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幸せって何だっけ?

7月28日(火)

語学の授業の休み時間。

文法の先生が、ワン・ウィンチョ君に聞いている。

「大学の方はどうなったの?○○大学に受かったんでしょう。」

「まだどうするか決めてません」

「○○大学」とは、彼のヨジャ・チングことチャオ・ルーさんが通っている大学である。彼も、ヨジャ・チングのあとを追って、同じ大学に合格したのである。

「○○大学なんか行ったらダメよ」と、先生が強い調子で言う。

「あなただったら、もっといい大学に入れるじゃないの。第一、○○大学っていったって、実際は2年間だけの専門学校じゃないの。先生だって、地元にいて、その大学の名前をはじめて聞いたくらいなんだから」

「○○大学」が、相当「アレ」な感じの大学だ、ということは、容易に想像がつく。たしかに、彼の実力では、あまりにももったいない。

彼よりも不真面目で成績が悪い学生が、何人も有名国立大学に合格している。それを考えれば、彼は、十分に「いい大学」をねらえる位置にいるのである。

「でも、ヨジャ・チングのためなんです」と彼は答える。「それに、早く中国にも帰りたいし」

先生がさらに強い調子で説得する。

「これはあなたの人生なのよ。ヨジャ・チングの方が大事なの?…じゃあ、もしあなたが同じ大学に入学したとして、もしそのあと、そのヨジャ・チングと別れてしまったら、一体どうするつもりなの?」

「でも、僕は彼女と結婚するつもりなんです」ふだんは元気なはずのワン・ウィンチョ君が、力なげに答えた。

彼のなかでも、いろいろと葛藤があるのだろう。

このやりとりを聞いて、高校時代の友人のことを思い出した。

高校3年の、暮れも押し迫った時期のことだったか、同じクラスの仲のよい友人が、突然「俺、獣医大学を目指す」と私に言ってきた。

寝耳に水の話である。それまで、彼が獣医になりたい、などという話は、聞いたことがなかったからである。しかも、願書を出す時期になって、急に進路を変更したのである。

詳しい事情を聞いてみると、その友人にどうやら彼女ができたらしく、その彼女が、獣医大学を目指す、と言ったらしい。それで、彼女と同じ獣医大学に入学したい、と思ったそうなのである。

彼の実力からすれば、一般の有名大学に十分入学できたはずなのだが、彼は「彼女」のためにあっさりと進路変更してしまった。

そして、彼は現役でその獣医大学に合格した。しかし、彼女は落ちた。

そこから、2人のすれ違いがはじまる。2人は1年もたたないうちに別れてしまった。その彼女も、結局は獣医大学に進まなかったようである。

「彼女」に翻弄された友人。

だが、彼の名誉のために言っておくと、その後、彼は然るべきところに就職して、現在は幸せな家庭を築いている。

だから、人生、何が幸せなのかわからない。ワン・ウィンチョ君にとって、「いい大学」に入ることが幸せなのか?それとも、ヨジャ・チングに翻弄され、流れのままに生きることが幸せなのか?

語学の先生や、私のような人間にとってみれば、「いい大学」に入学することが大事だ、と思う。だが、彼ら(中国人留学生たち)が、必ずしもそう思っているとは限らない。

そもそも、彼らは、本当に韓国で勉強したい、と思って来たのだろうか。もちろん、そう思っている学生もいるある程度はいるが、おそらく多くの学生は、さまざまな事情(主には、家庭の事情)によって韓国に「留学させられた」人たちである。

よくある話としては、会社の社長とか、裕福な家の親が、「ハク」をつけさせるために、わが子を留学させる、というパターンである。この場合、留学した、という事実が重要なのであって、どこの大学に入ったとか、卒業したとか、といったことはあまり関係がない。

親にとっては、わが子が留学している、というアリバイさえあればよく、それに対して子は、留学の期間をいかに「やり過ごす」かを考えさえすればよい。

彼らのなかには、有名大学に合格したのにもかかわらず、それをあっさりと放棄して、2年間の専門学校に通うことを選択する者もいる。理由は、「早く中国に帰りたい」から。

まったく理解に苦しむというほかないのだが、彼らにとって大事なことは留学の事実であり、あとはそれをいかに「やり過ごす」か、だけを考えているのだ、と思えば、この信じがたい判断も、説明がつく。

留学するからには、「いい大学」を目指すはずだ、というのは、あくまでも語学の先生や私などの価値観であり、彼らにとっては、そんな価値観はほとんど意味をなさないのかも知れない。

そして、そういう学生たちに、献身的に語学教育をする先生をみると、何か複雑な思いにとらわれる。

いまは奇跡的に成立している両者(先生と留学生)の関係が、いつか破綻をきたす日が来るのではないか、と。

人間の幸せとは、何だろう?

今日の後半の授業は、ちょうどそんなことがテーマだった。

「みなさーん。みなさんが考える幸福の条件とは何ですかー?」

マラギの先生がみんなに質問する。

そして中国人留学生の多くが「お金でーす」と答える。

不思議である。実に不思議である。

社会主義の国で育ったはずの彼らが、「幸福の条件は、お金をたくさん所有することである」と考えているのだから。これは完全に資本主義の考え方ではないか。

「お金もたしかに大事かも知れませんけど、大事なのは、よい人間に恵まれるとか、健康であるとか、心が豊かであるとか、そういうことですよ」と先生。

「でも先生、お金がなければ、私は先生とも出会えなかったんですよ」と、減らず口のチャン・チンさんが反論する。

「じゃあ、どうして高いお金を払っているのに、授業を休んだりするの?せっかく高いお金を払っているんだから、授業を休まずに出てきたらいいじゃないの」と先生の反論。

この反論に、彼らは返す言葉がない。

「お金があるから留学ができるのだ。(だからお金は大事なのだ)」という彼ら(留学生たち)の主張。一方で、「お金を払った分だけ授業を熱心に受ける権利がある」という発想の欠如。どうもこのあたりに、不可解な「彼らたち」を読み解く鍵が潜んでいるように思える。

私は、「彼ら」を理解できるだろうか?

もう一度聞きます。幸せって何ですか?

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