討論試験・2回目
11月2日(月)
なんとなくウツな状態が続くが、それでも予定はこなさなければならない。
日本から、わが師匠をはじめとするご一行が、調査のためお越しになる。昨日韓国入りし、今日から調査なのだが、私の方は、今日は月曜日恒例の「単語試験」と、マラギ(会話表現)の時間に「討論試験」があるため、午前中の語学の授業に出たあと、合流することにした。
今日の後半のマラギの授業。今学期2度目の討論試験である。
例によって、2つの主題が提示される。
ひとつは、「子どもを育てられない親が、外国に養子に出すことは是か非か」
ふたつめは、「CCTV(監視カメラ)の設置場所を拡大することは是か非か」
これには少し、説明が必要かも知れない。
韓国では以前、経済的に子どもを育てることが難しい親が、アメリカなど、外国へ、自分の子どもを養子に出す、ということがよく行われていたらしい。そういえば、韓国のドラマなどでもそういう話がけっこう出てくる。
CCTVとは、韓国の町中でよく見かける監視カメラのことである。韓国では、道路やお店など、町のあちこちにこの監視カメラが設置されている。言ってみれば監視カメラ社会なのである。後者の主題は、その拡大の是非を問うもの。
いずれも、日本人にとってはあまりなじみのない話かも知れない。
例によって、最初の1時間は、4~5人のグループで集まって、それぞれの主題の賛成の立場、反対の立場から、どんな意見が考えられるかを話し合う。
とくに前者の養子の話、というのが、なじみがないだけに難しい。
賛成の立場としては、経済的に貧しい家だと、十分な教育を受けられないから、養子に出すことは当然である、などの意見が出る。
反対の立場としては、養子に出された先が必ずしも子どもにとって幸せなところとはかぎらない、などの意見。
そこで思い出したのが、日本のドラマであった「おしん」。
厳密にいえば養子に出すのではなく、奉公に出す話なのだが、貧しい親が、子どもを奉公に出した先が、子どもにとって過酷な場所であった、という話。
「日本には昔、そういうドラマがあった。だから、必ずしも養子に出された先がよいところとはかぎらない」と、私は中国人留学生たちに紹介する。
私の韓国語が拙いし、ドラマの内容もわかりにくいので、彼らには伝わらなかったかも知れない。
さて、2時間目、いよいよ討論試験の本番である。
前回と同様、くじを引いて、自分が、どの主題の、どの立場の討論者になるかを決める。
私は、「養子は是か非か」の、「賛成」の立場で、討論をすることになった。
3対3で、ひとつめの主題の討論が始まる。
討論の最中、思い出したことがあったので、発言。
「養子に出されたことで、十分な教育を受けることができ、その子どもが大人になってから成功する、という事例があります。韓国のドラマを見ても、そういう話がけっこう出てきます。たとえば、私が見たドラマのなかで、『ホテリアー』というのがあるんですが、そこでは、アメリカに養子に出されたペ・ヨンジュンが、努力して成功して、実業家になる、という話が出てきます」
すると、反対の席にいたリ・チャン君が発言。
「でも、一方で、日本ではこういうドラマがあります。貧しい父母が、子どもを養子に出したけれども、その養子に出した先で十分な教育を受けられず、過酷な仕事ばかりをさせられるという…」
前の時間に私が話した、「おしん」の話ではないか。
ちゃんと伝わっていたのだな。
しかも、私が提供した話が、まさか私に対する反論として使われるとはね。シニカルで頭のよいリ・チャン君ならではの反論である。
思わず苦笑する。
20分ほどたち、討論は終了。
気持ちがなんとなくウツのため、前回ほど意見を述べなかった。もう少し発言すればよかったかな、と後悔するが、仕方がない。
授業が終わり、午後、バスで清州(チョンジュ)というところに向かい、日本からいらしたご一行と合流した。
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