本気で遊ぶ人びと
12月20日(日)
12月5日(土)の朝9時頃、電話がかかってきた。
「どうも、○○大学のKです」
○○大学とは、先月の終わりに、私の勤務先の大学と、学術交流行事をした大学である。私自身はその交流行事の担当者でもなんでもなかったのだが、同じ大邱に住んでいるという理由で、その学術交流行事に急遽かり出されることになったのである。
1日目の交流行事の空き時間に、ある教授の研究室でお茶をいただいた。そのとき、「隣の研究室に、日本人の先生がいる」ということで、ご挨拶をして、名刺を交わしたのが、このK先生であった。
「突然ですけど、先生(私)の奥さんと、私の妻…、韓国人なんですけどね、に、共通の知り合いがいるんですよ」
なんとも寝耳に水の話である。私はK先生と、自分の専門について、その時に二言三言、会話を交わしたにすぎない。
よく聞いてみると、こういうことであった。その日、K先生がご自宅に帰って、「今日、こんな日本の研究者が来た」と私の名刺を見せた。その翌日、奥さんに、日本の親しい友人から電話がかかってくる。話のついでに、「昨日、夫の大学にこういう人が来たのよ」と、私の名前を出したところ、「その人の奥さんと、知り合いよ!」ということになったらしい。その人は、私の妻と、同じ研究会で勉強した間柄であった。
K先生も、その奥さんも、私たち夫婦とは専門分野が異なっているにもかかわらず、共通の知り合いがいることに驚く。
「そういうわけなんで、うちに遊びに来ませんか」とK先生。
「そうですね。これも何かの縁ですね」
「明日はどうですか?」
ずいぶん、急な話である。
「明日は、別の方と約束があるんですよ」
実際、こちらの大学の先生と、食事の約束をしていたのだった。
「じゃあ、妻と相談して、あらためてこちらから電話します」
「そうしてください。早くいらした方がいいと思いますよ。いまだと、『越乃寒梅』が飲めます。早くいらっしゃらないと、私が全部飲んじゃいますから」
「わかりました。できるだけ早くうかがいます」
そして、今日、ようやく時間ができて、K先生のお宅に遊びに行くことにした。
途中の場所で待ち合わせて、そこから車でご自宅に連れていってもらう。
ご自宅は、八公山のふもとの山里であるという。ご自宅に向かう車の中で、自己紹介がてら、いろいろと話をする。
K先生は、大学で宗教学を専攻された後、ふとしたきっかけで、韓国で日本語を教える先生となった。そこで、韓国人の女性と知り合い、結婚した。奥さんは、日本の古典文学を専攻していて、日本に留学経験もある。妻との共通の知り合い、とは、その時に同じ大学で一緒に勉強した友人、ということらしい。
「妻は、こっちの大学で日本語を教えていたんですけど、数年前に、疲れた、といってやめてしまいました。だからいまは主婦です」
K先生は、韓国に来て20年が経つのだという。
「ひとつ残念なお知らせがあります」とK先生。
「『越乃寒梅』は、私が全部飲んでしまいました」
「そうですか…。その代わりといってはなんですが、私が美味しい日本酒を持ってきました」と私。
先月、日本からお客さんが見えたとき、日本酒好きのその方が、私に大吟醸の日本酒を1本おみやげに持ってきてくれた。今回、私はそのお酒を持ってきたのである。
「そうですか。それは楽しみです」
車がご自宅に到着。山里の一軒家、といった感じである。玄関でK先生の奥さんが出迎えてくれた。
ご自宅は、まるで絵に描いたような家である。
家の中には煉瓦造りの暖炉があり、そこに薪をくべながら暖をとっている。ほら、子どものころ、サンタクロースが煙突から入ってきて、プレゼントをくれる、という絵があったじゃん。煙突のない家にはサンタクロースが来ないんじゃないか、と、子どものころ本気で心配したものだが、まさにサンタクロースが来てくれそうな煉瓦造りの煙突と暖炉。
そして、大きなステレオのスピーカーと、プロジェクタ。「レコード」(CDではない)でクラシックだって聴けるし、大画面で映画を見ることだってできるんだぞ。
聞くと、そもそもこの家は、あるお金持ちが結婚することになったときに、別荘として建てたものなのだそうだが、あっさりと離婚してしまったため、この別荘が手放されたのだという。
なるほど。いかにも山里の別荘、といった趣だ。
そしてこのおしゃれな一軒家で、ビールだの、(鹿児島の)麦焼酎だの、(私が持ってきた)日本酒だのを飲みながら、奥さんが作ってくれたおでんをいただく。久しぶりに日本のおでんの味にふれた。
お酒を飲みながら、いろいろなお話をうかがう。
K先生は、まさに自由人、といった感じで、山里の一軒家に住みながら、ゴルフをしたり、釣りをしたり、家庭菜園をしたり、と、遊びを楽しんでいる人だな、という印象を受ける。
奥さんもまた、実に自由な人である。英語の勉強のために留学しようと、とりあえず片道の飛行機のチケットだけ買って、イギリスに行った話や、長年勤めた大学を、「ちょっと疲れた」という理由でやめてしまった話など、私たちにはとてもまねができないことばかりである。
「そろそろ主婦も飽きてきたので、今度は日本に行って、日本人に韓国語を教える仕事をしようと思うんですよ。唐津(佐賀県)あたりに住もうと思っているんです」
やりたいときに仕事をやり、疲れたらやめて、また仕事をやりたくなったらはじめる…。
「私たちには絶対にまねできないことだね」と妻。
いまの仕事に必死にしがみついている、私と妻には、絶対にできないことだ。
考えたら、私たちには、趣味もなければ、友人もいない。K先生夫婦は、いろいろな趣味を本気で楽しみ、多くのよい友人たちにも囲まれている。
私は、昨日までの「学術」という言葉のむなしさを、あらためて噛みしめた。
気がつくと、夜の9時。お昼の12時にお邪魔してから、9時間が経っていた。
車で、自宅近くまで送ってもらう。
「大晦日はウチでどうぞ。一緒に紅白歌合戦を見ましょう。年越しそばも食べましょう」
別れ際、K先生はそうおっしゃった。
| 固定リンク
コメント