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2009年8月

肩すかしの新学期

8月31日(月)

いよいよ新学期である。

4学期めとなる今日からは、4級3班で勉強することになった。いよいよ、私にとって最終学期である。

今学期は、これまでとは違い、午前中(午前9時~午後1時まで)の授業となった。生活のリズムが今までとは少し違って、体が慣れるだろうか。朝、遅れないように教室に到着した。

4級では、授業の最初に「単語テスト」なるものがあるという。3級までにはなかったテストである。

昨日、テキストに出てくる単語を少し勉強して、緊張しつつ授業が始まるのを待った。

ところが、先生が入ってくるなりおっしゃった言葉は、意外なものだった。

「今日は授業がありません」

ええ!どういうこっちゃ?

ひとりひとりに1枚の紙が配られた。それをみると、どうも「新種プル」(韓国では、新種のインフルエンザのことをこういう)の影響で、開講日を1週間延期することになったらしい。

国家疾病管理本部からのお達しで、韓国に入国した学生は、最低7日間自宅にとどまって、(新種プルにかかっていないかどうかを)観察するよう、協力してほしいとのこと。わが語学堂の学生たちは、開講日の直前に故郷の中国から戻った学生が多いので、この条件にあてはまる人が多いというわけである。それでこの通知にしたがって、1週間、授業を開講しないことに決めたのだそうである。

結局、10分程度で説明が終わり、教室を追い出された。

そういえば、今日は大学の新学期でもある。朝、大学構内を歩いていると、通学バスから降りてきた学生ひとりひとりに、白衣を着た人が何か検査のようなことをしていたな。

今学期はいったいどうなるのか、1週間の開講延期ぐらいですむのかどうか、まともに授業を受けることができるのか、など、やや心配である。

さて、不意に空いてしまった1週間をどう過ごそうか。

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パンハク最終日の贈り物

8月30日(日)

パンハク(休暇)最終日。

韓国に来ている同僚とお会いして、昼食をご一緒する。

日本から、おみやげを持ってきていただいた。日本にいる同僚と相談して、選んできたというもの。

ひとつは、「首もとひんやりベルト」。

ジェル状のものを冷凍庫で冷やして、それをタオル地のカバーに入れて、首に巻く、というもの。

同僚の間でも、私の汗かきは有名である。

まったくビックリしたのだが、前日の南山登山のとき、私のあまりの汗の量を見かねた妻が、「首に冷水を入れたチューブみたいなものを巻けるようなものがあればいいのに。外側をタオル地にすれば、汗も吸い取れるだろうに」と言って、私も「それを発明したらけっこう売れるだろうな」などと話していたところだった。まさか、そんな夢のような商品がすでに存在していたとは!

もう一つは、「ソーラーキャップ」。

野球帽のようなキャップのてっぺんに長方形の板状の太陽電池が付いていて、キャップのつばの内側には、なんと小さな扇風機が付いているではないか。

この帽子をかぶって炎天下に出ると、キャップのてっぺんに付いている太陽電池に電気がたまり、つばに付いている扇風機が回り出す、という仕掛けである。小さな扇風機の風がおでこに当たり、涼しくなる、というわけである。

しかも、日差しが強ければ強いほど、扇風機が勢いよくまわる、という仕組みである。

なんというすばらしい発明!そしてバカバカしい発想!

かぶってみると、かなり間抜けである。これには思わず大爆笑した。

私の体質を熟知した同僚の方々のお気遣いに、感謝。

ただ、あと2日ほど早く頂戴していれば、あの過酷な南山登山のときに、威力を発揮しただろう。むしろ一番大事なときに、使えなかったのがちょっと残念。

でもこんどの週末もタプサがある。指導教授の前でこのキャップをかぶれるかどうかが、悩みどころである。

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慶州南山・2日間完全制覇 ~高所恐怖症と汗と扁平足~

「南山を見ずして慶州を語るなかれ」

という言葉があるのかどうかはわからないが、慶州の南に位置する南山(ナムサン)は、韓国屈指の石仏群が点在する、仏教美術の宝庫である。古都・新羅の時代から、多くの人びとの信仰を集めてきた。

しかしながら、いままでなかなか訪れる機会がなかった。

日本の友人が、以前から念願だった南山の登山をしに慶州に来る、というので、私たち夫婦も南山登山にご一緒させてもらうことにした。

主要な石仏を見てまわるのに、2日は必要だろうという。8月28日、29日の2日間、万全の態勢でのぞむ。

地図を見ると、最も高いところでも標高は400メートルくらいである。高尾山くらいの感じかなあ、と高をくくっていたが、とんでもない話だった。

Photo 石仏が広い南山一体に点在しているため、起伏の多い岩場の道を歩き続けなければならない。しかも、磨崖仏が絶壁に描かれていることが多く、ところどころ、細い岩場を、足をすべらさないように注意しながら、ソローリソローリと歩く。

Photo_2 見よ、この絶壁に描かれた石仏を。

苦労してたどり着いた甲斐もあって、絶景といえる眺めなのだが、高所恐怖症の人は、まずたどり着くことはできないだろう。かくいう私も、若干の高所恐怖症持ちなので、絶壁の恐怖が今でもよみがえってくる。

Photo_3 別の場所にある石塔もまた、断崖の先端に立っていた。

石塔が立っている崖の下には、仏像があるというので、さらに崖の下に降りて仏像を見る。

ロッククライミングよろしく、岩をよじ登ってもとの場所に戻る。

南山は私にとって、高所恐怖症との戦いばかりではなく、「汗」との戦いでもあった。

すでにここで何度も書いているように、私は無類の汗かきである。山道を歩けば、当然、滝のような汗が噴き出てきて、あっという間に、「水をかぶった人」みたいになってしまう。

よせばいいのにグレーのTシャツを着ていたので、リトマス試験紙のように、Tシャツの色が首から下に向かって変化していくのがわかる。やがて、そのTシャツも、1色に塗り替えられる。

必然的に、水分補給が欠かせないことになるのだが、南山は、一度入山してしまうと、水場が全くなく、途中で水分補給する機会がないのである。そのため、あらかじめ水を持って入山しなければならない。

朝、500ミリリットルのペットボトルを3本持って上がったが、私のかく汗の量にくらべれば、焼け石に水である。

それに、がぶがぶと水を飲むわけにはいかない。限られた水を、大切に飲まなければならないのである。

たちまち、「飲み水のない不安」に襲われる。登山中は、この不安との戦いでもある。

まったく、無駄に汗をかいて、その分の水を補給しなければならないのだから、まるで私の体は汗を作る機械。つまりは単なる「作汗機」である。なんとも面倒な体質である。

加えて、山道を歩くには向かない「扁平足」ときたもんだ。

Photo_4 何度もくじけそうになりながら、他の2人の後を、かなりおくれてついていく。

そして膝がガクガクになりながら、ようやくゴール!

2日間、朝の9時から夕方の5時まで、歩き続けた!

おかげで、主要な仏教芸術を、ほぼ見ることができた!

Photo_5 それは同時に、「高所恐怖症」と「汗」と「扁平足」への、勝利である!

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モッポのテナガダコ

8月25日(火)

光州から木浦(モッポ)に移動する。

「木浦は港だ」という韓国映画(「華麗なる休暇」と同じ監督)があるように、木浦は海に面した港町である。

まず、国立の海洋遺物展示館を訪れる。

ここの展示の目玉は、古い時代の沈没船から引き上げられた青磁や白磁をはじめとする、数々の貿易品である。

もちろんそれも圧巻なのだが、漁労の民俗に関して展示したコーナーもなかなか面白い。

Photo 私が心を奪われたのは、テナガダコを釣る仕掛けである。

先っぽの方に、白くて丸いものがつけられている。

よくみると、どうやら白磁の茶碗かなにかの欠けらを、円形に成形して、それを仕掛けにしているようである。

Photo_2 これを見て、以前、あるラジオDJが言っていたことを思いだした。

そのラジオDJがある日、急に思い立ってイイダコ釣りに出かけた。そこで、イイダコを釣るためのエサとして、地元の漁師さんが「ラッキョウ」をつけてくれたという。

イイダコがラッキョウに飛びつくという理由がよくわからない、と、そのラジオDJが言う。

「イイダコがラッキョウを好きになる理由がわからない。だいたい、ラッキョウ、て、海のものではなくて、山のものでしょう。イイダコがラッキョウを知るきっかけって、何?」

「考えられるのは、イイダコ釣りの漁師さんが、前の日の夕食で残ったカレーを弁当として持ってきていて、そこに一緒にラッキョウも添えられていた。漁師さんがカレーに添えてあったラッキョウを食べようとすると、箸がすべって、コロコロコロッとなって、海へポチャン。それをたまたまイイダコが食べてからというもの、イイダコがラッキョウの虜になった…。そうとしか考えられないね」

話術を正確に再現できないのが残念だが、どうも妄想に過ぎる仮説である。

もちろんこの話はそれで終わらない。そのラジオDJがいろいろと調べてみると、イイダコは、「白くてきらきら光るもの」に飛びつく習性があるらしい、という。「白くてきらきら光るもの」として、ラッキョウは手ごろな仕掛けだったのである。

ここに展示されている白磁の欠けらの仕掛けも、これとまったく同じ理屈だろう。イイダコと同じマダコ科のテナガダコもやはり、同じ習性があったのである。

「所変われば仕掛けも変わる」。同じ「白くて光るもの」でも、ラッキョウではなく、白磁の欠けら、というのが面白い。全羅南道が陶磁器の名産地であることと関係するのだろうか。漁師さんたちのもつ普遍的な知恵と、その知恵を活かす地域性とが、よくわかる事例ではないか。

そんなことを考えていると、お腹が空いてきた。お昼は当然、テナガダコである。

Photo_3 市内に戻り、テナガダコ料理の有名な店に入る。そこで、「ヨンボタン」という、テナガダコが入ったスープを注文する。

やはりテナガダコは美味いね。だいたい私は、テナガダコが好きなのだ。私がへムルタン(海鮮鍋)を好んで食べるのも、このテナガダコがあるおかげである。

そのラジオDJが、イイダコが食べたくなって、イイダコ釣りに行きたくなる理由も、なんとなくわかる。私も釣りに行こう、とは思わないけれど。

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反骨の地

1980年5月18日。

このとき私は小学校6年生だった。だが、その事件について、まったく記憶がない。おそらく、関心すらなかったんだろうと思う。

その事件のことを知ったのは、ずっと後のことである。

さらに、事件の全容を知ったのは、つい最近である。

正確にいえば、映画「華麗なる休暇」(邦題「光州5・18」)を見てからである。

韓国に来てから、一度は訪れなければならないと思っていた。

8月23日(日)、バスに乗ること3時間半。全羅南道・光州市に到着する。

まず最初に訪れたのが、全南旧道庁である。

「市民軍」が韓国軍と戦った、最後の拠点。

Photo 旧道庁に着くと、多くの人でごった返していた。

今日は、金大中・前大統領の国葬の日である。

光州市民が、この旧道庁に集まって、前大統領と最後のお別れをしているところだった。

光州市民が、全羅南道出身の金大中・前大統領に特別の思い入れがあることは、今さらいうまでもない。しかも民主化運動の象徴であった金大中氏は、光州事件の前日の1980年5月17日に逮捕され、光州事件の首謀者とみなされ死刑判決を受けることになる。

光州事件の舞台となった旧道庁で、光州市民が、金大中・前大統領と最後のお別れをするのは、特別な意味があるのである。

そしてはからずも「歴史の現場」に居合わせたことの運命を思い、私も、前大統領との最後のお別れをすることにした。

ところで、この旧道庁の周りは、急速に再開発が進んでいる。

旧道庁の建物が老朽化していることもあり、これを取り壊す動きも出てきているという。それに対して、保存を呼びかける声もある。

民主化運動のシンボルであったこの建物は、今後どうなるのだろう。

518 次に、国立5・18墓地を訪れる。

光州事件の犠牲者が眠る場所である。数年前に整備された、新しい墓地。

広い敷地をくまなく歩くと、はずれに「旧墓地」の看板があった。

看板の先の林の中をさらに進むと、移転前の旧墓地にたどりつく。

そこでは、いまでも、犠牲者の身内と思われる人びとが、お花をあげ、供養をしていた。

事件はいまも、生々しい記憶として人びとの中に残っているのだ。

自国の軍隊が、守るべきはずの国民に対して刃を向ける、という信じがたい事件。

そこには、私には理解しがたいような、この国の複雑な歴史的背景や政治風土が存在したのかも知れない。それを「したり顔」で説明する資格は私にはない。

だが、より本質的なことは、「国家権力はときに市民に刃を向けるのだ」ということ。私の生まれた国にも、思いあたるふしは数多くある。

そのことに、私たちは、どれだけ思いを致しているだろう。

翌日の8月24日(月)。所用で全南大学に訪れる。

全南大学は、光州事件の口火を切った場所である。光州事件以後も、民主化運動の象徴的な大学として、数多くの運動が行われた。

所用でお会いした先生が、私が光州事件に関心があることを知って、大学内にある5・18に関する施設などを案内していただいた。

Photo_2 とくに印象深かったのが、大学内のある校舎の壁の全面を使って書かれた、解放闘争の巨大な壁画である。壁画の迫力に、圧倒される。

結局、まる一日、市内を案内していただくことになってしまった。申し訳ないと思いつつ、私にとっては、この「反骨の地」を知る、またとない機会となったのである。

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夏休みの過ごし方③ ビデオ鑑賞

夏は、やはり暑いです。

外出するのも億劫になりますね。そんな時には、家でビデオを見たりするのが一番です。

今日(8月22日)は、家で2本の映画を見ました。

9837_l 1本目は、「ミリャン」という映画。「ミリャン」とは、慶尚南道にある地名です。9月にミリャンにタプサ(踏査)に行くことになっているという理由で、この映画を見ることにしました。ただし、この映画はたんにミリャンを紹介する映画でないことは、いうまでもありません(念のため)。

映画の感想はさておき、ソン・ガンホの慶尚道サトゥリ(訛り)が、上手いと思いました。これって、慶尚道サトゥリを、かなり聞き取れるようになった、ということでしょうか。

Kareikyuka 2本目は、「華麗なる休日」という映画。以前、日本で公開されたときも見に行きましたが、明日から、この映画の舞台となった場所に行くので、ぜひもう一度見ておこうと思ったのです。

でも、さすがに家にこもって小さい画面で映画を見ていると、少し頭が痛くなってきますね。夏休みの過ごし方としては、あまりほめられたものとはいえないかも知れません。

明日からはまた、少しオモテに出て、あちこちと歩きまわることにします。

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夏休みの過ごし方② すいか

夏のくだものといえば、すいかですね。

私の知り合いに、「大人になったらすいかを1個まるごと買うのが夢だった」という人がいました。

そういう夢って、ありますよね。ちなみに私は子どものころ、「大人になったら、ベビースターラーメンをお腹いっぱい食べる」という夢がありました。何ともあの小さな袋が、子ども心に、物足りないと思ったのです。

で、大人になってそれを実行しようとすると、それほど食べられるものではありません。少し食べると、胃がもたれてしまいます。やはりあの量が、ちょうどよかったのでしょう。

さて、すいかの話。

韓国では、すいかまるごと1個が、安いもので5000ウォン、大きいもので1万ウォンで買うことができます。日本円にすると、500円~1000円弱、といったところでしょうか。

このくらいの値段であれば、すいかをまるごと1個買うのも、夢ではありません。

私も、さっそくこの夢を実行しました。せっかくなら大きいのを買おうと、1万ウォンのすいかを買いました。

ところが、いざ買ってみると、これがとても重い。お店から家に持って帰るのに、ひと苦労です。

それに、すいかも、そんなにたくさん食べられるわけではありません。イメージでは、大きなすいかを半分に切って、お椀状になったすいかをスプーンですくって食べる、という絵を想像していたのですが、とてもそんなことできません。

というわけでいまは、少しずつ、すいかを消費しているところです。

これまで、3玉のすいかを買ってきました。

この夏、あと何玉のすいかを食べることができるでしょうか。

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夏休みの過ごし方① 海

夏休みといえば、海ですね。

でもこの年齢になって、海水浴、というのも、かなりキツイものがあります。

いちばん最近に海水浴に行ったのは、もうかれこれ10年以上前でしょうか。伊豆の下田でした。

それからというもの、海水浴とは、とんとご無沙汰です。

昨日(8月21日)は、所用で釜山に行ってきました。用事が比較的早く済んだので、夕食は、例によってチャガルチ市場と洒落込み、市場を歩くことにしました。

歩いていると、日本人だということがすぐにわかるのでしょうか。日本語で、「うちの店で食べていかないか」と、さかんに言われます。

不思議なもので、日本語で話しかけられると、こちらもちょっと警戒してしまいます。あまりに声をかけられるので、市場で軒を連ねている食堂で食べるのはやめにして、2月のときと同様に、新チャガルチ市場棟に入って、1階で買った魚をさばいてもらって、2階で食べることにしました。

ところがここでも、やはりなぜか日本語で話しかけられてしまいます。どのお店で魚を買えばよいか、迷うばかり。へそ曲がりの私は、「よし、じゃあ、韓国語で話しかけてくれたお店の魚を買うことにしよう!」と決めました。せっかく日本語で話しかけてくれたみなさん、ごめんなさい。

3万ウォン分の魚を買い、2階へ上がります。しばらくすると、買った魚が刺身となって出されました。

焼酎と一緒に食べると、これがたまらなく美味しい。「メウンタン」(魚のあらでだしをとった辛い鍋)も追加で注文したので、もうお腹いっぱいになりました。

夏の海に遊びに行くことはできませんでしたが、釜山の磯の香りをかぎながら、少しばかりの海を満喫しました。

そうそう、海といえば、釣りもレジャーのひとつですね。でも、私はあまり釣りに興味がありません。釣れても、あまり感動することがないのです。お前は人生の楽しみの何分の一かを知らない、と言われるかも知れません。

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8年の歳月

8月16日~18日。日本からのお客さんをご案内してのソウル観光。

コースの選定などをまかされていた私には、この機会にしてみたいことがあった。

それは、8年前に訪れた場所に、もう一度訪れてみよう、という個人的な願望である。

8年前、前の職場の同僚のゼミ旅行に同行した。この旅行をきっかけに、その後たびたび、その同僚と韓国を旅をすることになる。

その時に訪れたのが、江華島と、ソウルの西大門刑務所である。

いまから思えば、何でそんなところに20歳そこそこの学生を引率したのか?という疑問がわいてくる。

江華島も、西大門刑務所も、暗い歴史を背負った場所である。おそらくは初めての海外旅行であろう学生たちを引率する場所としては、教育的な意味を持つとはいえ、かなりヘビーである。

ま、彼のゼミ旅行は、ずっとそんな感じだったのだが。

この2月に、「卒業旅行」と称して学生がソウルに来たときも、西大門刑務所はさすがに腰がひけて案内することはできなかった。

幸い、今回ご案内するお客さんは、その筋の専門家ばかりなので、気兼ねなくご案内することができる。

そこで、今回の旅のコースに、江華島と西大門刑務所を含めることにしたのである。

Photo江華島は、8年前の印象と、ほとんど変わらなかった。大きく変わったのは、8年前は建設中だった、半島と島を結ぶ2本目の橋が、完成したことくらいか。

Photo_2 不思議なもので、海に面した砲台に立つと、8年前の記憶が少しよみがえってくる。

さて、翌日に訪れたソウルの西大門刑務所はどうか。

Photo_3 こちらの方は、この8年の間にいろいろと手を加えられたようだ。そしていまも、大規模な改装工事をしている最中で、臨時に別の建物を使って、展示がなされている。

1908年に建てられたこの西大門刑務所は、植民地時代に、多くの政治犯が投獄され、拷問を受けた場所である。この建物を利用して作られた歴史館では、植民地時代に行われた数々の拷問の様子が、リアルな人形を使って再現されている。また、その拷問を疑似体験できるコーナーもある。反日教育の場であると、しばしば言われる。

「以前に比べると、年々残虐性が増してきている気がしますね」と、ソウル在住の先生。

8年前も、残虐な拷問シーンの再現に衝撃を受けたものだが、たしかに拷問体験コーナーが増えているような気がする。

最もショッキングなのは、死刑台に置かれた椅子に座って、踏み板を外す、という体験コーナー。もちろん、実際に踏み板がはずれて下に落ちるわけではないのだが、椅子に座ると、ガタン、と、数センチほど踏み板が落下するしくみになっている。それだけでも十分に恐ろしい。

また、日本語の展示解説も、以前にはなかったのだという。

「以前は、日本人がここに来ると、『ここはお前たちのために展示しているのではない』とよく言われたものですが、いまは日本語のパンフレットもありますし、解説も増えました」とソウル在住の先生。

残虐性と開放性。

あらためて知ったのだが、この刑務所は、1980年代まで実際に使用されていたそうだ。つまり、解放後も、現役の刑務所として引き続き使用されていたのである。

そこで思い出したのが、1年ほど前に日本で見た美術展。

軍事政権下での、韓国の民衆運動を描いた絵画や彫刻を集めた美術展が、日本で行われた。そこでは、軍事政権下で、政治犯が拷問を受けている様子を描いたものがあったのだが、それがまさに、ここで復元されている拷問の様子と、そっくりだったのである。

植民地時代の拷問が、戦後の軍事政権下でも引き継がれる。悲しい拷問の連鎖である。

「たしかに、本当は解放後も数々の拷問が行われたはずなんですが、ここの展示は植民地時代だけに限られていて、それに対する批判もあるんですよ」と先生。戦後の刑務所の様子は、不問に付されてきたのである。

「だから、改装工事が終わって、展示がどのように変わるのか、とても注目されるんです」

なるほど。リニューアルされたら、どのように変わるのか、また来なければならないな。元同僚に代わって、見とどけることにしよう。

…うーむ。やはりカタイ話題は書くのにものすごい時間がかかる。「韓国現代史3部作(?)」は、これにて終了!

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大統領は5度死ぬ

8月18日(火)

金大中・前大統領が死去した。享年85歳。

今年に入って、2人の大統領経験者が死去したことになる。

5月の盧武鉉・前大統領の場合は、自殺という衝撃的な結末だったこともあり、市民たちの反応は尋常ではなかった。

それに対して、金大中・前大統領の死去は、「ひとつの時代が終わった」という感がある。

韓国では、現職や前職の大統領が死去した場合、一般に「国葬」あるいは「国民葬」という形で葬儀が行われる。

「国葬」は、葬儀の費用を政府が全額負担するもので、いわば最も手厚い葬儀である。これまででは、現職のまま死去した朴正煕大統領が、唯一「国葬」が行われた人物である。

「国民葬」は、葬儀の費用の一部を政府が負担するもので、5月の盧武鉉・前大統領の葬儀は、「国民葬」の形式がとられた。

たしかに盧武鉉・前大統領の死去は、市民たちに大きな衝撃を与えたが、韓国の現代史を考える場合、金大中・前大統領の果たした役割は、とてつもなく大きい。「国葬」でなければおかしい、と、他人事ながら思う。

その人生からして、波瀾万丈である。

たまたま手に入れた新聞を見ると、金大中・前大統領は、5回ほど死にかけたことがある、と書いてあった。

1回目は、1950年の朝鮮戦争のときで、北朝鮮の人民軍に逮捕され、監獄に入れられた際、銃殺直前で奇跡的に脱出したという。

2回目は、1971年の大統領選挙直後のこと。この年の4月の大統領選挙で、金大中氏は惜しくも朴正煕氏に敗れたが、翌5月、高速道路を走行中の金大中氏を乗せた車に、14トントラックが突っ込み、3人が死亡。金大中氏も大怪我を負った。のちにこれは、権力側による暗殺工作であったことが判明するが、この時の怪我により、腰と股関節に障害を負うことになった。

3回目と4回目は、1973年、日本で起こったいわゆる金大中氏拉致事件のときである。

東京のホテル・グランドパレスの一室に拉致された金大中氏は、まず、ホテルの部屋の風呂場で殺されかける。

次いで、目隠しをしたまま神戸港から船に乗せられ、釜山に行く途中で、海に投げ落とされそうになった。

5回目は、1980年5月18日の、いわゆる光州事件の際に逮捕され、死刑宣告を受けたときである。この時、国内外の批判により、刑の執行は停止された。

権力による弾圧がくり返し行われ、長期間の投獄、軟禁生活を余儀なくされつつも、4度にわたって大統領選挙に挑戦し、最終的には不死鳥のように、最高権力の座につき、はては、ノーベル平和賞を受賞する。これ以上の波乱な人生があろうか。

「国葬」こそふさわしい、と考える所以である。

(と、ここまで書いてきて、葬儀が「国葬」で行われることが決まった、とニュースで知った)

合掌。

(なお、韓国では、日本のように、前大統領、元大統領といったような区別をせず、一律に「前大統領」と表記しているので、ここでもそれに倣った)。

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すべての武器を花束に

Photo 9月17日(月)。江華島で見つけた、花で飾られた大砲。

江華島の歴史は、戦争の歴史である。13世紀のモンゴル襲来にはじまり、16世紀の豊臣秀吉による壬辰倭乱、さらに近代に入った19世紀後半には、フランス、アメリカ、日本から、次々と攻撃を受ける。そして現在、北朝鮮との国境に位置するこの島は、やはり、戦争と背中合わせの島である。

江華島にはじめて訪れたのは、いまから8年ほど前のことである。前の職場の同僚のゼミ旅行に同行したときに、この島を訪れた。ソウルから漢江(ハンガン)沿いに車を走らせると、やがて川沿いに延々と鉄条網がはりめぐらされている光景が飛び込んでくる。そして、河川敷には数多くの見張り小屋が作られ、そこに兵士が常駐していた。河川からの敵の侵入を警戒するためのものである。

8年後の今もやはり、この光景は変わらない。この国が戦争状態にあることを、あらためて思い知らされる。

「以前はね、観光客が多かったんですけどね。今は以前にくらべて減ってきましたね」と、ベテランのガイドさんが話してくれた。

そういえば、毎年発行されている海外旅行の定番ガイドブックの「ソウル」編を見ると、数年前までは「江華島」観光のページが4ページにわたって紹介されていたのに、最新のものには、江華島のページがなくなっている。需要がなくなったということなのだろう。

さて、冒頭の「花の大砲」である。

Photo_2 江華島は、砲台の島である。復元された砲台には、今も当時の大砲が展示用に数多く置かれている。いわば、江華島を象徴するものが、大砲であるといってもよい。

観光資源としての大砲を、花で飾り付ける。

かなりマニアックな話になるが、私の学生時代にテレビで放送されていた「鶴瓶・上岡パペポTV」。笑福亭鶴瓶と上岡龍太郎が、2人でトークだけをするという1時間番組。

その番組の中で、2人が話している後ろに、ピンク色に塗られた大砲がセットとして置かれていた。

とくに意味があって置かれていたわけではないと思うのだが、この「ピンクの大砲」に注目したのが、関西の喜劇役者・藤山寛美である。

「あのピンクの大砲はええ」

大砲という恐るべき兵器が、そのイメージとは正反対のピンク色に塗られている。

2人の過激な発言、そしてそれを笑いに変えるトーク力は、まさに「ピンクの大砲」になぞらえるにふさわしい。藤山寛美は、「ピンクの大砲」を、番組を象徴するアイテムとして、絶賛したのである。そしてそれはおそらく、上岡龍太郎の強烈な反戦思想とも通底していた。

江華島の、「花の大砲」を見て、なんとなくそのことを思い出した。

では、この「花の大砲」は、反戦のシンボルと考えてよいのだろうか?事態は、それほど単純ではないようにも思える。

Photo_3 江華島を訪れる前日(16日)、ソウルにある戦争記念館を見学した。

朝鮮戦争を語り継ぐ目的で作られたこの記念館は、韓国の人々のナショナリズムを醸成する役割を果たす一方、戦争の悲惨さも伝えていて、一言で評価するのが難しい。

夏休みということもあって、実に多くの子どもたちが、見学に訪れている。そしてその子どもたちに、大人たちが、実に熱心に説明している。

展示も、かなり見応えがある。1時間半近く時間をとったのだが、とてもすべて見きれる内容ではない。

3階の展示室の見学を終えて出ると、驚くべき光景が広がる。

Photo_4 吹き抜けになっているところの一番下のフロアを覗くと、子どもたちの遊戯施設が作られていて、完全に小さい子どもの遊び場になっている。

一方、吹き抜けの上の方に目を転じると、戦闘機やら、ヘリコプターやら、パラシュートで降りてくる兵士の人形やらが、天井から吊り下げられて、展示されている。

Photo_5 それを、3階から覗き込むと、あたかも子どもたちの遊んでいる上空を戦闘機が飛び、パラシュートで兵士が降りてくる、という、何ともシュールな光景が広がるのである。

子どもたちは、どう思っているのだろう。あるいは、違和感のない世界として受けとめているのだろうか。

私にはよくわからない。

戦争といえば、江華島を訪れた翌日(18日)も、ソウルで不思議な出来事に遭遇した。

お昼前、西大門独立公園の横の大通りを歩いていると、突然、あたりが静かになった。大通りを走っていた車が、すべてそのまま道路に停車して、動かなくなったのである。

何も知らずに走ってきた車も、車道の脇にいた係員らしき人にとめられて、すべて路肩に停車した。

歩道を歩いていた人たちも、ジッとしている。

まるで時間が止まったかのようである。いったい何が起こったのだろう。

10分くらいそんな状態が続き、やがて装甲車が1台走ってきた。

さらにしばらくすると、サイレンを鳴らした車が走ってきて、その車が通りすぎるやいなや、止まっていた車が走り出し、歩道でジッとしていた人びとも歩き出した。

歩道を歩いていたアジュンマ(おばさん)に聞いてみると、北朝鮮との戦争に備えた、非常時の訓練だという。有事の際に、道路を確保するための予行演習なのであろう。

「昔はけっこうやっていたそうなんですけどね。いまはだいぶ減ったみたいです。私も、ソウルに来て、初めての体験ですよ」

今回の旅に同行された、ソウル在住の日本人の先生は、そうおっしゃった。

この地では、戦争がまだ続いているのだ。

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8日間韓国一周

8月11日(火)から18日(火)まで、日本から来た御一行と、調査旅行をご一緒させていただいた。

8月11、12日は、全羅南道の羅州、13日は慶尚南道の昌原、14日にいったん大邱に戻り、14日夜からソウル、15日にソウル市内の博物館を見学して、御一行がお帰りになった。

つづいて、翌16日から別の御一行が日本からソウルにいらっしゃった。17日にソウルの北にある江華島を見学、18日にソウル市内を見学して、夕方、ソウルを発って、日本にお帰りになった。

そして18日夜、ようやく大邱に戻った。

11日に大邱を出発し、大田経由で羅州に行き、さらに昌原、大邱、ソウル、江華島とまわり、大邱に戻る。韓国をほとんど一周したようなものである。

過酷な8日間であった。

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しばしのお休み

8月10日(月)

昨日からパンハク(休暇)となったが、明日(11日)から、長い旅がはじまる。

…というほど、大げさなものではないのだが、日本から、けっこうお客さんがいらっしゃるのである。

今わかっている8月の予定は、次の通りである。

11日~15日。日本から偉い先生ご一行が調査にいらっしゃるので、そのお供をする。途中、中抜けして、学会参加。

16日~18日。日本から、同業者のご一行が旅行にいらっしゃるので、ご案内がてら、ソウルとその周辺を一緒にまわる。

24日~25日。勤務先の学生が、韓国での異文化体験実習をしているので、その様子を見に、某大学に遊びに行く。

27日~28日。研究者仲間と、慶州の踏査。

29日。大学院生主催のタプサ(踏査)

31日。新学期。

…という具合である。20日前後の数日間が空いているが、この間にも、誰にも気兼ねしない旅行をする予定である。

というわけで、この日記も、しばしのお休みである。

正直なところ、このところ日記を書いていて、「書きゃあいいってもんじゃないだろ」という気がしてきた。自分の中で、新鮮な体験が、次第に少なくなってきているのも事実である。

それに、話が次第に込み入ってきて、自分しかわからないのではないか、という気がしてきた。ま、自分のために書いているのだからそれでいいのだけれど。

だから、少し休み休み書いていくことにしよう。

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チアチア族の教科書

久々に、時事的な話題を1つ。

8月7日、韓国で次のようなニュースが報道された。

これまで文字を持たなかったインドネシアの少数民族が、ハングルを公式文字として採択して、ハングルで表記した教科書を使いはじめた、というニュースである。

2009080603071_2009080628591 ハングルを公式文字として採択した少数民族とは、インドネシアのバウバウ市のチアチア族である。

チアチア族は、自分たちが使っている言語であるチアチア語を表記する公式文字として、ハングルを採用することに決めたのである。

人口6万名あまりの少数民族であるチアチア族は、自分たちの言語を持っているものの、これを表記する文字がないため、固有語であるチアチア語を失う危機に瀕していた。

このことを知った韓国の訓民正音学会の人たちは、バウバウ市のチアチア族を訪ねて、彼らのためにハングルの教科書を作成することにしたという。

そして、このたび、その教科書が完成した、というわけである。

このニュースを取り上げたのは、たんに「バウバウ市」とか、「チアチア族」という言葉の響きが印象的である、という理由からではない。

語学の授業で、先生がこぞってこのニュースを取り上げたからである。

ハングルが、表音文字であり、きわめて合理的に作られた文字であることは、よく知られている。

「だから、文字を持たない人びとも、ハングルを覚えれば、自分の言葉を文字にすることができるんですよ」と、語学の先生は、たびたびおっしゃっていた。

そしてそれが、このたび現実のものとなったのである。

「みなさんも、インドネシアのチアチア族の学校に行けば、教科書を読むことができるんですよ。もっとも、内容は理解できませんけど」と、先生。

そりゃそうだ。言語自体は、チアチア語なので、彼らの言葉をハングルで表記したところで、意味がわかるわけはない。それに、この先、チアチア族を訪れる機会があるかどうか…。

ところで、「ハングルの世界化」は、韓国語を専門にしている人びとにとって、おそらく悲願であった。この合理的な文字体系を、少しでも多くの人びとに使ってもらいたい、ということなのだと思う。

だからこそ、このニュースが、韓国語の語学の先生方の間でも、話題になったのだろう。

ようやく、インドネシアの一少数民族を通して、その風穴を開けることができたのである。その意味で、今回のニュースは、韓国にとって慶事である。

だが、私には、よくわからない部分もある。

今回の場合は、あくまでもチアチア語の音をハングルで表記する、ということに過ぎず、たとえば、中国の漢字が韓国や日本の言語表記に影響を与えたこととは、質的に大きく異なる。

そもそも、韓国語は、漢語に由来する表現があまりに多い。それは日本語の場合も同様である。

だから、言語において、何が固有で、何が固有ではないか、を考えることは、かなり難しいと思う。

それはともかく、今回の場合、中国の漢字が世界化する、という意味とはまったく異なるレベルであることは、もはや明白である。その差異が、表意文字と表音文字の違いに由来するものであることは言うまでもない。

そして、ますますわからないのは、エスペラント語のように、韓国語を世界共通の言語をめざす、というならまだ話はわかるが、ハングルという文字を世界化する、ということに、どういう意味があるのだろうか。

専門家の先生からは怒られてしまいそうだが、私にはよくわからないのである。

どうもこのあたりに、言語と文字、そしてそれにまつわるナショナリズムの問題がひそんでいるように思う。そして、韓国の大学で、なぜ外国人に対してかくも開かれた韓国語教育がきわめて熱心に行われているのか、という私のかねての疑問を解く鍵があるようにも思う。

まだ、私の中に答えがあるわけではない。先入観を捨てて、もう少し、この問題を考えてみたいと思う。

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真夏のワッショイ映画

8月8日(土)

例によって、期末試験のあと、市内へ出て、映画を見ることにする。

この夏最大の話題作「ヘウンデ(海雲台)」である!

妻はすでに見ていたので、妻は別の映画を見ることにして、私1人で見ることになった。

Image2537526 「ヘウンデ」とは、釜山にある有名な海岸の地名である。私も1度時期はずれに行ったことがある。ポスターを見て容易に想像がつくように、ヘウンデが「津波」に襲われる、というパニック映画である。

ソル・ギョング、ハ・ジウォン、パク・チュンフン、オム・ジョンファという、今をときめく韓国映画界のスターが4人も出ている。しかも大規模な予算を使ったパニック映画となれば、話題にならないはずがない!

ソル・ギョングとハ・ジウォンは今さら言うまでもないほどの知名度である。ソル・ギョングって、68年生まれで、私とほぼ同い年なんだね。もっと年上かと思っていたので、ちょっとショックである。

私がひそかに注目しているのは、女優のオム・ジョンファである。ちょっと前に見た映画「仁寺洞スキャンダル」にも、印象に残る役で出演していた。この人は、前回見た映画「チャウ」に出演していたオム・テウンのお姉さん。つまり、この夏、姉が海のパニック映画、弟が山のパニック映画に出演しているのである。

しかも今、テレビでは、人気大河ドラマ「善徳女王」に弟のオム・テウンが出演していて、その裏番組のドラマ「結婚できない男」に、姉のオム・ジョンファが出演している。テレビドラマでも、お互いが裏番組に出演しているのである。

いま、もっとも韓国のドラマ界、映画界を席巻している姉弟といえるだろう。

さて、いまオム・ジョンファが出演しているドラマ「結婚できない男」は、数年前に日本で放送されたドラマのリメイク版である。日本では、阿部寛が主演して、その相手役が夏川結衣だった。

で、オム・ジョンファは、夏川結衣がやった役を演じている。「自分とほぼ同い年の役者を無条件で応援する」ことにしている私は、夏川結衣をひそかに応援しているのだが、実はオム・ジョンファも69年生まれで、私と同い年なんだね。だから、オム・ジョンファについても、無条件で応援することにしよう。

さて、肝心の映画の内容だが。

たぶん、パニック映画の定石通りに作られた映画なんだろうな、と思う。豪華な俳優陣を使って、街を派手にぶっ壊して、家族愛を描いて、等々。

だから、「真夏のワッショイ映画」として、十分に楽しめる。いや、それで十分なのだ。

細かいことを言い出すと、きりがない。

ツッコミどころが満載だし、いろいろ考えさせられる設定もある。

ここでは1つだけ。地震の博士を演じるパク・チュンフンは、日本映画「日本沈没」でいうところの、田所博士の役回りなのだが、もう少し深く掘り下げて欲しかった。小林桂樹が演じた田所博士が、鬼気迫る迫力があったからこそ、荒唐無稽な日本沈没を、説得力を増して語ることができたのではないだろうか。

Image849585 さて、この映画の一番の収穫は、何といっても、脇役のキム・イングォンである。「恋する神父」で、クォン・サンウの友人として実にいい味を出していた彼は、今回、やはり「恋する神父」に主演していたハ・ジウォンと再びの共演である。

彼のコミカルな演技と、彼の「うっかり行為」によって大変なことが巻き起こる場面は、それだけで見る価値がある。

もう一度言う。この映画は、笑いあり、パニックあり、感動あり、という、「真夏のワッショイ映画」である。

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期末考査(3級)

8月8日(土)

朝9時、期末試験開始。

わが3級6班のチング16人のうち、試験を受けたのが半分の8名。残りの半分は、大学入学が決まったり、4級進級をあきらめたりで、試験を欠席した。

この間、熱心に勉強していたワン・ウィンチョ君も、9月からの大学入学が決まったために、期末試験を欠席してしまった。

昨日の最後の授業で、「明日の試験は受けません」と言ったワン・ウィンチョ君。先生に、「絶対に受けなさい!受けなきゃダメよ。今まで何のために勉強してきたの!大学入学が決まったからといって、韓国語の勉強が終わったわけではないでしょう」と、叱られる。

たしかにもったいない話だ。これまで熱心に授業を受け、すべての試験を受けてきたのに、ここへきて期末試験を受けないのは、なんとももったいない。

「でも、先日、大学入学の手続きとかで、2日も授業を休んだので、今回はどうせ奨学金をもらえないでしょうから、いいです」と、ワン・ウィンチョ君が答えた。

おいおい、前学期、私は5日も授業を休んだのに、奨学金をもらったぞ!それに、今学期は6日も休んだのに、奨学金をもらう気でいるんだぞ!たった2日休んだくらいで、そんなこと言ってどうする!

だが、そのことを彼に言いそびれてしまった。もしそのことを言ってあげれば、期末試験を受けたかも知れない。

いや、それを言ったところで、彼はやはり休んだだろう。これまでの中国人留学生たちの行動を見ていると、いともあっさりとあきらめてしまう場合が多いからだ。やはり私には理解できないことだった。

さて、試験は、前回の中間考査と同じ時間割である。定期試験はこれで6回目なので、最初に受けたときほどの緊張感は、もはやなくなっていた。

だが、午後のマラギ(会話表現)の試験は、相変わらず緊張する。

マラギ試験のテーマは、「もし万が一、自分がわが班の先生だったら、どういう先生になりたいですか?そして先生になってやりたいこと3つと、その理由を説明しなさい」というもの。これを、3分以内で発表すること。

以前、授業で「もし自分がわが班の先生だったら」「もし自分が大統領だったら」「もし自分が芸能人だったら」「もし自分が世界最高のお金持ちだったら」「もし自分が女性(男性)だったら」といったテーマで発表練習をしたことがあり、今回の試験はこのうちからどれか1題が出ると予想していた。だから、昨日のうちに、すべてについて完全台本を書き、準備していたのである。

予想通りだったが、いざ本番となると、やはり緊張して喋れなくなってしまう。

マラギの試験は5分で終了。今回もやはりダメだったか…と、うなだれて語学堂の建物を出て、歩いていると、後ろから私を呼ぶ声がした。

「パンハク(休暇)、有意義に過ごしてくださいよ~」

おしゃれなオートバイに乗った白縁眼鏡の好青年、ル・タオ君が、後ろの席に美人のヨジャ・チングを乗せて、颯爽と私の横を通り過ぎていった。

あいつ、あんなかっこいいバイクに乗っていたんだな。どこまでもさわやかなやつだ。

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さよなら、3級6班!

8月6日(金)

3級の授業、最後の日。

文法の時間に、韓国の詩と、童謡を学ぶ。

「時間が余ったら、みなさんに、みなさんの国の童謡を歌ってもらいますよ」と先生。

当然、私は日本の童謡を歌わなくてはならない。

迷ったあげく、まず「権兵衛さんの赤ちゃん」を歌う。

もとはアメリカ民謡だが、日本はもちろん、韓国でも知られたメロディである。

次に、「ふるさと」。

「ふるさと」は、あまり好きな歌ではないのだが、定番中の定番なので、しかたがない。

そのあと、韓国の現代歌謡を聴く。キム・ドンウクという人の歌。

実は私の妻が好きな歌手なのだが、文法の先生が、どういうわけかその話を聞きつけたらしく、「先生もこの歌手は大好きなんです」と、この歌をみんなに聴かせた。

それにしても、妻とは直接話したことはないはずなのに、おそろしい情報網である。

引き続き、マラギの時間に、韓国の現代歌謡を聴く。

まず、イ・スンチョルの歌。これはなかなかよかった。

続いて、今をときめく超人気歌手、イ・スンギの「結婚してくれる?」という曲。

マラギの先生が、かなりのファンらしく、まずミュージックビデオを見せられ、そのあと、CDで数回くり返し聞かされた。

「さあ、一緒に歌いましょう」とおっしゃるのだが、歌詞を見ると、私からすれば、あまりに恥ずかしい内容で、歌うのが憚られた。

こんなふうにして、最終回の授業は、だだらに過ぎていった。

最後の授業にしては、実にあっけない。

「みんな、授業を3学期も受ければ、もう慣れてしまって、とくに感慨なんてないでしょう」とマラギの先生がおっしゃる。

たしかにそうかも知れない。3カ月ごとにリセットされる生活に、もはや慣れてしまったのだ。

しかし、9月からの大学入学が決まったワン・ウィンチョ君や、リュ・ジュインティンさんなどからすれば、いささか寂しいと感じたのではないだろうか。

居心地のよかった語学堂を出て、これから新しい生活がはじまるからである。

とくに、ヨジャ・チングと同じ大学への入学を決めたワン・ウィンチョ君の複雑な表情が印象的だった。

大学で日本語を勉強することになったワン・ウィンチョ君。またどこかで会えるだろうか。

残りの人たちとは、また9月に再会するだろう。

「僕たち、2級のときからのチングですよね。4級でも同じ班(クラス)になるといいですね」

白縁眼鏡の好青年、ル・タオ君は、授業の最後に、私にそう言った。

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特講終了

8月6日(木)

TOPIK(韓国語能力試験)のための特別講座が、今日、終了した。

7月1日からはじまって、毎週月、水、金の3回、午後6時から8時まで、合計35時間の長丁場だった。

最終週は、追い込みで、月、火、水、木と連続で特講があった。

通常の授業を4時間受けたあと、さらに特講を2時間受けるのは、本当に大変だった。

学会の合宿のため1日欠席したほかは、すべて出席した。

これも、柳原可奈子ばりに芸達者だった、アン先生のおかげだろう。

明日は、いよいよ3級の授業が最後の日である。

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なじみの喫茶店

8月5日(水)

このところ、相変わらず夜8時まで語学の授業があるので、夕食はどうしても外食となる。

夕食を済ませたあと、喫茶店で夜11時頃まで勉強するのが日課である。

家の近くの喫茶店と、語学堂の近くの喫茶店によく行く、という話は、前に書いた

最近は、もっぱら語学堂の近くの喫茶店に通っている。

妻は、どうも家の近くの喫茶店の店長が苦手らしい。ちょっと胡散臭そうなオヤジなのである。

語学堂の近くのコーヒーショップは、大手チェーン店ということもあって、若い人が接客にあたっている。

店員は、3人である。私が勝手に「若い店長」と思いこんでいる人と、その人よりさらに若い、アルバイトらしき男性店員、それに、やはりアルバイトらしき女性店員である。私たちが行くと、いつもこの3人がいる。この3人は、私たちの顔を完全に覚えている。

昨日のことである。

例によって、「アイスアメリカーノ」を、レジで注文すると、若い店長らしき人が、「ちょっとおたずねしてもいいですか?」と聞いてきた。

「『ここでお飲みになりますか』は、韓国語でなんと言うんですか?」

おかしな話である。その若き店長は、日本語ではっきりと「ここでお飲みになりますか?」と言ったあと、これを韓国語で言うとどうなりますか、と、韓国語で聞いてきたのである。

ふつう逆だろう。「『ここでお飲みになりますか?(韓国語)』を、日本語でなんと言うんですか?」と聞くならわかる。

「『トゥシゴ カシゲッスムニカ?』です」と、私は答えた。(あんたがいつも言ってるセリフじゃん)と心の中で思いつつ。

「なるほど」と、その「若い店長」はうなずいたあと、また続けた。

「じゃあ、『おかけになってお待ちください』は、韓国語でなんと言うんですか?」

また、はっきりと日本語で「おかけになってお待ちください」と言った。

「『アンジャソ キダリシプシオ』です」と、また私が答える。

何なんだこれは?私が韓国語をどのくらいできるのか、テストされているのか?

「若い店長」が続ける。

「実は、以前、5年ほどソウルの明洞(ミョンドン)の喫茶店で働いていたことがあるんです。明洞には、日本人のお客様がたくさんいらっしゃるので、日本語の挨拶を教えられたんです。でも、今となっては、どの挨拶がどの意味なんだかわからなくなってしまって…」

なるほど。以前、ソウルの明洞の喫茶店で、「ここでお飲みになりますか」とか、「おかけになってお待ちください」という日本語のフレーズを、たたき込まれたのであろう。ところが、今となっては、そのフレーズだけはよく覚えていて、その意味を、すっかりと忘れてしまった、というわけである。

ずっとそのことが気になっていた「若い店長」は、日本人のなじみの客が来た、ということで、このモヤモヤした記憶をいつかハッキリさせよう、と思ったのであろう。

ところで私は、その「若い店長」が「ちょっとおたずねしてもいいですか?」と聞いてきた瞬間、ちょっとドキリとした。

ひょっとして、「じつは探している日本人がいるんです」と、また人捜しを頼まれるのではないか、と、思わず身構えたのである。

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試験狂騒曲

8月4日(火)

今学期4回目のクイズ(小テスト)の日である。

大学入学が決まったり、もはや進級をあきらめた学生たちは、ここ最近、授業に出ていない。今日の出席者は8名。約半数が欠席している。

どこの国の学生も、試験の点数は気になるものである。だが、以前にも書いたように、こと中国人留学生たちとなると、点数に対する執着は、すさまじい。

1時間目の授業の最初の30分間にクイズが行われるのだが、そのクイズが終わり、答案が回収されるや否や、学生たちが先生のいる教卓の周りにわっと集まってくる。

「ソンセンニム(先生)!○番の答えは○○で合ってますか?」といった質問が、先生に矢継ぎ早に投げかけられる。

「席に戻りなさい!」と先生に言われて、席に戻ったあとも、学生どうしが、中国語で、

「あそこの問題はどうだった?答えは○○でいいんだよね」

という会話を続ける。

それにしても、みんな、よく設問の内容を正確に覚えているものだ。私などは、答案を提出したとたん、出された問題のことなど忘れてしまうのだが、彼らのそのへんの記憶力だけはすばらしい。

もう終わってしまった試験など、ふりかえっても仕方がない、と思うのだが、彼らは、いつまでもそれを引きずっている。

「もうクイズの話はそれまで!授業を始めますよ!」と、先生がしびれを切らして、彼らに注意する。

前半の文法の授業が終わり、休み時間になったとき、2級時代からのチングである白縁眼鏡の好青年、ル・タオ君が、思いつめた顔で私に言った。

「キョスニム、もう僕たち、4級で会うことはできません!」

「どうしたの?」

「クイズでたくさん間違えたんです。たぶん僕は、4級に上がれないでしょう」

「大丈夫だよ。心配することないよ」

「何が大丈夫なものですか!」

暗い表情で、教室を飛び出した。

そして、休み時間が終わるころに教室に戻ったル・タオ君は、相変わらず、思いつめた表情である。

ル・タオ君は、隣に座っていたクォ・リウリンさんの席の前まで行くと、机に置いてあったボールペンを両手で持ち、とがったペン先の方を自分の左胸にあて、何度も突き刺すような仕草をしながら、クォ・リウリンさんに中国語で喋っている。

どうやら、「俺の心臓をこのボールペンで突き刺して、俺をひと思いに殺してくれ!」と言っているようである。

クォ・リウリンさんに、「なに馬鹿なこと言ってるの」みたいなことを言われ、あっさりと断られたル・タオ君は、今度は私のところに来て、同じくボールペンで左胸を突き刺す仕草をしながら、「僕をこれでひと思いに殺してください!」と、今度は韓国語で懇願してきた。

冗談じゃない。そんなことできるわけないだろ!と言うと、今度は、リュ・リンチンさんのところに行って、同じ仕草をしながら「俺をこのボールペンでひと思いに殺してくれ!」と懇願する。当然、断られる。

「誰か、俺を殺してくれー!!」と叫ぶル・タオ君であった。

そこへ、後半のマラギの先生が教室に入ってくる。

「みなさーん。今日のクイズはどうでしたかー?」

「難しかったでーす」とみんなが答える。

ル・タオ君は、思いつめた表情で、先生に質問する。

「ソンセンニム!今回のクイズの問題を作った先生は誰ですか?」

「誰だったかしら…。私ではないわよ。たしか、問題用紙の上のところに、出題者の先生の名前が書いてあったと思うけど。それがどうかしたの?」

「その先生を見つけて、殺したいです!」

おいおい、殺してくれだの、殺したいだの、穏やかではないな。いつものル・タオ君らしくない。

先生があきれながら答える。

「そんなに考えこむことないわよ。ふだんの成績がいいんだから。クイズが1回くらいダメだったからって、進級できないなんてことないでしょう」

実際、先生のおっしゃるとおりである。冷静に考えれば、ふだんまじめに授業に出ていて、毎回の試験もちゃんと受けているル・タオ君であれば、4級に進めないはずはないのである。だが、本人にしてみれば、今回のクイズが、致命的な失敗だ、と思ってしまったらしい。

私にも同じ経験があるので、その気持ちはよくわかる。やはり試験が思うようにいかないと、人間、軽く死にたくなるものなのだな。

だが、落ち込んでばかりはいられない。後半の授業では、本日2回目の試験、スギ(作文)の試験が待っている。

後半の授業2時間のうち、最初の1時間で、作文の構成を考え、次の1時間で、その構成をもとに作文を仕上げる、という方式は、前と同じである

今回のスギのテーマは、「韓国と他の国との比較」である。

先週、「自分が紹介したい国について、世界のどの国でもいいですから、調べてきてくださーい」という宿題が出た。

みんなが、中国だの、日本だの、フランスだの、といった有名でわかりやすい国をとりあげるなか、私は、中米のコスタリカを取り上げることにした。

なぜ、私がコスタリカを取り上げようと思ったのか?わかる人にはわかると思うが、私が1度行ってみたいと思う国の1つだからである。

調べたデータを、簡単な表にまとめて先生に提出したのだが、今回のスギは、その時に調べた国と、韓国とを比較して、共通点と相違点をそれぞれ2つ以上ずつあげながら、説明しなさい、というもの。

韓国とコスタリカを比較して、共通点と相違点を探し出す、というのは、かなり無理がある。相違点はまだしも、共通点なんてあるのだろうか。第一、私はコスタリカに行ったことがないのだ。

仕方がないので、共通点として、「海に囲まれている」「景色が美しい」「人びとが親切だ」といった漠然とした内容を書き連ねることにする。一方、相違点については、問題なくあげることができた。

かくして、本日の2つの試験は終了。ル・タオ君も、クイズの失敗を、スギで取り返したことだろう。

あとは、土曜日の期末試験を残すのみである。

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結婚の条件

8月3日(月)

ダメだ。「ミニホムピィ」に、すっかりハマっている。

最初は、日記だけのつもりが、表紙を考えてみたり、写真帳を作ってみたりと、やってみるとこれが結構面白い。

語学堂での写真を中心に、いままで撮ったものを少しずつアップしていくことにした。

今日の午前中は、すっかりその作業に費やしてしまった。

ま、せっかく作っても、誰に宣伝するわけでもないので、おそらく見る人は誰もいないのが悲しいところだが。

本当は、こんなことをやっている場合ではないのだ。

今週は、試験ラッシュである。今日がマラギ(会話表現)の試験。明日(火曜日)がクイズとスギ(作文)の試験。そして今週の土曜日が期末試験である。

案の定、今日のパダスギ(書き取り試験)は、10点満点で8点。先週金曜日の6点からくらべれば、やや復調したが、それでも、ミニホムピィにうつつを抜かしていたのが痛かった。

そして、今日の後半の授業では、マラギの試験が行われた。

過去3回の試験は、2人がペアになって、決められたテーマにしたがって会話する、という形式だったが、今回は、1人が、決められたテーマにしたがって発表する、という形式である。

過去3回の、会話形式の試験が、あまりにお粗末で、これでは成績評価がとてもできない、ということになったのだろう。方針変更したものと思われる。

テーマはあらかじめ伝えられていた。「結婚したいと思う相手の条件について、3分以内で述べなさい。条件を3つ挙げて、それぞれの理由についても述べること」

またその手の話かよ!

しかも既婚者の身にとっては、今さら結婚の条件もへったくれもありゃしない。

だが、そんなことを言ってもはじまらないので、昨日、完全原稿を作って覚えることにした。

私があげた結婚相手の3つの条件とは、次のようなものである。

1.いつでも他人に対する配慮がある人。

2.健康な人。

3.食べ物の好き嫌いがない人。

そのそれぞれについて、理由を考えなければならない。とくに1番については、なかなか説明が難しい。そこで、次のような話をでっちあげることにした。

「以前、ある夏の暑い日、友人たちと食事をした。テーブルの横には扇風機が置いてあった。食事をしていると、友人の1人が突然立ち上がって、扇風機を首振りさせずに、自分の方に固定してまわしはじめた。他の人のことを考えずに、自分のところにだけ風が来るように扇風機をまわしたその人は、他人に対する配慮がない人ということができる。私はそういう人と結婚したいとは思わない」

全くのウソエピソードなのだが、わりとわかりやすいたとえなのではないか、と、思い、原稿に書きとめた。

あとの2つの条件についても、適当な理由をでっちあげる。

さて、試験当日の今日。

ほかの学生たちも、いささか緊張気味である。休み時間に、まるでセリフを覚えるかのように、自分で作った原稿を声に出して暗記しようとしていた。私もまた、同じであった。

最後の4時間目に、いよいよ試験が行われる。まず、先生が、くじを作って、順番を決めることになった。

一番前にいた私が、一番最初にくじを引いた。くじを開くと、「1」と書いてある。

1番めかよ…

心の準備ができていない私は、1番のくじを引いてうろたえた。

すると、隣の席にいたリン・チアン君が、

「僕のと交換しますか?」

と言ってきた。彼は、「8」と書かれたくじを引いていた。

「いいの?」

「ええ。僕はどうせなんにも準備してきてませんから」

そういえば、リン・チアン君は、久しぶりに授業にでた。だから、今日のマラギの試験のテーマを、何も聞かされていなかったのである。

幸い、先生は私が1番のくじを引いたことをまだ気づいておられない。

私が逡巡していると、リン・チアン君は、私の「1」のくじをサッと取り上げ、代わりに「8」のくじを私に渡した。

「大丈夫ですよ」とリン・チアン君。

「さあ、みなさん、くじを引きましたね。1番は誰ですか?」と先生が教室をひととおり見渡して質問した。

チン・チアン君がはい、と手をあげ、そのままみんなの前に出て、「結婚の条件」について発表をはじめた。

まったく準備をしていないにもかかわらず、堂々と発表している。

いつもはおとなしくていい加減なリン・チアン君の度胸に感服した。

見直したぞ、リン・チアン君。

そして次々と発表が続く。ほとんどの人が、完全原稿を作ってきて、それを一生懸命暗記していた。

かくいう私もそうである。いよいよ私の番となり、前へ出た。

「これから、結婚したい相手の条件について、お話ししたいと思います。条件は3つあります。1つは、…」

と話しはじめるのだが、1つめの条件であげた「扇風機」のたとえ話が、ややこみ入っていて、原稿の通りに思い出すことができない。

「むかし、こんな経験がありました。暑い日に友人達と食事をしていたとき、1人の友人が突然立ち上がって、…」

ここまで話して、「しまった!」と思った。あまりに緊張していて、「テーブルの横に扇風機があった」というくだりを説明するのを、忘れてしまったのである。

なんとか軌道修正するが、今度は「扇風機をまわす」という表現を、ど忘れしてしまう。

結局、これはウケる、と思って用意した扇風機のエピソードが、何が何だかわからないまま終了。きっとこの話は伝わらなかっただろうな。聞いている方は、「結婚の条件なのに、何で突然扇風機の話なんか持ち出したんだろう?」と思ったに違いない。

そして、いつものように自己嫌悪。人前で話をする商売をしているのに、何でこんな他愛もない話すら、できないのだろう。

不調から、まだ抜けきれていないようである。

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ミニホムピィに挑戦

8月2日(日)

昨日買ったパソコンで、あれこれ操作して、いろいろと入力しているうちに、いつの間にか「サイワールド」の会員になり、個人ホームページを作成できる資格を得てしまった。

韓国では、「ミニホムピィ」という、個人のホームページを作ることが盛んである。うちの大学の語学の先生も、自分のミニホムピィを持っている人が何人もいる。

私も、せっかく会員になれたのだから、自分のミニホムピィに、韓国語で日記を書き始めよう、と思い立つ。

もっとも、目的はハングルのキーボードに慣れることなので、日記の内容は至って簡単である。この日記のように、ひたすら妄想を書き連ねる、というようなことはしないし、また、できもしない。

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パソコンと映画

8月1日(土)

久々の、休日らしい休日である。

今日、絶対にやろうと決めていたことがあった。

それは、韓国製のノートパソコンを買うことである。

以前から、韓国語のサイトを見たり、韓国語で文章を書くには、やはり韓国製のパソコンが必要である、と痛感していた。これまでなかなか踏ん切りがつかなかったが、今日買わないと、たぶんズルズルとこのまま買わないことになるだろうと思い、郊外にある電気専門店に向かう。

ひとつ、とても気に入ったパソコンが見つかる。86万ウォンと書いてある。

「絶対に負けさせないとダメだから」と妻。

気が弱い私は、値段交渉というのが苦手である。でも妻は、「なんとしても80万ウォンまで下げさせないとダメだ」と言う。

意を決して、「これ、いくらですか?」と店員に聞くと、

「79万ウォンでいいですよ」という。

えぇ!?と、拍子抜けした。思っていた以上に最初から値引きしてくれたのである。

しかし、欲望とはやはり果てしないものである。妻は、

「75万ウォンまで負かりませんか?」

と交渉すると、その若い店員は、

「正直言うと、原価が77万ウォンなんですよ。こちらも利益を少しでもあげなければいけないんで、これ以上は無理っす」

と切り返した。さすが、店員の方がウワテである。

79万ウォンで手を打つ。

ありがたいことに、パソコンがすぐ使えるようにその場でいろいろとセッティングしてくれた。

ようやく懸案だったパソコンが手に入り、ウキウキである。

次に、市内に向かう。映画を見るためである。

この夏最大の話題作は、なんといっても「海雲台(ヘウンデ)」である。

「ヘウンデ」とは、釜山にある有名な海水浴場の名前だが、映画の内容は、このヘウンデに津波が襲う、というもの。いわゆるパニック映画である。

主演は、ソル・ギョング、ハ・ジウォンという豪華キャストで、夏休みらしい大作映画といえるだろう。

すでに妻は、語学堂の先生やチングと見に行ったという。そこで、今回は「ヘウンデ」ではなく、「チャウ」という映画を見ることにする。

10587_l この映画は、ある田舎町で、巨大なイノシシに人が襲われる、というパニック映画である。

「ヘウンデ」が海のパニックを描いているとすれば、「チャウ」は山のパニックを描いている。

しかし、おそらく「ヘウンデ」にくらべると、B級要素がかなり強い映画である。巨大イノシシも、CG合成で作られている、のというのがまるわかりである。

だが、映画を見ているうちに、あることに気づく。

たしかにストーリーは、巨大な人食いイノシシに人びとが襲われ、勇敢な5人がそのイノシシに立ち向かう、という話なのだが、だが、この映画は、たんにそれを描きたかったわけではない。

むしろこの映画でおもしろいのは、イノシシの恐怖に怯える人びとの、滑稽な行動であったり、最高の表情であったりする。パニック映画、というよりは、コメディ映画なのである。

この映画の監督は、得体の知れないものに襲われるかもしれない、という恐怖に怯える人間の「顔」を、まず一番に撮りたいと思い、そこから発想して、巨大イノシシに襲われる、という物語を仕上げていったのではないか、とさえ思えてくる。

監督からすれば、巨大イノシシをリアルに作ることよりも、人間の滑稽な表情や行動の方を、丁寧に撮りたかったのだろう。

ちなみに、この映画には、私が注目している脇役、ユン・ジュムンがまた出演している。妻が注目している主演のオム・テウンもたしかによかったが、私はユン・ジェムンの芝居にどうしても目が行ってしまうな。

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不調

7月31日(金)

「何をやってもうまくいかない日」というのが、必ずあるものだ。

私はそれを「ちぐはぐな日」と呼んでいる。

お昼ごろ、大学の研究室で、宿題のプリントを家に置いてきたことに気づく。

幸い、授業までまだ時間があったので、家に取りに行く。

いつもであれば、午後1時に授業が始まる直前の時間に、その日のパダスギ(書き取り試験)の範囲をさらっておくのだが、今日は、宿題を家に取りに戻ったためにそれができなかった。

それに加えて、このところの忙しさで、かなり精神的にまいってきている。

そのためか、今日のパダスギは、先生のお読みになる文章が、まったく聞き取れなくなっていた。

パダスギとは、先生が読み上げる10の文章を、文字に書き起こしていく、という試験なのだが、今回ばかりは、ぱったりと鉛筆が止まってしまった。

一瞬、先生の読み上げた文章の意味を理解できず、文字に起こすことができなくなってしまったのである。

頭が受け付けなくなっているのか?

おかげで今日のパダスギは10点満点で6点。いままでで最低の出来だった。

そういえば、今朝は変な夢を見た。

私は精神的に追い詰められると、夢に韓国語が出てくるようだ。

語学の教室で、先生と1対1でマラギ(会話表現)の試験を受けている夢。

「もしあなたがニコラス・ケイジなら、どんなことを言いますか?韓国語で答えなさい」という試験。

正確には、もう1人の名前もあったのだが、聞いたことのない名前だった。

「あの…、ニコラス・ケイジはわかるんですが、もうひとりは、どんな人なんですか?」

先生が韓国語でお答えになるのだが、「女性である」というところしか、聞き取れない。

仕方がないので、自分がニコラス・ケイジになったつもりで韓国語で答える。

…ここだけ書いていると、なんだかよくわからない夢なのだが、実はこれには伏線がある。

昨日勉強した語学のテキストに、ニコラス・ケイジ主演の「あなたに降る夢」(邦題)という映画(1994年)のあらすじが乗っていた。

善良な警官・チャーリー(ニコラス・ケイジ)は、欲深い妻・ミュリエルと暮らしていた。一方、ある食堂に、イボンヌという女性が働いていた。イボンヌは、悪い夫のために、財産を全部持って行かれ、お金を稼ぐために食堂で働いていたのである。

ある日、警官のチャーリーがその食堂で昼食を済ませると、チップが足りないことに気づく。そこで彼は、妻に渡すつもりだった宝くじの券を、食堂で働くイボンヌに見せて、「もしこの宝くじが当たったら、賞金の半分をあなたにチップとして渡す」と約束したのである。

すると宝くじが本当に400万ドル当たってしまう。約束通り、イボンヌに半分の200万ドルを渡そうとするのだが、これを知った、欲深い妻のミュリエルが激怒。400万ドルは妻に奪われ、離婚されてしまうのだが…。

…あらすじはここで終わっていた。私はこの映画を見ていないので、このあらすじが正確なものなのかどうかはわからない。

さて、テキストにはこのあとに設問が記されている。「もしあなたがチャーリーの立場だったらどうしますか?」「もしあなたがミュリエルの立場だったらどうしますか?」「もしあなたがイボンヌの立場だったらどうしますか?」「どうすればこの3人が、みんな幸せになりますか?」

なんとも無茶な設問である。

「さあ、みなさんで考えましょう」と文法の先生。

「ピ・チョンカイはどうですか?」

「もし僕がチャーリーだったら、その欲深い妻のところに行って、2,3発ぶん殴ってやります」

おいおい、ずいぶん乱暴だな。

「そんなことをしたら絶対ダメよ」と先生。

「チ・ヂャオはどうですか?」

「もし僕がチャーリーだったら、その400万円は欲深い妻にくれてやり、イボンヌと結婚します。愛があれば、お金なんていりません」

自称プレイボーイらしい答えである。

「どの答えもいまひとつですねえ、…キョスニムはどうですか?」と先生が、今度は私に質問した。

「もし私がチャーリーだったら、…(当たった宝くじのことは黙っていて)別の宝くじを買って、妻に渡します」

苦し紛れの答えだが、これが先生にひどく受けたようだ。

「なるほど、それは考えもしなかったわ。そうすれば、みんな幸福になれるわね」

なぜかわが班のみんなからも喝采される。

映画の内容を知らないので、こんな馬鹿げた答えが適切なのかどうかよくわからないが、いちおうこれで授業がすっきり終わったので、よしとしよう。

…で、長くなったが、今朝見た夢は、どうも、昨日のこの一件が影響を与えているらしい。

夢に「ニコラス・ケイジ」の名前が、唐突に出てきたのも、そのためである。

「ニコラス・ケイジになったつもりで、韓国語で一言!」

この質問に、夢の中の私は何と答えたのか?残念ながらまったく覚えていない。

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