思い出の引き出し
9月30日(水)
日本に盆と正月があるように、韓国にはソルラル(正月)とチュソク(秋夕)がある。韓国人にとっての、大きなイベントである。
今年のチュソクは10月3日(土)だが、語学の授業は、明日から日曜日まで、チュソクのためのお休みである。
明日から4連休のせいか、心なしかウキウキする。
授業の途中で、チュソクの時に食べるソンピョン(餅)がみんなに配られた。
ソルラルの直前の授業で「ヤクパプ」が配られたのと同様である。
後半の授業では、その餅を食べながら、スギ(作文)の試験を行う。
今日のスギ試験のテーマは、「アボジ(お父さん)」。
「みなさーん。ふだん、オモニ(お母さん)のことは考えたことはあっても、アボジのことは考えたことはないでしょう。今日は、オモニではなく、アボジの思い出について書いてもらいますよー」と先生。
「もしお父さんとの思い出があまりいいものでない場合は、どうすればいいのですか?」とハナさんが質問する。
「悪い思い出でもいいので書いてください」と先生。
考えてみればそうだ。
父親の思い出が、必ずしもいいものばかりとは限らない。父親との関係がよくなかった人にとっては、作文を書くことじたい、つらい作業になるのではないか。
思えば、1級の時から今まで、何度となく「家族」をテーマにした作文を書いてきた。
むろん、作文の練習だと割り切ればよいのだが、それにしても、こちらの個人情報がそのたびにさらけ出されるのは、あまりいい感じがしない。
といって、家族の話は、誰にとっても身近なテーマだし、作文の課題としてはおあつらえ向きなのであろう。仕方がないのかも知れない。
最初の1時間で、各自が作文の構成を考える。
「みなさんのところをまわりますので、わからないことがあったら、その都度質問してください」と先生。
各自が、作文の構成を考えながら、わからない単語などを先生に質問する。
途中、カエさんが、「ソンセンニム!『マージャン』って、ハングルでどう書くんですか?」と質問。
マージャン、って、いったい父親についてどんな作文を書くつもりなのだろう。
ふだん父親についてあまり考えることのない私も、必死で記憶の糸をたぐり寄せることにする。
うーむ。思い出そうとするとすればするほど、なんとなくどんよりした気持ちになるなあ。とくに悪い思い出があるわけでもないのだが。
さて、2時間目は、いよいよ作文の試験の本番。
前の時間に作った構成表をもとに、600字以内の作文に仕上げてゆく。
必ず使わなければならない文型があるので、それをクリアしつつ、書いていかなければならない。
多少、脚色を含めながら書いていく。
書いているうちに、なんとなく泣きそうになってきた。頭の中のさまざまな引き出しが開き始めたのだろう。
今まで親に迷惑ばかりかけてきたな、という思いも頭をよぎる。
「思い出」に関する作文を書くときは、ふだんは開いていない記憶の引き出しが開き始めるのである。
以前の3級の時のスギの試験もそうだった。
その時は、私が試験当日に欠席しなければならない事情があったので、先生が、試験を前日に受けられるように配慮してくださった。
教室ではなく、語学の先生が何人かいらっしゃる教員室で1人で受験することになった。
作文のテーマは、「写真の思い出」。写真に関する思い出を、何かひとつとりあげて書く、というもの。
写真についての記憶の糸をたぐり寄せながら、作文を書いていく。
やはり途中、泣きそうになる。引き出しが開き始めたのである。
しかし、ここで泣くわけにはいかない。しかもここは、語学の先生数人が、仕事をされている部屋である。なんとかこらえて、作文を提出した。
そして今日。
別に悲しい思い出など何一つないのに、頭の中の引き出しを開けると、いろいろな思い出がよみがえり、ちょっとウルっときてしまう。
作文、というより、カウンセリングである。
そして試験が終了。
顔をあげて周りを見渡すと、感受性の強い、ある学生が泣きながら作文を書いていた。
いったい何を思い出したんだろう。
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