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飛行機のチケットを買う

1月21日(木)

そろそろ、帰国のことを考えないといけないと思い、とりあえず、大学の生協に行って、帰国の飛行機の切符を購入することにする。

旅行代理店のカウンターでチケットを受けとりながら、伊集院光氏の伝説的エッセイ『のはなしに』(宝島社)に載っていた、伊集院氏の奥さんにまつわるエピソードを思い出した。

結婚2年目のある日、「あなたに尊敬されるために英会話をマスターする」と、突然、伊集院氏に奥さんが言い出した。ちなみに奥さんはそのとき、まったく英語ができなかったという。

奥さんがとった行動は、単刀直入、「イギリスに住む」という方法だった。てきぱきと留学の手配をし、荷物をまとめて、片道のチケットだけをもって、「帰りのチケットを英語を使って自分ひとりで取れるようになったら帰ってくる」と言い残し、英国へ旅立ったという。そして6カ月間の英国滞在をへて帰ってきた奥さんは、「道で困っている外国の人に交番までの道筋を英語で道を教えてあげられるくらい」に上達したという。

「帰りのチケットを英語を使って自分ひとりで取れるようになったら帰ってくる」っていうところがいいね。飛行機のチケットをとることじたいは、じつはそれほど難しいことではない。たぶん、3カ月もいればとることができるのだと思う。でも、「片道切符だけを持って外国に行って、帰りのチケットを自力でとる」というのは、外国語を学んだ者にとって、ひとつの目標なのだろう。

あと、英語を学ぶ方法として、「イギリスに住む」、という単刀直入な方法もいいね。いまの私も、同じことを考えるだろうな。将来、中国語を勉強しようと思ったら、中国に留学するかも知れない。

そのエッセイの最後に、伊集院氏が奥さんに「英会話のマスターの秘訣は?」と聞くくだりがある。奥さんが答えるには、「ガッツ」。

これもいまの私にはよくわかる。いまの私もやはり、「ガッツ」と答えるだろう。

外国語を学ぶには、やはり「ガッツ」しかないのだ。

ひょっとして私は、伊集院氏よりも、伊集院氏の奥さんのファンなのかも知れない。

さて、もうひとつ、チケットを受けとりながら思い出したことがある。

あれは、紅葉狩りに行ったときのことだから、10月の終わりくらいのことか。

大学の教授や大学院生のみなさんに混じって、中国のある有名な研究所からこの大学に派遣されている研究者の方も一緒に、その紅葉狩りに参加されていた。

たぶん、私と同じような立場で、この大学にやってきた研究者の方なのだろう。年齢も、私よりもちょっと若いくらいの方である。つまり、立場的には、私とまったく同じ方だ、と思ってよい。

ところがその方は、まったく韓国語を話さない。話そうとしないのである。最初から最後まで、中国語で貫き通されたのである。もっとも、まわりは中国語の堪能な方たちばかりだったので、それで問題なかったのだが。

うかがうと、8月に韓国にいらしたばかり、というから、まあ、韓国語がわからない、というのも、無理はない。

ただ、それにしても3カ月はたっているのだから、すこしは韓国語を話そうとする姿勢くらいはみせてもよいのではないだろうか。私自身を振り返ってみても、わからないなりにも、韓国語でコミュニケーションをとろうとしていたのだ。

しかしその方は、いっさい、韓国語でコミュニケーションをとろう、という気がないようである。私にはそのことが、不思議でならなかった。

それから1,2週間たった日のことである。

生協に入っている旅行代理店の横を通ると、紅葉狩りのときに一緒だったその方が、カウンターにいらっしゃった。おそらく、中国に一時帰国するときの飛行機のチケットでも購入していたのだろう。

しかしその方の横には、通訳とおぼしき方が、旅行代理店の人と交渉していた。飛行機のチケットを、通訳の人に頼んで、購入していたのである。

…私は、自分の飛行機のチケットを受けとりながら、そのことを思い出したのであった。

些細なことかも知れないが、飛行機のチケットを自分でとる、ということは、やはり外国語を学ぶ者にとって、象徴的意味があるのかも知れないな。

話はここで終わらない。

その方とは、12月に大学でおこなわれた、国際学術大会で再会した。

再会した、といっても、すれ違っただけなのだが、そのとき、その方は私にこう挨拶したのだ。

「ニーハオ!」

えええぇぇぇぇ!そこは「アンニョンハセヨ」だろうがぁぁぁぁ!

私はビックリした。

ことわっておくが、私は、中国語がまったくわからない。もちろん、「ニーハオ」「謝謝」「再見」くらいはわかるが、それ以外はまったくわからないのである。

いくらなんでも、韓国に3カ月以上もいたら、「アンニョンハセヨ」くらいは、言えるのではないだろうか。しかしその方は、その挨拶すらもしないのだ!しかも、中国語がわからない私に、あたりまえのように「ニーハオ!」と挨拶するとは、どういうことだ?

どうして、かたくなに韓国語でコミュニケーションをとろうとしないのだろう。私には、それがまったく理解できなかった。

誰かわかる人がいたら、教えてほしい。

「中国語は世界語だから韓国語なんて学ぶ必要がない、と思っているのよ。研究をしに来たのだから、韓国語を学ぶなんて、考えてもいないんじゃないかな」とは妻の説。

なるほど、そうかも知れない。でも、海外で研究する、って、そういうことなのか?もしそう考えているのだとしたら、私はその方の研究を、まったく信用しないだろうな。

そう思うと、語学院で一緒に勉強した中国人留学生たちが、いとおしく思えてくる。

彼らは、どのような事情であれ、韓国語を勉強してきた。もちろん、研究、などというものとは、ほど遠いところにいる若者たちだ。だが、韓国語を勉強したことで、彼らの思考様式も、確実に変わった。それは、ずっとそばでみてきたこの私が言うのだから、間違いない。

それに彼らは私に「アンニョンハセヨ」と挨拶してくれたぞ。

外国で勉強する、とは、たぶん、そういうことだ。

ひとまず、彼らの思考様式に寄りそってみること。そのためには、その国の言葉を学ぶことが、いちばんの近道である。そして、その国の言葉を学ぶいちばんの近道は、その国で暮らすこと・・・。

結局、そこに帰結する。伊集院光氏の奥さんがとった方法は、やはり間違っていなかったのだ。やはり私は、伊集院光氏よりも、奥さんのファンなのかも知れない。

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