8年の歳月
8月16日~18日。日本からのお客さんをご案内してのソウル観光。
コースの選定などをまかされていた私には、この機会にしてみたいことがあった。
それは、8年前に訪れた場所に、もう一度訪れてみよう、という個人的な願望である。
8年前、前の職場の同僚のゼミ旅行に同行した。この旅行をきっかけに、その後たびたび、その同僚と韓国を旅をすることになる。
その時に訪れたのが、江華島と、ソウルの西大門刑務所である。
いまから思えば、何でそんなところに20歳そこそこの学生を引率したのか?という疑問がわいてくる。
江華島も、西大門刑務所も、暗い歴史を背負った場所である。おそらくは初めての海外旅行であろう学生たちを引率する場所としては、教育的な意味を持つとはいえ、かなりヘビーである。
ま、彼のゼミ旅行は、ずっとそんな感じだったのだが。
この2月に、「卒業旅行」と称して学生がソウルに来たときも、西大門刑務所はさすがに腰がひけて案内することはできなかった。
幸い、今回ご案内するお客さんは、その筋の専門家ばかりなので、気兼ねなくご案内することができる。
そこで、今回の旅のコースに、江華島と西大門刑務所を含めることにしたのである。
江華島は、8年前の印象と、ほとんど変わらなかった。大きく変わったのは、8年前は建設中だった、半島と島を結ぶ2本目の橋が、完成したことくらいか。
不思議なもので、海に面した砲台に立つと、8年前の記憶が少しよみがえってくる。
さて、翌日に訪れたソウルの西大門刑務所はどうか。
こちらの方は、この8年の間にいろいろと手を加えられたようだ。そしていまも、大規模な改装工事をしている最中で、臨時に別の建物を使って、展示がなされている。
1908年に建てられたこの西大門刑務所は、植民地時代に、多くの政治犯が投獄され、拷問を受けた場所である。この建物を利用して作られた歴史館では、植民地時代に行われた数々の拷問の様子が、リアルな人形を使って再現されている。また、その拷問を疑似体験できるコーナーもある。反日教育の場であると、しばしば言われる。
「以前に比べると、年々残虐性が増してきている気がしますね」と、ソウル在住の先生。
8年前も、残虐な拷問シーンの再現に衝撃を受けたものだが、たしかに拷問体験コーナーが増えているような気がする。
最もショッキングなのは、死刑台に置かれた椅子に座って、踏み板を外す、という体験コーナー。もちろん、実際に踏み板がはずれて下に落ちるわけではないのだが、椅子に座ると、ガタン、と、数センチほど踏み板が落下するしくみになっている。それだけでも十分に恐ろしい。
また、日本語の展示解説も、以前にはなかったのだという。
「以前は、日本人がここに来ると、『ここはお前たちのために展示しているのではない』とよく言われたものですが、いまは日本語のパンフレットもありますし、解説も増えました」とソウル在住の先生。
残虐性と開放性。
あらためて知ったのだが、この刑務所は、1980年代まで実際に使用されていたそうだ。つまり、解放後も、現役の刑務所として引き続き使用されていたのである。
そこで思い出したのが、1年ほど前に日本で見た美術展。
軍事政権下での、韓国の民衆運動を描いた絵画や彫刻を集めた美術展が、日本で行われた。そこでは、軍事政権下で、政治犯が拷問を受けている様子を描いたものがあったのだが、それがまさに、ここで復元されている拷問の様子と、そっくりだったのである。
植民地時代の拷問が、戦後の軍事政権下でも引き継がれる。悲しい拷問の連鎖である。
「たしかに、本当は解放後も数々の拷問が行われたはずなんですが、ここの展示は植民地時代だけに限られていて、それに対する批判もあるんですよ」と先生。戦後の刑務所の様子は、不問に付されてきたのである。
「だから、改装工事が終わって、展示がどのように変わるのか、とても注目されるんです」
なるほど。リニューアルされたら、どのように変わるのか、また来なければならないな。元同僚に代わって、見とどけることにしよう。
…うーむ。やはりカタイ話題は書くのにものすごい時間がかかる。「韓国現代史3部作(?)」は、これにて終了!
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コメント
はじめまして
西大門刑務所の展示内容は捏造です。
西大門刑務所はあまりにひどい大韓帝国の刑務所代わって、近代的な刑法を実施するために、日本の指導の下に建てられた刑務所です。
日本の保護下に入る前の朝鮮は、支配階級が自分の逆らった人間を逮捕・投獄し、拷問や処刑を行っていました。
日本はそれを禁じ、法律の下に罪を裁こうと韓帝国を指導しました。そして、刑に処される人々の人権、刑務所内のひどい生活を改めようと、「西大門刑務所」を建てました。
この刑務所での死亡者数は38年間で90人です
展示のような拷問を行っていたなら、この数字はありえません。
投稿: きよてる | 2009年8月22日 (土) 03時44分