ぎに終わり、これでようやく帰れる、と思いきや、指導教授の先生から、「2次会に行くぞ」と誘われる。1人だけ帰るわけにも行かず、8名ほどのコアなメンバーで、焼酎とビールを飲む。

韓国の学界の第一線で活躍している人たちに囲まれた2次会は、緊張しつつも、話していて楽しい。学問的な議論はほとんどできないが、だからこそ楽しいのかも知れない。

気がつくと、午前0時になっていた。ようやく2次会が終わり、車で大邱に戻る。家に着いたのが、午前2時であった。

私も相当疲労したが、最も疲労されたのは、この3日間、車を運転し続けた先生だろう。指導教授は、車の運転をされないので、その下にいる先生が、足代わりになって車を運転しなければならない。指導教授が遅くまで飲むとなれば、それに従わなければならないのである。本当にお疲れさまでした。

7月26日(日)

午前、金曜日の学会のあとに行った益山(イクサン)に、今度は妻と2人で行く。大邱から、KTXを乗り継いで約3時間の道のりである。

なぜ、2日前に行ったばかりの小さな田舎町に、片道3時間もかけて再び行くことになったのか?理由があるのだが、説明したところで、たいしておもしろい理由ではないので、省略する。

見学後、夕方5時に益山を出発し、夜8時に家に着いた。

この4日間ほど、中身の濃かった時間はない。

明日からは、また語学の勉強に戻る。

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完徹学会

7月23日(木)、24日(金)

某学会の夏季セミナー合宿参加のため、公州に行く。うちの大学からは、2名の先生のほか、大学院生も10名程度参加する。朝10時に大学を出発し、車で3時間ほどかけて、目的地の宿泊施設に到着した。

ここで、1泊2日のセミナーが行われる。

日本で行われる、学会の夏季セミナーと同じようなものと考えてよい。私も経験があるが、日本の学会の夏季セミナーでは、1カ月くらい前から参加人数を確定したり、研究発表のレジュメを集めて印刷したりと、かなり周到に準備する。

だが、韓国の場合は不思議である。はたして、前もって参加人数を把握しているのだろうか?どうもその辺がよくわからないのである。

不思議といえば、研究発表の原稿も、私が日本語の原稿を、1週間前に提出したにもかかわらず、セミナー当日には、韓国語訳されて、しかもほかの研究発表の原稿と一緒に立派な冊子になっていた。日本では、まったく考えられない速さである。

それに、参加費用も異様に安い。1泊3食付で1人2万ウォン(2000円弱。学生は1万ウォン)とは、いったいどういうからくりなんだろう。

さまざまな謎を含みつつ、午後1時からセミナーが始まる。参加者は、100名ほどだったであろうか。

私も、最後から2番目に研究発表をした。

1時から始まった研究発表が終わったのが、午後10時。途中1時間の夕食休憩をはさんだので、8時間ぶっ通しで研究発表を行ったことになる。

そして夜10時から懇親会が始まる。

ふだんはなかなか話す機会のないうちの大学の大学院生のみなさんとお話しする。

私がはじめてタプサ(踏査)に参加したとき、指導教授の先生も一緒にノレバン(カラオケ)に行きましたよね。ああいうことは、よくあるんですか?」と質問すると、大学院生の方が答えた。

「いえ、あんなことははじめてです。だから、あの時は、ビックリしたんです」

あの時は指導教授の先生も、かなり楽しんでおられたので、てっきりいつものノリなのかと思っていた。

「なにより、あの場にいらっしゃったOBの先輩が、『指導教授と20年間ご一緒しているが、こんなことは初めてだ』とおっしゃっていたくらいだったですから」

たしかに考えてみれば、指導教授の先生は、昔ながらの大学者という風格のある方で、どちらかといえば、ぶっきらぼうな方である。学生とも、必要なこと以外はほとんど話をされない。

「今でこそ、お話しする機会が増えてきましたけれど、僕が学科に進学したころは、先生と直接お話しするなんて、考えられなかったんですよ」大学院生が続ける。

「僕が初めて学科のタプサに参加したとき、指導教授の先生とたまたま同じ車に乗ったんです。数時間、車に同乗して、先生とした会話は、『君、もう軍隊に行ったのか?』『はい』これだけですよ!」

なんとなくわかる気がする。

適切なたとえかどうかはわからないが、韓国の指導教授と学生との関係は、日本の落語界における師匠と弟子の関係によく似ている。

いろいろな方と話しているうちに、気がつくと午前2時になっていた。

いったん、食堂での懇親会はお開きとなったが、知り合いの先生が「外に飲みに行きましょう」と、私を外に連れ出した。

こんな人里離れたところに飲み屋なんかあるのか?と思ったが、文字通り外で飲むのだという。

宿所のとなりに小さなコンビニ(といっても、ふつうの雑貨屋だが)があり、その店の前に、まるいテーブルや椅子が置いてある。そこにコアなメンバー10数名が集まり、コンビニで買ったビールや焼酎を飲むことになった。

2次会は午前4時でお開きになり、ようやく眠れる、と思いきや、同部屋になった、日本から研究のための長期休暇で韓国にいらしている先生と、つい話し込んでしまい、気がつくと朝の7時に!

うゎ!もうこんな時間か、と、1時間ほど寝て、8時過ぎに起き、朝9時からの討論にどうにか寝坊せずに間に合った。

討論は3時間に及び、12時にようやく終わる。

昼食後、解散か、と思いきや、「このあと、有志で益山(イクサン)に行きましょう」という話が急遽持ち上がる。

益山は、公州から車で1時間ほどの小さな田舎町である。今回のセミナーとも関係深い場所なので、この機会にぜひ行こう、ということになったのである。

当然私も、車に便乗して、益山に行った。見学は思いのほか長びき、午後6時にようやく解散。そこから、うちの大学の先生の車に同乗して、3時間かけて、大邱に戻った。家に着いたのは午後9時過ぎであった。

ところが話はここで終わらない。

実はこの次の日(土曜日)も、別の学会が大田(テジョン)であることを、セミナーの時に知らされた。「絶対に参加してください」と、その学会の幹事の人に念を押されたのである。

そんな話、聞いてないよ!と言いたいところなのだが、私の指導教授も当然出席なさるし、自分だけ行かない、というわけにはいかない。

結局、翌日は朝7時20分に大学に集合して、ふたたび長い道のりをかけて学会に参加することになった。(つづく)

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7時間耐久授業

7月22日(水)

明日から2日間、学会の夏期合宿に参加するため、明日と明後日は語学の授業をお休みする。

ところが、明日は授業時間内にスギ(作文)の試験があり、受けることができない。

マラギ(会話表現)の先生に事情を説明したところ、「では前日の水曜日の、授業終了後に試験を振り替えましょう」ということになった。

1時から5時までは3級の通常の授業が行われているが、そのあと、さらに私だけ残って作文の試験を受けることになった。

そして、1時間の試験時間が終わったあと、6時から2時間、TOPIK(韓国語能力試験)の特講を受ける。

結局、1時から8時まで、7時間ぶっ通しで授業を受けたことになる。

しかも、今日の後半のマラギ(会話表現)の授業は、マラギの試験であった。

例によって、パートナーと2人で、与えられたテーマにしたがって3分程度の会話を作りあげていく、というもの

試験のお題は、以前に授業でやったところから出るので、ある程度予想することができる。

前日、試験に出そうなテーマについて、片っ端から会話の完全台本を作った。

そして当日の休み時間、その完全台本を見ながら試験準備をしていると、先生が近づいてきて、私の作った完全台本に気づいた。

先生はあきれたような顔で、「マラギの試験なんですから、(完全台本なんて書かずに)チングと会話の練習をしなきゃダメですよ!」とたしなめる。

正論である。だが、その肝心の、今回のパートナーであるチョン・ヤッポ君が欠席しているので、練習することもできない。

急遽、パンジャンニム(班長殿)ことクォ・チエンさんとペアになることになった。クォ・チエンさんは、リュ・リンチンさんともペアを組むので、2回試験を受けることになる。

そして試験開始。出されたテーマは、「修理センターの職員とお客さんの電話での会話」。

電気製品が壊れたので、客が修理センターに電話して、故障した内容の説明や、修理の依頼をする、という会話である。

パソコン、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、DVDプレーヤーの中から、壊れた電気製品をくじで決める。

私の組は5番目。くじを引くと、「テレビ」が出た。テレビの故障について、会話しなければならない。

最初の数分で、パートナーと小声で打ち合わせをする。「テレビ」のどこが壊れたとか、何時に修理に来てもらうとか、会話の組み立てを打ち合わせするのである。漫才でいうところの「ネタ合わせ」である。

「どこが壊れたことにする?」「画面が急に真っ黒になったとかは?」「いいね。それと、チャンネルが動かなくなったとか」「うん、その2つにしよう」といった感じである。

「ネタ合わせ」が終わると、いよいよ試験の開始である。先生やほかのチングが聞いている前で、「修理センターの職員と客の会話」を、作りあげてゆく。

私の組は、なんとか無事終わった。

さて、最後の組の時、事件が起こった。

クォ・チエンさんとリュ・リンチンさんのペア。引いたくじは「冷蔵庫」だった。

さっそく小声で2人の打ち合わせがはじまる。私は前の方の席だったので、彼女たちの小声の打ち合わせが、耳に入ってきた。

「どこが壊れたことにする?」「電気がつかなくなった、てのはどう?」「あと1つは?」「変な音が鳴る、にしよう」

いよいよ、会話の開始。

「こちらは○○修理センターです。どうしましたか」

「冷蔵庫が壊れたので電話しました」

「どうなさったのですか?」

「昨日までは大丈夫だったんですけど、今日になって故障したらしいんです」

「具体的には、どこがどう故障したんでしょうか」

「電気がつかなくなりました」

ブッ!

何だ?いまの音は?

どうも、居眠りしていた某君が、放屁したらしい。

居眠りしていて、お尻の穴がゆるんでいたのか?

みんながその音に気づき、いっせいに大爆笑する。

「いいから会話を続けなさい!」と先生。

2人は笑いをこらえながらも、会話を続ける。

「ほかに故障したところはありますか?」

「変な音が出るんです」

たしかにいま、変な音が出たよな。

だが、これはアドリブのセリフではない。彼女たちが「ネタ合わせ」で考えてきたセリフである。

そのセリフの絶妙のタイミングに、一同はまたもや爆笑。

爆笑のうちに試験が終了。

すべてが終わって、先生が聞いた。

「さっき、変な音を出した人がいましたねえ。誰が出したんですか?!」

するとみんなが答えた。

「冷蔵庫でーす!」

かくして、緊張感のないマラギの試験は、終了した。

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こわい話

7月21日(火)

夏といえば、怪談である。

「怪談こそは、話芸の真骨頂」と、あるラジオDJはいう。そのこわい話が本当に起こったことなのかどうかは、実は問題ではない。聞く者をこわがらせるために、いかにして表現を練り、話を組み立てるか、の方が大事なのである。

芸人や教師など、喋る仕事に就こうと考える人は、自分で怪談を作って、披露することをおすすめする。

さて、先日の韓国語のTOPIK(韓国語能力試験)の特講でも、先生の怪談話が披露された。

柳原可奈子に芸風と体型がそっくりのわが班の先生が、何のきっかけだったか、「これからこわい話をします」といって、教室の電気を消した。

「ある人が、とても安い部屋がある、というので、あるアパートに引っ越しをしました。ところが、毎晩、12時になると、ヒタ、ヒタ、ヒタ、と、外の廊下で足音が聞こえるんです」

学生たちが固唾をのんで聞き始めた。

「毎晩、同じ時間に、ヒタ、ヒタ、ヒタ、ヒタ…。おかしいな、と思って、大家さんにそのことを聞いてみたんです。『毎晩、12時になると外の廊下で足音が聞こえるんです』と。そしたら、大家さんが、『やっぱり』と言ったんです。『実は昔、ここで不幸な亡くなり方をした人がいて、毎晩12時になると、その霊がさまよっているのだ』って。そして『もし気になるようだったら、毎晩12時になる前に、ドアの外側にお札を貼りなさい』と、その大家さんは言いました」

「で、その人は、大家さんに言われたとおり、夜12時になる前に、お札をドアの外に貼ったんです」

「夜12時。ヒタ、ヒタ、ヒタ…。やはり足音が聞こえてきました」

「おかしいな、お札を貼ったはずなのに、と思っていると、その足音が小さくなっていきます。どうやら、階段を降りていったようなんです」

「ヒタ、ヒタ、ヒタ、ヒタ、ヒタ、ヒタ、ヒタ、ヒタ、ヒタ…

「よかった、やっぱりお札のおかげだ、もうこれで大丈夫だ、と思って、ドアの外のお札をはがした瞬間…」

トントントントントントントントントントン…て、ものすごい勢いで階段を駆け上る足音がしたんです!」

この瞬間、「ヒャーッ!」と、教室中に悲鳴が響き渡る。

ま、要は、最後に大声を出してビックリさせる、という、よくある手口なんだけどね。

先生の話術を十分に伝えられないのが残念だが、こんな古典的な怪談でも、けっこうみんなビックリしていた。なかでも感受性の強いポン・チョンチョンさんは、あまりの恐怖に涙を流してしまったのである。

やはり怪談とは、話術であることを実感する。

ところが妻によると、昨日の特講で、妻の班の先生が、何気にこわい話をした、というのである。

妻の班の先生は、わが班の先生とは対照的(失礼!)で、良家のお嬢様的な、美人の先生である。「ごきげんよろしゅう」といった挨拶が似合いそうな先生である。

いわゆるエリートでもあるため、若いながらも語学堂で然るべき地位にいる。

授業中、よく話が脱線するらしいのだが、テキストの文章で占いの話が出てきたとき、次のような話をしたという。

「占い、といえば、私の知り合いでこんな話があります。その知り合いは45歳くらいの男の人だったんですけど、ある時、突然、いなくなってしまったんですね。心当たりのあるところをさがしても全然見つからなかったんです」

「そこで、困ったおかあさんが、占い師のところに行って、その息子のことを占ったもらったそうなんです」

「すると、その占い師は、言いにくそうに『その方は、45歳以降の運勢がみえません』と言ったんです。そして、『水のあるところをさがしなさい』とも」

「そこで、占い師の言ったとおりに水のある場所を捜索しました。するとその人は水死体で発見されました」

…こわいこわいこわい。何というストレートなオチだ。

「45歳の男性」というのも、妙にリアリティがある。

ご本人は、こわい話のつもりで話したわけではない。「占いといえば…」というきっかけで話しはじめたものなのである。

だいたい、「占いといえば…」といって、まっさきにこんなこわい話を思い出すか?

しかし私には、同じ日にその先生が話したという次の話の方がこわかった。

「良薬は口に苦し」。だから、苦言を呈してくれる友人を大切にしましょう、という内容の文章がテキストにあった。

ここでまたその先生が脱線する。

「先生にも、私に向かってダメなところをはっきりと注意してくれる同僚の先生がいるんですよ。だから私も、その同僚をとても信頼しているんです」

「でもね、なかには、たとえば会議なんかで私の提案に対してニコニコしながら「いいですね」なんて同調しておきながら、裏でメチャクチャ批判する同僚もいるんですよ」

「その人は、私に会うと、私の前ではいつもニコニコしているのに、影では悪口を言っているそうなんです。私は知らないフリをしているんですけど、実はその人が影で何を言っているか、全部知っているんです」

ひぃ~!こわいこわいこわい。ある意味、この話が一番こわいじゃないか。

冷静になって考える。

どんな組織にも、派閥や対立がある。だから、こういう確執があるのは、当然といえば当然である。

私が以前からひそかに抱いていた妄想。つまり、一見平穏にみえるこの組織にも実は派閥があり、熾烈な抗争が繰り広げられているのではないか、というかねての妄想は、やはり現実だったのか?

無頓着な中国人留学生たちは、そんなことも知らずに、それぞれの先生の前で、無邪気に他の先生の話題を出したりする。

私は、その光景を見るたびに、ちょっとドキッとしてしまうのである。

ところで、その悪口を言っている先生って、誰なんだろう。

いかん。また悪い癖が出てしまってるぞ。

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折り返し地点

7月20日(月)

金曜日からの4連休があっという間に終わってしまう。全然休んだ気がしない。

午前中、部屋の掃除を簡単に済ませる。

私の唯一の運動靴が、このところの梅雨の大雨でもはや履けない状態になったため、市内に出て靴を買いに行く。ようやくまともに履ける靴が手に入った。

夕方4時、語学堂に行く。

以前、妻のクラスの先生が、語学堂にいる日本人の先生を紹介してくださった。こちらの大学で博士論文を書いて、現在、語学堂で日本語を教えておられるという。一度お目にかかっていろいろとお話をうかがいたいと思っていたのだが、私が5時まで授業があり、その先生が5時から授業がある、ということで、お会いするチャンスがなかった。今日、韓国語の授業が休講だったおかげで、ようやくお目にかかることができたのである。

韓国の語学教育の現状や、韓国での生活の話などを聞く。

なかでも印象的だったのは、韓国人とのつきあいに対するとまどいである。

日本人どうしの人づきあいの習慣とは異なっているため、日本の感覚でのぞむと、その違いにとまどい、ストレスがたまってしまうことがある。

「だから、最初のころは、韓国の人たちと一緒に行動することを、できるだけ避けていたんです」と先生。

なるほど。その気持ち、よくわかる。

「韓国語をマスターするためには、韓国人の友達をたくさん作りなさい。そして、一緒に食事をしたり、どこかへ出かけたりしなさい」と、よく言われる。

私も、何度となく、いろいろな方から言われてきた。

しかし、実際にそれを実行することは、なかなか難しい。思考や習慣の違いにとまどい、いろいろ面倒だな、と感じることが、しばしばあった。

だから、できれば避けたい、という気持ちに、ついなってしまうのである。

で、そういう自分を、責めてしまう。「自分は、こういう(人づきあいの悪い)性格だから、ダメなんじゃないか」と。

だがこれは、誰でもぶちあたる壁なのではないか。少なくとも悩んでいるのは自分だけではないのだ、ということを、先生のお話を聞いて気づいたのである。

私よりはるかに長いあいだ韓国で暮らし、すっかり慣れていらっしゃると思われる方でも、さまざまな悩みを少しずつ克服しながら、生活している。

あたりまえのことなのだが、そのことに気づいただけでも、大きな収穫であった。

気がつくと5時近くになっている。日本語の授業が始まる時間である。「またぜひお話を聞かせてください」と約束し、お別れした。

そういえば、私の留学生活も、すでに折り返し地点をすぎてしまった。

残りの時間で、何ができるだろうか。

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ワイントンネル

7月19日(日)

昨夜遅く、大学院生のウさんから、「明日の午前、映画を見に行きませんか。そのあと美味しいものでも食べに行きましょう」とメールが来た。

ウさんは、私が韓国に留学する際に大変お世話になった方である。日本に数年間留学していたので、日本語がペラペラである。

そして、私よりも年齢が少しばかり上で、いってみれば同世代のチング、というべきか。

お互い忙しく、ここのところ全然会っていなかった。

誘われた映画が、妻がすでに見た映画であり、その旨伝えると、「また明日連絡します」と返事。

しかし私はまだ見ていない映画だったので、私とウさんだけでその映画を見て、妻にはその間待ってもらってもいいや、と考えていた。

そして今日の午前、待ち合わせ場所に行くと、ウさん夫妻が、「映画をやめてどこかに行きましょう」とおっしゃる。

かくして予定変更。映画ではなく、大邱の南の清道(チョンド)というところまでドライブすることになった。

チョンドは、大邱から車で1時間弱ほどの、小さな田舎町である。

途中、大邱の郊外に「チンパン」の店が建ちならぶ場所を通る。「チンパン」とは、直訳すると「蒸しパン」のことだが、日本でいう「あんまん」のようなものである。

ウさんの奥さんが車を降りて、「チンパン」を買いに行った。

戻ってきて、「どうぞ食べてください」と渡されたチンパンは、日本のあんまんよりもはるかに大きい。

蒸したてでアツアツのチンパンを、1個半食べた。

あんまんはあまり食べない方だが、たしかに美味しい。

ふたたび車はチョンドに向かう。

お昼はチョンドで、美味しい焼き肉を食べる。

昼食後、「ワイントンネルに行きましょう」とウさん。

Photo_3 このチョンドは、柿の産地で、柿を使ったワインで有名だという。鉄道の廃トンネルを利用してワインを貯蔵する「ワイントンネル」があるというのだ。

トンネルに入ると、外の蒸し暑さがウソのように、涼しい。寒い、と言ってもいいくらいだ。

Photo_4 なかでは、柿ワインを試飲できるところもある。

高畠ワイナリーを思い出した。

雰囲気のよいワイントンネルを出たあと、ふたたび車に乗る。

「高畠に雰囲気がそっくりね」と、車窓を見ていた妻が言った。

たしかにそうだ。田園と果樹園と山の風景が、私の好きな高畠の風景にそっくりなのだ。ワイン工場があるところも、似ている。

大邱から車で1時間ほどの町、という距離感もいい。

来てよかった、と思った矢先、急激に眠気が襲ってきた。このところの疲れが出たのかも知れない。車中での言葉数も少なくなる。

やがて大邱の郊外の、午前中に立ち寄った「チンパン」の店のあたりまで戻ってきた。

「ちょっと待っててください」と、ふたたびウさんの奥さんが車を降りた。

チンパンを買って戻ってきて「はい、どうぞ」とふたたびチンパンをすすめられた。

そしてまた、大きなチンパンを1個半食べることになる。

チンパンがどんなに美味しいからといって、合計3個も食べると、さすがにちょっと勘弁してくれ、という感じになる。

少しお腹が重たくなり、さらに言葉数が少なくなってしまった。

ウさんはそのことを察したのか、早々に私の家の近くまで送ってくれ、午後4時ごろに解散した。

本当は、一緒に夕食も、と思っておられたのかも知れない。申し訳ないと思いつつも、ご夫妻とお別れして、家に戻り、爆睡した。

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タプサ・5回目

7月18日(土)

5回目のタプサ(踏査)である。

今日は、慶尚南道の金海をまわる。

このところ天候が不安定で、タプサがあるかどうかは当日ギリギリまでわからない、と、前日に幹事の大学院生の方に言われた。

当日の朝になってもなんの連絡も来ないので、「連絡がない、ということは、予定通りタプサを行う、ということなのか?」と不安に思いつつも、8時半にいつもの集合場所に行く。

すると、すでに多くの人が集まっていた。

16人が、4台の車に分乗して出発。

有名な遺跡公園や、博物館、古墳群などをまわる。

Photo すると、どこをまわっても、かならず見える山があった。山の上には、石垣のようなものがみえる。

「あれは、金海にある山城です」と、大学院生の方が教えてくれた。

「あそこに登ると、このあたりが一望できるんです。だから、昔から継続的に山城が作られてきたんです。今日は、たぶん時間がないんで、登りませんけど」

内心、ホッとする。このムシムシした天気であそこまで登るのかと思うと、ゾッとする。

さて、見学も終わりに近づいた夕方、指導教授の先生が、「さあ、あの山城に登ろう」とおっしゃった。

これには、大学院生のみなさんも、当惑したようだ。まさか、登るとは思わなかったのである。

しかし、先生のおっしゃることは絶対である。先生の決めたことに従わなければならない。

(結局、今回も登山か…)

と、観念しかけたが、幸いなことに、かなり近くまで車で上れることが判明した。車を降りて、ほぼ平坦な山道を10分ほど歩いて、石垣のある頂上に到着した。

Photo_2 天候が悪く、雲が垂れ込めているのが残念だったが、すばらしい眺めであった。

2 石垣も、かなりしっかりと復元されていて、圧巻である。

夕方ということもあり、風が涼しくて気持ちよい。

石垣の上に立って景色を眺めていると、いつもの「表採名人」(土器を表面採集する名人)の方が、「はい、見つけました」といって、私に土器の破片を見せに来られた。

Photo 「○○時代の土器ですね」と、表採名人。

いったいいつの間に見つけたんだ?こんな整備された石垣のなかで、よくぞ見つけたもんだ。

ここまでくるともはや超能力としかいいようがない。一度この方に、「未解決失踪事件」の捜査を依頼した方がいいぞ。

しばらく、心地よい風をあびたあと、山を下り、帰路につく。

心配していた雨はついに降らず、充実したタプサとなった。

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留学生模様

7月17日(金)

今日から月曜日まで、語学堂の授業がお休みである。4連休である。

懸案だった学会発表の原稿も、なんとかでっちあげて、つい先ほど、担当の先生に送信した。

つかの間の、解放感。

今日は少し、「こぼれ話(小ネタ)」をいくつか書いてみよう。

中国人留学生たちの行動や考え方は、見ていて本当に飽きない。そんな話をいくつか。

1.

私の隣の席に座っている、ある学生が、毎日のパダスギ(書き取り試験)で、私の答案をカンニングしている疑いがある、という話は前に書いた

昨日のパダスギ。例によって、隣の学生の視線を感じながら解答を終える。

採点されて、戻ってきた答案は、10点満点の9点だった。

そして隣の学生の戻ってきた答案をのぞくと、なんと10点満点をとっているではないか!

なんでまじめにとりくんだ私が9点で、私の答案をカンニングした(と思われる)学生が10点なんだ?

なんか腑に落ちない。

いや、その学生の実力でとった点数かも知れない、と、自分に言い聞かせた。

2.

日本語を勉強している、というワン・ウィンチョ君。大学入学が決まったようだ。

ヨジャ・チングのチャオ・ルーさんが通っている大学と同じ大学。

「学科はどこ?」と聞くと、「日本語学科です」と答えた。

ええぇぇ!わざわざ韓国に来てなんで日本語学科に行くんだ?

ワン・ウィンチョ君は、とてもまじめに韓国語を勉強している。成績もかなりよい。もっと上の大学をねらうこともできるのに。

はっきり言って、チャオ・ルーさんの通っている大学は、大学の規模も小さいし、それほど良い大学ではない。

「ヨジャ・チングのためです」と彼は言う。おそらく、ヨジャ・チングと同じ大学で、専攻を選ぶとすれば、日本語学科しかなかったのだろう。

せっかく韓国語をここまで勉強したのに、今度はいちから日本語を勉強するのか?

ヨジャ・チングのために、人生を棒にふるのか?君の実力なら、もっと高いところをねらえるんだぞ!

3,

チャン・チンさんは、どうやら私のファンのようである。

だが、彼女は私に「53歳ですか?」と質問したり、マラギの試験の練習に遅刻してきたりと、私の神経を逆なですることが多い。

さて、先日の料理教室でのことである。

料理が終わり、今度は礼儀作法を学ぶために、部屋を移動する。

「ハラボジ(おじいさん)」の家に挨拶に行く、という設定で、部屋の上座に料理が並べられた座卓が置かれている。その前に座布団が並べられていたので、私たちはその座布団に座って先生を待っていた。

例の先生が韓服を着て部屋に入ってこられた。

すると、先生は私を見つけ、あなた、ひとりだけ年をとっているんだから、前に座りなさい、と、料理が並べられている座卓のところに連れていかれた。

つまり、私は、ハラボジの役をやらされることになったのである。

中国人留学生たちからは、喝采の嵐。

そこから、次々とひどい目に遭うのだが…。それはまあよい。

私が上座に座ってしまったことで、写真が撮れなくなってしまった。そこで、近くにいたチャン・チンさんに私のカメラを渡して、「これで適当に撮ってくれ」とお願いしたのである。

チャン・チンさんは言われたとおりに、いろいろと写真を撮ってくれた。

15分くらいして、一段落して、カメラを返してもらったとき、チャン・チンさんが済まなそうな顔をして言った。

「すいません。カメラに入っているデータ、全部消しちゃったみたいです」

どういうことだ?

確かめてみると、チャン・チンさんが撮った分は残っている。だが、その前に私が料理教室で撮ったオモシロ写真は、全部消えてしまっている。

それに、チャン・チンさんが撮った写真は、(他人のことは言えないが)お世辞にも上手いものとはいえなかった。

ええぇぇぇ!どういうことだぁぁ!

せっかくの料理風景を撮ったものが、ぜんぶ消えてなくなってしまったのだ。

チャン・チンさんが済まなそうな顔をしているので、

「だ…、大丈夫だよ。心配しなさんな」

と言ってみたが、やはりこちらはショックである。

悪気がないのはわかっているが、どこまでも神経を逆なでする人だな、と思ってしまい、ますます溝が深まる。

それにしても、どこをどう操作して、自分が撮ったもの以外のデータを消去したのだろうか?間違った方向に器用な人だな。

4.

わが班における私の最大のライバルは、クォ・リウリンさんである。

大人びた、理知的な人で、韓国語の勉強も人一倍している。成績もかなりよい。

そのクォ・リウリンさんが、実は韓国人男性と結婚していた、という事実が発覚したのは、この学期がはじまって少したってからのことだった。

文法の授業中に、その事実が発覚する。

「みなさん。クォ・リウリンさんが結婚してた、てこと、知ってましたか?」先生が驚いた様子で学生に聞いた。

学生の多くは、知らなかった、と答えた。

「別に隠していたわけじゃありません」と彼女は言った。

しかし、いつもなら、みんなが真っ先にそのネタを授業中に持ち出したりするはずなのに、なぜか、クォ・リウリンさんの「結婚ネタ」は、授業でほとんど触れられることがない。

本人も、そのことをほとんど口にしない。

アンタッチャブルな話題なのか?

ある日、授業が終わって語学堂の建物を出ると、建物の前に黒塗りの車が止まっていた。車体も真っ黒。そして、窓も全面にスモークフィルムが貼られている。いわゆる「フルスモーク」というやつである。

するとその車に、クォ・リウリンさんが近づき、助手席のドアを開けて、車に乗った。

車はものすごい勢いで走って行く。

あぁ、クォ・リウリンさんのナムピョン(夫)の車か。クォ・リウリンさんを迎えに来たんだな。

それにしても、むちゃくちゃアヤシすぎる車だった。

そして先日。授業開始前に教室に入ると、クォ・リウリンさんが、韓国語で電話をしていた。

「宿題を家において来ちゃったから持ってきて。テーブルの上にあるはず。1時50分までに持ってきてね」と言っている。

ナムピョンに電話しているんだな、ということはすぐにわかった。

そして宿題を受けとり、無事提出したようである。

待てよ。この昼の日中に、家においてきた宿題を届けに来られる、ということは、ナムピョンは昼間は家にいるのだろうか?

うーむ。クォ・リウリンさんのナムピョン、て、どんな人なんだろう。

そして、どこで知り合って、どういういきさつで結婚したのだろう?

聞いてみたい気もするが、恐くて、ちょっと聞けそうにない。

ただひとつ言えるのは、彼女が韓国語の実力が高いのは、やはりナムピョンのおかげだろう、ということである。

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アイスアメリカーノ・妄想篇

韓国では「コーヒーショップ」という。日本でいう喫茶店。

語学の宿題や勉強を、家ではまったくはかどらないので、喫茶店に行ってやることが多い。

だいたい、夜の11時くらいまでねばることもある。

その時に注文するのは、決まって「アイスアメリカーノ」。日本でいうアイスコーヒーである。単に、考えるのが面倒くさいからそうしているだけで、とくにコーヒーにこだわりがある、というわけではない。

よく行く喫茶店は、おもに2箇所である。

ひとつは、家の近くにある「スリープレス・イン・シアトル」というチェーン店。チェーン店、といっても、店はそれほど広くなく、アジョッシ(おじさん)が、(たまにアルバイトを使いながらも)基本的にひとりで切り盛りしているので、さながら「街の喫茶店」といった趣である。

頻繁に通うので、店の主人にすっかり顔を覚えられたことは、前にも書いた。まあ小さい店だし、そんなところに日本人が来るなんてめずらしいから、当然といえば、当然だろう。

最近は、私が注文しようとすると、「アイスアメリカーノですね」と言ってくる。

そう言われてしまうと、私も気が弱いので、「いえ、キウイジュースを」とは言えなくなる。だから、アイスアメリカーノを飲み続けなければならない。

もう1箇所は、大学の北門の前にある「ダヴィンチ・コーヒー」という、韓国でも大手のチェーン店である。

こちらは、家から少し離れているので、1軒目の店ほど頻繁に通っているわけではない。ただここ最近、語学の勉強がせっぱ詰まってきたので、以前よりも少し利用頻度が高まっている。

こちらは、ビルの1階から3階までが客席である。大学の門の近くということもあって、大学生たちがひっきりなしに出入りしている。この店でも、注文するのは決まってアイスアメリカーノ。

昨日、この店で例によってアイスアメリカーノを注文しようとすると、レジに立っていた人が、

「アイスアメリカーノですね」

と言ってきた。

わぁ、完全に顔を覚えられてる…。

時間帯の関係なのか、私がレジで注文するときは、必ずといっていいほど同じ人が注文を受ける。どうもその人は、なんとなく雰囲気から、この店の若き店長のようである。

それにしても、毎日あれだけひっきりなしにお客さんが来ているのに、何で覚えられてしまうんだろう。

注文の仕方で、日本人だ、ということがわかったからだろうか。

(あいつ、またアイスアメリカーノを注文したよ)なんて、思っているのだろうか。

ここから私の妄想がはじまる。

たとえば、大邱で「大邱市喫茶店店長会議」、いわゆる「店長サミット」が開かれたとする。

そこで、「スリープレス・イン・シアトル」のオヤジと、「ダヴィンチ・コーヒー」の若き店長が顔を合わせる。

「最近、うちの店に、アイスアメリカーノばっかり注文する日本人が来てさあ」

「え?お宅のとこにも来ますか?うちのとこにも、アイスアメリカーノばっかり注文する日本人が来ますよ」

「じゃあ同じ日本人かなあ。ひょっとして、その人いつも大汗かいてない?」

「あ、かいてますかいてます。小太りで眼鏡かけて」

「そうそう!語学の勉強してるよね」

「何でアイスアメリカーノばっかり頼むんでしょうね」

「あいつ、どんだけアイスアメリカーノの虜なんだよ」

2人はハッハッハ、と笑う。

「え、なに笑ってんの?」と、そこへほかの店の店長が話に割り込む。

「アイスアメリカーノばっかり頼む汗かきの日本人がいてさ…」

「へえ。うちにも来るかも知れないね」

「もしそれらしい人が来たら、『アイスアメリカーノですね』って、言ってやったら?」

「そうしてみよう」

かくして、市内の喫茶店で、アイスアメリカーノを頼む日本人のうわさが広まり、私がどこに行っても「アイスアメリカーノですね」と言われるようになる…。

…という妄想にとらわれて、また汗をかいていると、

「何を考えているの?」と妻。

いまの話をすると、

「バッカじゃないの」と一蹴。

私はアイスアメリカーノを飲み干した。

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ああ、料理教室!

7月15日(水)

今学期の野外授業の日である。

通常の野外授業とは違い、今回は新たな趣向で、市内の料理教室で韓国料理を学ぶ、という試み。この時期の天気を考慮しての企画である。

ただし、語学堂の学生全員が一緒に、というわけにはいかないので、先週の金曜日から1週間かけて、2クラスずつくらいが1グループになって参加する。

料理教室の様子がどのようなものであるか、というのは、以前に書いた。その後に参加したグループからも、軒並み「面白くなかった」という情報を聞く。これだけ「面白くない」といわれると、逆に興味がわくものだ。

午後12時半、大学からバスに乗って、市内にある料理教室に到着。

イメージした料理教室とはちょっと違う。かなり古めかしい建物である。建物の中から、「おばちゃん」が出てきて私たちを迎えた。

あの方が料理教室の先生だな。

かなり古めかしい建物の、せまい階段を上った4階に、昔の中学校の「家庭科室」みたいな部屋があった。どうやらここで料理を作るらしい。中では、すでにこの料理教室の助手さんらしい人が何人かで材料の準備をしていた。

用意されたエプロンをつけて、持ってきた手ぬぐいを頭に巻いて準備していると、先ほどの先生がやって来た。

料理の先生は、なぜか頭に何も巻いていない。

あれほど口を酸っぱくして言っていたのは、何だったんだろう。

「みなさん、前に集まってきなさい」

前の壁には黒板。そしてその前には大きな教卓が置いてある。そこにはすでに、料理の材料が並べられていた。私たちは、その教卓の前に集まった。

黒板と教卓の間は、人ひとりが入る幅しかなく、えらく近接している。料理の先生は、その間にスッと入って、料理の説明をはじめた。

まず、キムパプ(のり巻き)の作り方。

ところがこの先生、料理とあまり関係ない話が多い。

「まずお鍋でご飯を炊きます」といって、ご飯と水を入れた鍋を火にかける。やがて沸騰してくると、鍋の蓋を開けて、

「ご飯の水蒸気はね、お肌にいいのよ」

といって、顔を鍋に近づけて、水蒸気を浴びた。

思わず、隣にいたワン・ウィンチョ君と顔を見合わせた。

さらに説明は続く。お話をはじめて、興奮してくると、後ろにある黒板に、チョークを使って、ケーシー高峰ばりの殴り書きの字で、なにやら書き始める。そしてそのあと、目の前にある材料をいじりはじめた。

ふたたび、ワン・ウィンチョ君と顔を見合わせる。「これが例のやつか…」

先生のされるお話の内容とは、たとえば、次のようなものである。

「いいですかみなさん。ここにタクアンがありますね。このタクアンは、ふつうに切れば100ウォンの価値にしかなりませんけど、見栄えよく切れば、1000ウォンにも1万ウォンにもなるんですよ」

といって、かなり危なっかしい包丁さばきでタクアンをウサギの形に切りはじめる。みんなが固唾をのんで見守っている。

「ほら、どうですか。きれいでしょう。これなら、1万ウォンだといって出せますよ。人間だって同じよ。みんな同じ人間だけど、一生懸命勉強したり努力したりすれば、何倍もの価値を生み出すのよ」

はじめてだな。人生をタクアンにたとえて説明されたのは。

それにしても、料理法とはまったく関係のない話だ。

それに、当然のことながら、ウサギの形のタクアンは使わず、ふつうに細長く切ったタクアンの方をキンパプに使うのである。

いったい、ウサギ形のタクアンには何の意味があったんだろう?

「さあ、次は、ご飯に食酢と砂糖を混ぜます」

かなり適当な量のご飯に、かなり適当な量の食酢と砂糖を混ぜて、手で混ぜはじめた。

指についたご飯をなめて味を確認しては、ふたたびその手でご飯をかき回す。

私はまたまたワン・ウィンチョ君と顔を見合わせる。

かき回す力がだんだん強くなり、ご飯が周囲に飛び散る。

うーむ。はっきり言って、かなり雑である。

「さあ、今度はカンピョウを煮ますよ」

カンピョウを鍋に入れて、テーブルの上のお椀に入っている得体の知れない液体を鍋の中に入れた。

「あれ、何でしょうね」隣のワン・ウィンチョ君が私に聞いた。

「ただの水じゃない?」

「いや、色がついてますよ。カンジャン(醤油)じゃないですか?」

「でも、さっき先生が飲んでたよ」

さっき、話に夢中になった先生が、お椀に入っているその液体を飲んだのを、私は見逃さなかったのである。

まさか、醤油を飲んだってことか?

ワン・ウィンチョ君が、近くにいた語学堂のオ先生(今回の我々のグループの引率担当の先生)に質問すると、「あれはだし汁ですよ」と小声で解説された。

しかし料理の先生からは、そんな肝心な説明をまったく受けていない。

やがて、鍋に醤油と砂糖を加えて、火にかけた。かなりの強火である。

ふたたび、料理と関係ない話が、延々と続く。

相当な時間がたったが、鍋のカンピョウは、強い火にかけられたままである。

(このままじゃ、絶対に焦げるぞ。大丈夫か?)

と思うのだが、先生はまったく意に介さず、話を続ける。

「さあ、ではいよいよ海苔にご飯と具を乗せて、巻いていきますよ」

すると、あらかじめ助手の方が細長く切っておいたと思われる、キュウリやカンピョウやカニかまや卵焼きを、海苔の上に延ばしたご飯の上に乗せていく。

(なんだ。結局、あの鍋のカンピョウは使わないのかよ)

まだ、カンピョウは火にかけられたままである。あのカンピョウは、どうなってしまうのだろう。

そして、海苔を巻いて、それを太巻きのように切って、キンパプ(のり巻き)が完成。

ここまでが、約1時間。1時間かかって、ようやくのり巻きが1本完成したのである。

「さあ、食べてみたい人いますか?」

なかなか手をあげる人はいなかった。

次はプルコギである。プルコギも、例によって材料や調味料の説明がほとんどないまま、関係のない話をしながら、作っていく。かなり適当に調味料を入れ、たれやネギを混ぜながら、例によって、ものすごい勢いで、牛肉を手で揉みはじめた。

そして、それをおもむろにフライパンで焼いた。

(あれ?たしか牛肉は、たれに30分以上つけないと美味しくならないって、語学の時間に教わったんだけどな)

セオリーもへったくれもありゃしない。

1時間以上かけた先生の説明もようやく終わった。

「さあ、今度はみなさんで作ってみてください」

3人ずつ1組になって料理をはじめる。私のグループは、ワン・ウィンチョ君とチ・ヂャオ君。

材料はすべて助手の方たちが切ってくれていて、私たちは、ただそれを巻いてキンパプを作ったり、焼いてプルコギを作ったりすればよいだけになっていた。

(なあんだ。じゃあさっきの、タクアンを切ったり、ご飯を鍋で炊いたり、カンピョウを煮たり、といった説明は何だったんだ?)

あっという間にキンパプとプルコギができあがった。

うーむ。達成感が全然ない。

そして、あっという間に食べ終わった。

「さあ、みなさんいいですか?今度は、韓国の礼儀作法を学ぶので、部屋を移動しまーす」

ここからが第2部。同じ先生による「礼儀作法講座」がはじまるのだが…。

このあとの出来事も、推して知るべし、であろう。

結局、1時間かかって、教わったのは、お辞儀のやり方だけだった。

あとは、延々と先生のありがたいお話を聞いた。

不思議だ。いつもの野外授業より、時間ははるかに短かったのに、それに、涼しい部屋の中にいたはずなのに、4時過ぎに大学に戻ったときには、いつも以上にグッタリしていた。

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カンニングはダメよ

7月14日(火)

中国人留学生たちの間では、カンニングに対するハードルが低い、ということは、ここで何度も書いてきた。

とくに、毎日授業の最初に行われるパダスギ(書き取り試験)は、かなりあからさまにカンニングが行われているようである。

「ようである」と書いたのは、私自身、パダスギの間は、解答用紙に向かって必死に書き取りをしている最中なので、周りの状況を見渡すことができないからである。

毎日行われるパダスギは、学期中に4回行われる「クイズ」や、2回行われる定期試験とは違って、席を離して座らせるなど、カンニング防止の対策が厳格にとられているわけではないので、どうしてもカンニングが横行してしまう。

ここ最近、私の隣に座っている、とある学生は、パダスギが始まる直前、自分が座っている机を私に近づけてくる。

午後1時の授業開始直前、教室に駆け込んで大汗をかいている私に近づくなんて、通常であればありえないことである。「そんなに暑いわけでもないのに、何でそんなに滝にうたれたような大汗をかいてるの?キモーイ」と思うのがふつうである。

先生が教室に入ってこられ、パダスギの試験が始まる。先生が読み上げる文章を、ハングルに起こしていく、という試験である。

先生の言葉を聞き漏らさずに書き取っていかなければならないのだから、周りなんかを見ている余裕はない。ひたすら解答用紙だけを見て書き続ける。

だがなぜか、横の方で視線を感じる。

じーっと、こちらを見ているような視線を感じるのである。ガン見、というやつである。

確かめることはできないのだが、視界の端には、眼鏡の柄の部分を指でつまみながら、じっくりこちらの書いているのを見ている姿がなんとなく見えるのである。

ま、こちらの思い過ごしかな。

だが、それは思い過ごしではなかった。

必死に書いていると、横の方から小声で、「その字、いりません、いりません」と聞こえてきた。

聞こえるがままに自分の書きとった文を見返すと、たしかに余計な字が1字混じっていた。あわててその文字を消す。

…ん?やっぱり見てたのかよ!

で、言われて書き直した私も同罪か?

その学生が、どうやら私の答案をガン見しているらしい、とわかったときから、なぜか私にはプレッシャーがかかった。

それは、満点を取らなければならない、というプレッシャーである。

カンニングした答案が間違いだった、なんてことになったら恥ずかしい。

だから、いつもより必死に勉強する。

おかげで、ここ最近のパダスギは、10点満点を連発している。

なんか、複雑な思いである。

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謎の料理教室

7月13日(月)

一昨日の3級6班親睦会で、ワン・ウィンチョ君が言った。

「韓国のしゃぶしゃぶより、中国のしゃぶしゃぶの方がずっと美味しいです。食べたことありますか?」

「いや、ないよ」

というか、しゃぶしゃぶはもともと日本の料理なんだけどな。

「じゃあ、こんどの月曜日、中国のしゃぶしゃぶの作り方を教えます」

そして今日。教室に行くと、ワン・ウィンチョ君が私のところにやって来た。

「これ、どうぞ。鍋にこれを入れて、肉と野菜を入れれば中国のしゃぶしゃぶになります」

どうもしゃぶしゃぶのスープの素のようなのだが、袋をみると「重慶火鍋」と書いてある。

そうか。中国式しゃぶしゃぶとは、激辛の火鍋のことか。

ありがたくいただく。今度家で作ってみよう。

さて、料理といえば、明後日(水曜日)に野外授業がある。今回は料理教室(韓国では料理学院という)に出かけて、料理の先生に教わりながら、みんなでプルコギを作るのだという。

これまでの野外授業は、文字通り外に出て遊ぶ遠足のようなものだったのだが、さすがにこの気候で野外に出たら、暑さで倒れる人が続出するだろう、ということで、屋内の料理教室で韓国料理の体験をすることになったらしい。

ただし、300人以上の学生がいっぺんに料理を作ることはできないので、今回の野外授業は、いくつかのグループに分け、日程を1日にせず、グループごとに別の日に行く、ということになった。

私としては、300人以上が一堂に会する野外授業が圧巻で好きだったのだが、今回ばかりは致し方ない。

数日前の授業のときに、先生がおっしゃった。

「必ず準備してほしいものがあります。頭に巻く手ぬぐいを必ず持ってきてください」

髪の毛が料理に落ちないように、頭に巻くためだという。

ずいぶん用心深い話だな。

4級にいる妻が、不審に思って、先生に聞いたそうだ。

「本当に必要なんですか?」

たしかに、そこまでする必要があるのか?とも思う。

「先生も本当に必要なのかな、と思って、料理教室の先生に聞いてみたんです。そしたら、『髪の毛が料理にはいるのは不潔だから、必ず用意するように』とのことでした。その先生は、テレビの料理番組にも出ている有名な先生らしくて、そういうところにかなり神経をとがらせてるみたいなのよね」と4級の先生はお答えになった。

へえ、そんなものなのかなあ。

そして今日。授業で野外授業の話題が出た。

そこで、驚くべき事実を知った。

先週の金曜日、1級の学生たちによる野外授業が、ひとあし早く行われたという。

「1級の人たちが、先週の金曜日、料理教室に行ったんですよ。誰か、その時の話を1級のチングから聞きましたかー?」と先生。

「はーい」と何人かが手をあげた。

「どうだった、て言ってましたか?」

「プルコギが不味かったって言ってました」「料理教室の先生が変だったって言ってました」と学生が答える。

どういうことだろう。

「先生も、その話聞きましたよ」と、先生はおもむろに話をはじめた。

「料理教室の先生が、黒板にチョークを使って料理法を書いて説明するんですよ。そしたら、そのチョークを持った手で、そのままプルコギの牛肉をたれにつけて揉んだりしたそうなんです!」

ちょっと待てよ。つまり、チョークの白い粉が手についたまま、お肉を揉んだ、ってことか?

「あと、黒板をふいたぞうきんでテーブルを拭いたりね」

どういうこっちゃ?

わが班の学生の何人かも、その話を聞いていたらしく、「オエーッ」みたいな感じになっている。

「だからみなさん。料理教室の先生が作った料理を食べてはダメよ。自分たちが作ったプルコギだけ食べなさいよー」

どんな料理教室やねん!

うーむ。それにしても不可解である。

髪の毛が落ちるのが不潔だから、絶対に頭に手ぬぐいを巻くように、と口うるさく言ってきた先生が、そんなやり方で料理を作っているとは…。

全然神経質じゃないじゃん!

果たして水曜日の野外授業はどうなるのか?わが班も、その先生に料理を習うのだろうか。

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3級6班親睦会

7月11日(土)

今日は、3級6班の親睦会である。

夕方6時、大学の北門に集合し、タクシーでしゃぶしゃぶ食べ放題の店に行く。

出席者は、ナム先生、パンジャンニム(班長殿)のクォ・チエンさん、日本語を勉強しているワン・ウィンチョ君お笑い担当のチ・ヂャオ君遊びとなるとテンションが高くなるチャン・チンさんまじめなリュ・リンチンさん、おとなしいピ・チョンカイ君とチョ・ヒャッポ君、2級4班以来のチングであるル・タオ君とそのヨジャ・チング(ガールフレンド)。そして私と妻。合計12人である。

隣に座ったル・タオ君と、いろいろと話をする。

この前の『後悔』の作文、とっても面白かったですよ」とル・タオ君。

「え?読んだの」と聞くと。

「ええ、授業中、みんなで推敲しているときにまわってきましたから」と、私が作文に書いたフレーズを口に出して、思い出し笑いしている。

そんなに面白かったのかな。たいしたこと書かなかったんだが。

私の正面に座っている妻が、隣に座っているル・タオ君のヨジャ・チングに話しかけた。

「西洋人みたいな顔立ちですね」

たしかに、ル・タオ君のヨジャ・チングは、目鼻立ちがはっきりしていて、美人である。

ル・タオ君も好青年だし、お似合いのカップルといえる。

いろいろ話を聞いてみると、ル・タオ君のヨジャ・チングは、料理ができないのに対し、ル・タオ君は料理が上手なので、もっぱら、ル・タオ君が作った料理を、ヨジャ・チングが食べるらしい。

中国では、男性がみんな料理をする、とよく聞くが、聞いてみると、ワン・ウィンチョ君やチ・ヂャオ君も料理が得意だという。

一度、彼らの作った料理を食べてみたいものだ。

さて、韓国のしゃぶしゃぶは、基本的に牛肉の薄切りを入れる点では日本と同じだが、スープが辛い点が、日本と異なる。あと、魚介類を入れることもある。

要するに、何でもアリの鍋である。

鍋に入れたワタリガニを食べながら、オレンジジュースを飲んでいると、ル・タオ君があわてて注意した。

「カニを食べながらジュースを飲んじゃダメです。魚とビタミンCを一緒に取ると、死ぬんですよ!」

え?という顔をすると、ル・タオ君のヨジャ・チングが補足説明する。

「そうなんです。中国では、何人もの人が死んでるんです」

ええぇぇ!そうなのか?初めて聞いたぞ。あわててジュースを飲むのをやめた。

でも、本当にそうなんだろうか、と、冷静になって考える。単なる食べ合わせの問題なのだろうか。中国でそういう事件が起こるのには、別の要因があるようにも思えるのだが…。

そんなことはともかく、食べ放題の制限時間、1時間40分が、あっという間に終了。タクシーで再び大学の近くに戻り、2次会はノレバン(カラオケ)である。

ここで、カラオケの苦手な妻は帰宅。そして、2次会からリ・プハイ君が合流する。

今回のノレバンでは、1つの野望があった。それは、韓国語の歌を歌う、という野望である。

実は数日前から、「I believe」という曲を練習していた。映画「猟奇的な彼女」の挿入歌である。

歌詞をノートに書いて、曲を何度も聞きながら、歌詞を目で追った。声に出して練習したことはないのが不安だが、まあなんとかなるだろう。

ノレバンに入るやいなや、さっそくワン・ウィンチョ君が曲を予約する。その1曲目が、なんと「I believe」だった。

それ、俺の曲だよ!と言わんばかりに、私もあわててマイクを握る。なにしろ、これを逃すと、韓国語で歌える歌がないのだから。

そして、ワン・ウィンチョ君と2人で歌い始めた。

ワン・ウィンチョ君がめちゃめちゃ上手い。ワン・ウィンチョ君に助けられて、なんとか歌いきる。

その後も、ワン・ウィンチョ君は、韓国語の歌を何曲か歌い続ける。

パンジャンニムのクォ・チエンさんも、韓国語の歌を何曲か歌う。だが、昨日の授業でとり決めた、「踊りを踊りながら歌う」という約束は、チ・ヂャオ君ともども、果たしてもらえなかった。

いつも思うのだが、彼らは韓国語の歌が本当に上手だ。若いから適応力が優れているのか、それとも単に私にその能力がないのか…。

私は、例によって「TSUNAMI」を歌ってお茶を濁す

やがて、彼らが歌える韓国語の歌が尽きると、今度は中国語の歌を歌い始める。どうも定番の歌ばかりのようで、彼らの盛り上がりようは半端ではない。

わからない曲ばかりだったのだが、途中、「后来(ホーライ)」という歌を聴いて、ハッとする。

kiroroの「未来へ」という曲のカバーである。

しかも、サビの部分の「ほら 足元を見てごらん」の「ほら」の部分が、「后来(ホーライ)」と歌っているのを聴いて、「なるほど、上手く考えるもんやなあ」と、感心してしまった。

そして最後に、彼らが全員で歌った歌も、聴いたことのある曲だった。

大事MANブラザーズバンドの「それが大事」だ!

日本語の歌詞を思い出そうとしたが、まったく思い出せなかったので、一緒に歌うことができなかったのが残念。

11時過ぎに、ようやく終了。

学生の立場でありながら、つい、いつもの癖で教員の立場を考えてしまうのだが、延々と知らない中国の歌を聴かされて、ひたすら盛り上げ役に徹していたナム先生には、本当に恐れ入る。だが、さすがにお疲れになったのか、「このあと、3次会でスルチプ(居酒屋)に行きましょう」と学生たちに誘われたが、「疲れたので帰るわ、また今度ね」と言って、お帰りになった。

私も疲れたので、3次会につきあわず帰った。

彼らは何時まで盛り上がったのだろう。

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騒がしい金曜日

7月10日(金)

わが班(3級6班)は、明日の土曜日の夕方、先生も交えての親睦会を行うことになった。

みんなで一緒に食事をして、そのあとノレバン(カラオケ)に行く、という会。

そのせいか、今日はなぜかみんなのテンションが高い。授業中も私語が多いので、先生も「なんで今日はこんなにうるさいの!」と、何度も注意する。

みんな、かなり楽しみにしているのだろう。

さて、今日は、韓国語で「なぞなぞ」を学ぶ。

「食べたくなくても、誰もが食べなければならないものはな~に?」

答えは「年齢」。

なるほど。韓国語でも、「年齢(とし)をくう」という言い方をするんだな。

「太れば太るほど、軽くなるものはな~に?」

答えは風船。

なぞなぞには、「言葉遊び(ダジャレ)系」と、「とんち系(?)」がある。

日本でいえば、

「パンはパンでも、食べられないパンはな~に?」が、ダジャレ系だし、

「上は大水、下は大火事、な~に?」が、とんち系である。

後半のマラギの授業では、先生がなぞなぞを用意して、くじ引きのように、1枚ずつ引かせる。学生は、自分が引いた紙に書かれたなぞなぞを読み上げて、ほかの学生たちが、そのなぞなぞに答える。

幼稚園か、小学校低学年の時にやった記憶があるような。

ところが先生が次のように言った。

「この中に、1枚だけ、『この紙を引いた人はこの場で歌を歌いなさい』と書かれた紙がありますよー」

この言葉を聞いて、学生たちは俄然盛り上がる。もはやなぞなぞとは何の関係もない。

なぞなぞよりも、誰がその紙を引くか、に関心が集中する。

私もドキドキしはじめる。冗談じゃあない。以前も歌わされたことがあったが、教室でアカペラなんて、二度と歌いたくないぞ。

幸い、私が引いたのは、「赤いポケットに黄金のお金が入っているものはな~に?」というなぞなぞで、答えは「とうがらし」。なんだかよくわからない。

私の次に引いたパンジャンニム(班長殿)ことクォ・チエンさんが、みごと「歌を歌いなさい」と書いた紙を引き当てた。

みんなの前で歌おうとするが、緊張のあまり、なかなか歌えない。

「先生、明日のモイム(親睦会)のノレバンで歌う、てことでいいですか?」

だが先生は容赦しない。

「ダメよ。いま歌いなさい。…それがイヤなら、そう、明日、踊りながら歌いなさい!」

結局、明日踊りながら歌うことで決着した。

なぞなぞくじ引きはまだ続く。ひととおりみんながくじを引いたあと、くじが数枚残ったのである。

「残ったくじを、じゃんけんで誰が引くかを決めましょう」と先生。

「先生、くじの中に、もう一度『歌を歌いなさい』」と書いた紙をまぜてください!」

とパンジャンニムが提案する。

「いいわよ」と、先生も「悪い顔」で、「歌」のくじをそこにまぜた。

こうなるともう、なぞなぞなんて関係ない。とにかく「歌」と書かれたくじを引かないことだけに神経を集中する。

幸い私はじゃんけんに勝った。

じゃんけんに負けた人たちが、ひとりひとりくじを引く。

結局、わが班のお笑い担当のチ・ヂャオ君が、最後の最後にみごと「歌」のくじを引き当てた。

「じゃあ、チ・ヂャオ君も、明日までに踊りを練習しておきなさいよー」と、先生は容赦しない。

「先生、最後になぞなぞです!」と、うちひしがれたチ・ヂャオ君が最後の力を振り絞って先生に反撃する。

「自分がやりたくないもので、他の人が喜ぶものはな~に?」

「何ですか?」と先生。

「答えは、『ノレ(歌)』です」

「それはなぞなぞとは言わないのよ。チ・ヂャオの気持ちでしょう!」

大騒ぎのうちに、本日の授業が終了した。

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後悔

7月9日(木)

スギ(作文)の授業。

昨日に宿題として提出した「後悔」というテーマの作文を、みんなで添削する、という授業。

今回は、学生ひとりの作文を全員が読んで、どこを直すかをみんなで考える、というもの。

白羽の矢が立ったのは、まじめで優秀なリュ・リウチンさん。全員に、リュ・リンチンさんの書いた作文のコピーが配られる。

内容はよく書かれているが、文法的な間違いや語彙の使い方の不適切なところが適度に含まれていて、読んでいる方も勉強になる。

内容は、というと、「小さい頃からバイオリンを習っていたが、中学校の頃から勉強のために、バイオリンをあきらめてしまったことを後悔している」というもの。

やはり留学するくらいだから家庭が相当裕福なのだろうな、ということがうかがえる文章である。それと、リュ・リンチンさんのまじめさもよくあらわれている。

そのあと、今度は、グループに分かれて、各人の書いたものを添削し合う。

他人の書いた作文を読むのは、たしかに面白い。他の人が「後悔」について、どんなことを考えているかがわかるし、アクロバティックな表現から言いたいことをくみ取る作業も、楽しい。

さて、「後悔」をテーマにした私の作文は、次の通りである。あいかわらず稚拙な文章である。チングに添削してもらったが、まだ間違っているところがあるかも知れない。

나의 후회

나는 후회를 많이 하는 편이다.지금까지 큰 후회부터 작은 후회까지 여러가지 후회가 있었다.후회가 많은 인생에서 가장 큰 후회는 외국어 학습에 대한 것 이다.

대학교에 다녔을 때 외국어 공부를 싫어했기 때문에 외국어 공부를 소흘히했다.그래서 영어나 독일어 의 성적이 항상 낮았다.외국어를 본격적으로 배울 생각도 못했다.그렇기 때문에 외국어를 공부하는 것이 필요 없는 일본역사를 전공하려고했다.

  하지만 일본역사를 연구하면 할수록 한국역사도 알아야 한다는 생각이 생겼다.그리고 한국역사를 공부하는 데에 한국어를 공부하는 것이 중요하다는 얘기를 들었다.그래서 이런 중년이 되버렸지만 한국에 유학하는 것을 결심했다.

이제 나이가 하도 많아서 아무리 열심히 공부해도 기억력이 없기 때문에 단어 외우기가 너무 힘들다.듣기도 빨리 이해할 수 없고 말하기도 잘 할 수 없다.대학생 이었을 때 유학할걸 그랬다.

하지만 외국어를 공부하는 것이 이렇게 재미있는 줄 몰랐다.한국어 공부가 끝난 후에 중국어 공부를 시작할까 말까 한다.      

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マコトか、ウソか。

7月8日(水)

語学の先生の話術には、いつも感心する。

外国人学生にもわかりやすい言葉を使って話してくれるので、多少早口でも、ほぼ完全に聞き取れる。誰でもできる、という技術ではない。

授業中に、さまざまなたとえを出して説明することがある。

たとえば、昨日の授業で、作文の宿題が出た。テーマは「私の後悔」。

「後悔したことなんて、ありませーん」と、中国人留学生たちが口をそろえて言う。

「そんなことないですよ。人生の中で、後悔したことのない人なんて、いないんですよ。人間は、ちょっとしたことでも、後悔するんです」と、ナム先生。

それでも、彼らは、何を書いていいかわからないようだ。先生がたとえを出して説明する。

「後悔したことなんて、いくらでもあるでしょう。たとえば、『友達』はどうですか?先生は、以前、とても仲のよい友達がいたんだけど、ある時、喧嘩をしてしまって、それ以来口をきかなくなってしまったの。その時から今まで、会っていないのよ。仲直りすればよかった、て後悔しているのよ」

学生はまだピンと来ない。先生は続ける。

「じゃあ『恋愛』はどうですか。先生は以前、好きだった男性がいたんだけど、告白できなかったのよ。あの時、告白すればよかったと後悔したのよ」

「それはいつのことですか?」

学生が興味を持ってその話をふくらませようとする。

「ずっと前。大学生の時よ」

ふーん。そんなことがあったのか。先生もいろんなことがあったんだな。

ところが、以前に妻から驚くべき話を聞いたことを思い出した。

妻の班(クラス)の先生から、衝撃的な話を聞いた、というのである。

それは、授業中に先生が話す経験談やたとえ話は、すべて教員会議で、「こういう話をしましょう」「こういうたとえ話をしましょう」と決められており、それを、授業で話している、というのである。

つまり、先生の体験として語られていることのすべてが、実は会議で作られた話であり、どのクラスでも、同じたとえ話や経験談が語られている、というのだ。

本当にそうだろうか。にわかには信じがたいが、あるていど虚構の体験が語られている、ということ自体は、事実だろう。

ナム先生の、親友と喧嘩したという話も、大学時代に告白できなかったという話も、虚構である可能性が高い。

語学の教室は、虚構の空間である。前にも書いたように、教室という狭い空間の中で、授業の間だけ、それぞれが自分の与えられた役割を演ずる。時にそれは、実生活の自分とは異なる役割を与えられることもある。

きわめて演劇的な空間なのである。

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本末転倒な日々

7月7日(火)

7月1日から、週3回、TOPIK(韓国語能力試験)の特講を受けることになったが、これが思いのほか大変である。

通常の授業が終わったあと、午後6時からの2時間、ぶっ通しで授業が行われる。

内容は、通常の授業にくらべ、はるかに難しい。今までならったことのない文法や、単語ばかりである。

それを、予備校の授業よろしく、次々と詰め込んでゆく。

特講のある日は、結局のところ6時間授業を受けることになるから、クタクタになる。それに加え、予習や復習、宿題が加わるから、1日10時間くらい、韓国語の勉強をしていることになる。

予備校に通っていた頃の浪人時代を思い出すなあ。

特講の内容があまりに難しいので、その復習に時間がとられると、今度は、通常の授業の勉強がおろそかになる。

とくにしわ寄せが来るのは、毎日行われるパダスギ(書き取り試験)である。

この2日間、満点が取れていない。

私の横に座っているパンジャンニムことクォ・チエンさんも、同じような事態に陥っている。

私と同様、特講の授業に出ているので、その復習に追われ、パダスギの勉強ができない、というのである。

「いままで満点をとれていたのに、特講のせいで、満点が取れなくなったんです」

私と同じ悩みを抱えているようだ。

まったく、本末転倒な話である。

うっかり特講に申し込んだばっかりに、毎日が大変なことになっている。

おかげで、今月後半の学会発表の原稿がまだ一文字も書けていない。

はたしてこの状況で、原稿は仕上がるのだろうか?

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あったまる

7月6日(月)

芸人用語で、「客があったまる」とは、「お客さんの緊張がほぐれ、笑う準備がととのってくる」というような意味である。開演当初に緊張していたお客さんが、芸人の「くすぐり」によって、次第に緊張がほぐれていく。

わが3級6班も、しだいに緊張がほぐれ、あったまってきた。

わが班のお笑い担当は、チ・ヂャオ君である。

痩せた好青年だが、どこか抜けている。

日頃から、自分にはヨジャ・チング(ガールフレンド)が8人いる、と言う。

「そんなにいたら、鉢合わせになるじゃない」と先生が言うと、

「大丈夫です。みんなそれぞれ全然違う場所にいますから。故郷と、故郷の横の町と、故郷の前の町と、故郷の後ろの町と…大邱と、ソウルと、釜山と…」

どこまで本当の話なのかよくわからない。それに、彼がヨジャ・チングといるところを、誰も見たことがない。

でもわが班では、プレイボーイというキャラクターで通っているのである。

彼が作る韓国語の文法を使った例文も、すべて「ヨジャ・チング」を絡ませてくる、という徹底ぷり。先生もそのことを知って、彼にヨジャ・チングの話題をふる。

こうして、わが班のひとりひとりのキャラクターが形作られ、そのキャラクターに合わせた役割を、各人が演ずるようになる。

かくして、わが班は「あったまっていく」のである。

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電子辞書

韓国に来て、電子辞書は手放せない。

ひとつ念願だったのは、韓国製の電子辞書を買うことだった。

むろん、日本から持ってきた日本製の電子辞書でも十分役に立つのだが、韓国語のステップアップのためには、韓国製の電子辞書を持つ必要があるのではないか、と例によっての思いこみである。

そう、私は「形から入る方の人」なのだ。

中間試験も終わったということで、日曜日(5日)に、市内の大型電気店に行って電子辞書を買うことにする。

妻にもつきあってもらったが、どうもあまり乗り気ではない。興味がない、というのである。

それに対して、私はなぜかテンションが上がる。大型電気店に行くと、テンションが上がるのはなぜだろう。

それに、電子辞書ごときで、なぜこんなにテンションが上がるのか?

そのルーツをたどっていくと、小学生の時に買った「電子ブロック」に思いあたる。小学生にとって、電子ブロックは、夢の玩具であった。ブロックを配列するだけで、ラジオになったり、ウソ発見器になったりするのである。

中学になって、ポケコン(ポケットコンピュータ)にも心躍らされた。結局、電卓ていどにしか使いこなせなかったが、持っているだけで、テンションが上がったのである。

そして、電子辞書である。結局のところ、子どものころから、この種の玩具が出るたびに、テンションが上がったのであり、つまりは、「電子ブロック」が「電子辞書」に変わったにすぎないのである。

昨日(5日)に買った韓国製の電子辞書は、日本で数年前に買った電子辞書とは異なり、MP3機能がついていたり、電子手帳の機能がついていたり、動画が見られたり、FMラジオが聴けたりと、かなりなマルチメディアである。

それだけで、当初はテンションが上がるのだが、あとで冷静に考えてみると、本当にこれらの機能を、自分が使いこなすことができるのか、はなはだ疑問である。

もともとが、機械に弱い私である。おそらく、ほとんど使いこなすことができないまま、結局、辞典機能だけを最小限に使うにとどまるのかも知れない。

あ~あ。また、同じことのくり返し。子どもの頃から変わっていない。

どの電子辞書を買おうかあれこれと悩み、買って家に持ち帰るまでが、いちばん幸せなときなのかも知れない。

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亀、走る

7月4日(土)夕方。

中間試験が終わったので、市内で映画を見ることにする。

Photo 「コブギ タルリンダ」というタイトル。日本語訳すると「亀、走る」。最近公開された映画である。

とある田舎の警察署の、情けない刑事(キム・ユンソク)が主人公である。この男、本当にどうしようもない男なのだが、ふとしたことから、ある人物を追うことになる。

うだつの上がらないダメ人間の刑事が、事件解決に奔走する、という図式は、ある意味、ベタな展開ではある。

だがこれは、良質なコメディ映画である。随所に笑いを誘う細かな描写がちりばめられており、それが、この映画の人気の秘密なのだろう。

役者じたいは、どちらかといえば地味な人たちばかりである。スターが出ているわけではない。

唯一、二枚目(と思われる)のは、「追われる者」を演じていたチョン・ギョンホくらいなものか。

女優では、ソン・ウソンが山本未來に似ていて、「ワケあり」な感じを醸し出していた。

主役のキム・ユンソクは、本当にうだつのあがらないオッサンを見事に演じている。

不思議なのは、こんなに地味な出演者ばかり(失礼!)の映画が、興行的に成功する、という事実である。たしかに面白い映画ではあるのだが。

私たちが見に行ったときも、小学校高学年くらいの子どもたちや、女子高生といった、若い(?)人たちがけっこう見に来ていた。

もちろん、コメディー映画として、彼らは十分楽しんだのだろう。

だがそれ以上に、小学生たちは、うだつのあがらないオッサンが頑張っている姿を見て、どう思ったのだろうか、ぜひ聞いてみたいところであった。

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中間考査(3級)

7月4日(土)

中間考査の日である。

昨日(3日)は、通常の授業に加え、夜8時までTOPIK(韓国語能力検定試験)のための特講を受けていたため、それだけで疲れ果て、試験勉強はほとんどしていない。

試験の時間割は次の通りである。

9:00~10:10 読解と作文

10:20~11:10 文法

11:20~11:50 リスニング

12:00 マラギ(スピーキング)

前学期と、ガラッと試験時間と方法が変わっている。

マラギと作文は、通常の授業時間中に試験を数回行うことにしたため、中間試験や期末試験での負担を軽くしたのだ、と先生は説明した。

「前学期までとくらべてどうですか?いいでしょう」

たしかに、前学期とくらべて試験の時間は短くなったといえる。だがその分、点数計算が複雑になったようである。

普通であれば、韓国における年度始めは3月なのだから、前学期から変更するのが自然のように思える。だがなぜ、今学期になって突然、このような変更が行われたのか?

どうも、今学期から、教務主任?というべき先生が替わったようなのである。それまで、語学堂を牛耳っていた(と思われる)先生がいなくなり、別の先生がその座につくことになった。

今回の一連の「改革」は、そのことと関係するのではないか。

ここから私は、語学堂における先生方の派閥や権力闘争、といった、根も葉もない妄想をひろげ、果ては、「脳内教授会(教員会議)」ともいえる、先生方の議論の様子や意志決定のプロセスを想像して、止まらなくなってしまった。

職業病、というやつかも知れない。まったく不健全な話である。そんなことを考えている学生なんて、いないだろうな。

さて、肝心の試験である。

3級の3クラスと、4級の2クラスが同じ教室で受験する。総勢60名くらいだろうか。同じ教室で別の級の学生が同時に受験するのは、例によってカンニング対策である。

時間が短くなったからといって、難易度が下がったわけでは決してなかった。むしろ、時間に比して分量が多くなり、時間が足りなくなる。

とくに1時間目の読解と作文の試験はそうであった。最後の作文の問題が終わらず、必死に書いていると、遠くの方で「時間です」という声が聞こえた気がした。

それでもかまわず書き続けていると、前の方からさらに大きな声が聞こえてきた。

「キョスニム(教授様)!鉛筆を置きなさい!0点になりますよ!両手を頭の上に乗せなさい!」

試験監督の先生が私に向かって注意した。この年齢になって「鉛筆を置きなさい」と注意されるとはね。しかも、「両手を頭の上に乗せろ」と、またもやFBIが犯人を追い詰めたときのようなセリフを言われている。

それにしても、はじめてお見かけする先生なのに、なぜ私のことを知っていたのだろう。

試験が終わった休み時間、私に声をかけてきた人がいた。

「あの、…日本の方ですか?」

その女性も、どうやら日本人のようだった。

「そうですけど」

「日本人のキョスニムがいる、て聞いたもので…。この語学堂、日本人が少ないですよね」

どうも、今学期からこの語学堂に入った人らしい。

先ほどの「キョスニム、鉛筆を置いて両手を頭の上に乗せなさい!」という先生の言葉を聞いて、この教室に日本のキョスニムがいる、ということがわかったのだろう。

なんとも恥ずかしい話である。

「たしかに少ないですね。でも、私の妻もいますし、ほかにも日本人の大学生がいたりしますよ」

「そうですか」

私に話しかけた人のほかにも、もう1人日本の人がいたようだった。

だが、それを聞いて、別にどうということはなかった。

日本人がいたからといって、別に安堵するわけでもなんでもない。いまの私は、同じ班のワン・ウィンチョ君やル・タオ君、それにパンジャンニムたちと話しているときの方が、ずっと安堵する。不思議なものである。

そして、最後のマラギの試験。

これも前学期までとやり方がガラッと変わった。先生と一対一で試験をする方式は変わらないのだが、今回から、文章の音読と、あるテーマについて「発表」する、という形式の問題に変わったのである。1人あたりの試験時間も10分から5分に短縮された。

まず、その場で見せられた文章を音読する。

そのあと、「健康的な生活をおくるにはどうしたらいいか」というテーマで、自分の考えを手短にまとめて口頭で発表する。

あいかわらず、緊張してうまくいかなかった。

すべて終わってから、先生がおっしゃる。

「文章を音読するときに、単語と単語の間で『アー』と言ってますね。あれはやめた方がいいです」

自分では気がつかなかったのだが、スラスラと文章が読めないため、読むのをつまった時に「アー」と言ってしまっていたらしい。先生はそれをダメ出しされたのである。

ふつう、試験の最中に先生は余計なアドバイスはしないものだが、ここでダメ出しをするとは、先生もよっぽどたまりかねたのだろうな。

例によって落ち込んで、語学堂の建物をあとにした。

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3級6班の人びと

7月2日(木)

ワン・ウィチョン君(ワン・ウィンチョ君ではない)が、久しぶりに授業にあらわれる。

3級を何度も経験している「ベテラン」で、もういいかげん大学入学を決めなければあとがないらしい。

授業開始直前、その彼が、手ぶらで教室に入ってきた。

教室の中にある、テレビの置いてあるところまで行き、(観音開きになっている)テレビ台の扉を開けて、テキストをとりだした。

自分のテキストを、家に持ち帰らず、教室のテレビ台の中に保管していたのである。

そういえば、高校時代、教科書を教室に起きっぱなしにしているやついたな。

「そんな人、うちの班にもたくさんいるよ」と妻。

今や教室のテレビ台は、テキストの保管場所となっているようだ。

そればかりではない。妻の班(クラス)では、授業の休み時間に、カップラーメンを作って食べる人がいるという。

1時間目の休み時間(10分間)に、カップラーメンを買いに行く。

2時間目の休み時間(10分間)に、今度はそのカップラーメンにお湯を入れる。

ところが、わずか10分ではカップラーメンを食べ切ることができない。

そこで、授業が始まると、その食べかけのカップラーメンをテレビ台の中にひとまず入れて、3時間の休み時間に取りだして再び残りを食べる、というのである。

そんなことをしたら、麺が完全に伸びちゃうじゃないか、と思ってしまうのだが、彼らはあまり気にしないらしい。

妻の班は午前中の授業なので、さしずめ「早弁」というやつだろう。私も高校時代に経験があるので、気持ちはよくわかる。

いまや学生にとってテレビ台の中は、便利な保管庫である。それを知った先生は学生たちに、「もっと大きいテレビ台を買いましょうか?」と、苦笑しつつ冗談を言ったという。

さて、後半の授業。

2回目のスギ(作文)の試験。例によって、まずグループに分かれて、与えられたテーマについて、話し合いを行う

今回の作文のテーマは、「友達と一緒にルームシェアすること」についてである。

ルームシェアの、良い点と悪い点をあげて、それを書き出してゆく。

リュ・ジュインティンさんは、とてもまじめだが、ちょっとどこかがズレている。

そこがなかなか面白くて、つい観察してしまうのだが、今回は同じグループになった。

ルームシェアの悪い点、について、リュ・ジュインティンさんが提案する。

「部屋のお金を、みんなで分けて支払うことです」という。

「え、それって、良い点じゃないの?」私はビックリして聞いた。

部屋代や公共料金を折半するのだから、ひとりで暮らすよりはお金がかからないことになる。というか、ルームシェアの一番のよさって、そこなんじゃないの?と思ったのである。

「でも、不公平になるじゃないですか」と、リュ・ジュインティンさんが、大まじめに反論する。

「たとえば、全部で部屋代と公共料金が1カ月30万ウォンかかったとしますよね。それを、一緒に住んでいる4人で分けて、1人10万ウォンずつ払うとすると、1人払わなくて済む人が出てくるじゃないですか。だから、どうしても不公平になってしまうんです」

??????

よくわからない理屈だ。

そんなもん、公平に負担する方法なんて、いくらでもあるだろ!と思ってしまうのだが、なんと返答してよいかわからない。

すると、隣で聞いていたリン・チアン君が反論する。

「ボクも友達と住んでますけど、みんな同じ額を集めて支払いをして、余った分は、次にまわしたり、一緒に食事するときに使ったりしていますよ」

そうそう、そういうことだよ。

リュ・ジュインティンさんは、まだ納得しない様子で、首をかしげている。

リュ・ジュインティンさんは、とんでもない理屈を駆使して、「ルームシェアの悪い点は、友達と一緒に部屋代を負担することです」と、作文に書いてしまうんだろうか。

うーむ。グループ学習って、本当に難しい。

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特講、開始。

7月1日(水)

9月半ばに、韓国語能力試験(TOPIK)が行われる。

今学期から、その特別講座が、通常の授業とは別に、開かれるという。

7月1日から8月7日までの週3回、2時間の授業を、夜間(夜6時~8時)に行う。

受講料もそれほど高くないので、通常の授業の補講のつもりで、この機会に、妻と申し込むことにした。

今日はその初日である。

5時に通常の授業が終わり、6時に、再び語学堂の教室に向かう。

開講されるのは、中級クラスで、人数の関係から、2クラスに分かれる。

私と妻は、同じクラスだった。

教室に入ると、2級の時に同じ班だった、ル・ルさんやホ・ヤオロン君がいた。

だが、妻と同じクラス、というのは、どうしてもイヤである。妻も、同じ意見である。

そこで、教室に入ってきた先生に、「別のクラスにしてください」と、お願いする。

先生は、私たちのわがままなお願いをやや困ったように聞きながら、「もう一つのクラスの先生と相談してみます」と、教室を出ていかれた。

しばらくして戻ってくると、先生はおっしゃった。

「こちらのクラスは、中国とか、モンゴルとか、ロシアとか、日本とか、いろいろな国の人が集まってますけど、隣のクラスは、中国人留学生だけですよ。もしそれでもかまわなければ、移ってもかまいませんよ」

たしかに、このクラスは多国籍である。それに、妻のほかにも、もう1人、日本人学生がいる。

だが私はむしろ、ほかの日本人がいることに、なんとなく居心地の悪さを感じた。

「それでもかまいません」

と答えて、カバンを持って教室を出た。

「アンニョンハセヨ」

と言って、隣の教室に入る。

すると、なじみの顔が多くて、なぜか安心する。

3級6班のパンジャンニムことクォ・チエンさん、しっかりもので大人びているクォ・リウリンさん、まじめなリュ・リウチンさん。

2級4班の時の、ポン・チョンチョンさん、チエさん、リ・ペイシャン君、そして、ル・ルさんのナムジャチング(ボーイフレンド)のタン・シャオエイ君

みんなが、あたたかく迎えてくれたように思えた。

教室に入るなり、「ちょい悪オヤジ予備軍」ことタン・シャオエイ君が、「ヨギ、アンジュセヨ(ここに座ってください)」と、自分の隣の席を指さした。

どちらかと言えば、苦手なタイプで、なんとなく話しづらいやつなのだが、断り切れず、隣に座ることにする。

先生は、柳原可奈子に芸風と体型がそっくりのアン先生。はじめて習う先生である。先生が、みんなに私について質問する。

「みなさーん。キョスニムのこと、知ってますかー?」

「はーい」

教室にいた15人ほどの学生のほとんどが手をあげた。同じクラスになったことのない学生もいるにもかかわらず、である。

「あら、私よりも有名なんですね」と、アン先生。

いまや私は語学堂で、先生以上の有名人らしい。

だから、中国人留学生ばかりのクラスでも居心地がよいのだ。

クラスを替えてもらってよかった、と安堵する。

さて、授業が始まる。

アン先生の、柳原可奈子ばりの表情豊かな授業に笑いつつも、内容自体はかなりむずかしい。

学生も、ステップアップを目指そうとしている人たちばかりなので、みなまじめである。

2級の時には、先生を困らせてばかりいたタン・シャオエイ君も、隣の席でまじめに授業を聞いている。

まじめなル・ルさんとつきあうようになって、心を入れ替えたのだろうか。

彼らの成長する姿を見るのも、また楽し。

午後8時。2時間ぶっ通しの授業が終わり、さすがに疲れた。これから約1カ月、月・水・金には、通常の4時間の授業に加え、2時間の特講を受けることになる。

はたして、体力と精神力がもつだろうか。

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傘がない

6月30日(火)

お昼ごろから、雨が降り出す。

語学堂で午前中の授業に出ていた妻は、傘を持っていくのを忘れたらしい。

私は、午前中の授業が終わるのと入れ替わりに、午後の授業を受けることになっている。

午後1時前、語学堂の建物の中で、自分がさしてきた傘を妻に貸し、私の授業が終わる5時に、再び傘を持って語学堂に迎えに来てもらうように頼んだ。

さて、授業が終わったのが午後4時50分。

外はまだ雨が降っている。

語学堂の建物の1階に降りて、玄関のところで少し待っていたが、妻はまだ来ていないようだ。

(これくらいの雨なら、傘がなくても帰れるかな…)

そう思って、建物を出て歩き出そうとすると、後ろから声が聞こえた。

「これ、使ってください」

振り返ると、わが班(3級6班)のスン・リジエさんが、自分の傘をさして立っていた。

「これ、どうぞ」

自分の傘を、貸してくれる、ということらしい。

「大丈夫だよ」と言ったのだが、あまりに突然のことだったので、その先の言葉が出てこない。

「ダメですよ。これ、使ってください。私は大丈夫ですから」

「でも…」

やはり言葉が出てこない。

「明日返してもらえればいいです。じゃあ」

と言うと、私に傘を強引に渡して、スン・リジエさんは雨の中を走っていった。

「……」

ありがとう、という言葉もついぞ出てこなかった。

班(クラス)で、ほとんど話をしたことのないスン・リジエさんが傘を貸してくれた。

雨が降っているのに傘がないため、学校の玄関で雨宿りしていると、クラスの女の子が傘を貸してくれる。

まるで映画の1シーンではないか。

クォン・サンウ主演の映画「マルチュク青春通り」で、ある女子校の高校生(ハン・ガイン)に思いを寄せていた男子校の高校生(クォン・サンウ)が、ある雨の日、下校しようにも傘がないために学校の玄関で雨宿りしていた彼女(ハン・ガイン)に、そっと傘を差し出す、という場面がある。私がこの映画で最も好きなシーンである。

雨の日の傘は、思春期の重要なアイテムなのだ。

自分のこれまでの実生活を振り返ってみても、こんなシーンに出くわしたことはない。

こんな、映画みたいなことがあるんだな。

もしこれが20年前だったら、スン・リジエさんと間違いなく恋に落ちていただろうな。

だが、実際には絶対にありえないことなのでご心配なく。

スン・リジエさんが雨の中を走り出した先には、ナムジャ・チング(ボーイフレンド)がいた。

スン・リジエさんは、自分の傘がなくとも、ナムジャ・チングと相合い傘で、帰ることができたのである。

むしろ、それを望んでいたのかも知れない。だから私に傘を貸してくれたのだろう。

理由はどうであれ、スン・リジエさんの人間的な優しさに敬意を表した。

傘をさして歩き始めると、道の反対側から、妻が傘を持って歩いてきた。

「どうしたの?その傘」

妻が笑いながら聞く。

あらためて傘を見てみると、星の模様がちりばめられ、傘布の縁は、かわいらしいフリルで囲まれていた。

私にはおよそ似つかわしくない傘であった。

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