チュソク
10月3日(土)
チュソク(秋夕)は、ソルラル(正月)とならぶ、韓国の二大名節である。いわゆる中秋節(旧暦の8月15日)にあたる。
この日、韓国の人々は、故郷に大移動して、祖先のお墓参りを行う。
ニュースは、高速道路の大渋滞の様子を伝えていた。
ソルラルに引き続き、大学院生のウさんのご実家のチュソク行事に、参加させてもらうことになった。
少し大げさに言えば、親族が集まるチュソクの行事に、外国人が呼んでもらうことは、奇跡に近いことなのではあるまいか。
なぜなら、親族を受け入れるための準備が忙しくて、それどころではないと思われるからである。
それに、伝統的な親族の集まりに得体の知れない外国人が参加することに、やはり抵抗があるのではないだろうか、と、つい思ってしまう。こうした煩わしさにもかかわらず、貴重な機会を与えてくれたウさんに、感謝するばかりである。
市内から車で30分ほどのシゴル(田舎)に、ウさんの実家がある。お昼過ぎにうかがうと、すでに親族のみなさんが集まっていらした。ソルラルのときと同様、みなさんにあたたかく迎えていただく。
さっそく、祭祀がはじまる。ソルラルの時と同じ要領で、祖先に対する拝礼が行われる。拝礼に参加するのが成人男子のみで、女性は台所で食事の準備する点も、ソルラルと同じである。
私も拝礼に参加させてもらう。直立した姿勢から、正座して頭を地につける礼を、二度ほど行う。これも、ソルラルと同じ方法である。
お供え物も、基本的にソルラルと同じだが、ソルラルではお餅をお供えしたのに対し、チュソクでは白米をお供えする点が異なる、とウさんが説明してくれた。
拝礼が終わり、お供えしたものをおろしてみんなで食事する。チュソクではとくに、ソンピョンと呼ばれるお餅を食べることになっている。
食事が終わり、親族みんなでお墓参りする。私と妻も、ぜひお墓参りについていきたいと、お願いした。ただし、お墓参りに行くのは、やはり本来は成人男性のみで、女性はお墓参りには行かないようである。
家から少し離れた、山の斜面に、先祖のお墓が作られているという。途中まで車で移動して、車を降りたあと、りんご畑の中を歩いて、お墓へと向かう。
りんごはすでに赤い実をつけていた。大邱がりんごの産地であることを実感する光景である。
韓国のお墓は、山の斜面に、先祖ひとりひとりのお墓を、土饅頭の形に作る。日本のように、1箇所のせまい墓地の中に、代々の先祖が眠る、というのとは違うのである。一族で亡くなる方が出るたびに、土饅頭の墓は、次々と作られていくことになる。
しかも、後に亡くなった人のお墓は、すでにあるお墓よりも、下に作らなければならない。すなわち、もっとも上にあるお墓は古い先祖で、斜面を下るにしたがって、新しい世代のお墓が作られていくのである。
そのため、一族の墓を作るための広大な土地が必要となる。その維持管理だけでも、かなりたいへんなのだろうと想像する。
さて、お墓参りは、原則として世代の古いお墓から順に、持ってきた食べ物をお酒をお供えして、みんなで拝礼を行う。お墓の前で、靴を脱ぎ、直立の姿勢から、正座して頭を地につける、という動作を2回くり返す拝礼の仕方は、先ほどの家の中で行った拝礼の仕方と同じである。
ひとつひとつのお墓に拝礼した後、「少し離れた場所にもお墓がありますので、トラックで移動しましょう」ということになった。
親族がトラックの荷台に載って、お墓に移動する。
田舎道を、背広を着た大人たちを荷台に載せたトラックが、ゆっくりと走る。
この光景を俯瞰で見たら、まるで、映画のワンシーンのようである。
そして最後のお墓に到着。同じように拝礼をして、すべてのお墓参りが終わった。
お墓参りが終わると、近くの見晴らしのよい場所にゴザを敷いて、お供え物とお酒をいただきながらいろいろとおしゃべりをする。ただし、私にはほとんどわからないお話。
目の前には、山々とりんご畑が広がっていた。やはり、映画のワンシーンのようだ。
これで、お墓参りの行事はおしまい。親族は、この場で解散した。
別れ際、親族の年長者、と思われる方が私に、
「今日は拝礼をたくさんしたので、拝礼がずいぶんと上手くなりましたね。韓国人の拝礼と変わりませんよ」
とおっしゃってくれた。
「日本に帰っても、この拝礼の仕方を覚えておくといいですよ」
そういえば、お墓参りには久しく行ってないなあ…。
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