消えた携帯電話
12月9日(水)から、日本からいらした先生方と、調査旅行である。前日の8日(火)に、釜山で合流、前泊し、2日間で釜山、慶州、扶余をまわる。そして、10日(木)の晩にご一行とお別れし、11日(金)に行われる学会発表のため、群山に向かうことになっていた。
ハードな調査旅行もいよいよ大詰めの10日(木)、扶余での調査が終わり、博物館の先生方との夕食のあと、事件が起こった。
私が夜7時5分の群山行きの最終バスで移動するため、みなさんより早く夕食会場をあとにし、ある先生の車で、バスターミナルに向かう。
夕食会場から、バスターミナルまでは、車でわずか10分のところである。
バスターミナルの切符売り場で、最終バスの切符を買って、送っていただいた先生とお別れをしたあと、あることに気づく。
携帯電話が、ないのである。
いつも入れているシャツの胸のポケットに、携帯電話がない。あわてて、ほかのポケットをすべて探すも、やはり見あたらない。
カバンに入れた可能性は全くないから、どこかに落としたとしか考えられない。では、どこに落としたのだろう。
必死になって記憶をたどると、先ほど、夕食会場から車で送っていただいているときに、メールの着信音が鳴ったことを思い出した。
その時、私は反射的に胸ポケットから携帯電話をとりだして、メールの主を確認した。メールの主は妻だったので、「あとでゆっくり読めばいいや」と思い、その携帯電話を…。
はて、そのあと、その携帯電話をどうしたのか、まったく思い出せない。
ポケットに入れたつもりが、どこかに落としてしまったのだろうか。
いずれにしても、バスターミナルまでの移動の車の中では、まだ携帯電話はあった、ということになる。
夕食会場から車に乗ったのが、6時40分頃。バスターミナルに着いたのが、6時50分頃であるから、わずか10分足らずの間に、携帯電話を落としたことになる。
そして、考えられるのは、送っていただいた車の中で、携帯電話を落としたという可能性である。
そのことに気づき、あわてて、バスターミナルの外に出たが、すでに送っていただいた車は、夕食会場に戻ってしまっていた。
さらに厄介なことに、知り合いの電話番号は、すべて携帯電話の中に入っているので、誰にも連絡をとることができない。
夕食会場のお店の名前すらわからない。
1人だけ、その夕食会場に居合わせていたIさんの携帯電話番号を控えていたことを思い出す。あわてて公衆電話をさがして、Iさんに電話する。だが、Iさんは、「電話をとらない」ことで有名な人であった。この時も、その噂どおり、電話をとる気配が全くない。
(どうしよう…)
冷静に考えれば、自分の携帯電話にかけて、出てもらった人に届けてもらえばよいのだが、その時は、そんなことを考えもしなかった。
携帯電話がなくなってうろたえたのには、理由がある。
この日の午前中、電話があった。明日の学会で通訳をしてくれる、同じ大学に留学中の大学院生(日本人)の方からである。
「さっき、学会の幹事の先生から電話があって、群山での宿を予約していただいたそうです」
実は群山で行われる学会については、それがどこで行われるのか、とか、何時から発表なのか、とか、発表時間はどのくらいなのか、といったことを、まったく知らされていなかった。その上、前泊の宿は、自分でおさえるのか、あるいは予約していただいているのか、といったことも、まったく知らされていなかった。
いままで何度もそういう経験はしてきているのだが、ここまで放置プレイ、というのもめずらしい。
仕方がないので、学会のホームページを探し出して、当日の学会の場所と日程だけは、知ることができた。
だが、宿については、まったく連絡がなかった。
それが、前日の午前中になって、ようやく連絡が来たのである。
「で、ホテルは何というところなんですか?」
私がその大学院生の方に聞く。
「それがわからないんです。群山のバスターミナルに着いたら、また連絡をくれって」
「でも、先方の携帯電話番号を、私は知らないんですよ」
そう、私は、その幹事の先生の電話番号すら知らないのだ。
「実は私も知らないんです。先方はどうも職場の電話からかけているみたいで…。じゃあ、先方の携帯電話を聞いてみますので、わかりましたらまた電話します」
夕方になって、再びその大学院生から電話が来た。
「群山へは何時頃到着しますか?」
「扶余から7時5分の最終バスに乗ります。1時間半くらいかかるそうなので、8時半頃になると思います」
「そうですか。私も大邱からバスに乗ると、ちょうどそのくらいの時間になるので、じゃあバスターミナルで待ち合わせて、一緒に移動しましょう。なにしろ、バスターミナルに着いたら連絡しろ、ということだったので」
相変わらず、宿泊先は教えてくれなかったらしい。
いま思えば、この夕方の電話が、不幸中の幸いだった。
もし、バスターミナルで待ち合わせましょう、という約束をしていなかったら、私は未知の群山という田舎町で、途方に暮れていたことだろう。
それにしても、携帯電話がないのは何とも困る。
(どうしよう、扶余に1泊して、携帯電話を探そうか…)
と、本気で考えたが、この最終のバスに乗らなければ、明日朝の学会発表には間に合わない。
後ろ髪を引かれる思いで、群山行きの最終バスに乗る。
携帯電話をなくしたまま、未知の土地、群山に向かう。
群山は、韓国の西のはずれの港町である。
バスの乗客は私を含めて2人。外は真っ暗で、あまりにもさびしい。
おまけに外は雨。本当に無事着くのだろうか、バスターミナルで、大学院生の方と会うことができるのだろうか、などと心配事ばかりがつのり、涙が出てきた。
おりしも、今日、移動中の車の中で、ある先生が「最近、モノをよくなくす」という話をなさっていた。
「でもまあ最近は、モノをなくしても、命を落とすことにくらべればまだマシだ、と思うようにしてますよ」と先生。
何とも大げさな、と、その時は笑ったが、いまとなっては、その言葉で自分を慰めるしかない。
8時半過ぎ、群山のバスターミナルに到着。大学院生の人が先に来ていて、なんとか路頭に迷わずに済んだ。
無事、宿泊先にも到着。幹事の先生ともお会いする。
「これから、K所長がちょっと遅れていらっしゃるそうなので、K所長がいらしたら軽く一杯やろうとのことでした」と幹事の先生。
K所長は、私に今回の学会発表の機会を与えてくださった方で、日頃から私のことをよく気にかけていただいている方であった。ある研究所の所長で、この業界では、重鎮である。
K所長が来るなり、私はお願いした。
「実はひとつお願いがあるんです。ここに来る前に、扶余で携帯電話をなくしまして…」私は、この間の事情をK所長に説明した。
K所長は、扶余の夕食会場に居合わせたIさんと親しい。
「わかった。じゃあ電話をかけてIさんに電話してみよう」
電話をかけるが、やはりIさんは出ない。
「あいつ、チング(友だち)なのに、何で電話に出ないんだ?いつもこうなんだよな」
やはり、Iさんが「電話に出ない」という話は本当だった。
続いて、私の携帯電話にも電話をかけてもらうが、呼び出し音が鳴るだけで、誰も電話に出る気配がない。
「明日、またかけてみよう。とりあえずビールを飲もう」と、その日は12時過ぎまでK所長とビールを飲んだ。
ホテルに戻り、携帯電話がないことへの不安に、猛烈に襲われる。
韓国で携帯電話をなくす、とは、日本以上に、日常生活に支障をきたす。
なぜなら、携帯電話があるおかげで、予定を前もって詳細に知っておく、という必要がないからである。
わからないことがあれば、その場で携帯電話で連絡をとればなんとかなる、と考えられている。
だから、詳細な連絡をあらかじめする必要がないのだ。
だが、逆にいえば、携帯電話がなければ、何もわからない、ということになる。
なにしろ、妻の携帯電話番号も控えていなかったので、妻に連絡することもできない。
ホテルの部屋にあるパソコンから、妻にEメールを出す。日本語が打てなかったので、ハングルでのメールである。
ただし妻は数日に一度程度しか、メールチェックをしないので、このメールがはたして読まれるかどうか…。
そして、韓国語の日記に「携帯電話をなくした!もう生きていけない」という趣旨の日記を書いた。
さて、翌日。
朝10時から学会が始まる。私は一番手の発表。無事終わる。
午前中の発表が終わり、昼食の時間になって、ふたたびK所長のところに行った。
「すいません。ほかでもない、昨日の携帯電話の件なんですが…」
「おう、そうだったそうだった。Iさんに連絡してみよう」
電話をかけるが、やはりIさんは電話に出ない。
「あいつ、どういうつもりなんだ…」
さすがのI所長も呆れ顔である。
それでも、なんとか、昨日車に乗せていただいた先生に直接連絡をとることができ、車の中を探してもらうように頼んだ。
しばらくして、その先生からI所長のもとに電話が入る。
車の中を探したが、携帯電話はなかった、とのことだった。
「どうしたものかねえ」
「あるいは」と、私が言う。
「車を降りて、扶余のバスターミナルの切符売り場で切符を買ったときに、手に持っていた携帯電話を横に置いたまま、忘れてきた可能性もあるかも知れません」
私が言うと、K所長は「そうか」といって、どこかに電話をかけた。
「どうしたんですか」と聞くと、
「扶余にいる知り合いの研究仲間に、『いまからバスターミナルに行って、切符売り場に携帯電話が落ちていなかったか聞いてこい』と頼んだ」とおっしゃった。
なんと、扶余にある研究所の研究員の方まで巻き込んで、私の携帯電話捜索活動が始まったのである。
まったく、なんということか。
そもそもK所長といえば、この業界のかなりの有力者。顔も強面で、そのスジの人、といっても不思議ではないくらいの感じである(失礼!)。それだけに、情も厚い、ということなのか。それにしても、そんな業界の有力者に、私の中古の携帯電話を探してくれ、と頼み、多くの人を巻き込んでしまうこの私も、そうとう面の皮が厚い。
しばらくして、K所長のもとに電話が入る。
結局、バスターミナルにもなかった。
もはや打つ手なし、である。
学会発表を最後まで聞いて、最終のバスで、大邱に戻る。夕方6時20分に群山からバスに乗り、大邱についたのが10時20分。4時間の長旅だった。
家に戻り、妻に「メール見た?」と聞く。
「ついさっき見た」との返事。「それより、今朝、ロンチョンから携帯にメールが来たよ」
妻に来たメールの内容は、「韓国語の日記を見たら、携帯電話をなくしたって書いてありました。だから、連絡がとれなくても、心配しないでください」というもの。ロンチョン君が、私の韓国語の日記を見て、心配して、妻にメールをくれたらしい。
まったく、どこまで気が利くやつなんだろう。
「どうせいつだって、電話をとらないから、べつに心配なんかしてないんだけどね」と妻。相変わらず口が悪い。
パソコンを開いて、自分の韓国語の日記をみると、ロンチョン君から、昨日の日記にコメントが入っていた。
「携帯電話をなくしたからって、心配しないでください。僕の携帯電話番号は010-○○○○-○○○○、チェ先生の携帯電話番号は010-××××-××××、キム先生の携帯電話番号は、010-△△△△-△△△△です。何か困ったことがあったら連絡ください。ちなみにキム先生は、午前11時に授業が終わります」
「それから、奥さんの電話番号は、010-□□□□-□□□□です。これから、絶対に記憶しておいてくださいよ!」
個人情報がだだ漏れのコメントだが、私は彼の優しさに感謝した。
翌日、携帯のショップに行って、新しい(?)中古電話を買う。電話番号は、そのままである。
新しい電話から最初にメールを出した相手、もちろん、ロンチョン君である。
「新しい電話を買ったよ。いろいろ心配をしてくれてありがとう」
すると、10秒で返事が来た。
「来週、みんなでご飯食べましょう。いつがいいですか?」
| 固定リンク
« 石橋を叩いて渡る | トップページ | 韓国語で講義 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 便座(2024.11.26)
- もう一人、懐かしい教え子について語ろうか(2024.11.17)
- 懐かしい教え子からのメール(2024.11.17)
- 散歩リハビリ・14年後(2024.10.21)
- ふたたびの相談(2024.09.29)
コメント