タプサ・8回目 ~土器探し名人に挑戦!~
12月27日(日)
先生や大学院生のみなさんと、8回目のタプサ(踏査)である。今回は、マサン(馬山)、コソン(固城)地域をまわる。
コソンの、とある古墳群に到着したときのことである。
その古墳群は、まだ未整備の状態で、どちらかといえば荒野、と呼ぶにふさわしい場所である。
到着するやいなや、本日の踏査に参加されていた、あの「土器探し名人」の目が輝く。
「土器探し名人」の方は、古墳群の中を、目を光らせながら歩きまわる。先生が説明をされている間も、その方の目は、つねに地表面に注がれているのである。
で、私はというと、その「土器探し名人」の行動を目で追い始める。私の目は、完全にその方の行動に「ロックオン」されてしまった。
見ているうちに、よし、私も負けないぞ、と闘志がわいてきた。私も下を向いて、土器を探し始めた。
するとほどなくして、足もとに土器のかけらがあることに気づく。
拾い上げると、それに気づいた「土器探し名人」がササッと私のところに寄ってきた。
「これは土器のふたの部分ですね」と名人。
すると先生もそれに気づき、
「5世紀末から6世紀初め頃のカヤの時代の土器だね」
と推測なさる。
たしかに、かけらではあるが、見事な土器のふたである。
「これはきっと、日本に帰る前の、贈り物ですよ」と、大学院生たちに言われる。
ひととおり見学が終わり、一行は、車のあるところに戻るが、「土器探し名人」は、まだあきらめずに、地表面をにらみながら土器を探している。
ド素人の私に先を越されたことで、「名人」としての血が騒いだのかも知れない。
すると最後の最後に、「見つけた!」との声。
「名人」はその土器を拾い上げると、私のところに駆け寄ってきた。
「(さっきの土器のふたと時代が)同じ頃の、土器の側面の部分ですね」
そういって、土器を私にみせた。
それを見て驚いた。
私が見つけたかけらよりも、はるかに大きくて、立派なものである。
「名人」の面目躍如、といったところか。
こころなしか、「名人」も安堵の表情を浮かべていた。
さすがは「名人」であった。
…さて、このタプサが終わり、大邱に戻って、いつものようにみんなで夕食を食べることになった。
しかし、これ以降の出来事を、私はまったく覚えていない。
年内最後のタプサということで、忘年会もかねて、安東焼酎だの、中国の度数の高いお酒を飲むことになったのだが、調子よく飲んでいるうちに、いつの間にかよくわからなくなって…。
気がついたら、猛烈に痛い頭を抱えながら、家で寝ていた。
妻がいたから、なんとか帰ってこれたようだ。
二日酔いの朝は、猛烈に死にたい気分になるね。
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