モッポのテナガダコ
8月25日(火)
光州から木浦(モッポ)に移動する。
「木浦は港だ」という韓国映画(「華麗なる休暇」と同じ監督)があるように、木浦は海に面した港町である。
まず、国立の海洋遺物展示館を訪れる。
ここの展示の目玉は、古い時代の沈没船から引き上げられた青磁や白磁をはじめとする、数々の貿易品である。
もちろんそれも圧巻なのだが、漁労の民俗に関して展示したコーナーもなかなか面白い。
先っぽの方に、白くて丸いものがつけられている。
よくみると、どうやら白磁の茶碗かなにかの欠けらを、円形に成形して、それを仕掛けにしているようである。
これを見て、以前、あるラジオDJが言っていたことを思いだした。
そのラジオDJがある日、急に思い立ってイイダコ釣りに出かけた。そこで、イイダコを釣るためのエサとして、地元の漁師さんが「ラッキョウ」をつけてくれたという。
イイダコがラッキョウに飛びつくという理由がよくわからない、と、そのラジオDJが言う。
「イイダコがラッキョウを好きになる理由がわからない。だいたい、ラッキョウ、て、海のものではなくて、山のものでしょう。イイダコがラッキョウを知るきっかけって、何?」
「考えられるのは、イイダコ釣りの漁師さんが、前の日の夕食で残ったカレーを弁当として持ってきていて、そこに一緒にラッキョウも添えられていた。漁師さんがカレーに添えてあったラッキョウを食べようとすると、箸がすべって、コロコロコロッとなって、海へポチャン。それをたまたまイイダコが食べてからというもの、イイダコがラッキョウの虜になった…。そうとしか考えられないね」
話術を正確に再現できないのが残念だが、どうも妄想に過ぎる仮説である。
もちろんこの話はそれで終わらない。そのラジオDJがいろいろと調べてみると、イイダコは、「白くてきらきら光るもの」に飛びつく習性があるらしい、という。「白くてきらきら光るもの」として、ラッキョウは手ごろな仕掛けだったのである。
ここに展示されている白磁の欠けらの仕掛けも、これとまったく同じ理屈だろう。イイダコと同じマダコ科のテナガダコもやはり、同じ習性があったのである。
「所変われば仕掛けも変わる」。同じ「白くて光るもの」でも、ラッキョウではなく、白磁の欠けら、というのが面白い。全羅南道が陶磁器の名産地であることと関係するのだろうか。漁師さんたちのもつ普遍的な知恵と、その知恵を活かす地域性とが、よくわかる事例ではないか。
そんなことを考えていると、お腹が空いてきた。お昼は当然、テナガダコである。
市内に戻り、テナガダコ料理の有名な店に入る。そこで、「ヨンボタン」という、テナガダコが入ったスープを注文する。
やはりテナガダコは美味いね。だいたい私は、テナガダコが好きなのだ。私がへムルタン(海鮮鍋)を好んで食べるのも、このテナガダコがあるおかげである。
そのラジオDJが、イイダコが食べたくなって、イイダコ釣りに行きたくなる理由も、なんとなくわかる。私も釣りに行こう、とは思わないけれど。
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