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2009年9月

ボッサム!ボッサム!

9月29日(火)

今日の3分マラギは、私の隣の席のリ・チャン君の担当で、テーマは「男女差別」。

パソコンの画面にさまざまな画像を出しながらの説明。

中国古代の拷問の図や、韓国の最近のドラマの1シーンの写真などを駆使して、面白くまとめながら説明していたのだが、肝心な「男女差別」というテーマからは、やや遠い内容である。中国古代の拷問と韓国のトレンディドラマの脈絡もよくわからない。ただ単に面白そうな絵をつなげただけなんじゃないか?

発表のあと、ひとりひとりが感想を述べていく。

「中国では、韓国や日本ほど男女差別が深刻ではない、と聞いたことがありますが、実際のところはどうなのですか?」と私。

会社や研究機関のトップに立つ女性がけっこう多い、と聞いたことがあった。また、「中国では料理は男がする」と聞いたこともある。

「そうです」と、リ・チャン君が答えた。

「どうして、男女差別が深刻ではないのですか?」

ここから、先生をはじめ、いろいろな人が、意見を言いはじめる。

すると、リ・チャン君が、隣の私にヒソヒソ話で説明しはじめた。

「中国では、1921年に共産党が結成される前の1919年に、魯迅などの思想家や作家たちが、男女平等を訴える運動をしたんです。それが、共産党の中にも取り入れられ、こうした考え方が発展していきました」

およそ、こういう内容の話である。正確な話かどうかはわからない。

へぇ、と、不勉強な私はリ・チャン君の「講義」を聞いていると、

「そこは何を話しているの?大事な話?」

またもや、私語を先生に咎められる

するとリ・チャン君が答える。

「いえ、たいした話ではありません。ただ、中国で男女平等の考え方がどのようにして生まれたのかを話していただけです」

おいおい、その話が一番大事じゃないか。

「その話をみんなの前でしなさいよ」と、私が突っ込んだ。

「そうよ、どうしていつもリ・チャンはキョスニムにだけ話すの?!」と、先生も呆れる。

緊張した面持ちで、今の話をもう一度みんなに説明した。やはり私1人に対しての方が、話しやすいのかも知れない。

その後も、則天武后の話など、ヒソヒソ話によるリ・チャン君の「個人講義」は続いた。

授業が終わり、今日は文法の先生が呼びかけた昼食会がある。

授業終了後、語学堂の1階に集合することになっていた。先週のテンションから考えると、誰も来ないのではないか、と心配したが、7名が参加した。

「何が食べたいですか。…いちおう、しゃぶしゃぶとか、ボッサムとかを考えたんだけど」と先生。

しゃぶしゃぶは、前学期の3級6班の親睦会で食べたことがあるが、日本のしゃぶしゃぶを食べている身としては、できれば避けたい。

そこですかさず「ボッサムがいいです!」と提案して、これが採用される。

Photo ボッサムとは、茹でた豚肉をキムチに巻いて食べるもので、以前、何度か食べてかなり気に入っていた。

大学の近くのボッサムのチェーン店に入る。

食べながらいろいろと話をする。やはり、喋ることで、気持ちが楽になったり、ストレスを発散したりすることができるのだな、と、みんなを見ていて実感する。私はいつものように、もっぱら聞き役だったが。

食べ終わって大学に戻る。午後の授業を終えた妻と合流して、夕食は何を食べようか、と相談。「昼にボッサムを食べた」と言うと、自分も食べてみたい、と。

そこで、昼に行ったばかりのボッサムのチェーン店に、もう一度行くことにした。

ところが、昼は、車で連れていってもらったので、店の場所をまったく記憶していない。五叉路のところまでは覚えているのだが、そこから先がまったくわからないのである。

はて、この先、どの方向に行けばいいのか?確率は4分の1である。

「だったら語学の先生に電話して聞いてみたら?」と妻。

私は逡巡した。夕食時に、「昼に行ったお店の場所を教えてください」と聞かれた先生はどう思うだろう。「夕食もボッサムかよ!どんだけボッサムの虜なんだよ!」と、絶対に思うに違いない。

例によって私の妄想がとめどなく広がる。

だが妻の圧力に屈して、電話で先生に聞くことにした。

おかげで、お店に無事到着。本日2度目のボッサムを堪能した。

しばらく、ボッサムはいいや。

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続・とりとめのない授業風景

9月28日(月)

今日も授業に遅れてきたリ・チャン君が、休み時間に話しかけてきた。

「昨日、ボクの夢にキョスニムが出てきたんです」

「え?私が?」

「ええ」

「どんな風に出てきたの?」

「キョスニムがボクに、授業で歴史を教えている夢です」

夢の中の「私」は、いったいどんなことを教えていたのだろう。それ以上は、なんとなく聞くことができなかった。

さて、文法の授業の2時間目。

それまで、元気に授業を聞いていたハナさんが、急に下を向いて、先生の言うことに何も反応しなくなってしまった。

そのことに気づいた先生が、「ハナさん、どうしたの?」と聞く。

「すいません。ヒュジ(ちり紙)をください」と下を向いたまま蚊の鳴くような声で言った。

ヒュジを渡すと、それで顔を拭っている。

どうやら泣いているようである。

授業中に、これといった原因があったわけではない。

何かを思い出したのか、単身で外国に留学しているゆえの漠然とした寂しさからなのか、あるいは直接的な原因があるのか、よくわからない。

いずれにしても、ふだん、誰よりも元気なハナさんが泣いたことは、わが班のみんなにとって、意外に感じたことだろう。

文法の時間が終わり、休憩時間にハナさんは教室を出た。

休憩時間が終わり、後半の授業を担当される「よくモノをなくす先生」(マラギの先生)が教室に入ってきた。

「今日の3分マラギは、ハナさんが担当なんですけど、なにか悲しいことがあったみたいで、外で休んでいます」

先生も、原因がよくわからないようだ。

「さて、ハナさんが戻ってくるまでの間、どうしましょうか?最初に、今日やる予定の授業を済ませましょうか?」

先生も、どのようにしてこの時間を過ごせばいいのか、考えあぐねていらっしゃる。

私が提案する。

「ソンセンニム(先生)!先生は子どものころ、シゴル(田舎)に住んでいたそうですけど、その時の話を聞かせてください。いろいろと面白い話がある、と聞いてます」

前学期に「よくモノをなくす先生」の授業に出ていた妻から、「先生の田舎ネタは面白い」という話を聞いていた。ちょっとどんよりした雰囲気を和らげようと、よかれと思って提案した。

そもそも、先生の家族がなぜシゴルに住んだのか、という話からはじまる。小学校の教員をしていたアボジ(お父さん)は、シゴルの学校に赴任すれば、ポイントが上がる、という理由で(どんなポイントなのかはよくわからない)、シゴルの学校を転々としていた。その影響で、先生も子どものころ(1歳から7歳くらいまで)、シゴルに住んでいたのだという。

あるとき、アボジ(お父さん)が、ウルルンド(鬱陵島)に転勤の希望を出そうとしたので、オモニ(お母さん)がそれを必死にとめた、ということがあった。「あやうく、離れ小島のウルルンドに住むところだったのよ」と先生。

ここで、ハナさんが教室に戻ってきて、「遅くなってすいません」といって、3分マラギをはじめた。

目は赤く腫れていたが、流暢な韓国語で3分マラギを終えた。

3分マラギのあと、ひとりひとりが感想を述べる。

みんな、ハナさんの韓国語を褒めたたえた。パンジャンニム(班長殿)のロン・チョン君は、「とてもいい発表だったと思います。みんなでもう一度拍手しましょう」と、拍手をうながす。彼らは、本当に優しい。

「ハナさんの悲しそうな表情を見て、思い出したことがあったわ」と先生。

「小学校に入って、田舎から町に引っ越したんだけど、なにか動物を飼いたい、と思って、小学校の門の前で売っていたひよこを2匹買ったことがあってね」

日本でも昔、小学校の門の前で「カラーひよこ」を売っていた、なんて話を聞いたことがあるな。ひよこに青とか緑とか着色して売る、という商売。ひよこのうちはかわいいが、やがて鶏になると、子どもが育てるには手に負えないほど大きくなってしまうので、たいへんな目にあった、などという話をよく聞いた。私には経験がないけれど。

「で、アパートの中で飼っていたのね。ある時、私がそろばん塾に行って勉強していると、塾に電話がかかってきたの。私の弟からだったのよ」

「私が電話に出ると、弟は泣きながら、『おねえちゃん!ひよこを踏んづけちゃった!』というのよ。その話を聞いて、涙がボロボロこぼれてきて、そろばんの練習がまったく手につかなくなったの」

「早く帰りたい、と思ったんだけど、練習が全部終わるまで家に帰してくれなくて、いつもは全問正解なのに、その時は、50問中、40問も間違えてしまったのよ」

「で、家に帰って、弟と一緒にアパートの庭にお墓を作って、泣きながら(お墓に)牛乳をかけてあげたのね」

どうして牛乳をかけたのかはよくわからない。

先生の話はまだ続く。

「で、1匹が残ったんだけど、1匹だけじゃかわいそうだと思って、今度は3匹買ってきて、合計4匹を育てることにしたの」

「そうしたら、どんどん大きくなって、体が白くなって、赤い鶏冠が生えてきて、とてもアパートでは飼えないくらい大きくなってしまった。それで、田舎のハラボジの家に預けることにしたのよ」

さて、その4羽の鶏は、その後どうなったのか?

「ある時、田舎のハラボジのところに行ったら、美味しいフライドチキンが出てきたの。それを全部平らげたあと、ハラボジに、実はこのフライドチキンは、飼っていた3羽の鶏だった、と言われたのよ」

よくある話である。

で、4羽のうち、3羽はフライドチキンになり、あと1羽はどうなったのだろう。

「あと1羽は、田舎の家で飼っていた犬とケンカして、犬に殺されたのよ」

なんとも悲しい話である。

動物を飼っていると、たいてい最後は、悲しい思い出で終わるものである。

「ハナさんの悲しそうな表情を見ていて、急に小学校の時のひよこの話を思い出したわ。ひょっとしてハナさんも、ひよことか飼ってる?」

そう言えば、田舎で飼っていた犬についても、面白い話を聞いた、と妻が話していたな。

「ソンセンニム!こんど時間があったら、田舎で飼っていた犬の話をしてください!」と私。

「ああ、あの話ですか。今度またお話ししましょう」

授業が終了。教室を出ると、またクォ・リウリンさんと廊下ですれ違う。

「アンニョンハセヨ?」

「アンニョンハセヨ?こんどのマラギ大会、出る?」

「いえ、出ません」

「出なよ」

「自信がないのでダメです。キョスニムは出るんですか?」

「うん」

「じゃあ、その時に応援に行きます」

「たぶん、予選で落ちると思うよ」

「大丈夫ですよ」

先週の金曜日と同じような、とりとめのない授業風景である。

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調査旅行のたんなる「ほーこく」

9月26日(土)

以前、ソルラル(正月)の時に資料調査に連れていっていただいたK先生から、また、調査旅行のお誘いをいただく。

今回は、その先生の同僚のI先生、ソウルに留学されている日本人のAさんとTさん、そして私の妻も加わり、総勢7名の調査旅行である。

朝9時20分、大邱から、チェチョン(堤川)行きのバスに乗り、11時30分過ぎに到着。そこで、ソウルからいらした御一行と合流する。ここから、車2台に分乗して、タニャン(丹陽)という町に向かう。

Photo 丹陽は、韓国でも有数の景勝地である。そこに、一度見てみたいと思っていた資料があるのだが、車を使わないとたどり着けない不便なところにあった。今回、お二人の先生方のおかげで、念願かなって見に行くことができたのである。

目的の資料の調査に思わぬ時間を取られ、そのあとに予定していた山城踏査が、夕方近くになってしまった。

「めったに行けないところなので、この機会に行きましょう」と、車に乗り込む。

ところが、思っていた以上に、移動に時間がかかり、すでに暗くなり始めていた。

車を降りて、山道を歩き始める。誰も道がわからない。

不安になりかけたころ、目的の山城に到着。周辺をひととおり見て、城壁の門を出て、後ろをふりかえると、一同「おおっ」と声をあげた。

Photo_2 ちょうど、城壁の門の間から、月がのぞいていて、なんとも幻想的である。

「まるで『荒城の月』ですね」と、ソウルに留学中のTさんが言った。

これを見ただけでも、来た甲斐があったというものだ。

山から降りた時は、すでに真っ暗だった。

Photo_3 軽い夕食をとったあと、丹陽にある、「自然休養林」というところに向かう。本日の宿泊場所である。

文字通り自然に囲まれた中にある宿泊施設である。

市場で買い込んだ、サムギョプサルやマッコルリ、焼酎、ビールなどを堪能する。

とくに、枝豆から作った、この地域独特のマッコルリが、最高に旨い。

考えてみれば、昨日(金曜日)から、マッコルリの日々である。

昨日、今週の授業がひとまず終わり、ストレスが最高潮に達した私たちは、久々に、大学の近くにあるマッコルリの店に行って、マッコルリをしこたま飲んだ。

そして、今日(土曜日)の昼食の時にも、マッコルリを飲み、今夜もこうしてマッコルリを堪能している。

酒宴は午前1時まで続いた。

9月27日(日)

Photo_5 朝9時過ぎに宿所を出発。今回のもう一つの目的地、中原というところにある資料を調査する。

中原とは、その名の通り、韓国の中央に位置する場所、という意味である。午前中いっぱい、資料を調査する。

午後、強い雨が降り出し、予定していた山城踏査は中止。博物館を見学して、少し予定より早く、解散した。

ほぼ同世代ともいえる人たちによる、気楽な旅行であった。しかし、相変わらず痛感するのは、私自身の社交性のなさと、愚鈍さである。まったく、こういう経験をするたびに、自己嫌悪に陥ることしきりである。つくづく、この業界に向いていないと思うね。いろいろと反省する点は多いのだが…、これ以上書くと、完全な愚痴になり、また死にたくなるので、今回の記事は、なんのひねりもない、たんなる「ほーこく」(報告)にとどめる。

Photo_4 大邱に戻り、夕食は市内でも美味しいことで有名なハンバーガーショップに行って、久々にハンバーガーを食べる。

たまに食べるハンバーガーは、「本当にうっんめえ(美味しい)!」

これも、たんなる「ほーこく」。

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とりとめのない授業風景

9月25日(金)

朝、語学堂の教室に入ろうとすると、前学期の3級6班の時のパンジャンニム(班長殿)こと、クォ・チエンさんが話しかけてきた。クォ・チエンさんはいま、私の隣の班で、やはりパンジャンニムをつとめている。

「来週の火曜日、3分マラギで『男女差別』というテーマで発表しなければならないんです。で、日本では、男女差別が起こった場合、どうやって解決するのかを、事例にあげたいので、教えてほしいんです」

ずいぶんと難題である。

「難しいねえ。いますぐには答えられないけど、いつまでに答えればいいの?}

「今日の授業が終わるまでにお願いします。一言でかまいませんので」

日本における男女差別の問題は、一言で片付けられるようなものではないのだが。しかも、いまだ解決されていない問題を、今日の授業が終わるまでに一言でまとめる、というのは、かなり無理がある。

「わかった。じゃあ、考えがまとまったらあとで知らせるよ」

授業が始まる。

文法の先生は、ヤン・チャン君が、授業中、一言も言葉を発していないことを注意する。

「言葉の練習なんだから、例文を声に出して作りなさいよ。まだ一言も発していないじゃないの。このまま何も言わないんだったら、歌を歌ってもらうわよ」

それでも、彼は下をうつむいたままである。

もともとヤン・チャン君は、おとなしい青年である。韓国語が思うように話せないことに、少しばかりコンプレックスを感じているのかも知れない。

そのヤン・チャン君が、休み時間に話しかけてきた。

「あの…、韓国語の「ジュンビ」を、日本語では何て言うんですか」

クォ・チエンさんに頼まれた難題の回答をメモ用紙に書いていた私は、手を止めて質問に答えた。

「日本語でも『準備(ジュンビ)』だよ」

「やっぱり」

「それがどうかしたの?」

「前に、日本のドラマを見ていたときに、『ジュンビ』という言葉だけが聞き取れたんです。ひょっとして、韓国語の『ジュンビ』と同じなのかな、と思って」

「中国語では何て言うの?」

「『ジュンペイ』です」

「へえ、おんなじだね」

「そうですね」

彼は、決して喋りたくないわけではない。喋る機会をうかがっているのだ。

日本の男女差別の問題を韓国語で1文にまとめた私は、隣の班のクォ・チエンさんのところに行って、書いたメモを渡しながら説明した。

「これで十分です。ありがとうございました」

後半のマラギの授業。

「アンケート調査票」と作り、実際にアンケートをとって、回答を分析して発表する、という練習を行う。

2つのチームに分かれて、それぞれがアンケートのテーマを決めて、調査票を作成する。それを交換して、お互いそのアンケートに答え合う、というもの。

今日の出席者は12人だったので、6人が1チームとなった。

さて、アンケートのテーマは何にしよう…。

お調子者のリ・チャン君が、「恋愛の意識調査にしましょう」という。

またその手の話かよ!と思いつつも、彼の意見を採用する。

次の問題は、どういう設問を作るか、である。

「ヨジャ・チングと別れてしまったあと、どうするか、というのはどうでしょう」と、再びリ・チャン君。

「どういうこと?」

「たとえば、酒をたくさん飲んで忘れるとか…そういう答えです」

「ちなみにリ・チャン君はどうするの?」

「ボクは、…泣きます」

「え?泣くの?」

「ええ。信じられませんか?」

すると、おとなしいヤン・チャン君が、リ・チャン君の肩をポンポンとたたきながら、喋りだした。

「そう、こいつは、ヨジャ・チングと別れると、酒を飲みながら泣くんですよ。そのたびにボクが、『まあそう気にするな』といって励ますんです。そんなことが、いままでに3,4回ありました」

リ・チャン君とヤン・チャン君は、小学校から高校まで、ずっと一緒だったという。いわば幼なじみである。今また、韓国でも同じクラスだ、というのだから、腐れ縁というやつか。

その友情に、なんともほほえましさを感じる。そういえば私にも、小学校から高校まで同じクラスだった幼なじみがいたな。たぶん、こんな感じだったんだと思う。

アンケート票を作っている間、少し時間の余裕があったので、「よくモノをなくす先生」(マラギの先生)と雑談する。

「日本語にも『サトゥリ(訛り)』があるでしょう。どんな感じなんですか?」

私が答える。

「たとえば、韓国語の標準語で『オディガニ?』(どこ行くの?)を大邱サトゥリでは『オディガーノ?』と言いますよね。日本語では、東京の言葉で『どこ行くの?』が、大阪サトゥリでは『どこ行くねん?』となるんです」

得意になって説明していたら、遠くでそれを聞いていたスンジ氏が笑いながら言った。

「『どこ行くねん?』なんて、そんな風に言いませんよ」

そう言えば、スンジ氏は大阪出身だった…。

「じゃあ何て言うんです?」

「『どこ行くねん?』はちょっと言葉が強いですね。『どこ行くん?』だと思います」

なるほど。やはりネイティブは違うな。私は、得意げに東京弁と大阪弁の違いを説明したことを恥ずかしく思った。

それにしても、アンケート調査票を作ることよりも、こうして雑談している方がよっぽど楽しい。なにより、ふだんの堅苦しい授業ではまったく喋らないヤン・チャン君やスンジ氏も、こういう雑談の場ではけっこう話したりしているではないか。

少しずつ、この班の堅苦しい雰囲気が溶けはじめていることを実感する。

授業が終わり、教室を出ると、廊下で、やはり3級の時に同じ班だった、クォ・リウリンさんが挨拶してきた。

「アンニョンハセヨ?」

「アンニョンハセヨ?この前のTopik(韓国語能力試験)どうだった?」

「全然ダメでした。8月のパンハク(休暇)の時に故郷に帰っていたので、それまでに習ったことを全部忘れてしまいました。キョスニムはどうでした?」

「私もパンハクにあちこち旅行に行っていたので、ダメだった」

3級時代、あまり会話を交わしたことのないクォ・リウリンさんとの会話がはずむ。これも、韓国語が少しずつでも上達したおかげであろう。クォ・リウリンさんも、韓国語に自信が持てるようになったなのか、その表情は生き生きとしていた。

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よくモノをなくす先生

9月24日(木)

前半の文法の授業。

文法の先生が、一番前に座っているカエさんに質問する。

「言葉は何カ国語できるの?」

「英語と、韓国語と、日本語です」

日本語は母語だから当然だとしても、英語圏に留学経験があるカエさんは、英語も不自由なく話せるのだろう。

「まあ、いいわねえ…。みなさん。何カ国語も喋れる、って、いいですよね」

そこで思い出したように、先生が話を続ける。

「ところでみなさーん。キョスニムみたいな生き方、いいと思いませんか。大人になってから、外国へ来て、学生に戻った気分で勉強するのって、うらやましいですよね。大学生と同じように楽な服装で、学生と一緒になって勉強するなんて、ホントうらやましいわ」

たしかに、いまの私の服装は、学生と同じような気楽な服装である。韓国へ来て、背広を着る機会はほとんどない。

「語学院のなかにも、キョスニムに感化されて『自分も何年か経ったら、外国に留学して勉強したい』と思っている先生がいるんですよ。私も、あと10年ぐらいしたら、海外で勉強したいなあ」

そういうものかなあ、と思う。こっちは学生時代から語学の勉強が死ぬほど嫌いで、いまそのツケがまわってきているにすぎない。どうにも息苦しくなることもしばしばである。実際、毎日が精神的にギリギリの生活である。

さて、後半のマラギの授業でのこと。

ふだんは眼鏡をかけているマラギの先生が、今日は眼鏡をかけていない。

髪型や服装も、心なしかいつもと違う。

イメチェンか?

めざといリ・チャン君が、先生が教室に入ってくるなり、さっそく質問する。

「ソンセンニム(先生)!眼鏡、どうしたんですか?」

「眼鏡?なくしちゃったのよ」

どういうことだ?

「昨日の夜、家で寝るときに枕元に置いたんだけど、朝起きてみたらないのよ。1時間探しても見つからなかったのよ」

そこで私が耐えきれず爆笑する。

前にも書いたように、マラギの先生は「よくモノをなくす方の人」である。昨日も、宿題の用紙を、教室に持ってくるのを忘れてしまったのである。机に置いておいたはずなのに、なくなってしまうのだという。

妻に聞くと、前学期の授業でも、そんなことが多かったという。

私は失礼を承知で先生に聞いた。

「妻から、先生は『よくモノをなくす方の人』だ、と聞いたんですが」

私の好きな「○○する方の人」という表現を使って聞く。

「そうなんですよ。私がいつもモノをなくすものだから、ナムジャ・チング(ボーイフレンド)がいつも探し回ってくれるのよ」

それにしても、枕元に置いた眼鏡までなくしてしまう、とは、いったいどんな物品管理をしているのだろう。

「私が宿題の用紙をいつも忘れてしまうので、今日は5日分まとめて配りますからね。…まったく、ハルモニ(おばあさん)でもないのに、(すでにこんな忘れっぽいなんて)クン イリエヨ(おおごとだわ)」

「クン イリエヨ」は、直訳すると「大きな事だ」。日本語のニュアンスとしては、「おおごとだ」とか、「一大事だ」ていどの意味。韓国人はこの言葉を非常によく使う。私はなぜか、この言葉を聞くのが好きである。

「よくモノをなくす先生」は、良い意味でも悪い意味でも無邪気な先生である。「この教材のテーマ、つまらないでしょう」とか、「中国での民族差別についてはどうなの?」とか、平気でおっしゃったりする。ときにそれが、学生たちの共感を呼ぶこともあるし、(話題によっては)ヒヤリとさせられることもある。

そもそも「よくモノをなくす先生」の大学での専門は、「韓国語」であり、いわゆる「韓国語教育」ではないため、韓国語教育を専門にしている先生ほどの「必死さ」がない。それがかえって、いい具合に力の抜けた授業となり、結果的に、学生たちが積極的に韓国語で話しやすい環境を作っているかもしれない。

「(前半の)文法の先生は話も面白いし、声も大きくて表情も豊かで本当にうらやましいわよねえ。ソウルの大学に通っていたから、洗練されているのよ。私なんか、田舎育ちで、大邱しか知らないから、面白くないのよ」

と、よくおっしゃる。「あんたも、十分に面白いんだが」と思うのだが、ご本人はコンプレックスがあるらしく、ことあるごとに「田舎育ち」を強調して、自虐的になる。

まったく、人間の認識とは面白い。

そして、この語学堂には、実にさまざまなタイプの先生がいることあらためて知ることができて、飽くことがないのである。

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整形手術は是か非か

9月23日(水)

10月の終わりに、いま通っている大学で、外国人によるマラギ大会(スピーチコンテスト)が行われることを、昨日、前半の文法の先生がみんなに告知した。

「みなさーん。みなさんの中で、マラギ大会に参加したい、という人はいますかー?」

静かなわが班は、誰も手をあげようとしない。

「誰もいないの?昨日、隣の班のチング(文法の先生は、隣の班のマラギの授業も担当しておられる)に聞いたら、4人も手をあげましたよ。どうしてこの班は静かなのかしら」

すると、英国で育ち、英語を母語としているハナさんが、手をあげた。

ハナさんは、ものの考え方が西洋的というか、アジア人とは違って、やはり積極的である。韓国語も流暢なので、マラギ大会に参加したいと考えるのもうなずける。

ほかの人たちは、私も含めてスピーチの自信がないため、誰も手をあげなかったのである。

「せっかくの経験ですから、参加した方がいいと思いますよ。失敗を恐れることはありませんよ」と先生。

たしかに、消極的な学生が多いのは事実だが、興味を示している学生もいるはずである。たとえば、前学期の3級で同じ班だったリュ・リンチンさんは、ふだんはおとなしいが、まじめだし、勉強熱心なので、なにかのきっかけさえあれば、マラギ大会に参加しようと思うかも知れない。

「先生、前学期にリュ・リンチンさんと同じ班でしたけど、マラギがとてもよくできると思います」と私は、リュ・リンチンさんを推薦した。

「どうですか?リュ・リンチンさん」と先生。

「少し考えさせる時間をください」と言った。やはり、興味はあるようだ。

私自身は、参加する気などさらさらななかったのだが、家に帰ってから妻に、「せっかくの機会なんだから参加してみたら?」と言われ、その気になる。

40歳のアジョッシ(おじさん)が、若い学生に混じって、スピーチ大会に奮闘する姿は、たしかに「面白い絵」になる。

そのことを想像して可笑しくなり、参加することに決めた。

そして今日の授業の最初に、文法の先生が、

「マラギ大会に参加しようという人はいませんか?」

と聞かれたので、手をあげる。

これでわが班からの参加者は2人。

「ほかにいませんか。4~5人いるといいと思うんだけど」

やはり誰も手をあげなかった。

ところが、1時間目が終わったあとの休み時間、リュ・リンチンさんが、意を決したように、先生のところに行く。

「ソンセンニム(先生)!私も、マラギ大会に参加したいと思います」

この決意表明に、文法の先生は本当に喜んだ。韓国語がもともと流暢で積極的なハナさんや、キョスニムでありアジョッシである私などが参加するよりも、これから韓国の大学に入学しようと考えているリュ・リンチンさんが参加する方が、よっぽど意義のあることだからである。

ひょっとして、私が手をあげたことが、「あんなマラギが下手な人でも大会に出るのなら」と、彼女の決断の呼び水になったのではないか、とも想像するが、自惚れに過ぎるかも知れない。

マラギ大会は、本選の前に予選があるという。ま、私は予選落ちだろうな。気軽に参加することにしよう。

さて、今日のマラギの授業では、はじめてディベートを行う。

お題は、「整形手術は是か非か」。

よく知られているように、韓国では整形手術がさかんである。一方でさまざまな問題も起こっている。そこで、整形手術に賛成か反対か、について、討論しよう、というのである。

まず、くじを引いて、自分が「賛成」の立場になるのか、「反対」の立場になるのかを決める。自分の考えが実際にどちらの立場であっても、くじによって決められた立場にしたがって、議論をしなければならない。このへんは、一般のディベートのやり方と同じであろう。

私は「反対」のくじを引く。

「反対」のチームは、私のほかに、カエさん、スンジ氏、リュ・リンチンさん、スン・ルトンさん。

「賛成」のチームは、リ・ハイチンさん、リュ・チウエさん、ウ・チエンさん、チャオ・ウォンエさん、ハナさん。

そして司会は、パンジャンニム(班長殿)ことロン・チョン君。

最初、15分ていど、各チームが集まって、それぞれの立場の意見をまとめる。

こういうとき、職業柄、つい、仕切ってしまう。

反対の理由となる意見をみんなで次々とあげていく。だが、いつもの悪い癖で、つい口をはさんでしまうのである。

「反対意見だけを考えてはダメだよ。賛成派の意見を想定して、それにどう答えるかを考えなければならない」

実際、これは、ディベートの基本であろう。

「たとえば、賛成派は、『整形手術をすることで、自分に自信がついて、就職にも有利になる』という利点を挙げてくると思う。これに対して、どう答えたらよいか」

…みんなは黙っている。

「顔が美しいことが、自信につながる、と考える社会は、おかしいと思わないか?顔が美しいかどうかは関係なく、実力さえあれば高く評価される社会こそが、私たちが作りあげなければいけない社会なんだ」

リュ・リンチンさんは、大きくうなずいて、メモを取った。

そして、いよいよディベートの開始。

司会のロン・チョン君が、「反対意見から述べてもらいます。まずキョスニム、お願いします」と、私に口火を切らせた。

「整形手術は、危険を伴う手術である。実際、ニュースによれば、整形手術による死者が出たという。たいへん危険な手術なのだ。これについて、賛成派の意見をお聞きしたい」

最後の「これについてどう思うか」といった質問を投げかけるのも、ディベートのイロハのイであろう。議論慣れしていない留学生たちは、あらかじめ考えた意見をひたすら言うことに専念するため、うまく議論が噛み合わない。私はこのあとも、たびたび、質問攻めで相手側に食ってかかることになる。

私は元来、議論することが好きではないし、得意でもないのだが、職業柄、いろいろな議論と関わらざるをえなかった。今ではそうした「議論癖」がすっかり身についてしまい、つい、「血が騒ぐ」のである。

「整形手術をすることによって、自分に自信がついて、就職などの際にも有利になると思います」

出た!想定通りの賛成派の意見である。

「これについては、リュ・リンチンさんに述べてもらいます」

司会のロン・チョン君そっちのけで、つい、仕切ってしまった。

リュ・リンチンさんは、先ほどの想定問答を、自分なりに咀嚼して反論する。やはり、頭のいい学生である。

その後も議論の応酬は続き、白熱したところで、時間切れとなる。

消化不良の感は否めないが、最初のディベートとしては、盛り上がったのではないだろうか。

授業が終わったあと、韓国語が流暢なハナさんが、怯えたような口調で私に言った。

「討論の時のキョスニムは、いつもと違って、とっても恐かったです」

いつも「ピクニックフェイス」を装って、できるだけ目立たないようにしている私は、討論の時に、人が変わったようにムキになってしまったのだろう。

しかも、議論慣れしていない、若き中国人留学生たちを相手に、食ってかかるとは、まったく、私は大人げない人間である。

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ウリ班(バン)チング

9月22日(火)

前半の文法の授業。

相変わらず静かである。重苦しい雰囲気が続いている。

文法の先生は、かなり元気な先生である。だが、学生たちはその元気な先生とは対照的に、ほとんど反応を示さない。

先生からしてみれば、本当に授業をわかってくれているのか、とか、授業を楽しんでいないのではないか、とか、さまざまな心配がよぎるのだろう。「みんな、どうしてこんなに静かなの?!」と、先生も少し焦り気味である。

業を煮やした先生が、ある提案をする。

「今週の金曜日、みんなで一緒に昼食を食べましょう!どうですか、みなさん」

正確に言えば、この提案は、今日にはじまったことではない。

先週も、授業中に文法の先生が提案されたのであった。

だが結局、先週はなんの動きもなかった。

そこで再び、先生が提案したのである。

「せっかく同じ班で勉強しているのだから、一緒に昼食を食べたりして、もっと親しく勉強できたらいいでしょう」と先生。

だが、やはりみんなはあまり乗り気ではない。金曜日は予定があります、という人もけっこう多い。

「じゃあ何曜日なら大丈夫ですか?…火曜日?じゃあ来週の火曜日にしましょう」と先生。

「みなさーん。わかりましたね。来週の火曜日に一緒に昼食を食べるので予定を開けておいてくださいよー」

このやりとりの中に、なんとかこの班の重苦しい雰囲気をよくしよう、という先生の強い思いが感じられた。いや、思い、というよりも、焦り、といった方がよいか。

しかし、実際のところ、彼らは別に仲が悪いわけでもないし、やる気がないわけでもない。現に、後半のマラギ(会話表現)の時間になると、けっこうみんなが積極的に喋るようになってきた。前半の授業と後半の授業の雰囲気が、ずいぶんと違ってきたのである。

といって、前半の文法の先生に問題があるのかというと、決してそうではない。教え方は実に丁寧だし、なによりも表情豊かである。

先生と学生との間の重苦しい雰囲気の原因は、ちょっとした、歯車の食い違いなのだ、と思う。

さて、私の拙い経験からすれば、先生が学生に食事会や飲み会を提案したり誘ったりして、学生が負担に感じない、ということは、まずない。

だから私は学生に対して、私の方から食事会や飲み会の提案を、できるだけしないように心がけている。

今回の場合も、おそらく学生が幾ばくかの負担を感じたことであろう。

しかも、先生は「定期的に一緒に昼食を食べましょう」とも考えておられるようである。

そこまでする必要があるだろうか?

それに、一緒に昼食をとったことによって、授業の雰囲気がよくなるのだろうか?とくに、すでにコミュニティーができてしまっている中国人留学生たちにとっては、一緒に昼食をとることで、なにか劇的に関係が変化する、などということは、これまでの経験上、ほとんどないといってよいだろう。

それよりも、「一緒に食事をすれば、必ずやよい関係が築けるはずだ」という思考様式そのものが、やはり韓国文化らしくて、興味深い。

どうもいつもの悪い癖で、つい教員の立場になってグダグダと考えてしまうな。まったく、厄介な学生である。

後半のマラギ(会話表現)の授業。

テキストに載っている会話文を、2人がペアになって、読む練習をする。私は右隣に座っているリ・チャン君とペアを組む。

ひととおり読み終わって、時間が少し余ったので、リ・チャン君が私に聞いていた。

「中国の歴史に関心がありますか?」

「あるよ」

「ボクも歴史に興味があるんです。第二次世界大戦の時から、中国と日本の関係は悪くなってますよね。でも、実際に、一般の日本人たちは、中国人に対してどう思っているんですか」

突然の質問に、どう答えていいかとまどう。

「ボクは、日本に対していい印象を持っています」

習ったばかりの「印象」という単語を使って彼が言う。

「たしかに、政府どうしの関係は悪いかも知れないけど、一般の人たちは、中国に対してそんなに悪い印象を持っていないと思うよ」

それを聞いて、彼は安心したような表情をした。

「そこの2人、何を話しているの?」

いつのまにか、ペアによる練習が終わり、先生の説明が再開されている。

まさか、日本人の対中国人観について話していました、とはいえない。リ・チャン君は、テキストを指さしながら、

「テキストの文章について話していました」

と答えた。機転のきく青年である。

「そう、じゃあ、5分時間をあげますから、いまここで話を続けてもらっていいですよ、さあ」

「…いえ。…もう終わりました」

私は力なく答えた。

あたりまえのことだが、授業中は、私語禁止である。とくに先生が説明されているときに私語するのは、もってのほかである。

私は実に久しぶりに、授業中に私語してしまったことに対して、先生に叱られたのであった。

だが、リ・チャン君とのヒソヒソ話を通じて、ある確信をする。この班は、先生が考えるほど、特別に無反応で重苦しい班ではない。私が前学期までに経験した班のチングたちと、何ら変わるところがないチングたちだ、と。

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ここがヘンだよ

9月21日(月)

私の右隣に座っているリ・チャン君は、授業中寝ていることが多いが、たまに起きると、人を食ったような質問をして、先生を困らせる。

おとなしい学生が多いわが班にとって、貴重な存在である。

彼が休み時間に、3級のときに同じ班だったチ・ヂャオ君と話をしていたので、彼に聞いてみた。

「チ・ヂャオ君とチングなの?」

「ええ、一緒に住んでます」

ルームメイトか。

そこで合点がいく。彼の芸風が、なんとなくチ・ヂャオ君を思わせたのは、そのせいだったのか。やはり一緒に住んでいると、芸風が似てくるのか。それとも、似たもの同士が一緒に住んでいるのか。

さらに彼の右隣には、ふだんおとなしいヤン・チャン君が座っている。

今日、はじめて彼が私に話しかけてきた。

「コヒャン(故郷)はどこですか?」

「東京だよ。ヤン・チャン君のコヒャンは?」

「河南省です」

「河南省か。河南省出身の人、この語学堂に多いよね」

「ええ。チャン・ハン、知ってますか?」

「知ってるよ。2級のときに同じ班のチングだった」

「彼と同郷です」

なるほど。この班の学生たちとは、はじめて顔を合わせる人ばかりなのだが、見えないネットワークが存在しているんだな。いっぺん人物相関図を作ってみたいものだ。

さて、今日の3分マラギは、副パンジャンニム(班長殿)ことチュイ・エンピン君。テーマは、「韓国に実際に暮らしてみての印象」。

与えられた時間の中で、キーワードを3つあげて、韓国に対する印象をあげていく。1つめは「辛い」、2つめは「中性化」、3つめは「セクシー」。

1つめの「辛い」はわかるとして、あとの2つはちょっとわかりにくい。チュイ・エンピン君によれば、韓国では、女性的な男性や、男性的な女性が多いという印象があり、それを彼は「中性化」という言葉で表している。「セクシー」とは、韓国の女性はとてもセクシーだ、とのこと。

あとの2つの印象が、チュイ・エンピン君の個人的関心に過ぎるきらいがないではないが、基本的には、声も大きく、わかりやすい表現を使ってまとめていたので、とても面白い発表だった。

発表のあと、先生が「みなさーん。韓国へ来て、ここがヘンだな、と思ったことはありませんか?」と質問する。

この手の質問は、けっこう難しい。

自分が体験したことが、韓国社会の特徴として一般化してよいものなのか、いつも迷うのである。

むかし、「ここがヘンだよ日本人」とかいう番組があったが、どうもあの番組に対して違和感があったのは、各自の個人的な体験を「国民性」として敷衍してしまうことに対する疑問があったからだった。

今日の質問も、それと似ている。

韓国人男性と結婚してこちらに滞在している日本人女性のカエさんが質問する。

「韓国の人は、ケンカしたり怒ったりするときにどうしてあんなに大きな声を出すのですか?」

たしかにそうである。私の住むトンネ(町内)でも、夜、路上で、突然大声を出して怒ったりケンカしたりする声を聞いたことがある。

ふつうに喋っていても、ケンカしているように聞こえるときがあるのである。

「そんなに大きい声を出してるかしら。でも、怒るときに声を出すのはあたりまえでしょう。それとも、日本人は、怒るときに小声になるのかしら」

先生が冗談交じりに答えるが、どうも答えがちぐはぐである。

「怒るときに小声になる」というのはちょっと大げさだが、でもわざと声を落として怒りを表現することは、よくある。私なんか、怒ると急に敬語を使ったりする。

続いて、日本語が母語のチェイルキョボ(在日僑胞)である、スンジ氏が質問する。

「韓国の女性は、歩き方が少しヘンです」

「それ、私のことを見て言ってるんじゃないでしょうね」と先生。

たしかにマラギの先生は、歩き方が独特である。それにしても、歩き方とは、ずいぶん細かいところに注目するものだ。

つづいて私。

「韓国では、子どもたちが夜遅くまで公園で遊んでいますね。あれがちょっとヘンだともいます」

実際、夜9時、10時、遅いときは11時まで、幼い子どもたちが親と一緒に公園で遊んでいることがある。日本では、まず考えられないことである。

夜の大学を散歩していてもそう思うのだが、韓国の青少年は、「宵っぱり」が多いのである。

これについての先生の答え。

「ああ、それはですね。キョスニムの住んでいるトンネ(町)が、ほかにくらべて貧しい人たちが住んでいるからですよ。たとえば、アパート(マンション)に住んでいる家族だったりしたら、子どもの勉強のために塾へ通わせたり勉強させたりしていますからね。そんなことはないと思いますよ」

うーむ。ずいぶんストレートなことをおっしゃる。ただ、私が見たのは、アパート(マンション)の前にある公園だったんだが。

結局、どの答えもちぐはぐなものであった。

考えてみれば当然である。聞く方は、自分の体験に基づいたことしか聞けないし、それに答える先生の方は、さしてそれを「ヘン」だと思っていなかったりするからである。

結局のところ、よくわからない。

マラギの授業の後半は、「韓国の慣習と、自分の国の慣習とを比較してみる」という授業。

そこにあげられているのは、家族、とか、結婚とかに関する慣習である。

一般化するのは危険だが、韓国人は、家族とか、結婚に関する話がとても好きである。この語学堂の授業でも、この種の話が何度登場したことだろう。

むろん、世界各国の人たちにとって、家族とか結婚とかは、共通の話題になりやすいので、語学学習の主題として使われているのだろう。だが、そのことを差し引いても、この手の話が本当によく出てくる。

たとえば、日本の大学の語学教育で、こういうテーマを好んでとりあげるか、というと、どうもそんな感じはしないような気がする。

そのこと自体が、比較文化論としてとても面白いのだが、今はそのことは置いておこう。

副教材にあげられている慣習の事例が、えらく具体的なのである。「年老いたプモニム(両親)の面倒を誰が見るのか」とか、「結婚したらプモニムと同居しなければいけないのか」とか、「結婚式には誰を呼ぶのか」「結婚式のご祝儀にはナンボ包むのか」とか。

いずれも、身につまされたり、頭を痛めたりする問題ばかりである。

そして、こうした現実的な問題について関心を持つのは、わが班の中でも、大学を卒業した経験のある「オールド・チーム」ともいうべき人びと。

これから大学に入学しようと考えている20歳そこそこの学生には、あまり関心のない話である。だから、「ヤング・チーム」は、この話題にあまり参加することなく、中国語で私語をはじめてしまう。

でもそれは仕方のないことだ。私が20歳の時だって、そんなことにほとんど関心がなかったから。

「韓国の場合は、…」「日本の場合は…」「中国の場合は…」といった話が続く。

「国民性」なるものを克服したい、という理想と、「日本の場合は…」などと答えている現実の自分との間で、思い悩む1日だった。

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ヘウンデのカモメ

9月20日(日)

昨日の夕方に、慶州から釜山に移動し、今日は釜山の海雲台(ヘウンデ)を見学する。

海雲台は、韓国でも有数の海水浴場である。この地を舞台にしたパニック映画「ヘウンデ」がこの夏公開され、大ヒットしたことは前に書いた。

遊覧船に乗って、海を周遊することにする。

だが今日はあいにく、海が荒れていて、もともとのコースに入っていた「五六島」までは行けず、広安里大橋までしか行かない、という。五六島を間近で見ることを期待していたのだが、残念だった。

遊覧船乗り場には、カモメに与えるエサとして、えびせんが売られていた。えびせんは、カモメの好物らしい。

午前10時20分、いよいよ出航。出航と同時に、スタンバイしていたカモメたちが、遊覧船の周りを飛び回りはじめる。

どうやら餌づけをされているらしい。

気持ちのよい海風と遊覧船の周りを飛び回るカモメを見ていて、カモメの飛んでいる姿をカメラにおさめたい、という衝動にかられ、シャッターチャンスをねらう。

1 通路側に座っていた私は、次第にテンションが上がってきて、やがて身を乗り出して飛んでいるカモメをバチバチと撮りはじめた。

海側に座っていた妻が、その様子を見かねて「席を替わろうか?」という。

「さっきから腕がじゃまで海の景色が全然見られないよ」

身を乗り出してカモメを撮影しているので、カメラを持つ私の腕が、妻の視界に入って煩わしい、というのである。これでは、何のために海側の座席に座ったのかわからない。

まったく自分のことしか考えていないことに気づき、妻に謝るものの、一度撮りはじめてしまうと、もうやめられなくなってしまったのである。

子どものころ、意味もなくやり始めたことが、誰に命じられたわけでもないのに、まるで義務感にさいなまれたかのようにやめることができなくなったことがよくあったが、そんな感じである。

さすがに妻も呆れてきたようだったので、座席を立って、外の甲板に出ることにした。

Photo 甲板には視界を遮るものもなく、海風がなんとも心地よい。なんだ、最初からここにいればよかったのか、と思いつつ、再びカモメをバチバチとカメラにおさめはじめた。

やがて、遊覧船が目的地である広安里大橋から引き返しはじめると、カモメたちもいなくなってしまった。前半だけの、カモメショーだったのだろう。

カモメショーが終わったころ、折しも私のカメラの充電も切れてしまった。

そして夜、家に戻り、写真を整理すると、カモメをおさめた(あるいはおさめようとして失敗した)写真は、100枚以上にものぼっていた。

いったいどうしてこんなにカモメに取り憑かれたんだろう。どうかしている。

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慶州の喫茶店にて

9月19日(土)

慶州の、かつて新羅の王宮があった場所の近くに、とてもしゃれた喫茶店がある。

かつての王宮は、今では素朴な景観をとどめているが、その素朴な場所に、なぜ、このようなしゃれた喫茶店があるのだろう。

先月末、慶州を訪れたときに、ある人に案内してもらって、初めてその喫茶店の存在を知った。

そして今日、日本から旅行に来た妻の母と妹を、慶州に案内した。午後、少し疲れてきたというので、その喫茶店のことを思い出し、そこで少し休むことにした。

喫茶店の一角には小さな厨房があり、この店の主人らしき女性が、注文を受けた飲み物を作っている。

喫茶店を見渡すと、壁には、オペラ歌手らしき人の大きな写真や、おそらく昔の名画に出ていたのであろう俳優の写真などが上品に飾られていた。

私たちは、厨房のすぐ近くの席に陣取り、飲み物を注文する。私はいつものように、アイスアメリカーノ。

しばらくあれこれと話をして、少し体力が復活してきたので、もう1箇所、この喫茶店の近くにある名所を見学しよう、ということになった。ただし、旅行かばんが重いので、旅行かばんを喫茶店に置いて出ることになった。そして私は、妻と義母と義妹が見学に出ている間、荷物の番をしながら、その喫茶店で3人の帰りを待つことにした。いわば荷物番である。

「ま、暖かいコーヒーでも飲んで待っていてください」

すでにアイスアメリカーノを飲み干した私に、義妹が言った。

それに対して妻が、私を指差しながら反論する。

「何言ってるの。(この人が)暖かい飲み物を注文するはずがないじゃない。暖かいコーヒーを飲んでいるところなんて見たことがないんだから」

それもそうだね、などと笑いながら3人が喫茶店を出る。

ひとり残された私は、そんなことを言われて、少し悔しい。俺だって、暖かいコーヒーぐらい飲むさ。

バカにされたことに腹を立てた私は、その店の主人らしき女性にホットコーヒーを注文することにした。

「タットゥタン コピ ジュセヨ(暖かいコーヒーをください)」

するとその主人らしき女性が、え?といった感じで聞いてきたので、もう一度、

「タットゥタン コピ ジュセヨ」

と言った。するとその女性は、プッと吹き出しながら、注文を受けたのであった。

なぜ笑ったんだろう?私の発音がおかしかったからかな。

少しして、ホットコーヒーが出てきた。

それを飲みながら、持ってきた語学の授業のテキストを読んでいると、先ほどの主人らしき女性が私の前にやってきた。

「あのぅ、失礼ですけど、日本の方でしょうか」

驚いたことにその女性は、日本語で私に話しかけてきた。

「そうですけど」

「そうでしたか。韓国語を学ばれているんですね」

「ええ、いまテグに住んでいるんです」

「これが韓国語のテキストですか」

というと、その女性がテキストを手にとってぱらぱらとめくり始めた。

「このテキスト、いいですよね。私も韓国語を教えていたとき、このテキストを使っていました」

驚きである。この女性、日本人に韓国語を教える先生だったのか。

「え!?日本人に韓国語を教えていらしたんですか?」

「ええ、ソウルにいたときです。でも学校で教えていたわけではなく、家庭教師です」

聞くと、日本の有名放送局の支局長だの、日本の一流企業の支店長などといった人々に、韓国語を教えていたのだと言う。そればかりでなく、日本語を韓国語に翻訳する仕事もしていたのだという。

ということは待てよ。この女性は、喫茶店での私たちの会話を、すべて聞き取っていたということではないか?

つまり、私が暖かいコーヒーを飲むはずがない、という妻の言葉も、ちゃんと聞き取っていたのである!

だから、私が暖かいコーヒーを注文したとき、プッと吹き出したのだ。「アイスアメリカーノしか飲まない人が、あんなこと言われたもんだから、無理して暖かいコーヒーを飲もうとしているんだな」と。

私は少し恥ずかしくなった。

思い直して会話を続ける。

「日本語はどうやって勉強されたんですか?」

「独学です。もともとの専門は、日本語ではなくて、貿易だったんです」

これにも驚きである。独学でここまで上手になるものなのか。

さらに疑問がわく。

「で、どうして慶州に移られたんですか?」

ソウルで、一流企業の人たちに日本語を教えていた人が、なぜ、こんな田舎(!)に移り住むことになったのか、私にとっては不思議だった。

「単純な理由です。この喫茶店の主人と結婚したからです」

そして私の質問の意図を汲んで、話を続ける。

「今はインターネットが発達してますから、別にソウルにいなくても、翻訳の仕事ができるんです」

喫茶店の隅の小さなテーブルの上に、ノートパソコンが1台置かれている。そういえば、コーヒーの注文が途切れて、しばらく時間ができると、その女性は厨房から出て、ノートパソコンの前に座っていたな。空いている時間は、翻訳の仕事をしていたのだ、ということに気づく。

「夫は、この喫茶店も経営してますが、テノール歌手なんです」と、その女性が言う。

「ひょっとして、この壁に貼ってある写真の方ですか?」

「そうです」

店の壁に大きく貼ってあるオペラ歌手らしき人の写真は、この喫茶店の経営者自身だったのだ。

夫は少し変わり者なんです、とその女性は言う。普通のテノール歌手ではなく、独特のステージで、人を笑わせたり、楽しませたりするのだ、という。そのことが話題になり、テレビに取り上げられたこともあり、熱烈なファンも多いのだという。

「バイクが好きで、(ステージ衣装の)タキシードを着ながらハーレーに乗って移動したりするんですよ」と。

たとえて言えば、袈裟をまとったお坊さんがヘルメットを着用してスクーターに乗るようなものか?あるいは、背広を着た銀行員が自転車に乗るようなものか?

「いちど、コンサートに行ってみたいですね」と言うと、「今度コンサートがあるときには、ご連絡しますから、連絡先を教えてください」と言われたので、名刺を交換することにした。

いただいた名刺を見ると、その歌手の方の肩書きに、

「オルグロ ミヌン ソンアクカ」

とある。直訳すると、「顔で押す声楽家」。「顔にインパクトのある声楽家」と言った意味であろうか。名詞には、確かにインパクトのある顔で歌っている写真が載っている。この名刺1枚で、この方が相当個性的な人であることが理解できた。実直そうな奥さんとは、対照的である。

それにしても、喫茶店、というのは面白い。

私が、コーヒーに対するこだわりがまったくない人間であるにもかかわらず、喫茶店が好きなのは、他人の人生が垣間見られる瞬間に、しばしば出くわすからである。

そして、喫茶店でコーヒーを作りながら、空いている時間に自分の仕事をする、という生き方。

この生き方こそが、私が究極の理想とする生き方なのではないか?

喫茶店に対する魅力は、果てしなく深まってゆく。

そんなことを考えているうちに、3人が喫茶店に戻ってきた。そろそろ喫茶店を出ようか、というころ、「テノール歌手」こと喫茶店の主人が、ハーレーにまたがって、店に戻ってきた。

壁に貼られた大きなポスターと同じ顔をしたその主人は、常連らしきお客さんにコーヒーを出しながら、お客さんとの会話を楽しんでいた。

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わが班の政権交代

9月18日(金)

先週提出した「動物神話」の作文が、ようやく返ってきた。よって、昨日の「宿題紛失事件」はこれで解決した。

しかし、この事件がきっかけとなって、パンジャンニム(班長殿)ことロン・チョン君の処遇が問題となった。

ロン・チョン君は、今日も遅刻してきた。くり返すが、パンジャンニムは、わが班の学生の宿題のノートを集めて教員室の先生の机に提出し、それとひきかえに、昨日提出して先生が添削した宿題のノートを、先生の机から受け取って、わが班の学生に返却しなければならない。この一連の作業を、授業が始まる前に済ませておかなければならないのである。

もう一つ、先生が授業で使用するカセットデッキも、授業が始まる前にあらかじめ教室に運んでこなければならない。

だからパンジャンニムは、何としても授業が始まる前に、みんなよりも早く来なければならないのである。

毎学期の開講式で、前学期に各班の班長を務めた学生が全員、「模範生」として表彰されるのも、その意味からである。

しかし、わが班のパンジャンニムは、今日も遅刻してきた。

どうもいろいろと聞いてみると、パンジャンニムが4級をダブったのは、毎日授業を遅刻してきて、授業の最初に行われる「パダスギ」(書き取り試験)を受けられなかったためだという。

パダスギが終わった後に教室に入ってくるのは、今学期も同じである。そうか。遅刻癖は、今に始まったことではないのか。

なのになぜ、彼は自らパンジャンニムに立候補したのだろう?まったく理解ができない。

みんなより少し年上だからだろうか?4級が2回目のベテランだからだろうか?

たしかに、中国人留学生たちにとっては、少し年上の「お兄さんキャラ」である。だからこそ、彼が立候補したときも、誰も反対できなかったのだろう。

それは、先生も同じだっただろう。せっかく立候補した学生に向かって、「あなたはダメです」とは、絶対に言えない。それが年上ということになれば、なおさら顔をつぶすことはできない。

しかし、結果的に、トラブルが続くことになってしまった。

文法の先生が、パンジャンニムにさりげなく説得する。

「宿題をみんなに早く返してあげないと、みんなにとってもよくないでしょう。ロン・チョン君だって、パンジャンニムだということに対してストレスがたまってるんだと思うわ。パンジャンニムの仕事が大変だったら、他の人に変わってもらっていいのよ」

ロン・チョン君は答えない。

彼には彼の、プライドがあるのだろう、と想像する。

しかしこのままでは、いつまでも同じトラブルをくり返すばかりである。

そして4時間目の授業の最後、先生方が、ある決断をする。

それは、宿題を集めたり返したり、とか、カセットデッキを持ってきたり、といったパンジャンニムの仕事を、チュイ・エンピン君が代行する、ということである。

つまり、実質上の班長交代である。ロン・チョン君は、事実上の更迭である。

チュイ・エンピン君は、3級のときも班長を務めた経験があり、性格もまじめである。私自身も、(チュイ・エンピン君が班長になればいいのに…)と、思っていたところであった。穏当な人事だといえるだろう。

チュイ・エンピン君は、年上のロン・チョン君のことを気にしてか、やや渋い顔をしたが、結局、引き受けることになった。

先生がロン・チョン君に向かって言う。

「パンジャンニム!あなたに部下ができたわよ、部下が」

ロン・チョン君のプライドを傷つけないための配慮の言葉だろう。

今流行の言葉でいえば、「政権交代」というべきか。「権力の二重構造」というべきか。

たった16人しかいない社会の、取るに足らない話である。

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消えた作文

9月17日(木)

この話の登場人物は2人。

ひとりは、後半の授業のマラギ(会話表現)の先生。

マラギの先生は、よくモノをなくす人のようである。

韓国語風にいえば、「よくモノをなくす方の人」である。

たとえば、宿題の作文を書いてもらうための紙の束を教員室の自分の机に置いておいたはずなのに、それがいつの間にかなくなってしまった、ということで、「宿題は、紙ではなくてノートに書いて提出してください」ということがあった。

ご自身の教科書をどこかに置いてきてしまったこともある。

ま、私も他人のことはいえないので、責めることはできないのだが。

もうひとりの登場人物は、パンジャンニム(班長殿)ことロン・チョン君。

前学期に続き再び4級の授業を受けているベテラン。年齢も、ほかの中国人留学生たちよりも、やや上である。

だが、このパンジャンニム、いささか頼りない、ということは、前にも書いた

授業はいつも遅れてくるので、本来、パンジャンニムがやらなければならない仕事(宿題をみんなから集めて提出したり、先生に添削された宿題をみんなに返したりする仕事)が滞りがちである。

本当に宿題は先生に提出してくれるのだろうか、とか、宿題のノートをちゃんと返してくれるのだろうか、とか、いつもヒヤヒヤした気持ちになる。

結局、パンジャンニムを介さずに、先生が直接宿題を集めてもっていったり、前日の宿題のノートをみんなに返したり、ということがよくある。

さて、先週、スギ(作文)の宿題が出された。お題は、「自分の国の、動物が出てくる建国神話について紹介する」というもの。

日本で、動物が出てくる神話といえば、「因幡の白ウサギ」か「八岐大蛇」の話くらいしか思い浮かばない。「因幡の白ウサギ」は、前学期、妻が4級の授業の宿題で書いたことがある、というので、同じものにするのもどうかと思い、「八岐大蛇」の話を書くことにした。

600字という制限字数の中で、けっこう面白く書けた、と思って提出したのだが、その宿題が、今日になっても戻ってこない。

こっちもせっかく頑張って書いたのだから、添削されたものを返してもらいたいなあ、と思い、今日の休み時間に、思いきって先生に「先週の作文の宿題、まだ返してもらってないのですけれど」と聞いてみた。

「え?受け取ってないの?教員室の私の机の上に置いて、パンジャンニムに持って行ってもらったと思っていたんだけれど」

「いえ、返してもらってません。ひょっとして、返してもらってないのは私だけでしょうか?」

他の人にも聞いてみると、他の人も、返してもらっていない、という。宿題の作文を書いた紙は、ごっそりとどこかへ行ってしまったようだ。

休み時間が終わり、授業が始まる。例によってパンジャンニムが、教室に遅れて戻ってきた。

戻ってくるなり、先生はパンジャンニムに大きな声でたずねた。

「パンジャン!先週の作文の宿題は、みんなにちゃんと返したの?」

「え?返しましたよ。何のことです?」

「『動物の神話』についての作文よ。みんな、受け取ってない、て言ってるわよ」

「おかしいな。返したはずなんだけどな」

「先生の机の上に置いてあったでしょう。持って行かなかったの?」

「先生の机はいつも確認してますよ」

「おかしいじゃないの。じゃあ、どこへ消えたっていうの?」

「ボクのせいじゃありませんよ」

ここまでのやりとりを聞いて、はて、と考える。

ものをなくすことが多い先生と、みんなの宿題を回収したり返却したりするのがけっこういい加減なパンジャンニム。はたして、どちらのせいで、この宿題紛失事件が起こったのか?

いずれにしても危なっかしくて、これからはこちらが目を光らせていかないと、このような事件が再発するだろう。

「わかりました。もう一度私の机を探してみます」と先生。

授業が始まる。

「今から時間をあげますから、教科書の復習問題を解いてみましょう」と先生。

私は、昨日、すでにその部分を解いてしまっていた。

みんなが必死に解いている中、私だけは手持ち無沙汰である。

そのことに気づいた先生が近づいてきた。

「あら、キョスニム!もう解いてしまったの?」

「いえ、昨日すでに予習してしまいました」

そう答えると、隣に座っていたパンジャンニムことロン・チョン君が、口をはさんだ。

「その教科書、ひょっとして、前学期の奥さんの教科書じゃないでしょうね」

前学期も4級のクラスにいたパンジャンニムは、私の妻のことをよく知っていたので、からかうように私にそう言ったのである。

私が反論する。

「違うよ!ほら、ここを見てごらんよ。私の名前が書いてあるだろう!」

すると、先生も一緒になって反論した。

「そうですよ。だって書いてある字の雰囲気が全然違うでしょう。奥さんは、ワープロで打ち出したみたいに、すごくきれいな字だったんだから。すぐわかるわよ」

先生も、やはり前学期、妻の班で教えていたので、妻の書く字をよく知っていたのである。

でも、これって、間接的に私の字が汚いことをバカにしていることにならないか?

どちらが真犯人かわからないが、私をからかうヒマがあったら、早く作文の宿題を返してくれよ!

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酔っぱらい映画鑑賞

9月16日(水)

ここ最近、なんとなくモヤモヤという感じがする。

なんとなく追い詰められている、というか、息苦しい、というか。何なんだろう。この感覚は。

韓国語でいえば、「답답하다(タプタプハダ)」という言葉がふさわしい。

こういうときは、音楽を聴いたり、映画を見たりするに限る。

日本にいるときは、渥美清や、西田敏行が出ている映画やドラマを見ると、この「タプタプハダ」な感じが、少しは解消されるのであるが、ここ韓国では見ることができない。

そこで思いついたのが、ソン・ガンホ。

「ミリャン」「優雅な世界」を見てからというもの、私の中で、ソン・ガンホは、渥美清とか、西田敏行の位置にいる役者になっていた。

折しも、妻からソン・ガンホが出演している映画「殺人の追憶」を見てみるといい、とすすめられたので、深夜、飲み慣れないウィスキーなんぞ飲みながら、見ることにする。

Memoryofmurder 「殺人の追憶」は、1980年代後半に、韓国のある農村で実際に起こった、未解決の女性連続殺人事件を題材にした映画である。

だが、事件の概要を忠実になぞった映画ではない。

韓国映画の中には、実際の未解決事件を題材にした映画がいくつか作られている。ソル・ギョング主演の「クノム モクソリ(あいつの声)」、そして、先日映画館で見た「イテウォン殺人事件」などがそれである。

その意味で、韓国映画には「未解決事件」というジャンルが存在する、といえるかも知れない。

だが「殺人の追憶」は、この2つの映画とは格段に違う。

「クノム モクソリ」は、事件の経過を忠実に追い、どちらかといえば被害者の家族の悲しみと苦悩が主題となっている。また、「イテウォン殺人事件」は、やや消化不良な映画だった。

それに対して、この「殺人の追憶」は、凄惨な殺人事件に対して「襟を正した」映画、というわけでは決してない。事件を扱う地元の刑事の滑稽さや、ふがいなさや、やりきれなさ、などが、すべて詰め込まれている。

80年代後半という時代背景も、メッセージとして込められている。

実際の事件を題材にしつつも、「映画的表現」に満ちた映画なのである。その表現力には圧倒される。

そして、衝撃のラスト。

映画に必要なのは、「主張」などでは決してなく、表現そのものなのだ、ということを思い知らされる。

…なんてエラそうなことをいっているが、本当は映画のことなんて何もわかっていなのだ。ウィスキーなんぞ飲みすぎたせいだろう。

さて、明日もまた、頑張ろう。

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中華料理屋のアジュンマ

9月15日(火)

大学の近くにある中華料理屋。

清潔で小洒落ていて、値段も手ごろで味もよいので、韓国料理が飽きるとよく利用している。たいてい食べるのは、ジャジャ麺とか、チャンポン、タンスユク(酢豚)といったもの。

この店のアジュンマ(おかみさん)は、私たち夫婦がはじめてこの店に訪れてからというもの、やたらと私たちに話しかけてくる。どうも日本に興味があるようで、日本に一度旅行をしてみたいという。
でも海外旅行をしたことがないし、言葉もわからないので、不安だともいう。

そのたびに私たちは、「そんな不安になることありませんよ。大丈夫ですよ」と答える。何度かそういった会話をくり返しているうちに、すっかり顔なじみになってしまった。

さて、今日の夕方、授業が終わった妻が、同じクラスの中国人留学生3人を連れて、その店に食事に行くというので、私も合流することになった。ま、さしずめ財布代わり、といったところであろうか。

みんなで食事をしていると、例によって、アジュンマが妻のところにやってきた。

「韓国にはいつまでいるの?」

「来年の3月までです」

「もし私が、日本に旅行に行くことになったら、連絡をとりたいので、日本の連絡先を教えてくれる?」

そういうと、アジュンマは名刺くらいの大きさの紙を妻に渡した。ここに名前と、日本での電話番号を書いてくれ、というわけである。

妻が、その紙に名前と電話番号を書く。

横でその様子を見ていて、頭の中の消しゴム、じゃなかった、引き出しが、スッと開いた。

この光景を見て、以前、大学の近くのサムギョプサルの店に行ったときに、その店のアジョッシ(主人)と交わした会話のことを思い出したのである。

その時の会話を、再録しよう。

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「ひとつ、お願いしたいことがあるんですが」と、アジョッシが思いつめたように言葉を続ける。

「いまから14~15年前、釜山から下関に向かうフェリーで、2人の日本人女性と会ったんです。そのとき、名前と電話番号を書いてもらったのですが、私は日本語がわからないので、ずっと連絡できないままでいました。日本に戻ったら、その女性と連絡をとって、私の連絡先を伝えていただけないでしょうか」

そう言うとアジョッシは、レジの下から、古びた1冊の本をとりだした。その本の一番最後のページに、万年筆で2人の日本人の女性の名前がローマ字でメモされており、その下にはそれぞれの電話番号が記されていた。女性たち自身が書いたもののようである。

2人とも、「03」で始まる電話番号である。

「電話番号からすると、東京の人のようですね」と妻が言った。

そうですか、と言いながら、その古びた本にメモされた名前と電話番号を、アジョッシが白紙の伝票の裏に転記していく。そして最後に、自分の名前と連絡先を書いた。

「これ、お願いします」と、アジョッシはそのメモを妻に渡した。

(「名探偵登場!」より)

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結局このあと、妻が日本に一時帰国した際、書かれた電話番号のところに電話してみたものの、その2人を捜すことができなかったことは、前に書いた

いま、アジュンマに頼まれて妻が書いていることは、これと同じではないのか?

つまり、15年前、サムギョプサル屋のアジョッシは、日本人の女性と知り合い、「今度また日本に行くときに連絡をとりたいので、名前と電話番号を教えてほしい」といって、やはり名前と電話番号を書いてもらったのだろう。

今また、中華料理屋のアジュンマが、妻に同じようなことを頼んでいる。

サムギョプサル屋のアジョッシとその女性の、15年後の再会は、結局かなわなかった。

中華料理屋のアジュンマと妻の場合はどうだろう?

なぜか私には、15年後、たまたま店にやってきた日本人の客にアジュンマが、

「ひとつ、お願いしたいことがあるんですが」

と言って、日本人女性の名前と電話番号が書かれた古びた紙を渡して、人捜しを頼んでいる光景が、目に浮かぶのである。

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3分マラギ・ゴミ出しのルール

9月15日(火)

今日のマラギ(会話表現)の授業。「3分マラギ」の担当は私である。

テーマは「ゴミの分離回収について」。ゴミの分離回収の長所や短所、あるいは韓国に住んでみて、ゴミの分離回収について感じたことなどを、発表しなければならない。

このテーマを選んだのは、日本と韓国の家庭ゴミの出し方が、ずいぶん違うと感じていたからである。

韓国のワンルームに住んでいて困るのは、ゴミをいつ、どこに出すのかがよくわからない、ということである。

日本であれば、決められた曜日、決められた場所に、決められた種類のゴミを出すことが地域ごとに決まっているので、そのルールさえ知っていれば、誰でも出すことができる。

ところが韓国では、住宅地にゴミの収集場所がなく、曜日ごとに、ゴミを種類別に回収する決まりがあるわけでもない。

もちろん、自治体公認のゴミ袋を見れば、その地域のゴミ出しのルールがある程度書かれているのであるが、それでも、はたしてどのタイミングで、どの場所に出せばよいのかが、いまだによくわからないのである。

3分マラギでは、日本との比較をしながら、韓国におけるゴミ出しの難しさを話すことにした。

これまでの他の学生の3分マラギを聞いて、自分が発表する際に気をつけようと思ったことが3つあった。

1つは、できるだけ簡単な言葉で話す、ということである。中国人留学生たちの多くは、発音が悪い上に、電子辞書で調べたような難しい言葉を多用してばかりいるので、何を言っているのかほとんどわからないことが多い。聞いてすぐわかるほどの、平易な言葉で話さなくてはならない。

2つめは、ただ話すだけではなく、ホワイトボードなど、いろいろなものを使って発表の助けとする、ということである。そこで、ホワイトボードに難しい言葉を書き出して解説したり、実際に使っている自治体公認のゴミ袋を見せながら説明したりすることにした。

3つめは、なるべく原稿を見ずに発表する、ということである。

昨晩、原稿を作り、何度か原稿を見ずに話す練習をする。

そして本番。

自分の授業の時もそうだが、いつも、本番でうまくいったためしがない。大事なことを言い忘れたり、使うべき表現を使わなかったりしたところが、かなり多かった。

それでも、なんとか「3つの心がけ」を守って、発表が終わる。

発表が終わったあと、ひとりひとりが、発表を聞いての感想について言わなければならないのだが、ふだんはあまりふくらまない議論が、今日は、思いのほか、盛り上がったようであった。マラギの先生も、韓国の「ゴミ分離回収事情」について、私の拙い話に補足する意味で、いろいろと面白い話をしてくれた。

たとえば先生のお話で、韓国では、アパート(日本でいうマンションにあたる)ごとに、ゴミの分離回収の日が種類別にが決まっていることを、はじめて知った。ただし私が住んでいるようなワンルームや住宅地などでは、一般にそういうルールがないので、やはり問題になっているのだという。

結局、1時間近く、ゴミ出しの話題で盛り上がる。

みんな、ちゃんと聞いてくれたんだな、と思い、ホッとする。

最後にチュイ・エンピン君が、「キョスニムの話を聞くまで、ゴミの分離回収について興味がなかったのですが、今日の話を聞いて、ゴミの分離回収に興味を持つようになりました」とお世辞の感想を言ってくれた。

どこまでも優等生なやつである。

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髪切った?

9月14日(月)

「髪切った?」と言えば、タモリ氏が、番組で久しぶりに会ったゲストに対して発する言葉としてよく知られている。

正確に言えば、タモリのモノマネをするコージー富田氏が流行らせた言葉なのだが。

ここ語学堂では、学生の誰かが髪を切ると、語学の先生がそれに気がついて、必ず「あら、髪を切ったのね」と声をかける。

そういえば、1級のときから、ほぼ全員の先生が、散髪したての学生の髪に反応していた。先生が教室に入るなり、学生の顔を見渡して、散髪をしたり髪型を変えたりした学生を見ると、ニコニコしながら、「お!髪を切ったのね~」とおっしゃり、男子ならば「かっこいいわね~」、女子ならば「かわいいわね~」などとつけ加える。

日本の大学では、まず考えられないことではないだろうか。私が授業や演習などで、学生に対して「髪切った?」とは、まず聞かない。教員が学生に対してそういうことを言うことは、好ましくないこと、と考えられているからである。

しかしここでは、そのセリフはタブーではない。そのため、ときに問題が起こることもある。

2級のときだったか、ある女子学生がパーマをかけてきた。

例によって、先生がそのことに気づき、「お!パーマをかけたのね~。かわいいわよ」というと、ある男子学生がふざけて、「アジュンマ、アジュンマ(おばさん、おばさん)」とからかった。

「そんなことないわよ。かわいいじゃないの」と、先生は必死にフォローする。さらに困った先生は私に向かって、

「ね?かわいいですよね」

と同意を求めてきた。当然私は、「ええ」と答える。

だがときすでに遅し。「アジュンマ」とからかわれたその女子学生は、パーマをかけたことを後悔したような顔をしたのである。

念のため言っておくと、その女子学生と、彼女をからかった男子学生は仲がよかったので、彼らの関係だからこそ許されるものだったのかも知れない。そうは言っても、あまりいい気持ちはしなかったのだろう。

だから、満座の席で髪型の変化に言及するのは、かなり微妙な問題なのではないか、と、つい考えてしまうのである。

さて、かくいう私も、先週の金曜日の午後に散髪したので、週明けの今日は、散髪したての髪で授業にのぞむことになった。

文法の先生が教室に入ってくるなり、散髪した私の頭に即座に気づいて、

「あら、髪を切りましたね~。かっこいいですよ」

と、例によってニコニコしながら声をかけてくる。

若い学生ならともかく、こんなオッサンにも同じように「髪切りましたね~」とかけてくるのは、どうもよくわからない。

続く後半のマラギ(会話表現)の先生も、教室に入ってくるなり、私に向かって、

「お!髪を切りましたね~。かっこいいですよ」

と、判で押したような言葉をかけてくる。

こうなると、髪型を変えたことに関して話題にすることが、エチケットなのではないか、とすら思えてくる。

「女子校なんかではよくあることだよ」と妻。

「やっぱり髪型を変えたり散髪したりすると、気づいてもらいたいと思うものだから、先生も話題にするんでしょう」と。

語学の授業なのだから、そういうところでとっかかりを作って、学生と会話するねらいがあるのではないか、と妻は言う。

なるほど、そういうことか。話題のとっかかりね。だがよりによって、オッサンにまで同じ手を使うことはないだろうに、とも思う。

さて、今日も夕食後、例によって、喫茶店で勉強をすることにした。

よく行く喫茶店で、例によって「アイスアメリカーノ」を注文すると、顔見知りの若い店長(私が勝手に店長だと思いこんでいる人)が私を見て言った。

「あ!髪を切りましたね。かっこいいですよ」

な、な、なんと、喫茶店の店長までもが、私が髪を切ったことを話題にしたぞ!

私が髪を切ったことがそんなに話題になるようなことか?

どうもよくわからない。

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思い出づくりの受験

9月13日(日)

TOPIK(韓国語能力試験)の日である。

せっかく韓国語を学んできたのだから、自分の実力を試してみよう、という軽い気持ちで受けることにしたのがそもそものはじまり。

ところが7月から約1カ月間、週3回、TOPIK対策用の2時間の特講をうっかり受講してしまい、えらい目にあった。もちろん、勉強にはなったのだが、毎日がクタクタになったのである。

で、8月のパンハク(休暇)では、いろいろと予定がつまっていて飛び回っていたため、TOPIKのことなど、すっかり忘れてしまっていた。

9月にはいると、新学期の勉強で、TOPIKどころではない。

おまけに、昨日は呑気に映画なんぞ見に行ってしまった。

7月にあれほど熱心に学んだことは、水泡に帰してしまったのである。

さて、当日を迎えた。

市内から路線バスで1時間かかって、試験会場となっている郊外の大学に行く。

ちょっとした小旅行である。

韓国の路線バスは、どんなに遠くても、初乗り料金で行くことができるので、その点はありがたい。バスで1時間かかるところも、90円ていどで済むのである。

試験会場に行くと、すでに多くの外国人が集まっていた。ま、私もその外国人の1人なのだが。

語学堂で一緒に勉強したチングたちもたくさん来ているようだ。

建物に入ろうとすると、マスクをした係員の方が、受験者ひとりひとりの手に消毒液をかけてくれた。

現在問題になっている新種のインフルエンザ対策であろう。

午後2時から試験開始。前半の1時間半が、文法、語彙と作文、30分の休憩をはさんで、後半の1時間半がリスニングと読解である。

試験監督は、私と同世代くらいの男の先生。やはり私と同じように汗っかきで、今日はたいして暑くないのに、つねに汗を拭いておられる。

前半の試験が終わった休み時間、座って待っていると、試験監督の先生が話しかけてきた。

「試験、難しいですか?」

「ええ、難しいです」

「試験問題を見ましたが、時間が足りないみたいですね。午前中は高級(上級)の試験の監督もしたんですが、やはりみんな難しかったようでした」

それはそうだろう。いま私が受けているのは中級だが、高級(上級)は、韓国語の先生も首をかしげてしまうような理不尽な難問が出る、と聞いたことがある。

「実は私も以前、日本語の試験を受けたことがあるんですが、やはり難しかったです」

日本語を勉強されていたらしい。

試験監督は、試験中に、受験票と、身分証を照合する作業を行う。それを見れば、その受験生の国籍や生年月日を知ることができる。その試験監督は、私の国籍と生年月日を見て、親近感がわいたのかも知れない。

さて、後半の、リスニングと読解の試験。

うーむ。かなり難しい。やはり試験対策を継続してやってこなかったことがかなり痛い。問題数も多く、とても時間が足りない。

うなだれたまま、試験が終わる。

そもそも、昨年末から韓国語を学びはじめたような人間が、軽い気持ちで受けるような試験ではないのだろう。

ま、仕方がない。記念受験だと思えばいいか。

最後に、試験監督の先生に「スゴ ハショッスムニダ(お疲れさまでした)」と挨拶をして、教室を出ようとすると、その先生はニコリと笑って、

「オツカレサマデシタ」

と日本語でおっしゃった。

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映画に逃避する

9月12日(土)

明日は、Topik(韓国語能力試験)。

試験対策をしなければならないのだが、勉強をやる気がまったく起きない。

妻は余裕しゃくしゃくのようで、市内に出て映画を見に行くという。

私も、家で無為に過ごすよりはマシかと思い、一緒に映画を見に行くことにする。

Gunsok 見た映画は、先日公開されたばかりの「イテウォン殺人事件」である。

「イテウォン(梨泰院)」とは、ソウルにある町の名前である。1997年4月、イテウォンにあるハンバーガーショップのトイレで、何の罪もない大学生が無惨に殺されるという事件があった。この映画は、実際に起こったこの未解決事件をもとにした映画である。

実際の事件をもとにした映画としては、これまで「殺人の追憶」(未見)や「クノム モクソリ(あいつの声)」といったものがあるが、この映画も、その流れに位置づけられるものであろう。

さて、この事件の容疑者として、2人の韓国系米国人が浮かび上がる。ところがこの2人は、殺したのは自分ではなく、もう1人の方だと言って、罪をなすりつけ合う。どちらかが殺したことは確実なのだが、互いの供述は食い違い、その争いは法廷の場に移る。

言ってみれば、黒澤明監督の「羅生門」のような展開を思わせる映画であり、映画的手法の一類型ともいえるものだろう。

だが、演出意図が不明なシーンも多く、いまひとつ映画に乗ることができなかったのが、やや残念だった。苦悩する検事役を務めたチョン・ジニョンは、佇まいはシブいのだが、芝居が一本調子のような気がしたのも、気になった。

理不尽な未解決事件となってしまった後味の悪さも残る。

ただ、米軍基地の町であるイテウォンが複雑な事情を抱えていて、それが事件の背景となっていることなど、考えさせられることは多い。

それにしても、当事者(被害者の遺族など)がまだ生々しい記憶を残している中で、こういった映画が作られるというのは、やはり驚きである。

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ニュース番組を作ろう

9月11日(金)

ロン・チョン君は、わが班のパンジャンニム(班長殿)である。

授業の最初の日に、みずから立候補してパンジャンニムとなった。

年齢がほかの中国人留学生たちより少し上のようで、韓国の大学の大学院をめざしているのだという。

マラギ(話すこと)も、ほかの人たちにくらべて格段に上手い。

ただ、問題が1つある。

それは、毎回、必ず授業に遅れてくるということだ。

パンジャンニムは、いわば学級委員である。毎朝、授業が始まる前に、先生の部屋に行って、授業で使うカセットデッキだの、昨日提出した宿題のノートなどを、取りに行かなければならない。そして、その日に提出すべき宿題のノートをみんなから集めて、先生に提出しなければならない。

だから、ふつうの人よりも少し早く教室に来なければならないのである。

だが、彼は毎回遅れてくる。そのため、カセットデッキは、毎回、先生がみずから持ってくることになる。宿題も、一番遅れて提出している。

先生は再三注意しているのだが、やはり遅れてくるのである。

どうも聞いてみると、ロン・チョン君は、先学期も4級を受けていて、ある日突然授業に出なくなったという。そのため、今学期ももう一度、4級を受けることになったようである。

先生はそのことを知っていたので、ロン・チョン君が班長に立候補すると手をあげたとき、(はたしてパンジャンニムが務まるのか?)と、いささか心配になったに違いない。

またいつか、パッタリ来なくなってしまうのではないか、という危うさを醸し出している。

時間通りに来る自信がないのに、なぜ彼は、パンジャンニムに立候補したのだろう。

先生に再三注意されても、改めないのはなぜだろう。

私にはまだ、彼ら(中国人留学生たち)のことがよく理解できない。

さて、今日の後半のマラギ(会話表現)の授業。「大衆媒体」について学ぶ。

「大衆媒体」とは、「マスメディア」と言ったらよいか。新聞、テレビ、ラジオ、インターネット、といったメディアをさす。

「今日は、みなさんにニュースを作ってもらって、新聞なりテレビの番組なりを作ってもらいまーす」と先生。

いわば架空のニュース(実際のニュースでも可)を、新聞やニュース番組風に発表する練習をする。

以前、3級のときにテレビ通販番組のマネをしたことがあるが、あんな感じである。

わが班は、リュ・リンチンさん、チュイ・エンピン君と、ウ・チエンさんとシャオシャオ君。

リュ・リンチンさんは、3級のときに同じ班だった、まじめで優秀な学生。

あとの3人は、4級になってはじめて同じ班になったが、いずれもまじめな学生である。このうち、チュイ・エンピン君は、2級のときに同じ班だったチエさんのナムジャ・チング(ボーイフレンド)で、Topikの特講のとき同じクラスだったので、顔見知りだった。

シャオシャオ君もまじめでおとなしいが、授業を休みがちで、やはり危うげな学生である。

さて、わが班はどうしようか。私がチーム長になって、議事を進行する。

「新聞はハングルを書かなければならないし、つまらないから、テレビのニュースにしましょう」と、チュイ・エンピン君。

「じゃあ、どんなニュースにしようか」。とりあげるニュースは、2つ以上なければならない。

すると、一番端に座っていたおとなしいシャオシャオ君が、紙にいきなりバスケットコートの絵を描き始めた。

どうやら、バスケットボールのニュースをやりたいらしい、ということが想像できた。

「バスケットボールのニュースをやりたいの?」

「ええ」

「じゃあ、1つはスポーツニュースだな。あと1つはどうしようか。何か事件に関するニュースにしよう。ただ、殺人事件とかだと難しいから、盗難事件にしたらどうだろう」

しばらく考えて、チュイ・エンピン君が提案する。

「肉屋で肉が盗まれた、というのはどうでしょう」

「いいね」としばらく私も考えて、「単なる肉だとつまらないから、『豚の頭』が大量に盗まれた、というのはどうだろう」

韓国の市場の精肉店には、店頭に、なぜか豚の頭の部分がいくつも飾られている。はじめて見ると、ちょっとグロテスクな感じがして、いつも気になっていた。なぜ、グロテスクな頭を店頭に飾るのだろう、と不思議に思っていた。韓国では、豚の頭は、縁起物なのだという。

で、その豚の頭ばかりを盗む事件が起こった、というウソニュースを考えたというわけである。

ニュースが決まると、次に役割分担である。ニュースのアナウンサー役は、好青年のチュイ・エンピン君。取材記者役に、リュ・リンチンさん。盗まれた精肉店の主人役が私。犯人の目撃者がウ・チエンさん。そして、スポーツニュースのアナウンサー役が、シャオシャオ君。

みんなでニュースの原稿を考え、少しばかり練習をする。

スポーツニュースの方は、シャオシャオ君に丸投げである。彼は一心不乱に原稿を書いていた。よっぽどバスケットボールが好きなんだな。

いよいよ発表開始。

ほかの2つの班が終わり、いよいよ我々の班である。

「みなさん、ごきげんいかがですか?ニュースの時間です。まず、最初のニュースです。

最近、大邱市内の精肉店から、豚の頭ばかりが盗まれるという事件が多発しています。昨日もある店から大量の豚の頭が盗まれ、警察は緊急配備をしいています。この事件について、リュ・リンチン記者が報道します」

と、まず、アナウンサー役のチュイ・エンピン君が原稿を読んだあと、画面が切り替わって、リュ・リンチン記者がマイクを持って説明しはじめる。

「はい、こちら大邱市内のある精肉店に来ています。昨日豚の頭が盗まれた店のご主人に、その時の様子を聞きたいと思います。ご主人こんにちは、その時の様子を詳しく聞かせてください」

ここからが私の出番。立ち上がって、記者のインタビューを受ける。

「ええ。今日、朝起きるやいなや、店の方を見に行ったんです。そしたら豚の頭がなくなってるじゃありませんか。うちには豚の頭が100個置いてあったんですが、全部盗まれたんですよ!それでビックリして、急いで警察に電話したんです」

「そうですか」

「うちは代々、豚の頭だけを売っていた店なんです。これからどうやって生活していけばいいんですか!うちには年老いたハラボジ・ハルモニ(祖父母)はいるし、ポモニム(両親)もいるし、子どももいるんです。何もなくなって、これからどうやって暮らしていけばいいんですか!記者さん、助けてください!」

「わかりましたわかりました。では、次に犯人を目撃したという方にインタビューします」

ここまでが私の迫真の演技。教室に笑いが生まれる。

ホッとして椅子に座ると、シャオシャオ君が小声で「チョアヨ(よかったですよ)」と、親指を上に突き出す「グ~」のポーズをしながら言った。

次に目撃者のウ・チエンさんのインタビューへと続く。まじめなウ・チエンさんも、声色を変えて目撃者役を演じた。

「このように、異常な事件はまだ解決していません。一刻も早く事件が解決するように、市民のみなさん、情報がありましたら警察に連絡してください。記者のリュ・リンチンでした」

続いて、スポーツニュース。アナウンサー役は、チュイ・エンピン君からシャオシャオ君にバトンタッチする。

ふだんはおとなしいシャオシャオ君が、実に流暢に、バスケットボールのニュースを語りはじめるではないか。人間、自分の得意な分野については、これほどリラックスして、流暢に話せるものなのかと、あらためて実感する。

もっとも、ニュースの中身は、私の知らない選手名やチーム名が出てきて、よくわからなかったのだが。

かくして、ウソニュース番組が終了。たしかに拙いものになってしまったが、ほかの2つのチームが、もっぱら1人が中心になって発表していたのに対し、わがチームは、5人が連携して1つの「番組」を作りあげたのである。彼らは、何か手応えを感じたのではないだろうか。

授業とは不思議である。ちょっとしたことがきっかけで、歯車が回りはじめる。

たとえば、最高の教員と最高の学生がいれば、授業がうまくいくのか、というと、必ずしもそうではない。どんなに頑張っても、ままならないことが多いのである。

ところが、ちょっとしたことがきっかけで、授業は「化学反応」を起こし、一人歩きをはじめる。重苦しかった雰囲気も、少しずつ、溶けはじめる。

だから授業は面白いのだ。ひとたびこの面白さを知れば、やみつきになる。

私は、この「化学反応」を、いつも待ち続けているのだ。

授業が終了。帰り際、私が先生に「お疲れさまでした」と挨拶すると、マラギの先生は、

「ヨンギ チャル ハショッソヨ(さっきの演技、上手くなさいましたね)」

と、笑いながらおっしゃった。

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3分マラギと建国神話

9月9日(水)

マラギ(会話表現)の時間。

今日から、「3分マラギ」というのがはじまる。

「3分マラギ」とは、マラギの授業時間に、決められたテーマについて、1人の学生が、3分間でお話をする、というものである。

あらかじめ、日程と、その時のテーマが決められていて、学生は、そのうちのひとつを選んで、発表することになる。ま、いってみれば3分スピーチである。

今日の担当は、リュ・チウィエさん。テーマは「自分の国の建国神話について」。

なんとも難しいテーマであるが、いま使っているテキストに、韓国の建国神話である「檀君神話」が取り上げられているので、それとの関連で設定されたテーマであろう。

リュ・チウィエさんの発表を注意深く聞いてみると、次のような内容である。

あるところに、きこりがいた。ある日きこりは、鶴の命を救ったのだが、翌日女性が家を訪ねてきて、その日以来、機織りをした。「ただし機を織っているところを絶対に見ないでください」と。彼女が織り上げた織物は高く売れ、きこりはお金を手にすることができた。どうしても機を織っているところを見たくなったきこりは、約束を破って見てしまう。するとそこには、自分の羽根を使って機を織っている鶴の姿があった…。

ん?これって、昔話の「鶴の恩返し」ではないか?

使っている単語が難しく、発音もいまひとつだったのだが、途中で、どんな話か予想がついたので、話のおおよそは理解できた。

でも、与えられたテーマである「建国神話」とはまったく関係のない話である。

それに、これは中国の話ではなく、日本の昔話である。

「自分の国の建国神話」というテーマからは、まったくかけ離れた話ではないか。

だが、こればかりは仕方がない。中国には、韓国や日本のようないわゆる建国神話は存在しないのだから、昔話を持ってこざるを得なかったのだろう。

それにしても、日本の昔話が、中国でもよく知られているというのは興味深い。

3分スピーチが終わると今度は、テキストに書かれている絵に沿って、ストーリーを作る、という練習をする。

テキストには、6枚の絵(漫画のようなもの)が描かれていて、その6枚の絵の流れに沿って、話を作らなければならない。

見ると、韓国人なら誰でも知っている「檀君神話」を絵にしたもののようである。

「檀君神話」については、テキストの本文にも書いてあるので、おおまかな内容については知っていた。

「でもみなさーん。檀君神話をそのまま当てはめてはダメですよ。絵を見て、絵だけからストーリーを組み立ててくださーい」と先生。

つまり、6枚の絵だけを見て、檀君神話とはまったく違うストーリーを作れ、というのである。いってみれば大喜利である。

4人ずつで1チームを作って荒唐無稽なストーリーを作りあげる。私も必死になって議論に加わるが、私が話しに加わると、どうにも理屈っぽくなってしまい、あまり面白いものにはならなかった。

そこへいくと、中国人留学生たちの発想は、やはり面白い。荒唐無稽な世界を次々と作りあげてゆく。

やはり、底力のある学生たちなのだ。

でも、こんなことをしていてよいのだろうか…。荒唐無稽の話を作る練習よりも、もっと実のある練習をしたいとも思うのだが…。

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小ネタ集

韓国語を勉強していると、小さな発見がいくつもある。そのうちのいくつかを、忘れないうちに書きとめておこう。

1.昨日のマラギ(会話表現)の時間に、自己紹介を兼ねて行われた100の質問項目の中に、次のようなものがあった。

「あなたの18番の歌は何ですか?」

これを見て驚いた。得意な歌のことを「18番」というのは、たしか日本の歌舞伎からきている言葉ではないか。韓国語でも、得意な歌のことを「18番」というのだな。

手元にある、韓国の国語辞典を調べてみると、

「ある人が好んでよく歌う歌(日本の有名な歌舞伎の家に伝えられてきた18番の人気演奏目録からきた言葉)」(直訳)

とある。ちなみに手元の韓中辞典をみてみると、「18番」の説明を「愛唱曲」としており、当然のことながら、「18番」という言葉は中国語にはみられない。

この言葉、どういう経緯で日本から韓国に伝わった言葉なのだろう。

2.今日のマラギの授業で、お年寄りの身の回りの世話をするロボットのことを「シルバーロボット」と呼んでいた。

「シルバー」が老人を意味する言葉である、というのは、いわゆる和製英語だと聞いたことがある。電車の「シルバーシート」が、そのはじまりであると。

とすれば、この言葉もやはり、日本から伝わった言葉ということになる。

ちなみに、「高齢化社会」という言葉も使われているが、その先にあるのが「超高齢化社会」。この「超」という言葉も、けっこう耳にする。

町を歩くと、店のそこかしこに「超特価」という言葉が使われているのを目にする。

語学の先生によれば、この「超」という言葉の使い方も、日本から来たのだろう、とのこと。

さらに先日、語学のテキストを読んでいて「財テク」という言葉があることにもビックリした。

こういった、日本の造語の流入とその背景について、何か研究があるのだろうか。

3.今日の授業で、ドラマ「花より男子」の話題が出た。もと日本の漫画だが、日本、台湾、韓国でドラマ化されたことは有名である。

その、韓国版ドラマの女の子の名前が、「クム・ジャンディ」。「ジャンディ」とは、韓国語で「芝生」を意味する。

踏まれてもへこたれない雑草のような女の子、という意味がこめられているのだそうだが、原作の日本版の女の子の名前が「つくし」。やはり踏まれても上に伸びようとする雑草である。

ちなみに台湾版ドラマの女の子の名前は、「董杉菜 (トン・サンツァイ)」で、やはり同じニュアンスだという。

マニアからすればこんなことは基礎知識なのかも知れないが、「つくし」の名のもつ「雑草」というニュアンスを、台湾や韓国でも継承しつつ、それぞれ独自の名前をつけているのがおもしろい。

4.これまで何人もの語学の先生から、こんな話を聞いた。

「仕事があまりに忙しくて、鼻血が出そうだ」

「学生のころ、鼻血が出るまで勉強した」

「ほら、夜遅くまで一生懸命勉強していると、よく鼻血が出るじゃないですか」

まるで、「あるあるネタ」のように、「頑張りすぎると鼻血が出る」という話を、よくされるのである。

その話を聞くたびに、「おいおい、日本にはそんな『あるあるネタ』はないぞ」と、思ってしまう。実際、日本では、「ピーナッツを食べ過ぎると鼻血が出る」とか、「チョコレートを食べ過ぎると鼻血が出る」みたいな他愛もない話は聞いたことがあるが、「頑張りすぎると鼻血が出る」という因果関係は、あまり聞いたことがないように思う。

妻によると、韓国のドラマでも、「頑張りすぎて鼻血が出る」というシーンを、何度も見たことがあるという。

「韓国の人たちにとって、『鼻血が出る』とは、頑張りすぎることに対するひとつの記号になっているのだ」というのが妻の仮説。

「鼻血が出る」=頑張りすぎることを意味する記号。

そして、実際に、韓国の人たちは、頑張りすぎると、本当に鼻血を出すという経験をしている、というのだから、いったいそのメカニズムは、どうなっているか、不思議である。

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打てど響かぬ教室

9月8日(火)

「この教室、風があまり通りませんね」

わが班の授業を担当される先生が2人ともそうおっしゃった。

たしかにそうである。窓の外側は、そぐそばに大きな建物が建っているし、教室のドアの外側も、廊下をはさんで、壁が立ちはだかっている。

建物の構造上、この教室は風が通りにくくなっているのである。

そのため、というわけでもないが、昨日から始まった授業の雰囲気が、やはり今日も重苦しい。

先生が説明しても、下を向いている学生が多く、先生の質問にも答えなかったりする。

休み時間も、ほとんどの学生が、喋ることなく、机に突っ伏して寝ている。

こういうとき、つい、教師の側に立って考えてしまうのだが、教師にとって、学生が無反応なことほど地獄に感じることはない。

いくら一生懸命に教えても、自分が空回りしていく様子がよくわかるからである。

といって、決して不真面目な学生ばかり、というわけではない。

今日わかったことなのだが、先学期、成績が優秀のため、奨学金をもらった学生が、わが班15人のうち12人もいた。つまり、わが班のほとんどの学生が、3級の成績が優秀だったのである。

だが、どうしたことか。このやる気のなさは。

いろいろと考えられる可能性はある。

これは多くの人が言っていて、私もそう感じたのだが、3級の授業が、覚えることが多くて、実は一番大変だった。授業中に学ぶべきことも多く、必死についていかなければならなかったのである。

ところが、4級の授業は、拍子抜けするくらい、ユルい。文法上、大事なことは3級でほとんど終わっていて、4級はどちらかといえば難解な表現や語彙を中心に授業が進むのである。

だから、あのせき立てられるような3級の授業を経験した私たちにとって、4級の授業は、なんとなく、時間をもてあましているように感じるのである。

誤解のないようにいうが、これは先生の教授法が原因では決してない。カリキュラムじたいの問題だろう。

学生たちも、そのことをうすうす感じている。それが、無反応という態度となってあらわれているのではないだろうか。

不思議である。せき立てられるように勉強させられた2級や3級のときは、学ばなければならないことの多さに閉口したものであるが、その峠を越えた今は、むしろ現状に物足りなさを感じているようである。

まあ、まだ2日目である。結論を出すには早すぎる。もう少し様子を見ることにしよう。

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30年後の9月7日

9月7日(月)

マラギ(会話表現)の時間に、科学技術などや医療技術が進歩した未来には、どのような世界が待っているのか、といった話をする。

科学技術や医療技術が発達して、良くなる点や悪くなる点などをあげていく。

そして授業の最後に作文の宿題が出る。

「今日は、未来がどうなるのか、について作文を書いてもらいますよ。でも、ただ単に未来を予測して書くのではつまらないので、30年後の今日、つまり2039年9月7日に起こる出来事を、日記風に書いてもらいます。日記の中に、進歩のおかげで便利になった点や、悪くなった点なども盛り込んでください。面白く書いてくださいよー」

30年後というと、70歳か。科学技術や医療技術の進歩は、どんな幸福をもたらし、どんな問題を引き起こすのだろう。

そこで仕上げたのが次の作文。70歳の私が書いた日記。自分なりに面白く書いたつもりだが、先生にどれだけ伝わるだろうか。

203997일.

오늘부터 다른 회사에 재취직 하게 되었다.이번 회사는 정년이 100살이라서 앞으로 30년동안 일할  있지만 요즘은 사람 대신 모든 일을   있는 로벗이 힘든 일을  주게 되였으니까 내가 언제까지 회사에 다닐  있는지  모르겠다. 친구들 중에서도 실업자가  사람이 많다.수명이 연장된 것은 좋지만 실업 문제가 심해서 장래의 생활이 걱정이다.

즐거운 이야기도 있다.오늘 우리 손자가  나라 여행에서 돌아와서 달의 돌을 선물로 나에게 주었다.우리 손자는 우주에서  지구가 정말 아름다웠다고 감격하면서 말했다.

요즘은  나라 여행에 아주 싸게   있다고 한다. 나라에 1 하려면 10만원밖에  드는다고 한다.그래서  친구들도  나라 여행에 많이 가서   마다 나에게 달의 돌을 선물로 주기 때문에 집에 많이 두고 있다.

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4級3班、始動。

9月7日(月)

当初の開講予定より1週間遅れて、ようやく今学期がはじまる。

私にとっては、最後の学期である。

これまでは午後の授業だったが、今学期は午前9時から午後1時までである。

わが4級3班は、全部で15人。

うち、日本語を母語とする人が、私を含めて3人いた。

あとは例によって中国人留学生たち。

これまで同じクラスになったことのある人は、3級のときのリュ・リンチンさんだけ。あとは、はじめて会う人ばかりである。

わが班を受け持つ2人の先生(文法の先生と、マラギの先生)も、はじめて教わる先生である。

さて、授業が始まった。

うーむ。みんな実におとなしい。水をうったように静かである。

おとなしい、というより、空気が重苦しい。

先生の説明にも無反応のため、先生もかなりやりにくそうである。

たいていの人は、4級まで勉強して、こちらの大学に入学することを考えているので、来学期にまた進級しようと思って頑張る人は、あまり多くない。

かくいう私も、今学期で終わりにするつもりなので、試験の点数をあまり気にする必要がないのである。

それで、心なしか、やる気が起きないのかも知れない。

語学の先生たちの間でもそのことが問題になっているようで、4級に上がったとたん、学生のモチベーションが極端に下がるため、かなり苦労されているようだ。

これからどうなるのだろう。このまま重苦しい雰囲気が続くのだろうか。それとも、いつかうち解けるようになるのだろうか。

ひとすじの希望はある。

前半の文法の授業。

「みなさーん。今、ニュースで話題になっていることは何ですか?」と、文法担当のチェ先生が質問する。

「テジドッカン(豚毒感)でーす」と、中国人留学生のリ・ハイチンさんが答えた。

「あら、いま『豚毒感』という言い方はしないのよ。ずいぶん前にはそういう言い方をしたんですけどね。お医者さんに行って、『豚毒感にかかりました』なんて言ったら、『はあ?』て顔をされますよ。今はね、『シンジョンプル(新種のインフルエンザ)』て言い方をするんですよ。『豚毒感』なんて言い方したら、『どこの田舎から来た人なんだろう』と思われますからね」

と、先生が注意をうながす。リ・ハイチンさんは「わかりました」と答えた。

そして後半のマラギ(会話表現)の時間。マラギ担当のキム先生がおっしゃった。

「みなさーん。いま『テジドッカン(豚毒感)』が流行ってますからね。注意してくださいよ」

すかさず、リ・ハイチンさんが口をはさむ。

「ソンセンニム(先生)!今は『シンジョンプル』って言わなきゃダメですよ。『テジドッカン』なんて言ったら、田舎者だと思われますよ」

たしなめるように言ったのを聞いて、みんなは大爆笑した。

さて、そのマラギの授業。

今日は最初の授業なので、お互いを知るために、先生が用意した100の質問項目(!)の中から面白そうなものをピックアップして、お互いに質問し合うという練習をした。

5人ずつのグループに分かれてしばらくお互いに質問し終えたあと、今度は全員に対して先生がおっしゃる。

「みなさーん。先生に質問はありますか」

誰かが先生に質問した。

「ソンセンニム!家出をしたことがありますか?」

ずいぶん唐突な質問だなあと思ったが、100の質問を書いた紙をよく見ると、たしかに「家出をしたことがありますか」という質問項目があるではないか。

「家出をしたことがありますか?」なんて、初対面の人に質問するようなことか?

「ありますよ」と先生。

あるんかい!

「4年ほど前の誕生日にね。その日は雪が降っていたんだけど、家族が誰も自分の誕生日に気づかないで、誰からもお祝いされなかったの。それで頭に来て、大邱から汽車で1時間くらいの所にあるお寺までひとりで家出したのよ。でもひとりで雪の降っているお寺を歩いていたら、急にさみしくなって、家に帰ったの。だからその日は、朝に家出して、夜には家に戻ったのよね」

ん?それって「家出」って言うのか?たんなる外出じゃないのか?

「先生、それはいつのことですか?」と、誰かが質問した。

「4年前のことよ」

「じゃあ、もういい大人じゃないですか」

その通りである。「豚毒感」に続き、再び学生にたしなめられた先生は、くやしそうな表情をした。

「ああ言えばこう言う」という彼らの持ち味は、やはり健在なようだ。

少しずつこの重苦しい雰囲気も解消されるかも知れない。今までがそうであったように。

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タプサ・6回目 ~ミリャン~

9月5日(土)

6回目のタプサ(踏査)は、大邱から車で1時間ほどのミリャン(密陽)である。

このタプサのために、ミリャンを舞台にした映画「ミリャン」を見たことは、前に書いた

どちらかといえば地味な映画なのだが、カンヌ映画祭で賞をとったことがきっかけとなって、それまであまり知られていなかったこの町が、脚光をあびるようになったという。

町じたいも、地味な田舎町である。

だが、「密陽」という地名の響きがなんともよい。英語に直すと「シークレット・サンシャイン」。

ルー大柴じゃないんだから直訳するな!と怒られそうだが、映画の邦題はまさに「シークレット・サンシャイン」なのだ。

日本にたとえたら何だろう。カンヌ映画祭で賞をとった今村昌平監督の映画「うなぎ」の舞台となった、千葉県佐原市、といったところか。

どうだ、マニアックすぎてわからないだろ。でも私にはしっくりくるたとえである。

本当は、映画のロケ地を少しでも見てみたかったのだが、集団行動だし、そもそもタプサの本来の目的とはそぐわないので、当然、そんなことは望むべくもない。

例によって、旧跡を中心にまわる。

この町が、なかなかよい。

Photo 最初に訪れた萬魚寺(マノサ)は、標高600メートルの山の上にある古刹である。訪れてビックリしたのは、山の一面が石で覆われていることであった。それがあたかも、川を泳ぐ魚のように見えるので、萬魚寺と呼ばれるようになったのだという。

弥勒菩薩をまつったというお堂の本尊も、巨大な岩であった。あたかもご神体のように鎮座していた。

2 次に訪れたのが、田んぼの真ん中にある石塔(崇眞里三層石塔)。

田園風景が広がる。稲穂が少しこうべを垂れはじめていた。

石塔の中に蜂が巣を作っていて、容易には近づけなかったのはご愛敬。

昼食の後、市立博物館や朝鮮時代の山城などを見学し、最後に、表忠寺(ピョチュンサ)というお寺を訪れた。

境内で休んでいると、夕方5時頃になって、人々がある場所に走って向かっている。

人々の走っていく方向に私たちもついていくと、驚くべき光景に出会う。

Photo_2 なんと、ウサギが、お寺の仏様に向かってお祈りしているではないか!

指導教授によると、「お祈りをするウサギ」として、有名らしい。

ある時、山から2羽のウサギがこの寺におりてきた。ところが、このうちの1羽がある日、猫に襲われて死んでしまった。

それからというもの、残った1匹のウサギが、毎日、このお寺のお堂の前で、お祈りをするようになったのだという。

この話は、テレビで何度か放送されたおかげで、人々の知るところとなった。

ウサギはお堂をお参りした後、今度は石塔の前に走り寄り、お祈りをはじめる。

Photo_3 ウサギが石塔にやってくると、それに気づいた人々が次々に写真を撮りはじめる。

まるでアイドルの撮影会なみの人気である。

おりしも、陽が傾きかけた夕方のことである。「密陽」の地名にふさわしい奇譚である。

ミリャン。地味な田舎町だが、不思議な雰囲気を持つ。

もう一度訪れたい場所かも知れない。

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汗かきのメカニズム・妄想篇

なぜこんなに汗をかくのだろう、と、たまに深刻に考える。

尋常ではない汗の量は、どこか体が悪いとしか思えない。

私は、「冷たい水」をごくごく飲むのが好きである。熱いお茶はほとんど飲まない。

だからいつも喫茶店では「アイスアメリカーノ」を注文する。

「冷たいものばかり飲んでいると、体に悪い。それに新陳代謝も悪くなるので、太りやすくなる。熱いお茶を飲んだ方がよい」と、いつも妻に注意されるのだが、こればかりはやめられない。

そういえば以前、ある天才漫才師の評伝を読んでいたとき、彼がいつも「キンキンに冷えたビール」ばかりを飲んでいて、それが彼の体をむしばんで、死期を早めたのではないか、といった内容の記述に出くわした記憶がある。やはり冷たいものばかりを飲むのは体によくないのだ。

今日も、例によって、冷たい水の入ったペットボトルを机の上に置いていたら、ペットボトルの表面に、みるみるうちに水滴がつき始めた。

それを見ていて、ひとつの仮説が浮かんだ。

私の体の中は、冷たい水ばかりを飲んでいるせいで、内臓がキンキンに冷えてしまっているのではないだろうか。そのため体の中の(内臓の)温度と、外気温との間に差が生まれ、体の表面に、水滴がつき、それがさながら汗のように見えるのではないだろうか。

ちょうど、目の前にあるこのペットボトルのように、である。

だって、ふつう、あんな尋常ではない量の汗をかくはずはない。もしあれがすべて体内から出ている本当の汗だとしたら、私の体はとっくに干からびているはずだ。

「ということは、あれは汗ではなくて、空気中の水蒸気が、水滴となって体に付着している、ということ?」

私の妄想仮説を聞いた妻は、あきれながら確認する。

「そういうこと。たとえていえば、『水とりぞうさん』みたいなもんだ」

わけのわからないたとえに、妻はさらにあきれたような顔をした。

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夏の終わりの花火

9月3日(木)

午前10時から慶州でシンポジウムがあるため、朝、大邱を出発する。

シンポジウムで、いろいろな先生方とお会いする。

もう9カ月もいるおかげで、この業界のいろいろな先生方と知り合うことができた。

だが、この業界を知れば知るほど、複雑で濃密な人間関係や、表面からは見えにくい派閥のような存在を知り、気が重くなる。

それに、自分は、本当にこの世界でやっていけるのか?このままでいいのか?と不安に襲われる。せっかくこれだけ韓国に滞在していても、自分は必要とされていないのではないか、と。

ま、身の程も知らずに期待されようと考えているから思い悩むわけで、そんなに気負う必要もないのだが。

やや暗い気持ちで、夜8時ごろ大邱に戻ると、携帯電話の着信履歴に大学院生のウさんの電話番号があったので、かけ直してみる。

えらく陽気な声で、「今みんなで飲んでいるので、一緒にどうですか?」と。

急いで、大学の近くの酒場に駆けつける。

久々に、大学院生のみなさんとお酒を飲む。

楽しいお酒であった。

お店を出るとき、ウさんがお店の人から小さなおもちゃ花火を人数分もらってきた。

「大学に戻って花火をしましょう」と。

大学の門を入った、人々が絶え間なく行き交う場所で、ひとり1本ずつ、小さな花火に火をつける。

わずか30秒ほどの、つかの間の花火大会。

夜9時半。外はすっかり涼しくなっていた。

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夏の疲れを癒す

先日、2日間の慶州・南山の登山を終え、慶州から大邱へ戻るバスの中で、iPodに入っていた大貫妙子の歌を聴いて、それまでの疲れがとても癒された。

やはり大貫妙子はいいね。夏の疲れを癒すには、大貫妙子を聴くに限る。

とくに好きなのは、次の3曲。

「黒のクレール」(82年)

「夏に恋する女たち」(83年)

「海と少年」(78年)

70年代末から80年代前半に作られた「夏」の歌である。

そして、編曲はいずれも坂本龍一。この編曲が、またすばらしい。

とくに前の2曲は、筆舌に尽くしがたいほどすばらしい(といっても、好みの問題かも知れない)。

ずっと前(もう20年以上も前)に、ラジオで坂本龍一が、「実はバート・バカラックの音楽が好きなのだが、それをなかなか自分の音楽に取り入れる機会がない」みたいなことを言っていたと思うのだが、そういわれてみると、とくに「夏に恋する女たち」などは、バート・バカラックを意識した編曲のようにも思える。

この他に、個人的には「宇宙(コスモス)みつけた」(84年)の編曲も好きである。

80年代の坂本龍一は神がかっていた、と以前書いたことがあるが、この頃に大貫妙子に提供した編曲の数々は、渾身の力をこめた傑作ばかりである。

坂本龍一が、大貫妙子の楽曲をとても大切に思っていて、大貫妙子のことが本当に好きだったんだなあ、ということが、よくわかる。

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映画3連発

9月1日(火)

夜、家で韓国映画のビデオを3本見る。

Sonotoki まず、「その時、その人々」(邦題「ユゴ 大統領有故」)。1979年10月26日に起こったパク・チョンヒ大統領の暗殺事件を描いた映画である。

以前、日本で公開されたときに見逃してしまったため、見ることにした。

言葉がわかりにくいのに加えて、歴史的背景も深く勉強しないまま見たので、よくわからないところも多い。

だがこの映画は、大統領暗殺事件の真実を描く、といったような歴史上の関心で見るべき映画ではないことに、なんとなく気づく。

1979年10月26日における、大統領を暗殺するまでの犯人の心理や行動、そして暗殺された後の周囲の人々の反応などが、ときにコミカルに描かれる。

そう、これは原題の通り、1979年10月26日の「その時」の「その人々」の様子を描いたものなのである。

たとえていえば、1945年8月15日の1日を描いた岡本喜八監督の映画「日本の一番長い日」のようなテイスト、といったらよいか。

そう思いながら、何度かくり返し見れば、よくわからなかったシーンも、わかるようになるかも知れない。

Yuganasekai 2本目は、ソン・ガンホ主演の「優雅な世界」。主演がソン・ガンホである、という理由だけで見ることにした。

ソン・ガンホ演ずるダメ人間ぶり、ダメお父さんぶりが、実によい。

かねて私は、韓国版「男はつらいよ」を作るとしたら、ソン・ガンホしかいないのではないか、と思っていた。やくざな稼業につき、人はよいものの、やることなすこと裏目に出てしまうところや、家族にいいところを見せようと見栄をはるところなどは、まさに「寅さん」のテイストである。この映画の随所に、それを思わせるところがあるのである。

ただし、映画の内容自体は、「寅さん」のようなほのぼのとしたものではないことに注意。

Radiostar 3本目は、パク・チュンフン、アン・ソンギ主演の「ラジオスター」

かつて一世を風靡したミュージシャン(パク・チュンフン)は、麻薬で逮捕されたり、暴力事件に巻き込まれたりして、今ではすっかり落ちぶれていた。ふとしたきっかけから、とある田舎町のラジオ放送のDJをつとめることになるのだが、いまだにスターとしてのプライドが高い彼は、まったくやる気を起こさない。20年もの間、彼を支えてきたマネージャー(アン・ソンギ)は、再起をかけて、彼になんとかやる気を起こさせようと奔走する。やがて小さな奇跡が起こり、彼はラジオDJの面白さに目覚めるのだが…。

ラジオが人々の心を結びつける、という、私のラジオ願望を満たす映画であるとともに、当初はまったくやる気のなかった人々が、結束してよいものを作りあげていく、という群像劇として、とても後味がよい。我田引水な解釈でいえば、「高原へいらっしゃい」とか「王様のレストラン」のようなテイストといえるだろう。私の最も好きなジャンルの映画である。

ふだん大統領とか英雄の役をやることの多い「国民的俳優」ことアン・ソンギが、冴えない芸能マネージャーに扮しているのも注目されるが、一方のパク・チュンフンも、こういう屈折した役を演じさせるととてもよいね。佳品である。

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答えは風に吹かれている

韓国での生活を始めたばかりの頃、わからないことばかりだった。

最初のころ、いろいろとわからないことを率直にこの日記に書いていたら、この日記を読んでいただいていたある方から、「答えは風に吹かれていますな」というコメントのメールをいただいたことがあった。

なるほど、いい言葉だな、と思って心にとめていた。

先日、慶州のホテルで久々に日本のテレビ放送を見た。自宅では、日本のテレビ放送が見られないので、実に久しぶりである。

すると夜中に、井上陽水の特集番組をやっていたので、翌朝早く起床して登山をしなければならないのにもかかわらず、つい見てしまった。

番組の中で、井上陽水が影響を受けた人物のひとりにボブディランがいて、ボブディランの歌詞が、井上陽水の作詞に大きな影響を与えた、と紹介していた。

そこで出てきたのが、ボブディランの「風に吹かれて」という曲であった。

ぼんやりと見ていて、はたと気づく。

この曲に何度も出てくる「The answer is blowin' in the wind」こそが、「答えは風に吹かれている」ではないか。そうか。この言葉は、ボブディランの名曲の一節だったのだな。

メールをいただいて半年以上経って、ようやく気づく。

「今ごろそんなことに気づいたのか?バッカじゃないの?そんなのあたりまえだよ」と言われてしまうかも知れない。しかし全くといっていいほど洋楽の知識が欠如している私は、こんな基本的な常識すら気づかなかったのである。なんたる無知!

なぜこんな無知ぶりをさらけ出したかというと、この日記のタイトル(「風の便りの吹きだまり」)は、井上陽水の「いっそセレナーデ」という歌の中の、「風の便りの 途絶えたわけを 誰に聞こうか それとも泣こうか」という歌詞を聞いているときに、なんとなく思いついたものだからである。

この日記のタイトルのきっかけとなった井上陽水の歌詞。そしてその井上陽水の作詞に影響を与えたというボブディランの歌詞。さらにそのボブディランの歌詞の一節を教えていただいたメール。

「風」をめぐる不思議な因縁、といえば大げさか。

ともあれ、この年齢になって、ひとつの名曲にめぐり会えたことに感謝。

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