打てど響かぬ教室
9月8日(火)
「この教室、風があまり通りませんね」
わが班の授業を担当される先生が2人ともそうおっしゃった。
たしかにそうである。窓の外側は、そぐそばに大きな建物が建っているし、教室のドアの外側も、廊下をはさんで、壁が立ちはだかっている。
建物の構造上、この教室は風が通りにくくなっているのである。
そのため、というわけでもないが、昨日から始まった授業の雰囲気が、やはり今日も重苦しい。
先生が説明しても、下を向いている学生が多く、先生の質問にも答えなかったりする。
休み時間も、ほとんどの学生が、喋ることなく、机に突っ伏して寝ている。
こういうとき、つい、教師の側に立って考えてしまうのだが、教師にとって、学生が無反応なことほど地獄に感じることはない。
いくら一生懸命に教えても、自分が空回りしていく様子がよくわかるからである。
といって、決して不真面目な学生ばかり、というわけではない。
今日わかったことなのだが、先学期、成績が優秀のため、奨学金をもらった学生が、わが班15人のうち12人もいた。つまり、わが班のほとんどの学生が、3級の成績が優秀だったのである。
だが、どうしたことか。このやる気のなさは。
いろいろと考えられる可能性はある。
これは多くの人が言っていて、私もそう感じたのだが、3級の授業が、覚えることが多くて、実は一番大変だった。授業中に学ぶべきことも多く、必死についていかなければならなかったのである。
ところが、4級の授業は、拍子抜けするくらい、ユルい。文法上、大事なことは3級でほとんど終わっていて、4級はどちらかといえば難解な表現や語彙を中心に授業が進むのである。
だから、あのせき立てられるような3級の授業を経験した私たちにとって、4級の授業は、なんとなく、時間をもてあましているように感じるのである。
誤解のないようにいうが、これは先生の教授法が原因では決してない。カリキュラムじたいの問題だろう。
学生たちも、そのことをうすうす感じている。それが、無反応という態度となってあらわれているのではないだろうか。
不思議である。せき立てられるように勉強させられた2級や3級のときは、学ばなければならないことの多さに閉口したものであるが、その峠を越えた今は、むしろ現状に物足りなさを感じているようである。
まあ、まだ2日目である。結論を出すには早すぎる。もう少し様子を見ることにしよう。
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