小さな同窓会
3月21日(日)
今日から、3泊4日でソウルに行く。3週間ぶりの韓国である。
妻が3月末までソウルに滞在している。新学期が始まる前でもあるし、ソウルで、いくつかやってみたいこともあったので、この機会に、ソウルに行くことにしたのである。私にとっては、もはや大阪や九州に行くような感覚である。
この日の夕方、妻は、韓国語5級クラスの時の同窓生の中国人、ポンリンさんとソウルで会うことになっているのだという。なんでも、妻がまだ韓国にいることを知り、「帰国前に一度会いましょう」といって、わざわざ大邱からソウルまで来てくれる、というのだ。ちょうど私も、夕方に仁川空港に着くので、そこに同席することにした。
4時半過ぎに仁川空港に到着。そこからバスに乗り、待ち合わせ場所であるカンナム(江南、ソウル市を流れるハンガン〔漢江〕の南側の地域をいう)のレストランに向かう。
6時半過ぎ、レストランに到着すると、すでにみんなが揃っていた。妻と、ポンリンさん、そして、ポンリンさんのナムジャチング(ボーイフレンド)。
ポンリンさんのナムジャチングは、韓国人で、大学院生である。この日ポンリンさんは、ナムジャチングの車で、大邱から4時間かけて、わざわざ妻に会うために、ソウルに来たのだ。
「本当は一度、나츠코 씨を家に招待して、中国料理をごちそうして差し上げたかったんですけど、それができなかったので、こうして会いに来ました」とポンリン氏。나츠코 씨とは、妻の名前である。
私は、語学院でポンリンさんと同じクラスになったことはないが、以前に何度か会っていた。最初にあったのが、1級1班の時、マ・クン君の部屋で、鍋をしたときである。同じアパートに住むポンリンさんも一緒に、鍋を囲んだのである。このときマ・クン君は、彼女を「このアパートのヌナ(お姉さん)です」と、紹介した。
「覚えてますか?マ・クン君の部屋で、一緒に鍋を食べたこと」と私。
「覚えてますよ。マ・クン君、中国に帰ったんですよ。やっぱり韓国語がどうしてもダメだったみたいです。彼、すごく人はいいんですけど、全然勉強しなかったんですよ」
マ・クン君は、韓国の大学に入学することをあきらめ、とうとう中国に帰ってしまったのか…。
ポンリンさんは、他の中国人留学生にくらべて、若干年上である。中国で大学を出て、就職の都合で、韓国にやってきた。そこで韓国語を勉強しているうちに、韓国にのめり込んでしまい、会社をやめ、今度は、韓国の大学に学士入学を考えているという。
たぶん、私がいままで語学院で会ってきた中国人留学生たちの中で、最も積極的で前向きな人である。多くの中国人留学生たちが、大邱からほとんど出ることもなく、引きこもった生活をしているのに対し、彼女は、積極的にいろいろなところに出むき、いろいろなことに挑戦する。実際、妻に会いに、ソウルまで来ているのが何よりの証拠だ。
今学期の開講式では、みんなの前で、韓国の伝統的な踊りを披露したのだという。
「今学期も、語学院の授業に出ているの?」
「ええ、3回目の5級です」
語学院は、5級クラスまでしかなく、それ以上の級に上がることはできない。だから彼女は、最上級のクラスを3回連続で出ているのだ。実際、彼女の韓国語はとても上手であり、もう授業に出る必要はないと思うのだが、彼女は授業に出ることが好きなのだろう。
彼女が5級のクラスであると知り、聞いてみたいことがあった。
「ひょっとして、ロンチョン君は、5級にいる?」
「ええ、いますよ。彼はわが班のパンジャン(班長、学級委員のこと)です」
えぇ!あいつ、今学期もまた班長なのかよ!先学期も、そして私と同じクラスだった先々学期も、さらにその前も、彼はずっと、パンジャンだった。人並みはずれて善良な人間なのだが、遅刻や欠席が多いのはパンジャンとして問題だった。ともあれ、4級のクラスを3回くり返した彼が、ようやく今学期、5級に上がったということを聞いて、ひとまず安心した。
「先生は、誰なの?」私が聞く。
「オ先生とカン先生です」
「カン先生!」と私は思わず叫んだ。「2級の時に習ったよ。語学院で、いちばん面白い先生だ」
「ええ、いつも慌てていらっしゃいます」
「そうでしょう。せっかちな先生でしょう」
語学院の消息を聞くのは、やはり楽しい。
「いまももちろん楽しいんですけど、나츠코 씨と同じクラスにいた頃が、いちばん熱心に勉強していたと思うんですよ。あのクラスのチングは、本当にみんなよく勉強していました」
まだ、半年もたっていない頃のことを、彼女はやたらと懐かしんだ。
「これからはどういうことをやってみたいの?」
「私、韓国だけでなく、日本のことも勉強して、これから、中国と韓国と日本を結びつけるような仕事をしたいんです」
ちょうど、私が漠然と考えていたようなことを、彼女はもっとバイタリティある言葉で語ったのである。
いい意味で「野心」を持っている彼女ならば、おそらくその夢は実現するだろう。これからの彼女の活躍が楽しみである。
気がつくと、8時をまわっていた。
「これから大邱に帰ります。明日、語学院の授業がありますから」
店を出て、車に乗り込む2人。
「気をつけて帰りなさいよ」
「お元気で」
かくして、「小さな同窓会」はお開きとなった。私たちは、彼女の心遣いに感謝した。
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