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2万ウォンの伊達めがね

11月20日(金)

しばらく間があいてしまった。

理由は3つある。ひとつは、17日(火)から20日(金)まで、両親と妹が韓国に旅行に来たので、案内をしていたのである。

両親にとっては、初めての海外旅行であった。

2つめは、仕上げなければならない原稿の締め切りが迫っていたため。これは、よくあることである。

そして3つめは、語学院の授業も終わり、一区切りついたことによる。

期末試験が終わった日の夕方(14日)、わが4級3班の、簡単な打ち上げがあった。

わが班を担当された2人の先生(文法の先生、マラギの先生)も参加された。

その席で、文法の先生が私におっしゃった。

「あの、マラギの授業の宿題としてこれまで書かれてきた作文を、全部貸してもらえないでしょうか」

これにはいささか説明が必要である。後半のマラギ(会話表現)の授業では、何回かに1回、その日のテーマに関して、自分の考えを作文にまとめて提出しなければならなかった。ごくごく簡単な作文なのだが、その宿題は、後半のマラギの授業を担当される先生が、添削して返却することになっていた。だから、前半の文法の先生が、わが班の学生たちの作文の読む機会は、基本的にはなかったのである。

ところがその先生は、なにかの機会に、私の作文を読んだらしい。

それで、いままで書いたものを読みたいのですべて貸してほしい、とおっしゃったのである。

「コピーして、あとでお返ししますから」

それほどのものか?と思う。作文のほとんどは、難民問題とか、大都市の問題点とか、ダイエットの問題点とか、テーマが決まっていて、そのテーマに沿って無理やりに自分の考えをまとめなければならない。だから、仕方なくまとめてしまった文章ばかりであった。

しかしその反面、さまざまな宿題の中で、いちばん時間をかけて書いた、思い入れの強いものであったことも事実である。だから私は、その返却された宿題の作文を、すべてファイルして、御守りのようにいつも持ち歩いていたのであった。

「いまここにありますからどうぞお持ちください」

「あら、全部ファイルしていたんですね」

文法の先生が、話を続ける。

「미카미씨の作文、教員の間でもけっこう有名なんですよ」

マラギの先生(「よくモノをなくす先生」)が話題に入ってきた。

「実は、私の父と姉も、미카미씨の作文のファンなんです」

マラギの先生は、家に持ち帰って、宿題の作文を推敲する。たまたま私の作文を読んだ、先生の父君とお姉様が、いたく気に入られたというのだ。とくに父君は、毎回のように、私の書いた作文を読ませてくれとおっしゃるという。

「とくに、アボジ(父)について書いた作文。あれはよかったですねえ」

以前、スギ(作文)の試験で、「アボジ(父)」をテーマにした作文を書かされた。ずいぶん苦労して書いた記憶がある。

「あれを読んだ姉が、『これは満点をあげないとダメだわよ』と言ったんです」

文法の先生がつけ加える。

「うちの語学院では、スギ(作文)の試験の際に、多少文法に誤りがあっても、内容がよければ、点数を加算する、という決まりを作ったんですけど、いままで、実際にその決まりが適用されたことはなかったんですね。でも、あの『アボジ』の作文は、うちの語学院が始まって以来、はじめてその決まりが適用されたんですよ」

試験の答案は基本的に返却されないので、自分がその時どんな内容を書いたのか、覚えていなかった。だが、点数の確認のため、その作文を一瞬だけ返却されたことがあった(その後、すぐに回収された)。たしかそこには、いくつか文法の誤りがあったにもかかわらず、10点満点の10点の点数と、その下に「加算点」という文字が書かれていた。

「そういえば、点数を確認したときに、点数の下に『加算点』と書かれていました」と私。

「そうでしょう。あれがまさにそうです」と文法の先生。

「実は、10点をあげたらどうか、と会議で提案したのは、私なんですよ」と、マラギの先生が続ける。

作文の試験は、採点者の自由意志で評価されるものではなく、いったん採点したあと、先生方の会議にかけられ、最終的な点数が決定されるのだという。つまり、然るべき理由と、それに対する他の先生の同意がないと、点数の変更は不可能なのである。

私の作文が、他の先生の間でも有名だ、というのは、そういうことなのか。

「語学院始まって以来」というのは、文法の先生特有の大げさな表現といえなくもない。しかしこの言葉を聞いて、心の中で、ひとつの決意が生まれた。

それは、韓国語の文章をもっともっと修業をしよう、という決意である。

そのために、これからは、韓国語の日記に力を入れることにしよう。

だから、日本語の日記は、少し力を抜くことにしよう。

ところで、ひとつ、思い出したことがあった。

それは、中学の時の作文コンクールで入選したときも、たしかテーマは「私の父」であった、ということである。

どうも、「父」をテーマにすると、私の作文は誉められるらしい。

しかし、実際の私の父は、いたって平凡である。

とりたてて取り柄のある人間でもない。

作文に書くほどの父ではない。

社会的な地位や名誉といったものからは、最も遠いところにいる人である。

私自身、父の影響を受けた、ということは微塵もないのである。

なのになぜ、父のことを書くと、評判がいいのだろう。

私の父は、やや変わっている。

今回の韓国旅行では、見慣れない眼鏡をかけていた。

さして目が悪いわけでもないのに、どうして眼鏡をかけているのだろう。

理由を聞いてみると、「自転車に乗っていると、目に虫が入ってくるから」。

つまり、虫よけのために「だて眼鏡」をかけているというのである。

ふだん、自転車に乗って近所に散歩に行くくらいしか楽しみのない父ならではの悩みといえるが、それにしても、韓国ではべつに自転車に乗る機会がないのに、なぜ、相変わらず眼鏡をかけているのか、よくわからない。

しかも、その眼鏡は、ビックリするほど「ダサイ」のである。

聞いてみると、100円ショップで買った「伊達めがね」だという。

横にいる母が「一緒にいると恥ずかしいので、頼むからもっといい眼鏡をかけてくれ」と言うほど、「ダサイ」眼鏡である。

しかし父は、頑として新しい眼鏡を買おうとはしない。ケチな父は、新しい眼鏡を買うなんて、もったいない、というのである。

しかしそんな眼鏡をかけられては、身内はたまったものではない。

仕方がないので、昨晩、明洞(ミョンドン。ソウルで一番の繁華街)の地下街で、眼鏡を買ってあげることにした。

地下にある眼鏡屋の店頭に並んでいた2万ウォン(2000円弱)均一の眼鏡の中から、似合いそうなものをひとつを選び、プレゼントする。

まあ、2万ウォンの安物の「伊達めがね」だから、プレゼント、というほどのものでもない。

父は、「しょうがないなあ」という感じで、その眼鏡を受け取った。

そしてソウルを発つ今日。

朝、両親たちをホテルに迎えに行くと、母が私に言った。

「今朝ね、お父さん、起きるとすぐに、昨日おまえが買ってくれた眼鏡をかけて、何度も鏡の前に立ったんだよ。ふだん鏡の前になんか立たないのに。よっぽど嬉しかったんだろうね。口では何も言わないけど」

2万ウォンの、安物の「伊達めがね」。

私が父にした唯一のプレゼント。

その眼鏡をかけた父、そして母と妹は、今日、ソウルを発って日本に戻った。

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