本当に最後の同窓会
1月28日(木)
数少ない韓国語日記の読者のひとりが、3級6班の時の担任だった、ナム先生である。
ナム先生は、律儀な方である。
私が韓国語日記(ミニホムピィ)を立ち上げたとき、「いちど遊びに行きますから(ホームページを見に行きますから)」と、おっしゃって以来、たぶん、義務感にかられて、たまに見に来られて、コメントを残してくださる。
少し前のコメントの中に、「3級6班も同窓会をしましょう」とあった。韓国語日記の中に、4級の同窓会のことを書いたのをお読みになって、これまた律儀にもそうおっしゃってくれたのだと思われる。
本来、ご自身からはあまりそういうことをおっしゃらないタイプだろう、と思うのだが、私と妻がもうすぐ日本に帰ることを、気にかけてくださったのだろう。ありがたいことである。
で、今日、その同窓会が実現することになったのである。
もうひとつ、今度は妻に連絡が入る。
妻のお世話になった語学院のチェ先生から、午後においしいトッポッギを食べに行きましょう、というお誘いが来た。さらに、妻と私が4級の時にお世話になったキム先生から、トッポッギを食べに行く前に、喫茶店でお話をしましょう、という連絡が入る。
ええい、今日は、荷が重い原稿のことは忘れてしまおう。2時に、キム先生と大学構内の喫茶店「勉強の楽しみ」で待ち合わせた。
そのキム先生も、私の韓国語の日記の、数少ない読者のひとりである。
「妄想三部作、おもしろかったですねえ」
ここ数日の韓国語日記で、これまで書いた日記の中から、「アイスアメリカーノ・妄想篇」と、「汗かきのメカニズム・妄想篇」を翻訳して載せた。せっかくだから、三部作にしてしまおう、と思い、「妄想は果てしなく続く」というタイトルの新作(韓国語版オリジナル)を書いて載せた。
ここ最近でいちばん笑った出来事だ、とおっしゃっていたが、ふだん、よっぽどおもしろくない生活をなさっているのだろうか。
それはともかく、話していうるうちに、3時となり、語学院の授業を終えたチェ先生と合流。さらに、妻と同じ班で勉強したエンロン君とも合流して、合計5人で、大邱でいちばん美味しいというトッポッギ屋さんに行く。エンロン君は、うらやましいくらいの好青年だ。
辛くて美味しいトッポッギをお腹いっぱい食べたあと、大学にもどり、今度は6時に大学の北門で待ち合わせる。3級6班の同窓会である。
集まったメンバーは、ナム先生、クォ・チエンさん、リ・プハイ君、チョン・ヤッポ君、3級6班ではないが、クォ・チエンさんのナムジャチング(ボーイフレンド)のリ・ペイシャン君、そして妻と私の合計7人。
「もっと集まればよかったんだけど、中国に帰った学生が多くて」と先生。
ま、この時期だから仕方がない。
「どこへ行きましょうか。いちおう、映画を見に行こう、と思うんですけど」と先生がおっしゃった。
同窓会で映画か。いかにも、ナム先生らしい。
1級1班のときのことを思い出す。
あるときマ・クン君が、休み時間に、教室の外にも出ずに席に座って何かを書いていた。
「何を書いてるの?」と聞くと、
「ナム先生に手紙を書いているんです」という。
明日、一緒に映画を見に行きましょう、という手紙だそうだ。
次の休み時間、マ・クン君はナム先生に手紙を渡した。
彼の告白はみごとかなって、ふたりで「レッドクリフ2」を見に行ったという。
彼は後日、そのことをうれしそうに私に話した。
「…で、何を見に行きましょうか?」あらかじめプリントアウトした映画の時間表を見ながら、先生がみんなにたずねる。
いまなら、さしずめ「アバタ」だろうが、今日はどうもそんな感じではない。
「『ガソリンスタンド襲撃事件2』なんて、どうです?」と先生が提案する。
私が見たいと思っていた映画である。
「それ、見たいです。パク・ヨンギュが出ている映画ですよね」と私。
私は、シットコム「順風産婦人科」以来、パク・ヨンギュのファンであった。
「そうそう、パク・ヨンギュ。じゃあこれにしましょう」
映画館まで、タクシーで移動する。
タクシーの中で、リ・プハイ君、チョン・ヤッポ君と会話する。
リ・プハイ君は、私にとって思い出深いチングである。なにしろ、マラギ(会話)の試験で、ペアになって試験を受けている最中、かかってきた携帯電話に出て通話をはじめた、という強者なのだから。
彼は、1級を2回、2級を2回、3級を3回と、2年間語学院に通ったすえ、昨年の9月に、はれて近隣の大学に入学した。
大学はいま春休みなので、留学生の多くは中国に帰っているのだが、彼は中国に帰らないようだ。
「春休みに、どうして中国に帰らないの?」
「アルバイトをしているからです」
「何のアルバイト?」
「工場で働いています」
工場のバイトは、かなりきついらしい。
次にチョン・ヤッポ君に聞く。「大学は決まったの?」
「落ちてしまいました」
3月の入学はかなわなかったようだ。
気が優しくてとてもいいやつなのだが、「僕は頭が悪くて…」と、どうも自分に自信がもてないようである。
「僕のヨジャチング(ガールフレンド)も、日本の大学を受験して、落ちてしまいました」と、彼はつけ加えた。
6時30分、映画館に到着。7時5分の上映開始まで30分くらいあるので、いろいろと話をする。
「チ・ジャオ君は、ヨジャチング(ガールフレンド)と同じ大学に入学するために、釜山に行ったそうですよ」と先生。「本人は行きたくなかったみたいなんだけど」
「なんか、ワン・ウィンチョ君みたいですね」と私。
ワン・ウィンチョ君は、ヨジャチングのチャオ・ルーさんのために、同じ大学に入学した。だがその大学は、お世辞にもいい大学とはいえなかった。彼の実力からすれば、もっと一流の大学をねらうことは十分可能だった。
「ほんと、ワン・ウィンチョ君はもったいなかったですよね。あんなに一生懸命韓国語を勉強したのに…。今はガソリンスタンドでアルバイトしてる、って聞きましたよ」と先生。
「ガソリンスタンドですか。ガソリンスタンドのバイトは、かなりきついですよ。僕もしたことありますけど」と、リ・プハイ君が口をはさむ。
おまえ、どんだけ社会経験を積んでるんだ。そんなひまがあったら勉強しろよ。
しかも、これから見る映画は、「ガソリンスタンド襲撃事件2」である。私は彼の言葉に、思わず爆笑した。
ナム先生が私に向かって聞く。
「ところで、미카미씨、どうも미카미씨、と呼びにくいんですよ。目上の人をこのように呼ぶのが礼儀に反するような気がして…。授業も終わって、もう学生ではないことだし、キョスニム(教授様)、と呼んでもかまわないですか?」
やはり韓国のお国柄、というのであろうか。ナム先生のような、語学の教育者のプロでも、やはりずっと違和感を感じておられたんだな。私は、やはり「キョスニム」といわれることにちょっと抵抗があったが、こればかりは仕方がない。
「好きなように呼んでもらってかまわないですよ」
そして私は、「キョスニム」にもどった。
映画がはじまる。コメディ映画である。映画の感想は、また別の機会に書くことにしよう。
映画が終わり、先生がおっしゃる。
「1よりもおもしろくなかったですね。1はもっとおもしろかったんだけれど」
「1」は見たことがないが、でも、私には十分におもしろい映画だった。
時計はすでに9時をまわっていた。大学の北門にもどり、カムジャタンの店でおそい夕食をとる。
わたしは、かねて聞きたいと思っていた、モンゴルの話を、思いきって聞くことにした。
すると先生は、モンゴルの学校で、生徒たちに2年間、韓国語を教えていたときのことを、懐かしみながら話しはじめた。
最初は、自分の思っていたとおりにうまく生徒が勉強してくれないことに悩んだこと、それがだんだんと、試行錯誤しながら生徒たちと交流を深めていき、最終的には、韓国語教育という自分の仕事にとって大きなステップとなったこと、そして、モンゴルでの2年間が、自分にとって何ものにも代えがたい経験となったこと。
1年間、韓国で勉強したいまの私にも、なんとなくその心の動きが理解できる。
「そういえば、先生のホームページの写真に写っているモンゴルの生徒たち、みんないい笑顔してますね」と私。
「そうでしょう」
しばらく、モンゴルの思い出話に聞き入った。
「本当はまた、モンゴルに行って韓国語を教えたいんです。モンゴルから帰ったばかりのころは、その気持ちが強かったんですけど、時間が経つにつれて、だんだん自信がなくなってきちゃって…」
先生は複雑な表情をした。
「そうそう、これ、ソンムル(贈り物)です」
先生が私と妻に、小さな封筒をくださる。
中を開けると、本のしおりだった。
「おふたり、本が好きでしょう」
どこまでも、律儀な先生である。
夕食が終わり、チングたちが帰るという。
「チョン・ヤッポ!しっかり勉強して、大学に合格しなさいよ」と先生。
「先生、でも僕、マラギ(会話)がダメなんです。自信がないんです。僕、頭が悪いから…」
「そんなことないわよ」
「そうですよ」リ・プハイ君。「韓国語が上達するためには、韓国の人たちとたくさん友だちになることがいちばん大事です」
語学院で留年をくり返していたリ・プハイ君が、悟りきったようにアドバイスしたことに、私は思わず苦笑した。だが彼には、世間を生き抜く知恵と強さがある。
みんなと別れたあと、先生と私たちの3人で、北門の横にある「カフェC」へ。私が毎日のように通っている喫茶店である。夕食代を出してもらったお礼に、コーヒーをごちそうすることにしたのである。
そこで1時間近く、いろいろな話をした。もっぱら、この1年間の思い出話である。
「料理教室の話、あれはおもしろかったですねえ」と先生。
おもしろさが伝わるように、韓国語に翻訳するのに苦労したが、ワン・ウィンチョ君と顔を見合わせるくだりを読んで笑った、というのだから、こちらの意図はある程度は通じていたのだろう。
話はスギ(作文)の話におよぶ。
「キョスニムが書いた、3級のときの『チング(友)』、それと4級のときの『アボジ(父)』は、とくに印象に残っています。『アボジ』の作文は、あのとき、キム先生(4級の時のマラギの先生)からみせてもらったんですけど、読んでいて泣きそうになりました」
また「アボジ」の作文の話題が出た。くり返すが、私はどんなことを書いたのか、まったく覚えていないのだ。いったい私は、どんなことを書いたのだろう。
気がつくと、11時半になろうとしている。明日9時からまた授業だというのに、遅くまでおひきとめしてしまった。
「楽しい時間でした」と先生。
「日本に帰る前にいちど、語学院に挨拶にうかがいます」と約束して、お別れした。
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