韓国語で講義
12月14日(月)
3週間ほど前のことである。
大邱にある私立大学のある先生から、電話があった。
その先生とは、毎週木曜日の夜に行われている研究会の席で、何度かお会いした先生である。
「今度、うちの大学の学生に向けて特講(特別講義)をお願いしたいんですが。主題は何でもいいです。自由に決めてください」
「時期はいつごろですか?」と私。
「12月です」
12月、というと、来月か。
それにしても、どんな主題でもよい、とは、かなりの「むちゃぶり」である。それに、どんな趣旨で呼ばれて講義をするのかも、よくわからない。
先生が続ける。
「奥さんとお2人でお願いします。講義の時間は50分です」
同業者である妻にも、講義を依頼する、ということらしい。
私が聞く。
「それは2人で50分ということですか?」
「いえ、ひとり50分ということです。ですから合計で2時間の講義です」
そして私は、もっとも気になっていることをたずねた。
「講義は日本語ですればよいですか、それとも韓国語ですか?」
「当然韓国語でしょう。日本語がわかる人は1人もいませんから」
やはり恐れていたことは当たった。韓国語で講義をすることになったのである。この先生は、私の韓国語の能力を買い被っておられるようである。
「ま、大学院生はいないし、対象は大学生なので、簡単に考えてもらえばいいです。細かい内容はあとでメールで送りますから、じゃ」
電話が切れた。
だがその後、まったく連絡がなかった。
どういう趣旨の行事なのか、場所が大学の中のどこなのか、聴講する学生が何人くらいいるのか、など、全然わからない。
韓国では、こういうことが多い。
学会や研究会で発表するときなどでも、当日まで、まったく連絡がなく、会場に行ってみてはじめてその概要がわかる、ということは、よくある。
今回も、「12月14日の午後3時から韓国語で50分講義をする」ということだけがわかっていて、ほかの情報は全くない。
仕方がないので、とにかく50分でまとまるような内容の講義の準備をすることになった。
当然、アドリブなどできるはずもないから、完全原稿に近い形で、原稿を韓国語で作りあげる。しかも、時間的にせっぱ詰まっているので、ネイティブの人によるチェックなど、お願いすることもできない。
おりしも、調査旅行や学会発表の時期とも重なっていて、時間を見つけては原稿作成にとりかかる。
前日は、実に8時間以上も喫茶店に居座って、原稿作りとパワーポイントづくりに追われた。
(休日に、まる1日使って、何でこんなことをやっているんだろう…)と、泣きたくなってきた。
そして、翌日。すなわち今日。
午前中、助教の方から、ようやく連絡が来て、「2時半までに、師範大学(日本でいうところの教育学部)の4階の事務室に来てください」という。
「学生の数は何人ですか?」
と聞くと、
「60人くらいです」
と答えた。
地下鉄とバスを乗り継ぎ、1時間以上かけて、約束の時間に大学に到着。担当の先生方と少し話をする。
どういう趣旨の特講なのか、と聞くと、「実は大学評価の関係上、どうしても日本人の先生による講義をやる必要が生じて」ということらしい。
要は、アリバイづくりのためね。
そして3時。いよいよ講義が始まった。
前半50分は妻の講義。そして後半50分は、私の講義。
パワーポイントを使用しながら、用意した原稿をもとに講義する。
50分、あっという間に終わった。50分間、韓国語で話しきった!
学生たちが、どの程度理解できたのかはわからない。
でも、私にとっては満足な講義だった。
なにしろ、1年前には考えもしなかった、韓国語による講義ができたのだから。
なにより、大きな自信につながった。
しかし、韓国語の講義は、いきなりできたわけではない、と思い直す。
語学院での3分マラギ、そして、修了式での発表。その積み重ねの結果であることを実感する。
講義をしながら、気がついたこと。
聞いてくれる学生の姿を見るのは、やはり楽しい。
それは、日本も韓国も同じだ、ということがわかった。
私は、ふだん無愛想で、人と話をするのが苦手だが、大勢の人の前で話すのは、実はあまり嫌いではない。
それは、聞いている学生の姿を見るのが、好きだからだろう。
久しぶりに講義をして、そのことを思い出した。
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