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とりとめのない授業風景

9月25日(金)

朝、語学堂の教室に入ろうとすると、前学期の3級6班の時のパンジャンニム(班長殿)こと、クォ・チエンさんが話しかけてきた。クォ・チエンさんはいま、私の隣の班で、やはりパンジャンニムをつとめている。

「来週の火曜日、3分マラギで『男女差別』というテーマで発表しなければならないんです。で、日本では、男女差別が起こった場合、どうやって解決するのかを、事例にあげたいので、教えてほしいんです」

ずいぶんと難題である。

「難しいねえ。いますぐには答えられないけど、いつまでに答えればいいの?}

「今日の授業が終わるまでにお願いします。一言でかまいませんので」

日本における男女差別の問題は、一言で片付けられるようなものではないのだが。しかも、いまだ解決されていない問題を、今日の授業が終わるまでに一言でまとめる、というのは、かなり無理がある。

「わかった。じゃあ、考えがまとまったらあとで知らせるよ」

授業が始まる。

文法の先生は、ヤン・チャン君が、授業中、一言も言葉を発していないことを注意する。

「言葉の練習なんだから、例文を声に出して作りなさいよ。まだ一言も発していないじゃないの。このまま何も言わないんだったら、歌を歌ってもらうわよ」

それでも、彼は下をうつむいたままである。

もともとヤン・チャン君は、おとなしい青年である。韓国語が思うように話せないことに、少しばかりコンプレックスを感じているのかも知れない。

そのヤン・チャン君が、休み時間に話しかけてきた。

「あの…、韓国語の「ジュンビ」を、日本語では何て言うんですか」

クォ・チエンさんに頼まれた難題の回答をメモ用紙に書いていた私は、手を止めて質問に答えた。

「日本語でも『準備(ジュンビ)』だよ」

「やっぱり」

「それがどうかしたの?」

「前に、日本のドラマを見ていたときに、『ジュンビ』という言葉だけが聞き取れたんです。ひょっとして、韓国語の『ジュンビ』と同じなのかな、と思って」

「中国語では何て言うの?」

「『ジュンペイ』です」

「へえ、おんなじだね」

「そうですね」

彼は、決して喋りたくないわけではない。喋る機会をうかがっているのだ。

日本の男女差別の問題を韓国語で1文にまとめた私は、隣の班のクォ・チエンさんのところに行って、書いたメモを渡しながら説明した。

「これで十分です。ありがとうございました」

後半のマラギの授業。

「アンケート調査票」と作り、実際にアンケートをとって、回答を分析して発表する、という練習を行う。

2つのチームに分かれて、それぞれがアンケートのテーマを決めて、調査票を作成する。それを交換して、お互いそのアンケートに答え合う、というもの。

今日の出席者は12人だったので、6人が1チームとなった。

さて、アンケートのテーマは何にしよう…。

お調子者のリ・チャン君が、「恋愛の意識調査にしましょう」という。

またその手の話かよ!と思いつつも、彼の意見を採用する。

次の問題は、どういう設問を作るか、である。

「ヨジャ・チングと別れてしまったあと、どうするか、というのはどうでしょう」と、再びリ・チャン君。

「どういうこと?」

「たとえば、酒をたくさん飲んで忘れるとか…そういう答えです」

「ちなみにリ・チャン君はどうするの?」

「ボクは、…泣きます」

「え?泣くの?」

「ええ。信じられませんか?」

すると、おとなしいヤン・チャン君が、リ・チャン君の肩をポンポンとたたきながら、喋りだした。

「そう、こいつは、ヨジャ・チングと別れると、酒を飲みながら泣くんですよ。そのたびにボクが、『まあそう気にするな』といって励ますんです。そんなことが、いままでに3,4回ありました」

リ・チャン君とヤン・チャン君は、小学校から高校まで、ずっと一緒だったという。いわば幼なじみである。今また、韓国でも同じクラスだ、というのだから、腐れ縁というやつか。

その友情に、なんともほほえましさを感じる。そういえば私にも、小学校から高校まで同じクラスだった幼なじみがいたな。たぶん、こんな感じだったんだと思う。

アンケート票を作っている間、少し時間の余裕があったので、「よくモノをなくす先生」(マラギの先生)と雑談する。

「日本語にも『サトゥリ(訛り)』があるでしょう。どんな感じなんですか?」

私が答える。

「たとえば、韓国語の標準語で『オディガニ?』(どこ行くの?)を大邱サトゥリでは『オディガーノ?』と言いますよね。日本語では、東京の言葉で『どこ行くの?』が、大阪サトゥリでは『どこ行くねん?』となるんです」

得意になって説明していたら、遠くでそれを聞いていたスンジ氏が笑いながら言った。

「『どこ行くねん?』なんて、そんな風に言いませんよ」

そう言えば、スンジ氏は大阪出身だった…。

「じゃあ何て言うんです?」

「『どこ行くねん?』はちょっと言葉が強いですね。『どこ行くん?』だと思います」

なるほど。やはりネイティブは違うな。私は、得意げに東京弁と大阪弁の違いを説明したことを恥ずかしく思った。

それにしても、アンケート調査票を作ることよりも、こうして雑談している方がよっぽど楽しい。なにより、ふだんの堅苦しい授業ではまったく喋らないヤン・チャン君やスンジ氏も、こういう雑談の場ではけっこう話したりしているではないか。

少しずつ、この班の堅苦しい雰囲気が溶けはじめていることを実感する。

授業が終わり、教室を出ると、廊下で、やはり3級の時に同じ班だった、クォ・リウリンさんが挨拶してきた。

「アンニョンハセヨ?」

「アンニョンハセヨ?この前のTopik(韓国語能力試験)どうだった?」

「全然ダメでした。8月のパンハク(休暇)の時に故郷に帰っていたので、それまでに習ったことを全部忘れてしまいました。キョスニムはどうでした?」

「私もパンハクにあちこち旅行に行っていたので、ダメだった」

3級時代、あまり会話を交わしたことのないクォ・リウリンさんとの会話がはずむ。これも、韓国語が少しずつでも上達したおかげであろう。クォ・リウリンさんも、韓国語に自信が持てるようになったなのか、その表情は生き生きとしていた。

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