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送年音楽会

12月29日(火)

数日前、携帯電話にメールが来た。

「慶州・贍星台前のマリオ・デル・モナコです。12月29日(火)夜8時半から音楽会があります。みなさんに幸せをお届けします」

9月に慶州に行ったときに立ち寄った、喫茶店からのメールである。

その喫茶店のオーナーがテノール歌手で、キャッチフレーズが「顔でおす声楽家」、つまり、顔にインパクトのある声楽家である、ということは、前に書いた。

その喫茶店を切り盛りしている、声楽家の奥さんにお話をうかがうと、音楽会じたいが、面白くて評判なんです、というので、今度演奏会があったらぜひ連絡をください、とお願いしておいたのである。

夜8時半開始、ということは、おそらくその日のうちに大邱には戻れないので、慶州に1泊しなければならない。ちょっと面倒だな、と思いつつも、せっかく声をかけていただいたんだし、こんな機会、もうないだろうと思ったので、バスに乗って1時間かけて、慶州に向かうことにする。

喫茶店に到着すると、ふだんはテーブルと椅子が置かれているスペースに、所狭しと椅子が並べられている。

椅子に座って、前を見ると、テノール歌手が歌うであろう舞台のところが一段高くなっていて、奥にはピアノが置いてある。

私たちが着いたのが午後8時頃。その時は、まだほとんど客もおらず、ピアノがあるスペースのところで、テノール歌手の方が、今晩歌う歌を練習していた。

練習スペースがないので仕方のないことなのだが、これから聞く歌の、練習まで聞けるとは、幸運というべきか。

さらに驚くことがあった。

それは、ピアノが置いてあるさらにその奥に、トイレがある、ということである。

言ってみれば、舞台上の奥壁のところに、トイレの扉があるのである。

客席から見れば、舞台のど真ん中にトイレの扉が常に見える状態になる。

トイレに行きたければ、舞台に上がって、舞台の真ん中を突き進んでいかなければならない。

それに、ひとたび演奏が始まってしまえば、トイレに行くことはできなくなる。

そのことに気づいた妻は、演奏中にトイレに行けなくなる不安に駆られたのか、2度ほど、舞台を突っ切ってトイレに入った。

そのたびに、歌の練習をしている歌手の横を通ることになる。

なんで、舞台の上にトイレなんか作っちゃったんだろう。

さて、開演の8時半が近づくと、お客さんが次から次へと入ってきて、たちまち、喫茶店の中はいっぱいになる。

おそらく、そのほとんどが、近所の人たちである。そして、小学生くらいの小さな子どもたちが、かなり多い。近所の寄り合いみたいな雰囲気である。

今回は、4人のテノール歌手が、交代で、4曲ずつ歌を歌う。プログラムを見ると、同じ大学の音楽学科を出た同門の人たちらしい。

まさに、今宵は慶州の「4大テノール」の競演である。

夜8時半、「顔でおす声楽家」の司会で、演奏会が始まる。

「演奏が始まりますと、奥のトイレは使えません。トイレに行きたくなったら、外に出てしてください」と軽い笑いをとる。

「では、音楽会を開演します」

一人目のテノール歌手が舞台に登場。

「大丈夫かなあ」と妻が私に耳打ちする。

「何が?」

「だってまだ、トイレにひとり入ってるよ」

そんな妻の心配をよそに、テノール歌手の歌が始まった。

さて、トイレに入った人は、どうするのだろう。

歌が盛り上がってきたところで、歌手の真後ろにある、トイレのドアが開いた。

中からアジュンマ(おばさん)が出てきた。

アジュンマは、ソローリソローリと客席に戻ろうとするが、舞台には、朗々と歌い上げているテノール歌手が立ちふさがっていて、客席に戻ることはできない。

あっちをウロウロ、こっちをウロウロしつつ、結局、舞台袖にはけた。

ミスタービーンのコメディを見ているような光景である。

さて、肝心の音楽会の方は、というと、間近で聞くテノールの響きは、やはりすばらしい。ふだん、音楽会などに行かない私にとっては、なおのこと印象的である。

当然のことながら、4人が4人とも違う個性を持っていて、十分に楽しめる音楽会であった。

ひとりが、数分の曲を2曲ずつ歌っていくのだが、それだけでもかなりの体力を使うのではないか、と聞いていて思う。

歌が始まってしまえば、歌手は孤独である。誰も助けてはくれない。体力やのどの調子を常に整えておかないと、わずか数分の曲でも、思わぬミスをすることがある。

「テノール歌手は大変だね」と私が妻に言うと、

「テノール歌手に限ったことじゃないじゃない」と即答される。

それはそうだ。音楽家や役者なんかはみんなそうだ。もっといえば、教師などもそうだろう。

10時10分。音楽会が終了する。ささやかだが、楽しい演奏会だった。「そのままお帰りにならずに、コーヒーを飲んでいってください」と、司会の「顔でおす声楽家」兼、この喫茶店のオーナー。

そうだ、ここは喫茶店だったのだ。

並んでコーヒーをもらいにいったとき、そこにいたオーナーの奥さんに、ご挨拶した。

「あの、この前の9月に来た日本人です。音楽会の連絡をくださってありがとうございます」

日本語がペラペラの奥さんは、はて?、という顔をされた。

私のことは、まったく記憶にないらしい。

ま、当然といえば当然だよな。9月に1度来ただけだから。

音楽会が終わった喫茶店は、もう完全に近所の寄り合いのような状態に化していた。

居心地の悪くなった私たちは、コーヒーを1杯だけおかわりして、喫茶店を出ることにした。

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