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チアチア族の教科書

久々に、時事的な話題を1つ。

8月7日、韓国で次のようなニュースが報道された。

これまで文字を持たなかったインドネシアの少数民族が、ハングルを公式文字として採択して、ハングルで表記した教科書を使いはじめた、というニュースである。

2009080603071_2009080628591 ハングルを公式文字として採択した少数民族とは、インドネシアのバウバウ市のチアチア族である。

チアチア族は、自分たちが使っている言語であるチアチア語を表記する公式文字として、ハングルを採用することに決めたのである。

人口6万名あまりの少数民族であるチアチア族は、自分たちの言語を持っているものの、これを表記する文字がないため、固有語であるチアチア語を失う危機に瀕していた。

このことを知った韓国の訓民正音学会の人たちは、バウバウ市のチアチア族を訪ねて、彼らのためにハングルの教科書を作成することにしたという。

そして、このたび、その教科書が完成した、というわけである。

このニュースを取り上げたのは、たんに「バウバウ市」とか、「チアチア族」という言葉の響きが印象的である、という理由からではない。

語学の授業で、先生がこぞってこのニュースを取り上げたからである。

ハングルが、表音文字であり、きわめて合理的に作られた文字であることは、よく知られている。

「だから、文字を持たない人びとも、ハングルを覚えれば、自分の言葉を文字にすることができるんですよ」と、語学の先生は、たびたびおっしゃっていた。

そしてそれが、このたび現実のものとなったのである。

「みなさんも、インドネシアのチアチア族の学校に行けば、教科書を読むことができるんですよ。もっとも、内容は理解できませんけど」と、先生。

そりゃそうだ。言語自体は、チアチア語なので、彼らの言葉をハングルで表記したところで、意味がわかるわけはない。それに、この先、チアチア族を訪れる機会があるかどうか…。

ところで、「ハングルの世界化」は、韓国語を専門にしている人びとにとって、おそらく悲願であった。この合理的な文字体系を、少しでも多くの人びとに使ってもらいたい、ということなのだと思う。

だからこそ、このニュースが、韓国語の語学の先生方の間でも、話題になったのだろう。

ようやく、インドネシアの一少数民族を通して、その風穴を開けることができたのである。その意味で、今回のニュースは、韓国にとって慶事である。

だが、私には、よくわからない部分もある。

今回の場合は、あくまでもチアチア語の音をハングルで表記する、ということに過ぎず、たとえば、中国の漢字が韓国や日本の言語表記に影響を与えたこととは、質的に大きく異なる。

そもそも、韓国語は、漢語に由来する表現があまりに多い。それは日本語の場合も同様である。

だから、言語において、何が固有で、何が固有ではないか、を考えることは、かなり難しいと思う。

それはともかく、今回の場合、中国の漢字が世界化する、という意味とはまったく異なるレベルであることは、もはや明白である。その差異が、表意文字と表音文字の違いに由来するものであることは言うまでもない。

そして、ますますわからないのは、エスペラント語のように、韓国語を世界共通の言語をめざす、というならまだ話はわかるが、ハングルという文字を世界化する、ということに、どういう意味があるのだろうか。

専門家の先生からは怒られてしまいそうだが、私にはよくわからないのである。

どうもこのあたりに、言語と文字、そしてそれにまつわるナショナリズムの問題がひそんでいるように思う。そして、韓国の大学で、なぜ外国人に対してかくも開かれた韓国語教育がきわめて熱心に行われているのか、という私のかねての疑問を解く鍵があるようにも思う。

まだ、私の中に答えがあるわけではない。先入観を捨てて、もう少し、この問題を考えてみたいと思う。

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