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東アジアの笑いをめざせ!

3月15日(月)

夜7時、前の職場の同僚2人と、久しぶりに待ち合わせる。

職場が変わってからというもの、2人とは、半年に1回くらい、会って食事をしながらひたすら話をする。私の数少ない友人のうちの、2人である。

帰国後、一度ゆっくり話をしよう、ということになり、集まることになったのである。

この日も、ファミレスで、7時から夜中の2時近くまで、実に7時間近く話した。

2人とも、この日記の読者だが、とりわけ、「こぶぎ」氏は、きわめて熱心な読者である。

日記に書いた話のほとんどを、覚えている。そればかりではない。韓国語の日記も、たまに見ているという。

私は、韓国語で書けないような内容を日本語の日記で、日本語で書けないような内容を韓国語の日記に書いたりしているので、彼はその両方、つまり、私のウラもオモテも知り尽くしている、ということになるのだ。

不思議なもので、長い間ブログを書いていると、いつしか、公開している、という意識が薄れてしまい、しだいに書いていいことと悪いことの区別が、つかなくなってしまうような気がする。たとえていえば、長時間飛行機に乗っていると、しだいに、自分が空の上を飛んでいる、という意識が薄れてしまい、地上にいるかのように錯覚してしまうように(相変わらず、たとえがわかりにくい)。

だから、この日記には、私の精神状態とか、きわめて内的な部分といったものが、知らず知らずのうちにあらわれていると思うのだ。心理学者でもある彼にとっては、格好の研究対象、といえるかも知れない。

「ブログに書けなかったようなことを聞かせてほしい」とのリクエストに、いろいろと話しているうちに、あれこれと思い出してきた。不思議なもので、喋ってみると、いろいろなことを思い出すものだ。話をしながら、「これはひょっとしてカウンセリングか?」などと思ったりする。

思い出したことで、この日記に書ける話を書くことにしよう。

「ブログを読んでいると、どうも語学の勉強、というより、笑いの勉強をしに行った、という感じだね。あれじゃあ、まるでコントの台本だ」と、こぶぎ氏が言う。

彼は私の日記を、中国、韓国、日本の「笑い」に関する教材として、読んでいたのだという。

中国、韓国、日本。東アジアに共通する笑いは、存在するのか?

そのことで、思い出したことがあった。

これは、私が直接体験したことではない。私の妻が、体験したことである。

妻が、5級のクラス、つまり、韓国語の最上級のクラスの授業を受けたときのことである。

そのクラスで、「グループ発表」という授業があった。

クラスの20名弱の学生を、いくつかのグループに分ける。1グループは5名程度である。

その5名が、何かについて調べ、それを発表する、という演習。

しかし、ただみんなの前で口頭で発表するだけではつまらない。そこで、さまざまな工夫を凝らすことになる。

手っとり早いものとしては、パワーポイントを使った説明など。

凝ったものとしては、寸劇を交えたり、インタビューをビデオにおさめて、それをみせながら発表する、というもの。

ちょうど、10月の終わりごろのことだったか。語学院に通う多くの留学生たちが、大学入学のための面接試験に追われていた時期のことである。

妻のグループは、グループ発表のテーマを、「面接試験必勝法」とした。留学生たちが、その時、一番関心のあるテーマでもあった。

問題は、発表の仕方である。

さまざまな議論の末、「誰かが面接官、誰かが受験生に扮して、寸劇を交えながら、面接試験の心得を解説する」という形式をとることに決まった。

ただ、その場で芝居をするのは恥ずかしいので、あらかじめその寸劇をビデオにおさめて、それをスクリーンで上映しながら、適宜解説を加えていくことになった。

で、その寸劇には、「悪い受験生」と「よい受験生」を登場させて、「悪い受験生」が、面接試験でとる態度をまず見せて、その受験生の、どこが悪いかを解説した上で、次に、「よい受験生」の面接態度を見せる、という構成がとられることになった。

ここまでの説明は、わかるかな?

たとえば、「面接の部屋に入る時の態度」という場合。

まず、「悪い受験生」が、ノックも挨拶もせずに部屋に入ってくる。面接官の先生が「座ってください」と指示する前に椅子に座り、足を組む。

という映像を流す。

「これではいけませんね。ノックをしてから部屋に入り、面接官の先生が、『座ってください』とおっしゃってから座りましょう」

とか何とか、その場で解説を加え、その後にこんどは「よい学生」が、面接の部屋にはいるときの映像を流す、という段取りである。

うーむ。ますます説明がややこしくなってきたな。

ま、こんな感じで、面接試験で想定されるさまざまな状況を、「悪い受験生」と「よい受験生」が演じていくのである。

構成と演出、そして撮影を、妻が担当するという。

私も、ひとつだけ、ネタを提供した。

以前、3級のマラギ(会話表現)の試験で、リ・プハイ君とペアになったときのことである

与えられた設定をもとに、2人で会話をしている最中、リ・プハイ君の携帯電話が鳴って、あろうことか、彼がその携帯電話に出て通話をはじめた。試験の最中にもかかわらず、である。

その話をすると、「悪い受験生」の見本として、さっそく台本に盛り込まれた。

こうして、いくつかの状況を想定して、「こんな時、どのような態度で臨んだら、面接官の先生に好印象を与えることができるか」という「面接試験必勝法」の台本を作り上げた。

演者も決まる。面接官の先生役が、モンゴル人のフーランさん。「悪い受験生」役が、語学院きっての好青年、エンロン君。そして、「よい受験生」役が、中国人の女子学生(名前は失念)。

語学の授業が終わった夕方、教室を借りて、撮影が行われた。撮影と演出も、妻である。

撮影が終わったあと、ビデオを見せてもらって驚いた。

これが、実によくできているのである。

演者の演技も上手だし、「カット割り」もすばらしい。

なにより、笑えるのだ。

「もしも、面接の途中で携帯電話が鳴ったら」とか、「もしも、面接官にちんぷんかんぷんな質問をされたら」とか、「もしも、面接官に学費や生活費のことを聞かれたら」とか、いかにもありそうな状況設定で、かつ、それに対するふたりの受験生の対応も、対照的で実に面白い。

一番の傑作は、「もしも、面接官の先生の訛りがひどくて聞き取れなかったら」という設定。

モンゴル人のフーランさんが、キツい大邱訛りで質問したのも笑えたが、それに対する「悪い受験生」ことエンロン君の、「え?何だって?わっかりませーん」みたいな反応が、実に面白い。

笑いながら思う。これって、「ドリフ大爆笑」の「もしものコーナー」ではないか!(わかる人だけわかればいい)。

一見、「もしも訛りのひどい面接官の先生がいたら」は、笑いに走るためだけの設定のようにも思えるが、実は、こういう状況はよくあるのだ。とくに、韓国の中でも、とくに訛りがキツいとされている大邱周辺の大学には、このようなことが、実際によくあるという。

さて、このグループ発表。私は本番当日に聞くことはできなかったが、案の定、好評だったようである。この発表を見ていたある先生は、妻に「こういう仕事(映像作家や構成作家)に向いていると思いますよ」とおっしゃったという。

この話は、ここで終わらない。

この「面接試験必勝法」が、あまりに好評だったために、11月30日に行われた語学院の開講式の時に、再演されたのである。そう、私が修了生代表として「最後のあいさつ」をした、あの開講式の時である。

韓国語の先生たちと、1級から5級までの学生たちがいる前での再演。

やはりウケていた。

とくに、訛りのキツい面接官のくだりは、韓国人の先生方のあいだでは大ウケだった。フーランさんの大邱訛りが、それだけ完璧だった、ということであろう。

…ちょっと長くなったな。こぶぎ氏と話していて、以上のことを思い出したのである。

「考えてみれば、すごいと思いません?モンゴル人と中国人が、韓国語で会話をする寸劇(コント)を、日本人が構成、演出して、それを、韓国人の先生とか、各国の留学生が大笑いするんですよ」と私。

そこから、「アジアに共通する笑いをつくりあげるには、どうすればよいか」という話になる。どうも私の感触では、中国人のシュールなボケを、感情表現が豊かな韓国人がツッこむという笑いを、日本人が構成・演出する、という形が、いちばんふさわしいのではないか、という気がしてきた。

東アジアの人たちが、力を合わせて、共通の「笑い」をつくりあげる。

これって、私の理想とするところかも知れない。何とかできないものかな、と、なかば本気で考えはじめた。

「やっぱり、語学ではなくて、『笑い』を勉強しに行ったんじゃない?」

こぶぎ氏は、私にそう言った。

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