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「韓国語が下手ですね」

TOPIK(韓国語能力試験)で、4級に合格した。

TOPIKは、初級、中級、高級に分かれ、さらに初級の中に1級と2級、中級の中に3級と4級、高級の中に5級と6級がある。

受験者がたとえば、「中級」の試験を受けたとすると、そのうち、平均点が70点以上とった人が4級に合格し、50点以上とった人が3級に合格する、ということになっている。

つまり、4級とは、中級の上の方、ということで、いわば「中の上」といったところである。

4級を持っていれば、韓国の大学や大学院にはいることができる能力を持つ、と認められるので、4級をとることは、多くの人びとにとって、ひとつの目標でもある。

昨年12月から韓国語の勉強をはじめて、9カ月で4級をとるのは、我ながらすごいことだと、自画自賛する。しかも、40歳のアジョッシである、ということを考えても、やはりすごいことである。

だが、実のところ、嬉しさも半分、いや、それ以下、といったところである。

先日の調査旅行でのこと。

調査の休憩時間に、ある韓国人の先生が、私に質問した。

「どのくらい韓国にいらっしゃるのですか?」

「昨年の12月ですから、…ほぼ1年です」

「1年ですか。それにしては韓国語が下手ですね。どうしてなんです?」

一瞬、言葉を失う。

韓国の社会では、外国人が少しでも韓国語を喋ると、必ずといっていいほど「韓国語が上手ですね」と言われる。そう言われることによって、喋る方も、自信がつく、というものである。

私は、この習慣を、とてもいいものだと思っていた。

ところが、今日お会いしたこの先生は、実に素朴に、「1年もいるのに、どうしてそんなに韓国語が下手なんですか?」と、なんの悪気もなくお聞きになったのである。

たしかに私の韓国語は、ものすごく下手である。同じ時期にソウルに滞在している20代の大学院生の方は、わずか半年で通訳ができるまで韓国語が上手になっている。それにくらべて、私の韓国語ときたら、本当にたどたどしいし、文法的にも間違いが多い。

「年齢が年齢ですから」と答えるのが精一杯で、あとは、その時どう対処したか覚えていない。

質問した人があまりに無邪気に質問しただけに、こちらのショックも大きい。

1年間勉強してきたことは、何だったんだろう。結局、あれだけ勉強しても、韓国語がほとんどできない人、と思われているんだな。

一気に、やる気が喪失したのであった。

さて、話は、先週の水曜日にさかのぼる。

夜、大学で、「マラギ大会」があったので聞きに行った。外国人留学生によるスピーチ・コンテストである。

予選を通過した14人が、壇上で、5分程度、韓国語でスピーチをする。テーマは、「韓国!韓国人!」

外国人から見た韓国や韓国人について話すというもの。

さすが、本選だけあって、みんなとても流暢である。私などは、とても太刀打ちできない。

ところが、話の内容は、となると…

内容が全くない。内容が全然ないのである。

何人かのスピーチを聴いていて、あることに気づく。

みんな、「見た目」がいいのだ。

女性はみんなきれいだし、スタイルもいいし、服装のセンスもよい。

男性も、基本的にはイケメン(死語)である。

ある程度、見た目がよくないと、本選に残れないんだな、ということに気づく。

予選に、ビデオ審査というものがあったことにも、納得した。

ひとりだけ、とても印象に残った発表があった。

他大学の、在日3世の留学生である。

自分のハルモニ(おばあさん)のために、在日韓国人と韓国との橋渡しになろう、と、韓国の大学に留学した彼は、来てみて、韓国人の、在日韓国人に対する意識の低さに驚愕する。

自分の故郷だと思ってやってきた韓国が、実はそうではなかったのだ。

そのことに気づいた彼は、煩悶する。自分の故郷は、日本でも、韓国でもない。では、どこにあるのだろう。故郷と呼べる場所が、自分にはあるのか?

彼は、いまの気持ちを、実に率直に話した。

見た目は、チャラチャラしたあんちゃん、といった感じだったが、彼の「告白」ともいえるスピーチに、私は引き込まれた。

決して流暢な韓国語ではなかった。留学して8カ月。たぶん、私とほぼ同じくらいのレベルだろう。

だが、ほかの誰よりも、胸をうつ発表だった。

さて、結果発表。

1位は、モンゴルから留学した、修士課程の女子学生。

容姿も美人で、韓国のアナウンサーなみの発音であった。

2位は、中国から留学した女子学生。

美人でスタイルがよく、スカートの横のところが割れているチャイナ・ドレスを着ての発表だった。

私は、この結果に驚愕した。

なぜならば、私には、2人のスピーチの内容が、まったく記憶に残らなかったからである。

彼らが、何を話したのか、まったく印象に残らなかったのである。

ここへきて、ようやく知る。ははあん。このスピーチコンテストは、見た目がよくて、発音がよければ、優勝できるのだ、と。その程度の大会だったのだ、と。

私が審査員だったら、在日韓国人の彼を間違いなく推しただろう。なぜなら、スピーチとは、小手先の技術ではなく、何を伝えたいかである、と考えるから。

でも、この大会の審査員のおじさんたちは、そうは思わなかった。審査員を務めた、大学教授のおじさん(なぜか審査員は全員男!)たちは、彼のスピーチには、心を動かされず、内容がなくとも発音がきれいで美人でスタイルのよい人を、誉め称えたのだ。

しかも、大学教授ともあろう人が、である。

この結果は、私の語学に対する自信を、大いに失わせるものであった。たとえたどたどしくとも、伝えたいことがあれば、相手に響くのだ、という信念は、この国には通用しないのだ、ということがわかり、絶望した。

私は、いったい何のために1年近くもの間、韓国語を勉強してきたのだろう。

私はこの国を理解できるだろうか?

私のウツな気分は、この出来事がきっかけとなって始まったのである。

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コメント

御無沙汰しております。
院2年生の長楽寺日記です。
いつも楽しく拝見しております。

今回のことで、さぞがっかりなさったことでしょうね。
しかし、教わった私が申し上げるのも恐縮ですが、先生は評価にとらわれ過ぎていると思います。

「マラギ大会」のようなことは、なにも韓国だけでなく、日本でもあることではないでしょうか。
本義から外れたパフォーマンスには、私も辟易とさせられます。慣れなきゃいけないんでしょうけど。

コンテストより、先生が経験されてきた研究者同士の会話や、日常のコミュニケーションの中に、語学で一番大切なことが隠れているような気がします。

先生のご活躍が、学生たちの励みになっています。どうかお気持ちを切り替えて、韓国で学ぶ日々を楽しんでください。

投稿: 長楽寺日記 | 2009年11月 8日 (日) 15時47分

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