後日談
このところ、人ともあまり会わず、荷が重い原稿ばかり書いていると、心がすさんできますな。これでは日本にいるときと変わらないではないか…。
ここらあたりで、すこし無駄話を。
かつてのように、毎日のようにこの日記を書く習慣は、いまではすっかりなくなってしまった。
私の中では、「最後のあいさつ」とか「最後の(?)同窓会」あたりが、この日記の最終回、と思っていて、そこからあとは、帰国までの間、とくにこの日記の着地点を決めずに、だらだらと書いて、フェィドアウトしよう、と思っている。
もしこの日記に、読者がいるとすれば、ずいぶんと失礼な話なのだが。
ところで、この日記に、読者なんか、いるのだろうか。
ふつう、これだけうんざりするような長い文章を読まされていれば、たいてい、途中で飽きるものである。私もそれを期待して、うんざりするような長い文章を、毎回書いてきた。
もし、最初からいままで欠かさず読んでいる読者がいるとすれば、それは、よっぽど私のことをひいきにしてくれているか、あるいは、嫌悪(憎悪)しているか、のどちらかである。
まあそんなことはいい。
私は最初、韓国での生活のさまざまな体験を、できるだけ具体的なデータとして残す、という目的で、この日記を書こう、と考えていた。たとえば、どこへ行ったとか、誰と会ったとか、何を食べたとか…。
しかし、実際に書こうとすると、そういうデータ的なものを残すことが、あまり意味のないことだと思えた。だいいち、書いていてつまらない。私の性分に合わないのである。
それに、語学院での体験が、あまりにおもしろすぎた。
そこで最初の考えをあらため、語学院を舞台にした「シットコム」(シチュエーションコメディ)風に、日記を書くことにしたのである。もちろん、書いてあることは、すべて事実である。
これがどこまで成功しているのかわからないが、たぶん、語学院の授業の様子をここまでくわしく書いた日記は、ほかにないだろう。私の死後、誰かの手によって出版してほしいくらいだ。
さて、私がここ最近、この日記に力を入れていない理由が、もうひとつある。
それは、私がいままで書いた日記を、すべて、韓国語に翻訳しよう、と考え、そちらに力を入れているからである。
われながら、馬鹿なことを思いついたものだ。
しかし、思いついちゃったんだから、仕方がない。
これが、けっこうたいへんな作業である。
たとえていえば、「水曜どうでしょう」のレギュラー番組を、再編集して、DVDとして出す、というくらい、手間がかかる作業なのである(たとえがわかりにくいか)。
こんな馬鹿なことを考えたのには、理由が2つある。
ひとつめは、せっかく学んだ韓国語を忘れないようにするためである。日記を書けば、毎日、韓国語に少しでもふれることができる。
ふたつめは、自分のこの日記が、韓国の人が読んで、おもしろいと感じるのかどうかを、確かめたかったためである。
ためしに、「マ・クン君からの手紙」「傘がない」「カップルTシャツ」あたりのエピソードを韓国語の日記(ミニホムピィ)に翻訳して載せたところ、1,2名の韓国語の先生から、おもしろい、と言っていただいたので、ひきつづき、1級1班のエピソードをすべて翻訳することにした。
ところが、ここで問題がたちはだかる。
この日記は、そもそも、韓国語の先生も、中国人留学生たちも、日本語がわからない、という理由で、じつに好き勝手に書いてきた日記なのであった。だから、当事者に失礼と思われるようなことも、平気で書けたのである。
それを、韓国語にそのまま翻訳してしまって、大丈夫だろうか。
とくに困ったのは、「猟奇的な先生」。
この日記の最初からの読者であれば、覚えているかも知れない。1級1班で登場した、韓国語の先生である。かなり強烈なキャラクターの持ち主である。
この先生を、「猟奇的な先生」として、韓国語版にもそのまま登場させてよいものか?怒られたり、訴えられたりしないだろうか?
ところで、読者のなかで、気づいた方もおられるかも知れない。
この日記では、途中から「猟奇的な先生」が登場しなくなっていることを。
「闘鶏とテーマパーク」というエピソード以降、「猟奇的な先生」は、この日記に登場していないのである。
「猟奇的な先生」は、じつは昨年6月に、この語学院をおやめになっていた。
そのことを、ある先生にうかがったとき、「おやめになった」とおっしゃっただけで、ほかに何もおっしゃらなかったので、何かよからぬ事情でおやめになったのだろうか、と思い、そのことを、この日記にも書かなかった。
ところが先日、語学院のある先生にうかがったところ、近隣の大学に、大学の先生として移られた、とのことだった。言ってみれば、栄転、である。
ま、あれだけ才能のあった先生だから、当然といえば当然なのだが。
というわけで、私の中で、迷いがなくなった。そのまま翻訳することにしたのである。
それに、「猟奇的な先生」が、この韓国語日記を見る可能性は、まずない。
「『猟奇的な先生』って、キム先生のことですよね」と、私の韓国語日記を読んだ語学院のある先生が聞いてきた。
「ええ、そうです」と私。
「ピッタリのあだ名ですけど、学生からそう呼ばれていたんですか?」
「いえ、私が心の中でつけたあだ名です」
かつての同僚だったその先生も、このあだ名はしっくりきているらしい。
「シットコム」風の日記は、韓国語に翻訳しても、十分に意味のある日記となった、と思う。
毎日毎日、写経をするような思いで翻訳をすすめた、その「1級1班日記、韓国語版」も、もうすぐ、すべての翻訳を終える。
最初はおもしろがって読んでいただいた語学院の先生方も、いまではすっかり飽きてしまわれたようだ。
そりゃそうだ。うんざりするような長い文章だもの。自分で翻訳していても、「何でこんな長い文章を書いちゃったんだろう」と思うくらいだから。
このペースだと、帰国するまでに、すべての日記を翻訳することはまず無理だな。
日本に帰ったあとも、細々と続けることにするかな。
そのころには、もうすっかり読者がいなくなっているだろうけれど。
はて、私はどこに向かおうとしているのだろう?
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