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ここがヘンだよ

9月21日(月)

私の右隣に座っているリ・チャン君は、授業中寝ていることが多いが、たまに起きると、人を食ったような質問をして、先生を困らせる。

おとなしい学生が多いわが班にとって、貴重な存在である。

彼が休み時間に、3級のときに同じ班だったチ・ヂャオ君と話をしていたので、彼に聞いてみた。

「チ・ヂャオ君とチングなの?」

「ええ、一緒に住んでます」

ルームメイトか。

そこで合点がいく。彼の芸風が、なんとなくチ・ヂャオ君を思わせたのは、そのせいだったのか。やはり一緒に住んでいると、芸風が似てくるのか。それとも、似たもの同士が一緒に住んでいるのか。

さらに彼の右隣には、ふだんおとなしいヤン・チャン君が座っている。

今日、はじめて彼が私に話しかけてきた。

「コヒャン(故郷)はどこですか?」

「東京だよ。ヤン・チャン君のコヒャンは?」

「河南省です」

「河南省か。河南省出身の人、この語学堂に多いよね」

「ええ。チャン・ハン、知ってますか?」

「知ってるよ。2級のときに同じ班のチングだった」

「彼と同郷です」

なるほど。この班の学生たちとは、はじめて顔を合わせる人ばかりなのだが、見えないネットワークが存在しているんだな。いっぺん人物相関図を作ってみたいものだ。

さて、今日の3分マラギは、副パンジャンニム(班長殿)ことチュイ・エンピン君。テーマは、「韓国に実際に暮らしてみての印象」。

与えられた時間の中で、キーワードを3つあげて、韓国に対する印象をあげていく。1つめは「辛い」、2つめは「中性化」、3つめは「セクシー」。

1つめの「辛い」はわかるとして、あとの2つはちょっとわかりにくい。チュイ・エンピン君によれば、韓国では、女性的な男性や、男性的な女性が多いという印象があり、それを彼は「中性化」という言葉で表している。「セクシー」とは、韓国の女性はとてもセクシーだ、とのこと。

あとの2つの印象が、チュイ・エンピン君の個人的関心に過ぎるきらいがないではないが、基本的には、声も大きく、わかりやすい表現を使ってまとめていたので、とても面白い発表だった。

発表のあと、先生が「みなさーん。韓国へ来て、ここがヘンだな、と思ったことはありませんか?」と質問する。

この手の質問は、けっこう難しい。

自分が体験したことが、韓国社会の特徴として一般化してよいものなのか、いつも迷うのである。

むかし、「ここがヘンだよ日本人」とかいう番組があったが、どうもあの番組に対して違和感があったのは、各自の個人的な体験を「国民性」として敷衍してしまうことに対する疑問があったからだった。

今日の質問も、それと似ている。

韓国人男性と結婚してこちらに滞在している日本人女性のカエさんが質問する。

「韓国の人は、ケンカしたり怒ったりするときにどうしてあんなに大きな声を出すのですか?」

たしかにそうである。私の住むトンネ(町内)でも、夜、路上で、突然大声を出して怒ったりケンカしたりする声を聞いたことがある。

ふつうに喋っていても、ケンカしているように聞こえるときがあるのである。

「そんなに大きい声を出してるかしら。でも、怒るときに声を出すのはあたりまえでしょう。それとも、日本人は、怒るときに小声になるのかしら」

先生が冗談交じりに答えるが、どうも答えがちぐはぐである。

「怒るときに小声になる」というのはちょっと大げさだが、でもわざと声を落として怒りを表現することは、よくある。私なんか、怒ると急に敬語を使ったりする。

続いて、日本語が母語のチェイルキョボ(在日僑胞)である、スンジ氏が質問する。

「韓国の女性は、歩き方が少しヘンです」

「それ、私のことを見て言ってるんじゃないでしょうね」と先生。

たしかにマラギの先生は、歩き方が独特である。それにしても、歩き方とは、ずいぶん細かいところに注目するものだ。

つづいて私。

「韓国では、子どもたちが夜遅くまで公園で遊んでいますね。あれがちょっとヘンだともいます」

実際、夜9時、10時、遅いときは11時まで、幼い子どもたちが親と一緒に公園で遊んでいることがある。日本では、まず考えられないことである。

夜の大学を散歩していてもそう思うのだが、韓国の青少年は、「宵っぱり」が多いのである。

これについての先生の答え。

「ああ、それはですね。キョスニムの住んでいるトンネ(町)が、ほかにくらべて貧しい人たちが住んでいるからですよ。たとえば、アパート(マンション)に住んでいる家族だったりしたら、子どもの勉強のために塾へ通わせたり勉強させたりしていますからね。そんなことはないと思いますよ」

うーむ。ずいぶんストレートなことをおっしゃる。ただ、私が見たのは、アパート(マンション)の前にある公園だったんだが。

結局、どの答えもちぐはぐなものであった。

考えてみれば当然である。聞く方は、自分の体験に基づいたことしか聞けないし、それに答える先生の方は、さしてそれを「ヘン」だと思っていなかったりするからである。

結局のところ、よくわからない。

マラギの授業の後半は、「韓国の慣習と、自分の国の慣習とを比較してみる」という授業。

そこにあげられているのは、家族、とか、結婚とかに関する慣習である。

一般化するのは危険だが、韓国人は、家族とか、結婚に関する話がとても好きである。この語学堂の授業でも、この種の話が何度登場したことだろう。

むろん、世界各国の人たちにとって、家族とか結婚とかは、共通の話題になりやすいので、語学学習の主題として使われているのだろう。だが、そのことを差し引いても、この手の話が本当によく出てくる。

たとえば、日本の大学の語学教育で、こういうテーマを好んでとりあげるか、というと、どうもそんな感じはしないような気がする。

そのこと自体が、比較文化論としてとても面白いのだが、今はそのことは置いておこう。

副教材にあげられている慣習の事例が、えらく具体的なのである。「年老いたプモニム(両親)の面倒を誰が見るのか」とか、「結婚したらプモニムと同居しなければいけないのか」とか、「結婚式には誰を呼ぶのか」「結婚式のご祝儀にはナンボ包むのか」とか。

いずれも、身につまされたり、頭を痛めたりする問題ばかりである。

そして、こうした現実的な問題について関心を持つのは、わが班の中でも、大学を卒業した経験のある「オールド・チーム」ともいうべき人びと。

これから大学に入学しようと考えている20歳そこそこの学生には、あまり関心のない話である。だから、「ヤング・チーム」は、この話題にあまり参加することなく、中国語で私語をはじめてしまう。

でもそれは仕方のないことだ。私が20歳の時だって、そんなことにほとんど関心がなかったから。

「韓国の場合は、…」「日本の場合は…」「中国の場合は…」といった話が続く。

「国民性」なるものを克服したい、という理想と、「日本の場合は…」などと答えている現実の自分との間で、思い悩む1日だった。

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