反骨の地
1980年5月18日。
このとき私は小学校6年生だった。だが、その事件について、まったく記憶がない。おそらく、関心すらなかったんだろうと思う。
その事件のことを知ったのは、ずっと後のことである。
さらに、事件の全容を知ったのは、つい最近である。
正確にいえば、映画「華麗なる休暇」(邦題「光州5・18」)を見てからである。
韓国に来てから、一度は訪れなければならないと思っていた。
8月23日(日)、バスに乗ること3時間半。全羅南道・光州市に到着する。
まず最初に訪れたのが、全南旧道庁である。
「市民軍」が韓国軍と戦った、最後の拠点。
今日は、金大中・前大統領の国葬の日である。
光州市民が、この旧道庁に集まって、前大統領と最後のお別れをしているところだった。
光州市民が、全羅南道出身の金大中・前大統領に特別の思い入れがあることは、今さらいうまでもない。しかも民主化運動の象徴であった金大中氏は、光州事件の前日の1980年5月17日に逮捕され、光州事件の首謀者とみなされ死刑判決を受けることになる。
光州事件の舞台となった旧道庁で、光州市民が、金大中・前大統領と最後のお別れをするのは、特別な意味があるのである。
そしてはからずも「歴史の現場」に居合わせたことの運命を思い、私も、前大統領との最後のお別れをすることにした。
ところで、この旧道庁の周りは、急速に再開発が進んでいる。
旧道庁の建物が老朽化していることもあり、これを取り壊す動きも出てきているという。それに対して、保存を呼びかける声もある。
民主化運動のシンボルであったこの建物は、今後どうなるのだろう。
光州事件の犠牲者が眠る場所である。数年前に整備された、新しい墓地。
広い敷地をくまなく歩くと、はずれに「旧墓地」の看板があった。
看板の先の林の中をさらに進むと、移転前の旧墓地にたどりつく。
そこでは、いまでも、犠牲者の身内と思われる人びとが、お花をあげ、供養をしていた。
事件はいまも、生々しい記憶として人びとの中に残っているのだ。
自国の軍隊が、守るべきはずの国民に対して刃を向ける、という信じがたい事件。
そこには、私には理解しがたいような、この国の複雑な歴史的背景や政治風土が存在したのかも知れない。それを「したり顔」で説明する資格は私にはない。
だが、より本質的なことは、「国家権力はときに市民に刃を向けるのだ」ということ。私の生まれた国にも、思いあたるふしは数多くある。
そのことに、私たちは、どれだけ思いを致しているだろう。
翌日の8月24日(月)。所用で全南大学に訪れる。
全南大学は、光州事件の口火を切った場所である。光州事件以後も、民主化運動の象徴的な大学として、数多くの運動が行われた。
所用でお会いした先生が、私が光州事件に関心があることを知って、大学内にある5・18に関する施設などを案内していただいた。
とくに印象深かったのが、大学内のある校舎の壁の全面を使って書かれた、解放闘争の巨大な壁画である。壁画の迫力に、圧倒される。
結局、まる一日、市内を案内していただくことになってしまった。申し訳ないと思いつつ、私にとっては、この「反骨の地」を知る、またとない機会となったのである。
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